黒絹の皇妃   作:朱緒

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第113話

 時は遡り ―― フェルナーとミュラーが、採用されるかどうかの頃。

 

 平民アントン・フェルナーの採用に難色を示した国務尚書が、

「見るべき実績もないが」

「卒業後すぐにフェザーンに赴任ともなれば、致し方ないかと」

 同じく平民であるナイトハルト・ミュラーの採用を、忌避したのも当然のこと。

 フェルナーは軍功などは上げていないが、中央でそれなりの実績を残していた。

 寂しいリストを飾るためとはいえ、その実績で国務尚書が自ら作ったリストに名が載ったほどなので、渋々受け入れたが、ミュラーはそうではなかった。

 単にフェザーン駐在武官を全員並べ、この中から選べ ―― 言われたジークリンデはミュラーを選んだ。

 国務尚書はジークリンデが、卒業してまもない平民を選ぶとは思っていなかったので、面食らったものの、ジークリンデの選択眼は評価しているので『身辺調査を行って、問題がなかったら』頭から否定はしなかった。

「一年で実績を出せなかった、無能と見なすこともできる」

 そして調査の結果だが、フェザーンにおけるミュラーは特筆すべきところは、なにもなかった。

 仕事は無難にこなしているのだが、国務尚書からすると「それだけ」である。

 悪くもなければ良くもない ――

 重厚な執務机を挟み直立不動で話を聞いているファーレンハイトは、国務尚書が言外に「別の駐在武官をジークリンデに薦めてこい」と言っているのは分かっていたが、彼にとってはジークリンデの希望を叶える方が重要。”ナイトハルト・ミュラー”の確定を得るためには、労力を厭わないし、権力者たる国務尚書から不興を買うことに恐れはない。

「国務尚書閣下は、どの人物が相応しいと」

「これだ」

 国務尚書が指したのは、士官学校から軍に進んだのではなく、大学進学後、官僚試験を受けて合格した男爵家の三男。

 使えない門閥貴族とは一線を画する、有能な軍官僚の一人。

 年は三十二で、ミュラーと同じく昨年からフェザーンに赴任している。

「全てにおいて勝っておいでですね」

 国務尚書の希望を兼ね備えた人物だが、ジークリンデの目には一切と映らなかった。ジークリンデ基準では、ミュラー以外は映るはずもないのだが、彼らはそのことを知りはしない。

「それで、説得できるのか? 准将」

―― ご自分で説得するべきでは……したくはないから、俺に言わせようとしているのだろうが

 ファーレンハイトはジークリンデの意向に沿うべく、男爵家の三男の経歴とミュラーの経歴を交互に確認する。

「説得もなにも。ジークリンデさまは、閣下のご命令に逆らうようなお方ではありません。そのことは閣下ご自身が、誰よりもご存じかと」

 ジークリンデも国務尚書に「駄目だ」と言われたら、後ろ髪は引かれるものの、下手にミュラーに執着を見せて、彼が処分されたら元も子もないので、すぐに引き下がる。

 その程度の処世術と、自分がおかれている現状くらいは理解していた。

「何が言いたい?」

「それでは、小官の意見を述べてもよろしいでしょうか?」

「そのためにお前を呼んだ」

「それでは。小官としてはナイトハルト・ミュラーを、推させていただきます」

「理由は」

「若さです」

「若さ? 実績よりも重要だと言うのか」

「その実績、帝国国内でのものです。フェザーンという異国に等しい自治領では、その実績が仇となることも考えられます」

「具体的には」

「小官はその方の人となりを存じ上げませんが、女性の意見を聞き入れ、女性部下を女性と見なさず、だが女性を軽蔑せずに使う度量はおありでしょうか?」

 貴族は働いている女性を、働いてない女性よりも更に下に見る傾向がある。

 労働は尊いなどという言葉は存在しない。

 上流階級は上流階級独自の物の考え方があり、それは彼らの大部分を占める。

「……なるほど。この平民には、それができるというのか?」

「それは存じませんが、若いということは、新しい価値観を受け入れやすいとも考えられます。女性の意見を聞き入れることも、出来るのではないかと」

 私人として女性の意見を聞くことはできても、公人として、仕事のパートナーとして女性の意見を聞き入れるのは、貴族には難しいのでは? 年を取っていれば、いるほど、その社会の枠組みで生きてきたのだから、考えを変えるのは難しいのでは? ファーレンハイトはそちら側から攻めた。

「女性部下を使うのならば、若い男のほうが良いと申すのか」

 国務尚書は自分に当てはめ、ミュラーと男爵家の三男の年齢を比較する。

 二十一歳のミュラーと三十二歳の男。

「若くなくても結構ですが、男爵家のお生まれの方が、ブラスターを構え、格闘する女性の実力を認めることができるでしょうか?」

「簡単には考えは切り替えられぬだろうな。他に理由はあるか?」

「二十一歳の平民中尉でしたら、小官の一存でどうとでもできます。そちらの方ですと、小官の意見を通す際、フレーゲル男爵閣下のお力が必要になりますので、緊急時の対応に遅れがでるやも知れません」

「この男の意見を、素直に聞く気はないと?」

「そうは申しておりません。万が一のことを考えてのことです」

 意見が対立した場合、正しければ問題はないが、正しくない場合は問題になると ――

「お前が言いたいことは分かった。ナイトハルト・ミュラー中尉で話を進める」

 国務尚書は机を人差し指で叩き、本意ではないことをあらわにしつつも、意見を受け入れた。

「御意」

「ところで、お前はどうなのだ? 准将」

「小官ですか?」

「お前はフェザーンの婦警を信頼できるか?」

「買収などもありますので、全幅の信頼などはしておりませんが、女性であっても格闘や射撃などの能力は、問題ないと考えております」

「根拠は」

「反乱軍の女兵士に接した経験からです」

 ファーレンハイトは前線で投降した同盟の兵士たちに接することが、何度かあった。捕虜名簿などにも目を通し、男性部下を持つ佐官などがいたことや、女性の士官が代表として陳情に来たことなどがあったので、職務と性別を切り離して考える機会に恵まれていたこともあり、能力を不安に思うことはい。

「分かった。だがフェザーンは女も男も信用するな」

「心得ております」

 こうしてナイトハルト・ミュラーを専任護衛にする手はずを整えた。

 

**********

 

 そのような経緯で、ジークリンデの専任護衛にして、警備を担当するフェザーンの警官たちに指示を出す立場となったミュラーは、今日の予定を再確認していた。

「誕生会を兼ねてか」

 本日は七月二十一日で、ジークリンデの誕生日。

 到着と誕生日の両方を祝うパーティーが開かれることになっていた。

―― 類い希なる美少女なのは写真でも分かったが……画像は補正が入っているよな……あんな綺麗な女の子は、いないよなあ

 専任護衛に選ばれてから、ジークリンデに関する書類を渡されたミュラーは、内容を全て暗記した。もっともジークリンデは学校に通わず、十一歳で結婚しているため、経歴らしい経歴がないので、覚えるのは容易かった。

―― 明日は一日、休養日にあてるのか。到着後すぐに貧血を起こされたのだから、ワープ耐性はあまり高くはないのだろう

 宇宙移動の必須であるワープは、人体に負担がかかる。

 だが人によってかなり差があり、どれほどワープしようが疲労を感じない人もいれば、多少の移動で疲弊してしまう人もいる。これは生まれ持った体質なので、なにをどうしても耐性があがるようなことはない。

―― 八月一日の式典が終わるまではシュッセンリート迎賓館に滞在。二日から十五日までは、ホテル・シュワーヴェンの最上階に滞在。十六日から二十日までは、またシュッセンリート迎賓館へ戻られて、八月二十一日にはお帰りになられると

 何度も読み、覚えてしまった予定表を再度読み込んでいると、フェザーン警官から声をかけられた。

「ミュラー殿」

「どうしました? ブカーチェク警部補」

 ブカーチェク警部補は三十過ぎの、たたき上げの警官。

 ライトブラウンの髪と、黒い瞳を持つ、白人男性。

「男爵夫妻がご到着なさるそうです」

「分かりました」

 先に会場入りしていたミュラーが腰を上げる。

 歓迎のパーティーが執り行われるのはシュッセンリート迎賓館。宿泊もパーティーも同じ場所で執り行われることになっている。

 ミュラーは指示に従い、休憩用の部屋を用意し、警備の人員を選定していた。

 

―― あまり我が儘な方でなければ良いのだが……期待はしないでおこう

 

 ミュラーは平民ならば誰でも考えることを、当たり前のように思い浮かべ、懸念しながら、所定の位置についた。

 

 シュッセンリート迎賓館は、敷地面積約十四万平方メートル。赤茶の屋根とオレンジがやや強いクリーム色の壁を持つバロック様式の館。

 ただ「館」とは言うものの、宮殿と評したほうがしっくりとくるような、豪華な建物である。

 内装は外側など比べものにならないほど豪華で、大理石の床に、天井から壁にかけて美しい絵。まばゆいばかりのシャンデリアが照らし出す、金細工が施された室内 ――

 

―― 慣れないな

 

 本当に凝っているわけではないのだが、ミュラーは室内を見ているだけで、肩が凝ったような気がして仕方がなかった。

 玄関前に黒塗りの最高グレードの地上車が止まり、ドアが開けられる。

 まず降りたのがフレーゲル男爵。

 彼のことはミュラーも、遠くからだが見たことがあった。

 そしてフレーゲル男爵が車に向けて、白い手袋をはめた手を差し出す。

 シックなグリーンに金糸の刺繍が目立つ、ロンググローブをはめた手が乗せられた。アイボリーとブラウンのフリルが現れる。

 

 ジークリンデを一目みたミュラーは、多くの人たちと同じく言葉を失って立ち尽くす。

 

 グリーンとゴールドでまとめたジークリンデの姿は、ミュラーの言葉を奪うのに充分だが、いつも通りでもあった。

 ジークリンデの格好を、少しばかり説明すると、ドレスのフリルは左側から右側にかけて斜めになっているデザイン。

 ドレス自体は手袋と同じシックなグリーンで、右側の腰の部分には、手袋と同じく金糸で刺繍が施されている。胸元は切り返しで、裾と同じようにアイボリーとブラウンのフリルで飾られている。

 夜の会なのでやはり胸元は大きく開き、エメラルドが目立つ金のネックレスで首元を飾っていた。

 黒髪はきっちりとまとめられ、あまり高さのない、シンプルなクラウンで飾っている。

 

 ジークリンデはフレーゲル男爵と腕を組み、出迎えにやってきたルビンスキーを見て、

―― ルビンスキーですね! どう見てもルビンスキーですよ!

 心中で思わず興奮し、思わずフレーゲル男爵の腕に回している手に力を込めすぎて”この自治領主が怖いのか。……当然か”と夫に勘違いさせつつ、周囲が静まり返っていることに気付かず、会場へと向かった。

 

 時間になるまで会場で話をしているフレーゲル男爵の隣で、ジークリンデは微笑む。

―― レオンハルト。お世話になります。帰ったら労るので……はやくパーティー始まれー

 このような会場では、フレーゲル男爵の隣に立っていると非常に楽なのだ。

 夫の隣に立っているジークリンデに直接話し掛けるわけにはいかないので、

「初めまして男爵夫妻。私は……」

 挨拶と自己紹介をし、

「妻のジークリンデだ」

 フレーゲル男爵から紹介され、ジークリンデ自身は微笑むだけ(頭を下げたりはしない)

「お噂には聞いておりましたが……」

 ジークリンデを賛美するのだが、それは全部フレーゲル男爵に向けられる。

 帝国では妻は夫の付属品なので、これが正しく、

―― あー楽でいいわー。でもごめんなさい。気にならないとは言ってくれますけど……面倒でしょうに。そんなにお世辞言わなくていいから。適当に美しさを褒めて、下がって。いいから! なんですか、その蕾がほころびかけた百合の花のごとしって。詩人はランズベルク伯で間に合ってますよ

 付属品であるジークリンデは、受け答えせずに済むこの状況を、誰よりも喜んでいた。精神的には若干疲弊するが、歯が浮くようなお世辞に対して、受け答えしなくていいのは楽であった。

 ルビンスキーが声をかけてこようが、笑顔のまま扇子で口元を隠し、フレーゲル男爵に身を寄せれば解決。

 フレーゲル男爵はジークリンデの細い腰に手を回して、守るようにしてルビンスキーと会話する。

―― 話はしなければならないとは思いますが、パーティー会場で話すのはちょっと……

 サイオキシン麻薬と地球教徒とフェザーンに関しての証拠を掴むために、話す機会を設けてもらってはいるものの、

―― それにしても、禿げていらっしゃいますよねー

 それ以外では率先して話したい相手ではなかった。

 

 歓迎とジークリンデの誕生日祝いを兼ねたパーティーが始まり、主催者(ルビンスキー)や主賓(フレーゲル男爵)の挨拶が終わり、一人を除いた招待客にシャンパンが注がれたグラスが運ばれ乾杯をする。

―― 相変わらず、定番のノンアルコール発泡白ワインですね

 一人アルコールを配られなかったジークリンデが、飲み慣れた炭酸白ブドウジュースを口に運ぶ。

 空になったグラスをトレイに置き、あとはひたすらフレーゲル男爵の隣に着いて歩く。

 歓談中も笑顔を絶やさずに、ひたすらジークリンデは耐える。むろん、耐えているなど気取られぬ優雅な笑顔を浮かべ。

 グラス片手に歓談するのが慣わしなので、ジークリンデはフェルナーから渡された先ほどと同じジュースを手に、たまに口元を閉じている扇子で隠し気味にして、細首を優美に傾けて貴族女性の仕事をこなす。

―― 肩から首にかけて寒い。ネックレスが寒さを倍増させる……

「ジークリンデ」

「はい」

 主要面子と一通りの会話が終わると、フレーゲル男爵に休むように指示された。

「休憩しておいで」

「はい」

 ファーレンハイトとフェルナーに先導され会場を出て、

「なにもしてないんですけど、疲れました」

 人気がないところまで来てから、深くため息を吐き出した。

「あの人混みの中心にいれば仕方ないかと」

「人が夫人に吸い寄せられていく姿、面白かったですよ」

 そんな話をしながら廊下を進み、休憩室へと入る。

 室内にはミュラーと、警護につく警官たちが待機していた。ジークリンデが部屋へと入ると、全員が膝を折って頭を下げた。

 ソファーに腰を下ろして”頭を上げるように言って”と、ファーレンハイトに無言で指示を出す。

「全員、頭を上げろ」

 声に従い頭を上げた彼らの顔を見回して、ミュラーに目を留める。

 砂色の髪と瞳の、年若い中尉。肌はやや日に焼けて健康的。

―― 身長は高くなさそうですが、肩幅は思っていたよりありますね

「全員立ちなさい」

 

―― ミュラー、緊張してるようですね。まだ若いからでしょうね

 

 ジークリンデは想像よりも若々しく、やや朴訥な感じのミュラーの自己紹介を聞きながら、かなり心が弾んだ。

―― 年も近いし、仲良くなれると思うんですけど

 ジークリンデは主賓ゆえ、長い時間会場を空けるわけにはいかないので、主要メンバーの自己紹介を聞くだけで休憩時間が終わってしまった。

「他の者については、明日説明を」

「かしこまりました」

 ファーレンハイトが出した手を掴み、ソファーから立ち上がる。

「ミュラー中尉」

 フェルナーたちは軍人であることを隠しているが、駐在武官であることを隠していないミュラーは階位付けで呼ばれる。

「なんでございましょう、男爵夫人」

「今日は私の誕生日なの」

「存じております」

 ジークリンデはそのほっそりとした腕を伸ばし、ミュラーの胸の前に手のひらを差し出した。

「誕生日プレゼント、頂戴」

「……」

 若い中尉は、権門の男爵夫人に、そんなことを言われるとは思ってもみなかったので、言葉に詰まる。そして警官たちにも緊張が走る。

 彼らもプレゼントに該当するものは、用意していない。

「知っていたのに、用意してくれなかったの?」

「申し訳ございません」

―― やってしまった……

 軍人としてのキャリアが終わるだけで済めば良いが……と、顔を引きつらせる。

「じゃあ罰として、滞在中に私と二人きりでデートして」

「あ……は?」

「詳細は明日。行くわよ」

 フェザーンでの専任護衛を任されている筈のミュラーはその場に立ち尽くし ―― ジークリンデとファーレンハイト、そしてフェルナーを見送るはめになった。

 


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