黒絹の皇妃   作:朱緒

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第109話

「ジークリンデさまは、学校に通ったことがないんですか?」

 観たかった映画の年齢制限に引っかかったジークリンデは、同じ映画がフェザーンでも上映されているので、十五歳になったら観に行く ―― ことで、素直に諦めて、元の予定通りの一日を過ごすことにした。

 

 ストックの花が飾られたテーブルには、黒地にピンクが目を引くティーセット。

 

 フェルナーと友好を深める……とまではいかないが、会話をして意思の疎通を図れるようにするために、ジークリンデはできる限り時間を割いて、二人と過ごしていた。

 ”二人きり”にならないのは、フェルナーがまだフレーゲル男爵に、他の部下たちほど信用されていないことと、ファーレンハイトとも上手く連携を取って欲しいので、こうしてお茶を席を設けて、話に花を咲かせていた。

 今日はアフタヌーン・ティーの際に並ぶ料理の他に、肉料理や魚料理などが追加されている。

 酒を飲んでもいいと、ジークリンデはいつも勧めるのだが、二人とも丁重に辞退していた。

 警護中に酒を飲む気になれないことと、なによりジークリンデ自らが淹れてくれるお茶が飲みたいので ―― 後者の理由を言うことはないのだが。

 

「ないですね。話を聞く分には通ってみたいとは思いますけれど」

 料理が並んでいるテーブルを囲み「アントン・フェルナー」について、ジークリンデは情報を集めた。

 フェルナーがどのような人物なのかは、少しは分かるが、彼の経歴などは知らないので、調べる必要があった。

 調査を依頼し、書類を読めば分かるが、ジークリンデが知りたいのは、そのようなフェルナーではない。

 しゃべり方や仕草。笑い方や困った時の表情(これを見られるとは、ジークリンデは思っていない)など、触れることができる存在と向き合いたかった。また向き合わねばならなかった。

「ご自宅で家庭教師が?」

「そうですね。基礎学校で勉強するようなことは、お父さまも教えてくれました」

 もちろんジークリンデについた家庭教師は、フライリヒラート伯爵をのぞいて全員女性で、彼女たちは勉学ではなく刺繍やマナーなどを担当していた。

「伯爵さまは、かなり優秀な方だとお伺いしました」

 急遽随員に選ばれたフェルナーは、フライリヒラート伯爵の学歴までは目を通してはいないが、国務尚書が後継者の親に選んだのだから、間違いなく優秀であることだけは分かっていた。

 だが娘であるジークリンデは、かなり冷淡。

「学歴を見ると、娘の私としても”優秀ですね”と言いたい……ところですが、裕福な伯爵家の跡取り息子だったわけですから。生活の苦労など一切なく、好きな学問を自由に学べる環境にあったのです。そういう部分を考慮すると、普通レベルではないかしら」

 ジークリンデが言う通り、フライリヒラート伯爵は裕福な貴族なので、好きな学問を学びたいだけ学び、貴族らしく優雅に生きてきた。

「伯爵さまに、厳しいですね」

 そしてこの台詞の対になっているのが、ファーレンハイトの学歴。

 ファーレンハイトはギムナジウムに入学し、飛び級するほど優秀だったのだが、大学へは進まず士官学校を選んだ。

 このルートを選ぶ者は多いが、ファーレンハイトがこのコースを選んだのは、ひとえに金。

 実科学校は奨学金制度がなく、ギムナジウムには返還の必要がない奨学金制度がある。

 階級社会ゆえ、奨学金は平民よりも貴族に優先的に回される。この社会の仕組みにより、ファーレンハイトは奨学金を得ることができた。

 フェルナーは最初から、資金の関係でギムナジウムは目指さなかったが、もしもギムナジウムに進学しようとし、奨学金を申請しても、十中八九下りなかったであろう。

 平民に奨学金が回ってくることは、ほとんどない。

 それは大学でも言えること。高等教育を受けるのには金が必要だが、金持ちの多くは貴族。奨学金はあるが、貴族が優先される ―― 基本裕福な人か貴族しか進学できない仕組みになっている。

 

”お金があったら、ファーレンハイトは別の人生を歩んでいたでしょうね”

 

 以前、ギムナジウムから士官学校に進んだ経緯を聞いた時、ジークリンデはそう思った。もちろん、その考えを口に出すようなことはしなかった。制約やしがらみはあれど、この道もファーレンハイト自身が選んだもの。

 金に困ったことのない大貴族の夫人が、知ったような顔で語るのは、プライドを傷つけるであろうと。

 その時、ジークリンデが言いたいことをファーレンハイトは感じ取り、

”軍人になって良かったと思っておりますよ。こうして男爵夫妻に、お仕えすることが出来たのですから”

 膝を折り手の甲に口づけた。

 

 ほんの二年ほど前の話である ――

 

「ジークリンデさま。グントラムさまは、それらを抜きにしても優秀なお方ですよ」

 ファーレンハイトはお茶の席には相応しくはないとは分かっているが、端末を取り出してフェルナーに指し示す。

「……夫人。伯爵さまは、怖ろしく優秀です」

 改めて学歴に目を通してフェルナーは”さすが国務尚書が、一族の跡取り候補に選んだだけのことはある”と、感動すら覚えた。

「そう?」

 自分の父親が優秀らしいことは知っているジークリンデだが、その優秀さを積極的に知ろうとはしなかった。

 大馬鹿ではなく、召使いたちにも評判よく、散財もせず、特に権力にもこだわらない ―― ジークリンデとしては、それで充分であった。

「グントラムさまは、士官学校に在籍しておられたら、主席候補間違いなしです。お体があまり強くないので実技で抜かれるかもしれませんが、座学は間違いなくトップかと」

「国費留学を二度もなさっているお方が、優秀じゃないってのはあり得ませんよ」

「国費留学って、門閥貴族しか選ばれない、偏ったものでしょう。フェザーンでは”遊んでいただけだよ”って言ってましたよ……って、なにを笑っているのですか、二人とも」

 

 ジークリンデが五歳の頃。

『門閥貴族は徴兵はされないでしょうけれど……どんな感じなんでしょう』

 ケスラーに会ったあと、軍と門閥貴族の当主がどのような関係にあるのか? 興味があり聞いてみた。

『お父さまには徴兵とかないのですか?』

 ジークリンデの質問に対する、フライリヒラート伯爵の答えは ―― 軍務につく代わりに、国費留学してきたよ ―― というもの。

『……フェザーンは楽しかったのですね』

 話を聞く分には、勉強などしておらず……門閥貴族の次期当主ともなれば、そういう形で折り合いが付くのだろうと、原作を知っているジークリンデは納得した。

 その後、少しばかり国費留学について調べたのもの「できるだけ民衆側に考慮し、崩壊後助けてもらう」ことが目的のジークリンデには、ほとんど関係がなかったので、早々に調査を打ち切る。

 そんな理由から「国費留学=門閥貴族当主の徴兵回避」としか覚えていなかったのだが、

「申し訳ございません」

「お許しください、ジークリンデさま」

 二人の態度を見る分には、なにか違うらしいことは分かった。

「なにが、それほど面白かったのかしら?」

「その前にお聞きしたいのですが、ジークリンデさまにとっての国費留学とは、どのようなものなのでしょうか?」

 いつもより顔色の良いファーレンハイトが、笑いを無理に押し込めて尋ねてきた。

 そこでジークリンデは、父親から聞いた話をそのまま二人に告げた。

「夫人、伯爵さまに欺されてます」

「聞かれた時の年齢を考慮し、あまり難しい話はどうか? と思われたのでしょう」

 

 二人から国費留学について真実を聞くことになった。

 

 帝国における国費留学とは、特使のことを指す。

 特使とは説明する必要もないが、国家より特命を受け外国に赴く使者のこと。

 銀河帝国は同盟を国家と見なしていないので、他国との調整を図る「外務省」が存在しない。国務省がその機能の一部を担い、高等弁務官が存在するが、あくまでも「それ」は叛徒であり、対等な相手ではないので外交を行うことはない。

 ……が、国家とは認めていなくとも、存在している以上、様々な問題が起こる。

 それらを解決する際に派遣されるのが、国費留学生。

 どの省庁にも属しておらず、優秀で金持ちな門閥貴族が選ばれ、フェザーンの大学に留学という体裁で、外交を執り行う。

 

「貧乏人ですとフェザーン人に買収される恐れがあり、どこかの省庁に属していると、そっちに便宜をはかる恐れがあり。国務尚書を通してですが、建前では陛下からの直接下される密命……なので、門閥貴族以外は受けることができないことになっております」

 ”フェザーンの遊園地、楽しかったよ。観覧車が大きくてね。一番高いところは、新無憂宮よりも高いんだよ。ジークリンデも男爵閣下と一緒に乗っておいで”

 出発前に「宝飾品や小物をいくつか用意したから、取りにおいで。それに用事も頼みたいから。男爵に許可はもらっているよ」と言われて立ち寄った際、追加の話題は遊園地と、ダイビング施設で遊んだという話のみ。

―― 子供扱いされてますよね。結婚してもう四年も経つというのに

 まだまだ被保護者扱いが、少しばかり悔しかった。

 だが父親からすれば、嫁いでも娘は娘。それも結婚して自称四年(本当は三年)、自称十五歳(出発時は十四歳)では、父親も子供扱いして当然。

「……でも、二人とも知っているのよね?」

 本には書かれていなかったことを知っている二人に ―― 何故知っているの? ―― と。テーブルにおかれているベルを押し、外に待機している小間使いを呼び、ポットを指さし「新しいティーセットを持ってくるよう」指示を出す。

「国務尚書から聞きました」

「諜報部で厄介な出来事を拾った際、解決してくださる役職の一つですから」

 

―― 父上に欺されました! 国費留学生とは密命特使のことを指すとは!

 

 父親の意外な一面を知り「留学していた頃お世話になった教授に、手紙を直接渡してきてくれ」という頼まれ事にも裏があるのではないか? と、陰謀に身構えるも ―― 後々判明するが、別に裏はない。ただ「娘がフェザーンで困っていたら、助けてやって欲しい」だけ。

 フライリヒラート伯爵はただの父親であり、「賢くてピアノが上手い、美しい愛娘」に面倒を押しつけたりはしない。

「そうでしたか。国費留学の話はそのくらいにして、アントンはレオポルトと同じく、基礎学校から実科学校へと進んで士官学校に入学したのよね」

 そして話題はフェルナーへと転じたのだが、

「はい。どう考えても自分には、職人は向いておりませんので」

 フェルナーはフェルナーである。

―― ……たしかに、そうですけど

 フェルナーが家具職人や植木職人をしている姿は、ジークリンデとしても想像できない。それよりならば、適性無視でも、まだ艦隊司令官のほうが想像できるというもの。

 

 そんな話をしている最中、小間使いがワゴンを押して戻ってきた。

「奥様、お持ちいたしました」

 ファーレンハイトが立ち上がり、ジークリンデの椅子を引く。

 小間使いがワゴンを近くに運び、三人が使用した茶器をワゴンの下段へと収納する。

「全部揃っていますね」

 その言葉を受けて、小間使いは透明なガラス茶器をテーブルへと移し、一礼して立ち去る ―― のだが、

「ケーキと魚料理の皿を下げて」

 ジークリンデはまだ料理が大量に乗っている二品を、下げるように命じた。

 これらの料理は捨てられるのではなく、召使いたちに与えるもの。

 ジークリンデの感覚では「食べ残しですよ」……なのだが、古き貴族社会が規範となっている帝国では、召使いたちは残り物を平気で食べる。

―― 資源が無駄にならないと言えば、そうなんですが……

 口を付けたもの皿に戻すような品のない行動はとっていないので、衛生面としては問題ない……そう、ジークリンデは自分に言い聞かせ、召使いたちの「お楽しみ」を頻繁に与えていた。

「ありがとうございます、奥様」

 

 小間使いが深々と頭を下げ、ファーレンハイトやフェルナーに「お優しいご主人様だ」と尊敬の眼差しを向けられると、ジークリンデは、なんともいたたまれない気持ちになる。

 

「アントン。工芸茶を知ってる?」

「存じません」

「ではポットを観ていて。綺麗な花が咲きますから」

 

**********

 

 唐突だが、銀河帝国は階級や性別により、進学先が大きく異なる。

 まず最初に入学するのが基礎学校。平民や帝国騎士の子供たちが通う。

 門閥貴族の子弟のほとんどは、基礎学校ではなく家庭教師を付けて学ぶ。

 

 基礎学校が終わると、基幹学校、実科学校、幼年学校、ギムナジウムのいずれかに進む。もちろん進学しない子供もいる。

 基幹学校は職人になるために通う学校。

 実科学校はギムナジウムに進めなかったが、大学進学を目指す子供が進むと考えてよい。

 ギムナジウムは当然ながら、大学を目指すための学校。

 ちなみに銀河帝国では、幼年学校は実科学校とギムナジウムの間に該当する。入学できるのは裕福な貴族か、裕福な平民の子のみ。帝国でもっとも金が掛かる学校でもある。

 士官学校は卒業すると大学卒業と同じ扱いになるため、実科学校かギムナジウムに進み、アビトゥーアを取得しなくてはならない。

 

 ここに階級社会が混ざると厄介なことになる ――

 

【登場人物の学歴、及び軍経歴】

 

ラインハルト

基礎学校卒業 → 実科学校入学 → 幼年学校編入 → 任官(少尉)

 

アンネローゼ

基礎学校卒業 → 進学せず → 西苑(寵姫)

 

ジークリンデ

自宅学習 → 結婚 → 西苑(女官)

前世では大学に通っていた。学科は宗教社会学科(宗教が衰退した現在では、無意味)

 

フレーゲル男爵

自宅学習 → ギムナジウムへ → 成績優秀で飛び級して大学へ → 大学在学中に軍に請われて籍を置く(大卒、もしくは大学卒業見込みの門閥貴族は少佐から) → 結婚祝いにリヒテンラーデが手を回して中佐 → 大学卒業祝いで大佐 → 大学卒業と同時に結婚式を挙げ、そのお祝いで准将 → 現在二十三歳で中将(ブラウンシュヴァイク公私軍、副司令官)

 

ファーレンハイト、オーベルシュタイン

基礎学校卒業 → ギムナジウムへ → 飛び級しアビトゥーア取得 → 体力試験を合格し士官学校入学 → 卒業後少佐スタート 

現在ファーレンハイトは准将、オーベルシュタインはこの当時は中佐

(ギムナジウムから士官学校へと進むと、少佐から始まる)

 

シュトライト

基礎学校卒業 → ギムナジウム・アビトゥーア取得 → オーディン中央大学(帝国有数の難関大) → 採用試験・身体検査を受けて軍官僚に(少佐) → 現在大佐

(軍官僚試験を受け採用されたので、前線指揮官などは務まらないし、務めることもない)

 

フェルナー、ミュラー、シューマッハ、キスリング、リュッケ

基礎学校卒業 → 実科学校入学・アビトゥーアを取得・卒業 → 士官学校入学入学 → 准尉スタート

(一般的な士官学校進学コース ↓より、よほど優秀だが、階級では遅れをとることが多い)

 

カール・マチアス・フォン・フォルゲン(麻薬)

自宅学習 → 幼年学校(卒業試験が緩い) → 貴族の子弟なら誰でも入れる大学へ(帝国で唯一入学の際に、アビトゥーアが必要ない大学) → 七年かけて卒業 → コネで軍に(大卒なので少佐)

 

フォン・ビッテンフェルト

自宅学習 → 幼年学校 → 士官学校 → 大学編入 → 少佐

 

 このように一言で「軍に所属」と言うが、多様なルートが存在する。

 その結果、様々な派閥ができ、自分の意思にかかわらず、生まれや経歴でそれらに属することとなる。

 

**********

 

 華が開いた茶を手に、ジークリンデは話を再開する。

「そういえばアントンは、フォン・ビッテンフェルトと同期ですよね」

「同期ではありますが、士官学校は貴族と平民にはっきりと分かれておりますので、話をしたことはありません」

「あ……そうでしたね。それにあの人は、幼年学校ルートでしたものね」

 士官学校には「幼年学校から士官学校」 「実科学校から士官学校」 「ギムナジウムから士官学校」の三種類の閥が存在する。

 だが、幼年学校閥も「裕福な平民」「門閥貴族」「裕福な帝国騎士」に分かれている。

 同様に実科学校閥も「平民」 「帝国騎士」 「貧乏門閥貴族」という派があった。

 くどくなるがギムナジウム閥も「裕福な平民」 「門閥貴族」 「帝国騎士」などの派閥に分かれる。

 幼年学校の「裕福な平民」「門閥貴族」と、ギムナジウムの「裕福な平民」「門閥貴族」は、バックボーンが同じなので学外でも交流があり、上手くいくことが多い。

 そして正式な軍人となると、大卒の軍官僚や、大卒門閥貴族の子弟が増え、派閥は一層混迷を深める……と、色々あるのだ。

「はい。実科卒の平民と幼年学校卒の皇族さまでは、同じ学年でも他学年よりも遠い存在です」

―― 平民と皇族と言われると、改めて階級社会にいるんだって実感する

 


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