黒絹の皇妃   作:朱緒

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第104話

 翌朝、すぐにでも会えると ―― わざわざ人を遣わせて返事をよこした伯爵の元へ、二人は急いで向かった。

 

「さすが尚書の姪の娘ですね」

 国務省で出世するには、国務尚書の覚えがよくなければならない。

 更に出世を望むのならば、

「それもあるが、ジークリンデさまは皇帝も気に入っているからな」

「皇帝陛下?」

「皇帝陛下だ」

「フリードリヒ四世?」

「そうだな」

 皇帝の覚えがよいジークリンデを助けて、恩を売っておくのも悪くない。

「皇帝陛下……ですか」

「皇帝陛下だ。専任警護で西苑に行けば、五回に四回くらいの確率で会えるだろう」

「高確率過ぎません?」

 それはもう、ほとんど確実に出会うといった方が正しいのでは ―― 好んで皇帝に会いたくなどないフェルナーは”嫌ですね”とばかりに眉をひそめた。

「俺に言うな。それに伯爵の妻は、ジークリンデさまの再従姉妹というか、はとこというか、国務尚書の一族なのは確かだ」

「そういう関係なんですか」

「詳しいことは、後日にでも」

 伯爵が宿泊している部屋の前に到着し、互いに洋服の乱れはないかをチェックしあう。

 客船の時点で、二人とも一応一般人を装っているので ―― 普段軍服を着用して、ジークリンデの警護に当たっているファーレンハイトはかなり無理はあるが、素知らぬふりをし続けることになっている。

 そんなファーレンハイトが着用しているのは、アビ・ア・ラ・フランセーズ。いわゆる貴族服。

 上着と胴着と半ズボン(膝下あたりまではある)という格好。

 襟元のクラヴァット黒みがかった青色の上着を着用しているファーレンハイトは、本当に貴族に見えた。

 

 末端ながら、実際貴族ではあるが。

 

 フェルナーは三つ揃いのスーツ。

 今日着用しているのは黒。

 赴任してすぐに旅立つことになり、作られた数が少ないので、男爵夫妻の洋服を作るため伴ってきた数名仕立て屋とお針子が、船内でもフェルナーの背広やシャツを作っている。

「しかしこの格好、動きづらいですね」

「肉体労働をしない人向きの格好だからな」

 軍人二名、互いの格好に”問題ない”とサインを出し、秘書に取り次ぎを依頼する。

 部屋に通された二人は、待つことなく伯爵と面会することができた。

 四十半ばのブルーメンタール伯爵は、茶色い髪の毛にやや白いものが混じっているが、容貌は若々しく、新無憂宮に出向くこともあるので、体力もあり、体も引き締まっていた。

 声にも張りがあり、自信と選民意識に満ちあふれた門閥貴族。

 そのブルーメンタール伯爵は顎髭を名でながら、二人の話を聞く。

「ボルネフェルト侯には、私から聞いてみよう」

 フレーゲル男爵とボルネフェルト侯は、完全に断絶しているので、間に入ってくれる人が必要であった。

「お手数をおかけいたします」

 ランズベルク伯も同行しているが、彼は少々若く、情報を引き出すのには向かない。やはり同年代同士で、同じように子供を持っている貴族同士でこそ、得られる情報がある。

 事情を聞いた伯爵は快諾してくれたが、もちろん裏はある。

「無料奉仕ではないので、安心したまえ」

 

 伯爵から求められたものは、男爵夫妻との夕食。

 

 貴族の食事は仕事の一環。できるだけ多くの貴族と夕食を取り、会話を交わし、いろいろなやり取りをしなくてはならない。

 権力がある人物ほど会いたいという者が多く、大人数での会食となるが、大人数側としては、他者を排除して自分たちと男爵夫妻だけで食事を取り ―― 話を楽しむとともに、他者に対して自分が特別であることを誇示したいという考えがある。

 

「いいんですか?」

 フレーゲル男爵の許可を取らず、ファーレンハイトの一存で食事の件を受けた。

「大丈夫だ。この場合は、それなりの手土産を持ってくるという自信の表れだろう。それにジークリンデさまの行動を制限するのに最適だ……ご迷惑をおかけすることになるが」

「それにしても、妻妾同伴とか」

 ブルーメンタール伯爵は妻と愛人を伴っていた。

 両者は客船としては広いが、彼らに与えられたスペースは狭く、気位の高い妻と、愛人が始終顔をつきあわせているような状態。

「安心しろ。ジークリンデさまは、妻妾同伴の相手と食事するのは、慣れている」

「慣れてるって……貴族は愛人持ちが多いとは聞きますが」

「まあ、そういうことだ。それに、その愛人とジークリンデさまを会わせたいに違いない」

「どうしてですか?」

「伯爵の愛人は、ジークリンデさまの遠縁だ」

「そっちにも、つながりあるんですか」

 フェルナーはフェザーン行き「ぎりぎり」のところで移動になり、到着したらしなくてはならないことの打ち合わせと確認、ジークリンデの警護に明け暮れているので、主たちの血縁関係までは手が回らない状態。

「覚える必要はない。端末に系図が入っているから、随時確認すればいい」

 絨毯敷きの廊下を歩きながら、フェルナーが軍用には見えない軍用端末を取り出して、系譜のファイルを開く。

「とは言っても……って、愛人情報、入ってないじゃないですか」

 フェルナーに言われて画面をのぞき込んだファーレンハイトは、僅かばかり考えて、入力していないことを思い出し ――

「……悪い、シュトライトから直接聞いただけだった。朝食の時に説明するから、覚えてくれ」

「朝食時の話題に相応しいのやら、相応しくないのやら」

 そんなことを言いながら部屋へと戻った。

 

 二人が部屋に戻ると、召使いたちが朝食の用意を調えて待機してた。

 帰ってきた二人に礼をして、召使いたちは下がる。

 テーブルの上には高級ソーセージと一年以上熟成させた生ハムにレバーケーゼ。

 作りたてのレシュティに焼きたてのカイザーゼンメル。それにフルーツが籠に山盛りに。

 どう考えても使用人の朝食ではないが、

「至れり尽くせりですね」

 ジークリンデは後々のことを考え、できるだけ丁重に扱っていた。

「そうだな」

「これは?」

 椅子に腰を下ろすより前に、取り皿にピンク色のメッセージカードが裏返しにおかれていることに気付いた。

「ジークリンデさまからの、メッセージだが」

 ファーレンハイトは手に取り読んで、部屋へと戻り手に黒いバインダーを二つ持ち戻ってきた。

「メッセージカードの収納バインダー、使うか? ちなみに、メッセージカードは捨てても構わんそうだ」

「前もって教えていただけたら、自分で用意してきましたよ」

 誰が捨てますか……とフェルナーが手を伸ばす。

「取っておきそうな顔じゃなかったからな」

「准将に言われたくはないですね」

 

 

”おはよう、フェルナー” 書かれていたのは、それだけ。

 

 

 朝食の席に着き、食べながら、男爵夫妻の晩餐の相手について説明が始まった。

「ブルーメンタール伯爵と令室の説明は要らないな」

「それは入力されてますから、後で読みます……言いたいところですが、時間なかったら困るので、概要お願いします」

「ブルーメンタール伯爵は国務省の官吏。かなり優秀な人物で、若い頃から国務尚書に見込まれていたらしく、以前話した”リヒテンラーデ家の跡取り作り”の候補の一人だった。その関係で妻がリヒテンラーデ一族。ただし二人の間には子供はいない」

「貴族として、それは死活問題なのでは?」

「最初の妻との間に息子がいるから平気だ。出世するために、前の妻と離縁してハイデマリーと結婚した」

 伯爵は出世のチャンスを逃がすような、無欲を装う男ではないので、すぐに乗り換えた。

「でも子供はできなかったと」

「ああ。それだけが理由ではなかろうが、二人の仲は冷え切っているそうだ。国務尚書が権力を握っている間は、離婚しないだろうがな」

「それはそうでしょう」

「だが子供がいないのでは、リヒテンラーデの血統に潜り込めない。そこでブルーメンタール伯爵は、入り込めそうな血筋の女性を愛人に迎えることにした」

 なにせ跡取りをもうけるための候補は数名おり、そのほとんどが子をなしている以上、妻しかいないブルーメンタール伯爵は、一族の中にあっては、あまり良い位置にはいない。

「国務尚書から不興を買う恐れは?」

「ブルーメンタール伯爵が愛人を持ったところで、国務尚書は怒りはしないし、不快にも感じない。これがフレーゲル男爵ならどうかは分からないが」

 国務尚書はジークリンデには、リヒテンラーデ一族の命数の半分以上を賭けているが、ハイデマリーには一切期待をしていない。

「扱いの差が激しいですね。でも、それと愛人に、どのようなつながりが?」

「まず大前提として、リヒテンラーデ一族の女性は、結婚相手として人気がある」

「国務尚書の一族ですからね」

「だから競争率が高い。リヒテンラーデ一族の女性を、すでに正妻として迎えているブルーメンタール伯爵が、この上もう一人、それも若い女性を手に入れると、恨まれる恐れがある」

「若くて跡取りが産めそうな?」

「そうだ。だからブルーメンタール伯爵は、別の角度から捜すことにした。国務尚書の権力基盤を受け継ぐ最有力候補の父親側の血筋に目をつけた……のは良かったのだが、フライリヒラート伯爵家も人気があるわけだ」

「それはそうでしょうね。暫定ながら、兄は国務尚書の跡継ぎで、妹はブラウンシュヴァイク公爵夫人とくれば、その血筋に群がるでしょうよ」

 一族が繁栄し、おこぼれに預かろうとした者が群がり ―― 後にジークリンデが三十近い爵位を継ぐはめになる。

「そこでブルーメンタール伯爵はフライリヒラート家の血筋をもっと遡り、困窮している男爵家の娘にたどり着いた。それが愛人のゲオルギーネ。この十九歳の愛人とジークリンデさまのつながりは、オトフリート四世の時代に遡る。ジークリンデさまの曾祖母はオトフリート四世の異母妹で、ゲオルギーネの祖母がオトフリート四世の庶子の一人。オトフリート四世の庶子は六二四人で、この系譜で見ると、門閥貴族のほとんどが、ジークリンデさまの親戚となる」

 オトフリート四世の在位年数(五年)と、一年の日数を思い浮かべ、フェルナーは大雑把に割ってみて……計算しなければ良かったと、彼にしては珍しくそう思った。

「ゲオルギーネは金を払って権利を維持していないので、公認されていないゴールデンバウム。ジークリンデさまは権利更新をしているので、公認されたゴールデンバウムの末裔だ」

「でもそれなら、別に他の誰でもいいのでは?」

「もちろん」

「はい?」

「だから、ジークリンデさまに近づくための道具だ。誰も見向きもしなかった娘を買ってきて、ジークリンデさまに近づけて……というのが策だ。ジークリンデさまは中央に馴染めない、家柄に少々難のある、ご自身と年が近い娘を放置しておくような性格ではない。西苑に女官長の後継者として出入りし、平民から召し上げられた娘たちに対しての態度を知っている、ブルーメンタール伯爵らしい策だ」

 ジークリンデが平民や身分の低い者たちを嫌っていたら、ブルーメンタール伯爵はこのような策は取らなかった。

「あー……人の良さをつけ込まれるタイプですか」

―― 顔も似てなければ、性格も似ていない……男爵が出自を調べたがる気持ちも分かるような

 あの国務尚書の姪の娘らしからぬ性格に、思わずフェルナーは笑みがこぼれた。

「悪いよりはよほどマシだがな」

 ジークリンデの脇の甘さに散々苦労させられたファーレンハイトも、同じように笑う。

「同意します。要は護衛の私たちの性格が悪ければ、どうってことない訳ですから」

「俺は性格は良い方だが」

「思うのは自由ですよ、准将。私だって自分は性格良い方だと思ってますから」

 

**********

 

「申し訳ございません」

 ファーレンハイトはフレーゲル男爵に事情を説明し、今日の晩餐に関して許可を得ると、ジークリンデの元へと赴き、ブルーメンタール伯爵とその妻妾との急な晩餐について詫びた。

「アーダルベルトに直接ですか?」

「はい」

 下級貴族という逆らえない立場のファーレンハイトに無理難題を! と、ジークリンデは内心では憤ったが、それは表に出したりはしなかった。

 その感情が露出したら、ファーレンハイトが困り、フェルナーが笑い出したことだろう。

「それでは断れませんものね。気にしなくていいわ」

「まことに……」

 門閥貴族の高級官僚から命じられたら断れないだろうと、ジークリンデは一切疑わず。

―― 夫人。この准将は、普段なら、平気な面で断りますよ……きっと

 フェルナーは本当に疑っていないジークリンデを前にして「准将、嘘ついたの詫びろ」と。

 もちろん口に出しはしなかったが。

「ジークリンデ、全部任せていいか?」

「任せてください、レオンハルト」

 三人は目配せをして ―― フレーゲル男爵は部屋を出て行き、ジークリンデはクローゼットへと向かった。

 

 晩餐会を取り仕切るのは女主人の仕事。

 旅程に組み込まれている晩餐に関しては、全て手配を整えているが、このような突発的な晩餐を開くとなると、一から決める必要がある。

 ジークリンデがいくら手際よく行っても、半日以上はかかるので、結果としてジークリンデの今日の行動は制限される。

―― 自然にフリーデリーケと接しないようにするには、最適ということですか

 フリーデリーケが何を考えているのか分からないのもそうだが、ジークリンデと接触させないに越したことはないと。

 ジークリンデは金色とコーラルのシフォンが幾重にも重ねられたイブニングドレスを選び、大きなパパラチアサファイアが目を引くプラチナのネックレスを選ぶ。

 夫の洋服も同様に選び、招待状をしたためて、

「アーダルベルト、届けてきて」

「かしこまりました」

 ファーレンハイトとフェルナーを伯爵の元へと遣わす。

 本来であれば最低でも二日前に届けなくてはならない招待状だが、今回はそれは向こうからの希望なので、当日に届いても問題はない。

 

 招待状を渡すと、召使いに声をかけられ、ジークリンデのドレスや宝飾類について答える。

 

「格下はドレスの色が被らないようにするんだそうだ」

「そうなんですか」

「そのために、格上が何を着るのか確かめる」

 招く側と招かれる側であろうが、貴族社会での階級は変わらないので、格下の者は細心の注意を払い着衣を用意し、格上の者は一切の妥協のない格好をする。

「大変ですね」

 二人が戻るとジークリンデは晩餐のメニューを決め終え、食器類の選定に取りかかっていた。

「花は百合……届けてきましたか」

「はい」

 戻ってきた二人に気付き、声をかけてくる。

「ドレスについて、伝えてきた?」

「はい」

 その他、部屋の飾りについて指示を出したり ―― 用意が終わったのは、正午を優に過ぎたころ。

「一段落ついたわ」

 ジークリンデはソファーに埋まるように座り、安堵の息を吐く。

「ご負担をおかけしてしまいました」

 外部との接触を断っていることを気取らせたくはないので、ファーレンハイトは徹頭徹尾、自分が断り切れず一存で承諾したという態度をとり続ける。

「良いって言ったでしょう、アーダルベルト。アントンも気にせずに受けていいですよ。門閥貴族は自分の提案が受け入れられないと、すぐに恨みますから」

「かしこまりました。ところで、夫人」

「何かしら? アントン」

 

「私のことは、ヴェンツェルって呼んでも構いませんが」

 

 ジークリンデがそう思ったのならば、ヴェンツェルでどうぞと、フェルナーは申し出た。

「……アーダルベルト!」

 まさか書類選定のときに漏らした呟きを、本人に伝えているとは思っていなかったジークリンデは ―― その場面にはファーレンハイトと国務尚書しかいないので、消去法ですぐにファーレンハイトだと分かった ―― ソファーから立ち上がり、顔を赤らめて、ファーレンハイトに詰め寄って胸の辺りを拳で叩く。

「言わないでとは言われていなかったので、ついつい」

 叩かれてはいるが、痛くもなんともないファーレンハイトは楽しげ。

「やだもう、恥ずかしいじゃないの!」

―― 楽しそうだなー、准将。見てるこっちも楽しいわ

 主従というだけではなく、然りとて恋人同士ではなく、決して友人ではなく、親子のようではないが兄弟でもない……だが親しい雰囲気の二人を、フェルナーは目を細めて見ていた。

「失礼いたします」

 そんな場面に、同行しているシュトライトがやってきて、

「ジークリンデさま、お手で殴るよりは、こちらのクッションで叩いたほうが、准将も痛くはありませんよ」

 ジークリンデが先ほどまで体を預けていたソファーの、円筒形の飾りクッションを手に取り差し出した。

「……貸しなさい、シュトライト」

「御意」

 ジークリンデは黒みがかったピーコックグリーンのクッションを手に取り、再びたたき出した。

「アーダルベルトったら!」

「申し訳ございません」

―― 叩いている音が”ぽすぽす”って……可愛いもんだ。姉貴が全力で殴ってくるのとは、まるで違う

 年が離れた気の強い姉三人を持つ、末っ子長男のフェルナーには、ジークリンデは別の生き物に見えた。

「ところで、どうなされたのだ?」

 シュトライトの問いに、自分を指さし、簡単に理由を答える。

「なにか報告があったのではありませんか? シュトライト大佐」

「お茶の準備が整ったので、ご報告に上がった。ジークリンデさまの気が済んでから、お伝えしてくれ」

「分かりました」

 


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