転生者の魔都『海鳴市』   作:咲夜泪

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04/アナザーブラッド

 

 

 

 ――そして、『彼女』は失敗した。

どうしようも無いほど失敗して破滅した。盛大に、美しく儚く、残酷なまでに――。

 

 その敗因は何だったのだろうか。考え得る限り最善を尽くした。成就する為に全てを賭けた。全てを裏切った。世界を敵に回しても勝利する理を事前に用意し尽くした。

 全ては『彼女』の思惑通りに進んだ。あらゆる妨害を想定し、完全なる形で排除した。

 人智を踏み躙り、あらゆる不条理と理不尽を乗り越え、運命さえ手中に収め――本願成就まであと一歩の処で、最後の『敵』と相対する。

 

 ――それは、絶対に負けない勝負だった。

 ――それは、絶対に負けられない勝負だった。

 ――それは、絶対に負ける勝負だった。

 

「あ、あ、あ……!」

 

 言葉にならない絶望の怨嗟が鳴り響く。

 世界を狂わせ、彼方の地平を引き裂きかねない悲鳴は何処までも木霊していく。

 童女のように泣き崩れる彼女を、支える影は最早一つも無い。全て捨てて、全て失った。その果ての結末がこれである。

 

「――これ以上無く上手く行った。

 ――望める限り最上の状況を作り上げた。

 ――それでも失敗した。やっぱり『彼』に覆されてしまった」

 

 あと一歩、あと一歩で事を成就出来た。 

 しかし、その最後の一歩が何千何万何億回と繰り返そうとも辿り着けないのならば、もはやそれは『不可能』と呼ぶべきではないだろうか?

 気づいていない筈はあるまい。それを誰よりも痛感しているのは『彼女』自身であり、だからこそ誰よりも否定しなければならないのは皮肉以外何物でもない。

 

「いい加減、もう諦めたら? 貴女は結局――」

「……五月蝿い。五月蝿い、五月蝿い五月蝿いッ! 私は諦めないッ! 絶対に、絶対に……! ……次こそは、次こそは――!」

 

 ――そう、元より『彼女』に諦めるという選択肢は用意されていない。

 全ての発端が『彼女』の原初の罪であるが故に、『彼女』は未来永劫、過去永劫、自分自身を許す事が出来ない。

 

「……どの道、今回の記憶も封印ね。この結末は、貴女には辛すぎるから――」

 

 諦める事を許されていないから、この終わり無き悪夢は永遠に続くだろう。

 いつか念願叶い、全てを無かった事にするその時まで、少女は狂う事すら出来ずに孤独に踊り続けて、希望という名の地獄の炎に身を焦がし続ける。

 

 ――曲がりなしにも『彼女』は『善』ではない。その対極の『悪』である。世界の怨敵、秩序の破壊者、憎しや憎し全ての元凶――けれども今は、哀れでしかない。

 

 次の回が始まる。幾多の想いに鍵を閉め、狂いに狂った終わり無き輪廻転生がまた――しかし、今回は少し違った。

 

「――おや? これまた珍しい。いやはや、私が発生して以来、初めてのケースかな?」

 

 

 

 

「――という事がありまして」

『おやおや、夜天の書の主ともあろう者が従者を御せないとは情けない』

 

 その日、八神はやてはとある事を相談する為に『魔術師』に電話した。

 もしもこの事をクロウが知ったなら即座に電話を切らせて『魔術師』の危険性と有害性を切実なまでに説くだろう。

 だが、この場に他にいるのは従者の如く、傍らで心配そうにするリインフォースだけであり――クロウとヴィータの激突の一件を、『魔術師』は興味深そうに聞き、尚且つ此方の意図を察しているんだろうなぁとはやては感じていた。

 

「……はは、手厳しいお言葉で。でも、私もクロウ兄ちゃんに危険な目に遭って欲しくないけど、クロウ兄ちゃんは何処までも突っ走って行っちゃうんだろうなぁ……」

『クロウ・タイタスは理解者には恵まれているようだな』

 

 皮肉ではなく、心底そう思っているかのように『魔術師』は相槌を打つ。

 八神はやてと『魔術師』の縁はほとほと奇妙なものだと彼女自身も思う。

 

(……はやて、今でも『魔術師』に相談するのは反対なのですが……)

(大丈夫や、リイン。油断出来ない相手というのは最初の前提からで、それでも話せば解る人だし――)

 

 念話でのリインフォースの忠言を首を小さく横に振って微笑みかける。

 時には刺客を差し向けられて殺そうとしたり、時には謀略の手を差し伸べて駒の一つとして使ったり、時には彼女の家族の一人を救う為に無条件に一肌脱いだり、極めて受動的で変化の激しい縁である。

 それでも、昨日の敵が今日の味方になるのは魔都海鳴ではありふれた出来事である。逆も然りであり、むしろその方が多いような気はするが――。

 

『それで相談事の本題はクロウ・タイタスを手助けしたい、守護騎士達に一戦力として認められるように、何かしらの方法で協力したいという事柄で良いのかな?』

「うんうん! 流石『魔術師』さん、話が早いわぁ」

 

 少しだけ沈黙する。電話越しの相手は何やら思考しているようであり、どのような結論になるのか、はやては少し緊張しながら待ち続ける。

 やがて、考えが纏まったのか、電話越しの『魔術師』は口を開いた。

 

『クロウ・タイタスに足りないものは二つある。致命的な欠落であるが故に、彼は『大十字九郎』には絶対届かない。さて、それは何だと思う?』

 

 ――『大十字九郎』。クロウ・タイタスが今でも憧れる人。彼には出会った事が無いらしいが……。

 クロウ曰く――宇宙の中心で世界一カッコ良いロリコン宣言した偉大なる『正義の味方』、と凄いのかどうか良く解らない説明の、アル・アジフの永遠の伴侶。最後の『死霊秘法の主(マスター・オブ・ネクロノミコン)』。

 

「……魔力不足、魔力の絶対量が少ないってクロウ兄ちゃんも言ってた」

『そう、言うなれば才能の壁だ。生まれつき強大な魔力を持っている君には無縁の話だがね』

 

 ……そう言われて、割りと真面目に申し訳無くなる。

 才覚とは天から授かるものであって、当人にはどうしようもないが、自分なんかの魔力が半分でもクロウにあれば、あるいは――『魔術師』なら即座にこう答えるだろう、余りにも無意味で不毛な仮定であると。

 そんな事に思考を費やすなら容赦無く落第点を出すんだろうなぁと、『魔術師』特有の他人を無造作に試す意地悪な言葉にはやては苦笑する。

 

「もう一つは、アルちゃんの存在――」

『その通り。今の彼には『アル・アジフ』の存在が欠けている。幾ら原本に限り無く近い写本を持っていようが関係無い。……半端者と落伍者が組み合わさって漸く一人前だったのにな』

 

 内包する魔力貯蔵量と幾多の戦場を共にしたパートナーの不在、これが客観的に見て戦闘者としてのクロウ・タイタスが抱える二つの問題である。

 果たして、『魔術師』でもこの二つを解決する名案はあるのだろうか――と、唐突に、一つの光明が思い浮かぶ。

 

「――あ、『魔術師』さん! 私、思いついたよ!」

 

 問題を再確認して、自分の持ち得る環境を最大限に考えて――理想的な打開策が思い浮かぶ。

 はやては電話を手にしながら、背後に付き添うリインフォースの方に振り向いた。

 

「リイン、クロウ兄ちゃんとユニゾンは可能!?」

「……そうですね、相性次第ではユニゾンも可能かと――」

 

 それは古代ベルガの遺産ともいうべき『ユニゾンデバイス』、融合騎と術者が文字通り『融合』し、魔力の管制・補助を行うものであり、この形式ならば他のデバイスを遥かに超越する反応速度や魔力量を得る事が出来る。

 つまり、魔力量の問題も解決出来る上に、リインフォースの補助が付くという最高の解決策である。だが――。

 

『それは絶対に駄目だ、試行錯誤する事すら大惨事になる』

 

 間髪入れず、しかも深刻な音色を籠めて、『魔術師』は断固否定する。切羽詰まっている、というよりも、鬼気迫るという具合である。

 

「え? ……『魔術師』さん、それはどういう――」

『相性以前の問題だ。クロウ・タイタスと不用意にユニゾンすれば、融合騎の精神と魂が完膚無きまで汚染されて破壊されるぞ』

 

 ……確かに融合騎は術者の融合適正次第で『融合事故』の危険性・事故例があるというが、『魔術師』の言葉からはやる前からの抑止の言葉とは思えないほどの危機感が篭められている。

 

「お言葉ですが、私は並大抵の事では――」

『その並大抵という秤から逸脱しているのだよ、クロウ・タイタスは。あれの前世も、あれ自身もな――』

 

 リインフォースのフォローとも呼べる言葉すら即座に否定し、はやては思わず「?」と首を傾げてしまう。

 つまりは『魔術師』側と八神はやて側で、情報量の差があるという事に他ならない。電話越しの相手により一層耳を傾ける。

 

『八神はやて。君は『魔物の咆哮(アル・アジフ)』を単なる少女として認識しているのだろうが、あれは外道の知識の集大成たる狂気の魔導書――常人が迂闊に閲覧すれば、ただの一頁すら耐え切れずに魂が発狂するぞ? 例えそれが二次的、他人の記憶というフィルターを通してでもな――』

 

 いまいち実感出来ない事だが、これだけ念を押してあの『魔術師』が止めるあたり、はやての想像を超えるほどまずい事なのだろう。

 そう解釈すれば、事の重大さを共有出来る。秤の種類は違うが、それだけは絶対的に信頼出来る事柄である。

 

「……一石二鳥の手だと思ったんやけどなぁ」

『そんなに簡単に片付くほど、物事は単純ではないさ』

「……うぅ、何とも実感の篭ったお言葉で」

 

 ともあれ、未然に重大事故が防がれたとは言え、また振り出しに戻る。

 そういう点では既に『魔術師』に相談した事は正解だった、と前向きに考えて行こうとはやては自分を鼓舞する。

 

『最強の魔導書『アル・アジフ』の代役など誰も務まらない。ましてや、彼女を超える解決案を表示しろと君は言っているんだぞ? それを二重に解決する策など……ふむ、或いは――』

「え? 嘘、何かあるん?」

 

 幾ら『魔術師』と言えども、某青い猫型ロボットのようにそんな都合良く解決策を提示出来るとは思えないが――その心当たりを簡単に思い浮かぶあたり、流石は音に聞こえし『魔術師』と評するべきか。

 

『オリジナルたる『アル・アジフ』、いや、ネクロノミコンはあの世界で一番有名な魔導書さ。それこそ『写本』など幾らでもある。ギリシャ語版、ラテン語版、不完全な英語版、変種たる機械語版、そして――』

 

 一部、それは書物になるのだろうか、と疑問に思うものもあったが、端折らずに耳を澄ませて聞き届ける。

 その、今までの写本とは根本的に違う異質の何かの名称を――。

 

『――ネクロノミコン血液言語版』

 

 

 

 

 ――『彼女』の『血』は識っている。

 あの『無限螺旋』での、終わり無き熾烈な死闘の数々。在り得ざる世界として否定されたその全てを、一部始終を――。

 

 それはその一頁。端の端の端、本筋に至る前の脇役達の物語。数多に存在した『死霊秘法の主』達の苛烈なまでの生き様、熾烈なまでの死に様の記述。

 それはその中でも端の端の端の端、最も脆弱だった主の、最も過酷な戦い。

 

(――情けない。頼りない。弱い。脆い。足りない。無い、無い無い無い無い、まるで無い――)

 

 邪悪との熾烈な死闘を繰り広げた歴代の主の中で、最も無様な物語。

 だからこそ『彼女』は疑問に思う。この主はどうして『死霊秘法の主』になったのか――?

 

(邪悪に対する正しき憎悪? 昏き深き復讐心? 単なる偽善? どれも違う――) 

 

 その主には何も無かった。世界を犯す悍ましき邪悪に対抗する理由が無かった。隠秘学を少々齧っているだけの、何の変哲も無い人間に過ぎなかった。

 

(――そう、これは『お母様(オリジナル)』と契約した事で悪夢に沈んだ絶望の物語。それなのに何故――)

 

 本来は『彼女』にとって思い返す機会さえ無いほど脇道の物語。

 けれども彼は、『クロウ・タイタス』は、歴代の『死霊秘法の主』の中で唯一再契約した者、次代の主が誕生する事は前代の主の死を意味するのに、再び『死霊秘法の主(マスター・オブ・ネクロノミコン)』になった者。

 『無限螺旋』の最果てで至った『最悪の結末(バッドエンド)』を覆した最大の要因。邪神の脚本を完膚無きまでに覆した史上最大級の『ご都合主義の寵児(デウス・エクス・マキナ)』。

 

(何故、何もかも台無しにする最低最悪の『大根役者(ジョーカー)』に成り得た? あの呪わしく忌々しい『邪神』の策略を打ち砕く一手に成り得たの――?)

 

 『這い寄る混沌』の企みによって宇宙に外なる邪神達が解き放たれ――『魔を断つ剣』は折れて存在すら否定され、最後の『死霊秘法の主』である大十字九郎は絶望すら朽ち果てる悪夢の宇宙で消滅する筈だった。

 

(『ご都合主義の寵児』の手には『魔を断つ剣』が再び、そして『正』と『負』の極限の衝突によって消滅した『■■■■■■■■■』を再構築して統合して――)

 

 それは荒唐無稽な大逆転劇、既に終わった暗黒神話を引っ繰り返す、奇跡という言葉すら馬鹿馬鹿しい問答無用のハッピーエンド。世界の中心で夢見る神様ですら消し去る事の出来ない――いのちの歌。

 

(解らない、分からない、判らない――)

 

 物語の紡ぎ手たる『彼女』が物語を、物語を紐解く。一つ一つ丁寧に、『彼』の物語を紐解いていく。

 それが世界間を移動する際の、字祷子(アザトース)の乱流を奔る際の恒例行事になったのはいつからだろうか。

 と、引き伸ばされていた時間が急速に圧縮されていく。良く慣れ親しんだ、忌み嫌った実世界での顕現の前兆だった。

 

(……もう次の世界? せっかちな早漏さんねぇ――)

 

 『彼女』が紡ぐ物語は『彼』の物語は真逆、救われざる物語、呪われた蛭子の怨念の物語、悪徳の坩堝――。

 次なる遊戯場を『彼女』の色に染め上げてよう――そして新たな世界に立つ。

 

「――?」

 

 最初に感じたのは風、次に音、そして光。

 今回は比較的文明の進んだ街並みであり、普通に人間の住まう世界である事が実に喜ばしい。

 これから紡ぐ物語に恋い焦がれ、生を謳歌する全てを呪いながらも――何処か違和感を覚える。

 

「私は、この世界を知ってる……?」

 

 自身の顕現と同時に血の臭気に犯され、瘴気の風が吹き荒れるほど清浄な世界なのに、異質の魔の気配が其処ら中に漂っている。

 夜の街には只ならぬ魔性の雰囲気が見え隠れする。此処まで歪んでいるのは珍しい。幻都倫敦、魔都上海、帝都東京に匹敵するほどの魔的で妖的で異形で怪異な属性を感じる。

 

「あ、は。ははは。そう、そうなの、随分と気が利いているじゃない……!」

 

 『彼女』は調の狂った甲高い声で嘲笑う。本命ではないにしろ、この世界は待ち望んでいた世界に違いなかった。

 大黄金時代にして大暗黒時代にして大混乱時代の混沌都市『妖都櫃夢(アーカム)』とは別ベクトルの、混迷とした気配――それを『彼女』は知っている。『彼女』の『血』が識っている。

 

「――魔都海鳴。此処に、あの『彼』が居る。此処に、『お母様』に最も近い『ネクロノミコン』がある」

 

 ごった煮の多種多様の魔の気配、それに混じって――懐かしの気配を感じ取る。間違える事など在り得ない。『オリジナル』に限り無く近い写本が、此処にはある。

 今回は如何なる趣向でこの世界を犯し壊し弄ぶか――残念な事に、『彼女』の選択肢は少ない。

 

「……っ、はぁっ、あぁっ……! こんなにボロボロになるまで激しく責め立てるなんて、『騎士殿』は相変わらずはしたないわねぇ……!」

 

 前回の敗北は余りにも、元々不安定だった『彼女』の存在を更に希薄にしてしまった。

 忌まわしき『騎士殿』、度し難い『ドンキホーテ』、その影(シャドウ)たる『彼女』はいつになく消耗し停滞し泡沫となっている。

 

「――あはっ」

 

 されども、『オリジナル』に限り無き近い写本を術式に組み込めば、『彼女』の存在は今まで以上に強固となって実世界に定着し、『彼女』の物語で世界を犯す事も意のままになる。

 

「――物語を創(はじ)めましょう。でたらめを入れて、語りを遮りながら、ゆっくりと一つ一つ、風変わりな出来事を打ち出して、『物語』を育みましょう――!」

 

 

 

 

 


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