転生者の魔都『海鳴市』   作:咲夜泪

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06/御神の剣士と『魔術師』

 

 

 

 

「う、うぅ……」

「……あー、よしよし。なのはちゃん、泣かない泣かない。残念ながら、男子としてあるまじき事にっ、ご主人様に泣き落としは通用しないのです……!」

 

 次の日、高町なのはは涙目で『魔術師』の屋敷に訪れた。一枚の封書をその手に持って――。

 

「いや、だって見えねぇし――それにしても高町恭也からの果たし状、ねぇ……」

 

 彼女の兄からの熱烈なラブレターに『魔術師』は辟易とする。

 エルヴィに読んで貰った文章を要約すると、高町なのはの屋敷への訪問権を賭けて、剣士として尋常なる勝負を求むとの事。

 勝てばこれから一切口出しせず、負ければ彼女を出禁にするという趣旨である。

 

「受けないのですか? ご主人様」

「……ふむ。エルヴィ、それはまるで私が受けない事を前提に聞いているようだが?」

 

 まるで責めるような眼で、使い魔の従者は真摯な視線を送る。

 主の思考から、この条件では無条件で降伏する可能性さえあると最大限に危惧して――。

 

「ご主人様にとっては、なのはちゃんを労せずに切り離せる絶好の申し出ですからね~」

「……うぅ」

 

 この屋敷への訪問を『魔術師』が快く思っていないのは高町なのは自身も実感しており――エルヴィ以外にも、他の四人から非難の視線が『魔術師』に刺さる。

 

「ねーねー、こういうのは受けないと男が廃るよねー?」

「……師匠、私は信じてます」

「尻尾を巻いて逃げるのか? 大の男が情けないものだ」

 

 レヴィとシュテルとディアーチェがそれぞれ示し合わせたように言い、『魔術師』は深い溜息を吐いた。

 

「全く酷い言われようだな、この幼女どもは」

「……それでこの決闘状には何て返答するんだ? マスター」

 

 大体予想出来るが、ランサーは敢えて問う。

 この決闘状に『魔術師』のメリットは欠片も無い。むしろ、受けない事にこそ最大のメリットである始末。

 もっと場を整え、断れない理由を作れば乗らざるを得なくなるが、この条件で承諾するとはランサー自身も到底思えなかった。

 

「当然、受けるとも」

「ですよねー。うーん、どうやってご主人様を決闘の場に引き摺り出しますかねぇ……って、え?」

 

 エルヴィもまたその付き合いの深さから主が決闘を拒否する事を前提に語り――何かの聞き間違いだろうか、彼女は自身の吸血鬼としての聴覚を真っ先に疑った。

 

『えぇぇぇ――!?』

 

 その驚愕の声は、なのはを含む全員の意思表示であり、この場に居る誰もが信じられないと我が耳と眼を疑ったのだった。

 

「どうしちゃったの? 変なものでも食べた!?」

「らしくないです、師匠」

「いや、これは孔明の罠だとかそういう悪辣なものに違いないっ!」

 

 レヴィは本気で心配し、シュテルは驚愕の表情で詰め寄り、ディアーチェは『魔術師』の邪悪さを全身全霊で疑う。

 最近居候したマテリアルズの三人娘は見事に『魔術師』を理解していたと言えよう。

 

「……お前等は私を何だと思っているんだ?」

 

 他人に過大評価され、必要以上に畏怖されるのは謀略家として最大限に活用出来るので良いのだが、余りにもあんまりな反応に『魔術師』は青筋を立てた。

 

「いや、明らかにらしくねぇぞ? 剣士としては遥かに格上だと言っていただろうに?」

「当たり前だろう。完成した御神の剣士と剣で競い合うなど、百回やって百回敗北する自信がある。剣士としては絶対勝てないだろう」

 

 元より才能が違う。凡人が幾ら努力して鍛錬を積もうが、一生涯賭けても届かない領域に高町恭也は既に到達している。

 『魔法少女リリカルなのは』の高町恭也は『とらいあんぐるハート3』の幼い日に死す筈だった高町士郎の指導を経て、正しく成長している。否、正しく完成していると言った方が正しいか。

 二年前の時でさえ、高町恭也は奥義の域に到達していた。あの日の夜の事を『魔術師』は思い起こす。

 出すつもりの無かった魔剣『死の眼』を起動しかけ、寸前の処で回避された。果たしてあの時、救われたのは何方だろうか?

 

 ――答えは言うまでもない。『魔術師』の認知外の速度で逃れた高町恭也が奥技之極を繰り出していれば、あの時点で死んでいたのは己の方である。

 

「……まさか、わざと負けるんですか?」

「高町恭也に勝ちを譲るほど、私の人格が出来ていると思ってんの?」

「い、いや、それは在り得ないですけど――やるからには勝たないとなのはちゃんが出禁になりますけど、勝機はあるのですか? あの人達、明らかに人間止めてますよ?」

 

 エルヴィは疑うような眼で己が主を見る。

 擬似的な無想の領域も、あの『神速』の前では意味を成さない。

 『銀星号』のように不可避の戦闘速度を叩き出せるのならば別だが、強化魔術を使ってもその領域には到底届かない。

 剣という土俵では逆立ちをしても絶対に勝てない。それは『魔術師』が二年前に相対した時から抱き続けている、高町恭也への正当な評価だった。

 

 ――同時に、如何なる状況下なら彼を打倒し得るか、この二年間、考え抜いている。

 凡人の嫉妬など天才は一顧だにしないだろうが、その執念の深さを精々甘く見ているが良い。その方が刺す時に容易いと『魔術師』はほくそ笑む。

 

「まともにやれば万が一も勝機は無い。だから、まともにやらないだけの話だ。――唯一度だけなら勝機を用意出来る。あれは骨の髄まで御神の剣士だからな。決闘の趣旨から考えれば本末転倒だが……」

 

 それ故に、『魔術師』は今まで通り、勝てる場を作ってから挑むだけの事である。

 

「あー、また卑怯な事、考えてるー!」

「正攻法で勝てない相手に正攻法で挑んでどうする? 勝たねばならない時に手段など選んでいられるか。――一つ言える事は、決闘に不純物を紛れ込ますべきでは無かったという事だ」

 

 レヴィの言葉を鼻で笑い、『魔術師』はこの上無く邪悪な表情を浮かべ、高町なのはに一つ問うた。

 

「――さて、なのは。私ではなく、兄である高町恭也を信じられるか?」

 

 

 

 

 ――神咲悠陽。

 

 高町恭也と同年代の少年であり、海鳴市で発生する数々の裏の事件の黒幕的存在であり――その名は海鳴市だけではなく、裏の世界においても禁忌に等しいほど轟いている。

 

 彼の者に触れて滅びなかった組織は無く、彼の者の不評を買って栄えた組織もまた皆無である。

 

 超能力者などの特異能力者の発生件数に目を付けた組織は重役・出資者の不審死が相次いで崩壊し、新たな稼ぎ場として海鳴市に乗り出してきた非合法のテロ組織は末端まで狩り尽くされたと言われる。

 また財界・政界にも根深い影響力を及ぼし、決して無視出来ない存在として君臨する――現代社会の闇の『魔王』である。

 

 ――その出自は退魔師として有名な神咲の分家の血筋であり、されども生後間も無く忌み子としてとある孤児院に捨てられたとされる。

 

 生後間も無い赤ん坊の彼に見られた瞬間、産婦人科の医師が自然発火して焼け死んだという眉唾物の逸話が残されているほど、彼は誰からも恐れられていた。

 事実として、彼を担当した医師が原因不明の焼却死に至っている事に、この逸話が曰く付きとして尾鰭を付けて語られる所以である。

 血筋は薄いが、先祖還りした特異な例として予想され、後に神咲の本家の者が接触した噂が流れたが、その後の音沙汰は皆無である。

 

 ――高町士郎が彼を調べた発端は、自身の息子との因縁からだった。

 

 曰く、盲目の剣鬼。この平成の世において、明らかに殺し慣れている異常者。夜の一族とは別系統の吸血鬼を使役する理外の『魔術師』――その時、彼の息子が滲ませた、隠し切れない嫌悪感が印象に残った。

 輪廻転生を経て生まれ変わった『三回目』の転生者――後になればなるほど、少年に似合わない逸脱した手管の数々はその荒唐無稽の話を頷けるものにした。

 

 ――そして二年の歳月が流れ、その神咲悠陽と実際に対面する機会が訪れる。

 

 人の形をした盲目の悪鬼が、其処に立っていた。

 時代錯誤も甚だしい黒の和服を着こなす、場違いなほど濃密な血の香りと不吉な死臭を漂わせた――それは高町士郎が見てきた如何なる強者にも当て嵌まらない、最果ての異常者が其処に居た。

 

 ――ニ世紀前の幕末の剣客とは、得てしてこういうものなのだろうか。

 自分の中に唐突に湧いた第一印象は荒唐無稽であり、されどもある意味、正鵠を得ていた。

 

 末女・高町なのはが巻き込まれた異変、日常の裏側、自身の娘の才覚を必要とする正体不明の第三勢力――目まぐるしいまでの情報量に困惑しながらも、高町士郎は理解に努める。

 その場における彼の立場は明確だった。明らかにその時空管理局と名乗る第三勢力を完全に敵視しており、敵の敵は味方であると如実に示していた。

 高町恭也から聞いた盲目の剣鬼――及び、常軌を逸脱した術を行使する『魔術師』としての印象は、敵でも味方でも油断ならぬ謀略家としての一面に塗り潰される。

 ただ、幸いな事に分別はあった。明確な線引き――子供を危ない事から遠ざけようとする父親のような――なのはが其方側に関与する事への拒否感という一点において同意出来たのだった。

 

 

 

 

「わぁ~、本当になのはそっくりだー!」

 

 自身の妹に良く似た寡黙な少女に抱きつきながら、高町美由希は神咲悠陽を観察する。

 

(うーん、これが恭ちゃんが良く言っていた神咲悠陽かぁ――この三人の保護者役していて、意外と面倒見が良い?)

 

 幼女三人プラス猫耳メイド服の少女、その四人とアロハ服の蒼髪の青年を引き連れて、赤髪の長髪を一つの三つ編みに束ねた盲目の青年は気怠さを前面に出している。

 その猫耳の少女は吸血鬼らしいので――太陽の光を天敵としていないようだが――深くは問わないが、これでは幼女三人の引率役の保護者にしか見えない。

 

(何かこう、恭ちゃんは悪鬼羅刹のように語っていたけど、イメージ全然違うなぁ。こう言っちゃ失礼だけど、恭ちゃんより枯れている印象が……)

 

 見た目は高町恭也と同年代の青年だが、その漂わせる風格と気質は何方かと言うと自分達の父親である高町士郎を思わせる。

 

(私には良く解らないなぁ。ランサーさんみたいに、一目で何かこう違うとは思えないし――)

 

 盲目にも関わらず、どうやって外界を把握しているのかは疑問には思う。

 彼、神咲悠陽は実際に見ているかのように、その行動に淀みなど無い。

 最早それは常識の外に居る事の証明であり、だからこそ美由希には神咲悠陽という存在を計りかねた。

 

(どうにもちぐはぐで――恭ちゃんとの決闘ではっきりするのかなぁ?)

 

 

 

 

 ――高町恭也を静かに見据える。それだけで神咲悠陽は大体把握する。

 

 二年前よりも、三ヶ月前よりも腕を磨いたと見える。既に完成して伸び代の無い自分とは違って、更に出来るようになっている。

 生来の才能の違いに嫉妬する。だが、今日は勝利を奪い、その才能を嘲笑う為に此処に居る。

 

「居合の使い手と聞いて、模擬刀を用意したが――」

「いえ、木刀で結構です」

 

 高町士郎が用意した模擬刀を拒否し、木刀を受け取る。何も自身の業は居合だけではないし、今回の場合は抜刀術では遅い。これが最善の選択である。

 二、三回、素振りする真似をしながら魔術的な仕掛けを施す。保険という意味合いもあるが、より完璧に仕立てあげる為の種である。

 

「――よもや、開始の合図があるまで待て、とは言うまいな? お互いスポーツマンでもあるまい」

「――貴様がその気なら、構わんさ。いつでも来い……!」

 

 ――この宣言通り、既に勝負は開始されている。

 

 試合前にお喋りに講じる、と見せ掛けて何気無く高町恭也の周囲を歩みながら――この戦闘に置ける最重要の要点である間合い取りを始める。

 

(……高町恭也に気づかれたら終わりだ。慎重に、気取られぬように悠然と泰然と傲慢に振る舞いながら騙し通せ――!)

 

 高町家の面々、マテリアルズの三人娘とエルヴィとランサーは道場の壁際にて正座しており――高町なのはの両隣は高町美由希とエルヴィであり、まず第一関門と第二関門をクリアしたと言って良い。

 

(高町恭也と比べて、高町美由希は一段と劣るか。高町士郎と高町恭也が健在の影響か、とらいあんぐるハート3の時の彼女より完成していない――)

 

 最善を尽くすのならば、高町なのはの隣は武の心得が無い高町桃子が良かったが――恐らくは、高町美由希では不慮の事態に反応出来まい。高町士郎でなければ、それで良い。

 

「それならば始める前に一つ問う事がある。高町恭也――貴様にとって『武』とは如何に?」

 

 高町恭也に気取られた様子は無い。第三関門もまたクリアされる。

 正面に高町恭也を見据えながら、自分から見て高町なのはの位置はちょうど135度、距離にして数メートル前後。この角度、この間合いが最高に良い。

 

「――大切なものを守る為の力だ」

「……まさか、そんな下らない綺麗事の御題目を聞く事になろうとはな」

 

 予想通りの答えに、予定通りの挑発を加える。高町恭也には自身が『御神の剣士』である事を強く自覚して貰わなければならない。

 

「武とは殺法、凶法。戈にて止むと書いて『武』の一文字。そんなものを振るって起こる事など唯一つ――対象の殺害のみだ」

 

 戈を止めると書いて『武』の一文字とも読めるが――噯気にも出さずに高町恭也を見据える振りをする。

 高町恭也は静かな怒りを滾らせていた。だが、怒りによる精神的な動揺は無く、感情を完璧に制御している。

 この程度で我を見失っては困る。表面に出さず、神咲悠陽は嘲笑う。

 

「――御神流の理念、穢す事は許さんぞ」

「ならば、殉ずるが良い。御神の剣士としての本懐をな――」

 

 そしてその助言を深く考えさせる訳にはいかない。

 神咲悠陽は木刀の構えを変える――右手の人差し指と中指の間で木刀の柄を挟み、左手の指で刀身を掴む。

 

「――!」

 

 此方の鬼気迫る剣気を察したのか、高町恭也は身構える。

 みしりと、木刀の刀身が軋む音が鈍く響くほどの尋常ならぬ握力が籠められており――其処から放たれる魔剣を、額に汗を流しながら幻視した。

 

 

 

 

 左の指で刀身を掴み、力を籠めてから解き放つという単純な術理――卓上の空論である。

 ただし、其処に木刀の刀身を軋ませるほどの尋常ならぬ力を以って解き放たれれば、空想の剣は現実を犯す魔剣となる。

 

(――それだけではない。あの異様な掴みは何だ?)

 

 人差し指と中指の間に柄を挟む――常識的に考えれば、あんな奇怪な構えで振るえば木刀は彼方にすっ飛ぶだけである。

 だが、刀身を軋ませるほどの強靭な握力に、針の穴を通すような絶妙な握力の調整が加われば――。

 

(――なるほど、あれは間合いを狂わす技法か。手を刀の鍔元から柄尻まで横滑りさせる事で、予想外の伸びを生む。読めたぞ……!)

 

 目の前の魔人が、それを可能とするか否かと問えば――当然の如く可能とするのだろう。この相手は、人外じみた技量など当然の如く持ち得ている。

 だが、その恐るべき工夫も技巧も、看破したとなれば対策も講じられる。想定した間合い外から放たれる事が既に判明しているのだ。誘って空振りさせ――其処を仕留める。勝機は『後の先』にある。

 

 ――じりじりと、高町恭也は正面から間合いを詰めていく。

 

 ただ、高町恭也に限って言えば、『先の先』で仕留める必殺の機構を持ち得ている。

 それを出さないのは様子見でも奥の手の温存でもなく――敵手が未だに手の内を隠しているからだった。

 

(……これは、あの時に感じたものではない。あの時のあれは、この程度のものじゃなかった――!)

 

 皮肉にも、高町恭也が卓越した剣士であったからこそ、神咲悠陽の最奥の剣を朧ながら想像出来てしまい――広がった虚像を巨大なものへと捉えてしまっていた。

 それ故の『見』であり――亀裂の如く口を開いて歪ませ、神咲悠陽は静かに嘲笑った。事、剣術に至っては感情を一切曝け出さない男が、自身の勝利を確信して。

 

 

「立会人を許すべきではなかったな――」

 

 

 その言葉の意味を理解するよりも疾く、彼の魔剣は解き放たれ――虎眼流『星流れ』は見事に空を切った。

 仰け反って回避出来た事よりも――何故、彼が無想の領域から剣を振るわず、事前に意を顕にして放ったのか、止め処無く思考が巡り、疑問符が浮かぶ。

 

 ――予想通り、予想以上に剣の間合いは伸びた。だが、それも『神速』を用いて寸前の処で回避出来た。

 

 この術理に二の太刀は無い。後は、致命的な隙を生じさせた神咲悠陽に二刀を打ち込めば、それで終わる。

 想像以上の呆気無さが、高町恭也に落胆を齎す。二年前の彼は、こんなものでは無かった。だが、それは単なる思い込みだったのだろうか?

 想像力が彼をひたすら過大評価し、見誤り続けた結果がこれなのだろうか。

 ならば、この一刀の杜撰さも納得出来る。邪道な構えをした代償だ。結局、彼の手から木刀がすり抜けて何処かに飛び去り、飛び去り――?

 

(……!?)

 

 目の前の神咲悠陽は、ただひたすら両頬を釣り上げて嘲笑っており――彼の術策に嵌った事を自覚する。

 彼の手からすり抜けて飛翔した木刀の先には、彼の妹である高町なのはが座っていた。

 

(なのは――!)

 

 直撃する軌道の木刀に、高町なのはは微動だに反応出来ず、隣の高町美由希もまた理外の事態に行動が遅れ、隣のエルヴィは「見えていても助ける気は一切無い」とにんまりと笑っていた。

 

 

『ならば、殉ずるが良い。御神の剣士としての本懐をな――』

 

 

 脳裏にその言葉が蘇るよりも疾く、『神速』の上に『神速』を上乗せして――その投擲された一刀が彼の妹に辿り着くよりも疾く弾き飛ばす。

 

(――っっ!?)

 

 小太刀二刀御神流斬式・奥技之極『閃』によって弾き飛ばされた木刀は、粉々に爆砕して欠片も残らず『焼滅』し――此処に至って、釣られたのが自身であると悟らざるを得なかった。

 

「がっっ!?」

 

 鳩尾に鋭い痛みが走り、視界全てが白黒の『神速』から戻される。

 自身の鳩尾にはいつの間にか懐に飛び込んだ神咲悠陽の肘が叩き込まれ、身体を「く」の字に折って空気を全て吐き出してしまい――流れる動作で高町恭也の右腕を逆関節に極めて一本背負いすると同時に叩き折られる。

 

(――ッ、打撃から投げ技……!?)

 

 『投げる』『極める』『折る』の一連の流れが同時に執り行われ、更には受け身を取れぬよう頭部から叩き落される殺人を目的とした古武術――頭部が地に墜落する刹那、神咲悠陽から渾身の蹴りが繰り出される。

 無事な左腕の小太刀で防御しようとし、されども木刀ごと砕かれ、頭部に鋭い蹴撃が炸裂した――。

 

 

 

 

 ――目の前で行われた刹那の応酬を、高町なのはは瞬きせずに見届けた。

 

 予め、彼女にだけはこうすると神咲悠陽から教えられていた。彼からの協力要請は一つ、反射的に防御魔法で防がない事、その一点である。

 それ故に「自分ではなく、高町恭也を信じられるか?」と問うたのである。

 

「……うわぁ、虎眼流『星流れ』かと思ったら『駿河城御前試合』の対『無明逆流れ』で、陸奥圓明流『蛇破山(じゃはざん)』から『雷(いかずち)』とか、ご主人様マジえげつねぇです」

 

 エルヴィは呆れたように感心したように「というか、陸奥圓明流の真似事まで出来たんですね」と語り、『魔術師』は「所詮は猿真似だ」と自嘲する。

 真っ先に正気に戻ったのは、高町美由希であり、なのはの前に踊り出て、敵意を顕にして『魔術師』を睨んだ。

 

「なっ、あ、貴方っ! なのはに向かって……!」

「保険は一応掛けていたが――此処で妹を守らねば、御神流の一分が保たれんだろう?」

 

 清々しいまでの邪悪な笑顔で、『魔術師』は受け答える。

 対御神流の剣士の、唯一度しか通用しない奇策(殺し手)――大切な人を守る事を主眼とする流派ならばこそ、この敗北は必定である。

 

「それに私は信じていたぞ、高町恭也なら絶対に防いでくれるとな――」

 

 敵を信頼するなど、策士としては失格だが、この勝利に一番必要な要素でもあった。

 高町恭也の卓越した技量を信頼出来たからこそ、確実に飛翔させた木刀を撃ち落としてくれると信じたからこそ、構築出来た必勝の理論である。

 

「敗因を敢えてあげるなら、決闘に余分な不純物を紛れ込ませた事だろうよ。其処を履き違えて戦闘に没頭し、戦局を見なんだ――」

 

 高町恭也は兵として戦い、神咲悠陽は将として挑んだ。噛み合わないのは当然である。

 勝利より優先すべき事を眼下に用意し、手段を選ばずに勝利を簒奪した結果がこれである。

 高町恭也と同じように、尋常な勝負を望んでいた高町美由希が受け入れ難いのも当然である。

 

「つまりさ、小難しい事ばっか言ってるけど『なのはに泣きつかれたから何が何でも負ける訳にはいかなかった』って事?」

「レヴィにしては的確ですね」

「でしょうでしょう、僕だって偶には良い事言うでしょシュテルん!」

 

 レヴィとシュテルは『魔術師』の魂胆を見抜いた上で毒気を抜くような和気藹々な漫才をし、邪悪な表情で勝ち誇っていた『魔術師』が思い切りげんなりとした顔をする。

 

「随分と子煩悩な事だな『魔術師』よ」

 

 したり顔でにやにや笑っているディアーチェの顔が尚の事忌々しく――ごほん、とわざとらしい咳払いをして、仕切り直す。

 

「……確かに、我が家は危険極まる魔窟で小学生の教育にも悪いが、その是か否かを決闘の条件にするのは間違っている。それは私の勝利が何よりも証明しているだろう?」

「平然と超絶汚い手使って勝利を掴み取ったご主人様が言うと、説得力ありますねぇ~」

 

 この決闘の勝敗は、『魔術師』の屋敷に訪問する事の善悪を見極める事には成り得ない。決闘の勝敗にそれを盛り込むべきでは無かったのだ。

 それ故に、それが負けられない理由となり、『魔術師』から敗北するという選択肢を奪った。手段を選ばずに本末転倒の――唯一度限りの必勝法を使わせた最大の原因である。

 

「という訳で、これは無効試合だ。当人、高町なのはの意志をもう少し尊重しろ。此方に来る分には、彼女の安全は私が責任を持って保障する。――決闘とやらは勝者も敗者も不在で終わりだ。ちゃっちゃと治療させろ、高町恭也」

 

 先程から気絶している振りをしている高町恭也に向かって、剣では二度と勝てなくなった『魔術師』はそう言い放った。

 

 

 

 

 ――御神の剣士としての本懐を遂げて敗北した事に、高町恭也は何の悔いも無かった。

 

 百回同じ状況になったとして、百回とも同じ行動に出るだろう。

 本能レベルにまで刻まれた御神の剣士としての存在意義を、高町恭也は誇らしく思う。次があるのならば、この事態にならぬよう立ち振る舞う事も出来るだろう。

 

 だが、その決着を剣術以外の――弁舌を以って無意味なものに変えてしまうのならば、問わずにはいられなかった。

 

 二年前から胸の奥に仕舞い込んだ疑問を、決して相容れなかった男の心中を、暴かずにはいられなかった――。

 

「どうして、簡単に捨てられる――?」

 

 剣に全てを捧げた、一筋の人生を歩んで来たからこそ――同じ御神流の使い手以外で、初めて敵わないかもしれないと思った敵手だからこそ、納得が出来なかった。

 その一刀に、どれほどの執念が籠められていたかを回想する。一太刀足りとも、尋常なるものでは無かった。

 あれほど積み重ねた努力の結晶を無為に捨てられるなど、高町恭也には考えられなかった。

 

「……それに対する私の解答は基本的に意味が無いぞ。持つ者に持たざる者の苦悩など絶対に理解出来ないからな。――だが、その不愉快な誤解は正してやろう」

 

 倒れ伏す自分に、神咲悠陽は手を差し伸べる。

 其処には歴然たる嫉妬があった。当然だ、究極の一に辿り着ける者にどう足掻いても辿り着けない者の諦め切れない妄執など永遠に解るまい。

 今更、そんな負け犬の泣き言を口にするまでも無い。届かないと知りつつも手を伸ばし続けるからこそ、彼は誰よりも『魔術師』足り得るのだから――。

 

「何一つ捨ててなどいない。私は何処までも傲慢で欲張りだからな、手に入れた技能を全て使って対抗している。――魔術師の格言には『足りぬのならば他から補えば良い』というものがある。私はそれを合理的に実践しているだけだ」

 

 不貞腐れたように差し出された彼の手を、高町恭也は無事な左手で握り返す。

 

「……そう、か。なぁ、神咲――」

「嫌だ。もう剣では二度と勝てないからな」

「……まだ、何も言ってないぞ? それに、オレはまだ一度も勝ってない」

 

 憑き物が落ちたような透明な心境で再戦を望む高町恭也と、もう二度と付き合うものかと負の感情を滾らす神咲悠陽。

 何て事は無い。結局、この二人は最後まで噛み合わなかったという話である――。

 

 

 

 

「こんにちはー!」

「あ、なのはちゃん。いらっしゃーい」

「……はぁ、どうしてこうなるのかねぇ……?」

 

 それからほぼ毎日、笑顔で屋敷に通い続ける高町なのはに、『魔術師』が何も言えずに頭を抱えるのは別の話である。

 

 

 

 


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