転生者の魔都『海鳴市』   作:咲夜泪

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56/過剰速写

 ――斯くして前世からの因縁は決着した。

 それではもう一つの結末を、ご覧に入れよう。

 

 

 56/過剰速写

 

 

(……やっとか、やっと終わりやがったか……!)

 

 ――以上、4587回の時間逆行の果てに元凶は消え失せて、その常人では体験出来ない十秒間の間に死して蘇生した『過剰速写』は行動を開始した。

 

(此処からは、オレだけの『時間』だ――!)

 

 ボスのスタンドではなく、『過剰速写』による十秒間の世界の巻き戻し――その逆行する世界の中で、彼だけは全ての時間法則を無視して通常通り動く。

 

(このオレだけが時間の巻き戻しを観測した。全てが巻き戻る光景すらも――その度にオレは抵抗した。このどうしようもない力で螺旋巻かれる世界に逆らい続けた)

 

 それは幾千回の巻き戻しの果てに『過剰速写』が辿り着いた最果ての境地であり、時間操作能力者である彼以外は観測出来ない時間的空白――彼のみの世界だった。

 それ故に『異端個体』との決着は、『過剰速写』しか観測出来ない巻き戻し最中に成された。

 

(二千回以降だ、指先一つがやっとだったが――この大きな流れに逆らう事が出来た)

 

 ――『過剰速写』を『異端個体』は観測出来ない。

 時間の巻き戻り最中の動きなど、時間操作能力者ではない有象無象が知覚出来る筈が無い。

 正面から心臓を無手で貫かれ、酸素ボンベ付きのマスクを強奪して、『過剰速写』は自身に着用する。

 

(――世界全体の『時間停止』こそがオレの行き着く最果ての境地だと思っていたが、これは予想外の進化だ。むしろ、この時間的な矛盾の孕んだ空白こそ極致だったとは、盲点だ……)

 

 ――時間の巻き戻りは終わり、その在り得ざる時間の狭間で行われた結果だけが残った。

 不可視にして不可避の大逆転だった。

 

「――え? なん、で……」

『確かにお前はオレを殺した。だが、それは一回目に置いてだ』

 

 『過剰速写』は完膚無きまでに『異端個体』に殺されていた。

 だが、その直後に時間は十秒間巻き戻り、殺される前に戻った。その回は空気の略奪に対処出来ずにまた死亡したが――また巻き戻り、『過剰速写』に冷静に思考する機会を与えてしまった。

 

『何処の誰だか知らないが、4587回も巻き戻しやがって。それだけの時間があれば対処法の一つや十つぐらい思い浮かんで実際に試せる。――純粋に運が無かったと思うぜ?』

 

 心臓を穿ち貫いた手刀を抜き取って、物言わぬ『異端個体』の死体を投げ捨てる。

 向こう側の扉を、加速、停滞、停止を全力行使して力を際限無く注ぎ込み――解放して溶接した扉と急設されたバリケードを一蹴する。

 

(さて、最大の窮地は脱したが……はぁ、やりたくないなぁ。やらなきゃ死ぬけど)

 

 これで酸素切れで死亡する心配は完全に排除されたが――『過剰速写』は制御し切れない時間の負荷を二点に掻き集めて意図的に解放する。

 左腕上腕と左脚の膝下部分がトマトのように吹き飛び、彼は苦痛に顔を歪める。ただ出血は無い。『過剰速写』が時間操作の応用で血管の道を作り出して循環しているが故に。

 八神はやての延命処置が此処で生きてくるとは、廻りに巡る皮肉である。

 

(……ただの一回時間を巻き戻して動いた程度でオレの能力限界かよ。四千回も時間遡行を繰り返した野郎はどんだけ規格外なんだ……!)

 

 この時間的な負荷の一点集中も巻き戻し最中に開発した技術であり、自身の肉体が著しく損傷する代わりに負荷は消え去り、能力行使に適した状態に戻る。

 これで行軍速度は非常に遅くなったが、構うまい。もうこの施設に居る者はこの奥に佇む一人のみ――それにこの『AIM拡散力場』には覚えがある。

 

「……もう一体居たか、『異端個体』――同じ奴を四度殺す事になろうとはな」

 

 覚束ない足取りで『過剰速写』は足を進める。

 待っているのならば赴いて、もう一回殺してやるだけである――。

 

 

 

 

「――此処は……」

 

 そして、『過剰速写』が入ったその部屋に明かりは無く、無数の配線が床に乱雑しており、無機質な心電図の音だけが鳴っていた。

 部屋の中心には大きめのベッドが配置されており、透明なビニール幕で隔離されている。まるで無菌室のようだった。

 

「……それが、お前の本体か――」

 

 歩み寄り、ビニール幕のカーテンを抉じ開けて、ベッドに眠っている人物と対面する。

 

 ――其処に眠っていたのは、今までの御坂美琴の姿をしていた『異端個体』とは全くもって結びつかない、干乾びた老人のような植物人間だった。

 

 その手首など掴めば折れる程度の、極限まで削ぎ落とされた姿――生きているのが不思議なほどの有様であり、『過剰速写』さえ絶句する。

 

『元々ミサカネットワークの中に産まれたバグだからね。まともな身体を得られなかったよ』

 

 その無機質な発声は彼女からではなく、周辺機器による補助装置からだった。

 いつも通りなのはその補助装置からの発言だけであり、『まさにゴンさん状態よねぇ。って、アンタは転生者じゃないから通じないか』と軽めに言う。

 『過剰速写』には返す言葉が無かった。

 

『あー、詰まらない同情はヤメてよね。『妹達』を殺し尽くした罰だとミサカは納得してるんだから』

 

 『過剰速写』は「そうか」と返し、持っていたアサルトライフルをオートからセミオートに切り替えて、彼女らしき人物の額に向ける。

 

『銃弾の一発すら無駄だと思うよ? 此処の生命維持装置を止めるだけでミサカは死ねるしぃ』

 

 ――最期まで彼女は命乞いしなかった。

 そのいつもの巫山戯た調子を崩さなかった。

 

 『過剰速写』は無言で首を振る。敬意を表し、最大の敵対者として殺す事が最上の弔いであると、無言で告げる。

 

「……さらばだ。まぁオレもすぐ逝くと思うがな――」

『折角の生命なんだから、精一杯生きなさいよ。アンタの顔なんて当分見たくないしねー』

 

 『過剰速写』は躊躇わずに引き金を引く。

 

『……ごめんね、皆――』

 

 彼女の心音は停止し、無機質な音が部屋中に鳴り続けた。

 

 

 

 

「……『異端個体』が敗れたか」

 

 最大戦力の敗北を確認し、人体実験を平然と実行した『博士』達は施設からの脱出を敢行していた。

 急いで資料整理し、貴重な研究材料の一つとして『歩く教会』もトランクに詰め、彼等は隠し通路を渡り歩く。

 

「こっちです『博士』!」

 

 若き研究員の一人が先導し、早足で『博士』は移動する。

 此処での研究成果は一片も損なわれずに彼の手の中にある。また何処か別の場所でやり直せば良い。

 

(超能力者達の遺伝子はこの手にある。研究成果の殆どはこの脳裏にある。生命さえあれば幾らでもやり直せよう)

 

 時空管理局の一派は彼の研究を高く評価している。プロジェクトFの完成形というカードがある限り、見捨てはしないだろう。

 永遠に続くかと思われた暗い通路を渡り切り、街の夜の光が目に映る。緊張感が解け、『博士』は漸く安堵した。

 

「ふぅ、何とか生き延びられたか――」

 

 ずぶり、と。奇妙な異音が響き渡り、『博士』は血を吐いた。

 

「……、な――?」

 

 『博士』は俯き、自らの胸に生えた赤い槍の穂先をまじまじと見て――それを平然と眺めている若い研究員を次に見た。

 

「き、貴様、裏切った、のか……?」

「いいえー? むしろこっちのが本業ですし」

 

 若き研究員の顔がいきなり崩れ、別の顔が嬉々と嘲笑っていた。

 能力の一つの『肉体変化(メタモルフォーゼ)』なのか、と『博士』は驚愕する。

 だが、この研究員は現地民、転生者ではないし、能力者であるならば『AIM拡散力場』を必ず撒き散らしている筈――。

 

「んー、所謂『これがオレの本体のハンサム顔だッ!』って奴?」

「スタ、ンド、使い――」

 

 最期に、此処が何でもありの魔都である事を再認識し、槍が抜き取られ、『博士』は驚愕の形相のまま絶命する。

 冬川雪緒、ひいては『魔術師』の意向で学園都市の一派に侵入していたスタンド使いは、実体化しているランサーににこりと笑った。

 

「これで奴等の主要研究者を全員始末出来ましたよ、ランサーさん」

「オレとしては退屈な仕事だったがな。それじゃもう一つの方を実行しに行くかねぇ」

 

 愚痴一つ言いながらランサーは再び霊体化して消え、スタンド使いは漸く窮屈な潜入生活を終えられると背伸びしたのだった。

 

 

 

 

(……あー、まずいな。これ)

 

 『過剰速写』は地下施設に時限制限付きの爆薬を設置して、脱出しようとし――言う事の聞かない身体に、他人事のように驚いた。

 

 ――思った以上に、早く限界が来た。

 

 出血は問題無い。この調子なら、意識を失っても無意識下で能力操作して維持出来るだろう。 

 精神的な疲労は凄まじい。四千回も時間の巻き戻しに付き合ったのだ。やられた方は溜まったものじゃない。

 

 今、彼の足を止めた致命的な問題は唯一つ――彼の寿命が、予想外の早さで尽きつつあった。

 

 あれだけ湯水の如く使えば、尽きて当然かと『過剰速写』は受け入れる。

 一見して完璧に見えた複製体だったが、やっぱり寿命面で短命という致命的な欠陥問題があったらしい。

 

(……それとも、世界全体の時間の逆行が此処までハイリスクだったという事、かな? ……四千回の巻き戻し最中に使った能力行使の分も消費扱いなんかねぇ?)

 

 足の力が入らない。移動すらままならない。

 困った事に、寿命が尽きて天寿を全うする前に、施設の爆破に巻き込まれて爆死するという、格好の付かない結末らしい。

 不純だらけで何一つ突き通せなかった悪党に相応しい、惨めな結末である。

 

(あーあ、こりゃはやてとの約束をやっぱり果たせないなぁ)

 

 出来もしない約束をするものではない、と『過剰速写』は自嘲する。

 それでも這いずりながら移動する。爆発まで間に合わないと理解しておきながらも――精一杯、足掻く。

 

(……苦しい。辛い。もう楽になりたい。でも、今、この瞬間――オレは、生きている)

 

 これ以上に素晴らしい事は無い。息を一回吸う事すら億劫だが、鮮烈なまでに生きている実感を齎す。

 双子の妹を殺され、生きたまま精神的に死んでいた自分が、復讐以外の動機で動いている。

 生きるのは何よりも困難で、これほど遣り甲斐のある事は他にない。堪らず笑みが零れた、

 

 ――今、この瞬間、『過剰速写』は初めて生きていると実感出来た。その消え入りそうな生命の鼓動が何よりも愛しかった。

 

(……悪くないな、この身は贋物だけど――オレは『赤坂悠樹(オリジナル)』より幸せだったと断言出来る。どうだ、羨ましいだろう?)

 

 この一点において、オリジナルより勝ったと贋作は笑う。

 ならば、最期まで生き足掻こう。醜く地面を這いずり回って、最期まで汚く生き抜こう。湯水の如く時間を浪費してきた身だが、今はほんの一瞬さえ恋しい。

 

 

(……あぁ、そういえば、一つ先約があったな――)

 

 

 這いずり回り、霞んだ意識さえ途切れそうになった瞬間、遥か先に彼女は立っていた。

 あの時の猫耳の少女、名前は確かリーゼロッテ――もう指先一つさえ動かせないが、『過剰速写』は笑顔で迎えた。

 

「……来て、くれた。のか。良かった。ぎりぎりの処で、間に合ったよ」

 

 汚らしい悪党に華麗な爆死など似合わない。復讐者の手で見送りか、と『過剰速写』は笑いを堪えられずに声を上げた。

 

「――死ぬ前に、早くこの身を殺して、復讐を果たせ。これは死者の為ではなく、生者の為の通過儀礼、だ……!」

 

 仇敵を殺しても殺された者は喜ばない。殺された者が殺してくれと望むか――? 糞食らえな卓上の理論であると『過剰速写』は断言する。

 

 ――復讐とは生きる者の為の特権だ。

 

 大切な者の明日を踏み躙られた者の、怒りと無念と悲しみを晴らす通過儀礼だ。

 それが虚しいだの何だのは、関係無い奴等が決める事ではなく、やった当人が定める事である――。

 

 

 

 

 ――八神はやては願い続けた。

 

 『過剰速写』とクロウ・タイタスの無事を、セラ・オルドリッジを見事救出して無事に帰ってくると――ひたすら待ち続けた。

 

 クロウ・タイタスは帰って来た。血塗れでボロボロになったけど、セラ・オルドリッジを見事助け出して帰って来た。

 後は『過剰速写』だけだ。クロウも無事帰って来たのだ、彼も無事に帰ってくる筈だと、はやては自分に言い聞かせながら待ち続けた。

 

 ――そして、『過剰速写』は猫耳の少女リーゼロッテに肩を担がれて帰って来た。

 

 はやては歓喜した。約束を守って、帰って来てくれたと――リーゼロッテは死人のような顔で、一度もはやてと目を合わさなかった。

 

「クロさん!」

 

 はやての呼びかけに『過剰速写』は答えない。見た処、クロウと同じぐらい酷い怪我であり、意識を失っているのだろうと思った。

 気を失っている処を、このリーゼロッテが助けてくれたのだと――。

 

 

「……違う」

 

 

 リーゼロッテは、静かに否定する。

 

「……違うよ、八神はやて」

「……え?」

 

 悲痛な面持ちをした『神父』がリーゼロッテに駆け寄り、『過剰速写』の身柄を受け取る。

 『過剰速写』は何一つ反応せず、安らかな顔で眠っている。息一つさえせずに――。

 

「……クロ、さん? 嘘、やろ?」

 

 車椅子で駆け寄ろうとし、余りにも急ぎすぎたはやては転倒してしまう。

 それでも、はやては地を引き摺ってでも駆け寄る。信じられないと、信じたくないと、否定するように――。

 

「……」

 

 『神父』は眠れる彼をはやての前に持って行き――はやては『過剰速写』の頬に触れた。恐ろしいほど冷たくて、彼が死んでいる事を否応無しに理解させてしまった。

 

「あ、ああ……っ、っっ!」

 

 はやての泣き声をあげて慟哭し、止め処無く涙を流す。

 

 ――彼とは、『過剰速写』と八神はやては僅か三日だけの関係だった。

 初見で彼女を攫うという最悪な出遭いで、交わした言葉も、他の人と比べれば遥かに少ないだろう。

 でも、彼と友達だったのは自分だけだった。はやては友の死に涙する。

 

「――アンタが、クロさんを殺したんか?」

 

 涙を流しながら、見上げたその眼には感情の色無く、リーゼロッテの姿を映し――。

 

「――ああ、私が殺した」

 

 その言葉をもって憎悪一色に染まった。否、鮮烈に燃え上がった。

 

 

 斯くして、一連の事件は終わりを告げる。

 超能力者一党は彼等の生み出した『過剰速写』によって壊滅し、彼は死に――混迷の魔都は次なる段階に進む。

 

 ――此度の復讐劇は終わりを告げ、されども復讐劇は終わりなく連鎖する。

 次なる大事件のヒロインは間違い無く――彼女、その涙で濡れる両瞳に憎悪の炎を燃やす『八神はやて』に他ならない。

 

 

 

 


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