黒絹の皇妃   作:朱緒

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第114話

 顔合わせ初日のミュラーが使い物にならないことなど、ファーレンハイトには分かっていた。

「申し訳ございません」

 遅れて部屋から出てきたミュラーが頭を下げるのを見もせず”予定通りの行動”を取った彼に対して、ねぎらいとは違うが、問題はないと教えてやる。

「誕生日の贈り物についてですが」

「本気ではないから、安心しろ」

 ミュラーがあからさまに、安堵の表情を浮かべる。

―― 卿の資金力では無理だ

「そうでしたか」

「だがデートは本気と思われる」

「……」

 

―― もう少し表情をどうにかしろ。嬉しいのが簡単に分かるぞ……若過ぎたか

 

 ジークリンデが希望したのでミュラーを推したファーレンハイトだが、年が近いことを少々警戒していた。

―― 国務尚書も年齢を気にしていたが

 二十そこそこの若者と、十代半ばの少女。少女は人妻だが、それを知っていても一目惚れする者が後を絶たない。

 その上、いつものように「良人がおりますので」と素気なく拒否ではなく、仲良くなるためにジークリンデから積極的に近づいてゆくのだ。

―― 多少どころではなく、勘違いする可能性が高い。ミュラーの自制心に期待したいところだが、この有様では

 ミュラー本人は表情を硬くし、感情を押し隠しているつもりだが、全く隠せていない。

 

**********

 

 パーティーも無事に終わり ―― ジークリンデは風呂に入り、髪は濡れたままだが、レモンイエローのエンパイアドレスに着替え、フレーゲル男爵の待つ部屋へ戻ってきた。

 ジークリンデが入浴している間に、淡いオレンジの薔薇と白のチューリップ、そしてピンクがかかった白のカサブランカで室内を装花し、部屋を先ほどのパーティー会場よりも派手に飾りたて、用意していたプレゼントも運び込む。

 パーティーの最中はろくに食事を取ることもできないので、テーブルには温かく軽め、だが見栄えの良い食事が並べられていた。

「お待たせしました」

 ソファーに座り待っていたフレーゲル男爵が立ち上がり、近づいてきたジークリンデを抱きしめる。

「さて、改めて二人きりで乾杯しよう」

 部屋には召使いたちが控えているが、彼らは基本数えられないので、二人きりで正しい。

 ここにファーレンハイトやフェルナー、シュトライトやシューマッハがいたら別だが、彼らは全員下がっている。

「ジュースですけどねー」

 グラスに注がれている、ルビー色の液体は、やはり赤ブドウのジュース。

「すねるな、ジークリンデ。私も同じくジュースにしたのだから」

「本当ですか?」

「乾杯したら飲ませよう」

 並んで座り、グラスを軽くぶつけて、フレーゲル男爵の手自ら赤ブドウジュースを飲ませてもらう。

「本当でした」

「そうだろう? 嘘はつかないよ」

 機嫌よく二人で食べさせ合いながら ―― 最後はジークリンデを抱き上げて、寝室へと消えていった。

 

 ジークリンデとフレーゲル男爵が、新婚さながらに夜食を食べさせ合っている頃、

「仲が良いのはよろしいことだ」

「同意します」

 ファーレンハイトとフェルナーは、しっかりとまとめていた髪をわざと崩し、ラフな格好に着替え、栄養補給のためだけに料理を口に運び、軽口を叩きながら、今日会場に来ていた者たちを確認していた。

 なにかが起こってから”そう言えば……”では遅い。ましてその”なにか”が、九割超の確率で誘拐だと分かっている以上、不審な動きを取ったものは、チェックを入れる。

「特におかしいと感じた者はいたか?」

「気になったのは、この女性ですね」

 動画を停止させ、フェルナーが指さしたのは、濃いめの金髪をアップにし、鮮やかな赤のホルターネックのドレスを着た女性。

 肌は健康的な白さ。帝国で美しいとされる象牙色の肌ではないが、自信に満ちた女性の表情を引き立てる色合い。

「アンドロシュ通信の幹部か」

 招待客の名簿から女性名と仕事を確認して、ファーレンハイトが感嘆混じりに声を上げる。アンドロシュ通信はフェザーン最大の通信事業会社で、貿易船のほとんどは、この会社と契約し、通信を行っている。

 建前は民間企業だが、半フェザーン官営で、社長は居るが、会社の権限の多くは自治領主に握られている。

「キャスリン・バンフィールド、三十五歳」

「立派な経歴だな……フェザーンの学歴や職歴など、詳しくは知らんが。それで、この女のなにが気になったのだ? 映像では分からない態度か?」

 パーティーの最中、ジークリンデの側にいたのはフェルナーで、警護もそうだが、招待客たちの態度や雰囲気を確認していた。

「そうです。このバンフィールド、夫人に嫉妬しています」

 その中で”男性では気付きづらいが、女性には嫌みだと分かる、褒め言葉だが貶している” ―― 姉が三人もいるフェルナーは、バンフィールドの口調の端々と態度から、それらを感じ取った。

「……」

 胸元がざっくりと開いたドレスは豊満な胸の谷間を強調し、誰も異存は唱えないであろう、きわどいスリットからのぞく美脚。ただしそれは常識の範囲内でのこと。

「アーダルベルト、可哀想なものを見るような眼差しを向けないでください」

 帝国女性、百億の中から選ばれた皇帝の寵姫を近くで見る機会に恵まれ、また、「体が皇帝陛下のお好みではない」が、美貌は西苑の彼女たちに、何ら劣るものではなく、むしろ勝っているような主をずっと見てきたファーレンハイトは『三十過ぎて、身の程を知れぬとは、憐れだな』 ―― 思った。

「お前に向けたわけじゃない、アントン」

「分かってます。嫉妬ですけれど美貌じゃなくて、金銭的な面で」

「ジークリンデさまが金に不自由したことないのが気にくわない、ということか?」

「おそらく」

 バンフィールドの人生はいわゆる極貧から始まり、それから抜け出すために努力をし、特待生となり、大企業に入社し着実に出世していった……自分で勝ち取ったという自負がある。

 そんなバンフィールドからすると、良い家柄に生まれただけで、これといった苦労などせず、日々を好き勝手に過ごしているジークリンデは腹立たしい。

 貴族がそういう存在であると分かっていても。

「下らんな。だが、何度か会うことになるのか」

 バンフィールド以上に苦労したファーレンハイトは、ばっさりと切り捨てた。

「大企業の幹部ですから。アーダルベルトは気になる人、いました?」

 自分の人生に対する憐憫などない男は、付箋をつけた画面を表示する。

「女優がいただろ」

「何人かいましたね。どれです?」

「この金髪の女」

「芸名ミラベル・ボーヴォワール。本名ルネ・ベルチエ、二十六歳。アーダルベルトと同い年ですね。ごくごく一般的な家庭に生まれ育ち、経歴は実科学校卒業後、フェザーン芸術大学演劇科に進み、在学中からキャリアを積んで、若手実力No.1と言われる。もちろん強力な支援者がいるようです。フェザーンでこいつに逆らうと消されそうな類いの男」

「ルビンスキーの愛人か」

 青く透き通った瞳を持つ、”写されることを常に意識している”立ち居振る舞いをする女性。

「ええ。この人も嫉妬ですか?」

 このミラベルが近くに来たことはフェルナーも覚えていたが、嫌な雰囲気はなかった。むしろ好意的ですらあったように感じられた ――

「逆だ」

「逆? とは?」

「ジークリンデさまのことを、気に入ったようだ」

 その感覚は当たっていた。ただし、その先を知らない。

「気に入られると、困るんですか?」

 女性が女性に対して、性的に執着するという状況は、経験したことがなかったので、フェルナーの鋭い勘でも、拾いきれずにいた。

「女が女を気に入るのは、男が女を気に入るのとは違った厄介さがある。なにより、敵意がない分、ジークリンデさまに警戒を求めたり、指摘し辛いのだ」

「あまり実感したくはありませんが、ここで少し体験できそうですね」

「できれば一生経験したくないものだが……ん?」

 大型の端末ではなく、通信機能が主な小型の端末に連絡が入り、ファーレンハイトが立ち上がる。

「……どうしました?」

「出るぞ」

「分かりました」

 

 外出は事前に申請していたので、二人はシューマッハに告げて外へと出た。

 

 呼びだされた場所は、ごくありふれたバー。

 送られてきた地図と路線図を元に、無人タクシーで移動する。車中では無言を通し、少し離れた場所で料金を精算して下車し、徒歩で目的地へとむかう。

「アーダルベルトがフェザーンの情報屋を知っているなんて、思いもしませんでした」

 夜の繁華街は、まだまだ人が大勢おり、彼らの間をすり抜けながら、これから会う人物について、フェルナーは最終確認をした……つもりだったのだが、

「情報屋ではない」

「国務尚書に、嘘ついたんですか?」

「ああ」

「何者ですか?」

「帝国の暗殺者だ」

 かなり物騒な人物であることが、ここにきて判明した。

「はあ?」

 足は止めなかったが、酔っ払いの雑踏が少し遠ざかる ―― ような気がした。

「詳細は後で話す」

「最初に説明してほしかったんですが」

「時間が無かった。とりあえずベルセルクと名乗っている暗殺者だ」

 

**********

 

 バーにいたのは、やや癖が強い黒髪を後ろの低い位置で一本に結っている、三十前後の男性。

 カウンター席に座っていたベルセルクの隣に座り、二人とも黒ビールを注文する。

 先に飲んでいるベルセルクにファーレンハイトは端末を渡して、フェザーンのサイオキシン麻薬の広がり具合の調査を依頼した。

 どうして帝国の暗殺者に、フェザーンで情報収集を依頼するのか? フェルナーにはさっぱり話が見えてこなかったが、男の顔に何となく見覚えがある気がした。

 

―― なにかで見た記憶がある。ベルセルクじゃなくて……

 

「情報料は払う」

 フェルナーが自分の記憶を探っている脇で、話が進む ―― と思われたのだが、

「良いだろう……と言いたいところだが、仕事は断る」

 ベルセルクは空になったジョッキをカウンターに置き、体勢を変えず、二人を見ることもせずに断った。

「どうしてだ?」

 呼び出しに応じたのだから、仕事を引き受けるのだろうと思っていたファーレンハイトは、意外な返事に驚いた。

 ベルセルクも仕事を引き受けるつもりはあった。そして言われなくても勝手に動いていた。その結果、とある情報を掴むことになった。

「ボルネフェルト侯爵家のフリーデリーケを知っているな?」

「知っているが」

「その女、姫君を殺害するために、殺し屋を雇った」

 フェルナーは飲んでいた黒ビールのジョッキを、カウンターに叩きつけるように戻し、こちらを見たバーテンダーに「もう一杯、三人分」と告げて、自分たちの方を見ようとしない暗殺者に体を向けた。

「笑えない冗談だな」

 新しい黒ビールが三人の前におかれるが、手を付けようとはしない。

「冗談ではないから、笑う必要はなかろう。俺が知っていることは、書き出した。戻ってから読め」

「分かった」

「問題は、どうするかだ」

「ベルセルクに殺し屋を排除するよう依頼したいところだが……そう簡単にもいかんな」

「仕事はいくらでも引き受けるが、問題は根本的な解決策だ」

 

 殺し屋を暗殺者に殺させる ―― それ自体は難しくはないのだが、フリーデリーケがこの一度で諦めるという確証はない。

 殺すまで依頼を続ける可能性を考慮すると、フリーデリーケ自身を排除する必要があるのだが、門閥貴族を排除するとなると、ファーレンハイトの独断では不可能。

 事情をフレーゲル男爵に説明して、対処を話し合う必要があるのだが「どのように説明するか?」が、悩ましい問題であった。

 暗殺者から聞いたと説明しても、信用はされない。信用を得ようと、暗殺者ベルセルクの経歴を説明するのは問題があり、国務尚書にも言えない。

 ジークリンデを囮にして、フリーデリーケが雇った殺し屋を「ジークリンデ殺害未遂」で生かして捕らえて、背後関係を吐かせてフレーゲル男爵を巻き込むのが最良なのだが、殺し屋を生かして捕らえるのは難しく、彼らの性質上、ジークリンデを囮にすることなど ――

 

「策はこれから考える。それとは別に、お前には頼みたいことがあるから、フェザーン滞在中は買われろ。料金は前払いする」

 殺し屋がつきまとっているとなると、この暗殺者を情報収集ではなく、ジークリンデの警護に雇うのが最良。

「国務尚書からの金なんぞ要らん」

「無給で働くのか?」

「無給ではない。俺が好きに動くだけだ。そうだな……姫君がお元気かどうかを、教えろ」

「黙って金を受け取れ」

「……」

「……ところで、こっちの男は」

「新しい専任護衛だ。これから事情を説明する。仲良くとは言わんが、協力頼む」

「分かった。では最後になったが、姫君のご生誕をお祝いして乾杯しようではないか」

 三人はジョッキを掲げ、乾杯しあい、一気に飲み干す。 

 

 そのままバーを後にし、繁華街を抜けて、人気の無い道路に差しかかったところで、重要な情報を持ってきた人物について、フェルナーが尋ねる。

「……で、あの人は何者なんですか?」

「ベルセルクと名乗っている暗殺者だ。本名はヴィクトール。ヴィクトール・フォン・シェーンコップ」

「貴族でしたか」

「元男爵家の嫡孫だった。色々あって取り潰しになった」

 ローゼンリッターのシェーンコップの再従兄弟に当たる人物。

「取り潰したのが、国務尚書閣下ってわけですか」

 かたくなに国務尚書からの資金を拒否していたので、フェルナーにも想像がついた。

「そうだ。元々シェーンコップ家はクルーグハルト家の一門だった」

「夫人の母方の実家ですよね……弱みになりそうな存在は、すぐに握り潰すと。さすが国務尚書閣下」

「ヴィクトールは公式記録では、すでにこの世にはいないことになっている。最後の当主となったヴィクトールの祖父は、孫を知り合いに託した。家は潰れても血は絶やしたくなかったらしい。ただ託された方は、善意だけではなく思惑もあった。国務尚書に対する憎悪を囁き、手駒にするという思惑がな」

「でも国務尚書、生きてますよね。殺しても死ななそうですけど」

「国務尚書を直接害することは難しいので、あいつは一族の要になりそうな人物を誘拐することにした」

「その要って夫人だったんですね?」

「そうだ。初めてレオンハルトさまの領地へ行った際、俺と二人で行動中に襲われてな……まあ、ジークリンデさまは無傷だったんだが」

 

 後にカタリナが語った「領地にやってきた、天使と貧乏従者のお話」の登場人物で、ジークリンデはその正体を知らない。

 自分のことを助けてくれた農夫だと勘違いし感謝して、以来、気にかけていた。むろん、会いに行ったりするわけではないが、彼らの生活が少しでも向上するようにと ―― 

 

「無傷でなければ、今頃生きてないでしょうが。出会った経緯はあとで聞かせていただきますが、信頼はできるんですね?」

「ああ。国務尚書に対しては思うところもあるようだが、ジークリンデさまを傷つけるのは御免だと、ヴィクトールを飼っていた……本人曰くだが。ともかく、飼っていた貴族を殺害したのが二年前のこと。以降は決闘の代理人を務めたり、暗殺をしたりと、裏街道で生きている。密に連絡を取り合っていたわけではないが、連絡先だけは聞いていた」

「代理人……代理人のウルフへジン?」

 門閥貴族が所有する特殊な職業とも言える「代理人」と聞き、どこかで彼の顔を見たことがあると思っていたフェルナーは、詳細ではないが、彼を知っていることを思い出した。

「知っていたのか?」

「どこかで見たことがあると思ったら、決闘の代理人でしたか。まさか暗殺家業まで請け負っているとは知りませんでしたね」

 決闘は相手を殺すわけではないが、絶対に死傷者が出ないわけでもないので、後始末を担当する部署があり、たまたまフェルナーはそこに属していた。

「奴が特殊なだけだ。ただ貴族の屋敷に出入りしても、おかしく思われないという利点がある。それを生かして、暗殺の仕事も引き受けるそうだ。顔は知っているが、暗殺を請け負っていることは知らない貴族のほうが多いようだが」

 空車の無人タクシーを止め、その車体に寄りかかるようにして、話を続ける。

「夫人が関わる事件の場合は、味方と見なして良い?」

「そうだな。ところで殺し屋に狙われていることを、上手く伝える良案は思い浮かんだか?」

「残念ながら。殺しておけば良かったなって、後悔しています。今度、あんな状況になったら、ためらわず、自分で部隊を編成、指揮します」

「派手な暗殺だな」

「襲撃といったほうが正しいかもしれませんね」

 

 二人は車に乗り込み、迎賓館への帰途についた。盗聴を警戒し車中無言で。イレギュラーな事態がこれだけであることを願いつつ ―― 翌日、フェルナーが殺し屋が歓迎パーティーに出席していなったかどうかを調べていると、怪しい男を発見した。

「こいつ……」

 殺し屋には見えないが、身のこなしが彼ら軍人に良く似ており、格闘の心得があるのは明らか。

―― 顔立ちが叛徒っぽいな。叛徒の軍人か? 企業重役が身元を保証した飛び入り? ……もう少し調べてみるか

 


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