「――ところで『過剰速写(オーバークロッキー)』さん、どうやって『一方通行(アクセラレータ)』に勝ったんです?」
とある日常の一コマ、兼ねてより疑問に思っていた事を、その日、セラは唐突に口にした。
向かいのテーブルに座って数多の銃器を弄る、存在しない筈の第八位のクローンであり、尚且つ転生者ではないと思われる生粋のイレギュラーは目を細める。
恐らくは、その学園都市の中で有数の明晰な頭脳で、その質問の意味を瞬時に察したが故にだ。
「……ふむ、なるほど。奴の能力の詳細を知っていれば当然の疑問か」
「『一方通行』? クロさんの親戚?」
「似たようなものだ。学園都市に八人しかいない超能力者の一人、奴はその第一位だ」
はやてが首を傾げながら『過剰速写』に視線を送り、彼もまた嫌なものを思い出したのか、眉間に皺がよる。
今、この段階で彼が反応するものと言えば、その第一位『一方通行』についてだろう。そういう反応も相重なって、セラは益々気になった。
一応、セラもまた『とある魔術の禁書目録』の世界出身だが、生憎な事にイギリス出身なので、科学サイド、つまりは学園都市の事については原作知識しかない。
「あれ、クロさん……正確にはそのオリジナルさんが第八位だっけ? という事は――」
「序列は学園都市にとっての利益が基準だ、能力の強さが基準ではない。プラスどころか、ぶっちぎってのマイナスだった『赤坂悠樹(オリジナル)』が第七位の削板軍覇を差し置いて第八位なのは当然の理だ」
はやての当然すぎる指摘に早口で尚且つ即座に答えるあたり、相当その序列に拘っているなぁとセラは内心思う。
ようするに、暗に『一番下の序列だからと言っても上の連中に劣る訳じゃない』という少年らしい歳相応な可愛らしげな主張なのである。
「――だが、第一位『一方通行』と第二位『未元物質(ダークマター)』だけは本当に規格外だ。第七位は例外だがね」
その評価は原作からも言われている事である。第三位『超電磁砲』までは格下の、それこそ格下の『大能力者(レベル4)』以下でも勝機は見い出せるが、第二位と第一位は可能性すらないほど隔絶していると。第七位に至っては色々と訳が解らないが。
それを実体験として知っている彼は如何に『一方通行』を破ったのか、気になる処の話じゃない。そんな手段があるのなら、是非とも聞きたいものである。
「それじゃ『一方通行』の反射をどうやって破ったんです? やっぱり木原神拳?」
「……何だそれ? 木原ってあの『木原一族』の木原か?」
「あ、其処の処は知ってるんだ。説明しましょう、木原神拳とは!」
デフォでベクトル操作の設定が反射になっているのなら引けばいいじゃない、というのを真面目に行った正気の沙汰じゃない対『一方通行』用の戦法であり、当然の事ながらそれを聞いた『過剰速写』は胡散臭そうなものを見るような目をした。
「……とんでも理論だな。卓上の空論と評する事すら烏滸がましいぞ。反射の自動設定を変えられたら対処しようがないだろうに」
「まぁ生みの親みたいな存在だからこそ可能だったんじゃないですかねー」
どんだけ苦労して『一方通行』にしか通用しない戦法を身につけたのか、数多の畏怖と困惑と共に『木原神拳』と称される所以であり、それを聞き届けた『過剰速写』は「アイツってそんなにヤバい研究者だったのか?」と一人首を傾げた。
「確かにアイツの反射膜は光すら通さない絶対の防御だ。――ふむ、改めて考えると、オレの突破法もとんでも理論か」
かかか、と『過剰速写』は邪悪に笑う。自分自身にしか成し得ない突破法の余りの荒唐無稽ぶりを嘲笑うように。
「これは今のオレには出来ない事だが――」
(ねぇねぇ、『もう一人の私』)
「……何です? というよりも、今更言うのもあれですが、本当にその呼び方で定着させる気ですか?」
(当たり前でしょ? 実際にそうなんだから)
傍目から見れば独り言を白昼堂々呟いている白い修道服の電波系少女に見えなくもないが、さもあらん、『二人』の事情は少々特別である。
セラ・オルトリッジと『禁書目録(インデックス)』であるシスター、二つの人格は混ざる事無く一つの身体に存在している。
――元々の主人格はセラであるが、二回目において記憶を全て消されて『禁書目録』として生きて死に、三回目の世界においての主人格はむしろシスターの方であり、彼女達の複雑な共存関係を更に複雑にしている。
今では生死の絡む緊急時以外は一日一交代で人格を入れ替わっており、本日の身体の主導権は『禁書目録』の方のシスターである。
本来ならば、『禁書目録』としての知識をフル活用出来るシスターなら、無力な存在に過ぎないセラの人格など幾らでも消去出来るというのに、全部取れる筈の主導権を半々にしているという奇妙な共生関係にある。
(どうしてこの使われていない部屋だけ定期的に掃除するの? 何か訳有り?)
「……詰まらない感傷です」
其処は孤児院の外れの、相当長い間、誰も使っていない部屋を一人で掃除する事が『禁書目録』の方のシスターの週末の日課であり、セラは首を傾げるばかりである。
その部屋には私物と呼べるものは無く、どう考えても空き部屋にしか見えないのだが、この部屋だけ良く手入れして特別扱いしているように思える。
どうしても気になるが、今日身体の主導権を持っているのは『もう一人の自分』の方であり、熱心に、されども何処か憂いながら掃除する彼女を客観的に眺めるだけだった。
「――という事があったんですよ」
(ななな、何て事をっ! よりによって此処でぶちまけますか、セラ!? よりによって『奴』が一緒に居る時に……!?)
翌日の朝食、気になっている事を『教会』の面々に聞いてみる事にした。今日はお休みの『もう一人の私』は自分の中で慌てふためくが、聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥である。
『神父』は目を瞑って淡く笑い、クロウは何処か気まずい表情をし、はやて達とヴォルケンリッター一同は脳裏に?マークを浮かべながら興味津々と耳を傾け――そして最後の一人は飛びきりの笑顔で答えた。
「――それはですね、あの部屋が嘗て神咲悠陽が使っていた部屋だからですよ。未だに帰ってくる事を望んでいるとは、健気で甲斐甲斐しいですねぇ!」
(あああああ、この馬鹿っ!?)
それはもう天職を得たとばかりに意気揚々と答えたのは『代行者』さんであり、『もう一人の自分』は怨嗟と共に悲鳴を上げた。
死亡偽装してまで裏切って、尚且つ平然と出戻りする当たり、彼には恥という概念も無ければ空気を読むという行為そのものも存在しない事は疑う余地も無い。
「あの『魔術師』さんの? 確かにこの孤児院出身とは聞いてましたけど、どうしてまた?」
「えぇ、聞きたいですか? 聞きたいですよね。私で良ければ存分に話しますとも!」
(ややややめろぉー! 喋るな口を開くな息を吸うな! 代わってセラ! そいつ殺せないっ!)
何やら自分の中で物凄い勢いで殺意をまき散らす『もう一人の私』だが――いつでも主導権を奪い取れるのに、それだけはしない。
つまりはそれが私の唯一勝る点、私が今尚無事に存在している理由。彼女は私に、負い目を持っている事。
私にとっては些細であやふやでいつでも吹き飛んでしまいそうなものだが、『もう一人の私』にとっては死活問題、行動原理すら縛る鎖となっている。
「駄目だよ、『もう一人の私』。今日は私の番なんだから。それじゃ『代行者』さん、お願いしますね」
言葉にならない絶句が『もう一人の私』から発せられるも、それを無視して話を進める。もとい、最高に良い笑顔になっている『代行者』さんに語らせる。
今、この機会を逃せば一生聞けない気がするし、何より当人の話したがらない事は他の人に語らせるしかない。
「そうですねぇ、少しだけ昔の話ですよ。まだ神咲悠陽が『魔術師』と呼ばれていない、いえ、型月世界の魔術師であると周囲に知られていない頃の話です」
……もうその時点で想像出来ないんだけど。
だって、あの『魔術師』さんだよ? そんな私の表情を察したのか、『代行者』さんはにんまりと笑った。
「能ある鷹は爪を隠すという諺通り、神咲悠陽はその全能力を病的なまでに秘匿し、世に悲観的な全盲の少年を装っていた。――まぁ私だけは、彼が『第二次聖杯戦争』の覇者たる魔術師であるのではないかと確信を持てずに疑ってましたがね」
ああ、そういえば『代行者』さんが代行者なのは、あの型月世界の『埋葬機関』出身だったからだ。信仰心とか欠片も無いけど、あの部署は信仰心よりも異端に対する殲滅力重視だった筈……。
「……ああ、テメェとアイツは一応同じ世界出身だったけ。その時は知っていても言わなかった癖に……」
同じ思考に至ったクロウはげんなりとした顔でため息を吐いた。……恐らくは、『もう一人の私』に対する配慮、遠慮からだろうか?
……少し羨ましく思うと同時に、こんな事を聞いて良かったのだろうか、クロウに軽蔑されないだろうか、改めて疑問に思って揺らいでしまう。
「誰一人聞かれませんでしたからね。――尤も、現在と違い、彼の存在など当時は微々たるものでした。大局を見据えた際の小石程度の存在感です」
それでもその私の知らない昔話は魅力的であり――毒を食らわば皿まで、最後まで聞き届けてから『もう一人の私』に誠心誠意で謝るとしよう。
「……全然想像出来ないね。という事は、『魔術師』さんは元々原作に関与する気が無かったんじゃ?」
「そうですね、当初の方針はそうだったのでしょう。ならばこそ、それは完璧な処世術と言えるでしょう。我が主の存在を感知しなければ、一生爪を隠したまま埋もれていたでしょうね」
『代行者』さんが主と呼ぶ存在、管理局の影の支配者さんが暗躍しなければ、ずっと埋もれていた……。
その場合は、私もまた此処に存在しなかっただろうなぁと複雑な気持ちになる。
「さて、問題です。セラ、そんな超一級のぐうたら社会不適合者を親身に介護したのは、一体何処の誰でしょうか?」
「ああ、其処から話繋がるんだ。……へぇ、それが『もう一人の私』だったの?」
「そうです、その通りですとも! 彼女がクロウ・タイタス以外の人物にはツンツンで素っ気無いのはご存知でしょうが、当時は彼だけが例外だったのですよ」
いつになくハイテンションに語る『代行者』さんに、いや、その驚愕の過去話に私は驚きを隠せずにいた。
「え? ……デレデレ?」
「ええ、デレデレですとも。そうでしたよね? クロウ」
「オ、オレに振るなっ! この件に関しては黙秘権を使用する! だからセラも聞くなよ!?」
慌てふためくクロウを尻目に、『もう一人の私』の方に意識を向けると――何の反応もない。それが逆に怖く思うのは気のせいだろうか……?
あの『もう一人の私』がデレデレで無能装う『魔術師』さんを介護……!?
ああ、何その混沌の極み、人間の想像力には限界というものがあって、想定外の事は一切思い浮かべないのだが……。
「――しかしまぁ、理想的な依存関係でしたよ。彼と彼女は。それが擬態であり、期間限定だった事を除けば、ですがね」
「……? 良く解らないんだけど?」
「果たして何方が依存していたか、という話ですよ」
その『代行者』さんの意味深な物言いは不可解で、首を傾げる。
だって、それは全盲装う『魔術師』さんが『もう一人の私』に依存している関係で終始していて、それ以上語る事は無いと思うのだけど?
そんな私の顔を察してか、『代行者』さんはのんのんと首を振って否定する。
「あの当初、彼女は誰にも心を許さなかった。さぞかし二回目の死は凄惨な傷痕を彼女に遺したのでしょう。常に疑心暗鬼に捕らわれ、誰一人信用出来なかった」
その『代行者』さんの意地の悪い悪意は完全に『もう一人の私』に向けられていたけど、僅かに眉間が歪んでしまう。
二回目、つまりは『もう一人の私』の人生だが、彼女がどういう末路に至ったのか、私は知らない。
けれども、私の一回目の生涯は――。
「自分より明らかに格下で、自分では何一つ出来ず、自分という存在に依存しなければ生きていけない。そんな条件を全て完璧に備えていた当時の神咲悠陽に依存するのは仕方がないでしょうね」
『代行者』さんは「おそらく意図的に誘導されていたでしょうが」と付け足す。
その時の『魔術師』さんの状況は『もう一人の私』に全てを委ねなければならないという状況(まぁ演技であるが)であり、そんな切羽詰まっている人しか『もう一人の私』は心を開けなかった。
それほどまでに精神的に追い詰められているほど、彼女が辿った結末は――。
「まぁ私から言えるのはこれぐらいです。引き時を弁えないと『シスター』に殺されてしまいますからね」
「いやいや、その一線をアクセル全開で踏み越えておいて良くまぁそんな戯言吐けるな?!」
全力で突っ込むクロウに対し、『代行者』さんは意に関せず、清々しいまでの笑顔で「良い仕事をした!」と言わんばかりである。
彼の言う仕事はその殆どが他人に対する嫌がらせなのは周知の事実である。
「後はご本人の問題ですから。彼女が言い渋るようなら、私が喜んで代弁しましょう」
「あ、えーと、『もう一人の私』から『代行者』さんに伝言だけど――『明日覚えてやがれ』だってさ」
「おぉ、怖い怖い。それでは全力で逃げるとしましょう」
朝食が終わり、セラが何処かに立ち去った後、今まで沈黙して(空気になっていた)八神はやては新たな議題を提示した。
「なぁなぁ、『魔術師』さんは何の為に偽装を解いたんかな?」
「ほう、興味深い事ですね、八神はやて」
もちろん、真っ先に食いついたのは『代行者』であり、ヴォルケンリッター一同の視線が自然と鋭くなる。
ヴィータに関しては「ガルルル!」と声に出して威嚇しているほどだ。
「主はやて、その者との会話は――」
「おやおや、随分と殊勝ですねぇ。まるで家臣の鏡のようだ。この前の道具じみていた様子が嘘のようで――随分と人間らしくなるものですねぇシグナム」
率先して矢先に出たシグナムに、威嚇し続けるヴィータ、心配そうにしながらも嫌悪感の混じった視線を送るシャマル、無言で睨む狼形態のザフィーラ、主の背後で敵意を示すリインフォースを順々に眺めながら、『代行者』は醜悪に嘲る。
「やっぱりテメェは嫌いだ……!」
ヴィータは感情のままに叫び、『代行者』はご褒美とばかりににんまりと笑う。
まさしく『代行者』の在り方は害悪そのものであり、基本的にまともな会話は一切期待出来ない。
「私は大好きですよ。プログラムに過ぎない君達が滑稽にも人間を装う有り様は中々――おっと、本題は其処じゃないですね」
本来ならもっとかき回して更なる嫌悪感を引き出す処だが、それ以上に面白い話題があるならそれを優先するのは彼の思考原理として当然極まる事だった。
「その疑問は何処から生じたものですか? 八神はやて」
「えとな、『魔術師』さんはそのまま偽装していた方が何でも出来たんちゃう?」
「え?」
疑問符を真っ先に浮かべたのはクロウであった。
「おいおいはやて、そりゃどういう事だ?」
「だって、誰から見ても無力な人だったんでしょ? 誰にも気付かれずに暗躍し放題やん」
あのまま『教会』の孤児院に居座って、誰にも気付かれずに至高の吸血鬼を使役しながら魔都に謀略を巡らす。
そんな余りにも無理ゲーな状況を想像し、クロウの顔は一瞬にして真っ青になる。
「か、考えてみれば……うわ、それ超恐ろしいぞ!? んん? でも、何でそれしなかったんだ? アイツが考えつかないとは思えないが――」
こんな自分でも気づける事をあの『魔術師』が気づいてないとは到底思えないが――。
「おぉ、クロウの癖に其処に気づくとは……!」
「何で本気で驚いてやがるんだ!? 張っ倒すぞ、テメェ!」
「? 褒めたんですよ」
「それで褒めたつもりなら余計性質が悪いわっ!」
相変わらず『代行者』は『代行者』であり――基本的に色々と優秀でありすぎるが故に色々見失っているというか、見過ごしているというか、理解出来ていないというか、ともかくどう足掻いても人付き合い出来ない類の社会不適合者である。
「そうですね、『魔術師』神咲悠陽は敢えて表舞台に立ってその矢先を自分に集中させた。神算鬼謀の謀将、悪辣で冷酷無比の彼の行動原理から考えれば明らかな失策です」
その手の暗躍がどれほど有効かは、彼の主、豊海柚葉が実証しているだろう。
もっとも、彼女に自身の正体を完全に秘匿する、という意識があったかは別問題であるが。
「なら、逆に考えてみましょう。矛先を自分に向けさせる事が目的だったのなら――?」
嘗て神咲悠陽が使っていたという部屋に一人乗り込み、使われていないベッドの上に寝転がる。
此処なら、私と『もう一人の私』以外、誰もいない。
「……ねぇ、『もう一人の私』」
(……何ですか? 悠陽の事を更に聞きますか? ええ、今なら何でも答えて差し上げますとも)
物凄くやぐされて自棄っぱちになった『もう一人の私』が恨めしそうに言う。『代行者』さんからの嬉々とした精神攻撃に大分参っている様子である。
「……違うよ。もっと重要な話。『もう一人の私』はさ、えと……どういう死に方をしたの?」
その瞬間、言葉を発さなかった『もう一人の私』から様々な感情が伝わる。
それはとても暗い感情、耐え難い無念であり、涙を打つような悲哀であり、例えようの無い絶望の色だった。
そして私は、やっぱりと思うのだった。
心当たりがありすぎた。転生者、それも『三回目』の転生者が抱える絶対的な法則――『一回目』の死は覆せない。形を変えて、姿を変えて、幾ら回避しようがより残酷な形で再現される。
(……『代行者』が推測した通りですよ。私は全てに裏切られ、惨めに殺された。私の手には何も残らなかった――私は、貴女を取り戻せなかった)
そう、これが『もう一人の私』が一生涯、いや、今尚抱えた負い目。
私が、記憶を消去される前に残した布石によって、『もう一人の私』は私を、いや、自分の記憶を取り戻そうと全てを賭けて戦った。
でも、それは叶わなかった。だって、記憶を失って十万三千冊という途方も無い知識を刻まれても、『もう一人の私』は私なのだから――その死因からは逃れられない。
(……貴女は、いえ、失言です、忘れてください)
「ううん、それは駄目。私だけ言わないのはイーブンじゃない」
そう、私と『もう一人の私』は対等じゃない。
だからこれは、絶対に必要な儀式なのだ。喉がカラカラで、口内が乾く。死の香りが堪らなく不愉快であり、されども紐解く。
私の、一回目の私の最期を――。
「――それは災害だった。地震だったのか、津波だったのか、台風だったのか、火事だったのか、あるいは全部だったのか、それすら解らない。けれど、街一つが呆気無く滅びるほどの災害だったんだ」
それは本当に唐突で、何よりも理不尽で不条理な死だった。
日常というものはこんなにも壊れやすいのかを、つくづく思い知らされた。
……今でも原因は解らない。そもそも何が起こったのか、全くもって把握出来ていない。いや、そんなのは関係無い。肝心なのは――。
「良く映画であるシーン、崩れた瓦礫に挟まって身動き出来ない状況。それでも私の傍には、私が最も信頼する人が居たんだ」
それは一回目の世界における恋人だったが、今は顔も思い出せない。
絶対記憶能力を得たのは次の世界での事であり、一回目の出来事は既に摩耗して薄みかかっている。……或いは、忘れたいからなのだろうか。
「一人ではどうにもならない。だから、すぐ助けを呼んで来るから待っていてくれ。私は彼の言葉を信じて待った。必ず彼が戻ってきて助けてくれると疑わずに――」
怖かった。こんな状況で一人になったら、絶望した果てに発狂死しそうだった。
でも、このままでは助からないのは明確であり、一筋の光明に賭けるのは当然の成り行きだ。
「数十分だったのか、数時間だったのか、事切れるまでの時間間隔は曖昧ではっきりしないけど――結局、彼は助けに戻ってくる事は無かった。当然だよね、あんな大災害で、他の人に構っていたら自分まで死んじゃうし」
身動きの取れない私を見捨てて一人逃げ出したのか、彼もまた生還出来ずに犠牲者の一人になったのかは定かではない。
でも事実として、誰も、誰も助けてはくれなかった。天に伸ばす手は何も届かず、その手を引っ張り上げる手もまた無かった。
そういうものだと一回目の死で思い知らされた。涙を流しながら嗚咽し、絶望しながら死に果てた。だけど、その報われずに力尽きた手は――。
「――でも、クロウは助けてくれた」
それはまるで奇跡のような光景だった。
ボロボロになって傷だらけで血塗れなのに、まるで自分が救われたかのような笑顔を浮かべて差し伸べてくれた手は、何よりも暖かった。何よりも嬉しかった。
「また信じても裏切られるかもしれない。傷つくかもしれない。一回目のように、そして私の知らない二回目のように。――でも、それでも私はクロウを信じる」
私にとって、クロウこそが『正義の味方』であり――同時に悲しくなる。
彼が私だけの『正義の味方』ならどんなに良かったか。
彼はこれからも無茶し続けるだろう。自分以外の誰かの為に、『もう一人の私』の為に、八神はやての為に、彼女を支えるヴォルケンリッター達の為に。
そのちっぽけな力で、なけなしの勇気を振り絞って、どんな強大な敵が相手でも立ち向かってしまうだろう。
「だけど、私じゃクロウの助けになれない。私には、戦う力が無いから……」
私では、彼の隣に立てない。支えられない。自身の無力さは何一つ変わらない、覆せない事実である。
「――だから、手を貸して、『もう一人の私』。だって、貴女には――」
十万三千冊の禁断の知識がある。『魔神』と称されるだけの暴威を振るえる。彼の隣に立つだけでなく、強力に手助け出来る。
この提案は、自らの主導権を『もう一人の私』に受け渡す行為であり――でも、やっぱり私は『私』だ。そんな腹積もりは、とっくの昔に見抜かれていた。
(貴女もですよ、セラ。貴女の方が私より優れている点は幾らでもあるのですから――)
此処に至って、私達はようやく、対等の位置に付けたのかな、と我ながら小さく粋がって良いのだろうか?
「うん、それじゃ――一緒に頑張ろう」
「――、――」
『ふむ、余命二分三十六秒という処か。まぁ元々助けなんて来ないから関係無い事か』
既にその少女の目に光はなく、彼は彼女を押し潰しているコンクリートの欠片に腰掛けながら独り言を話す。
目も覆いたくなるような凄惨な災害現場にて、何一つ救おうともせず見殺すなど信じがたい行為であり、その精神性が既に人間から逸脱した――人外の領域にある事の証明でもあった。
『それにしても数え切れないほど――いや、正確には最初から数えてないが、まぁ把握出来ないほど無数に追放したが、行き着く世界は同じなのだろうかねー?』
ケタケタ笑いながら『この世界にいつまでも縛られている私には永遠に解らぬ事か』と残念そうに呟く。
『ならば、こんな会話をしているのかな? 皆が皆、噂の吸血鬼たる私に殺された事をさ――』
余りにも露骨な共通点だと、三つ編みおさげの少年は一人腹を抱えて哄笑する。
その最中に、下敷きになった少女の命の炎は静かに燃え落ちていた―。