転生者の魔都『海鳴市』   作:咲夜泪

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09/『魔術師』と使い魔

 

 

 

 ――初めの一つは全てを変えた。

 ――次の二つは多くを認めた。

 ――受けて三つは未来を示した。

 ――繋ぐ四つは姿を隠した。

 ――終わりの五つ目は、とっくに意義(せき)を失っていた。

 

 神咲悠陽が最初に求めた『魔法』は二つ目の『平行世界の運営』。

 砂漠の中に落ちた一粒の真珠を探し出す以上の根気を費やせば、嘗ての現実世界に辿り着けると信じて追い求めた。

 それは良くも悪くも結果のみを求めていたに過ぎず、唯一度足りてもその地平に立った時の感想を考える事すらしなかった。

 

 ――無限の平行世界を旅する第二の『魔法使い』とは、如何なる存在なのか?

 

 実際に見た事は無いが、キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグは魔法使いにしては珍しく俗世に関わり合いのある人物であり、偶に魔術協会に来ては弟子を何人か募集し、その殆どを廃人にする災害扱いだった。

 行方不明になっている最中は他の平行世界に行っていると言われ――あの『朱い月』に喧嘩を売ったほどの御仁の事だ。来訪するどの世界でも破天荒な行いをしているのだろう。

 

 ――果たして、そうなのだろうか?

 

 死徒二十七祖の一角に名を連ねる第二の魔法使いが如何に規格外の存在だとしても、無限に存在する平行世界の前に、一々介入する気力など持ち合わせる事が出来るだろうか?

 Aの世界で救われた人が居た。だが、Bの世界では救われずに死ぬ。それが気に食わなくてBの世界に干渉し、その者を救ったとしよう。

 しかし、C、D、E、F――それらの平行世界でも救われずに死ぬとしたら? そんな救われない世界に干渉するよりも、救われる世界を新たに探した方が遥かに効率的だろう。

 つまりは、起点となる世界は特別視しても、その他の万華鏡の如く移ろう可能性など一々構っていられるだろうか?

 多くを認めるという事と、多くを見捨てる事は、同意語では無いだろうか?

 

 ――神咲悠陽の前に立ち塞がった命題とは、まさにそれである。

 

 

 

 

「やたら寒いと思ったら、ジングルベルの季節かよ……」

 

 一瞬だけ魔眼を開けて目視した海鳴市は、一面の雪景色だった。

 崩壊した建物はそのままで、後は純白の雪で埋もれている。何とも侘しい終末の光景に『魔術師』は滅入る。

 

(やれやれ、時間移動も第二魔法の範疇という訳か)

 

 七月から十二月、少なくとも五ヶ月ぐらい差異がある。

 たったそれだけの期間で人一人居なくなった死都になるとは、随分と不甲斐無い結末である。

 屋敷に戻り、この世界のエルヴィが用意した熱いお茶を飲みながら一息付く。

 

「……ご主人様が消えたのは、八ヶ月も前の事です。聖杯戦争を一人勝ちし、ワルプルギスの夜を乗り越え、『闇の書』の主を殺害し――大火災と同時に私は存在出来なくなり、ランサーも程無くして消えました」

 

 意気消沈したエルヴィから語られる、何処かで聞いたような展開に、ますます頭を抱えたくなる。

 この時点で、この世界の神咲悠陽がどのような末路に至ったのか、大体想像出来るものだ。既に死んでいるが、殺意が芽生える。

 

(――この世界の私は神那と一緒に心中した訳だ。子殺しを犯さず、セイバーも再び見送らずに死ぬとか、我ながらぶち殺したくなるな)

 

 娘と心中した結果、持っていた聖杯が破壊され、魔力が溢れて冬木の大火災に匹敵する災厄を撒き散らし、今に至る。

 

「大火災を生き延びた他の転生者達も、共に相争い、悉く自滅して――現在の海鳴市は人一人残っていない死都として隔離・放置されてます……」

 

 こうも簡単に死んだ自分を嘲笑うべきか、自分一人が消えただけでこうなってしまった他の転生者達を嘲笑うべきか、一人死んだ程度でこうなってしまうほど支柱になっていた自身を嘲笑うべきか――。

 深々と溜息を吐きながらお茶を飲み、無言でお代わりを要求する。

 

「確認するぞ、エルヴィ。聖杯戦争でのサーヴァントは、バーサーカーがアーカードの残骸で私の魔眼で仕留め、ライダーがアル・アジフ、キャスターがナコト写本で、その両陣営が衝突した後に横から全力で殴りつけて葬り去り、ランサーがクー・フーリン、アーチャーとセイバーは未召喚で終わったのか?」

「はい、そうです……」

 

 確かめたくなかったし、外れている事を祈ったが、残念ながら予想通りだった。つまり、この世界は――。

 

(よりによってアーチャーの、英雄・高町なのはが誕生する平行世界とはな――)

 

 此方の世界では召喚されたアーチャー、未来の高町なのはが歩んだ世界。

 神咲悠陽が死に、家族も友達も全て失った後に管理局に引き取られ、豊海柚葉が一人勝ちした最悪の世界線。

 

 ……尤も、この世界線があったからこそ、彼の基点世界で英雄となった彼女がアーチャーとして召喚され、神咲悠陽の生存する道筋が生まれたのであるが――。

 

「秋瀬直也は生き残っているか?」

「……いえ、大火災の時に死んだと思います……」

「はっ、清々しいまでに詰んでいるな、この世界線は」

 

 そして彼女への唯一の解決要素も墓の下である。

 本当に救われない、報われない平行世界。自分の死んだ後の世界など知った事じゃないが、生きて垣間見る事になれば憂鬱にもなろう。

 

(だからこそ、なのはが彼処まで歪んだか……)

 

 アーチャーの事を思い出す。捨てられた子犬のように、死んだ飼い主を求めて――英雄に成り果ててまで遭いに来た少女の事を。

 凡そ考えられる全てを失って、残ったものが亡き人物への想いとは、愚か過ぎて救えない。その原因が自分である以上、笑い飛ばせないのが難であるが――。

 あれこれ思慮に耽っていると、突如、エルヴィは彼の胸の中に飛び込んで来た。捨てられた子猫のように全身を震わせて、強く強くしがみついて嗚咽を零した。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい……! 私は、ご主人様を守る事が、出来なかった……!」

 

 文句の一つや二つ、恨み言の十や百ぐらい言われる覚悟はしていた。

 彼と彼女の契約は、死が二人を分かつ前に、その魔眼で焼き殺す事であり――彼女を殺さずに勝手に逝ったとなれば、誰が彼女の存在を見つけられるだろうか?

 永遠の孤独に突き落とした自身を恨まず、そんな事を真っ先に謝れては立つ瀬が無かった。

 

「……娘と一緒に呆気無く逝った偽善者の事を責めるべきだな、エルヴィ。お前を殺さずに永遠に一人にした、この世界の私が全面的に悪いのだから――」

 

 その小さな肢体を強く抱き締め、エルヴィは彼の胸の中で泣き叫んだ。

 

(……さて、現状は大体把握した。いい加減、現実逃避を止めて考える時か)

 

 エルヴィを抱き締めながら、神咲悠陽の思考は既に別の処に行っていた。

 宝石剣を作成する過程で、何をどう間違ったのか、完全敗北した平行世界に飛ばされ、選択を余儀無くされている。

 

 ――そう、選択である。

 

 この平行世界に飛ばされた事は意味があるものと盲信して行動するか、基点世界では無いからと全力で無視するか。

 既にこの世界の情勢は決しており、今更挽回出来るレベルではない。魔術師としての思考は此処に潜伏して帰還方法の模索が最上であると唱えている。

 この世界の自分は既に死んでいて、今更別の世界の自分が干渉する理由など無い。見捨てる、見殺す以前に道理が通らない。

 

 そう、それを十全に理解しながら――神咲悠陽は必要無い事を聞き出した。

 

「エルヴィ、なのはと高町家の者は?」

「――、……なの、は? 彼女は、管理局の者に保護されています。高町家の人達はあの大火災で皆死んでます、けど……」

 

 その在り得ざる呼称に、致命的な何かを勘付きつつも、エルヴィは有りのまま答える。

 訝しげに覗き込んだ主の顔には在り得ない事に思案の色が色濃く現れていた。

 

 ――そう、このまま放置すれば、この世界の高町なのはは英雄となり、死して英霊になってアーチャーとして召喚されるだろう。

 

 既に結果がある以上、此処で干渉しても基点世界には一切支障は無い。

 というよりも、その一点のみが、神咲悠陽が思案に暮れる唯一の要素だった。

 

(――焦点は世界の違いか。いや、むしろ逆か)

 

 長い事、考え抜いた後、神咲悠陽は深い溜息を付いた。にも関わらず、その表情は晴れやかなまでに笑っており、その変化を見届けたエルヴィの焦燥は頂点に達した。

 

「エルヴィ、一仕事頼み――」

「お断りします」

 

 即座に拒否し、椅子に座っていた神咲悠陽を床に押し倒し、エルヴィは鬼気迫る表情で馬乗りとなる。

 その鮮血の如く真紅の魔眼には、途方も無い感情の数々が灯っており――『魔術師』は感心するように凶悪に笑う。

 

「――へぇ、お前にこうして反逆されるのは初めての経験だ。理由を聞こうか?」

「……私には、ご主人様を最期まで守る事は出来ません。この世界でご主人様がするべき事は一つだけ、私をその魔眼で殺す事だけです」

 

 優秀な使い魔だ、と『魔術師』は高く評価する。主人の言う事を言う前に察するとは、良く出来た使い魔である。

 その主の余裕が気に食わないのか、床に押し付ける手に力が篭る。

 生まれて初めての主人への反逆に、エルヴィの心中は絶望と自己憎悪で塗り潰されそうになったが、これだけは譲る訳にはいかなかった。

 

「元の世界に帰還する目処が立つまでお付き合いします。ですから、考え直して下さい。それ以上の事はしないと――この世界の行く末がどうなっていようと、違う世界のご主人様には関係無い話です」

 

 ――そう、絶対に滅びる事無いと盲信していた彼女の主は、ある日、突然滅びてしまった。

 

 別の仕事に割り振られ、別行動していた彼女は自身の消失で主の死を悟り、届かぬ叫びを撒き散らし続けた。

 最早彼女は何処にも存在出来ず、何処にも居ない。観測者を失った彼女はこの世界に存在出来ず、虚数の海に漂う事しか出来なかった。

 死すら許されない、絶望の時間。狂う事も許されず、ただ漂い続けて――二度と起こり得ぬ『奇跡』と出遭った。

 

 ――荒れ狂っていた感情が一段落付き、力無く泣き崩れる。違う世界の主の胸を、駄々を捏ねる子供のように叩く。

 

「……もう、嫌なんです。何処にも存在出来ず、誰にも気付かれない永遠の孤独なんて――私には、耐えられないです……!」

 

 最強無敵を誇った不死身の吸血鬼の少女は、童女の如く泣いていた。

 その有様は余りにも弱々しく、余りにも痛々しかった。自身の死で精神的に屈して崩壊している使い魔を見て――彼はそれでも一笑に付した。

 

「――ふむ、さて問題だ。お前の主は、使い魔の涙ながらの説得に心打たれて従うと思うか?」

「……いいえ、笑って無視して自分の意見を貫き通しますね、私のご主人様なら」

「理解ある使い魔を持てて私は幸せだよ、エルヴィ」

 

 『魔術師』は挑発的に嘲笑い、未だに涙を流すエルヴィは目を細める。

 吸血鬼に組み伏せられて尚、彼は一切諦めていない。明らかに詰んでいる状況であるが、この状況下においても彼女の主は何を仕出かすか解ったものではない。

 

「――それでどうやって説き伏せる気ですか? 高町式交渉術でもしてみます?」

「それこそ無駄の極みだろう。ドMの女吸血鬼(ドラキュリーナ)を痛めつけて喜ばせてどうする?」

「んなっ、アーカードならいざ知らず、私もあれと同一視されるのは甚だ不本意ですよ!?」

 

 高町なのはに傾斜する主への皮肉を、神咲悠陽は正面から返す。

 真っ赤になって抗議するエルヴィの様子に「最近のお前からそういう傾向が多々見られたがな」とレヴィとの模擬戦で一切反撃せずに受け切って根負けさせた光景を思い浮かべる。

 

「手っ取り早く、私に従わないならこの両眼を潰すぞ? と脅迫するかねぇ?」

「この状態でそれが出来ると思いですか? ご主人様が自身の眼を潰すより疾く対処出来ますよ。もう二度と離しませんよ――」

「やれやれ、物騒な睦事だな。うん、それじゃ時間が勿体無いし、力技で強引に解決しよう」

 

 どうしていつも自分に求愛する人は唯一人を除いて病んでいるのだろうか?

 その唯一の例外である己が元サーヴァントを思い描きながらも、『魔術師』は楽しげに溜息を吐いた。

 

「吸血鬼相手に力技ですか? もしもそれを本気で言っているのなら、違う世界のご主人様の評価を下げざるを得ませんが――?!」

 

 『魔術師』はエルヴィの開いた口を文字通り塞ぐ。己が唇で、彼女の舌を蹂躙して貪りながら――。

 

 意表を突かれ、思考が真っ白になり、その隙を突いて彼女と彼の姿勢が引っ繰り返り、逆に『魔術師』が真っ赤になって動揺しているエルヴィを組み伏せる形となった。

 

「……ん、んぅっ!?」

 

 その小さな舌を絡め取り、無慈悲に吸い取り、獣の如く暴虐的に犯し尽くす。

 吸血鬼の少女はあろう事か抵抗すら出来ず、思考も挙動も硬直する。この時の彼女は姿形の、少女相応の初な反応しか返せなかった。

 

 ――唐突に唇が離され、唾液の架け橋が一瞬だけ現れる。

 激しく息切れし、エルヴィは何も考えられずに今の未知の感触に陶酔しながら、悩ましい吐息を零した。

 

「な、な、な、なっ……!?」

「知らなかったのか? 私は組み伏せられるよりも組み伏せる方が遥かに好きだぞ?」

 

 

 

 

 


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