GOD EATER The another story. 作:笠間葉月
粘着質な時間
雨は、夜になっても降り続いていた。
飛び出して、フラフラして、赤い雨の警報が鳴って、近くの民家に入らせてもらって。それに神機使いって言う立場は少なからず貢献していて……良くも悪くも、この腕輪は特別な物なんだって、実感した。
「こりゃあ、一晩は出られないかもしれないねえ……泊まっていきなさいな。ロミオちゃん。」
「え?でも……」
「遠慮はいらん。どうせわしらしか住んどらんし、年寄りの話し相手になってやるくらいのつもりでいい。」
その民家に住むじいちゃんとばあちゃんは、物のついでになんて言いながら、いろいろなことを聞いてきた。途中から俺も話すのが楽しくなって、気付けば喋りっぱなしだ。
内容はブラッド、ブラッド、ブラッド……極東の人に極東支部の話をしてもしょうがない、って最初は思ったけど、たぶん話したいから話してるんだと思う。
「んじゃあ、えっと……どこまで話したっけ?」
ジュリウスは俺の前からブラッドで、ものすごく強い。
ナナと結意は俺の後に入ってきて、ムードメーカー役と、副隊長。
その次がギル。あまり気が合う奴じゃないけど、経験豊富で戦い方も上手い。
最後にシエルが配属になった。ちょっと融通利かないけど、めちゃくちゃ頭が良い。
そういうことを話し続けて……
続けるほど、俺は役立たずじゃないかって、思う。
「ジュリウスのやつ、人付き合いとかド下手だからさ。俺がそういうの、取り持ったんだ。」
それがどうした。
「ま、副隊長になれなかったのは悔しかったけど。それでも俺……っていうか、だから俺、みんな仲良く出来るようにって頑張ってさ。」
だから何だよ。
「けど、ギルとはちょっと上手くいかなくて……」
上手くやらなかったのは俺だろうが。
「そりゃまあ、失敗したのは俺だったけどさ……」
言い訳してんなよ。
「ロミオ。」
「え?」
「お前さんはもう少し、胸を張った方がいいな。」
じいちゃんの言葉は、チクチクと胸に突き刺さる。
ああ、そうだ。俺は自信がないんだ。それは分かってる。
けどさ。どうしようもないんだよ。俺は弱くて、頭も悪くて、たいした働きも出来ないで……
「ロミオちゃんが頑張ってくれているから、戦えない人達が助かってるんだよ。」
「けど俺……逃げて……」
「逃げるのと休むのは違うでしょう?」
泣きそうなのを、恥ずかしいから我慢する。
いろいろ吐き出して、理解してもらう。それは初めての経験だった。
「寝るまでまだある。言いたいだけ吐き出しておきなさい。人間はそのために、誰かといるんだ。」
その日俺は、瞼が重くなっても話し続けた。
*
屋根に雨が当たっている。
と言ってもこの建物の屋根じゃなくて、ネモス・ディアナの天蓋のこと。オラクル装甲壁と通常建材を組み合わせたそれは、場所によって僅かに異なる音を発している。
私は、楽器のようにも聞こえるその音に耳を傾けながら、浅い微睡みに沈んでいた。
自分の内側に潜ろうとしながらも、心のどこかで拒否している。思い出さなきゃ。思い出したくない。何度も何度もその繰り返し。
でも、一番邪魔しているのは感情じゃなくて、この雨。
今すぐ外に出て、土砂降りの中を素足で駆け回って、くるくる、くるくる、踊りたい。ぺちゃっとした土の感触を楽しみながら、雨粒の滴る木々を慈しむように引っかきたい。上を向いて口を開けて、楽しさに笑いすぎて渇いた喉を潤したい。
この雨に打たれることがつまりどういう事か理解しているのに、なぜだろう。そうしたくてたまらないのだ。
「……むぅ……」
ああ、もう。寝付けない。昼間に寝ちゃったせいだ。寝ちゃえば変なこと考えないで済むだろうに。せめてこの微睡みがもう少し深ければ、思考もまとまらず嫌な気分には……
……ううん。嫌では、ない。むしろ衝動を我慢するのが、むず痒くて心地よくすらある。
行きたいな。ダメだよ。やっぱり少しくらい。怒られちゃうよ。
小さくふわふわした葛藤に身を任せて、行かないことを最終的に選択する。選択した上で、まだたゆたう。しばらくグチャグチャしていた私に、それは甘美な刺激を伴っている。
さて。しかしどうしようか。寝付くまでベッドの中をもぞもぞするのは魅力的だけど、同時にちょっとつまらない。きっと諸々の不安もあって、じっとしているのが少し辛いのだ。
どうしようかとしばらく悩んで、その思考も楽しんで、一つ思い出す。
それは数日前の光景。盗み聞きの演奏会。部屋の窓を開けて、まずは大きく息を吸う。
次に少し待つ。言葉が出てくるまでの間、自然に沸き上がってくれるであろうフレーズを待ちわびて。
最後に。
「O Tannenbaum, o Tannenbaum, Wie treu sind deine Blaetter!」
『O Tannenbaum, o Tannenbaum, Wie treu sind deine Blaetter!』
ついて出たのが日本語でないことに僅かな驚きを抱きつつ、呼び起こされる記憶に身を任せた。
「Du gruenst nicht nur zur Sommerzeit, Neinnauch im Winter wenn es schneit.」
『それ、なあに?』
今より幼い私が誰かに尋ねている。覚えたばかりの言葉を使って、問うていた。
私と似た声の彼女は、笑いながら答えた。
「O Tannenbaum, o Tannenbaum, Wie treu sind deine Blaetter!」
『キャロル、っていうんだよ!クリスマスキャロル!』
ベッドらしき場所の上ではしゃぐ私と、そこに付けられた柵の向こうで笑う彼女。
それは間違いなく楽しい記憶。
「O Tannenbaum, o Tannenbaum, Du kannst mir sehr gefallen!」
『キャロル……たのしそう!ゆいもやる!』
二番に入った歌は途切れることなく続き、私は存外歌が上手いことを教えてくる。
記憶も、やはり止まらない。ここで止まることが最善だと、どこかで私が叫んでいるのに。
「Wie oft hat schon zur Winterszeit, Ein Baum von dir mich hoch erfreut!」
『じゃあ、せーの!』
これは私の、最初で最大の、そして最後の失敗。これ以降の全ては副次的なものに過ぎず、だからこそ、修正することなど出来はしなかった。
「O Tannenbaum, o Tannenbaum, Du kannst mir sehr gefallen!」
『O Tannenbaum, o Tannenbaum, Du kannst mir sehr gefallen!』
その時、人が入ってきた。二十歳をいくぶんか過ぎた男の人。私と彼女は彼の名前を知っているし、逆もまたそう。
「O Tannenbaum, o Tannenbaum, Dein Kleid will mich was lehren:」
『何……してる……?』
実の娘に向けるにはあまりに奇妙な、恐れをはらんだ声。
……至極、当然の反応だった。
「Die Hoffnung und Bestaendigkeit, Gibt Mut und Kraft zu jeder Zeit!」
『あ、お父さん!あのね、あのね?結意ともみの木を……』
彼が目にしたのは、二人の娘が歌っている光景。
「O Tannenbaum, o Tannenbaum, Dein Kleid will mich was lehren!」
『そんなことを聞いているんじゃない!』
……ただ、それだけ。
その片方が、ほんの一ヶ月前に生まれたばかりであることを除き、ただそれだけのこと。
もし重ねて提起するなら、歌っている歌が、今は住んですらいない祖国の歌である、やはりまた、それだけのこと。
『お前……ああ、くそ。何なんだお前……』
だから、彼の反応は至極真っ当なのだ。自分の妻がその命に代えてこの世に産み落とした娘が……
『化け物……!』
……で、あったのだから。
呪わしい。忌まわしい。消え失せろ死んでしまえ。彼の内に渦巻くのはそういう強い負の感情。
私はその全てを直に受けた。人間の感情なんてこれ以上ないほど読みやすく、言語的な知識はともかくも、概念的な理解に困りようがなくて。
そうして、私は壊れていく。私の中に、私自身を創出する。
人間の私を救ってくれる、化け物の私。話し相手で、理解者で、誰より近しい存在。
「私……卑怯だ……」
……きっと私は、耐え切れなかったのだ。当然、彼女はそれを知っていた。最後に私が拒絶してしまった彼女は、私を救うためだけに、最短で最善の策を採っただけ。人道的観点ってものを無視してしまえば、俗に言う難しい選択の大半が一択問題に突き落とされる。
ごめんなさい。バンダースナッチ。私あなたに謝らなくちゃ。
鏡の国に行けるなら、私はどんなこともしよう。