黒絹の皇妃   作:朱緒

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第10話

 帝国において女性が成人と認められるには、二種類のうちどちらかの儀式を通過する必要がある。

 一つは社交界デビュー。そしてもう一つが結婚。

 社交界に出るのに相応しい年齢というものがあり、それは概ね十六歳とされている。

「あと五年、待てなかったと」

「待てるはずなかろう」

 十一歳のジークリンデをすぐに大人の一員とするためには、結婚させるしか道がなかった

「陛下の御身に危険が迫っているのですね」

 新無憂宮にて行動の自由を得るには、役職付きでなくてはならない。女性の場合は女官で、その地位に就く絶対条件が成人していること ――

「そうだ」

「お聞かせください、国務尚書閣下」

「心して聞け、フレーゲル男爵夫人。先日陛下が体調不良をうったえられ、血液検査の結果、違法薬物が検出された」

「陛下を亡き者にしようとしている者がいると」

「言葉にするのも悍ましいが、その通りだ」

「話を続けてください」

「徹底した調査の結果、薬物の摂取経路が判明した」

「ミューゼル殿の手料理かなにかですか?」

「なぜ分かった?」

 アンネローゼが料理好きであるということは、この時点ではあまり知られていない。アンネローゼはフリードリヒ四世に寵愛されども、ひっそりと、息を殺すかのように暮らしている。

「毒を盛られた場所が新無憂宮という条件から推察しました。国務尚書が簡単に手出しできない相手となれば、限られてきますからね」

 ジークリンデは「読んだ知識」で、それを知っており ―― リヒテンラーデ侯に問われ焦ったものの、なんとかやり過ごした。

「寵姫ミューゼルが作った菓子、それも材料に混入されておった」

「ミューゼル殿はお菓子作りがお好きで?」

「かなり好きだそうだ。実は、陛下は約一年ほど前から体調を崩し気味でいらっしゃる」

「ミューゼル殿を寵姫として迎えてから……と言う意味で捉えてよろしいのでしょうか?」

「よい」

 彼女は「一年前から体調を崩している」と聞かされて驚いたが、ここは原作にも存在するくだり。彼女が記憶していなかっただけのこと。

「摂取経路はよろしいのですが、薬物の入手経路は?」

 薬物が混入した材料が寵姫の手に渡るとは考えにくい。

「寵姫ミューゼルには弟がいる」

 

―― ついに出てきたな! ラインハルト!

 

「…………聞いたことはあります」

 存在は知っていたが、今まで名を聞くことがなかったラインハルト。その登場に彼女の心は理由もなく逸った。

「幼年学校に通っておる」

「ミューゼル殿に似て……いるのですか?」

 ラインハルトとアンネローゼは希有な美形だが、そっくりというわけではない。

「これが寵姫ミューゼルとその弟だ」

 リヒテンラーデ侯は手元の端末を操作し、アンネローゼと一緒に映っている立体映像を彼女に見せた。二人が綺麗だとは知っている彼女だが、それでも美しさには驚かざるを得なかった。

「お美しいご姉弟で。ですが幼年学校の生徒と寵姫では住む世界が違います」

 二人が赤毛の幼馴染み込みで、特別に会うことを許されていることを彼女は知っているが、ここは慎重に”会えないはずです”と、知らぬふりをする。

「陛下が寵姫ミューゼルと弟の特別面会を許可するよう命じられた」

「私と同い年の幼年学校に通っている弟君が、後宮に持ち込んだと? 毒をどこで調達するのですか?」

 ラインハルトはフリードリヒ四世を殺したいと願っていることは、彼女もよく知っているが、同時にアンネローゼに手を汚させるような真似は絶対にしないと言いきることができる。

「幼年学校で」

「幼年学校で薬物を取り扱っているとは。私、寡聞にして存じませんでした」

「サイオキシン麻薬だ」

―― 地球教徒が絡んでいる? のかな? 禿?

 彼女はサイオキシン麻薬に関しては詳しく覚えていない。記憶にあるのは非常に危険であり、原作では「ルドルフ・フォン・ゴールデンバウム」と肩を並べる二大害悪として君臨していたことくらい。

「陛下に盛られたのも?」

「そうだ。かなり薄められておるがな」

「麻薬中毒だとは思ってもいなかったので、いままで専用の検査をしていなかった……ということですね」

「検査毎に陛下の血を抜くわけにはいかぬからな」

 だが皇帝を神聖不可侵と崇める帝国では、皇帝の血液検査など頻繁に行われない。それと薬物検査は薬物を摂取しているという前提で、専用の検査を行う必要があり、通常の血液検査項目には含まれていない。

「でも抜いて調べたのですね」

「そうだ」

「治療可能な範囲なのですか?」

「一応は」

 彼女はリヒテンラーデ侯の皺が刻まれた顔をまじまじと見つめ、

「国務尚書閣下は、私に黒幕の共犯者を見つけ出せとおっしゃるのですね?」

 殊更軽い口調気取って、自分の仕事を言い当てる。

「一を聞いて十を知るとはお前のことだな、男爵夫人」

「黒幕はルートヴィヒ殿下ですね」

「その通り」

 フリードリヒ四世が死んで最も得をするのが皇太子ルートヴィヒ。

 体の弱い彼が、即位を望むあまり父フリードリヒ四世を殺害しようとするのは ―― 銀河帝国では珍しいことではない。

 

―― 原作を知っているというアドバンテージが、これほど役に立たない場面で重用されるとは考えてもみなかった。ラインハルトに処分される前に、ここで死にそうなんだけど……どうしよう。

 

 記憶にあるラインハルトの戦略も、ヤン・ウェンリーの知謀も、オーベルシュタインの冷徹さも、トリューニヒトの煽動も、ルビンスキーの策謀も、いまの彼女には何ら光明をもたらさない。

 だが引く訳にもいかない。

 この世界が「銀河英雄伝説」である以上、どちらかの世界の主役、彼女が居る世界ではラインハルトに味方しない限り生き残る術はないと彼女は考えていた

 

 ヤン・ウェンリーはどちらかというと、味方になったら戦場外での死亡率が跳ね上がりそうなので近づきたくはないと ―― もちろん彼女は同盟に生まれていたら、ヤン・ウェンリーの元へと馳せ参じるが。

 

 とにかく彼女は、原作の主役や主要キャラクターを尊重する生き方を選んでいた。それが原作を読んだ者の最低限の礼儀であり、礼節であり、常識であろうと ―― そのままな某アンドリュー・フォークなどと対面したら、どうするか悩む所ではあるのだが。

 

「国務尚書。まずは確認いたしますが、閣下の最終的なお考えは? 何ごともなかったかのように誤魔化し、ルートヴィヒ殿下を即位させる。それともルートヴィヒ殿下は病死なさるのですか?」

「共犯者が処刑されたら、病に倒れられるであろう」

「わかりました。次に、このことを知っているのは閣下の他には?」

「数名」

「不確かな答えは求めておりません。明確に名を教えてください」

「分かった」

 リヒテンラーデ侯は書類に残すことは許可せず、口頭ですべて記憶せよと ―― それに関し、彼女も異論はなかった。下手な証拠は、どこまでも連座の範囲を広げる。

「ブラウンシュヴァイク公は全面的に協力していますが、公が協力した理由は?」

「リッテンハイム侯の娘サビーネは、エリザベートと違い、子供が産める。皇太子と結婚し、皇后にもなれる。ブラウンシュヴァイク公としては避けたい」

「サビーネ嬢が即位する可能性は?」

「ゴールデンバウム王朝で女帝は存在しておらぬ。リッテンハイム侯がどれほど努力しようが、女帝は認められまい」

「ルドルフ大帝のご息女、カタリナ殿下が即位していなかったことを嘆いておられるでしょうね」

「そうだな」

 

 では誰が継ぐのだろう? 彼女は思ったが、あまり自分には関係のないことだと、すぐに頭を切り換えた。

 

「共犯者について、国務尚書に心辺りは?」

「ないから困っておるのだ」

 リヒテンラーデ侯もアンネローゼがフリードリヒ四世に毒を盛ったとは考えていない。知らずのうちに盛らされた ―― と考えるのが妥当であろうと判断していた。

「ミューゼル殿を恨んでいる方に心辺りは?」

「下級貴族から寵姫となったのだ。恨まれてはいるであろう」

「そういう意味ではありません」

「では、どういう意味だ? ジークリンデ」

「陛下の寵姫に罪を被せる。それがどれほど危険なことか、分からない者などいないでしょう」

「そうだな」

「私がお聞きしているのは、寵姫になるよりも前にミューゼル殿が買った恨みについてです」

「個人としてか。事前調査では恨みを買ってはいないようであったが」

 彼女は首を振り、極上の翡翠色の瞳を、黒髪の下から上目遣いにしてリヒテンラーデ侯をみつめ、計算されたかのような角度で口角を上げ、人が見惚れるような口元を作る。

「美しいというだけで、不条理なまでに恨まれますよ。私のように」

「それはあるな」

 さきほどまで”それ”を説明していたリヒテンラーデ侯は納得し、目の前にいる姪の娘が自分の想像通りであることに満足もしていた。

「他にもミューゼル殿ではなく、弟君を恨んでいる者という線も考えられます」

 帝国の罪は連座制。

 皇帝を弑逆しようとした罪は、真実を明かにせねば、確実にミューゼル家を滅亡させる。

「生意気で敵を作りやすい性格をしているそうだ」

「なまい……寵姫の弟君ですので、聞かなかったことにしておきます。性格もそうですが、この美しさです。過去に同性に求められて拒否した……ということも考えられます」

 帝国は同性愛はかたく禁じられており、この手の噂が立てられると、破滅してしまう者が大多数。

「身辺調査ではそのようなことは上がってこなかったが」

 敵を排除するのに、最適であり最悪の噂。

「迫った方が貴族でしたら、焦っているでしょうね」

 


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