「――お父様。何故、概念の無い太刀を『魔術礼装』に?」
遠い昔、遥か過去の事、神咲神那は不思議そうに問う。
神咲悠陽が使う太刀は、流れの刀匠に打って貰った代物である。それなりに業物ではあるが、魔術的に何ら意味の無いモノだった。
歳月を経た太刀はそれだけで『概念武装』となる。数百年級の大業物ならば、その蓄積した神秘で魔術的な結界すら容易く切り裂く事が可能だろう。
――現に、幕末の剣客の中には神咲悠陽の三重の結界を一太刀で引き裂くような怪物も確かに存在している。
数百年級の大業物の御蔭、ではなく、その才覚のみで成し得るという信じ難い神業であるが――。
「この太刀が成すべき事は魔術ではないからだ。今更お浚いするまでもないが、魔術は奇跡・神秘を人為的に『再現』する事。誰も成せん事を成さんとするならば、既存の概念は邪魔でしかない」
「……太刀で、魔術以外の事を? もしや、魔法ですか?」
「純粋な剣技のみで多重屈折現象を起こせるなら、何の苦労もしない。――剣を振るって、起こる事など一つだろう?」
神咲悠陽は試すように言う。こういう時の父はいつも意地悪であり、希望通りの答えを出さなければ失望の念さえ抱かれてしまう。
神咲神那は全身全霊でその問いに挑み掛かる。
「……斬る、もしくは対象の殺傷ですか?」
「その通りだ。それじゃあ、続いて問題だ。――魔剣とは如何なるモノだと思う?」
それは魔術師らしからぬ質問である。
今の話の流れから、魔術ではない事は明らかである。魔術回路から外界に働きかけて起こす神秘以外の理から成る魔剣――当然ながら、神那とて一度も考えた事の無い議題である。
「……常軌を逸脱した術理によって繰り出される絶死の一刀?」
「際立った工夫に依る剣でもなく、稀有の才が生んだモノではなくとも、魔剣と呼ぶに相応しい妖技は存在する。――不純物が多すぎるな。もっともっと単純な事だ」
掠っていたと言われ、神那は自身の解答を再分析する。
常軌を逸脱した術理以外でも魔剣となる一刀が存在するのであれば、肯定する部分は絶死――必ず殺す、それはつまり――。
「……必勝手、ですか?」
「その通り。振るえば確実に勝利する必殺の機構、理論的に構築され、論理的に行使されるのが魔剣だ」
満面の笑顔で頭を撫でられ、満足が行く答えを引き当てられた神那は嬉しそうに喜ぶ。
「それではお父様の魔剣は、どのようなものなのでしょうか――?」
74/魔剣
――それは今際の記憶、この世で三人の脳裏しか刻まれていない、『過剰速写』の最期の時である。
「――おい。何して、るんだよ……?」
心底不思議そうに、心底呆れながら『過剰速写』は肩を貸す少女に話す。
彼女の名はリーゼロッテ、双子の姉妹の敵を討ちに来た正統な復讐者である。
双子の兄妹の復讐を願った彼が、同じ双子の姉妹の仇となるのは、皮肉にしては運命的過ぎた――。
「……今の貴様を殺して、アリアが納得するもんかっ!」
爆発寸前の地下施設から抜け出し、憎悪を篭めながら彼女は言い捨てた。
意識が朦朧とする中、『過剰速写』はそういう考え方もあるのか、と思う。
だが、今、この時に適応されるかと言えば、否だった。
「……言って、おくが、次の機会など、無いぞ?」
「その程度の怪我、『教会』の人外共なら何とかなるだろう。……ああもう、貴様を助ける事になるなんて、自己嫌悪したくなる!」
少女は猛然と怒り、『過剰速写』は首を横に振った。
「……違、う。純粋に、持たない。――寿命が、もう、無いんだ」
だから、無意味だと『過剰速写』は話す。次の機会など永遠に訪れない。
「能力を使う毎に、寿命を消費する。だからもう、この身体には二分程度の時間しか、残されていない」
オリジナルの己が味わった感触を、彼自身もまた体感する。
時間の総量は尽きる時のみ、はっきりと発覚する。何という悪辣さだろうか。人生が終わるカウントダウンなど知りたくもない。これは最大の恐怖だった。
「……その手で、殺せ。復讐を、果たせ。この生命が、燃え尽きない内に――」
それでも、この生に意味があるとすれば、その一点に尽きる。
僅か二分間ばかりだが、討たれるならば十分過ぎる時間である。
「……アンタは、八神はやてとの約束も、破る気か……!」
だが、その復讐者は在り得ない叱咤をした。
何故その約束を知っているのかは、敢えて問わない。ただ、この復讐者は殺さない事を選んだ。
正義の味方に立ち塞がれ、その手で防がれた自分とは違って、己の意志で――。
「それを、言われると、言い返す言葉が、無いな……」
「お前は、八神はやての前で死ねっ! それが私の復讐だ……!」
そう叫んで、共に飛翔し、彼等は『教会』を目指す。
残り一分――残念ながら、もう間に合わない。そして、このまま死ぬ訳にはいかなかった。
此処で自分が死ねば、八神はやてはリーゼロッテを心底憎むだろう。彼女が自分を殺したのだと、勘違いして。
彼女は仇の自分を殺さなかった。その憎しみは的外れである。だから、この遺言は八神はやての為であり、彼女の為だった。
八神はやてを復讐者にする訳にはいかなかった。人生最後の幼き友を、血で穢す訳にはいかない。
「はやてに、伝えてくれ――約束を果たせずに、寿命死する『赤坂悠樹』の、贋物を許してくれ、と」
時間操作による血液循環さえ打ち切り、ほんの僅かだけ猶予を得る。出血死する前の、ほんの数秒ほどであるが――。
「赤色の『赤』、坂道の『坂』、悠久の『悠』、樹木の『樹』――これは、はやてにしか教えていない」
それははやてにせがまれて、誰にも内緒にする事を条件に教えた、オリジナルの自身の名前――これを符合にすれば、はやては必ず解ってくれる筈だ。
「……馬鹿野郎っ! 死ぬなっ! あと、もう少しで――!?」
言い切り、此処で『過剰速写』は静かに生命活動を停止させる。
その死に顔は、何処か満ち足りていて、生前の彼を思えば、信じられないほど安らかだった――。
――そして、八神はやてはリーゼロッテを追い詰めつつあった。
(……次元震の影響で、他の次元世界に逃走する事は不可能。年貢の納め時ってヤツかな?)
幾ら格闘戦に秀でた使い魔だとしても、四対一、その四が手練となれば尚の事である。数分も経たずに決着が付くだろう。
(思った以上に早く会えそうだよ、アリア――)
――あの時、リーゼロッテは復讐の相手を失った。
『過剰速写』の遺言を、彼女は理解していた。それは八神はやての為であり、自分自身の為であると。
八神はやてに『過剰速写』が寿命死である事を伝え、その憎悪の矛先を自分に向けない為のものであると。
だが、彼女は言わなかった。真実を隠し、自分が殺したと偽った。その理由については、彼女自身も掴めていなかった。
(……何で教えなかった、か。そんなの、私が聞きたいよ――)
――或いは、これが彼女の復讐だったのかもしれない。
彼が死んでも守ろうとした者を、彼が死んで復讐を果たしたいと願った者を自分の死で穢す、そんな倒錯的で破綻した感情だったのかもしれない。
(――良いよ。空っぽの復讐で血塗れになっちゃえ……)
彼女の復讐は果たせず、されども復讐は連鎖する。その皮肉が愉快だと口元が歪む。
自身を殺したその時こそ、彼女の果たせなかった復讐は完遂する。拭いようの無い汚点を八神はやてに刻み込んで――。
(……まるで馬鹿馬鹿しい。我ながら破綻している。気づいていなかったけど、アリア、貴女が殺されて、私も壊れたみたい――)
父の悲願を果たせずに死ぬ事を、謝らずにはいられなかった。
恐らく、この魔都は『闇の書』とて飲み込んでしまうだろう。自分達が居なくなる事で、『闇の書』を永遠に封印する事は不可能になったが、この程度では滅びまい。
その時に八神はやてを救える者が居るとは思えないが――或いは、あの『過剰速写』が生きていればどうなっただろうか、そんな無駄な思考を巡らせた。
(……あーあ、ごめんね、アリア。お父様の悲願を蔑ろにして……)
あの世に逝って、彼女と対面したのならば、真っ先に謝ろう。悲願も果たせず、復讐も果たせず、此処で討ち死ぬ――主人に対する、双子の姉妹に対する度し難い裏切りだ。
(……アンタの復讐を望む八神はやては、歴代の『闇の書』の主と同じだ――地獄から、嘲笑ってやるよ)
――神域の魔眼『バロール』と、『直死の魔眼』はイコールで括って良いものなのだろうか?
片や視ただけで万物に死を賜る邪眼、片や万物の死を視る魔眼。
視る事で外界の死に干渉する魔眼と、死を視覚情報として視る魔眼――根源は同じ、本質的には同一だろう。
――だがしかし、此処で問題になるのは、『魔術師』神咲悠陽には死を理解する機能が無い事である。
そのチャンネルを持ち得ていないが故に、死を視覚情報として捉える事が出来ず、視るだけで死を振り撒く制御不能の邪眼と成り下がっている。
彼の魔眼が『直死の魔眼』足り得ないのは、死という概念を理解する特別製の脳髄が無いからである。
モノの死を理解し、視るだけで万物を殺せる――それが完全なる『直死の魔眼』、魔眼『バロール』なのだろう。
――宝の持ち腐れとは、まさにこの事である。
死を理解出来ない愚者に、死の魔眼はその性能を最大限に発揮する事は永遠にあるまい。
その理は高々二回、死を体験した程度では覆らず――それ故に、格の高いサーヴァント、魔術の及ぶ領域ではない幻想種には、その死の魔眼も一切通用しない。
更に言うならば、彼の起源に引き摺られ、その効果が歪んでいる。これでは純然なる死の魔眼とは呼べないだろう。
――所詮は、人間には過ぎた神域の魔眼。
されども、それで諦められないからこそ、彼は『魔術師』なのである。
制御が出来ず、何もかも焼き尽くす。それは逆に言えば、殺傷力が平等に分散している事に他ならない。
無駄の極みである。不純物が余りにも多すぎる。それでは運命改変も単なる発火に堕ちよう。
結論としては、絶対的な死の呪いが、視界一杯に薄められている。忌むべき事である。
――それ故に、此処に一つの論理(ロジック)が完成する。
さぁ、魔剣の話をしよう。魔剣とは理論的に構築され、論理的に行使されなければならない。
「……驚いたわ。とんだ隠し玉ね」
背中に焼け付く痛み――刀傷は深くはないが、自然と血が止まってくれるほど浅くはない。
誰もが知らなんだだろう。いや、見た事が無かっただろう。『魔術師』が太刀を振るう姿など――。
「――『魔術師』としての自分と、『剣客』としての自分を、スイッチのように意図的に切り替えているのかしら?」
「口数が増えたな。恐れているのか? シスの暗黒卿ともあろう者が」
両眼を瞑って太刀を無形に構える『魔術師』の挑発的な言葉に、柚葉は鼻で笑う。
「派手な一発芸に驚いただけよ。魔剣『昼の月』だったけ――本家本元の伊烏義阿だったなら、今ので殺されている処だし」
宙転からの居合術が『昼の月』の本質ではない。それ以前の、間合い取りの妙技が魔剣たる所以である。
伊烏義阿の才能のみに立脚する魔剣は、余人の手で行われても魔剣足り得ない。
――そう、仕留めるのならば、今の一刀で仕留めるべきだった。絶好の好機を無為にしたのは『魔術師』である。
『魔術師』なのに太刀を振るう。それは飛び切りの意外性だったが、知り得た今となってはそれすら計算に盛り込まれる。
シスの暗黒卿たる柚葉の振るうライトセイバーの一撃は全てが必殺、旧世代の遺物たる太刀を溶接して両断し、受け止める事を揺らさぬ致死の一閃である。
『魔術師』がどの程度の剣の使い手なのか、未だに測りかねる。だが、この得物の差は覆せない。絶対的な優位性である。
――そして『魔術師』は構えを変える。太刀を担ぐように上段に構え――太刀を構えている時に初めて魔眼を開眼した。
赤い虹色の魔眼が一段と狂々と煌めく。
初太刀に全てを賭けるが如く意気込みは示現流の流れを組んでいるようであり、何処か我流の崩れが見られる。
(――魔剣『鍔眼返し』? いや、それは愚かな選択だ。この私を相手に神速の二撃目は在り得ない)
一太刀にてライトセイバーで太刀を切り払って両断し、そのまま本体を引き裂く未来しか在り得ない。
次の一合に再現出来ない魔剣『昼の月』のような無様な真似をするならば、確実にそうなるであろう。
(――才無く心無く刀刃を弄んだ愚物。相応しき惨めさで死ね!)
豊海柚葉は心の中で言い捨て、最速で駆け抜け、『魔術師』神咲悠陽は微動だにせず待つ。
――柚葉が右足を強く踏み出すと同時に射出されるように悠陽から袈裟斬りが奔り、その神速の刃に合わせてライトセイバーの光刃を振るう。
柚葉は勝利を確信する。
不倶戴天の敵として見定めた男の、呆気無い死に様である。
剣という独擅場たる土俵でシスの暗黒卿に挑んだ『魔術師』という名の愚者の、当然の結末である。
斯くしてライトセイバーの赤い光刃は太刀を両断し、そのまま『魔術師』の首を刎ね飛ばす――筈だった。
(……え?)
その条理を、不条理の極みたる『魔剣』が覆す。
鋼の刃が融解されずにライトセイバーの赤い光刃を断つ、そんな常識外の悪夢めいた光景を、柚葉は驚愕の眼差しで見届けた――。
――開眼した神咲悠陽の魔眼には、斜めに走る一本の線しか見えていなかった。
それは『直死の魔眼』によるモノの死を視覚した死の線――ではなく、全神経を費やして極限まで視界を絞った結果である。
視界全部に薄められた死の魔眼の呪いを、一本の線に極限まで凝縮する。死なんてモノを理解するまでもなく、高密度の死が其処に集結していた。
――無論、これは『直死の魔眼』の保有者が視覚する『死の線』ではない。
死を視覚して捉える事の出来ない者が、死を突く事は出来ない。それは絶対の法則であり――これはまさしく真逆の理論である。
死が凝縮された線は、最早触れた瞬間に崩壊する特異点、外的要因によって死そのモノに歪められている。
死を視覚化して視るのではなく、極限まで限定して視た地点を死そのモノに変える。
純度の高い死の収束点は歪められた死因である『焼却』に至らず、太刀の袈裟斬りという原因を与えて『歪曲』させ――死は起こる。
――それ故に、その極線を辿る魔剣はあらゆる物理法則の阻害を受けずに神速の域で駆け抜け、鋼の刃は空間を引き裂き、ライトセイバーの光刃さえ両断する。
魔剣『死の眼』――神域の魔眼という異能のみに依る、人外魔境の剣。単なる袈裟斬りを必殺に昇華させる魔技。あらゆる存在を引き裂く擬似的な空間切断。
最早、距離も間合いも関係無い。振るえば、終わる。それが『魔術師』という異能者が編み出した、終の魔剣である。