黒絹の皇妃   作:朱緒

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第108話

 細金細工で飾られた天板が目をひく、天蓋付きのベッド。

 そのベッドの中で、フレーゲル男爵の腕枕で、胸の跡のことも忘れてジークリンデが眠っているころ、客船が軍港に一時寄港した ―― シュトライト、ファーレンハイト、フェルナーの三名は、フリーデリーケとその一行と共に軍港に降り、補給基地の責任者に、商船と護衛艦が来るまで、客間に通すように依頼し、

「荷物が多すぎるので置いていく、処分してくれ。こちらのコンテナは商船と護衛艦に処分を任せるように」

 賄賂……とまではいかないが、面倒な仕事を押しつけられた彼らの労をねぎらうべく、黒ビールとソーセージの詰め合わせが入ったコンテナを運ばせ”押しつけた”

 責任者はわめき散らす侯爵令嬢をちらりと見て、

「これほどフェザーンの商船が来るのを、心待ちにしたことはありません。そして二度とないことを願います」

 軍服は着用していないが、すっと伸びた背筋と後ろ手に組み話すその姿や歩き方から、明らかに軍人であることが分かる三人に”おつとめご苦労さまです”と敬礼した。

「ああ。あとは頼む」

 

「シュトライト! 愛人で我慢してあげるって、伝えてきて!」

 

 三人の中で唯一顔見知りで名を知っているシュトライトに、フリーデリーケが叫ぶも、叫ばれた方は目を閉じて軽く首を振って”無理です”と言外に答えた。

「愛人って……」

「レオンハルトさま、金積まれても嫌だろうよ」

 フリーデリーケの台詞を聞いて、呆れ果てた二人はシュトライトの肩を叩き”戻ろう”と、合図する。

 それでもシュトライトは最期に深々と頭を下げて、フリーデリーケの前を辞した。

 

 ここで終わっていれば「腹立たしいが、門閥貴族としては、あのようにしか生きられなかったのかもな」で彼らも済ませたのだが、怒り狂ったフリーデリーケがフェザーン経由で暗殺者を雇って「ジークリンデ」の殺害を試みる。

 まさかそれを、ファーレンハイトやフェルナーに知られることになるとは、思ってもいなかったであろう。

 

**********

 

「……」

「奥様、お美しいですわ」

「奥様、素敵です」

 なにも知らない間に終わり、恨みを買って暗殺者に狙われることになったジークリンデは、晩餐会の用意を調え、鏡の前で最終チェックをして ―― メイクや髪型の担当者や、召使いたちが“気にしないように”と、褒めそやしていた。

―― 貴方たちの腕の良さが……

 今夜のジークリンデのドレスはやや青が強く光沢のある生地。

 胸元が大きく開き、ソフトパニエでボリュームを出した、裾が非常に長いもの。

 縁は生地よりも色が薄めな青と、オレンジよりのピンクのシフォンが重ねられている。

 正装なので胸が大きく開いており、そこにブルーダイヤモンドとダイヤモンドが大量に使われたネックレス、揃いのイヤリング。

 髪型は両サイドを僅かに残し、あとは結い上げられ、肌理細やかな肌があらわになっている。

 コバルトブルーのロンググローブは、ビジューが縫い付けられ煌めき ―― 煌めいているのはそれだけではない。

 胸についた跡を隠すべく、ボディ用のファンデーションが塗られたのだが、それにパールが含まれているため、肌が煌めく。

 跡が見えないのはジークリンデとしても素直に嬉しい。

 これがメイクたちの仕事であることも分かっている。だが、どんな跡でも見事に隠しきってしまう彼女たちがいるから、

―― 止めてと言っても、止めてくれないんですよね

 こういう状況になることに、ちょっとばかり恨むというか、憂鬱な気分になった。

―― 愛されているからこその悩みですよと言いますけど……

 召使いたちの輪の外側にいるファーレンハイトのほうを伺うと、いつも通り苦笑をこらえた表情で会釈をする。

 

「もう、怒っていないか? ジークリンデ」

 そこへフレーゲル男爵が現れた。

 ジークリンデの周りにいた召使いたちは”さっ”と引き、二人は向かい合う。そして、ジークリンデの手を取った。

「怒ってません。怒ってたら、晩餐会欠席しますもの」

「ならばいいが……欲しいものなど、ないか?」

「ありますけど、教えてあげません」

「怒ってるだろう」

「内緒です。さあ、行きましょう」

 フレーゲル男爵と腕を組み、笑顔で引っ張るようにして歩き出す。

 

「腕がいいんですね」

 ”跡が! 跡が!”と朝から叫んでいたジークリンデを見ていたフェルナーは、消えてしまった跡に感動したのだが、

「元々は夫などに殴られた跡を消す技だ。メイク担当者が担当するのは、顔だけじゃない」

「……殴られた跡にくらべたら、可愛いものでしょうね」

 ファーレンハイトから、なぜそれらの技量が必要なのかを聞き、それならば楽勝だろうと。鏡の前で胸元を気にしているジークリンデを眺めた。

 メイク担当にとって、ジークリンデほど良い主はいない。

 完璧な美貌なので軽くメイクするだけ。

 夫に殴られることもないので、殴られた内出血跡をメイクで隠す必要もない。

 精々、幸せな跡が胸の辺りに残るので、夜会前にそれらをファンデーションで覆い隠すくらい。

 あとはジークリンデの機嫌を取るくらいだが、不機嫌を引っ張る性格でもなければ、ものなどに八つ当たりすることもないので、楽なものである。

 ファーレンハイトとフェルナーは二人の後をついて、今日の晩餐会会場である客船の一等客室へと向かった。

 

 いつも通りジークリンデは美しさを絶賛され ―― 晩餐会は無事終了。

 

**********

 

 翌朝、ファーレンハイトとフェルナーの元に、フリーデリーケを降ろした基地から、彼女とその従者たちを、無事にフェザーン商船に乗せたという報告が届いた。

 次は指定の宇宙港に到着し、親族から「引き取った」報告を受けとれば、彼らの仕事は終わり ―― であった。

 まさかフェザーンの商船内で「金さえ払えばなんでも用意するんでしょう」と発言し、船長もその誘いに応じ、暗殺者を紹介するとは、誰も考えてすらいなかった。

 その頃彼らは、

「准将の髪、触ってみてもいいですか?」

「気持ち悪い趣味だな、フェルナー」

 とてつもなく気持ちが悪い話をしていたくらいに、平和であった。

 朝食の席に、ジークリンデからのメッセージカードを見たフェルナーは、一昨日、黒髪に触れた際の、名残惜しさがまだ残っているような感触を思い出し、身近にいる貴族で確認してみることにした。

「貴族と平民は、髪の質も違うのかと思いまして」

 さすがに貴族の女性の髪に触れるのは、フェルナーでも憚られるので、身近にいる貴族男性に頼んでみることにした。

「ジークリンデさまは特別だ……おそらくな。他の貴婦人の髪なんぞ、触ったこともない。だが理由がそれなら、触っても構わないぞ」

 ファーレンハイトは”このアホ、何を言っているのだろう”という感情を隠さなかったが、フェルナーもアホなことを言っている自覚があるので気にせず、遠慮無く銀色の髪をやや乱暴に掴んだ。

「ありがとうございます……普通の髪ですね」

「当然だろう。大体お前の髪と大差ない……」

 ファーレンハイトもフェルナーの髪を掴み返した ―― 手袋をはめていたので、感触はわからなかったが。

 

「おい、お前ら……!」

 

 彼らの主であり、選ばれし門閥貴族であるフレーゲル男爵は、部屋をノックすることなく部屋を訪れ、第三者としては気色悪いにも程がある現場に遭遇するという、悲劇に見舞われた。

 握っていた乗馬鞭を振り上げ、全力で振り下ろし ―― しばらく繰り返し、肩で息をし二人を叱責する。

「気色悪いことするな!」

 先ほどまで二人を打っていた鞭を向け、あらん限りの声を張り上げる。

「まことに申し訳ございません」

「申し開きもございません」

 顔や手など、目立つところに鞭の跡がついた二人も「たしかに気持ち悪いだろうな。実際、自分も気持ち悪かった」という思いから、弁明せずに謝罪する。

「お前たちがあまりにも気持ち悪いことをしているから、用件を忘れてしまったではないか!」

 朝から部下の部屋に、乗馬鞭を持ってやってくる用事を推察するは、かなり難しい。これがオーディンでの出来事ならまだ分かるが、馬術場のない豪華客船内では、フェルナーの意見がもっとも理にかなっていた。

―― 叩くつもりでやってきた……そう言われたほうが、納得できてしまう

 鞭はフェザーンで乗馬するために、持参してきた特注の品。

 馬に使用する前に、部下二名を躾けるために使うことになってしまったが。

「重ね重ね、ご迷惑をおかけしてしまったこと、お詫び申し上げます」

 右頬から唇にかけて、軽い裂傷を負ったファーレンハイトは更に謝罪する。

「全くだ!」

 用件を忘れたことに腹をたて、まだ殴り足りないが、さすがにこれ以上殴ると、傷跡が見苦しいので、自分の手のひらに鞭を打ち付けながら、必死に思いだそうとするが、それは無駄な努力であった。

 

 

 フレーゲル男爵がこの時の用事を思い出したのは、死ぬ直前。世に言う”走馬燈”の中で思い出し ―― 永遠に不明のまま。

 

 

「レオンハルト、おはよう。君たちもおはよう。どうしたのだ?」

 

 朝からややこしい状況の部屋に、いつも通りのランズベルク伯がやってきて、彼らに状況の説明を求め ――

「ならば私の髪を触ってみるかい?」

 肩口まである髪を、手で払って見せる。

―― 男の髪はもう充分です…ん?

 自分から「触ってみるか?」と言うだけあって、ランズベルク伯の髪は、濡れたような艶やかさを持っていた。

「わが伯爵家は、ルドルフ大帝以来続く家柄で……(中略)……十代皇帝エーリッヒ一世の時代、先代のアウグスト一世が残した髪の美しい寵姫をもらい受けていらい、わが伯爵家は髪の美しさに恵まれるようになった」

 とは、ランズベルク伯の説明。

 アウグスト一世が髪の毛に執着していたことを、フェルナーもファーレンハイトも知らないので、軽く流したが、かの皇帝は髪の毛がとにかく好きであった。

 アウグスト一世の髪の毛好きについては、貴族の二名は知っていたが、死んだ寵姫の髪を食べ、それが胃壁に突き刺さり大事になったことは、さすがに知らない。

 それを船内で知っているのは、この当時ではジークリンデだけである。

 もっともジークリンデなので、エピソードと固有名詞が結びついてはおらず、全くの役立たずな知識となっているのだが。

 

 ランズベルク伯のおかげで、怒気が大分抜けたフレーゲル男爵と、朝食抜きで仕事をしなくてはならなそうな二人。

「ほうら、さらさら」

 そして、狂おしいほど悪意のないランズベルク伯。

 ジークリンデが手配した、微かな百合の香りがする部屋は、かなり混沌としていた。

 

「失礼する。二人とも……これは失礼いたしました」

 

 そこへやってきたシュトライトは、未だ残るいらだちを隠さず乗馬鞭で手のひらを叩いているフレーゲル男爵と、特に何もしていない(ように見える)ランズベルク伯に挨拶をしてから、用件を告げた。

「どうした? シュトライト」

「ジークリンデさまが、ファーレンハイト准将とフェルナー少佐の両名をお呼びだ。通信を入れたのだが、返信がなかったので」

「急ぎか?」

「そこまでは聞いていない」

「では、少しお待ちいただこうか」

 二人はジークリンデのメイク担当者の元へと行き、それらの傷跡を消してから、呼び出しに応じた。

 

「両名はフレーゲル男爵からの用事を言いつかり、手を離せない状況でした。もうしばらく時間がかかります。小官でよろしければ」

 

 メイクにも時間がかかるので、シュトライトが代わりが務まるのならば ―― 用事を聞こうとしたのだが、ジークリンデは、

「大したことはないの。二人が来るまで、刺繍でもしています」

 ”いいの、いいの”とシュトライトに通常業務に就くように指示を出して、

「レース編みセットを」

 小間使いに命じて、鉤針を手に取り、花瓶の下敷きくらいの大きさのものを想定し、編み始める。

 ジークリンデが二人を呼んだ理由は、なんら重要なものではない。

 昨日の晩餐会で、映画の話題となり、あらすじを聞く分には楽しそうだったため、早めに予定を伝えて上映時間を調べてもらおうと思ってのこと。

―― フェザーン作製のアクション映画って、どんなものかしら

 帝国の自治領だが、異国文化に等しいフェザーンの映画にとても興味があった。

 リズミカルに鉤針を動かし、レースを編んでゆく。

 三十分程度経過した辺りで、

「失礼します」

「遅くなりましたことを、お詫び申し上げます。ジークリンデさま」

 傷を隠した二人がやってきた。

「良人が命じた用事は済みました?」

 切りが良いところまで編み、顔を上げる。

―― ……ファーレンハイトの顔色が良いですね。フェルナーの顔色も良いような……違和感が

 表現しようのない違和感があったものの、気にするほどではないだろうと、あっさり頭を切り換えて、映画を見たいことを告げる。

「……」

 二人とも船内の設備や、ジークリンデを近づけてはいけないところは網羅している。

「……」

 タイトルを聞いた二人は、顔を見合わせてから、

「ジークリンデさま。残念ですが……」

「それはR-15ですので、あと二週間は」

 年齢的に見られませんと教えた。

「え……」

 

”式典は八月ですから! その時は十五歳ですから! 十五歳といったら、もう大人です!”

 

 強硬に言い張り、ジークリンデは今回の式典を勝ち取った。当人は帝国歴四八二年に入ってから、どこでも「十五歳」と言い張っていた。

 

 いわゆる「さばを読んでいる」状態。

 

 帝国歴四八二年 標準歴七月六日 ジークリンデ・フォン・フレーゲル。いまだ十四歳 ――

 


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