第1話
ブラウンシュヴァイク邸前 ――
「本当はこんなパーティー、参加したくはない」
ラインハルト・フォン・ミューゼル大将は、小声で腹心のジークフリード・キルヒアイスに不満をもらした。
「ラインハルトさま」
主催会場の目の前でそんなことを言うラインハルトに、キルヒアイスはいつもラインハルトの我が儘を聞くときの少々困ったような表情で諫める。
「分かっている……陛下も臨席なさるそうだから……姉上と会えるのは嬉しいが……」
ラインハルトの姉アンネローゼは皇帝の寵妃の「一人」
姉弟共々、けぶるような黄金の髪は王冠のようであり、白磁のような肌は息を飲むほど。容姿の一つ一つが神の彫刻ともうたわれるほどである。
「ジークリンデさまがいらっしゃるのは、仕方ないことです」
「分かっているさ……行って来る」
ラインハルトは口元を固く結び、キルヒアイスに背を向けて受け付けへと大股で進んでいった。キルヒアイスはその背中に不服を見てとったが、あえて知らない素振りをし、会場内へと消えるまで見送り、駐車場へと引き返した。
車中で仕事を――考えていたキルヒアイスであったが、
「ファーレンハイト少将」
顔見知りの少将を見つけ声をかけた。
キルヒアイスに声をかけられた「貴族とは名ばかり」と公言してはばからない、若い――とはいっても、二十歳になったばかりのラインハルトやキルヒアイスよりも十一歳年上だが――少将に、キルヒアイスは悪い感情を抱いてはいなかった。
「キルヒアイス大佐……卿はミューゼル大将の送迎で?」
長身のキルヒアイスよりやや背は低くやせ気味なファーレンハイトだが、軍人としての風格は同程度、いやキルヒアイスよりも上である。
「はい。ファーレンハイト少将はジークリンデさまのお供でいらっしゃいますか?」
「そうだ」
ファーレンハイトはここ十年、とある淑女に仕えている。その女性こそがジークリンデ。さきほどラインハルトが会いたくないと零した相手。
「グリューネワルト伯爵夫人もお会いできることを喜んでいらっしゃいました」
決して彼女のことを嫌っているのではない。
彼女に興味を持っている ―― ラインハルトが自覚したのは最近のことだが。
「ベーネミュンデ侯爵夫人もだ。ご本人は陛下より拝領したパパラチアサファイアのネックレスを前に、ドレスをどうしようかと悩みすぎ、欠席したかったようだが」
「陛下は伯爵夫人と侯爵夫人を伴い、ジークリンデさまにお会いするのがお好きだとか」
「ああ。とても楽しまれていらっしゃる。二人が仲良いのはジークリンデさまの努力のたまものだからな」
グリューネワルト伯爵夫人とベーネミュンデ侯爵夫人。両者は皇帝の寵愛を競う寵姫だが、第三者の悪意により片方は憎しみを募らせ、片方はあわや弑逆の罪を被せられそうになっていたところを――
「あの方をフレーゲル男爵夫人として後宮に配置してくださった、国務尚書には頭が下がるばかりです」
「だな」
二人の会話は爆音によってかき消された ―― 世に言うクロプシュトック事件。この惨劇により、ブラウンシュヴァイク公の甥、レオンハルト・フォン・フレーゲルは死亡し、二十歳のジークリンデは未亡人となった。