転生者の魔都『海鳴市』   作:咲夜泪

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■■■■■■■■■■編
01/神咲悠陽


 

 

 

 ――何の変哲の無い、仕事場からの帰り道。

 

 日々蓄積された疲労感は何処吹く風。

 今日は愛しい愛しい我が娘の誕生日。君が生まれてから数えて十二回目の誕生祭。

 君の笑顔を一分一秒でも早く見たくて、買ってきたプレゼントを片手に、歩を進める足は羽根のように軽く、足取りは自然と早くなる。

 

 ――何の変哲の無かった、仕事場からの帰り道。

 

 夕日が毒々しいまでに紅く、体感温度が数度ほど高くなる。

 一体どんな催し物があったのか、焼け焦げたような異臭が微かに漂う。

 猟奇的な殺人鬼の往来で寂れた大通りに、異常なほどの人の壁が目の前に立ち塞がっていた。

 

 ――物見遊山気分の彼等が眺めていたのは、一件の火事。

 

 如何なる経緯でこうなったのかは想像すら出来ないが、解り易いほど黒く燃えていて「もしもこの中に誰か居たのならば、間違い無く助からないだろう」と根拠無く確信出来たのだった。

 ……急に不安に陥る。自分の家もこうなっていて、妻と娘が取り残されているのではないかという突拍子も無い妄想。笑い飛ばせないのが辛かった。

 これ以上見るべきものはなく、一分一秒でも早く妻と娘の顔が見たかった。

 

 ――だから、その女性の悲鳴を空耳として片付けて、聞かない振りをすれば良かったのだ。この時の選択を、私は生涯後悔する。

 

 悲鳴を上げているのは同年代ぐらいの女性で、今にも猛火の中に飛び込みそうな勢いの処を周囲の人達に取り押さえられている。

 正気を失っているのか、支離滅裂な言動に首を傾げる。

 不思議に思って近くの者から事情を聞くと、簡潔なまでに「――可哀想に。取り残されてるんだとさ、十二歳の娘が」と答えたのだった。

 

 ――何を血迷ったのか、この当時の私は「娘と同じ年頃の少女を見殺しにして、娘に顔向け出来るのだろうか?」と、身の程を弁えずに思ってしまった。

 

 娘に渡す筈だったプレゼントと、端的な遺言を錯乱した女性に言い遺し、私は猛火の中に飛び込んで逝った。

 それより先は覚えていない。決死の覚悟で飛び込んで、救援を待つらしい少女の下に辿り着いたかと問われれば、否だろうなと答えるしかあるまい。

 網膜に焼き付いたのは死の具現たる『炎の海」だけで――ミイラ取りがミイラになるように、私も一緒に焼け死んだのだろう。

 

 ――愚かしいまでの、馬鹿で無意味な焼身自殺である。

 そして性質の悪い事に、それは二度目の人生においても同じ結末だったのだ――。

 

 

 01/神咲悠陽

 

 

 ――遠い遠い昔、遡る事、前世に渡る。

 

 冬木の『聖杯』を持ち帰り、セイバーを亡くした私は失意の内に根源への到達を諦め――その忌むべき落伍者から『聖杯』を殺して奪おうとした実の父親を返り討ちにし、後を追うように殺しに来た妹を焼き殺した直後の話である。

 

 

「――ああ、やはりこうなりましたか」

 

 

 さも当然の如くそんな言ってのけたのは、先々代から仕える家の婦長だった。

 魔術師という奇妙な血族を半世期に渡って客観的に見てきた彼女の言葉は、自失同然の私を現実に引き戻すに足るものだった。

 

「……まるで預言者のような口振りだね、婦長」

「貴方様が御母上を焼き殺して生誕された日から、いつかこうなるであろうと思ってましたよ」

 

 ……此処での前世、つまりは一回目の最期に、我が網膜に焼き付いた光景は燃え滾る炎という死の具現であり――二度目の産声を上げた直後、まだ視覚として機能すらしていない『魔眼』はこの世界での母を焼き殺した。

 今でも覚えている。先程殺したばかりの父親は「それでこそ神咲の魔術師に相応しい」という世迷言を吐いて狂ったように笑い――私は生後間も無く、この男が未来永劫理解出来ない類の人種だと強く悟った。

 

「貴方様は『炎』そのものです。汝が触れし者を全て焼き尽くし、自身への害を他者へと歪めてしまう。奇跡のような『焼却』と『歪曲』の二重属性――必要と有らば、血の繋がった親も妹も躊躇無く殺害する。『魔術師』として正しい在り方です」

 

 その『魔術師』という言葉に、私は眉を顰める。

 セイバーが眠る『聖杯』を万能の願望器として使用する事を拒否したが故に、私は彼等が絶対的に信仰する魔道から外れた。

 そんな異端者は、もはや魔術師とすら呼べない。だからこそ、血族と殺し合う事になったのだ――。

 

「先代は致命的なまでに見誤ってましたね。貴方は誰よりも『魔術師』だったのに、魔術師らしからぬと誤解するとは――」

「……根源への到達を諦めた落伍者が、誰よりも『魔術師』らしい? 笑えない冗談だな」

 

 これ以上、的外れな与太話を続けるようなら『魔眼』で焼き殺す事も視野に入れ、殺意を籠めて笑う。

 だが、婦長には鼻で笑われた。まるで簡単な間違いに気づいていない子供に呆れるような素振りで――。

 

「目的(根源)に至る最適な方法が『魔術』であったからこそ、魔術師は『魔術』を学んでいます。『魔術』よりも優れた方式が発見されたのならば、何の未練無く即座に乗り換えるのが本当の『魔術師』が持つ不文律であり、冷徹なまでの合理性です。『魔術』を絶対視する多くの伝統派から失われた概念ですがね」

 

 婦長は穏やかに笑いながら「だからこそ、貴方様は聖杯戦争の覇者足り得たのでしょうね」と付け足した。

 ……一気に眉間が歪む。自分が犯した最大にして初歩的な過ちに気付かされたが故の反応だった。

 

 

「――そう、貴方様の在り方は血を積み重ねた魔術師ではなく、まるで初代の魔術師のようでした。その八代に渡って受け継いだ『魔術刻印』の妄執の重さを見誤ったのは致し方無い事です」

 

 

 そう、私は今世の父から受け継いだ『魔術刻印』を、魔術を使う上で便利な補助機能としか見てなかった。

 世代を積み重ねて増していく妄執など、意にも介さなかった。根源への到達という益体の無い命題に賭ける執念を見事なまでに、致命的なまでに甘く見積もっていた。

 

 ――それが今世の父との殺し合いまで至った原因であり、またしても後悔する。

 

 いつもそうだった。一回目の最期の時も、セイバーの時も、その後も――永遠に晴れない後悔の念だけが蟠る。

 それら全てを噛み締め、飲み込み、咀嚼して――それでも私は歩を進める。

 

「神那様をどうするつもりですか?」

「連れて行く。育てて私を殺せたのならば、私の全てを受け継がせても良い」

「罪滅ぼしのつもりですか? もしそうならば御止めになった方が宜しいかと」

 

 ――振り向かずに最期の忠言を聞き届ける。

 思えば、彼女の言葉はいつも正視出来ないほど痛々しく、そして正しかった。きっとそれは真実であるからこそ、何よりも深く痛感していたのだろう。

 

「――貴方様の種で、貴方様の思想と魔術を刻んだ後継者が、従来の魔術師になれる筈がありません。その魔眼で神那様を焼き殺し、神咲の魔道を貴方様の代で終わらせるべきです」

 

 ――結局の処、私は我が娘を二重の意味で一度も見ていなかった、という話。救いも何も無く、後悔しか湧かない、そんな報われない結末――。

 

 

(……昔の事を夢として見るとは、起きる前から最悪な気分だ)

 

 

 夢を夢として自覚する事ほど退屈で苦痛なものはない。

 何一つ思い通りに出来ず、傍観する事しか出来ない。夢の中では何でも出来ると思いがちだが、自分の場合は何も出来ない。見る事をやめる事さえも――。

 

 

 ――だから、選択肢すら現れなかった『if』を考えてしまう。

 あの時、消え逝く神那を救う為に『聖杯』を使っていたのならば、と――。

 

 

 ……彼女は、許してくれるだろう。元より万能の釜に自らくべられたのだ、彼女の意思など確かめるまでもない。

 ならば、何故、自分はあの時に、その選択肢すら思い浮かばなかったのか。私はその事実を一生後悔する。

 

(……いや、いつもと同じだ。何方を選ぼうが、選ぶまいが、後悔する事には変わるまい――)

 

 憂鬱な気分になっている内に夢の光景が目まぐるしく移り変わる。

 

(……忌々しいほど懐かしいな、この光景は)

 

 咽返る黒煙、一面に渡る灼熱の炎――それは私にとって原初の死の光景である。

 

 やはりであるが、最初に浮かぶのは猛烈な後悔の念である。私はこの死地に望んで足を踏み入れ、何も成せぬまま焼け死んだ。

 考えようによっては、私の死因は焼死ではなく、焼身自殺なのではないだろうか? 二回目の死はまさにそれであり、中々に笑えない冗談である。

 

(……息苦しい。新鮮さの欠片も無い。早く目覚めてくれないか――ん?)

 

 また最初の死を追体験して終わると思いきや、今回は少し違った。

 ――この死の具現の中に、もう一人、今まで見た事の無い異物が場違いにも現れたのだ。

 

(――何だ、これは?)

 

 それは男性として不似合いなまでに長い後ろ髪を一本の三つ編みおさげに結び、軽快に揺らす少年は――地面に這い蹲って横たわる焼け焦げた自分を見て、この上無く醜悪に嘲笑った。

 

 

「……誰?」

 

 

 此処で視覚情報の全てが闇に鎖され、視覚以外の感覚が鮮明になり――意識が覚醒状態に至った事を自覚するのだった。

 

 

 

 

 ――あの『魔術師』が重傷を負ったという知らせは瞬く間に海鳴市中に知れ渡った。

 

 虎視眈々と彼の寝首を狙う復讐者達には「またか」「釣り乙」「そんな餌で釣られクマー!?」と冷ややかな反応をされ、普通に総スルーされたそうだ。

 

 ……いや、オレ自身はこの対応そのものを信じられないのだが、柚葉が言うには「釣られた人間が居たのは二回目ぐらいまでで、それ以降は負傷の知らせ=屋敷に侵入して死ねという共通認識が出来たほどよ」だそうだ。

 もう何処から突っ込んで良いのか解らないレベルの逸話である。

 

「やぁやぁ、ナオヤがうちに来るなんて珍しいね!」

「……おはよう。朝から元気だな、レヴィ」

「僕はいつでも元気さー!」

 

 ……とりあえず、野暮用もあったので、こうして見舞いに訪れ、フェイト・テスタロッサと瓜二つの少女であるレヴィに出迎えられた訳である。

 

(それにしても『うち』か。まさかこんなに馴染むとはねぇ……)

 

 叩き潰して屈服させた上で『魔術師』の屋敷に引き取る事となったが、当人達が此処まで順応するとは予想外である。

 確か昨日も彼女達が慌てながら『教会』に駆け込んで、必死に救援を求めたとか――。

 

「一応見舞いに来たんだが、『魔術師』の様子はどうなんだ?」

「んー、ぴんぴんしているよー。王様もシュテルんも僕も心配していたのに、損した感じー。王様は『殺しても死なないから心配するだけ無駄だっ!』とか言ってたかな?」

 

 不満たらたらなゆるい感じに返答され、それほど大事に至ってないんだなぁと認識する。

 

「でもまぁ見舞いに来る人なんてナオヤぐらいだし、ユウヒも喜ぶさー。さぁ入って入って」

「あ、あぁ」

 

 レヴィは天真爛漫な笑顔で、まるで我が家に招待するが如く招き寄せ――その場の勢いで屋敷内に踏み入れて、オレは緊張感を高める。

 幾ら見舞い目的でも此処が即死罠が大量設置された『魔術工房』である事には変わらず――元気良く先行して案内するレヴィは何も考えず、廊下をまっすぐ直線に歩いていた。

 

(え? オレの記憶が正しければ、あそこはエルヴィがいつも迂回して歩いていた処なのに――まさか、常駐していた魔術的な罠の数々も、彼女達三人の為に切っているのか……!?)

 

 それはまさに変化しているのは彼女達だけではなく、あの『魔術師』も同様なのかと訝しみ――元気良く行進するレヴィを尻目に、オレはびくびくしながら進んで行くのだった。

 

 

 

 

 そして当の『魔術師』は、いつもと全く変わらない感じで椅子に腰掛けていた。

 怪我をしたという名残は首元の包帯ぐらいしか無く、全くもって病人とは思えない様子だった。

 

「……重傷負ったと聞いた割には随分と元気そうだな」

「前世が前世だからな。魔術刻印は術者の意思に関係無く、刻まれた後継者を強制的に生かそうとする。魔力や生命力、足りなければ寿命を削ってでもな」

 

 ……そういえば、蒼崎青子の方はミンチにされていても生きていたっけ。

 即死しなければ大丈夫のようだから、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトとか遠坂時臣とかも本来は『魔術師』と同様にしぶとかったのだろうか?

 

「それで秋瀬直也、まさか見舞いの言葉を告げる為だけに此処に来たのではあるまい。さっさと本題に入れ」

「……解るもん?」

「此方の人生経験を舐めない事だ。遠慮せずに告げるが良い。現在の私は病み上がりで酷く退屈している」

 

 悠然と寛ぎ、後髪を結んで編んだおさげを指先で弄りながら、相変わらず全てを見通したかのように魔的な笑みを浮かべていらっしゃる。

 この男を相手に隠し事など余りにも無意味だ。オレは深い溜息を吐きつつ、洗い浚い話す事にした。

 

「……相談したい事は、柚葉の事なんだが――」

 

 ――あれから、管理局と海鳴市の大一番から、柚葉は『シスの暗黒卿』としての能力を大半失った。

 千里を見通すが如く見れていた未来像を、殆ど見れなくなった。……卓越した剣術や、瞬間的な直感などは健在だが。

 

 そう、問題は――在り得ないほど不幸が多発するのだ。それも死に直結するレベルの。

 

 道を歩けば車が急に飛び出し、頭上から鉄塊が唐突に落ちるなど日常茶飯事、最早異常なほど殺しに来ている。まるで、世界そのものから拒絶されているかのように――。

 

「ふむ。まぁ当然の成り行きだろうな」

「いやいや、当然な訳無いだろう!?」

「当然なんだよ。私達のような生粋の悪党にとってはな」

 

 この在り得ないレベルの不運を、『魔術師』はさも当然だと断言した。

 彼には、この死が見え隠れする不幸の正体に見当が付いているのだろうか……!?

 

「一つ詰まらない昔話をしよう。一回目の人生の、小学生の頃だったかな。休み時間中にサッカーを……聞いているのか?」

「いや、まずその前提から欠片も想像出来ないんだが!?」

 

 そもそもコイツの小学生時代なんて想像すら出来ないし、ましてや休み時間中にサッカーしている姿などどうやって想像したら良いものか……。

 

「……いや、流石の私も一回目は普通の人間だぞ?」

 

 はいはい、ダウトダウト。一体その戯言を誰が信じるのやら。

 それはこの場に居たレヴィもシュテルもディアーチェもエルヴィもランサーも同じような顔をしていた。

 

「いやだって……なぁ?」

「坊主の言いたい事は十分解るぞ。コイツが普通の人間だった頃がある? ははは、そんなの在り得ねぇし、冗談にしては笑えねぇぞ」

「ですよねー。こればかりはランサーに同意です」

 

 お互いに視線を合わせて、即座に同意する。同じような感想を持っていたようで、自分達の感覚が正常であると安心する。

 

「いや、ランサー。まずはその『普通』の定義について小一時間ほど語り合う必要があるだろうて」

「『普通』って一体何なんだろうねー? 僕、解らないや」

「ええ、単純だからこそ非常に難しい命題ですね」

 

 それは新たに参入した三人娘も同様であり、『魔術師』は心底心外と言わんばかりの不満そうな顔を浮かべていた。

 

「お前等なぁ……。まぁいい。話を進めるぞ」

 

 咳払い一つし、『魔術師』は気を取り直して話し始める。自分の事ながらまるで遠い他人事のように。

 

「その時の私は味方チームへのパスなどのアシストは全部失敗し、パスカットなどの妨害工作は全部成功した。当時は疑問に思わなかったが、今考えれば明確な法則性のある異常だった」

 

 ? 全くもって話が読めないが……。

 困惑した様は自分だけではなく、ランサー、エルヴィ、シュテル、ディアーチェ、レヴィも一緒である。

 

 ――いや、其処に明確な方向性があるとすれば、協力するというプラス要素が失敗して妨害するというマイナス要素のみが成功する……?

 

 まさにこの『魔術師』らしい捻れっぷりである。この法則性を簡易に纏めるのならば――。

 

「ようは方向性の問題だ。悪行に特化している人間は善行をやろうと思っても悉く失敗するという例だ。――あれだ、悪の組織の敵側で矢鱈強かった奴が味方になったら弱くなるような法則?」

「いやそれこそ訳解んねぇよ!?」

 

 ゲームやアニメなどで悪役側だったら強かったが、味方になったら微妙というのは多々ある事だが。

 もうこの時点になれば『魔術師』が何を言おうとしているのか、大体解る。今の柚葉は――。

 

「お前が彼女を救って『悪』でなくなってしまったが故の弊害だろうな。今まで豊海柚葉を後押ししてきた悍ましいほどのプラスの補正が、全て反転してマイナスの補正になっているのだろう」

 

 ……つまりそれは、柚葉に理不尽な死が幾度無く迫っている原因は、他ならぬ自分という事なのか――。

 逃れようのない事実を突きつけられ、オレは俯く。一体、それに対してどうすれば良いのだろうか?

 すがるように『魔術師』を見るが――案の定、彼は自分の様子を感じてか、鼻で笑った。

 

「こればかりは安易な解決策を表示する訳にはいかないな。お前と彼女の問題だ」

 

 ……解っているさ、それぐらいは。

 ただ、自分が原因で彼女に死が迫っている以上、原因を解明して解決する事も出来ないし、解決の糸口すら掴めないとなると――。

 

(――アイツを救った事に、後悔なんてある筈が無い。それでも、自分のせいで死ぬような目に遭っている現状は、何とかしないといけない……!)

 

 その意気だけが空回りして宙を舞うような感触――考えこむ事、数秒か、それとも気づかない内に数分経ったのか、カップを受け皿の上に置く音で意識を現実に戻された。

 意図的に音を立てたのは『魔術師』だった。

 

「――だが、助言をするのならば、上手く付き合う、いや、それすら利用してしまえば良いだけの話だ」

「利用だって?」

 

 また突拍子の無い事を言い出し、オレは困惑する。

 『魔術師』は不敵に笑い――和服の袖から古びた御碗を一つ取り出した。何でそんな処に、とは突っ込まないぞ? 自身の領域内なら空間転移とか平然と実行する化け物じみた魔術師だからなぁ、コイツ。

 テーブルに無造作に置かれた御碗の中には、三つのサイコロが入っていた。

 

「――『チンチロリン』のルールは解っているよな? 『ジョジョの奇妙な冒険』では東方仗助と岸辺露伴の勝負が馴染み深いな。まぁ私と勝負する場合はヒフミ(一ニ三)が無条件の敗北だという事を知っていれば良い」

 

 御碗の中のサイコロ三つを手に取り、『魔術師』はやや投げやりに振る。

 小気味良く回転するサイコロはぶつかりあい、ぴたりと停止する。出た目は、一とニと三――最初から倍付けである。

 

「ありゃ、初めから一ニ三ですね」

 

 従者のエルヴィも呆れる不運さである。

 一投目から大凶レベルのを引くとか、運悪すぎだろう。『魔術師』は一切気にした様子無く第二投を投げやりにし――出た目はまたもや一ニ三だった。

 

「ははっ、運が悪いってレベルじゃねぇなぁ――って、またかよ?」

 

 三投目もまた一ニ三であり、此処に至って誰もが異常であると確信するに至る。

 『魔術師』に驚きの色は一切見て取れない。最初から、これが出て当然という反応だった。

 

「見ての通り、私の不運は最早呪いの域でな。運否天賦の勝負ならば百回やって百回負ける自信がある」

 

 深々と溜息を吐きながら、『魔術師』は憂鬱気に語る。

 ……何というか、運とかそういう次元じゃない、もっと別な法則が働いている気がする。それこそ柚葉に襲い掛かる確定した不幸の数々のような――。

 

「さて、この条件下で私が勝利するにはどうすれば良いと思う?」

「……グラサイを使うとか? あとイカサマ?」

「それすら必要無いよ。簡単な事だ。先行では百戦百敗なのだから、相手に先行を譲れば良い。振ってみろ」

 

 三つのサイコロが入った御碗を『魔術師』は此方側に渡す。

 オレはサイコロに細工が施されてないか、スタンドの視覚で入念に確かめる。見て解る程度の小細工は無い事を確認し、御碗にサイコロを投げる。

 

(いや、幾ら何でもこれは負けようがないだろう……)

 

 サイが御碗の中に回転する最中、『魔術師』は突如テーブルを拳で叩き付けて――一瞬だけ宙に浮いたサイコロは運命的な何かに吸い込まれるように一ニ三の目を出した……!?

 

「あ!?」

 

 後から考えると、何て事はない。『魔術師』が物理的に干渉した結果、必然的に賽の目が一ニ三になっただけの事である。

 偶然の入り込む余地の無い必然である。非常に納得行かないが。

 

「致命的な短所ですら武器になるという例だ。自分がこれ以上無く不幸なら他人に押し付ければ良い」

 

 弱さを強さに変える、という歌のような綺麗事ではなく、弱さを凶器に変えるレベルの強引な力技である。

 自分の前世であるジョジョの奇妙な冒険では非常に馴染み深い概念である。そういう点で第四部のラスボスである『吉良吉影』は怖かった。

 だが、こんな不条理な事を可能とするのは目の前のこの男ぐらいか、嘗ての柚葉ぐらいで――あ。

 

「付き合い方一つで何とでもなるのさ。嘗ては出来ていて、今は従来の付き合い方が出来無くなっているだけだ。――折り合いが付くまで、お前が守ってやれ」

 

 いつの間にか足されていたコーヒーを優雅に飲み、『魔術師』は淡く笑った。この男らしからぬ邪気無き笑みである。

 

「こんな処に来てないで一緒に居てやれ。どうせアイツは此処に来ると聞いて、焼き餅焼いているだろうからな」

 

 

 

 

(……やれやれ、らしくない事をしている――)

 

 急いで豊海柚葉の下に帰る秋瀬直也を見送りながら、『魔術師』は一人思考の裡に内没する。

 自分が死去した平行世界を垣間見て、彼には成さなければならない重要事項が一つ出来てしまった。

 

 ――果たして、この世界でも、自分が居なくなったら回らなくなるのだろうか?

 

 魔都『海鳴市』での表面上の死闘は一段落付き、最大の障害だった管理局の影響を全排除する事に成功した。

 今や自身を脅かす勢力は消え果てた――一見して小競り合いしかない小康状態に見えるが、自分という支柱が消えればこの街はどうなるだろうか?

 

(拭えない不安、微かに臭う死の予感――セイバーと一緒に戦った頃に何度か体感したものだ、余り良くない傾向だな)

 

 自分の死んだ後の世界など知った事じゃない。だが、あの惨状を見せられたからには考えずにはいられない。

 

(……後悔後先立たずか。くだらないな、いつも選択の後には後悔しかないというのに――)

 

 馬鹿馬鹿しい妄想だと笑い飛ばしたかったが、この手の悪い予感は外れた試しが無い。深い溜息一つ吐き捨て、神咲悠陽は思考を入れ替える事にした。

 

(……後釜を任せられるとしたら、秋瀬直也か。ただ彼だけでは足りない)

 

 実力もその精神性も申し分無い。自分ではどう足掻いても手に入らない人徳も彼は持ち得ている。だが、致命的なまでに欠けている要素がある。

 ただし、豊海柚葉と一緒なら、それを補完して補い余る事になるのだが――今の彼女は問題外である。

 

(やれやれ、中々に前途多難だな――)

 

 打てる手があるなら事前に打つべきだと結論付け、同時に警鐘を鳴らす。

 

 ――理論も根拠も無く、その下準備が終われば呆気無く死ぬ。そんな突拍子の無い悪寒が根深く潜む。

 

 前世の前世にしても、自分の死後、妻と娘が生活出来るように幾つも布石を打っていたからこそ安易に死にに逝ったものだ――。

 

 

 

 

「――へぇ、辿り着いていたんだ。でも残念、もうその子は死んでいるんだよなぁ、これが」

 

 笑い話をしよう。火事に取り残された他人の娘を救う為に猛火の中に飛び込み、一緒に焼け死んだ、愚かで馬鹿な男の話である。

 ミイラ取りがミイラになった代表例と世間から判断され、なけなしの勇気は身を滅ぼした蛮勇と多くの者から嘲笑される。

 

「あれ、もう限界? こんな熱苦しい中、待っていたのに冴えない結末だなぁ」

 

 それでも助けを待つ少女の下に辿り着いていた事は、唯一評価出来る。

 例え、その助けを待つ少女が既に息絶えていて、彼の死を賭した行動に全く意味が無かったとしても、それを見届けた彼だけは評価する。

 

「此処まで頑張ったのに報われないものだね。他人の娘を助ける為に勇猛果敢に炎の中に入っていって、一緒に焼け死ぬなんてさ。更には君の娘がその子の母親を殺して自害するんだけど――うーむ、これじゃ独り言だなぁ。詰まらないぞー?」

 

 もっとも、自分の死後の話など聞きたくもないだろうと、彼は自分勝手に判断する。

 最初から彼は他人の主観を必要としていない。世界は自分一人で自己完結しているが故に、この独り言は余りにも意味が無い。結論有りきの話である。

 

「――健闘賞で良いか。うん、折角だし、其処の元凶も、君の娘も一緒に送ってあげるよ。君の娘に関しては、送ろうが送るまいが次周には消えるしね」

 

 

 

 

 


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