黒絹の皇妃   作:朱緒

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第120話

「叛徒アンドリュー・フォーク中尉の経歴、少し分かりましたよ」

 

 軍人としてまだ暴走していないフォークだが、このフェザーンで人として暴走していた。

 

 ファーレンハイトやフェルナーは、あちらこちらに出没する、アンドリュー・フォークのことを放置してはいなかった。

 フェルナーはもと諜報部にいた経歴を生かして、頻繁に見かける男の素性を探ってもらった。

「アンドリュー・フォーク。宇宙歴七七○年生まれ。士官学校を昨年主席で卒業、現在は中尉。将来を嘱望されている、十年に一人の秀才といわれている逸材。射撃が得意で、両手撃ちでは叛徒屈指だとか。母方の祖父は、政治に強い発言力を持つ、医師会の重鎮で……あ!」

「なんだ?」

「十年に一人の秀才のくだりは、アンドリュー・フォークより三歳年上の、マルコム・ワイドボーンという少佐でした。どちらも主席だったので、ごちゃごちゃに」

 ワイドボーンはこの頃はまだ存命。戦死するのは三年後のこと ――

「一年以内なら誤差といえるが、三歳年上は離れすぎではないか?」

「ワイドボーンは、ただの副産物です。実は夫人から二年前、エル・ファシルで帝国を出し抜いた叛徒について、調べるように言われましてね。英雄なので主席か成績優秀者だろうと、当たりをつけて調べたところ……」

 含みのある、あまりよろしくない笑顔を浮かべたフェルナー。

「そう言えば、そいつのことは、かなり気にしておられたな。それで主席狙いは、外れたのか?」

「はい、思いっきり外しました。主席はエル・ファシルにはいませんでした。だから、調べるのに苦労しましたよ」

 指揮官のリンチと彼に従い捕虜になった兵士は多数いたが、民間人の脱出に携わった士官が誰なのか? 混乱状態にあった最中に、リンチがあの場で勢いで選んだ中尉だったこともあり、知っている者は、ほとんどいなかった。

 なにより、知ろうとする帝国人もいなかった。これといった武勲を上げたわけでもなく、ただ逃げただけの何者かに、興味を持つなど ―― あのラインハルトですら、特に興味を持たなかったのだから、至極当然のことである。

「分かったのか?」

 むしろ興味を持つ方が変わっている。

 ジークリンデとしても、おかしな質問をしているのは理解していたが、ヤンのことは避けて通れないので、変わり者の称号をあえて! と言う気持ちで、フェルナーに頼んだ。

 

 二年も経って情報を欲しがったのは、すぐに知りたがると、ますますおかしく思われるだろうと考え、リンチと共に逃げた民間人の捕虜たちと会話をして知った ―― ような形を取ったため、二年間の時間を要した。

 

「調べに調べて、やっと突き止めました。ヤン・ウェンリー、当時二十一歳の中尉。エル・ファシルの失態を隠すために、エル・ファシルの英雄と軍部が持ち上げ、気前よく出世させられて少佐に」

 

 ヤンにとって最も長く就いていた階級、少佐。そんな彼が中佐になるのは来年。

 

「いまは二十四歳か。お前と同い年だな、アントン」

「はい。奇遇なことに、階級も同じです。反乱軍には准佐という階級がないので、厳密には同じではなさそうですが」

「そいつ、なにかしでかしたのか?」

 そこまでとんとん拍子に出世したのなら、もう中佐になっていてもおかしくはないだろうと、ファーレンハイトがやや呆れ気味に、問いかけるというよりは、独り言のようにこぼす。

「なにもしていないのが、原因ではないでしょうか」

 それに対するフェルナーの答えは、かなり正しかった。もっとも何もしていないわけではないが、エコニアでの騒ぎなどは、醜聞で外には出せない類いのもの。調べる取っ掛かりとなる、昇級もなかったので ―― 軍事的には何もしていないので出世しなかったと取られても、なんらおかしくはない。

「なるほどな。三歳年上の主席は、ヤン・ウェンリーと同期というわけか」

「はい。ちなみにヤン・ウェンリーは四八四〇人中一九〇九番という順位でした。叛徒の士官学校は、一学年五千人。百六十人の内訳は、成績や素行不良で強制退学が八五名。一身上の都合で退学が八名。軍務に耐えられないような病を発症したために、退学勧告を受けてそのまま退学したのが五十名。在学中に死亡したのが十名。入学辞退が二六名。これに留年した候補生十九名を加えて四八四〇名となります」

 

 帝国の士官学校は一学年八千人で、同盟よりも多い。

 人口比率からいって同盟より多いのは当然。また元々士官学校は、貴族の子弟だけが通える学校だったので、門閥貴族四千家から一人ないし二人、残りの枠は帝国騎士に与えられることになっていたので、八千人の枠が必要であった。

 毎年八千人の士官が誕生する前提で、軍隊の構成を考えていたため、第二次ティアマト会戦で大量の貴族将兵を失った際に、平民にも門戸を開くことになった。

 

「下に三千人くらいるのなら、優秀といっても過言ではないとおもうがな」

「二九三一人です」

「ジークリンデさまには、もう報告したのか」

「ええ。私も報告した際に、大体三千人と言ったら、即座に二九三一人と返されました。暗算、お得意なんですね」

「ああ。暗算がすこぶる速い上に、間違わない」

 四桁の引き算くらい簡単だと、ジークリンデは思っているが、暗算を重視しない文化の帝国では、ジークリンデの計算力は異質な部類に入る。

「勝手な思い込みですが、貴族の姫君は計算が苦手だとばかり」

 簡単な暗算がもっとも活躍するのは、生活必需品を購入する場合だが、ジークリンデのような貴族の娘は、そのようなことをする必要はないので、フェルナーの言い分は正しかった。

 それを聞いたファーレンハイトは答えず、視線をそらしがちにして、

「ジークリンデさまは、八桁くらいなら軽い。だが俺はそんな特殊技能は持ちあわせていない」

「八桁暗算ですか……概数ならわかりますけれど、そう言われるからには、端数まで合ってるんでしょう? それは無理ですよ」

「普通はな。”ええ! 難関の士官学校卒業生なのに、こんな簡単な暗算できないの”と俺は言われたが」

 以前言われて、腹が立ったというか、情けなかったというか、複雑な感情になった台詞を吐き出す。

 言い終えて肩を落としたファーレンハイトに、

「もしかして、昔は仲が悪かったって、そういう出来事の積み重ねが原因ですか?」

「否定はしない。ジークリンデさまは、ご自身が学校に通っていないせいで、アビトゥーアを取得して進学した者たちは、全員自分よりも頭が良いと信じて疑わなくてな」

 ”なんとなく、分かりますよ”と、ファーレンハイトの失敗から得た経験で、このような場面に遭遇しないで済んでいるフェルナーがその肩を叩く。

「それはキツいですね。でも夫人、貴族らしくないですね」

「貴族らしくない? 確かに少々変わってはいるが、それほど貴族らしくないか?」

「そういう意味ではなくて。貴族は血筋で語るじゃないですか。武門の出だから士官の道に、文官を多く輩出している家柄なので閣僚にと。そんな貴族的な思考で言えば、大伯父も祖父も父も”頭の良さは抜きん出ている”と賞賛される方々の血を引き、そのような家柄にお生まれになった方です。自分のこと”頭良い!”と思うはずなのに、学校出てないから、帝国騎士よりも劣ると言われるのは、珍しいんじゃないですか?」

「確かにそうだ」

「そういうところ、嫌いじゃありません。むしろ好きなくらいですけど……とにかく、暗算の早さには驚かされました」

「俺も嫌いではない」

「聞かなくても分かってますよ。ああ、それで叛徒アンドリュー・フォークですが、かなり成績優秀です。どの科目も後塵を拝することなかった、ちょっとお目にかかれない完璧な主席です」

 万遍なく高評価を得て、総合で主席になる者がほとんどで、全科目トップを叩き出し主席になるのは、かなり稀な部類。

「それはすごいな。叛徒の士官学校が、どれほどのものかは知らんが。ところで、祖父が政治に強い権限を持つとは?」

「早い話が政治家に賄賂を贈って、自分たちに都合のよい法案を通す……みたいです。この祖父は、戦場での兵士の精神的な苦痛を取り除くため、カウンセラーを搭乗させることを唱えた人物だそうです。それで、搭乗に必要な政府認定のカウンセラーになるには、当然政府公認の資格が要りまして、その政府公認の資格を得るための講義、試験、などを取り仕切っているのが、この祖父が理事を務める協会となっています」

 

 カウンセラーが搭乗していない艦は戦場へいくことは出来ない。

 民間人をカウンセラーにするのではなく、兵士をカウンセラーにする。

 兵士に勉強させるのだから、費用は全て国家が持つ。

 

 政治家の懐は痛まず、戦場にあっても兵士の精神を支えてくれる人が存在し ―― サイオキシン麻薬常習者に至る入り口の、扉が開かれる。

 

「それはまた、なかなか……ということは、地球教とつながりがあるということか」

「推論でしかありませんが、無関係ではないでしょう。本人はどうかは知りませんけれど、祖父は間違いなく、アーレ・ハイネセン原理主義者でしょうね……でもこの原理主義者って、面白い単語ですよね」

「まあな。キリスト教の神学用語だったとか……どうしてジークリンデさまが、そんなことをご存じなのか、不思議でならないがなあ。……叛徒アンドリュー・フォークと会話してみるか?」

「無理じゃないでしょうか。祖父が原理主義者なら、その薫陶を受けてるでしょうし」

「駄目か。叛徒側の入り口についても、詳しく調べたいのだが」

 

 サイオキシン麻薬の恐ろしさは、広く知られている。

 それでも、手を出してしまうのは、諸事情があるのだが、普通の人間は臆病なので、最初からサイオキシン麻薬に手を出すことはない。

 サイオキシン麻薬は最終到達地点であり、終焉の地だが、そこに至る道が何本かあるはず ―― 麻薬の販売ルートを探るよりも、ジークリンデは麻薬にたどり着くまでの経緯を調べることを指示した。

 それで分かったことは、入り口は「処方された薬」

 知識のない自分が、怪しい相手から買うのはハードルも高いが、鬱屈とした気分を直すための薬、あるいは不眠に処方される薬であれば、なんの疑いもなく口にする。

 

 この薬は処方箋通りに服用していれば、あまり問題はないのだが ―― 徐々に効きが悪くなるのは、避けられないこと ―― 違う使用方法で快感を得ることができる。

 度数の高い酒と一緒に飲めば、幸福な酩酊状態となり、薬そのものを性器にふりかければ、通常ではあり得ない興奮を味わえる。

 薬はかなり手に入りやすく、とくに軍隊内ではほぼ無料。

 ここで薬を知り、この薬だけで終わるか、そうではないかに分かれ、後者は七割近くがサイオキシン麻薬までたどり着く。残り三割のうち引き返せるのは稀。

 帝国軍で薬を処方するのは医師だが、同盟では資格を持ったカウンセラーが行う。同盟ではカウンセラーの権限が大きいのだ。

 

「気持ちは分かりますけれど、無理でしょう」

「そうだな。それに話す交換条件で、ジークリンデさまとの面会を求めかねないしな」

「ですよねー。なにより夫人”サイオキシン麻薬の情報が手に入るのなら、その叛徒と会話しても良いわ。むしろ会わせて”と言いそうで怖い」

 

 アンドリュー・フォークの名前を聞いたら「会うべきか? 会わないべきか?」ジークリンデは、大いに悩んだことだろう。これほど有名だが、会ったところで、なにをどうしていいのか分からない相手はいない。

 なにより同盟側に生まれていたら、滅亡回避の鍵を握る人物なので、必死にもなるが、帝国側に生まれた者にしてみれば、自由にさせておくだけで、こちらの有利に動いてくれるので、これといって、なにをするつもりにもならない。

 

 『見てみたい』という欲求はあるだろうが ――

 

「絶対に言う、間違いなく言う。ご自身を囮にするのを、まったく厭わない。なによりあっちの情報を欲しがっているからな……」

「どうしました。突然真面目な顔して」

「ずっと真面目な表情を作っていたと思うのだが?」

「言われてみれば、そんな気もします。で、どうしたんですか?」

「サイオキシン麻薬絡みで、話し合って行動するということが今までほとんどなかったから、人が増えてどうなるかと思ったが、意外と動きやすく、考えもまとまりやすくなるものだな」

 

 もちろんジークリンデや命令元である国務尚書とも話すが、それは報告であり、同等に近い立場で話し合うという意識はない。

 ジークリンデにとって残念なことだが、ファーレンハイトの階級意識が消えることはない

 

「それはどうも。昔の伝手を頼って、どしどしと……言いたいところですが、諜報員にもちらほら密売人っぽいのがいる気配がありました。フェザーンと本国を行き来するのが仕事みたいなものですし、機密を運んでいると言われると艦長も手出しできませんので」

「それは厄介だな。だが、この叛徒を餌にして、叛徒側の情報を集められないか?」

 サイオキシン麻薬に直結する調査を依頼してしまうと、警戒されるが、重要人物の周囲をうろついている叛徒を警戒のために調査した結果、情報も手に入るのならば、密売を行っている諜報部員も、それほど警戒しないだろうと。

「意外と……良いかもしれません。それで交渉してみます。ところで費用はどこから出します?」

 先立つものは当然必要となってくるが、その辺りは心配はなかった。

「国務尚書から出ると怪しまれるかもしれんから、ブラウンシュヴァイク公から渡された金で。ジークリンデさまの身辺警護強化費用と言えば、お喜びになるだろう」

 フェザーンでジークリンデが不自由しないようにと、高額な工作費と遊興費を持たされていた。

 カードの金額を確認し、

「金使われて喜ぶというのが、よく分かりませんが、納得してもらえるのなら……さすがにこの全額を渡すわけにはいきませんので、別のカードに移します」

 ”金は、あるところにはある”という言葉を実感しつつ、フェルナーは入金額の二十分の一を別カードに移動させた。

 

 その頃ジークリンデは何をしていたかというと、ベッドの上で、念願のブルース・アッシュビー関連の本を読んでいた。

 

―― はやく、ビュコックの手記が読みたい……運ばれてくるまで我慢。頼むわけにもいきませんし。アッシュビーは歴史上の人物だから、なんとかなりましたけれど、私がビュコックのこと知ってると、不自然ですもんね。それにしても、アッシュビー……同盟の主席って、アレなの。アレじゃないと、主席になれないの? フォークにワイドボーンにアッシュビーって。ワイドボーンは悪いことしてませんし、アッシュビーは大勝したし……良いんですけど。ワイドボーンって、まだ生きてるのかしら?

 


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