黒絹の皇妃   作:朱緒

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第103話

 四年前、ファーレンハイトは職務中呼び出され、シュトライトから招待状を手渡された。

 封を開けると薔薇の花びらが数枚こぼれ落ち ―― 花びらを拾い集め封筒に戻し、招待状に目を通す。

「行くつもりはなかった」

「ひねくれてますねー准将」

「お前ほどではないと思うが。だがな……」

 前もって部署に「気に入ったら引き抜きますよ」と根回しをする必要があり、それはシュトライトが受け持った。

 その他にジークリンデ自身が、知り合いの貴族に「もしかしたら、部下を引き抜いてしまうかもしれません」と、手紙を書いて出していた。

 その手紙を受け取った一人が、オフレッサー中将(当時)

「オフレッサー大将と知り合いなんですか?」

「グントラムさまは狩猟がご趣味の一つで、ジークリンデさまをも頻繁に伴われていたそうだ。オフレッサーはその狩猟を通じての知り合いだ」

「オフレッサー大将にも手紙を出した……結果、どうなったんですか?」

「その結果、当日の朝、オフレッサーが部下連れてやってきて”伯姫……ではなく、フレーゲル男爵から招待状を受け取った若造は誰だ”とな。素知らぬ顔も出来んから名乗り出た」

 手紙を受け取ったオフレッサーは、ジークリンデのところに呼ばれたのは誰かと顔を見に来て、”貴様、このだらしない髪型はなんだ! 床屋に行くぞ”と、連れ出され ――

「髪を切られて、整えられた」

「だらしないって、今みたいな髪型だったんですか?」

「もっと前髪が長く、襟足も長かった。襟足はカラーを隠すほどの長さがあったから、鬱陶しいと言えば鬱陶しいだろうな。おまけに自分で切っていたので、断面は悪いし」

「はあ? ご自分で?」

「無駄な金は使わん主義だ」

「そうなんですか」

―― こんなに、残念な美形という言葉が似合う男も、そうそういない……あれ? 今も自分で切ってるのか? それにしては

「そのままオフレッサーと部下たちに、男爵邸まで連れてこられた。オフレッサーからは、ジークリンデさまの美しさを滔々と語られ、あとは、俺の顔を潰すなよとの脅されたな。仕方ないので、諦めて無料でメシが食える場所だと切り換えることにした」

 ジークリンデが出てくるまで、フレーゲル男爵に近づくことなく料理を食べ続けた。ジークリンデを見てからは、気がそちらに行ってしまい、料理を食べるどころではなくなってしまった。

 持っていた皿を返して、そのままジークリンデを目で追い、黙って帰宅した ―― 二度と間近で見られることはないだろうと。

「それで、後日、採用の手紙が届き、ジークリンデさま付きになった。護衛担当なんだろうと思っていたら……レオンハルトさまは事情を知らないから、護衛担当させるつもりだったようだが」

「サイオキシン麻薬調査と、艦隊司令官ですか」

「ブラウンシュヴァイク軍の鍛錬もな」

「大変でしたね」

 

**********

 

 フェルナーの名前を、勝手にヴェンツェルだと思っていたジークリンデ。失言ではないが、こぼれた台詞を、まさか当人に告げられたとは思っていなく ―― 昼食が始まってすぐに、国務尚書にラインハルトの進路について尋ねた。

「大伯父上。伺いたいことがあります」

「なんだ?」

 正確にいえば「知っている通りにラインハルトが動くのかどうかの確認」ではあるが。

「ラインハルト・フォン・ミューゼルの進路についてです」

 十五歳で任官したことは覚えていたので、そろそろではないかと探りを入れる。

「進路? あの者は成績は優秀だから、士官学校に進むのではないか」

―― 成績「は」ですか……たしかにちょっと乱暴といいますか、気が荒いらしいですね

「ミューゼルは士官学校に進むのですか? それとも士官学校を目指さず、任官を望むのですか? ということです」

「普通に考えたら士官学校に進みそうだが」

 帝国では幼年学校から士官学校への進級は、受験資格がある年齢の関係上、間が一年空くため、国務尚書もラインハルトたちの進路について、さほど注意を払っていなかった。

「手紙の端々から、進学せず任官を望んでいるように思えたので」

 ジークリンデの言葉に、深く皺が刻まれている顔に、更に皺が増え、

「そういうことならば、調べさせよう」

 近侍にすぐさま調べてくるように指示を出す。

 その後、料理を楽しみつつ、フェザーン行きの注意を聞き、食後のチーズが運ばれてきた頃に、先ほどの近似が戻ってきた。

「お前が感じたとおり、士官学校に進まぬようだ。まったく面倒なことをしてくれる」

 報告を聞いた国務尚書は、渋い表情をつくる。

「軍にはあまり口を出さない大伯父上でも、寵姫の弟御となれば、赴任先などの調整にも携わらなくてはいけませんか?」

―― アンネローゼから皇帝の耳に入るかもしれないけれど、実際調整するのは大伯父上と三長官ですものね

「当然じゃ。陛下のお耳に入れねばならぬな」

「あのジークフリード・キルヒアイスも一緒に赴任させるのですか?」

―― 一緒にしておかないと、ラインハルトが死んで……居ない方がいいのですけれど、居ないといないで、ヤンも怖いし

 チーズが乗っていた縁の青い皿が下げられ、デザートの苺のタルトとアイスが運ばれてきた。

「そうなるじゃろうな。あの若者、こともあろうに前線を希望しておる」

「血気盛んそうですもの」

―― 武勲を立てるには、前線にいかなくてはなりませんから

「寵姫の弟になにかあったら、どれだけの者の首が飛ぶことやら」

「大伯父上も?」

「私は軍には無関係なのでな」

 コーヒーを片手に、ジークリンデの問いかけに答える国務尚書の表情は、悪役そのものであった。

「さすがです。大伯父上の中で、赴任先は決まっているのですか?」

「カプチェランカが最有力だ。カプチェランカといっても、分からんか」

「極寒の惑星ですが資源があり、その資源を叛徒が盗みにくるため、基地を作って戦っているとしか知りません」

「それだけ知っておれば充分だ。他は……カプチェランカにするか」

「ではカプチェランカに赴任するミューゼルに、手紙をしたためてもよろしいでしょうか? あと、いくつかの贈り物も」

「良かろう。なにを送るつもりだ?」

「チョコレートなどはどうかなと思っております。長期保存ができるように処理して」

 

 こうして食事を終えた二人は、フェルナーとファーレンハイトが待機している執務室へと戻ってきた。

 失礼しますと言おうとしたジークリンデに、名前が書かれたリストが渡される。

 何事かとリストを持ったまま、ジークリンデは首を傾げた。

「ジークリンデ、その少佐の偽名をこの中から選べ」

「偽名ですか?」

「詳細は准将に聞け。して、どれがその男に相応しいと思う」

―― 相応しいもなにも、フェルナーはフェルナー以外は……でも、選ばないといけないんですよね……

 ジークリンデはリストを眺め、

「本名以外でしたらウィン・ファンデンベルグが、一番似合っているような気がします」

 適当に名前を選んだ。

「分かった。持っていけ」

 国務尚書は机の引き出しから箱を取り出し、その中からIDカードを取り出し、机の上を滑らすようにしてジークリンデの前へ。

「これは……偽造IDというものですか」

 手に取ったジークリンデは、フェルナーの顔写真付きのウィン・ファンデンベルグのIDカードを見て、思わず声を上げた。

「偽造と言えば偽造だが、本物と言えば本物だ」

 国務尚書の命令によって作られたIDなので、偽物でありながら本物といえる。

 

 こうしてフェルナーの偽造IDを受け取り、三人は邸へと引き返した。

 

 その後はフェザーン行きの準備で慌ただしく過ごし ――  (フェルナーだけ)準備もそこそこに、ジークリンデたちはフェザーン自治百十周年記念式典へと旅立った。

 

 ちなみに原作換算では、帝国歴四八二年はフェザーンが自治権を得て百九年目に該当する。よって、ここでは、おおよそ一年前倒しになっている形。

 出だしは百年のズレがあったので、徐々に直りつつある ―― そんなことは、誰も知らない。

 

**********

 

 多数の取り巻きとともに、豪華客船に乗り込み、ジークリンデたちはフェザーンへと向かっていた。

 主役ともいえる男爵夫妻は特別室。

 部屋の豪華さと多さは当然。特筆すべきは、専用のホールとプールまであること。

「体動かすのお好きなんですね」

 ホールで社交ダンスとバレエを、プールでは体力を維持するためにゆっくりと泳いだりと。

 腰まである黒髪に、パニエで膨らんだレースがふんだんに使われたドレスを、いつも着用しているジークリンデの姿からは、想像もつかないと ―― フェルナーが問うと、

「ダイエットだそうだ」

 必要なさそうな答えがファーレンハイトから返ってきた。

「……はい?」

 護衛として対象の身体特徴は教えられているので、それら数値を反芻して”なに言ってんの?”と、やや批難がましい声をあげる。

「ジークリンデさまご自身としては、二の腕が太くて、腰回りも繊細ではない……そうだ」

「あれ以上、痩せる必要はないと思うのですが」

「俺たちがどう思ったところで、ご自身の意見が”腰にくびれが欲しいんです”なのだから、仕方ない」

「くびれ、ですか」

 ジークリンデは実年齢より四、五歳若く見える ―― この頃は「幼い」と表現したほうが正しく、見た目ほぼ十歳。身長は十二、三歳程度。体型そのものはバランスが良く、どのパーツも美しいので、誰もが見惚れるほどだが、ジークリンデ自身にはそれらの神力ともいうべき魅力は通じないので、納得できず体型改善に励んでいた。

「ああ、くびれだ」

「普段のくびれは?」

「コルセットによるものだ」

―― ああ偽装。いや、でも……

「コルセットでくびれるのなら、それで充分では?」

「脱いだ時にくびれがないと、無意味だと仰っている」

 フレーゲル男爵は特に求めてはいないが、それでも、ジークリンデは納得できていない。

「減らすのではなく、増やして凹凸をつけたらいかがでしょうか?」

「俺もそうは思うが、俺たちがそう思ったところで、なにができるわけでもない」

 彼らに出来るのは、水泳中に溺れたりしないようお供したり、ダンスの際にパートナーを務めたりすることくらい。

「なんですけど……ところで、男爵閣下は何用でしょうかね?」

 夜間の宿泊フロア見回り中だった二人は(ジークリンデはフレーゲル男爵と一緒)突如呼びだされ、見回りを切り上げてやってきた。

「さあ」

 召使いに告げ、部屋に通され、フレーゲル男爵が寝室から出てくるのを待つ。

 三十分ほど待機し、

―― そのセンスが分かりません

 赤地に金の派手なガウンを着て現れたフレーゲル男爵を前にして、フェルナーがそう思ったとしても無理はない。

「貴様ら」

「はい」

「なぜ私に、フリーデリーケのことを知らせなかった!」

「は?」

―― 誰ですか、それは。捨てた女ですか?

 ”いきなりなんだよ”と、フェルナーは欠伸をかみ殺しながら、フレーゲル男爵を見つめる。隣のファーレンハイトは、仕えている年数が長いので、誰なのかすぐに見当がついた。

「フリーデリーケ? ボルネフェルト侯爵令嬢フリーデリーケ・エリザベートのことですか」

―― 侯爵令嬢とか……知るか

 普通に平民として生きてきたフェルナーにとって、侯爵令嬢など未知の世界の住人。

「そうだ!」

「搭乗記録にはありませんでしたが」

 ファーレンハイトもその名があったら、すぐに連絡しているとばかりに言い返す。

「だが先ほど、見かけた」

 先ほどまで寝室にいたのに、どうやって見かけるのか?

―― 寝室に押し入ってきたわけじゃあるまいし

「先ほどって、何時頃ですか?」

 見かけた時間を正確に知りたいと、フェルナーが尋ねる。

「夕食前だ」

―― 夕食前って……夕食が終わってから、何時間経ってると……

 たっぷり三時間かけて夕食を取り、そこから一時間近く話などをして過ごし、寝室に向かって……からの呼び出し。

「ジークリンデさまに気付かれないように、予定通りに過ごしていたら、この時間になってしまったということですね」

「そうだ」

―― 自信満々に答えられても困るんだが

「お休みになる前に教えていただければ、今頃報告できたでしょうが」

「補給で寄港した際に、搭乗したのでは? 途中からの乗客は名簿が上がってくるのに、誤差があるので」

 客船は豪華で、乗客が門閥貴族ともなれば、我慢や節約という言葉はなく、物資の補充も頻繁で、通常の旅客船や戦艦よりも寄港回数は多くなる。

「今日立ち寄った港か?」

 全員フェザーン以外では降りることができない……などということはないので、寄港の都度、乗客の変化はある。

「そうではないかと」

 それらの確認も怠らないが、誤差はどうしようもない。

「調べておけ。そして絶対にジークリンデに近づけるなよ」

「かしこまりました」

「閣下、一つよろしいでしょうか?」

「なんだ?」

「閣下とその侯爵令嬢とのご関係は?」

「私の元婚約者だ」

「あー。乗り換えたんですか?」

「向こうが婚約破棄したがっていた。だから破棄してやった」

 そんな話をしていると、召使いがオレンジマンゴーとカシスのソルベを持ってやってきた。

「男爵夫人からオーダーがありました」

 客船の寝室は邸同様、通路には面しておらず、部屋を通過しなければ行くことができないようになっている。

「持っていけ」

 召使いは部屋の隅を通り、寝室に続くドアの前まで行く。

「待て」

「はい」

「あとはお前たちに任せた」

 フレーゲル男爵は「そのセンスはいかがなものか?」なガウンをひるがえし寝室へ。

 召使いは少し遅れて入り、ソルベを届け、新たな注文を受けて早々に部屋を後にした。

 二人は男爵夫妻専用フロアの一角で、普通の使用人たちよりは、はるかにグレードの高い部屋へと戻り、端末に届いていた名簿を確認した。

「間違いなく、ボルネフェルト侯爵家のフリーデリーケだな……ちっ……」

―― 准将、その忌々しげな舌打ち……

「説明してもらってもいいでしょうか?」

 よほど気にくわない相手なのだろうとは誰でもわかる態度だが、舌打ちに同意できるほどフェルナーはフリーデリーケのことを知らないので、説明を求めた。

 ファーレンハイトはフレーゲル男爵から聞いた話と、国務尚書から聞いたことと、西苑の某側室(栗毛・気の強そうな青い瞳・ジークリンデより四歳年上)から聞いたことを、フェルナーに教えた。

「……と、とあるお方から聞いた」

「なるほど。ボルネフェルト侯爵家の希望と、国務尚書の思惑が一致したわけですね。そして貴族社会の女性って怖いですね」

 フリーデリーケに対する、貴族女性の辛辣な評価は、姉三人に鍛えられたフェルナーでも”なにもそこまで言わないでも”と思わざるを得なかった。

「門閥貴族の子女が怖ろしいことに関しては、俺はなにも聞いていないで通させてもらおう。ボルネフェルト侯と国務尚書の思惑の一致に関しては同意する。だが、なぜ乗り込んできたのか、さっぱり分からん」

「やっぱり貴方が良かった……なんじゃないんですか?」

「ジークリンデさまに勝てると考えるほど、愚かだったのか……」

 端末に映し出されたフリーデリーケに、憐れな生き物を眺めるような眼差しを向ける。

「調べるとしますか。でも貴族の身辺を調べるって面倒ですね」

「そうだな。召使いたちに探ってもらう他に、情報収集が得意な貴族に聞いてみるとしよう」

 豪華客船に単身で乗り込む門閥貴族はいないので ―― 召使いを通して情報を集めるのが、もっとも手早い。

 確実性に関しては、噂話や思い込みがあるので、裏を取る必要はあるが、それらを見極めるのが、彼らの仕事。

 見極めるためには情報が多いほうが良い。

 それも、できるならば、立場が全く違う人物。

「誰ですか?」

「この場合は、ブルーメンタール伯爵」

 フェルナーの問いに、ファーレンハイトは同行者の中で、実務全般を担っている四十半ばの、国務省の有能な官吏の名を挙げた。

「会えるんですか?」

「ブルーメンタール伯爵は国務省の役人だ。ジークリンデさまの身に危険が迫っているかもしれないと言えば、俺たちを拒否することもできないだろう。それに、式典を潰そうとしないとも限らんしな」

 ファーレンハイトは伯爵の秘書に、簡素な文面のメールを送る。

「式典を潰せるほど、気概がある女性なんですか?」

「気概は知らんが、発狂した馬鹿は手に負えんぞ」

「その通りです。それにしても准将、口悪いですね」

「よく言われる……要らぬ仕事が増えそうだ、今のうちに休んでおくか」

 

 只でさえ忙しいのに、これ以上忙しくなるのかと ―― どちらの内心であるのかは不明。

 


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