雨の止まぬ日々が続いた。
気分が優れない昼下がり、日課を終えた痩せこけた白髪の男が宙をぼんやりと眺める。
無期懲役。
宣告を言い渡されてもうすぐ十年が経とうとしていた。
世界を混乱に陥れるつもりはなかった、愛した人にもう一度会いたかっただけだった。
軽はずみな行動から禁術に触れ、世界を滅ぼす一歩手前だったそうな。
もちろん、表向きの罪状は違うものだ。
というよりも、そんな突飛な話を頭の固い警察公務員が信じるなんてとても思えない。
オカルトに近づきすぎたというのには間違いではない。
無関係多勢を巻き込んだ危険人物、
──あるとすれば
あの時受け取った直筆の手紙が彼を現世に残り続ける唯一つの理由と言える。
もう、いいだろうか。
何度、自死しようとしたか数えるだけキリがない。
その度に彼女が止めるような気がしてるのだ。
重すぎる愛は呪いとも言われるが、彼自信の真面目な性格が自らを縛り付けて呪いへと変えてしまっているとも言える。
ある日のことである。
須川雨竜に面会希望の人物が訪れた。
会った覚えのない大男であった、顔はよく見えないがどこか窶れて坊主頭であることは確認できた。
※
今から二百年ほど前のことである。
四代目閻魔大王ゴクヤマの閻魔業が軌道に乗り、先代が本格的に関わりを持ち始めなくなり、心の荷がなくなってわっしょい状態の彼の頬は緩んでた。
「情けねぇ面してんじゃねぇよ、ゴク。シャキッとしねぇと示しがつかねぇぞ」
「小姑か、お前さんは」
「俺の子供がお前みたいな奴連れてきたら、そうなるだろうな」
「そもそも子供いねぇだろ、ギン」
「例え話だっての真面目ちゃんめ」
やれやれ、といった様子でギンと呼ばれた一つ角の鬼は読んでいた書物を閉じる。
「それで、従業員寮ってのは結局どうなったんだ?」
「今申請中、うまくいけば天地の裁判所の隣接した土地に設置できる」
「全く、人間ってのはよくそういうの思い付くよな。そういう話をしっかり聞いて取り入れるのもゴクらしいけどよ」
「時間ロスが減るだけいいことだろ、ギンはともかくベンガディランの連中はここまで来るまで一苦労だ」
「おいこらそいつはどういう意味だ?」
「実力を認めてるってことだ」
「そういうことにしといてやるよ」
銀砂含む、天地の裁判所で働く者達の大半が『鬼』と呼ばれる種族である。
怪力乱神、実力主義の社会性なのだが、一部に限り平均よりも非力な者達もいる。
混血やらの種族の枝分かれで色々な説はあるが、詳しいことまではわかっていない。
閑話休題。
「ゴクの打ち出した案はそうそう無下にされないでしょ、今までだってそうだし」
「わからんだろ」
「わかるよ、この
「……弱いなぁ」
「そこは嘘でも礼を言っとけよ」
「いやぁ、礼を強要してんじゃねぇよ。まだ、隗童に言われた方が説得力あるわ」
「側近と比べてんじゃねぇ」
哉繰銀砂はゴクヤマの部屋に訪れては、話をしていくという昔馴染みである。
ひょんなことからつるむことの多い、いわゆる腐れ縁である。
「ったく、あいつよりも俺の方が側近しっかりやるってのに」
「赤夜はここに必要なんだ」
「だからって、役職与えて縛るって考えもどうかと思うけどね。それも、閻魔大王補佐官としてなんて、二人しか選べねぇんだぞ?」
「ギンとは対等でいたいんだ、上下関係を持ちたくねぇ」
「……重、プレッシャー重!!」
「ありがたく受け取っとけ」
「いらねぇよ、まだ借金するほうがマシだ!」
「なら、寮申請通らなかったらギンの金で土地と寮建設を無理矢理やるかな」
「冗談だっての、この鬼!」
「鬼はお前だろ」
後日、無事に寮申請が通り天地の裁判所のお膝元に建設されることになった。
天地の裁判所従業員寮制度開始の瞬間である。
※
「閻魔大王様。ゼレベムの者達が反旗を、従業員寮建設反対派として動きを見せてます」
「主張を聞こう」
「四六時中監視され必要なときに奴隷のように駆り出す閻魔の元に付けない、と果てしなくずれた論点による主張ですな」
「……言い当てて妙なところはあるが、なるほど。そういう考えの者もいるのか」
「ちョいちョいゴクヤマサン?何納得しかけてんの?」
制度に賛成の意見があれば、当然反対の意見も存在する。
「ま、今更反対されても建設は止まらんし制度は必要に応じて変えればいいか」
「黙らせばいいんじャねェの?任せてもらえれば、一発だ」
「お前のそれは冗談にならんからやめてくれ」
「ちッ」
「なら、対話でもするのか」
「ギン」
「それこそ甘ちゃんだぜ、連中かなり血気盛んだし押し通せばイチャモンつけてくるのだって見えてる」
「おい、貴様は何故我が物顔でここにいて閻魔大王様と謁見してるんだ?」
「そういうのはいいよ、真面目ちゃん二号。俺はゴクに足りないのはそういうところだと思うし、必要なとこだと思ってるよ」
余談ではあるが、この時代は五代目閻魔大王が就任する頃に比べてかなり治安が悪い。
最たる理由としては、先代閻魔大王の愚行というかちゃらんぽらんな状態が続いていたために二代目閻魔大王の時代から何一つ進展がないに等しい状態なのだ。
つまるところ完全実力社会、暴力こそが正義なのだ。
「浄玻璃鏡で現地見てみなって、やばいから」
「……閻魔様、部下より追加の伝令です」
隗童が眉を抑え、腹部を抱える。キリキリという効果音が聞こえてきた気がした。
「──奴ら、死神を人質に百鬼夜行大戦を要求してきました」
「……どうするゴクヤマサン、こりャ宣戦布告だぜ」
想像以上に事態は急を要するようだ。
銀砂の表情もどこか固い。
「──戦士達を集める、百鬼夜行大戦を受け入れ人質を救出する」
百鬼夜行大戦。
暴力が正義の鬼達にとっての唯一の秩序であり、大混戦である。
寮陣営、合わせ百を越える鬼が命を削り合う合戦である。
さて、ここでおさらいしておこう。
死神達にとってゴクヤマは救世主のような存在である。
現世において不条理な生が続くものたちを来世へと導く役割を与えられ、件の百鬼夜行大戦では一族が救われたといっても過言ではない。
そして、出会うことになった。
「ゴクヤマ様……」
「また来たのか、ライラ」
ライラ・ストライカー。
これより十年後、二人は愛の契りを交わすことになるのだ。
※
「よ、ゴク。新婚生活どうだ?」
「茶化すなよ」
「茶化したくなるに決まってんだろが、このこの」
銀砂にうざ絡みされることが増えた。
「……ありがとな、背中押してくれて」
「気にすんなって、友達だろ?」
色恋事情に疎いゴクヤマにあれやこれやと、根回し気回し猿回しをして十年。
銀砂の陰ながらの支えもあり、跡継ぎ問題も解決であれやこれやと言われることも減ってきたのがゴクヤマの心労を減らしていた。
「そうだ、これを預けとくわ。ていうか結婚祝いとして受け取ってくれ」
「……天下五剣の一振を祝い物で渡すのはお前くらいだろ」
「鬼丸国綱だ、俺のコレクションの中でも年季ものだ。使うも飾るも自由さ、俺には使えなかった」
「使わなかったのはわかるが、使えなかったってのは?」
「色々あったんだ。まぁ、いずれわかるさ」
そうそう、と銀砂は思い出したかのように話題を変えた。
「しばらく長期の遠征だから、開けるわ」
「珍しいな」
「ちょいとな。まぁ、閻魔大王様は偉そうに待ってればいいよ」
「全く、報告書まで書くのが仕事だからな、口頭で伝えても意味ないんだぜ?」
「わかってねぇなぁ、口頭で伝えるからこそ意味のある仕事だってあるだろうがよ」
二人はいつものように軽口を叩き合う。
「閻魔様!」
「なんだ?」
「それが、急ぎお伝えしたく──」
「おっと、それなら俺はお暇だな。土産は期待すんなよ、ゴク」
「一言多いわ」
公私混同、銀砂に贈呈したい四字熟語である。
「で、急ぎだったな」
「は、はい!実は──」
※
ライラの妊娠、出産。
その影響を受け、ライラの両親もハッスルし彼女の弟を身籠ったそうな。
「お父さん、お母さんまで……」
当の娘としては複雑な心境であること間違いなかった。
義理の息子としても大変複雑な心境である。
「ヤマシロ、どんどん大きくなるわね」
「子供は成長するもんだ」
またまた余談ではあるが、彼らの成長観は人間と少し異なっている。
その気になれば千年近く生きれる者達にとって、成長する時期の緩急が激しい。
子供の時期が百年ほどに対して、老いるまでの時間が七百年以上に及ぶ。
それまでの間は目に見えた成長が少ないため、子供の成長というものが時間感覚で言うと人間よりも早く感じられる傾向にあるのだ。
「あぅ、あー」
「ふふ、かわいい」
満たされた時間である。
ライラの弟、ゼストも誕生したが、ここで大きな問題が発生した。
「ゼストが、一週間も生きられない……?」
脳の欠損障害。
全体でなく一部であるが、補うための血液が幼児の身体ではとても足りないのだ。
「そん、な」
「ライラ……」
高齢出産。
懸念されていたことではあったが、順調ではあった。
問題なかったはずだったが、ここで起きてしまった。
「──ライラ様」
ドクターが覚悟を決めた表情を浮かべる。
「そして、ゴクヤマ様。ゼスト様が助かる方法が、一つあります」
「……本当に?」
「……ですが──」
「なんだ?」
「ご子息、ヤマシロ様のことも考えますと、かなり危険な賭けでございます」
「………まさか!?」
いち早く気づいたのは、ライラである。
「ヤマシロ様の脳の一部を、ゼスト様に移植することで──」
「正気か……?」
言葉を遮ったのはゴクヤマである。
「時間もありませんので簡潔にお伝えします。成長しきってしまった方の脳ではゼスト様の負担となる確率が高くなるため我々ではダメです、産まれて一年以内の幼児のものでないと助かる見込みはありません」
ドクターは言葉を続ける。
「次期閻魔大王であるヤマシロ様にも、何かしらの影響も考えられます。提案、そのものが心苦しいのですが、これは──」
「わかりました」
次に言葉を遮ったのはライラである。
「私は、私たちは希望と貴方に掛けます」
「……ライラ?」
「ですが、やるからには100%、息子と弟と、無事に会わせてください」
「──我が、使命に掛けて、必ずッッ!」
※
その日から、ゴクヤマとライラの会話は少なくなった。
手術は無事に成功、幼い二人は一命を取り留めた。
本来なら喜ぶところなのだが、ゴクヤマは閻魔室で一人書類作業に明け暮れる日々が日に日に増えてきていた。
これまでの提案、制度等の関連事項、記載による保管、細かな内容の皺寄せが一気に来たのである。
補佐に頼らず一念発起。
いつも訪れる親友は遠征中である。
──こういう時、ギンならどうするだろうか。
人付き合いが得意な彼のことを考える。
不意に扉がノックされる。
「……いいぞ」
「失礼します、閻魔様」
淡い期待をしてしまったが、即座に否定することになった。
そもそも銀砂はノックをしない。
「お伝えします、遠征に向かった哉繰銀砂殿ですが──」
そこからのことをゴクヤマ自身あまり覚えていなかった。
※
死。
自分自身に向けられるものよりも、誰かに向けられるものの方が遥かに鋭い。
哉繰銀砂は遠征と称し、反閻魔大王勢力の最たる過激派の所へ一人で向かったそうだ。
友人の支えになりたい、補佐として選ばれなかった自分にできること。
それは各地に赴き、不穏分子の火種を消すことである。
『土産は期待すんなよ、ゴク』
「……せめて、帰ってこいよ馬鹿野郎が」
墓前で呟いた言葉は誰が返すまでもなく、虚空に紛れる。
話したいことがたくさんあった。
ヤマシロが大きくなったこと、隗童の娘に殴られたこと、ライラと話す回数が減って相談もしたかった。
「ゴクヤマ様、その」
ヤマシロを抱くライラは何か言いたげだ。
無理もない、こういうときにどういう言葉を投げ掛けるかは迷ってしまう。
「私は、信じてます」
言葉の真意はわからない。
頷きで返すことしかできなかった。
ゴクヤマは決意した。
甘かった自分が招いた結末ならば、もう起こらぬように徹底すればいい。
ライラのことは、何がなんでも守り通すと。
その日のことである。
地獄のある集落に無数の雷光が降り注いだという、その稲妻は五百年後まで降り続けており、その日を境に雷雲が地獄で発生するようになったそうだ。
真相を知るものはいない。
※
ゴクヤマとライラの間に第二子であるヤマクロが誕生した三年後、ライラが急逝した。
彼の腕の中に彼女の亡骸が包み込まれる。
死因は瘴気を浴びすぎたことによるもの、第二子ヤマクロの発する高濃度の瘴気によるもの。
自らの息子を妖刀村正、鬼子母神の金棒、大鎌ミァスマで三結封印で地獄の僻地に封印した。
元々ライラと愛を確かめるために過ごした一夜でたまたま誕生してしまった子である。
閻魔の基本は一子相伝、子供も一人しか産んではならないという一族の掟もある。
ゴクヤマにとって、ヤマクロの封印は痛くも痒くもないものであった。
※
悪夢を見るようになった。
食事をする夢だ、黒い靄をひたすらに食べて、食べて、取り込んで、身体が朽ち果てていくような、そんな感覚。
ドクン、ドクン、と心臓が波打つ衝撃で朽ちた肉体が吹き飛んでいく。
ゴクヤマは逃げるように仕事に打ち込んだ。
全ては正しき秩序のために。
秩序を正せば、人は間違わない、幸せに暮らしていける。
秩序を正せば、命の天秤を秤にかけることはない、生殺与奪を放棄できる。
彼の仕事ぶりに憧れるものと付いていけない者で別れた。
日に日に自分を追い詰めているようにも見えるゴクヤマに補佐官である隗童の口数が増え段々と砕けてきた。
「閻魔様、一度休憩したほうが」
「問題ない」
精神が磨耗する。
「次に行くぞ」
もう一人の補佐官平欺赤夜はそんな彼を見てられず、長い眠り、冬眠のようなものに入った。
「なんで俺が地獄なんだ!?納得できねぇ、責任者出せ!」
「正当防衛だったのに、これまでの善行は見てくださらなかったの、神様っていないの?」
「ふざけんな!!儂はまだまだ生きる、死んでなんかありゃせんぞ!」
「てめぇなんぞに、決められて堪るか!第一だな──!」
「e-z%org!7boz22p──」
何故、人間には来世という第二の世界がある?
何故、我らには一度しかチャンスが与えられない?
何故、ギンは、ライラは死んだのに、こいつらは一度死んでも来世で永遠に近く暮らせる?
何故、人間というのはここまで浅はかで傲慢なのか。
天国なんていらないのではないか、そう思えた矢先のことであった。
そんな日々が五十年近く続き、浄玻璃鏡にて現世である女性を見つけた。
美原千代。
魂の本質を肉眼で視認できるゴクヤマにはわかった、彼女はライラ・ストライカーの生まれ変わりだと。
そして、彼女を来世へと導く手立ても揃った。
そして──
※
面会時間は終わった。
坊主頭の大男は、
須川雨竜は懺悔に対して、悔悛を返した。
これまでのこと、これからのこと、この十年のこと。
吐き出して、少しスッキリした気分である。
雨はいつの間にか止んでいた。
浮き雲に隠れた満月が世界を監視するかのように見下ろしている。
大男の言った最後の言葉を頭の中で反芻する
『俺の愛する人にはもう会えない、お前さんは会うチャンスが残されている。もう、間違えるんじゃねぇぞ、今世も来世も、一度きりだ』
面会中、何度か雷鳴が轟いた気がした。
須川雨竜はこの世界で生き続ける、愛する人と会えない距離でも少しずつ近づいていると信じて──
感想、評価、批評、罵倒、その他諸々お待ちしてます(^^)
並びに長い間作品を拝読いただきありがとうございます!
今後とも、よろしくお願い致します!