転生者の魔都『海鳴市』   作:咲夜泪

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10/此方の彼とあちらの彼女

 

 

 

「……うぅ、もうお嫁に行けないぃ……!」

「元々一人一種族の吸血鬼の分際で何を言っているのやら」

 

 水道も電気も既に止められて久しく――掻き集めた大量の雪を発火魔術で溶かして適温まで温め、檜風呂の湯船に浸かりながら二人は寛いでいた。

 神咲悠陽は湯船の端に背凭れを掛け、未だに耳まで真っ赤にするエルヴィはタオルで髪を纏め、彼を背にしてその肢体を委ねていた。

 真っ暗闇での浴槽だが、彼に至っては最初から視覚情報を当てにしておらず、吸血鬼のエルヴィにとってはこの程度の闇など真昼も同然だった。

 

「吸血鬼の癖にキスされたまま血を吸い返さないとか、恥を知るべきじゃね?」

「一体どういう判断基準ですかっ!? 血を吸って死屍鬼(グール)にした日にはご主人様の魔眼が性能劣化して殺せなくなるかもしれないじゃないですかっ!?」

 

 じたばたとエルヴィは恥ずかしがりながら暴れ、湯水が零れ落ちる。

 当然ながら、死屍鬼化させる事への躊躇を計算済みで力尽くの交渉に打って出た訳だが――。

 

「……そ、それに……ご主人様に求められたら、私は絶対逆らえないです……」

 

 掠れるような小声でエルヴィは吐露する。

 自身に背を向けてもじもじする小さな吸血鬼が愛しくなると同時に――一気に憂鬱になる。

 

(……っ――)

 

 ――今の自分が保有する唯一の戦力である彼女を徹底的に使い潰し、最終的に己が魔眼で殺す。

 元よりそれが神咲悠陽とエルヴィの契約関係であり、違約しようの無い未来である。

 自身の死の直前なら、引導を渡してやるのがせめてもの情けだと考えていたが――思考を意図的に停止させる。

 それ以上は考えてはならない。今は、必要無いと神咲悠陽は切り捨てる。

 

「……それで、やるからには勝機はあるんですか? というか、何処までやるんですか?」

「理想を言うならば、ミッドチルダ側の転生者を皆殺し。妥協点は主犯格全員を殺害してからなのはの回収という処か」

「うっわぁー、何方も無理難題じゃないですかっ!?」

 

 此処で問題となるのは、エルヴィを派遣して暗殺し回った場合、自動的に黒幕が神咲悠陽である事が知られ、送り込まれる尖兵に対処する術が無いという事。

 大結界は崩壊したも同然であり、『魔術工房』の機能も極限まで低下している。籠城戦にもならないだろう。

 

 故に――守勢には回れず、攻勢に出るしか勝機は見い出せない。

 

 例えるなら、今のこの状況は、全ての駒を剥ぎ取られた状態で万全の陣地に攻め込むが如くである。

 不死身の竜王を保持していても、裸単騎の王将を討たれたら終わりであり、考えるまでもなく話にならない状態である。

 其処から、如何にして王将同士の一騎打ちに持ち込むか、そういう話である。

 

「ぶっちゃけ教皇――豊海柚葉を殺せば、ミッドチルダの転生者など烏合の衆だ。ただし、奴の正体はシスの暗黒卿、生半可な策略など全て見抜かれて逆に此方が破滅する事になる」

「……あー、あれがミッドチルダのトップだったんですか。教皇名乗っているのはあのローマ教皇リスペクトですかね? ……それで、ご主人様の世界では彼女をどう排除したんです?」

「私とあれとの勝負は引き分けだ。頼もしい『正義の味方』が彼女を救ってしまったからな、端役の私に出番は回ってこなんだ」

 

 秋瀬直也の事を思い起こし――この世界の彼は『矢』を使う前に死んだのだろうと残念がる。

 『レクイエム』に至っていれば、大火災如きで死ななかっただろうが、川田組に反逆者扱いされる前に起こったのならば死ぬしかないだろう。

 

「……まさか、秋瀬直也がですか? それなら残念です。此処ではもう墓の下ですよ?」

「だから、私自身が直接決着を付ける必要がある。それ故に今回は――」

 

 そして神咲悠陽は自らの腹案を打ち明け――今まで彼の謀略の片棒を担いできたエルヴィでも、此処まで無謀な案を聞いたのは初めてだった。

 

「――えーと、正気、ですか?」

「残念ながら正気だ。最善を尽くしたら読まれて上を行かれるだけだからな、逆にこれで良いんだよ。――まぁ案外何とかなるんじゃないか? 今現在は三国志とかでの終盤の消化ゲー状態だ。アイツは今、退屈してるんだよ。この上無くな」

 

 目指すは究極の短期決戦、一発大逆転の王将取りのみ。

 そんな分の悪い賭けを上乗せせずして、豊海柚葉の首までは届かない。

 

「此方の誘いに乗るかどうかは半々だが、私は乗る方に賭けるよ。此処まで挑発されて退いては、頂点に立つ者としての誇りが穢れるだろう」

 

 乗らなかった場合は、長期戦に打って出るしかない。

 自身の行方を徹底的に晦まし、エルヴィによる長期暗殺戦――考えるだけでも滅入るゲリラ戦法であり、その場合は元の世界のランサーを諦めるしかないだろう。

 尤も、時間の流れが同じなのかさえ定かでは無いが――。

 

「問題と言えば、一つだけ。エルヴィ、お前が私を最後まで信頼出来るか、否かだ。そうでなければアイツは私の前に現れない」

 

 ……今のエルヴィとの主従関係は、嘗ての世界ほど完璧ではない。

 この世界の自分は呆気無く死んだのだ。誰が神咲悠陽の命の保障をするだろうか?

 誰よりも彼の死を恐れているのは彼自身ではなく、エルヴィ自身である。

 

「……勝機は、あるのですか?」

「三ヶ月後の私は三ヶ月前――おっと、此処では八ヶ月前か、その私とは違うという事だ。更に言うなら、その三ヶ月はあれの理不尽な補正の支配下から完全脱却した歳月だしな」

 

 ――勝機を用意してから挑め。

 

 それが神咲悠陽の勝負における絶対的な鉄則であり、されども今回は完全な勝機など用意出来まい。

 全てが不明瞭に揺蕩っている。こんな状況で挑むなど、いよいよ焼きが回ったかと言われるような事態であり、それを乗り越えずして目的は果たせない。

 

「今回の勝負は、世界を騙し通せば私の勝ちだ――」

 

 

 

 

「つーまーんーなーいー!」

「おやおや、今日もですか」

 

 この平行世界での勝者、豊海柚葉はミッドチルダにある高級街に住まいを新たにしていた。

 バタバタとソファの上で暴れながら、退屈な日々を死んだ眼で過ごしていた。聞き手の『代行者』は思わず苦笑する。

 

「やっぱり早く潰し過ぎたよねぇ。『魔術師』に神那ぶつけて葬ってから、何一つ詰まらないわ。退屈過ぎて息が詰まって呼吸困難で死にそう」

「あれが海鳴市における天王山でしたからねぇ。その後の全てが消化試合になるのは致し方無い事かと」

 

 そう、あの『魔術師』を葬ってから、自分以外の指し手(プレイヤー)が居なくなった。頭の悪いNPCを相手にするような消化試合だったと柚葉は溜息を吐く。

 

「『銀星号』も『竜の騎士』も大した事無いしー」

「湊斗忠道は人間形態の劔冑を仕留めてから始末し、ブラッド・レイはシャルロットを人質にしてから始末しましたよね?」

「それは私が『悪』だから、手段に制限が無いのは当然じゃない」

 

 戦闘力で言えば、随一だったが、何方も彼女が直接手を下すまでもなく終わった。

 彼等は転生者の中で際立った戦力の持ち主であっても、柚葉と同じ土俵には辿り着けなかった。

 結局、後にも先にも彼女と同じ位置に居たのは『魔術師』神咲悠陽だけだったという話である。

 

「所詮は生身の人間でしかないスタンド使い達はあの大火災で死んじゃうし、生き残った教会勢力と武帝勢力はちょっと一押ししたら相討ちになっちゃうしぃ」

「表面上は対立関係を醸しつつ共存を保っていたのは、あの『魔術師』の手腕でしたからね。支柱が消え去れば後は勝手に崩壊するのみですよ」

「そう、それよ。ラスボスを真っ先に倒しちゃったから手応えも無いのよねぇ」

 

 三国志で曹操の勢力を真っ先に潰して自勢力に併合すれば、後は全て消化試合になるのと同じである。

 在り得る筈の無い大どんでん返しが無い限り、境目を越えれば安定し過ぎて退屈になるのは現実も同じだった。

 

 ――尤も、それは『悪』の頂点に君臨する彼女ならばこその感想であるが。

 

「今考えると、私は期待していたのかも知れないね。あの逃れられない死因を覆し、この私の前に立つ事を――」

「それは些か高望みし過ぎかと。所詮、あの『魔術師』は主には届き得なかった存在ですよ」

 

 その期待は儚くも裏切られ、今の死に勝る退屈に至る。

 あんなにも輝いていた魔都・海鳴市での日々を懐かしむばかりである。

 

 今となっては、彼女の興味対象は一つしかない。

 あの大火災の中でも生き延びた、この世界の元主人公である。

 

「今の唯一の楽しみと言えば、高町なのはぐらいしか居ないわ。何処まで堕ちるのかなぁ、あの娘は」

「やれやれ、将来の災いの芽であると確信しつつ放置ですか」

「何なら、反管理局の組織を一つ乗っ取って管理局崩しでもしようかしら? どの道、将来的に高町なのはを効率良く踊らすには必要な要素だしね」

 

 凡そ全てを失い、管理局に保護された少女。偽りの英雄として祭り上げられる哀れな魔法少女。

 仇敵の下で飼い殺され、今の彼女はどんな心境なのだろうか。

 考えるだけで邪悪な笑顔が浮かぶ。何処まで自分を楽しませてくれるのか、掌に収まっている道化を彼女は全身全霊で慈しんだ。

 

 彼女をどうやって壊そうか、嗜虐心が鎌首を起こして考えている最中――部屋に備え付けている通信端末が鳴り響く。

 

 寝転がって動こうとしない主に代わって、『代行者』は赴いて端末を操作し――表情が歪んだ。

 血塗れた戦場を笑いながら走破する歴戦の『代行者』がこれほど露骨に顔を歪ませるその報告に、今の柚葉の興味が注がれた。

 

「んー、何か面白い事?」

「それを判断するのは貴女自身ですが、退屈はしないでしょう。ティセ・シュトロハイム一等空佐、アリア・クロイツ中将が殺害され、その下手人は現在、中将閣下と交戦中の模様です」

 

 予想外の訃報、そして見てくれは醜いが、個人の武力という観点では随一を誇る中将と互角の戦闘を行なっている事実、敵兵力の異常なまでの強大さに素直に関心する。

 盤上の駒にそれほどの猛威を振るう者は絶えて久しい。むくりと起き上がり、柚葉は嬉々と次の報告を催促する。

 

「――へぇ、下手人は誰? 私の知っている人物? あの二人を暗殺し、彼と互角に戦える抵抗勢力なんてまだ居たんだ」

 

 端末を操作し、空間に画像が表示される。

 其処にはバリアジャケットを纏わず、鍛え抜いた肉体と奇抜な拳法のみで殴りまたは蹴り飛ばしている中将と、人体を一撃で破壊されるような致命打を浴びつつも桁外れの不死性で猛然と対抗する小さな猫耳メイド服の少女が死闘を繰り広げていた。

 

「エルヴィン・シュレディンガー……!」

 

 彼女を見た豊海柚葉は嬉しげに喜んだ。

 嘗て『魔術師』が飼っていたシュレディンガーの猫、不死の怪物が再び姿を現した以上、彼女の存在を確立させるマスターが再び現れた事の証明であり――期待に胸が膨らむ。

 

 ――果たして、彼以外に彼女の存在を確立させ、従わせられる者が居るだろうか?

 

 いや、死んだ彼でなくても、その脅威は『魔術師』と同等と期待するのは間違っているだろうか?

 

「今すぐ海鳴市に部隊を――いや、違うな。ミッドチルダの地図を表示して」

 

 自身で口にしてから、彼女のシスの暗黒卿としての直感が其処には居ないと判断する。

 海鳴市以外の管理外世界に潜伏されていては探すのに手間が生じるだろうと一瞬で思考を巡らせ――されども、数段飛ばしで此処に、この近くに居ると直感する。

 

 ――表示されたミッドチルダ全域の地図を操作し、勘頼りに地図の縮尺をより詳細なものにしていき、とある地点・とある建物で止まる。

 

「此処周辺を完全包囲して。鼠一匹逃がさないように、それも隠密にね。貴方には狙撃班に回って貰おうかしら」

「……其処に居ると? それならば、私も護衛として御一緒した方が――」

「――私の楽しみを奪う気?」

 

 態々危険を犯す必要は無いと『代行者』は暗に言い、彼女は即座に切って捨てた。

 彼女のシスの暗黒卿としての直感が正しければ、此処に居るのはあの『死者』に他ならない。

 ならばこそ、彼女の理性はあらゆる面からそれを否定する。仮に彼だとしたら、彼が此処に赴いている事がそもそも説明が付かない。

 此処は彼にとって絶対の敵地、果たして魔法じみた科学が横行し、神秘という神秘が駆逐されたこの世界で、彼の魔術は如何程の性能を誇るだろうか?

 

(明らかに全性能が激減する。それなのに危険を犯してまで敵の本拠地に直接赴き、挑発する理由は何なのか?)

 

 彼らしからぬ無謀極まりない暴挙、彼でない第三者の犯行ならば意に関さない処だが、其処に居るのは間違い無く彼であると彼女のフォースが感じている。

 

(解る筈も無いか。死者が再び現れる事そのものが起こり得ぬ不条理だしね。中々楽しませてくれるじゃない――)

 

 ――だからこそ、そんな無謀な行為を強行した彼の魂胆を直接聞き出したいと思ったのは至極当然の成り行きであり、娯楽不足で消化不良に陥っている自身の心を何よりも強く動かした。

 

「どうして今更化けて出たかは知らないけど、最後の敗残兵如きに私がどうにか出来るとでも?」

「それこそまさかですよ。あの男程度が、貴女に届く筈が無い」

 

 敵との戦力比は歴然、例え一騎打ちになったとしても揺るがないだろう。

 健気にも『使い魔』を違う用途に使って一人である事を演出しているのだ、敢えて乗って食い破るのもまた格別な趣向であろう。

 

「――それにさ、一流の黒幕として外せない『それも私だ』という暴露話的な展開を一度くらいやって見ても良いでしょ?」

 

 それは、自分に辿り着かずに死んだ者への、痛烈なまでの皮肉だった――。

 

 

 

 


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