黒絹の皇妃   作:朱緒

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第115話

宇宙歴七九一年七月十五日

 これから半年の間、駐在武官として過ごすフェザーンに到着した

 軍需関係の者たちと接触をはかることにする

 

宇宙歴七九一年七月十六日

 自治領主と会った

 いけ好かない男だ

 拝金主義はいただけない

 

宇宙歴七九一年七月十七日

 四日後に帝国からの使者が訪れる

 民主主義を知らぬ無知蒙昧な輩

 皇帝に近いものらしい

 いずれ私が葬る相手だ

 顔を見てみよう

 

宇宙歴七九一年七月十八日

 到着後に開かれるパーティーに紛れ込む手はずが整った

 歓迎式だけではなく、主賓の誕生日パーティーも執り行われるとか

 二十三歳の男性貴族の誕生日を祝わなくてはならないとは

 気にくわない自治領主だが

 僅かばかり同情する

 

宇宙歴七九一年七月十九日

 誕生日は男性貴族の妻だった

 十五歳の誕生日を祝う

 十五歳ならば、誕生会を開いてもおかしくはないが

 調べたところ学校にも通っておらず

 十一歳で結婚させられたらしい

 なんと女性の人権を無視した社会だ

 このような社会は早急に葬り去り

 女性たちにも新たな世界があることを教えてあげなくては

 

宇宙歴七九一年七月二十日

 男爵の妻は帝国の国務尚書の親族らしい

 国政に携わる人物であっても

 女性の教育は必要ないと考えているとは

 嘆かわしいことだ

 美少女だと噂だが、容姿など一過性のもの

 教育を施されていない女性の美しさなど

 上辺だけのものだろう

 何故それほど、話題にのぼるのか

 

宇宙歴七九一年七月二十一日

 十九時から歓迎パーティーだ

 いまは十五時だから、まだ時間はたっぷりとある

 男爵は自治領主と施設を見学している時間だ

 夫人は到着後、すぐに倒れたらしい

 貴族は近親婚が多いので、体が弱いとも聞く

 奴らは近親婚の危険性も知らんのか

 

宇宙歴七九一年七月二十二日

 なにも知らないうちに結婚させられた彼女は

 私に助けを求めている

 私にはそれが分かる

 

 彼女の夫を名乗る男は、彼女の腰に腕を回し

 始終彼女の行動を制限していた

 なんとも腹立たしい男だ

 

 儚げな微笑みを私は見逃さなかった

 いいや

 私だけに向けたものなのだ

 彼女は私に救いを求めていた

 そう、この私に

 

 今日のフェザーンは彼女の話題で持ちきりだ

 彼女の美しさは仕方ないが

 夫婦仲が良いとは

 どこを見ているのだ

 彼女は夫の腕を抜け出して、自由になりたがっていたではないか

 いや、私にしか分からなかったのか

 ああ、そうだ

 間違いない

 

 彼女と私はきっとつながっている

 

 彼女について調べよう

 助け出すためには必要なことだ

 

 年齢は私と六歳違いの十五歳

 

**********

 

 翌日 ――

 

 ジークリンデは式典用のローブデコルテに袖を通し、体型に変化がないことを確認する。

 成長期なので一ヶ月前に作ったドレスでも、合わなくなることがあるが、幸い式典に着用するローブデコルテは、ほとんど直す必要はなかった。

「奥様、少しお痩せになられましたね」

 連れてきた針子に指摘されたのは、痩せたということくらい。

「そうかしら?」

「このくらいでしたら、軽い手直しで済みますが、これ以上は、お痩せにならないでくださいませ」

 予備を含めた十着全てを着用し、針子が手直しする部分にまち針を打つ。

―― 刺さらないとは分かっていても、苦手なんですよ

 着衣は全てオーダーメイドなので、仮縫い、手直しなどはいつものこと。

 採寸するものたちも、もちろん細心の注意を払っているので、いままで刺さったことなどないのだが……苦手なのだ。

 ドレスの再確認し、次は勲章の確認。

 もっとも重要な大綬。右肩から左肩にたすき掛けにする、太い帯のことである。

 太い帯は階級などで色が様々。

 今回ジークリンデは、赤地で最大幅の綬を着用する。

 勲章はこれだけではなく、伯爵家の出であることや、公爵家に連なるものであることを示す星章や、綬章などを左の肋骨のあたりに飾る。

―― 大綬……どう見ても、タスキですよねー

 勲章に縁のなかったジークリンデには、ちょっと豪華なタスキにしか見えなかったりもする。

 

 ドレスと同じ生地で作られるロンググローブ。

 ローブデコルテを着用して公式の場に臨む際に、忘れてはならないティアラ。

 今回ジークリンデが使用するのは、ネックレスやイヤリングと揃いになっているもので、二年前、結婚式で使用したものだった。

 結婚するまでの期間は短かったが、結婚式までは二年あったので、その間に父であるフライリヒラート伯爵が用意した品。

 伯爵家にも代々受け継がれてきたティアラはあったが、権門に嫁ぐ娘のために、人脈をフルに使って新たに用立てたそれは、家宝として伝えるに相応しい品であった。

 あまりにも立派すぎるティアラなので、二度と身につけることはないだろうと思っていたのだが、

―― 式典はこれにすると言ったら、お父さま喜んでましたね

 親孝行らしい親孝行をしたことがないことを気にしていたジークリンデは、晴れがましい式典で着用したら、喜んでもらえるのではないかと考えて、実行に移した。

―― これを逃したら、二度と身につける機会はないでしょうね。上手く生き延びたとして……誰か価値が分かる人に買ってもらえたら嬉しいんですけどね

 上手く生き延びても、晴れがましい舞台に登ることはないであろうと。

 

 

数年後、このティアラを身につけて、ジークリンデ自身の尚書就任式に臨むことになるとは、予想もしていなかった。

 

 

 式典の準備を終えると、知りたいことがあったので、フェルナーの元へと向かった。

「アントン」

 招待客と迎賓館の外の警備状況などを確認していたフェルナーは、やってきたジークリンデを見ながら、画面を別のものに素早く自然に切り替える。

「夫人。どうなさいました?」

 立ち上がり頭を下げ、ジークリンデは引かれた椅子に腰を下ろす。

 その側に立ち、わざわざ足を運んだ理由を尋ねた。

「フェザーン警官たちの名簿を見たいの」

「見てどうなされるおつもりですか?」

「顔と名前を一致させようと思ったの。いつもの炭酸水を持ってきて」

 召使いに指示を出した。

「顔と名前を覚えていかがなさる、おつもりですか?」

「異変を感じた時に声をかけやすいから、覚えておこうと思いまして」

 心がけは良いのだが、ジークリンデは怖ろしく鈍い。

 

―― 昨晩の准将の話を聞く分では、ジークリンデさまが危険に気付くことはなさそうなんですが。むしろジークリンデさまが気付くまで、異変に気付けない警官なんて、護衛の意味をなさないというか……暗殺者を目の前にして、農夫と勘違い……ウルフへジンが優れていたと思っておこう

 

「わかりました。では、こちらを」

 だが鈍い人間に鈍いと告げても、その鈍さを自覚させるのは難しく、また希望も無茶なものではないので、フェルナーはジークリンデの前に今まで見ていた端末を置き、顔写真付きの名簿を表示した。

「名前が多岐にわたってますね。聞いたことのない名前も」

 今日のジークリンデは髪をまとめてはおらず、幅があるレースのカチューシャで、簡単に押さえているだけ。

 琥珀を思わせる色合いの、シフォン生地で作られた、長袖のエンパイアドレス。

 髪を下ろしているのも、首の辺りが寒いので ―― 七月下旬のフェザーンの気温は高く、室内は体調に配慮した涼しさに保たれているのだが、ジークリンデはどうしても寒さを感じてしまうので、夏の室内はほぼ長袖のドレスで過ごしていた。

 艶やかで光沢のある黒髪越しに、フェルナーは会話をする。

「帝国領なのに、ゲルマン風の名前のほうが少ないくらいです」

 危機に関しては鈍いジークリンデだが、人の顔と名前を覚えるのは得意であった。主要人物の名前のうろ覚えぶりからすると意外にも思えるが、あれはあくまでも「登場人物」

 流し読みしようが、適当に覚えていようが、生きる上では特に問題はないが(このような状況では、覚えていたほうが良かったのかも知れないが)生活するに必要な相手となれば別。

 

―― 履歴に階級から髪に瞳に肌の色まで書かれていると……肌の色は初めて見ますね

 

「そうね……」

「どうなさいました?」

「肌の色って必要なの?」

「必要ですし、どこでも記入しますよ」

「そうなの? 私は初めて見たから」

「履歴書を見る機会……サロンに招待してくださる際、わざわざご自身で履歴書に目を通されてるんですか?」

「もちろん。そうは言ってもシュトライトが下調べしてくれたのを、私が選ぶだけですけど」

 ジークリンデの真の目的は、名前を知っている人に近づくことなので、名簿に目を通して必死に捜していた。

 ただ名のある輩は大体が問題児。

 シュトライトが部下に指示を出し書類を集めさせた時点で、問題ある彼らの大半が落とされている。

 そんな中、誰もが認める問題児であるファーレンハイトが、ジークリンデの側にいる最大の理由は「選定当時、若かった」から ―― 性格が捩れまくる前、もしくは猫をまだしっかりと被っていた二十二歳で選定が始まったのが幸いした。

 今のファーレンハイトであったら、書類選定時で確実に弾かれる。

「それじゃあ仕方ありません。士官学校卒業生の履歴書には、それらの記述はありませんから。士官学校を受験できるのは、白人の男性だけなので」

 ジークリンデがフェルナーを選んだ際に出したような注文を付ければ、集められる可能性もあるが、身分の壁もそうだが、大貴族の夫人に問題児を勧める者はいない。

 あれはジークリンデよりも地位が高い、国務尚書だからできたことで、身分が低い使用人の地位にいるものにはできないこと。

 シュトライトはジークリンデが問題児と上手くやれるのは知っているが、だからといって問題児尽くしにする気にはなれない。

「そうでしたね……そうだ、アントン。手を貸して」

「? はあ」

 そんな問題児であるフェルナーは、ジークリンデに言われ、なにをされるのかも分からないまま、利き腕ではない腕を差し出した。

 ジークリンデはその手に腰まである黒髪の一房を乗せる。

「アントンは髪が好きだから、触らせてやれって言われたの。髪の毛、そんなに好きなの?」

「……いつ、そんな話を」

 手のひらに乗せられた黒髪は、握りしめたくなるものであったが、それを我慢して ―― 

「昨日のよる……」

 恥ずかしそうに話したジークリンデを見て、会話した状況を察したフェルナーは、

―― ベッドの上で、余所の男の話をしないでください。髪を手で梳きながらする睦言の内容じゃないでしょうが

 毒づきつつ、髪から手を離し、丁重に詫びた。

 

 そんなことをしつつ、名前と顔を一致させるべく、ジークリンデが顔写真だけを見て名を答え、フェルナーが正答かどうかを判断するクイズ形式で暗記していると、召使いからフレーゲル男爵たちが帰宅するという知らせが入った。

 フェルナーも端末で確認し、

「玄関のほうへ?」

「ええ、もちろん」

 召使いに用意させておいた日傘を持って、ジークリンデに従う。

「たしかに日差しは強いですけど、少しの間ですから、日傘要らないのに」

「どうぞ将来のために、私が差した日傘に入ってください」

 歩きながら止めている部分を開く。

「そこまで言うのなら、入ってあげます」

「ありがとうございます」

 

―― ウルフへジン・ヴィクトールの情報が確かだとしたら、狙っているのは狙撃手……日傘を差したくらいじゃあ防げませんけど、障害を無視するような相手でもないので

 

 フェルナーが日傘を差すのは、ヴィクトールからの情報を元に考えた対処方法の一つ。

 情報によると、殺し屋は狙撃を得意とする人物で、一撃で確実に息の根を止めることを信条としているため、頭部がはっきりと見えない場合は、次の機会を待つ傾向がある。

 殺し方で殺し屋が誰かが分かる。

 フリーデリーケに雇われた殺し屋は、耳の穴を撃ち抜き殺害するのを得意としている。もう一つ、目を撃ち抜くのも、自らの署名的行為として好むのだが、今回の場合「それはないだろう」とヴィクトールの意見が記されていた。

 ヴィクトール曰く「正面からあの顔を傷つける度胸はない」

 それが理由になるのか? とフェルナーは思うも、

「……? どうしました、アントン」

「ん……お美しくて、見惚れておりました」

「なにを言っているのですか」

「信じてくださいよ。息ができなくなるほど、本当にお美しいんですから」

 否定するには自分が見惚れてならないので ―― むろん正面からも警戒するが、側面からの狙撃を警戒することに。

 

―― 横顔とてなんら劣るものではございませんが

 

 フェルナーが作った日陰の下、フレーゲル男爵の帰りを待つ。

―― 早く室内にお戻りいただかないと……早く戻ってきてください

 迎賓館とその周囲50mは、民間人の立ち入りを制限しているが、現代の銃の狙撃可能距離は4km強。

―― 周辺を調べ直して、狙撃ポイントも割り出した。あとは毎日、巡回するだけだが……

 早く室内に戻って欲しいフェルナーと、

「お帰りなさいませ」

 事情を知らない、狙われているジークリンデ。

「ただいま、ジークリンデ」

 そして到着した地上車から降りて、ジークリンデを抱擁する、恨みを買ったのに狙われないフレーゲル男爵。

「日差しが強いので、すぐに入られたほうがよろしいと思います」

 同乗していたファーレンハイトも、防弾設備が整っている迎賓館に戻そうと ――

 玄関をくぐった二人を見送って、フェルナーとファーレンハイトが目配せをして、二人の後をついてゆく。

 

「会場の下見、どうでした?」

「遮蔽物が欲しいと、これほど切に願ったのは初めてだ。俺の体を盾にして防ぎ切れるのなら、いくらでも盾にするが」

「そうですか……あとで、ちょっと見せたい映像が」

「なんだ?」

「昨日のパーティー会場で、気になる男が。叛徒っぽいんですが……」

 

**********

 

「良人の許可はもらったから、案内してちょうだい。ミュラー中尉」

 帰宅したフレーゲル男爵は、他にも用事があるので、少し休憩して外出。

 その休憩中に「迎賓館を探検してもいいですか?」ジークリンデが頼み ―― あっさりと許可された。

「御意」

 嗜好が若干可哀想な男だと、いまだ勘違いされているフェルナーだが、往路の旅程で信頼は勝ち取った。

 だが当然のごとく護衛のミュラーのことは信用を勝ち得ていないので、午後はファーレンハイトが護衛の監視役として付いていた。

 シュッセンリート迎賓館はいかにも帝国の自治領らしいバロック建築。

 

―― こういうところには、あまりお金かけないんでしょうね

 

 帝国本土で、バロック建築物に囲まれ、その極みとも言える新無憂宮に出入りしているジークリンデの感覚では、少しばかり控え目な装飾にすら感じられた。

「どうなさいました? ジークリンデさま」

 首を傾げ気味のジークリンデに、なにか気にくわないところがあるのなら、言ってくださいと、ファーレンハイトが尋ねる。

「なんでもありませんよ……ただ、思ったより地味なので」

 ぞろぞろと付いて歩いているミュラー以下警備の警官からすると、派手極まりない迎賓館内部なのだが、彼女が生活しているブラウンシュヴァイク公爵家の敷地内にある、男爵邸には及ばない。

 まして新無憂宮などとは……。

「なにとお比べになって、ジークリンデさまが地味だと感じたのか? このファーレンハイトめは伺いませんが、私が思うに”それ”と比べて勝る建築物は、宇宙には存在しないのではないでしょうか」

「……べ、別に、新無憂宮と比べたわけじゃありませんよ」

 

―― 無意識のうちに、比べていましたか

 

 ジークリンデの台詞を聞いて、他の者たちも直接見たことはないが、絢爛豪華にして退廃の象徴ともいうべき新無憂宮の写真を脳裏に浮かべて「さすがに、それは……」と。

 

**********

 

宇宙歴七九一年七月二十二日

 

 彼女の専任護衛の名はナイトハルト・ミュラー

 二十一歳の帝国軍中尉

 私と同い年で、同じ階級とは

 こんなヤツよりも、私のほうが

 ずっと優れているのに

 私は士官学校を主席で卒業したエリートだ

 だがナイトハルト・ミュラーは違う

 成績は良かったようだが、主席以外はどれも同じだ

 

 


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