黒絹の皇妃   作:朱緒

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第118話

宇宙歴七九一年七月二十二日

 

 彼女の予定を入手した

 

 二十三日 七時 アンドロシュ通信本社で朝食会議 十時までアンドロシュ通信本社内を見学 十二時 帝国の高等弁務官と昼食 十五時 迎賓館に一時帰宅 十九時 リエージュ劇場で舞踏会 二十三時帰宅予定

 

 八月二日から十五日までは

 ホテル・シュワーヴェンの最上階に滞在

 私もその間はホテル・シュワーヴェンに宿泊する

 予約はとれた

 彼女を救うために

 最上階へ迎えに行く方法を考えなくては

 

**********

 

―― アンドロシュ通信の朝食会議、たのしみ!

 

 フレーゲル男爵と官僚たちが、通信事業に関して会議をする ―― 聞いた時、ジークリンデは「その間は、迎賓館で大人しくミュラーと話をしていたら、いいんですね」軽く考えていたのだが、会議時間について詳しく聞かされると、この会議に俄然、興味がわいた。

 会議の開始は、午前七時から。

 本社ビルの会議室で、朝食を取りながらという形。

 ”朝食会議”の存在は記憶あったので知ってはいたが、体験したことがなかったので、是非とも ―― 興味の理由の根源は「これを、私軍で広めることができないだろうか」というもの。

 原作では朝食を取りながら会議する姿はなかったので ―― 朝早くに呼びだし、エルウィン・ヨーゼフ二世が誘拐されたことを語った後、解散となり、ロイエンタールはミッターマイヤーに招待されて朝食をごちそうになった ―― こういった文化は帝国には根付いていないのだろうと想像し、フェルナーに尋ねてみたところ「ありませんよ」との答えが返ってきた。

 

 ならば朝食会議を取り入れたいと考え、一度でも実際に会議を実体験したいと考えた。

 ジークリンデが考える朝食会議の対象は、私軍の若手将校。

 彼らと意思の疎通を図れるようにし、その彼らと兵士たちの意思の疎通も、そう考えた。

 

 なにもしなければ、多くの兵士はラインハルトに心酔し、貴族を見捨てることを、よく理解しているジークリンデは、できるだけ兵士たちの心を掴みたいのだが ―― ラインハルトのように、大規模な会戦で華麗に勝利し心酔させることなどできないし、そもそもジークリンデは軍人ですらない。どれほど努力してもジークリンデは軍人にはなれず。

 ”なにかの弾み”という名の皇帝の命で軍人になれたとしても、とても兵士たちを心酔させるような戦いができるとは考えられない。

 

 他人を変えるより、自分が変わったほうが良いとは至言だが、残念ながらこの場合はなんの意味もない言葉。

 

 軍人なのは伯父のブラウンシュヴァイク公(予備役上級大将)とフレーゲル男爵(予備役中将)。前者を変えることはできないので、後者である夫の意識改革が必須。

 選民意識の塊なのは仕方ないとしても、下位の将校に話が分かる上官だと思われなければ、話にならない。そのためには、何度か顔を合わせて話をする必要があるのだが、貴族というのは付き合いが多く、昼や夜は階級が同じ者同士の会合があるので、平民の将官などと、食事をする暇などない。

 だが月に一、二度のくらいの朝食会議なら、なんとかできるのではないか?

 

 軍隊に反感を持たれたら死ぬ。

 

 黙って見切りをつけられ去られるのは、自分の不甲斐なさを恥じたくなるが、まだいい。

 ブラスターで頭を撃ち抜かれるのも仕方ない。

 だが、死ぬまで苦しめられたりされるのは、ジークリンデでなくとも避けたいことなので、できることはしたい。

 

 考えたジークリンデは、ファーレンハイトに『参加したい』と告げた。

 彼にはそれに答える権限はないので、フレーゲル男爵に頼みに行くことに。

 フレーゲル男爵が自分にやや甘いのも、計算に入れて、往路の途中で「朝食会議に興味があるのです。大人しくしているから、参加したい」と抱きつき、顔を近づけて頼む。

 

「会議の時間もそう長くはないし、内容もジークリンデに聞かれて困るものでもないしな。ブルーメンタール伯に調整させよう」

「嬉しい! レオンハルト」

 

 ジークリンデに対して、基本「駄目」と言わないフレーゲル男爵は、重要な会議に参加できるよう、手配を命じた。

 

―― 男爵閣下は夫人に甘い。でも仕方ないか

 

 このような感じで、軽く重要会議に参加することになった。本人としては朝食を取りながらの会議の雰囲気を知りたいだけのことだったが、報告を受けたアンドロシュ通信の幹部であるバンフィールドの気に障った。

 なんの努力もしていない貴族の夫人の我が儘ということで。

 それを言われたらジークリンデは、その通りですと返すしかないが、それでもこの会議には参加してみたかった。

 

 そんな自分の境遇と、ジークリンデの恵まれた境遇を比較し、暗い嫉妬の炎を燃やすバンフィールドの内心など些末なことで ――

 

 ファーレンハイトとフェルナーが、アンドロシュ通信本社ビルの構造や材質、周囲の建物などを調べて、狙撃が可能であることが判明して、頭を抱えていた。

「あの時、反対しておけば……俺の浅慮が原因なのは分かっているが、後悔先に立たずだ」

 

 ジークリンデがこの会議の存在を知ったのは、ファーレンハイトが教えたからに他ならない。

 当初ジークリンデはまだ眠っている時間で、この日は高等弁務官たちとの昼食の時に、合流する予定だった。

 それをわざわざ知らせたのは、フレーゲル男爵が「朝起きるのが面倒だ。直前でキャンセルする」と ―― 権門の大貴族に、朝の七時に食事しながら会議は、郷に入っては……とは言うが、変えさせるのは難しい。

 フレーゲル男爵にこれらの予定を守らせるのは、シュトライトの役割なのだが、彼が言ったところで聞くかといえば……。

 そこで彼らはジークリンデに『朝のお仕事、大変ですね。でも頑張ってください』と言ってもらおうと、朝食会議について知らせたのだ。

 そうしたところ、彼らの意図通りには進まず、ジークリンデも参加を希望することに。

 

「調整している時は、まさか、こんなことになるなど、思いもしませんでしたからね」

 ジークリンデが『行きたい!』と、そして楽しみにしているのなら、もしも直前でジークリンデが体調不良で、参加できなくなったとしても、会議の雰囲気を伝えるべく出向くのは確実だろうと。

 予定が遂行できると胸をなで下ろしたシュトライトだったが、フリーデリーケが放った殺し屋の話を聞いて、自身はなんら悪くないのに、己の軽率さに打ちひしがれていた。

「いつも最悪を想定するべきだろうが、ジークリンデさまを射殺など、いままでなかったからな」

「そうでしょうね」

 

 本社の高層ビルを恨めしく思いながら、シュトライトとシューマッハ、そしてランズベルク伯と共に、暗殺阻止のために動いていた。

 

 初めて参加する場なので、ジークリンデは衣装を決めるのには手間取った。フェザーンの会社なので、厳密な服装規定はなく、幹部もカジュアルな格好を許されているが、ジークリンデは女性幹部と同じような格好(シャープで飾り気のないシャツと、膝丈タイトスカート)をするわけにはいかない。

 シンプルなエンパイアドレスで、精一杯背伸びし、大人を気取ろうと考えたジークリンデだが、中身はともかく、外見は十代前半の少女でしかない。

 初日のパーティーに来ていた女性幹部の映像を確認し、大人の雰囲気の前に、背伸びした格好は滑稽だろうと考え直し、手持ちの中で、年相応なドレス ―― ジークリンデにとっては、子供っぽい ―― から選ぶことにした。

 クラシカルなスタンドカラー、バックにリボン、裾という裾がフリルと綿レースで飾られ、アクセントにチュールレースが使われている薄いグリーン色のドレスを選んだ。

 パニエも悩んだが、ソフトタイプならば、さほど、かさばらないだろうと考えて。

 豪華なコサージュと羽で飾られた、白の小さめな帽子を斜めに留め、髪はしっかりとまとめず、緩やかな一本の三つ編み。

 女性社員たちとは真逆な格好で、ジークリンデはアンドロシュ通信の本社ビルへと向かった。

 

―― 浮いてるけど、気にしない! 気になりますけど……

 

 アンドロシュ通信の本社ビルの高さに驚き、出迎えを受け、ビルへと入り、大きなテーブルが二つ、向かい合って並んでいる会議室に通される。

 アンドロシュ通信側は全員揃っており、帝国側もジークリンデとフレーゲル男爵以外は、すでに到着していた。

 中央に座るフレーゲル男爵の隣の席に着き、背後にファーレンハイトを置いて、会議が始まり、ジークリンデは運ばれてきた料理を口に運ぶ。

 

―― グラノーラなんて、こっちでは食べたことなかった。ドライフルーツもふんだんに入ってる。あとはスクランブルエッグに、ウィンナー……じゃなくて、ソーセージですか。レタスとトマトのサラダに、オレンジとグレープフルーツとマンゴーのフルーツサラダ。パンはライ麦パンなのね……変な味……あ、ドライトマトが混ぜ込まれているんですね。びっくりした。そういうものだと分かるとなんとなく大丈夫ですけど……バジルの練り込まれてるのね。飲み物は水で、この牛乳はグラノーラにかけていいんですね

 

 各自好きなように牛乳をグラノーラにかけているのを見て、ジークリンデも自分でかけようと、牛乳が入っているポットに手を伸ばし、手元に引き寄せる。すると背後からファーレンハイトの腕が伸びポットを掴み、ゆっくりと注ぎ入れる。

 好みの量になる手前で、注いでいる腕を軽く押して合図を送り、再度スプーンを動かしグラノーラを口へと運ぶ。

 

 会議の内容は、通信関係の会社ので、当たり前のことだが通信事業について。

 帝国領内を航行するフェザーン船籍の通信は、貴族の領地の一部を借りて通信基地を建設しておこなっている。今回は通信のさらなる安定、強化を図るための借地交渉。

 資金に関する事項だとか、技術供与だとか……ジークリンデも、聞いて分からないものではないが、完璧に理解できるかと言われると、そうでもないので、

 

―― 一時間半で朝食会議は終わりで、その間に食べきらなくてはならない……量を少なめにしておいてもらって、よかった

 

 食べることに重点をおき、向かい側に座っているアンドロシュ通信の幹部の様子をうかがうだけに留めた。

 会議に参加したのは、フェザーン側は十五名。帝国側も当初は同数だったが、ジークリンデが増えたので十六名。

 室内には他にも人がいる。席についていない秘書たちが、両陣営とも五名ほど。

 ファーレンハイトも秘書の扱いでジークリンデの後ろに控えている。ファーレンハイトはもともと、秘書扱いで会議の内容を聞くことになっていた。この席にいる唯一の提督で、航行中の通信を実際に知っているという理由から。

 

―― 斜め向かいの女性の視線が……

 

 グラノーラを食べ終えて、卵に手をつけていたジークリンデは、斜め向かいの女性ことバンフィールドの視線に、嫉妬が含まれていることに気付く。理由については、あまり気にはしなかった。

 鈍いと言われるジークリンデが気付くくらいなのだから、背後に立っているファーレンハイトが気付かないはずもなく ―― 会議は無事に終了し、

「会議はいかがでしたか? 夫人」

 ジークリンデの向かい側の席の中央に座る、若々しい中年男性が、にこやかに声をかけてきた。

―― 社長に話し掛けられる予定はなかったのですが……

 社長に負けないほど微笑みつつ、返事を返す。

「楽しかったわ」

―― 社長とか話したくないのよー。丁寧に喋りたくなるから! 少し高圧的に、下手に出るような態度とっちゃ駄目

 父親よりも年上の、大企業の社長なのだが、帝国領である以上、貴族のジークリンデは間違ってもへりくだった話し方はできない。

 かといって不必要に高圧的では反感を買う。この辺りの裁量というか、駆け引きが非常に面倒であった。

 その後、二、三会話を交わし、各自次の予定をこなすべく会議室を後にする。

 

 出入り口で待機していたミュラーと合流しジークリンデはそのまま。他の会議に参加した帝国人たちは、地下の研究開発部へ。

「いってらっしゃいませ」

「ああ。退屈なら、帰っていてもいいからな」

「レオンハルトをおいて帰ったりしませんわ。私のことは気にせず、じっくりと見てきてください」

 

 殺し屋の存在を知っているファーレンハイトからすれば、できれば地下の研究室に同行してもらいたかったものの、明かせないのでそうもできず。

 朝食会議に使われた会議室を狙えるポイントを潰して歩いていたフェルナーが、早く戻ってくるのを期待して、その場を去った。

 警護と小間使いと、アンドロシュ側が用意した案内の広報担当と秘書に囲まれた彼女は、まずはミュラーに命じた。

「ミュラー中尉。扇子を」

 鞄を預けられていたミュラーは鞄を開けて、骨組みが透き通った翠で総レースの扇子を手渡した。

「はい。どうぞ」

 ジークリンデはそれを受け取り開いて、口元を隠す。

「ふぁ……いまの欠伸、聞かなかったことにしてね」

 身長差の関係で、意図せずとも上目遣いになってしまう。

「は、はい」

 透明感がある上に、欠伸でやや潤んだ瞳で見つめられ、ミュラーは血が沸き立つような感覚が全身を駆け巡るが、それを必死に押さえ込んで返事を返す。

 

 そして外を巡回警備していたフェルナーが合流し、一般的な本社見学を行った。

 

 当たり障りのない事業説明などを聞いたあとは、社員たちの交流を図るためのレクリエーションについて尋ねた。

 意外な質問に広報担当者は、少しばかり呆気にとられたようだったが、すぐにジークリンデの問いに滑らかで、不足のない答えを返す。

 資料を求めると、これも快諾し、フェルナーがジークリンデの端末に、それらを受信する。

―― 座りっぱなしも疲れました。よし、少し歩きましょう!

 ビル内を見て回りたいという意見を受けて、広報担当者はメインのエレベーターへと案内し ――

 

「次は高等弁務官と会食ですか」

 

 本社の見学は無事終わり、その後の予定も滞ることなく遂行され、狙撃されることもなく、この日は無事終了した。

 

 

「朝食会議、楽しまれたようですね……どうしたんですか?」

 レクリエーションの書類に、おかしなものが混ざっていないかどうかを確認しながらフェルナーが尋ねると、

「お前が言った通りだった」

 片眼鏡を外したファーレンハイトがバンフィールドの態度について、フェルナーの意見に同意した。

「そうですか。二十歳も年上なんですから、大人として振る舞って欲しいもので……どうしたんですか?」

「視察を終えたところで、アンドロシュの幹部と話していたレオンハルトさまが”締結しても、私の妻が嫌だといったら、ひっくり返るかもな”と言われてな」

 頬杖をついてファーレンハイトは、リエージュ劇場での舞踏会の監視映像を、人物照会プログラムにかける。

「……まあ、帝国では笑える冗談ってか、普通なんでしょう?」

「帝国ではな。そこで随員たちも、いつものように”夫人のご機嫌を損ねたら大変ですものな” ”陛下に嫌ですと懇願されたら、国務尚書閣下でも覆せませんしなあ”……いつものやり取りで、ほとんどの幹部は”あの皇帝なら、そうだろうな”と言った表情だったが」

「いま、とても危険なこと言いませんでした?」

 『あの皇帝なら~』は、不敬罪に該当しそうな台詞である。誰もがそう思っていたとしても、誰かに聞かれ密告されたら逮捕される可能性すらある。

 皇帝自身の耳に入ったら「余もそう思う」で済みそうではあるが。

「聞き流せ。その言葉に、露骨に反応したのがバンフィールド。どうも、神経に障ったようだ」

 

 今日、バンフィールドの神経にもっとも障ったのは、ファーレンハイトがジークリンデのグラノーラに牛乳を注いだところ。

 ”食事も一人で取れないのなら、来るな”というのが、言い分である。

 キャスリン・バンフィールド、彼女は「男性に守られてばかりの女性」が大嫌いであった。

 

「ジークリンデさま、皇帝にそんなお願いしたことあるんですか?」

「当たり前だが、一度もない。だからレオンハルトさまたちは、笑い話として話題にする。本当に陛下に依頼し、国家事業を覆すような真似をした人物は、話題には出せないからな」

「そりゃあ、そうです……叛徒っぽい男、舞踏会にも来てたんですね。どうやって、入り込んだんでしょう?」

 受付名簿と画像を照らし合わせた結果、

「アンドリュー・フォーク。叛徒の士官か……偽名だと思うか?」

「勘と言ったら失笑されそうですが、偽名ではないでしょう」

 

 アンドリュー・フォークにとって、やましいことではないので、敵地で正々堂々と名乗るという行動に出た。そんな彼が士官学校の主席であったと、二人が知るのはもう少し後。

 

 ジークリンデがその名を聞けば、すぐに分かるのだが。


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