騎士と魔女と御伽之話   作:十握剣

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第17話「結・騎士とメイド」

「おつう!」

 

ガウェインは糸が切れたように倒れそうになった鶴ヶ谷を見事に抱き押さえた。

 

「おっ、おつう先輩!?」

 

「大丈夫かっ!?」

 

「どどどどどどうしたんっスかっ!」

 

ガウェインの腕の中で力なく項垂れている鶴ヶ谷に後輩の赤井林檎、大神涼子、森野亮士が慌てながらその場に集まる。

 

そして同時にガウェインはマジョーリカに目配せを送れば、後輩達を掻き分けて鶴ヶ谷の顔をマジョーリカが確かめると、

 

「気を失ってるヨー」

 

「・・・身体が少し暑い感じがする」

 

マジョーリカはそのまま鶴ヶ谷の額に掌を添える。

 

「・・・・すごい熱だヨー」

 

マジョーリカの言葉にパニックになる大神と亮士、だがそんな大神たちに雪女(ゆきめ)が一喝する。

 

「落ち着け!!」

 

雪女の声にハッ! とパニック状態になっている事を自覚させられた大神と亮士、それと同時に雪女はテキパキと指示を下す。

 

雪女の夫である若人(わかと)には車の手配をさせて、雪女が鶴ヶ谷をガウェインの代わりに抱き抱えようとするが、

 

「俺が運びます」

 

無表情ながらも、何処か焦燥の色に染まっているガウェイン。だがそんなガウェインに雪女はダメだ、とはっきりと答えた。

 

「ガウェイン、お前らは待ってろ」

 

何故ですかッ!? と思わず叫びそうになったガウェインだったが、マジョーリカが袖を引いて目で訴える。

 

───いくら力があるガウェインでも、いくら医療知識を少し齧(かじ)っているマジョーリカでもやはり所詮は【子供】なのだ。

 

高校生といえば多少なりとも知識も常識も付けたが、まだ子供だ。

 

余計な手間を掛させる。

 

 

マジョーリカの瞳と、袖をギュッと掴み続けている彼女の行動でそう受け取ったガウェインは、悔しそうな顔になりながらも『・・・なら、せめて車まで運ばせて下さい・・・』と答える。

雪女もそこまで伝えたかった訳では無かったのだが、結果的にはそういう訳なのだから、車まで運ぶ手伝いを許可をする。

 

 

こうして鶴ヶ谷を乗せた村野夫妻の車は御伽花市(おとぎばなし)の大きな病院にへと急行した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

病院にへと向かい、一時間半くらいした後に帰宅して、まず鶴ヶ谷を布団に寝かせてきた雪女たちに鶴ヶ谷の診察結果を聞いたガウェインたち。

 

過労で身体が弱ったところに、また過労をと、積み重なったことによって風邪をひいたそうだ。

 

鶴ヶ谷を心配しながらも、もう夜も遅い事と明日も学校があるのだから寮に帰れ、と雪女に言われた大神とりんご。

 

若人が車で送って行く、と言ってくれていたが大神たちはそれを断り、徒歩で帰路に着いて行った。

 

亮士も勿論、ガウェインが『なら一緒に送って行く』と言い出していたがそれも断った大神とりんご、マジョーリカはチラッと鶴ヶ谷の様子を確かめてから大神たち共に女子寮に帰って行った。女子同士だけで何か話すこともあるのかもしれない。

 

しかし、大神たち帰って行った後からガウェインは早速鶴ヶ谷の看病しようと切り出したのだが、やはり止めに入る雪女さん。

 

「何故ですか?」

 

珍しくガウェインは食い下がらない態度で雪女と対峙している。

 

「何故ですかだとぉ?」

 

ぷはぁ〜とタバコの煙を吐きながら流麗なのにどこか鋭さがある雪女の睨みにガウェインは無表情に見詰める。

 

「高二になってそれを理解出来ねーのかガウェイン?」

 

「・・・・勉学に支障が出るから、と言いたいんですか」

 

珍し過ぎるガウェインの反抗に雪女は内面驚きながらも、外面は大人として叱るしかない雪女。亮士も先ほどまで居たのだが雪女との目配せにより若人が亮士を部屋まで連れて行ったのだ。

 

「・・・・・すみません、我が儘を言っているのは、承知しています、ですが、」

 

「ですが、でも何でもねーよ。お前がそこまで気に病む事はない。もしここでお前をおつうの看病に付けてしまえば、今度はお前に支障が出る。するとどうだ? またおつうも気に病むぞ?」

 

ガウェインは苦々しい表情になる。

 

雪女もガウェインがそれを重々理解しているのが肌で感じる程に分かっていた。

 

「はぁ〜、良いから寝れ。はよ寝れ」

 

もう何も言わせんぞ、とキッと鋭い睨みをガウェインに放つ。

 

重々理解している訳でもあるガウェインは、雪女に軽い一礼をして自室にへと戻って行った。

 

だが雪女は数秒経ってから村野夫妻が住む本宅に設けられた和室─そこに鶴ヶ谷が休んでいる場所─に向かえば、襖を前に佇むガウェインを発見。

 

雪女は再び深い煙を吐きながら、スリッパを片手に持ち、スパーン! とガウェインの後頭部を叩く。

 

「はよ寝れ」

 

気付かなかったのかガウェインは背から聞こえた雪女の声を素直に聞いて、今度こそ自室にへと戻って行った。

 

雪女はそれを遠くから見て確認してから、ダイニングに戻る。

するとそこには雪女が好きな氷を沢山に入れられた炭酸飲料のサイダーがダイニングテーブルに置いてあった。

 

「若人、か」

 

「うん、サイダー入れといたよ」

 

 

雪女は夫のこの気遣いに少し微笑みを零して、冷や冷やと水滴が硝子のコップから滴るのを眺めて椅子に座る。

若人は台所で後片付けと、明日の朝食の準備をしていた。

 

「・・・・・はぁ」

 

コップに入れられたサイダーを一飲みして、思わず溜め息を吐いてしまう雪女。

雪女も雪女で鶴ヶ谷の状態に気づけなかったことを悔やんでいたのだ。

 

前向きな考えを持つ雪女なので、そんなに深く思い詰めていなかったが、やはり雪女も気に病んでいた。

 

台所で一区切り終えて、小休憩に入った若人が、少し暗いダイニングに入ってくる。

 

「明日は晴れて暑くなりそうだから皆にはスタミナが付く弁当を作らきゃいけないね」

 

優しい微笑みを浮かばせて若人は雪女の背に回り、肩をほぐすように優しく揉んでくれる。

 

他愛の無い話だが、若人がこうやって雪女の気を紛(まぎ)らわせてくれる事を分かっているから、雪女も、

 

「ふふっ、そうだな」

 

思わず小さく笑い、若人が揉んでくれている片方の手に、自分の手も添えるようにして重ねていた。

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

鶴ヶ谷が風邪で休みを取り、欠席した日。つまり次の日に御伽学園に設置もとい設備された御伽銀行の地下本店にメンバーが鶴ヶ谷以外全員集まっていた。

 

「なるほど、鶴ヶ谷君の欠席はそういう事だったんだね?」

 

御伽銀行の頭取を務める三年生の桐木リストが大神たちから事情を聞いて納得する。

 

「・・・・・ハイ」

 

ガウェインはいつもと変わらないように無表情のまま答える。

だがやはりどこか元気が無い。

 

りんごが『ゆっくりと眠れたのですの?』と聞かれればガウェインは首を横に振る。

 

「・・・・あの後、雪女さんが何度も和室で寝ているおつうの看病をしていたらしいんだが、魘(うな)されるように『せめてメイドとして側に居たい』という事で、雪女さんが折れ、おつうはまた自分の部屋で寝た」

 

雪女がガウェインにあんな言い方をしたのに結局は迷惑を掛けてしまった事を悔いていたが、ガウェインは全く持って雪女にそんな感情を抱く筈も無く、朝本人に直接それを聞かされ、なるべく長年学んだ笑顔で『大丈夫ですよ』と答えてみせたが、雪女にどう伝わったかガウェインには分からない。

 

 

ガウェインが思考を巡らせる中、それを見ているマジョーリカ。

 

ペロペロキャンディーをチロチロと舌を可愛らしく上下させながら舐めている。

 

またガウェインが変な考えをしないか、をマジョーリカが観察してるのだ。

 

そして一同、というより鶴ヶ谷をまだよく知らない一年生メンバーは三年生であり、名義上は上司且つ取り締まっている頭取、桐木リストに何故あんなに鶴ヶ谷が『恩返し』に執着してるのか? を聞いていた。

 

「知らない事はない・・・よね?」

 

そう言いながら頭取は副頭取でイトコでもある桐木アリスに顔を向ける。

するとアリスは端麗な顔つきに少し曇りが漂う。

 

そのまた何とも言えない受け答えに大神は知っていると判断し、昨日から頭の中で渦巻く鶴ヶ谷の『恩返し』について聞こうとするが、

 

「話すかどうかは別だよ?」

 

また曖昧で断言しない口調のようにも聞こえたが、大神には少し芯が籠(こも)った声で言った頭取に、己の意思でこれは聞いちゃいけないんだ、と判断する。

頭取も大神が良い子なのを分かっていたからこそ曖昧で断言しない口調で言ったのかもしれない。

 

そして、先ほどまで黙っていたアリスが静かに立ち上がり、ガウェインや亮士に顔を向けて口を開く。

 

「おつうさんは、今夜も黒軋さんや森野くんの家に居られるんですね?」

 

「え、あっ、ハイっス」

 

「・・・・・・・・・・」

 

アリスに聞かれ、ガウェインは思考を巡らせながら器用に話も聞いていたらしく、肯定の意味を含め首を縦に振る。

 

亮士も戸惑いながらもガウェインと同時に答えた。

 

それを聞いたアリスはというと、

 

 

 

「でしたら私たちも、黒軋さんの所に伺います」

 

 

 

 

 

 

 

場所が変わり、現在御伽銀行面々はというと、

 

 

 

「だからと言って、全員で来ることは無かったんじゃないスか?」

 

情けない声を出してそう言ったのは他でも無い、森野亮士だった。

 

御伽銀行メンバー総員十名。

 

おかし荘はそんなに広く無い筈なのだが、窮屈と言うほどに狭くも無いと、なんとも言えない広さだった。

 

ガウェインの部屋に寝ている鶴ヶ谷の周りに、メンバーが正座をして様子を見ている。

 

「いやぁ〜ついね、やっぱり心配だよね、アリスくん?」

 

「そうですね、だから私が行こうと、言ったのですが」

 

「いやぁ〜僕たちも鶴ヶ谷先輩が心配だったので看病もといお見舞いをと」

 

「歳は同じだがな」

 

ガウェインにつっこまれ、浦島が『確かにそうだが、いや、そうですが・・・』と歳が同じど学年は上のガウェインに上手い具合に言い返せない浦島に、隣に当然のように座っている竜宮乙姫にまぁまぁ、と宥められている。

 

そんな風に軽い雑談のような事をしていると、ガウェインはずっと顔色を見ていた鶴ヶ谷の顔に瞳を静かに開けたのを確かめた。

 

「まぁ、みなさん・・・・お帰りなさいませ・・・」

 

動じない鶴ヶ谷はきちんと挨拶をする。

そんな鶴ヶ谷を心配して大神が尋ねる。

 

「大丈夫か、おつう先輩?」

 

「えぇ、すみません。すぐにお茶をご用意しますので・・・」

 

まさかの鶴ヶ谷の行動に一同は驚く、と言ってもそれは鶴ヶ谷をよく知らない者たちだけで、頭取とアリスは『やっぱりか・・・』といった顔になってマジョーリカとガウェインはすぐに鶴ヶ谷の両脇に寄る。

 

「無理するなヨー」

 

「そうだ」

 

「いいえ、わたくしは“恩を返さなければいけません”」

 

マジョーリカに押さえられるが鶴ヶ谷はマジョーリカの手を握って堅くそう言う。ガウェインはそんな鶴ヶ谷に困りながらも思考を巡らせる、どうやって鶴ヶ谷を止めれるかを、そして妙にその『恩』に対して執着して離れない鶴ヶ谷を〝助けたい〟と思ったのだ。

 

『恩』という足枷(ワナ)に引っ掛かった鶴を、助けたかった。

 

 

 

 

あの後、無理に奉仕活動をしようとする鶴ヶ谷を止めたのは部屋に入ってきた雪女によって静止できた。

鶴ヶ谷をまた寝かせ、一同は村野邸にへと移動した。

雪女は御伽銀行メンバーをにダイニングに集めさせ、自由に使えと言って居なくなった。

 

「やはり話さないといけないみたいだね? 鶴ヶ谷くんの・・・・子供の頃のこと」

 

ダイニングテーブルに各々座り、頭取が立ったままそう言うと壁に寄っ掛かるように立っていたガウェインが反応する。

 

「話すのですか」

 

ガウェインは片目に隠れた前髪を揺らして頭取に聞く。

 

「何故あそこまでする鶴ヶ谷くんの理由は、御伽銀行の同じ“仲間”である大神くんたちも知る権利はあるんじゃないかな? まぁ確かに無許可に話すのはいけないことだよね?」

 

何分真面目なガウェインである彼は鶴ヶ谷の過去を勝手に話して良いのか、と思ったのだろう。頭取はガウェインの問いに肯定する事も否定する事もない曖昧な答えで返す。だがそれは変に真面目なガウェインは頭取が“わざと”曖昧な答えを返すことによって『考えてごらん?』と改めて自分で考えさせているのでは、と解釈した。

 

(おつうの、子供の頃・・・)

 

ガウェインは知っていた、鶴ヶ谷の過去を、もちろん本人の口から聞いてだ。そして少なくともその事を聞いてガウェインは鶴ヶ谷の“【恩返し】を受け入れる”という答えに辿り着き、今に至った。

ガウェインは数秒だけ考えて頭取に返事する。

 

「・・・・俺が辿り着いた『答え』が鶴ヶ谷をあんな風にしてしまいました」

 

「でもそれは仕方が無い話じゃないかな? これはやっぱり本人がどうにかしないといけない、事だからね?」

 

頭取は微笑しながらガウェインの返事を返すと、静かに口を閉じて話を聞く体勢になった彼を見て、タイミングを見計らいアリスが口を開く。

 

「これは本当に大事な事ですが、これ以上踏み込むということは、扉を開けておつうさんの心を無断で覗き込むということです。私たちに隠しておきたい・・・・・覗かないで欲しいと思っていること。その事を重々理解して聞けますか?」

 

確認するようにアリスは一人ひとりを順番に見る。

 

「・・・・おつう先輩にはみんなお世話になってるんですの! だからおつう先輩が苦しんでいるならどうにかしてあげたいんですのよ」

 

「そうっス、それに何かおかしいっスよ! 恩を返すとか、他人に迷惑をかけないとか、自分のこと全く考えてないじゃないっスか!!」

 

「ああ、おかしいな。それにオレが何より腹が立つのはオレたち相手に恩を返そうなんてしてるところだ。オレたちはおつう先輩を仲間だと思ってるのに、おつう先輩はそうじゃないってことだろ? 亮士は別に恩を返してもらいたいから助けたわけじゃないだろ?」

 

「もちろんっスよ! 仲間が恩だの借りだの気にするのはおかしいっスよ!!」

 

「そうだな、俺もおつうさんに恩だけの関係ってだけは頂けないな非常に。もっと濃密で恍惚とする関係に・・・・いえ、本当に仲間として僕もおつうさんをなんとかしてあげたいです」

 

「私も同感です、恩だの借りだのという関係だけなんて寂しいです」

 

鶴ヶ谷の過去を知らない五人は真剣な眼差しでアリスにそう伝える。若干一人だけ空気を読まずに何かをほざこうとしたがアリスの絶対零度の睨みで焦りながら急いで言い直した。

そして鶴ヶ谷と同じ学年であるマジョーリカとガウェインにも目を向ければ、ここまで鶴ヶ谷の事を思って言ってくれている後輩たちに微笑んでいるマジョーリカ、そしてガウェインも真剣に聞くと言っている後輩たちに無表情で眺めている。何を思っているのかは彼にしか分からない。

 

そして、アリスも内心は安心して話せる事に安堵しながら顔を引き締め、口を開く。

 

「分かりました、ただ、その後の行動には責任をちきんと持ってもらいます」

 

そして一つ間を空け、再び話す。

 

「・・・・おつうさんには、もう二度と返せない恩があるんです」

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

幼少のみぎりの可愛らしい小さな女の子・鶴ヶ谷おつうが赤いランドセルを背負って信号を待っていた。

横断歩道で、信号が青くなるのを今か今かと待っていたら、向こう側に大好きな近所のお兄ちゃんがいた。

黒い髪に高校の制服を着崩し、鞄を脇に抱えている少年は横断歩道の信号をちゃんと守っている小さな女の子のおつうが居ることに気付く、おつうは手を上げて、

 

「おにいちゃーん!」

 

と元気良く呼んできた。少年・よひょうは可愛らしく手を振っている女の子に微笑みながら手を振り返してあげる、するとおつうは心底嬉しそうにパァッと笑顔になる。

 

手を振り返しただけであんなに喜んでくれるおつうによひょうも心が暖まる。だがすぐにそれは鷲掴みされたように心臓が冷え縮んだ。

 

 

ちゃんといつも通り、教えられたように、信号が変わるのを待っていたおつうは、大好きなお兄ちゃんに会えたことで、いつもならしていた左右確認をしなかった。

青になった瞬間、おつうはお兄ちゃんに向かって走りだす。

普段ならば全く問題はなかった。

ここは車の通りが少ない道だ。

 

だが、その日は違った。

 

猛スピードで横断歩道に突っ込む車、しかもただの車では無く大型車であるトラックだった。

それに気付いた小さなおつうは逃げようにも恐怖で固まり動けない。鉄の塊に小さな小さなおつうに襲い掛かろうとしているのだ。

轢かれれば即死なのは周囲に居た人たちは皆思っただろう。悲鳴を上げる人や目を瞑る人、誰一人動けなかったのだ。これから起こる悲惨な光景しか頭に無かった周囲の人たち。

 

そして小さなおつうは今にもトラックに轢かれそうになったその時、何か大きなものがおつうを抱きかかえた。

 

強く、物凄く強く抱きかかえられたおつうは視界が真っ黒になった。

 

次の瞬間おつうを襲う衝撃。しかし、何かがおつうさんの身体を柔らかく受け止めていた。

 

どこか安心して、覚えのある匂い。

これは、この匂いは、よく隣に遊びに行った時に優しく抱っこしてくれた“お兄ちゃん”の服の匂いだった。

 

「大丈夫かい?」

 

 

その声に、聞き覚えのあるこの声に何が起こったのか理解していないおつうは唖然としたまま答える。

 

「・・・・うん、大丈夫」

 

そこで視界が明るくなり、初めて自分を抱きしめている大好きなお兄ちゃんに気がついた。

 

 

 

よひょうは咄嗟の行動だった。

トラックに轢かれそうになっている小さな女の子、おつう。

 

完全におつうを助ければ自分は只じゃ済まない事くらいは理解していた。

 

───死ぬかも。

 

人間誰しも我が身の命が大事だ、わざわざ投げ出すような馬鹿な行動をする奴が何処に居る? だがよひょうは本当に咄嗟に駆け出していた。

 

何でだろう、でも確実によひょうはあの小さくて可愛くて、か弱い女の子を助けたかった。

名前も関係あっておつうに何度も『鶴の恩返し』を読んで聞かせていた事を何故か脳内に走った。

 

言うことを素直に聞いて、お手伝いを自分から進んでやって、褒めて頭を撫でて上げれば心の底から喜ぶおつうが可愛くて可愛くて、愛しかった。

 

────自ら家事を進んでやる、この娘ならきっと良い女房(おくさん)になるな。

 

もしこの娘に好きな男の子が出来たら応援してあげたいな、ずっと仲睦まじい人生を楽しんで欲しい。

そんなまだ数年の時しか歩んでいない青年は年寄りのような考えがいつもよひょうの頭の中に流れていたのだ。

 

そしてよひょうは小さい女の子を大事に、守るように強く胸に抱きしめた。

 

───きっと痛いだろうな。

 

痛い、どころじゃない。

『死ぬ』かも、しれない。

怖くない筈が無かった。

怖くて怖くて、死ぬほど恐ろしかった。

 

でも、今胸の中にいる女の子を抱きしめた瞬間に、また一層強く抱きしめた。

 

 

───あぁ、この娘だけでも・・・・。

 

 

次に襲った衝撃によひょうは、簡単に人間は飛べんだな、と意外に関係ない事を思い浮かばせていた。

 

 

 

 

 

「おにいちゃん、血が出てるよ?」

 

「ああ・・・・こんなのかすり傷だよ」

 

「でも」

 

血が出てとても痛そうに見えるよひょうにおつうは自分がしてしまった事に身体を震わせていた。

 

「ご、ごめんなさい。おつうが、おつうが」

 

泣きながらおつうはよひょうに謝る、だがよひょうは弱々しくも笑いかける。

 

「・・・・ありがとう」

 

「え、なに?」

 

「ありがとうの・・・・方が良いな、・・・・ごめんなさいより」

 

「うん・・・・うん、おにいちゃんありがとう」

 

「どういたしまして。あと・・・・横断歩道を渡るときは左右を確認しないと、いけないね」

 

周囲が騒がしくなってきた。事故に気がついた人たちが集まってきたのだろう。小さなおつうは大好きななお兄ちゃんの頭から大量に流れる血を見て泣いている。

泣いているおつうによひょうはガンガンと脳や身体に激痛が走りながらも優しくおつうの頭に手を乗せる。おつうは泣きながらもよひょうに答える。

 

「グスッ・・・・うん、うん、今度からちゃんとするから、グスッ・・・うぅ、おつう、良い子にしてるから・・・・うぁ、だから、だから、もう人に迷惑かけないようにするからぁ、だから、だからぁ・・・・!!」

 

おつうはよひょうの服を強く、小さな手で強く服を掴み、胸に顔をうもらせる。

 

「おにいちゃん、しんじゃいやだよぉー!!」

 

 

「・・・・・大丈夫だよ」

 

「ほんとうに?」

 

「・・ヒュー、ファー・・・ぁ・・ぁぁ・・ぅうん」

 

呼吸のリズムが完全に普通では無く、苦しそう息をするよひょう。だがよひょうは激痛を走る脳内に鞭打って意識を保たせる、いや保たせた。

 

 

────何を答えてんだ、自分。

 

何考えてんだ、自分。

 

 

よひょうは小さなおつうの頭をずっと弱々しくも撫で続けた。

 

 

「やくそくだよ? おつう、いっぱいいっぱいありがとうするから。おかあさんがおしえてくれたの。助けられたツルさんはありがとうっておヨメさんになるの。おつう、おヨメさんになっていっぱいいっぱいありがとうするから・・・だから、だから・・・・!」

 

顔を上げ、瞳には涙を溜め、それでも大好きなお兄ちゃんの答えに小さい笑顔で答えるおつう。

よひょうの心の中には深く、淵深く沁み入った。

自然とよひょうの目から涙が流れそうになった、だが決して流さない。

よひょうは舌を噛み千切る程に我慢して涙を流さずにおつうの頭を撫で続けた。

 

何でそんな事を言うんだ、おつうちゃん。

 

お兄ちゃん──死にきれないよ。

 

おつうちゃんを守れただけで、良かったのに。

 

そんな事言ったら、本当に、

 

よひょうは舌を噛み千切りそうになりながらも言葉を、一言一句を大切に口から伝える。

 

言っては、駄目だ。

 

でも、欲が出てきてしまう。

こんなに愛しい娘から、離れたくなかったのだ。

 

 

「そう・・・・かい? じゃあ、楽しみに・・・・待っておくよ」

 

「やくそくだよ?」

 

おつうはよひょうの激痛を吹き飛ばしてしまうような笑顔で、そう言った。

 

──駄目だ、やめろ。

 

考えと、口が合わない。

 

吐いてしまう。

 

 

言ってはいけないと、それがこの娘の人生を変えてしまうのではと、必死に脳内を巡らせるが、口が勝手に動いてしまう。

 

抱き締めたい、でももう身体は動かない。

 

もっと話したい、でももう口の筋肉も言うことを聞かなくなってきた。

 

一緒に、居たい。

 

でも・・・・もう、それは絶対に叶えられない事になった。

 

だから、さっきまで抑えていた理性を丸めて捨てて、せめて最後くらい良いだろ? と自分に言い聞かせた。

 

恨まれても良い、憎まれても良い、だから、最後くらい自分勝手に、我儘言っても良いだろう?

 

神様も仏様も文句を言わないだろ。言ってきたら直接面と向かって戦ってやるよ。

 

────丁度、今向かうところだから。

 

 

だからよひょうは、五感がある内に必死に刻む。

 

おつうの暖かい体温。

 

おつうの優しい香り。

 

おつうの愛しい声。

 

よひょうは失った三つの感覚を記憶に刻み、そして相手に伝えることの出来る方法で、つたえた。

 

 

 

「ああ、・・・・やくそくだ」

 

 

 

今のでもう声は無くなった。

 

男が愛しい女に約束して何が悪い?

 

必死によひょうはもうすぐ停止する脳の中で叫ぶ。

 

大好きな女と一緒に居たい。

 

でも叶わない。

 

だから、せめて神様仏様、自分の自慢の女の姿を目に焼き付かせ、光を失ってもその娘の愛しい姿を記憶に刻み、神様仏様(あんた)達に見せてやるよ。

 

この娘は、自分(よひょう)を好きになってくれたんだよ?

 

 

おつうちゃん、神様仏様に、沢山自慢話してあげるよ。

 

いや、もしかしたら話す相手は閻魔様かもしれないね?

 

残酷な逝き方をした、自分を報いる為に。

 

 

 

ありがとう。

 

 

 

そして、ごめん。

 

 

 

 

おつうは弱々しく撫でてくれていたお兄ちゃんの手が、力無く落ちたことに気付いた時には、大好きで優しいお兄ちゃんは、眠ってしまった。

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

静まり返った室内で各々がかなり暗い面持ちになっていた。

 

「そんな重い話だったんですね」

 

浦島はダイニングテーブルに両腕を置いて、鶴ヶ谷の気持ちを男なりに考えて呟いた。

 

「彼女は恩を返せなくなることが何より『恐い』のです。過剰とも言える恩返しぶりはそのせいなのです」

 

話をしていたアリスもつらそうに顔を軽く俯かせ、眉も下がったままだった。

 

ガウェインは約束して鶴ヶ谷の許(もと)から去った青年がどんな思いだったのか、感情があまり芳しくないガウェインにとって分からないだらけである。

 

だがそこで大神が言った言葉にガウェインは少し考えが変わっていった。

 

『おつう先輩を庇った人も望んでない』

 

確かに、自分を蔑(ないがし)ろにして【恩返し】の為に体を壊して、更に拗(こじ)れればもっと悪い方向にへと向かう。しかもそれは自分から向かっているのだ。

 

そして大神の言葉にりんごも同意しながらも悲しい顔になる。

 

「でも、先輩はそう思ってませんの」

 

望む望まないか、それはやはり本人にしか分からない事だろう。

だから鶴ヶ谷は鶴ヶ谷の思いでやっている、鶴ヶ谷を庇った青年がどう望もうが、死人は口無し。鶴ヶ谷にどう伝わったかは本人の考え次第なのだ。

 

「恩返しの、呪縛ですね・・・」

 

大好きな人が亡くなるのは本当に辛い、乙姫は最愛の恋人である浦島の事を考えながらそう呟いた。

そしてそれを聞いたガウェインは思い出したように頭に浮かんだのは昨夜、雪女には寝ろと言われたがやはり看病してしまったとき、魘(うな)されるように呟いていた鶴ヶ谷の言葉。

 

『雪女さんにも恩を返さきゃ・・・・若人さんにも・・・恩を・・・・』

 

その姿にガウェインは無表情ながらも何処かつらそうに目を厳しくさせていたのだ。

 

「返す恩が貯まる一方ですね」

 

アリスはどうしたものか、といったように考えながらそう呟く。

 

「・・・人に迷惑をかけることを恐れ、少しでも迷惑をかければそれを恩として返そうとする」

 

そこで一同が静まりかえった中、マジョーリカがふとそんな事を言いだす。

大神と亮士、浦島と乙姫はマジョーリカに顔が向き、りんごとガウェインは顔の向きは変えずに耳は話に傾き、頭取とアリスはマジョーリカの言葉の内容を聞きながら黙然(もくねん)としている。

 

「“恩返し”ができなくなることを怖がり、返せるときに一気呵成(いっきかせい)に返そうとする。恩を返せなかった鶴は、それ故に“恩返し”に固執して、恩を返す相手を捜している、ヨー」

 

マジョーリカがそれを語り終えればまたの沈黙。

 

ガウェインは思考の流れを急かすように思索する。

 

だが、やはり、ガウェインには何も思い付かなかった。

自分のこの考え無さと、経験が疎い事を今日まで悔やんだ事は無い。

 

もっと自分に何かしら経験をしていれば、鶴ヶ谷を助けられたかもしれない。

 

そんな風にどんどんと下へ下へと考えと自分に対する非難が絶えなくなってきた時、突然と赤い髪を揺らしたりんごがバンッ! と机を叩いて立ち上がった。

 

「そうですの!!」

 

『うおっ!?』『うひっ!?』と同じ一年生で隣に座っていた大神と亮士が驚いた声にガウェインはやっと考えを中断して意識がりんごに集められた。

 

りんごは何かを思いついたらしく、大神や亮士、そして他の御伽銀行のメンバーたちの顔を見て言った。

 

「良いことを思いつきましたの。これならば少なくとも私たちに対する恩返しはやめさせることが出来るかもしれませんの。明日はちょうど土曜日で学校は休みですし・・・」

 

そして、御伽銀行でもっとも可愛らしく、そしてもっとも策士でもある赤井林檎はニヤリと何かを企んでいる笑顔を浮かべた。

 

彼の有名な中国の軍師・孔明や策士・太公望も気味悪がるであろうりんごの笑顔に、実はガウェインは馳せる気持ちになるのをまだ知らなかった。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

まぶしい光で鶴ヶ谷は目を覚ました。

 

「・・・・・・・・・・」

 

きょろきょろと左右を確認したあと、ゆっくりと上半身を起き上がる。起き上がった拍子に額に載っていた濡れタオルが落ちる。それを見て鶴ヶ谷は思い出した。

 

(・・・・・・・そうです、確か倒れてしまって)

 

そこではっと、我に返り周囲を見回していた鶴ヶ谷に声がかかった。

 

「おはようございますの、おつうさま!」

 

「お・・・・おはようございます」

 

「おはようございますっス」

 

 

鶴ヶ谷が見たのは、メイド姿の御伽銀行女子メンバー、そして執事姿の御伽銀行男子メンバーであった。

 

「なっ、皆さまその姿は?」

 

その格好に流石の鶴ヶ谷も驚愕。りんごなら何か利益になる話を持ちかければ、乙姫は浦島に一言いえばメイド服を着てくれそうだが、アリスと大神はまず着ないだろう。

マジョーリカは・・・・気分次第と事情に依(よ)るだろう。

 

そして男性陣は、頼り無さげに見える執事の亮士、なかなか様になっている執事の浦島、何か普段通りに見え、何ら変わってるのか分からん御伽銀行の頭取(トップ)、執事の桐木リスト。

そして一番様になっていると言えば、

 

「本日は私たちがお嬢様のお世話をに参りました。お嬢様はただ寝ているだけで良いのですよ?」

 

「そうだヨー♪」

 

違和感が感じられるが、口調が執事になっているガウェイン。普段は黒いコートを着てるから分からなかったが、長身も加わっている為かとても黒い執事服が似合っていた。

そしてマジョーリカが後に続くように片手を元気良く上げてガウェインと同意する。

 

「そっ、そんな、それでは皆さまにご迷惑が!!」

 

「いえいえ、全然迷惑なんかじゃないですの。おつう先輩的に言うならば、今までお世話になった分の恩を返しましょうって事ですのよ? おつう先輩は恩返しを止めるんですの?」

 

「そ、それは・・・・・」

 

恩返しを出されて言葉に詰まる鶴ヶ谷。

 

「ですので、おつうさんは病人なのですから存分に寝ててください」

 

アリスは眼鏡をクイッと直し、それを言い終えれば女性陣が立ち上がる。

 

「なっ・・・なにを?」

 

鶴ヶ谷は立ち上がった女性陣たちがニヤニヤ(ごく一部)としているのに嫌な予感が過(よぎ)る。

 

「ふふふ、でもその前にお身体を拭いて着替えないといけませんね」

 

「ですね、なので男性陣はおつうさんの朝食の準備をお願いします」

 

メイド乙姫が片手でオホホと口の前に手を覆うようにしてそう言えば、アリスがメイド長の名が相応しい指示を繰り出す。

 

「「「「了解」」」」

 

口を揃えるように言うと、ガウェインを筆頭に男性陣は部屋から出て、村野夫妻が住まう本宅に設けられた台所に向かう。

朝食の準備となっているが、話を前もって聞いていた村野夫妻が完全バックアップしているので、若人さんが朝食を準備している。

 

ただ取りに行くのだが、早く戻らないようにするのも聞いている。

 

「くっ!!」

 

「う、浦島さん一体どうしたんスかね?」

 

「恐らくだろうけど、やっぱり鶴ヶ谷くんのお着替えの手伝いでもしたかったんじゃないかな?」

 

「それやったら乙姫さんを筆頭に女性陣に殺されますっス」

 

「そこを“ボコられる”じゃなくて“殺される”と完全な表現を表したのは実に合ってるね〜? 意味的に」

 

そんな事を言いながら執事服の裾など気にしながら話す亮士と頭取、そしてその話を聞いていた浦島は悪寒を感じられながら乙姫に『お仕置き♪』をされる自分を想像して軽く灰色になっていた。

 

そしてガウェインはと言うと、三人の後を追うように歩き、りんごの提案に感服と詠嘆の声を上げそうになっていた。

 

りんご発案の『返せないほどひたすら恩を与えて破産させてやろう大作戦』を実行している御伽銀行メンバー。

実にりんごらしい趣味と実益を兼ねた作戦だと思ったガウェインは台所に着いて、若人が作ってくれた朝食を四人で確かめた。

 

 

頭取がタイミングを見計らい、鶴ヶ谷をお着替えしているであろう部屋の前まで来れば四人は一度立ち止まる。

 

「ま、まだ着替えてるかもしれんぞ!」

 

「そそそそそそんなことは、無いっスよきっと多分!」

 

「ハハハ、確かに多分大丈夫だと思うんだけど、流石に許可が無いと開ける勇気はないよね?」

 

そんな風に浦島はせっかく紳士らしい執事服を身に纏っているのに行動が変態過ぎて変質者に見えてしまい、亮士と頭取もどうするか迷っている様子だった。

 

「チャッチャッと入りますか?」

 

「うわっ! 一番言わなそうなガウェインさんが言ったっス!?」

 

「テンションが上がってるんだね?」

 

「・・・ふっ・・・・」

 

「・・・意外にも浦島が俺の肩に手を置いているのが不愉快だ」

 

と言う訳で、やはりりんごの作戦が思いの他気に入ってしまったのかドアを開ける(頭取が確認済み)。

 

と、そこにあったのは、

 

 

 

「ああ・・・・・もう、お嫁に行けません」

 

気が弱った鶴ヶ谷がメイド服では無い、ただの可愛らしい少女にへと変身していた。

 

体調を崩して微妙に弱っている鶴ヶ谷はものすごい哀れで、それ故に妖艶に見えてしまった。

例えるなら時代劇に出てくる貧しい病人みたいであった。借金取りに家財道具を持っていかれるような感じだ。

 

「こ、これは!」

 

「・・・・確かにこれは実に妙な気分になるねぇ?」

 

入ってきた男性陣に女子たちは少し怪訝な眼差しをビシバシを受けられるが、それを受けられても尚見てしまう程に今の鶴ヶ谷は無防備過ぎて、男たちの胸の中に眠っている狼が騒ぎ立つ。それまでにメイド服という翼を剥がされた鶴ヶ谷(ツル)は蠱惑的なのだ。

 

「あ、朝ご飯用意できましたっス。熱いから気をつけてくださいっス」

 

そんな鶴ヶ谷に現(うつつ)を抜かしていた亮士だったが、すぐに意識を戻して朝食を鶴ヶ谷の前まで持ってくる。

 

「それでは赤井さんと大神さんはおつうさんがする筈だった清掃を、浦島さんと竜宮さんは洗濯をお願いします。私と頭取は買い物に向かいます」

 

やはりメイド長よろしくアリスが指示を出せば、皆すぐに配置に付いて行った。

 

残ったマジョーリカとガウェインにアリスは顔を向けて、

 

「それでは黒軋さんと魔女さんにはおつうさんに朝食を食べさせるお世話をお願いします」

 

そう言ってアリスは亮士が持っていた朝食をガウェインに渡してそそくさ居なくなった。

 

「・・・・では」

 

そう言って動き出した執事ガウェイン。真面目なだけあり鶴ヶ谷の隣まで移動すれば朝食であるお粥(かゆ)をスプーンで掬(すく)い、

 

「・・・・・・・・・・」

 

食べさせようとして一時停止のガウェイン。

 

このままでは熱いのではないか?

 

そう思った瞬間、ガウェインはマジョーリカを見た。するとナイスなタイミングで何をやらせるのかジェスチャーで伝える。

 

マジョーリカはスプーンを掬い上げた動作をやった後、それをスプーンを掴んでいない片方の手で零れないようにしなら口の前に持って行き、口先を尖らせてフーフーと息を吹き掛け、熱を冷ますジェスチャー。

 

それをやれ、と言わんばかりどや顔のマジョーリカ。

やれ、と言っているのは分かるがマジョーリカの姿は今メイドな訳で、髪を完全に下ろし、綺麗な金髪が床に触れながら可愛らしいフーフー動作をやられてしまってはガウェインは少しの間惚けてしまう。

 

だがそんな事で元来の目的を霧散してはいけない。

 

ガウェインはマジョーリカの動作を真似てスプーンに掬われた熱々のお粥に、

 

「・・・では」

 

と声を掛けてから勢い良く吹き掛けるようには決してやらないよう、小さく、でも力強い息で早く熱を冷ますよう吹き掛けた。

 

だがマジョーリカがジェスチャーをしていた中ずっっと見ていた鶴ヶ谷がまさかガウェインがやるとは思わなかったのか慌ててしまう。

 

「そっ、そんなことまでさせるわけには!」

 

「(フーフー)」

 

 

ガウェインは至極真面目、というより無表情に近い顔ながらも聞く耳持たずに続行。

 

「よし」

 

そして一人納得して、スッと真面目な眼差しで『出来たぞ』と伝わり、鶴ヶ谷はまたしてもたじろいでしまう。

 

「あ〜んだヨ〜♪」

 

横からニコニコと微笑んだままマジョーリカが鶴ヶ谷に食べるよう促す。

 

「だ、だから・・・・」

 

「あ〜んだヨ〜」

 

差し出しているのはガウェインなのだが何故かマジョーリカが頑張って促している。

 

ふと鶴ヶ谷がガウェインに目を向けると、さっきまで意気揚々にしていた眼差しが急に光を失っていくかのようにテンションが下がっているのに気付く。

 

そんな初めて見たガウェインの反応に思わず鶴ヶ谷、折れる。

 

「・・・・・あ〜ん」

 

ぱくりとスプーンに食いつく鶴ヶ谷。

 

それを一部始終を見ていたのは・・・・・

 

「どうですの? あの騎士と姫の禁断の恋模様・・・的な光景は」

 

「う、うらやましいっス、おれも涼子さんといつかー!!」

 

りんごと亮士が隙間から覗いていた。

 

「ぬっふっふっふ! お前ら暇してるのかヨー」

 

その様子をマジョーリカが発見し、不気味な微笑みを送らせれば『ヒぃッ!?』と二人共背筋を震わせてからそそくさ居なくなる。

 

 

 

 

そんなこんなで鶴ヶ谷の受難の一日は過ぎていった。

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

午後六時、夕方である。

 

 

「今日は何から何までお世話になり、ありがとうございました」

 

部屋には元気になった鶴ヶ谷が元のメイド服に着込み、腰を下ろし、頭を下げて感謝の気持ちを伝えていた。

 

「このご恩は絶対にお返しします」

 

やはりか、とガウェインは一人苦い顔をしていたが、御伽銀行メンバー全員が顔を合わせて頷いていた。

マジョーリカがガウェインの腕に掴み微笑む。

 

「えーコホン、そうは言いますけどこれだけやってあげましたのよ。もう幾ら返しても返しきれないんですのよ?」

 

「それでもお返しします! 皆さまお一人ずつ御納得頂くまで・・・・」

 

「だったらオレたちは、またその分恩をお返しするぜ」

 

「えっ?」

 

「そりゃぁ良い、俺もだ」

 

「私(わたくし)も」

 

「私もです」

 

「お、おれもっス」

 

「右に同じヨー!」

 

「もうこれは多重債務者って感じだねー?」

 

大神を筆頭に、浦島に乙姫、アリスに亮士、マジョーリカに頭取とフッフッフと笑みを浮かばせながらそう言う。

 

「みなさん・・・・では、わたくしはどうすれば・・・・」

 

と、そこでマジョーリカに背中を押され、前に出るガウェイン。鶴ヶ谷は恩返しの対象でもあるガウェインに目を向ければ、彼が真剣な様子になっている事に気付く。

 

そして答える、鶴ヶ谷の問いに。

 

「そんなもの簡単な事だ。貸し借りなんて気にしなければ良い」

 

「そんなこと出来るはずがありません!」

 

鶴ヶ谷が叫ぶ。

 

「だって、だって・・・・恩を返せるときに返しておかないと、返せなくなっちゃうかもしれないじゃないですか!!」

 

そこまで叫んで鶴ヶ谷は我に返る。

その鶴ヶ谷にガウェインは言う。

 

「・・・・・・・・・・俺はおつうが恩返しに拘(こだわ)っている理由を知っている」

 

そうなのだ、鶴ヶ谷本人からガウェインは聞いていた。とても悲しそうな表情で話していた鶴ヶ谷の顔がまだ鮮明に覚えている。

 

その悲哀に満ちた顔が、また今の鶴ヶ谷に染められる。

 

「・・・・・・・・・・そうです、ガウェインさまは話を聞いて、わたくしの気持ちを分かっていただけたのではないですか? わたくしは恩を返せなかった、だからこそ恩を感じたら恩を返すようにしているのです」

 

それが鶴ヶ谷が恩返しをする人間をサポートする時に繋がる根源だった。

 

恩を返せない、返す相手が居ないのはとても辛くて悲しいこと。

 

鶴ヶ谷は表情を陰に落とす。過去を思い出しているんだろう。

 

「だから・・・・だからこそわたくしは返せるうちに恩を返そうと・・・。お兄ちゃんに返せなかった分まで・・・・」

 

それでもその悲しみを振り払うようにして、鶴ヶ谷は気丈に言った。

 

しかし、ガウェインはただただ冷静に鶴ヶ谷と目線を合わせるように腰を落とす。

 

そして、ガウェインは思いのままに口に出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・俺は、おつうが好きな『お兄ちゃん』の変わりになれない」

 

 

 

ガバッと鶴ヶ谷は目を見開きながらガウェインを見る。

 

「『お兄ちゃんに返せなかった分まで・・・・』とおつうは言うが、そのお兄ちゃんはこの世にはもう居ない、だから恩を返す相手が居ない」

 

恐らくガウェインだからこそ言える言葉かもしれない。

他の人が言えば多少とも暈(ぼか)したりするかもしれないが、ガウェインはただただ真っ直ぐに言う。

 

「恩返しをする相手が居ない事によっておつうは苦しんでいる」

 

「いいえ! わたくしはっ!」

 

「苦しんでやっている訳では無い、そう言いたいんだろう?」

 

鶴ヶ谷の言葉はガウェインの舌剣(ぜっけん)で切り伏せられる。

 

「現実(いま)を見ろ」

 

まるで現実から逃避する者に対しての絶対的に逃がさない言葉。

 

震える鶴ヶ谷にガウェインは確りと両肩に手を添えた。

 

「現実(いま)を見れば、未来(さき)も見える。現実ではお兄ちゃんは居ないだろう・・・・・だけどここに『仲間』がいる」

 

そう言ってガウェインは後ろを向けば、一斉に微笑む御伽銀行メンバー。

 

「そのお兄ちゃんも、きっと恩を返してもらいたくて助けたんじゃない。理屈じゃないんだ」

 

自分だってよく分からない、でも口から紡がれるその言葉が、妙に自分勝手に満たされる。

 

「俺たちは仲間だ。仲間なのに恩を持ち出すなんて例えが出てこない位に聞いた事が無いな」

 

 

 

 

今自分はどんな顔をしながら鶴ヶ谷に喋っているんだろうか。

 

 

 

 

「なのにおつうは恩を返すと言う。恩人と恩を返す人の関係は対等じゃない。まぁ当たり前だろうな、確実に恩人の方が立場が上だ」

 

 

 

でも、きっと伝わってる筈だ。

 

 

 

「仲間なのに、対等な者同士なのに無理に恩返しなんてしなくて良いんだ、ちょっとした小さな範囲でも良い。自然に感謝の気持ちを伝えれば良い・・・・」

 

 

 

鶴ヶ谷の瞳に、

 

 

 

「こんな華奢な身体をしてるのに、倒れるまで恩返しするなんてもってのほか、問題外だ」

 

「でも・・・・」

 

「でもじゃない、でもじゃないんだ。俺たちは仲間だ。別に俺たちに助けられても恩を感じる必要もないし、恩返しをする必要もないんだ。もう一度言う、俺たちは・・・・・『仲間』なんだ」

 

 

 

綺麗な雫が溜まっていたから。

 

 

鶴ヶ谷はガウェインから伝わる真剣な言葉と意思に、自然に心に沁(し)み渡った。

 

─────そうか、恩返しとか言ってるうちはこの人たち、黒軋ガウェインという人物とも本当の仲間になっていないってことかもしれない。いや、この黒軋ガウェインという人や御伽銀行のみなさんは仲間だと思ってくれているのにわたくしだけが、みんなを仲間だと思っていなかった。

この人たちは恩を着せようなんて全く思ってなかったのに、わたくしが勝手に恩を作り出して恩人として扱い、みんなを仲間扱いしていなかった。

 

なんて・・・・なんて馬鹿だったんだろうか。

 

それなのにこの人たちは、この黒軋ガウェインという人はわたくしなどのことを思い、諭してくれた。

 

この人たちはなんて温かいんだろうか。

 

自分の馬鹿さとガウェインたちの優しさに目を潤ませていた鶴ヶ谷を逸早くマジョーリカが目敏(めざと)く声を出す。

 

「あー! 泣かしちゃったヨー」

 

「女泣かしは大罪ですのよ騎士先輩♪」

 

「だな」

 

「そうなんスか涼子さん?」

 

「女を泣かすなんて最低だ」

 

「えっ、あ、そうですよね、女性を泣かすなんて・・・・いけませんよね〜」

 

「もしもし太郎様? 何故冷や汗を流して居られるのでしょうか?」

 

「そうですね、女性を泣かすのはどうかと思いますよ。ねぇ頭取?」

 

「いやいやいや、大変だねぇ、ガウェインくん? アハハ、アハハハー」

 

好き放題に言ってくる仲間たちの言葉も何処か温かく感じられた鶴ヶ谷は、不意に目に溜まっていた雫が払われる感覚を感じる。

 

ガウェインが指で涙を拭いてくれたのだ。

 

感情の無い顔に見える表情だが、何処か嬉しそうに見えたガウェインの顔に鶴ヶ谷は思わず涙をまた流して微笑む。

 

 

 

 

恩を返すなんて理由じゃなくて、

 

ただ仲間だから、

 

気に入っているから、

 

好きだから、

 

特別だから、

 

親友だから、

 

気が合ったから、

 

家族だから、

 

楽しかったから、

 

やっぱり好きだから、

 

例を出すならこんなにもそんな風に助け合えることがある。でもほら、皆が笑って幸せになっているこの現実(いま)も、きっと笑いながら未来(さき)を見て飛んでいく。

 

 

鶴は足枷(ワナ)から抜け出して、純白な翼でやっと空へと飛翔した。

 

 

 

おそらくきっと、鶴を助けた青年も、空から見守り、風で笑った。


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