黒絹の皇妃   作:朱緒

117 / 258
第117話

 フレーゲル男爵は前線に一度も立ったこともなく、士官学校に通ったわけでもないので、自身の軍事的才能をはかりかねていた。

「なぜ気になるのですか?」

 自分が才能に満ちあふれていると思い込んでいないだけでも、フェルナーの評価は高い。門閥貴族は、根拠も無しに自分が優れていると思い込む傾向が強いので ―― 門閥貴族というのが、彼らにとっては根拠だが、その根拠は戦場において、まったく根拠になっていない。

「前線に立ってみようかと考えているのだ」

「レオンハルトさまが、前線に足を運ぶ必要などありません。ジークリンデさまやランズベルク伯と一緒に、領地でお過ごし下さい」

 ファーレンハイトが”来るな、来るな”拒否する。

「私も危険な場所には行きたいとは思わん」

「なら、それで結構ですから。今まで通り、後方で宮廷工作と領地経営に励んでください。万が一、レオンハルトさまが亡くなられたら、ジークリンデさまはどうします」

「ジークリンデのことは心配だが……ここだけの話だが、私はいずれ国政に対して、影響力を持った暁には、叛徒どもと一時休戦しようと考えている」

 唐突にスケールの大きい話に切り替わり、フェルナーとファーレンハイトは言葉に詰まった。

「は……はあ?」

「いきなり、なにをおっしゃ……」

 困るのはフレーゲル男爵は、それをなし得る可能性のある階級にいるということ。妄想などでは片付けられないくらいに近くにいる。

「銀河帝国の余力を考えると、一時休戦もやむなしだ」

 そんな彼が『休戦』を持ち出した。

「……はあ、そうなんですか……」

「聞いたからには最後まで聞きますが、本気ですか? レオンハルトさま」

 この時点で二人は、生粋の軍人。

 治世に携わるようなことは、何一つしていないので、漠然と帝国が弱体化しているのは分かっているが、それをどうにかしようなど、考えたこともなかった。

 彼らが本気で考えたところで、なにが出来るわけでもなく。なにより軍人としての生をまっとうすることが、帝国に対してもっとも意義があること。

「本気でなければ、こんなことは言わん。本気で領地を経営して分かったことなのだが、このまま兵士を使い潰せば帝国は五十年持たない。叛徒どもが先に潰えるやも知れんが、それほど甘くはないだろう」

 自分の領地をくまなく調べ、人口の減少や帝国の借金に危機感を覚え ―― ひいては帝国再建を考えたとき、まず休戦、もしくは停戦、しなくてはならないとの考えに至った。ただ、同盟と話し合うという選択肢はなく、帝国側から一方的に。

 話し合いを頭から否定したのは、叛徒だからというのも当然あるが、妨害が入るのを見越してのこと。

「人口では約百億、帝国が勝っておりますが」

「戦争をしなくなったら、フェザーンが困るだろう。だから奴らが、あおるに違いない」

 フェザーンの金の流れや、企業実体を考えると、休戦を避けたいことは、すぐに見当がついた。

「それに対する策なども、おありなのですか?」

「ある。だがまず、一時休戦だ。それで聞くが、お前たちは私の休戦命令に従えるか?」

「それは、もちろん。閣下の部下ですので」

「違う。お前たち自身が、帝国の軍権を握っていると仮定して。要は私は文官、お前たちは武官のトップだ」

 フレーゲル男爵が「軍務尚書」と言った理由が分かった二人は、逡巡することなく同意した。

「……私はそれほど、戦争好きではありません。止めろと命じられれば、止めます」

「私も准将と同じく」

「ならば話は早い。私の理想のためには、お前たちが、軍権を握り軍部の暴走を押さえなくてはらない」

「はあ」

 だが”実際に軍権を握れ”と言われると、生返事しかできなくなる。

 希望や野心などなく、生活の糧として軍人を選んだ彼らは、頂点を目指せと言われても ―― 純粋に困るのだ。

「尽力させていただきますが、私たちなどよりも、力になってくれそうな方がいるのでは?」

「それらは追々考えるが、軍事はお前たちのほうが良いだろう」

 フレーゲル男爵は文官の知り合いは多いが、武官となると極端に数が減る。まして休戦を受け入れてくれそうな、既成概念にとらわれていない将官など ―― 捜すよりも、同意してくれる者の地位を、宮中工作で上げたほうが早い。

 この段階で結論づけて、その方向に進んだほうが、理想に近づけるというものであった。

「ではその仮定を受け入れますが、それと閣下が前線に立つのに、どのような関係があるのですか?」

「お前たちに軍権を握らせるが、最終的に陛下に奏上するのは私の役割だ」

「それは、そうでしょうね」

「その際に、私にも軍事的な功績があれば、真実味が増すと思わないか?」

 誰かに言わされているよりは、自分で考えたのだろうと思われたほうが、俄然、説得力がある。フレーゲル男爵はそのように考えた。

「ないよりは、あったほうが良いとは思いますが」

 休戦という大きな出来事を提案するためには、血筋だけではなく実績も必要だと。

「オスヴァルト・フォン・ミュンツァーは距離の暴虐を唱え、晴眼帝はそれを受け入れて外征を一時停止したが、あれはミュンツァーが前線指揮経験のある将官だからこそ、説得力があり、晴眼帝だけではなく、軍部も納得させることができたと私は考える。同じようなことを、戦場に一度も立ったことのない予備役将官が語ったところで、納得させられるか? お前たちはすんなりと受け入れられるか?」

 ダゴン星域会戦で大打撃を食らい、帝国軍を消滅させてしまったとしても、復讐に逸る者たちは大勢いたはず。それらを納得せしめたのは、ミュンツァーの軍人としての見識に寄るところが大きい。

「そう言われると、難しいとしか」

 それが理性だけではなく感情としても正しいので、二人とも困った。

「説得力は下がりますね。それにしても、休戦のための前線指揮ですか」

 

 フェルナーは”休戦”という言葉の意味を理解はしているが”休戦”を希望しているかと聞かれると戸惑う ―― 生まれた時から戦争が存在し、両親も戦争のある時代しか知らない。社会構造以上に、社会通念が歪になっているため、休戦は知っていても、それを望むかと問われると、特に欲しいと感じることができない。

 

「私は叛徒どもと協調するつもりはない。そのことを明確に味方に知らしめるためには、この手で叛徒を屠り、奴らを憎んでいる姿勢も見せなくてはならないと思うのだ」

「急先鋒でありながら、休戦の指導者というわけですか」

 

 恨みや憎しみがないとは言わないが、同じく恨みや憎しみは特にないとも言えてしまう。彼らは惰性で戦争をしている。明確な意思はなく、志もない。

 休戦といわれたら、なんとも思わず受け入れる。だが休戦破棄と言われたら、やはりなにも思わずに受け入れる。帝国の軍人の多くはそうであり、それは狡賢く聡いフェルナーであっても同じこと。

 

「レオンハルトさま」

「なんだ? ファーレンハイト」

「お話を聞かせていただきましたが、ジークリンデさまのことをお考えでしたら、休戦など望まぬことです。至尊の座にあった、かのマンフレート二世ですら、一年足らずで暗殺されたのです。休戦を提案しようものならば、レオンハルトさまの身にも同じことが起こるでしょう」

 

 外征を約二十年行わなかった晴眼帝と、完全停戦を目指して一年で暗殺された亡命帝。彼らの違いは多々あるが、なによりも大きな違いは「自治領成立前と後」

 戦争をコントロールしていたフェザーンにとって、それは由々しきことになる。とくに最近ジークリンデから「地球教とフェザーンの関係」を聞かされたファーレンハイトは、それは危険だと提言する。

 

「あれは話し合いによる、完全な停戦だから暗殺に至ったのだ。叛徒と融和せず、我々だけの一方的な事情で休戦ならば、危険度は下がる……と、思わんか」

「似たようなものでしょう。なによりご家族、ジークリンデさまが巻き添えになります」

 

―― 准将、それは卑怯ですよ。でも”巻き添え”であって”殺害”じゃないあたり……我先にと奪いに来そうですよね

 

「それは言うな。私が本気で帝国のことを考える切っ掛けはジークリンデだ。ジークリンデを幸せにしたいと、真面目に帝国に向き合った結果なのだ。たしかに幸せを維持するだけならば、今まで通りなにもしなければ良いのも分かっているが、帝国の将来を真剣に考えれば考えるほど、手をこまねいてはいられない。このジレンマが分かるか?」

 

 人間とは困ったもので、良き主には大過なく、幸せに長生きして欲しいと願うのだが、良き主というものは、大なり小なり世の中の歪みに立ち向かうことが多く、それによって大切なものを失うこともある。

 何もせず、そのままで ―― 主を慕う家臣は願うのだが、何もせず、他の衆愚と同じであれば、このような感情を持つことはない。

 それは良き主を持ったが故の、幸福なる苦悩。

 

「善い貴族には長生きしてもらいたいのに、善い貴族ほど危ない橋を渡らざるを得ない状況になる。主君の身を案じて制すれば帝国の害になり、かといって制せず主君が害されると、やはり帝国の損失となる。このジレンマ、分かってくださいますか?」

「進むには、危険はつきものだとは分かっている。名門に生まれた者の責務だが、辛いものだ」

 

 ふと会話が途切れ、規則正しく時を刻んでいる時計の針の音が響く。

 誰もが時計に目を向けて、

「そろそろお休みになられたほうがよろしいのでは」

「そうだな」

 フレーゲル男爵は立ち上がった。

「最後に一つよろしいでしょうか?」

「なんだ? 平民……ではなく、フェルナー」

「このような込み入ったことを、まだ日が浅い私に語られたのは、何故ですか」

 ”可哀想な趣味を持つ平民”くらいにしか思われていないはずの自分に、語るような内容ではないのでは?

 その問いに対して、フレーゲル男爵は眠たげな表情のまま、

「強いて理由を挙げるのならば、お前を選んだのがジークリンデだからということだ。ジークリンデが選んだ軍人に、外れはない」

 正直にも程があるとしか、言いようのない理由を告げ寝室へと消える。

 

「夫人への絶対の信頼ですか」

「腹立たしいか?」

「いいえ。むしろ信頼が増しました。下手なこと言ってくるより、ずっと。まあ、いささか正直過ぎるような気もしますけれども。上から目線で言わせてもらえば、間違いなくそれは長所でしょうね」

「殺し屋の件だが、伝えないで対処するとしよう」

「そうですね。夫人が狙われているのは一大事ですが、帝国の行く末を考えているお方に、フリーデリーケなんて些末な存在に、時間を割かせるわけにもいきません」

 一大事だが些末 ―― 相反するような言葉だが、この状況を的確に表している。

 

 そして、彼らも自室へと引き上げた。

 

**********

 

 ジークリンデの選択眼に対する、フレーゲル男爵の絶対の信頼がなければ、即刻、一生辺境周り部署に飛ばされるくらいの失態をしでかしたミュラー。

「昨日は申し訳ございませんでした」

「謝らなくていいわ。血が出やすい人はいますからね」

 

 汚してしまったドレスのクリーニング代を申し出たミュラーだが、彼の給与ではとても購えない額だと教えられ、当然のことながら落ち込んだ。

 それと同時に『金額を語るのは下品な行為だが、卿に分かりやすく説明するにはこれが最良だろう。いいか、歓迎パーティーの際ジークリンデさまが着用したドレス一式は、元帥の年収でも足りん。分かったな』身分違いの上に、財力の違いもしっかりと教えられた。

 そんなことを言う必要があるのか? 問われそうだが、身分の違いはしっかりと、ことあるごとに言い含めておかないと問題が起こる。

 

 そんな手を打つ必要があると、彼らに思わせるほど、ミュラーはジークリンデに、恋心をいだいていた。

 

 それはまるで学生が恋するかのようで ―― 年齢だけで見れば、ミュラーはまだ大学生でもおかしくはなく、ジークリンデも女学生に該当するので、そう見えても、なんら不思議はない。

 だが現実は専任護衛を任された中尉と、護衛対象の男爵夫人。その分を越えたら不幸になるので、主の希望に添って、ミュラーを推したファーレンハイトは釘を刺す。

「お前には、注意する必要がなかったんだがな、アントン」

 

 ほぼ同時期に採用した平民の専任護衛が、経歴や評判からは想像できないほど従順で、ジークリンデの美しさにひれ伏すも、それが男女の感情に発展するには至らならなかったため、経歴や出自がほぼ同じのミュラーも大丈夫だろうと、ファーレンハイトは安心したのだが、やはり個人差があった。

 

「私はそんなに若くないので。でも、まあ……むしろ、中尉が異質だと思いますよ。相手は男爵夫人。伯爵家の生まれで、末は侯爵妃か公爵妃ともなられるようなお方に、なにも持たない平民風情が横恋慕とか。まっとうな平民の思考とは思えません……なんですか、その表情は」

 

 髪をしっかりとまとめ、片眼鏡を装着し、貴族の使用人らしい装いをしているファーレンハイトの「使用人はぜったいに、こんな表情はしない」といった皮肉さしか感じられない薄笑いに、フェルナーは胡乱げな眼差しを返す。

 

「意外と常識人なのだな、お前は」

「失礼な。私はいつだって常識人ですよ。ジークリンデさまのことに限ってですが」

 フェルナーはジークリンデに対して、女神を崇拝するような気持ちが強い。もっとも女神に手を出そうとする人間の男が、居ないわけでもないのだが。

「ならばいい」

 

**********

 

 カウンセラーを配置するのは人道的な意味がある ―― これが同盟政府の主張である。

 

 自由惑星同盟は民主主義国家だが、それ以前に政治家が演説で「醜悪なる専制君主国家」などと言い、それが喝采を持って受け入れられるくらいの「反ルドルフ国家」である。

 反ルドルフ国家はルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの全てを否定することによって、成り立っている。

 この反ルドルフ国家を維持しているのが、アーレ・ハイネセン原理主義者……ジークリンデはそう名付けた。

 

 彼らはルドルフの功罪の罪の部分だけを抜き出し、功の部分は闇に葬るという、専制君主国家の情報統制となんら変わらないことをしている。

 ルドルフになんの功もなかったとしたら、彼を選んだ当時の有権者は全て愚か者であり、民主主義というものは信用できないと言っているようなものなのだが、彼らはルドルフの功績など一切認めない。

 

 そんな彼らにとって、現在もっとも重要なのは「劣悪遺伝子排除法」

 帝国では差別はあれど、有名無実化されたこれを、いまだに生きている法案のように扱い、悪魔の法律と弾劾し、人権を守るために戦うという大義名分の燃料としている。

 

 たしかに帝国は人権というものは希薄である。

 例としてはダゴン星域会戦において、帝国のヘルベルト大公が大敗し、皇族に責任を問うわけにはいかないので、インゴルシュタット中将が全責任を負わされ銃殺刑。この会戦で失った将兵はおおよそ4,000,000人。

 

 対する同盟はといえば、フォーク立案、ロボス元帥総指揮で行われたアムリッツア会戦は、捕虜と戦死者合わせて約20,000,000人の被害が出たが、ロボスは退役で、フォークは不問。元帥が戦争責任を負わないのは、帝国人も理解できるが、それ以外の将校が処刑されなかったのは、理解しがたいものであった。

 

 被害の桁が一つ違うのだが、帝国では戦争で大敗すれば銃殺刑が待っているが、同盟は左遷だけで済む。

 

 追記するなら、誰もが知っている事実だが、ヘルベルト大公はこの敗戦で精神病院に死ぬまで幽閉された。

 フォークはと言えば普通に療養しただけで退院し、救国軍事会議に参加。特になんの成果も出せなかった救国軍事会議の面々を尻目に、軍のトップとも言える統作本部長の暗殺未遂をやってのけるも、精神的に不安定だということで、やはり罪には問われず。そして精神病院へ。

 

 そしてヤンの暗殺に荷担するのだが、その事実とフォークの経歴を知った帝国人たちは、このような経歴を持つフォークが、無罪放免になっていたことに驚いた。敗戦の責任を取らせ処刑さえしていれば、そのような事態は避けられたのでは ―― もっとも民主主義の軍隊に沿った処遇だったのだから、ヤンとしては暗殺は不本意であっただろうが、フォークが最後まで民主主義国家の法律により、処刑されなかったのは、民主主義を尊ぶ彼としては、本意であったことだろう。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告