第101話
親愛なるラインハルト・フォン・ミューゼルへ ――
お久しぶりです
まずは少尉となられたことに祝福を述べさせていただきます。
・
・
・
・
ですが少々驚きました。
ミューゼルは幼年学校では主席でしたので、てっきり帝国軍事大学へと進学されるものだとばかり思っておりましたので。
驚いたと書いておきながらですが、非常にミューゼルらしいとも感じました。
友人として、無理などなさらぬようと書きたかったのですが、任官されてすぐに、惑星カプチェランカの前線基地B3に赴任されると聞きました。
その極寒の地への赴任は、ミューゼルの希望と聞きました。それが本当か嘘かは私には分かりませぬが、体調には気をつけてください。
前線基地では無理をしなくてはならないことも多々ありますでしょうから、前言は私の胸に留めておきます。
手紙とともに、僅かばかりの品をおくらせてもらいました。
前線基地ではなかなか手に入らず、ミューゼルが好きそうなものを選んだつもりです。
ミューゼルの気分転換に少しでも役立てれば幸いです。
任官のお祝いは後日別に贈りますので、楽しみにしていてください。
赤毛の友人ともども、無事に帰還すること、そしてご武運を上げられることを、祈っております。
あなたの友人 フレーゲル男爵夫人 ジークリンデ・ツィタ・フェオドラ より
**********
ラインハルトが初任地の私室に届けられていた、暖かみのあるオレンジ色の手紙に目を通す。
「誰からの手紙かと思ったら」
同室のキルヒアイスが、ベッドの脇に置かれていた郵送箱の差出人を指さした。
「こちらがその品のようですね」
すぐさま蓋を開けると、箱の中には、長期保存用の包装がなされた、チョコレートがぎっしりと詰まっていた。
「ガナッシュに オランジェット、プラリネにロシェ、シェルチョコレートの中身は食べるまでのお楽しみ……か」
チョコレートの上には、詰めたチョコレートの手書きのリスト。
「食べますか? ラインハルトさま」
「そうだな」
ラインハルトは包装を開く。飾り気のない、殺風景な部屋を彩ろるかのように、ふわりとチョコレートの甘く苦い香りが広がった。
封を切ったのはプラリネ。
ヘーゼルナッツの香ばしい香りが、口内に広がる。
そのほどよい甘さに、一口で止められず、包装一つ分を食べきってしまった。
「今日中に食べ切れそうだな」
「ラインハルトさま」
「食べきりはしない。我慢はする……それにしても、俺たちよりも早く手紙と荷物が到着しているとは」
手に付いたチョコレートを舐めとりながら、ラインハルトは自分たちよりも先に部屋に到着していた荷物を不思議にそうに見る。
「私たちに辞令が交付される前に、お聞きになったのでしょう。男爵夫人ならば、簡単に情報は入手できるでしょう」
「そうか……だが、珍しいな。あまりそのようなことは、しないタイプだと思っていたのだが」
「出発前に手配するためではないでしょうか?」
「出発?」
なぜキルヒアイスが知っているのだ? ―― ラインハルトの不思議そうな表情に、思わず笑いをかみ殺しながら、
「ラインハルトさまは、すっかりとお忘れのようですが、フェザーン自治百十周年記念式典ですよ」
「ああ! あれか……夫婦で行くのだったな。男爵夫人は公式の場には、あまり出ていなかったから、今回も出ないものだとばかり」
「それは年齢的な問題からで、十五歳になられるので、やっと国務尚書から許可が下りたそうです」
「そうか。あの男爵夫人も、もう十五か……なんだ? キルヒアイス、その顔は」
「まるで年上のように仰ってますが、私たちも同い年ですよ」
「それにしても、フェザーンか。どんな惑星なのだろうか?」
**********
ラインハルトがジークリンデから、手紙を受け取るよりも前 ――
その日の朝、登庁してすぐに呼び出され”本日付”でフェルナーは、諜報部から男爵夫人の護衛の任へと配属が変わった。
在籍しているときは、一度も入ることがなかった長官の執務室で、辞令を受け取り、くどいほど”うらやましい”と言われ ―― 事務室へと戻ってくると、机に荷物を詰めるための空箱が置かれていた。
フェルナーはその箱に、私物を詰め込む。
職場にそれほど私物はおいていないので、箱は八割程度で収納が完了。
あとは「迎え」が来るまでの間、本日付で移動になったことを、同室の者たちに告げて歩く。
同僚の一人が、フェルナーの配置先を聞き、
「うらやましい限りだ」
先ほどの長官と同じ口調と態度で、フェルナーの移動を羨ましがる。
「軽く経歴を拝見したが、伯爵令嬢で男爵夫人。卿のように貴族ならば上手く立ち回れるかもしれないが、小官のような平民には荷が重すぎる」
生まれや家柄からして、平民のフェルナーとしては、好んで近寄りたくはない存在であった。
「荷の重さなんて、あのお美しさの前には」
目の焦点がズレ、ため息交じりに語る姿は、やや気味が悪かったが ―― のちのち、こんなのばかりを相手にすることになり、慣れきってしまう。
「そんなにお美しいのか?」
―― 長官もそんなこと言っていたな……
「ああ。それは、それはお美しい方だ」
「なぜ卿はそんなにも詳しいのだ?」
情報収集のつもりで尋ねると、その同僚は堰を切ったように話し出した。
この同僚は帝国騎士で、フェルナーよりも三歳ほど年上で、ジークリンデの初めての部下集め(という名の、主要人物捜し)に招待され、落選した人物。
四年も経つと、ジークリンデ主催の夫の部下選びは、かなり有名になっていた。とくに一度招待状が送られ、選ばれなかった場合は、二度と招待状が来ないことで ―― オーベルシュタインとアイゼ「ン」ナッハを捜すための措置だったが、選ばれなかった者たちの落ち込みはかなりのもの。
当然この選ばれなかった同僚も、二度と招待状が送られてくることはなく、以来ジークリンデには直接会えず、その美しさを反芻する日々を過ごしていた。
ジークリンデの美しさを滔々と語り出す同僚に、
―― 見れば分かることだから、美しさ語りはもういいのだが
フェルナーは、実りの少ない情報収集になったと、ため息を吐き出した。
内心で済ませないところが、フェルナーらしい。
これで分かったのは、男爵夫人が美しいことだけ。
「フェルナー少佐。ファーレンハイト准将がおいでです」
それ以外の情報を得るまえに、迎えがやってきて、
「アーダルベルト・フォン・ファーレンハイトだ」
「これはこれは、わざわざ。アントン・フェルナーです」
同僚たちに挨拶をして、私物が入った箱を持ち、元の職場を後にした。
外に出ると、身分不相応な黒塗りの地上車が正面に止められており、
「これに乗るんですか?」
「乗れ」
ファーレンハイトが後部座席のドアを開けた。両手がふさがっているフェルナーは”どうも”と軽く頭を下げて乗り込む。
そしてファーレンハイトも後部座席に乗り込み、ドアを閉めて自動操縦で地上車を発車させた。
「聞きたいことはあるか?」
「特にありません」
「そうか。では、これを読め」
ファーレンハイトが放り投げた端末を受け取る。
画面には「サイオキシン麻薬について」表示されており、
「…………小官は、この調査のために引き抜かれたのですか?」
自分の経歴と照らし合わせて、求められていることを理解した……つもりであった。
「いいや」
「え?」
「もちろん調査はしてもらうが、最重要なのは男爵夫人の身の安全だ」
「分かりました」
「引き継ぎ時間は、充分になるから焦らなくていいが……仕事は多い」
「?」
「あとで説明する。まずはブラウンシュヴァイク公にご挨拶だ」
「なぜブラウンシュヴァイク公に?」
「フレーゲル男爵はブラウンシュヴァイク公の甥だからな」
「それは存じておりますが……」
―― 父親は生きてるはずだが、なんで伯父が……貴族だから? いや、フレーゲル男爵の父親も貴族だよな……よく分からん
まっさきに伯父に会う理由が分からないまま、フェルナーはブラウンシュヴァイク公に引き合わされ、家柄自慢を適当にながし(公には自慢している自覚はない)良いタイミングでアンスバッハが止め、二人は公の前を辞し、廊下においていたフェルナーの私物を持って、敷地内の事務所へと行き、そこに私物を置いてから、直接関係するフレーゲル男爵夫妻の邸へと向かった。
地上車を回してもよかったのだが、途中いろいろと説明しておくこと、説明してもらいたいことがあったので、二人は徒歩で邸へと向かった。
「内務次官は、この敷地内には住んでいませんよね」
諜報部に所属していた関係で、尚書や次官の住所は全て押さえているフェルナーが、フレーゲル男爵の父親の現住所を思い出し首をひねる。
息子は新たな家庭を築いているのだから、別々に住んで居てもおかしくはないが、伯父の敷地に住んでいるので ―― 父親が同敷地内にいてもおかしくはないのでは? と言う意味で。
「次官には内縁の妻がいるから、別のところに住んでいる」
「あー男爵は、母方がブラウンシュヴァイク家の出でしたか?」
「そうだ」
尚書就任前に妻とは死別した侯爵だが、やはりブラウンシュヴァイク公の妻を娶っていた、ブラウンシュヴァイクにつながる息子がいるという事実は大きく、就任の後押しになった。
むろん実力も申し分ないが(実力を買われて女婿に選ばれた、伯爵家の四男)世の中には、実力や才能がある人間は多数いる。
その中で運がなければ、出世はできない。
そういった意味で、フレーゲル男爵の父親は運があった。そして賢いので、ブラウンシュヴァイク公爵家の財産を自分や内縁の妻に使うことなく、その影響力をもらい受けていた。
「内務次官はフレーゲル侯爵、いまこれから会う息子はフレーゲル男爵」
「どうしてそうなっているのか、よく分からないのですが」
「ブラウンシュヴァイク公の妹君は、フレーゲル侯爵夫人の爵位を授かり、現内務次官はその妹君の婿養子となり、フレーゲル侯爵となった。この侯爵は、厳密には侯爵ではないようだが一般的に侯爵と呼ばれる」
「ほー」
「フレーゲル侯爵夫人が領地を持っており、夫には権利はない」
「まあ、そうなりますよね」
「領地を相続していた母親が死亡したため、フレーゲル領は一人息子に引き継がれその際男爵位を、夫のほうは侯爵位を残してやった……そうだ」
領地はブラウンシュヴァイク公爵家の血を、確実に引いている息子に引き継がれた。貴族の財産分与としては珍しくもない。
「領主は男爵閣下なんですね」
婿養子であった夫が再婚し、子供ができたとしても、そちらはブラウンシュヴァイク家の財産には一切関与できないようにする措置。
「そうだ。男爵が三十歳になったら、侯爵の地位を譲るような話になっていたが、男爵はブラウンシュヴァイク公爵を継ぐことになりそうだから、内務次官は終生侯爵位を、もらったままだろう」
「伯爵令嬢が男爵夫人ってのが不思議だったんですが、そういうことだったんですね」
門閥貴族の結婚は、爵位が同格同士が多く、あまり離れた爵位が結びつくことはない。
「実質、侯爵令嬢のようなものだから、格の上ではほぼ同じだ」
「母親が侯爵令嬢?」
「そうだ。もともと侯爵家の跡取りを得るべく、伯爵家に嫁がせたそうだ」
「なんですか? それは」
「あとで説明する。男爵邸が見えてきた」
男爵夫妻の邸は、赤煉瓦と大理石の二階建て。宮殿といっても差し支えのない豪華さと広さを兼ね備えた邸 ―― の、裏側に二人はいた。
「裏口といっても、立派ですよね」
「まあな」
冷蔵庫前の通路を進み、使用人の食堂脇を通り、主たちが生活している、大理石に囲まれた部分に足を踏み入れる。
飾られた絵画に、大理石の彫像。廊下には大きな花瓶に、溢れかえらんばかりの花。
天井にも描かれた壮大な絵。豪華なシャンデリア。
―― いかにも貴族のお屋敷だな
磨かれた曇りのない窓から明かりが差し込む廊下を進み、白地に金で模様が描かれた扉をファーレンハイトが開く。
「連れてきました」
「入れ」
一礼して部屋に入ると、フレーゲル男爵。
「お前がアントン・フェルナーか」
「はい」
フェルナーは男爵夫人は見たことはないが、男爵の顔は知っていた。
さきほどブラウンシュヴァイク公から聞かされたのと、ほぼ同じ話を聞かされ ――
「そろそろ、お出かけの時間です」
あらぬ方向を見て話を一切聞いていなかったファーレンハイトが、さきほどのアンスバッハのように合いの手を入れて話を切る。
―― さっきと同じところで切れたな……聞きたくないけど、続きが気になるな
続きを聞いてみたいような気持ちになったフェルナーだが、もちろん気持ちだけである。
「ジークリンデを」
「はい」
ここでやっとフェルナーの職務の対象である、ジークリンデが呼ばれた。
廊下ではなく、隣の部屋に面しているドアをノックし、ファーレンハイトが隣室へと消える。そしてすぐに、手を引かれてジークリンデがやってきた。
「アントン・フェルナーですね」
まとめた長い黒髪を淡水パールのボンネットで飾り、カメオローズ地のパフスリーブドレス。デザインはクラシカルで、腰の部分に大きなリボンが結ばれている。
胸元はスクエアに開いており、首には金細工のチョーカー。
気合いを入れておしゃれをしてきたジークリンデを前に、フェルナーは言葉を失った。
「…………」
「不貞不貞しい男が、驚きで言葉を失う姿は、いつ見ても面白い」
「よいご趣味ですね、レオンハルトさま」
こうなることは予想できていたし、楽しみにしていたフレーゲル男爵は喜ぶ。
彼は自分の妻の美しさに見惚れて、呆然とする姿を見るのが大好きな男である ――
ジークリンデはフェルナーに近づき、
「フレーゲル男爵夫人ジークリンデよ」
名乗るのだが、フェルナーは無反応。
「……」
「どうしたの? フェルナー……ファーレンハイト、フェルナーが目を開けたまま気を失ってるみたいんですけど」
話し掛けても反応が返ってこないのを心配して、ファーレンハイトに助けを求めたが、
「ご安心ください。きわめて正常な反応ですので」
銀髪の下級貴族も男爵と似たり寄ったりで、その反応を楽しんでいた。
驚きで硬直したフェルナーのことはファーレンハイトに任せ、ジークリンデは出かけるフレーゲル男爵を見送りに玄関へ。
室内に誰もいなくなったところで、ファーレンハイトは側頭部に容赦ない平手打ちを食らわせた。
「現実に戻ってきたか?」
「……なんとか。ご迷惑をおかけしました」
数歩よろめき、フェルナーはポンコツ家電よろしく復活した。
復活はしたものの、まだ”ぼー”としているフェルナーのところへ、男爵を見送り戻ってきたジークリンデは、靴や洋服の職人たちを連れて戻ってきた。
「フェザーンに、軍人ではない形で同行してもらうので。貴族の従者っぽい格好してもらいますから」
「はあ」
採寸が終わると、仕立てに使う布を持ってこさせ、フェルナーに生地を選ばせた。
「好きな生地を選んで」
「はあ……」
―― いきなり選べといわれても……ありがたく選ばせてもらおうか
こうして一通り仕着せの準備を終えると、休む間もなく、
「では大伯父上のところへ行きましょうか」
「かしこまりました」
国務尚書に挨拶をさせるべく、ジークリンデは二人を連れて邸を出た。
車中では麻薬に関する話をし ――
「大伯父上。昼食のお招き、ありがとうございます。楽しみにして参りました」
国家の重鎮である国務尚書の元へ。
抜け目のない眼差しを持つ、痩せぎす老人を前にしてフェルナーは、
「そうか。して、それがアントン・フェルナーか」
―― 男爵夫人はたしか、姪の娘と聞いていたが……姪は養女か?
血のつながりはないのでは? と、かなり真剣に考えていた。
「はい。大伯父上に会わせたく、連れて参りました」
「……ふん。まあ良かろう」
好意的とはほど遠い、露骨に品定めをする視線を浴びる。心地は悪いが、止めてくださいと言うわけにもいかない。
上から下までフェルナーを見た国務尚書は立ち上がり、
「別室で待機していろ。ジークリンデ、いくぞ」
「あとはよろしくね、ファーレンハイト」
「ごゆっくりとお楽しみください」
ジークリンデを連れて昼食へと向かった。