黒絹の皇妃   作:朱緒

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第121話

 男爵夫妻の警備に、DNA鑑定、サイオキシン麻薬の調査、航路の保全に、同行させた艦隊の管理。

 追加で殺し屋の対処 ―― 大量の仕事を抱えているファーレンハイトだが、このほかにも業務があった。

「副官ですか」

 客員提督として、名のある提督のもとで学び、フェザーンに来る前に准将に昇進したファーレンハイトは、使えそうな副官を捜していた。

「そうだ」

 来年ブラウンシュヴァイク公が元帥に昇進する際に、元帥府に組み入れられるのが確定していることもあり、ファーレンハイトは階級にしては、随分と自由があった。

「准将でも、自由に選ばせてもらえるのですか?」

「特別にな」

「権門の力ですね」

「そうだな」

 副官が他の門閥貴族の子飼いは避けたいファーレンハイトは、士官学校を出て間もない平民をリストアップし、絞り込みの段階に入っていた。

「若い士官ばかりですね」

 最終候補の六名が、名前とともに画面に映し出されている。

「二十歳から二十二歳までの平民。こいつらは、貴族と一切つながりはないと、シュトライトに確認してもらった」

「なるほど……で、どれにするんですか?」

 写真画像に触れて簡易の経歴に目を通すと ―― 全員、取り立てて目立つ経歴ではなく、在学中の成績も特に”これ”といったものはない。

 才気走った若者などは副官に向かないので、当たり前の人選なのだが、決め手になるものがない。

 ファーレンハイトは全員と、通信で面接したものの、どれも当たり障りなく、誰を選んでも代わり映えしなさそうなイメージしか得られなかった。

「決め手がなくてな。どれでも良いような気がするんだが。お前の直感は?」

 もっと階級が上がれば、直接面接で感じを推し量ることもあるが、准将あたりではそれもできない。

「あとで文句言われるの嫌なんで、答えは控えさせていただきます。そうだ、夫人に選んでいただいたらどうです? それなら、多少の役立たずでも許せるでしょう?」

「まあ……お願いしてみるか。役立たずはともかく、俺の副官だと、ジークリンデさまに会う可能性もあるしな。嫌いなタイプよりは、好きなタイプのほうがいいだろう……どうした?」

 端末をのぞき込んでいたフェルナーが顔を上げて、眉間に皺を寄せて首を振り、そんなのは一人も居ませんよと。

「フレーゲル男爵閣下を彷彿とさせる人、一人も居ませんけど」

「全員平民だからな」

 

―― 私に選定眼とかありませんから! 私のこれは、後出しじゃんけんみたいなものですから!

 

 (後半の会話は削除されたが)経緯を説明され、選定を依頼されたジークリンデは、勘違いされていることを、肌にひしひしと感じるも、平民をリストアップしたと聞かされたので、

―― もしかしたら、誰か覚えている主要メンバーが、紛れ込んでるかも。私が分かる人が、いたらいいなあ

 原作ミッターマイヤーのところの若い提督たちが、リストに載っている可能性があるのではと考え目を通すことにした。

「見せて」

「はい」

 だが残念ながら、画面に映し出された彼らの名前に、主要メンバーに関わりそうな響きを持つ者はいなかった。

 

―― やっぱり、都合良くいきませんね。思えば私、主要キャラですら怪しいんだから、脇役なんてほとんど……。えーと、ファーレンハイトの副官ですか。副官。副官でしっかりと覚えているのなんて、フレデリカとシュナイダーくらいしか。あとベルゲングリューン……じゃなくて、ファーレンハイトの副官って名前、あったような、なかったような……柱でヴァルハラ行きになった人だったわよね……

 

 ”そんなに上手くいくはずないか”と、ジークリンデは目を閉じて、額に手を当てて、思い出そうと必死になる。

―― でもリストにある名前、なんかこう……部分的にでも、覚えがあるような名前なら、きっと……そうだ!

 ”まさか、リストを少し眺めただけで選ぶのか?”フェルナーとファーレンハイトは顔を見合わせるが、選び方は自由なので、無論沈黙を保ったまま。

 そんな二人の空気など気にせず、必死に読んだ時の記憶を必死に思い出そうとする。

 

―― アンガーミュラーはいなかった、いたらミュラーと名前似ているって覚えている。フランケンシュタインもいなかった。いたら、絶対これは覚えている……、…………ザンデ、そうだ、ザンデっていた!

 

 目蓋を開きジークリンデは、記憶に僅かにひっかかりのあるザンデルスを指さす。

 

「このザンデルスという少尉なんか、どうかしら?」

 

 ジークリンデは”自分のことからだ、ザンデルスの「ルス」を忘れてしまったのだろう”と、軽く考えた。

 

 このような経緯で、原作とおなじ副官が選ばれた。それから数時間後 ―― 髪を洗わせ爪の手入れをさせ、目を閉じて音楽を聴くしかすることがないジークリンデは、目を閉じて徒然なる時を過ごしていた。

 ブローが終わり、シンプルなフレンチネイルも完成し、ガウン的で腰の位置が高く、袖が広がっているルネッサンス風ドレスに着替えて寝室へと戻る。その途中、

「……」

 つま先までビジューで飾られた、踵の低い靴を履いた足が止まる。

「奥様? どうなさいました」

 付き従っていた召使は、なにかに驚いている彼女の表情を見て不安を覚えた。自分たちが失態をしでかしてしまったのかと。

 視点があっていない硬直姿勢に、フェザーンの婦警の一人が肩に触れ、

「失礼いたします。どうなさいました」

 ジークリンデの意識を戻そうと揺する。

「……なんでもないわ。驚かせたわね」

 やや急ぎ足で寝室へと戻り、入り口で待っていたフェルナーが婦警から警護を引き継ぐ。部屋にフェルナーと二人きりになったジークリンデは、ベッドにダイブして枕に顔を埋め、足を控え目ながらばたばたさせるた。

 

―― ザンデルスじゃない。ザンデはザンデだった! それに、あれアルスラーン戦記! 作者が同じなだけで、話は全く違う! ……ヒルメスとナルサスの名前が混同したり、ナルサスをナルシスって覚えてた私だから、ザンデだって……言い訳しちゃだめ! あああ、どうしよう! ファーレンハイトの副官、違う人にしちゃった!

 

 ”間違いだが、正解”ジークリンデがその事実を知る術はない。

 

 どうすることもできないが”どうしよう”と、身もだえしているうちに、フレーゲル男爵がやってきたのでフェルナーは部屋を出た。

「ジークリンデさまが突然、ベッドの上で恥ずかしそうにじたばたしてたんですけど。どうしたんでしょう」

「夜のことを考えて、恥ずかしがったのだろう。最初の頃は、キスされただけで、大変な騒ぎだったからな」

 副官人事を勘違いした(合っているのだが)のが原因で、身もだえしているとは ―― 思うはずもない。

「ところでフェルナー。お前、見てただけなのか?」

「はい。可愛らしかったんで」

 

**********

 

「映画やっと観られるのね」

 十四歳だったため、客船内では観賞できなかった映画を観るために、ジークリンデはフェザーンの映画館へとやってきた。

「そうだな」

 客船では時間が合わなかったが、フェザーンではフレーゲル男爵の都合がついたので、二人で一緒に観ることに。

「レオンハルトと一緒に来られるなんて。船で観なくて良かった」

 腕を絡めて身を寄せてくるジークリンデの腰に手を回すフレーゲル男爵の笑顔は、勝利者の余裕に満ちあふれている。

 

 ペアシートに腰を下ろして鑑賞 ――  二時間ほどの映画は、途中暴力シーンもいくつかあったが、なかなかに面白い作品であった。

 映画終了後、カフェテラスで、鑑賞した映画の話をし、

「では行ってくるからな」

「購入したらみせてくださいます?」

 時間が来たので、フレーゲル男爵は自分の領地開発の商談へ。

「購入は購入だが、買うのは工場で……工場見学でもいいか?」

 手つかずになっている惑星一個丸ごとの開発のために、フェザーンの企業を……という規模のもの。

「なんかよく分からないですけど、楽しみですわ」

 もちろんジークリンデは、工場というものは記憶で分かっているが、ここでは工場など見たこともなければ、聞いたこともないような人生を送ってきたので、上手く切り返した。

「完成したら農業工場を観に行こうな」

「はい」

 地球の工場と、人類が宇宙に出てからの工場が同じとも思えないので、純粋に興味もあった。

 

―― この世界の工場って、どんな感じなんでしょう。工場見学ですか。農業工場だから、作ったものの試食とか、できるのかしら

 

 惑星開発者たちの食料確保のための農業工場なので、ジークリンデの口に入る可能性はきわめて少ない。

 

 映画館に残ったジークリンデは、フレーゲル男爵についてきた官吏ブルーメンタール伯の愛人、ゲオルギーネともう一本映画を鑑賞する。

「ゲオルギーネのお好みに任せるわ」

 自分が希望した映画は観たので「自分の取り巻きとして頑張っている」ゲオルギーネに希望を尋ねた。

「え、あ……でしたら、あの、これを」

 聞かれるなどと思っていなかったゲオルギーネは焦り、観たいわけでもない映画のポスターを指さした。

 灰色を基調とし、黒みを帯びた赤が禍々しさを強調するそのポスター。

 

―― えっと……ゾンビ、映画? ですよね

 

 どれほどの時が流れようとも、ゾンビはゾンビだと一目で分かるものであった。

 スプラッタは進んで観る程好きではないが、少々思うところもあり、なにより相手に任せるといったのだからと、ジークリンデはその映画を観ることに。

 ポスターだけでみせたくない空気が漂っていたが、R-15ということもあり拒否するわけにもいかず、フェルナーは席を取ることに。

 ゲオルギーネと「どんな映画なのかしらねー」と、喋っているジークリンデ……の護衛であるミュラーは、フェザーン婦警の一人スヴェトラーナ・ドブロフスカヤに、声をかけられた。

「ミュラー中尉」

「なにかな? ドブロフスカヤ刑事」

 辺りをうかがうような小声につられ、ミュラーも声をひそめる。

「本官はこの映画を観ましたが、帝国の方々には面白くないでしょう」

 フェザーンで作られた映画なのだから、当然のごとくフェザーン人がヒーローで、同盟や帝国の人間は引き立て役でしかない。

 もちろんフェザーンは帝国領なので、貴族をこき下ろすような露骨なことはしないが、フェザーン人が観て面白いくらいには、愚かで馬鹿な役回りになっている。

「面白いか面白くないかは、個人の感性だ。ドブロフスカヤ刑事が決めることではない」

 フェザーン文化を知るべく、映画などを軒並み観たミュラーは、ドブロフスカヤが言いたいことはすぐに分かった。

「そうではなく」

「帝国を愚弄している内容ということかな?」

「……はい」

「男爵夫人のご希望だ。私たちが反対意見を述べるなど、できはしない」

 

 実際ミュラーも観ていて、高頻度で苛つくことがある。例え作り物だと分かっていても ―― フェザーン映画に出る士官学校卒の帝国軍人は、もれなく暴力的な無能である。

 

 そしてこのゾンビ映画も、もちろん同じであった。

 怪物よりも人間のほうが怖いという、古来から変わらぬテーマが貫かれ、主人公はフェザーン人。一匹狼の貿易商。昔は民間の傭兵で、宇宙海賊と戦ったこともあり、銃も剣も達人級で、サバイバル能力に長けている。

 民間の輸送船から軍の駆逐艦まで操縦できてしまうような人。ヒロインは帝国から同盟に亡命しようとしている気が強く、だが優しく弱いものは見捨てない、頭もよく、武器もあつかえる女性。ただし亡命はせず、主人公と一緒に生きてゆくことを決める。

 

 やられ役は無能な帝国軍人(大尉)とその部下たち。貴族の落胤という噂のある性格が悪い娘、気は強いが性格の悪い女、ただし貴族の落胤ほどではない。同盟のインテリっぽい男性、ただし口だけで体力はない……など。

 

―― フェザーン人からどう見られているのか、よく分かる内容でした……それはいいんです。帝国国内で作られる映画のフェザーン人は、金に薄汚い人としか描かれなから、それはいいんです。ああ……怖かった。怖いけど……作り物だから……ゾンビが想像以上に怖かった。未来の特撮技術をなめてました

 

 ジークリンデが想像していた以上に精密で、怖ろしかった。

 

 その日の夜、商談成立パーティーで帰宅が遅くなったフレーゲル男爵。

「……」

 先に休んでいるよう言われたジークリンデは、一応言いつけに従ったのだが、恐怖から目が冴えなかなか眠ることができない。

―― 目を閉じるとゾンビが……

 あり得ないことと分かっているものの、恐怖というものは拭いがたく、何度も寝返りを打ち、

「はあ……!」

 普段なら気にならないような音を拾い、一人でびくつく。

―― 外? 室内?

 体を起こして、普段は消すのだが、今日は怖いので付けっぱなしにしていた、ナイトスタンドの明かりを頼りに部屋を見回す。

 ほの暗い明かりは広い寝室の隅まで照らし出すことはできず ―― かえって恐怖心をあおり立てる。

 静まりかえっている部屋に、思わず呼び鈴に手をかけたが、

「呼んで、どうするんですか」

 小間使いが部屋に来たところで、恐怖心が薄らぐことはないので止めて、音が聞こえたあたりを確認しようと、ナイトスタンドを明かり取り用兼、武器として両手で握り締めてスリッパを履いて……

―― ベッドの下に誰かいたりしたら、どうしましょう

 確認しようとしたのはいいのだが、確認する勇気が沸かず、室内をうろつきまわる。

「……確認しても、なにも出来ませんし」

 やたらと静かな部屋、聞こえるのは自分が動き回った際、裾の長いシルクのネグリジェが擦れる音のみ。

―― 外を見てみましょう

 分厚いカーテンと大きな窓の隙間に体を滑り込ませ、外灯に照らされている中庭を眺めようとしたところ、

「……」

『夫人?』

 巡回警備に当たっていたフェルナーと目が合った。ただジークリンデがフェルナーだと気付くのには、時間がかかった。

 なにせヘルメットを被り、監視ゴーグルとガスマスクを装着。全身をプロテクターで覆い、手には擲弾銃。

 その姿を一目見て”中身”を当てるのは難しい。

 ゲオルギーネと一緒に観た映画の再現かと、ジークリンデは呆気に取られ ―― 形の良い唇が開き、ガスマスク越しでくぐもっているが、聞き覚えのあるその声に、驚いた表情のまま呼びかける。

「フェルナー……なの?」

『はい。どうなさいました?』

「えっと……警備が終わったら、寝室に来て」

 昼間の映画を怖がっていると知られるのは、気恥ずかしかったが

―― 隣にいたフェルナーには、ばれているでしょうしね

 今更、怖くないと言い繕ったところで、より笑われるだけだろうと考え、素直に来て欲しいと伝える。

『今すぐでもよろしいでしょうか?』

「いいの?」

『はい』

「じゃあ、窓の鍵を開けますね」

 それではと、鍵に手を伸ばす。

『開けてはだめです! 顔見えてないでしょう? 私のふりをした誘拐犯かもしれないんですよ! そんなに簡単に人を信用しないで。お待ち下さい。今すぐ参りますので』

 ジークリンデは知らされてはいないが、警備システムの関係上、窓を開けると異常発生と見なされる。

 フェルナーは大急ぎでぐるりと回り、ヘルメットを外しそこにガスマスクと監視ゴーグルを放り込み、暗証コードを入力して、ジークリンデの寝室へとやってきた。

「お待たせいたしました……どうして、突っ立ってるんですか?」

 基本、寝室には椅子などはなく(主が所望した時のみ運ばれてくる)ベッドしかない。主はベッドに体を横たえて話を聞くのが一般的だ。

 

「ベッドの下に、誰もいない?」

 ここまできたら、意地を張っても仕方ないと、ベッド下の隙間が怖いのだと正直に話した。

「確認いたします……誰もいませんよ」

 ゴーグルを手に取りベッドを確認したあと、画面がジークリンデに見えるようにする。

「ここが、サーモグラフィです。温度を感知して、色で表示します。ベッドの下に、人はいません。目視確認してきますので、お待ちください」

 再度ガスマスクなどを装備しなおし、ベッドへと近づく。

 ベッドの脚と隙間は、二枚がけのシーツで隠れている。これを全てめくり上げて確認すると、またメイクし直さなくてはならないので、フェルナーは腹ばいになり、擲弾銃を持って匍匐前進で潜入し、

『異常はありませんでした』

 侵入した反対側に立ち、敬礼しマスク越しのくぐもった声で異常無しと伝えてきた。

「そう…………笑わないの?」

―― 笑ってくれたほうが楽……笑いそうな雰囲気なのに

 あまりに本気の確認作業に、怖がっていた自分が恥ずかしくなり、思わず俯いてしまう。

『意味が分かりません。お許しさえいただければ、室内で警備にあたります』

 同階級の者相手ならば、ジークリンデが思ったようなこともあるが(笑うというよりは嘲り笑う感が強い)警護対象が眠れないほど怖がっているのを、笑いで済ませるほど、フェルナーは無責任ではない。

「じゃあ、寝室で警備について」

『かしこまりました。安心してお休みください』

―― 怖がったのが、恥ずかしい。恥ずかしすぎます。全力でスルーされると、恥ずかしい! ファーレンハイトもこんな反応でしたけど、フェルナーは違うとばかり

 ベッドに腰をかけてスリッパを脱ぎ、ジークリンデはシーツの隙間に潜り込んだ。

「ねえ、フェルナー」

『はい』

「そんな離れたところではなく、枕元で警備できない?」

 フェルナーは入り口と窓、そしてジークリンデのベッドが一望できる位置に立っており、かなり離れていた。

『かしこまりました』

 そのポジションを捨て、指示された場所へと移動する。

 ”側へ”そう指示を出していながら、ジークリンデは羞恥から背を向け ――

「目が冴えたから、眠くなるまで話し相手になって」

『はい』

「……」

―― 私から話し掛けない限り、会話は成立しないのですね……フェルナーも意外と軍人らしいんですね

 


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