黒絹の皇妃   作:朱緒

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第12話

 彼女はサイオキシン麻薬事件をオーベルシュタインに解決させようと考え、下級貴族を限定にサロンを開くことにした ―― だが、その考えは成功しなかった。

 

 よい考えだったのだが、ここで彼女がかつて生きていた頃の考え方を持っていたせいで、大事なことを忘れていた。

 彼女は博愛主義者でもなければ、聖女のように優しいわけでもない。

 のちに第一の部下と呼ばれるようになるファーレンハイトは「聖女とは違うが”できた”御方だ。前夫と現夫に対しては紛れもない聖母だが」と評した。

 フレーゲル男爵に関してはともかく、彼女はノーベル平和賞を授与されるような慈愛の心を持っているわけではないが、前世の記憶を引き継いでしまったせいで、重要なことを忘れていた。

 

**********

 

 リヒテンラーデ侯より連絡を受けたブラウンシュヴァイク公は、フレーゲル男爵と彼女の結婚の理由を知っている信頼がおける部下の一人に任せた。

「シュトライト」

「はい、ブラウンシュヴァイク公」

「儂の甥、レオンハルトのために、下級貴族を選べ」

 説明を聞いたシュトライトは、作戦については見当がつかなかったが、フレーゲル男爵に有能な部下を配置する好機だと考え、彼らしい真面目さをもって職務にあたることにした。

「かしこまりました。ではこのシュトライトめが、フレーゲル男爵の周囲においても良さそうな者を選別させていだきます」

 将来、活躍することを知っている有望株を自分で捜したい彼女だが、なんでも”自分で!”としゃしゃり出て周囲の門閥貴族たちの気分を害してはならない。

 

 十歳を超えたばかりの少女が、二十代の青年軍人を漁っては、才能というフィルター越しに見ているリヒテンラーデ侯でも首を傾げるだろう。

 

 ともかく有能で真面目、仕事ができる常識人のシュトライトは、主に命じられた通りにフレーゲル男爵の部下が務まりそうな部下捜しに勤しんだ。

―― 下級貴族出の若手軍人。士官学校での成績優秀者。……パウル・フォン・オーベルシュタイン中佐。学生時分の成績は申し分ないし、容姿も美男子でもないから嫉妬……駄目だな。先天性障害の持ち主だ。門閥貴族の部下にはならないほうが、中佐の為だ。他は……

 

 オーベルシュタインがゴールデンバウム王朝を倒そうとした切欠は知っているが、どのような差別を受けたのか? 原作においてロイエンタールのように”俺様可哀想節”を語ることがなかったため、オーベルシュタインの苦労について、彼女はまったく気付かなかった。

 オーベルシュタインが原作において、義眼のせいで冷遇されたのは、彼女が嫌いなミュッケンベルガーが気に食わない義眼の部下を感情のみで更迭した ―― 名前は書かれていないが、まちがいなくオーベルシュタインだろう。

 (あれほどの特徴的を備え、同階級の人間が、同時期に同じ部署で働いているとは考え辛い)

 彼女のミュッケンベルガー嫌いの理由の一つでもある。オーベルシュタインのことは、読んでいる時も好きではなかったし、生きている今も好きではないが、当人の努力でどうすることもできないことを理由に更迭する人間はくずである! というのが彼女の持論である。若白髪はオーベルシュタインの責任ではない。

 

 また、シュトライトが選別する際に先天性障害を持っているものを弾いたことからも分かるように ―― 善意と悪意の二種類が存在し、シュトライトは善意に属するが ―― 貴族の周囲に障害を持った使用人など配置されないため、実態を知ることができなかった。

 

 彼女はこの先、何度か先天性障害の差別と遭遇するのだが、どうしても”差別”という帝国貴族の常識を持つことができず、その結果、何度もオーベルシュタインを手に入れそびれることとなる。

 

**********

 

―― ラインハルトに会った時は大佐。ということは、九年前は大佐よりは低いはずだから……女絡みで決闘することもないだろうし。でも、ラインハルト出現前の、適性な出世速度が分からない

 オーベルシュタインに全てを任せようとしていた彼女は、オーベルシュタインの現在の階級を考えて、フレーゲル男爵の階級を上げてもらうことにした。

 ラインハルトの出世速度が異常なことは分かっている。

 そしてラインハルトとオーベルシュタインが出会った時、大佐であったことも覚えている。この二人の年齢差は十五歳。ラインハルトと彼女は同い年なので、現在オーベルシュタインは二十六歳ということになる。

―― 二十六歳だから、もう大佐になってるかなあ。同階級ならギリギリ部下に出来そうだけど、階級が上だったら無理だよね。でも、きっと中佐だと思う。嫌われていても、無能じゃないから、いま大佐で九年後も大佐ってことはないよね

 

 ”読み”そのものは的中していた彼女だが、シュトライトが作製したリストにオーベルシュタインの名は”当然”なかった。

 国務尚書の目の前で、多数決で決定するという大失態をおかした彼女は、

「自分で考えなきゃ駄目なのか……」

 ここでも前世の記憶でオーベルシュタインに辿り着くことができなかった。

 

 原作においてラインハルト麾下の主要提督で貴族は四名。

 オスカー・フォン・ロイエンタール

 パウル・フォン・オーベルシュタイン

 アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト

 エルンスト・フォン・アイゼナッハ

 

 オーベルシュタインは欲しいが先天性障害により手にはいらず。

 ロイエンタールに関してはミッターマイヤーとの友誼を育む時間を奪うような真似はできないと、歴史介入を恐れて最初から頭にはなかった。リストに名が載らなかったのも、ファーレンハイトの書類に添付された顔写真に「容貌が優れているのでお勧めしません」と書かれていたので、美男子過ぎて排除されたのだろうと ―― だがそれは大きな間違いであった。

 ロイエンタールの母親は伯爵令嬢。今回彼女が依頼した、爵位を持っている貴族と血縁関係がない帝国騎士という条件に合わなかったために、リストに載っていない。

 そしてアイゼナッハ。

 彼は帝国暦484年1月時点、少佐であった。

 帝国暦484年1月、ラインハルトは十六歳(帝国暦467年3月14日生まれ)

 このことから五年後に少佐となっているアイゼナッハは、現時点では大尉か准佐。この階級の帝国騎士は、辺境の辺境あたりで指揮官を務めていることが多く、アイゼナッハもその一人であったため、サロンへ招くことができなかった。

 もっとも招かれたとしても喋らなかったであろうし、

「アイゼ”ン”ナッハもいないか」

 彼女が名前を間違って覚えていたので、この時点で部下になることはなかったであろう。

 彼女はわりと適当で、

「ファーレンハイトって、アーダルベルトなんだ。アーダベルトだとばっかり!」

 これから部下にするファーレンハイトについても、見事にうろ覚えであった。ファーレンハイトの「アーダベルト」は未だ許されるであろう。名前で呼ばれることがほとんどなかったのだから。だがアイゼナッハは姓であり、何度も呼ばれている ――

 

 下級貴族の尉官・佐官(中佐まで)限定のサロンを開くと聞かされたフレーゲル男爵は、当初難色を示したものの、

「夫人が言う通りだよ、レオンハルト」

「そうか……そうだな! アルフレット」

 下級貴族にも平民にも、そして同盟の人間に対しても分け隔てすることない、デキがいいのか、頭が悪いのか分かりかねるランズベルク伯が同意し、他人の考えに染まりやすいフレーゲル男爵はすぐにぐらつく。

「夫人は君のことを考えてくれているのだよ」

「そう思うか?」

「もちろんだ。ブラウンシュヴァイク公から命じられ、ヴェストパーレ男爵夫人に話を聞き、成功させるために動いてくれているのだろう? 私はヴェストパーレ男爵夫人のことを知っているが、わざわざサロンの開き方を教えてくれるような人ではないよ。その彼女が教えてくれたというのだから、よほど真摯にお願いしたのだろう。夫人は君の軍人としての栄達も願っているのだよ、レオンハルト」

「ふむ。そうだな。実はジークリンデのことを悪くいうやつがいて、そいつの意見に少し」

「それは策略にちがいないよ、レオンハルト」

「策略だと? なんの策略だというのだ」

「君と夫人を不仲にさせようとしているのさ。横恋慕というやつではないかな? 夫人はお美しいのであろう」

「ああ、美しいぞ。会いにくるがいいアルフレット」

 邪気や悪意のない、芸術家風伯爵にそのように言われ、簡単に感化され下級貴族を選ぶサロンを開くことに同意した。

 

「……ありがとうございます」

 突然サロンを開いて下級貴族を部下にしてやると言いだしたフレーゲル男爵から、この経緯を聞いた彼女は、あまりにも乗せられやすい性格に若干頭痛を覚えたが、

「礼ならば、アルフレットに言うといい」

「ありがとうございます。アルフレットさま」

「感謝には及ばないよ、夫人」

 底抜けになにも考えていなさそうなランズベルク伯に引きずられているフレーゲル男爵を見て、伯を近付けておけば悪い取り巻きから、遠ざけることができるのではないかと考えた。悪い取り巻きに関しては、リストを持って来たシュトライトと話をした際に教えてもらったのだ。

 シュトライトからの情報によるとフレーゲル男爵の取り巻きには、貴族の横暴に慣れているシュトライトでも眉を顰めるような輩がいることを教えられた。ジークリンデに危害をくわえようとするかもしれないので、注意を促すためだ。

 ジークリンデの年が若いので、シュトライトは言葉を選んだが、内容は充分であった。

 

―― あの老婦人輪姦大会とか開いて喜ぶような輩と同メンタルなんですね……近づきたくない。いや、むしろ積極的に殺したい

 

 そしてサロンが開かれ、招待状を貰ったファーレンハイトがやってきて ―― 選ばれるに至った。選ばれた時、ファーレンハイトは少々首を捻り、彼にしては珍しく困惑の表情を浮かべた。

 


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