転生者の魔都『海鳴市』   作:咲夜泪

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55/鎮魂歌(レクイエム)

 55/鎮魂歌(レクイエム)

 

 

 ――何かおかしい。

 

 柚葉と対峙する『ボス』の表情が、妙に自信満々になり――口元が不吉なまでに歪んでいた。

 オレは瞬時に察した。奴がこんな顔をするという事は、もう何十・何百回と繰り返した後で、詰みの段階に来ているのだと――。

 

「柚葉、一旦離れろオオオオオオォ――ッ! 数十回、いや、もう数百回以上繰り返して詰みに来ているぞッッ!」

 

 奴は自身の前面にスタンドを配置し、柚葉に向かって悠然と歩み寄る。

 

「……やはり貴様は気づくか。忌々しいな、秋瀬直也。だが、もう遅い――ッッ! 『氷天の夜(ホーリー・ナイト)』ッ! 能力を解除しろォッ!」

 

 掛け声と共にこの場を支配していた白銀の世界、凍結能力によって凍らされていたもの全てが瞬時に水に戻り――初めて柚葉の表情に驚愕が奔った。

 

「――っ!」

 

 柚葉は即座に、小学生とは思えない脚力で飛び退き、一瞬遅れて水は凍結し――ほんの一瞬でも判断が遅れていたのならば、足元が凍らされ、動きを完全に封じられていた。

 

 ――そして身動き出来ない、極僅かな滞空時間こそ、『ボス』の詰み手だった。

 

 氷結した氷が液体の如く流動する。バラ撒かれた水の全てが掻き集められ、氷の蛇の如く追跡する……!?

 

(んな馬鹿な、固体の氷でそんな事が出来る訳が――いや、コイツ、水と氷、解除と再凍結を連続して繰り返す事でそれを可能としている……!?)

 

 咄嗟に柚葉はその氷の大蛇に向かって右掌を押し出し、何か不可視の力が着弾すると同時に解除して水になってしまい、再凍結させて幾重に別れた氷の蛇の群体が殺到する。

 

「素晴らしい能力だ、冬川雪緒。もっとも貴様はこの領域まで辿り着いていなかっただろうがなァ――!」

 

 刹那に、柚葉から赤い棒状の光が氷の蛇を全て切り払おうと縦横無尽に一閃され――切り払われる寸前に凍結が解除されて、大量の水が彼女の全身に掛かり、柚葉は瞬時に青褪めた。

 

「――な」

「貴様が未来予知じみた直感を持っている事は既に理解している。その程度の物量ぐらい簡単に切り払われる事もな。ならば、予測出来ても防げない攻撃をするまでの事――!」

 

 彼女を濡らした水分は瞬時に再凍結され、氷の茨となって柚葉を雁字搦めに拘束すると同時にその肢体に喰い込ませ、その全身を浅からず傷付ける。

 

「く、あぁっ!?」

「良い声だ。んん~、毎晩聞きたいほど心が洗われる艶やかな音色だ――」

 

 苦悶する柚葉と繋がれた氷の鎖を奴は冬川雪緒のスタンドでたぐり寄せ――クソッ、やらせるかッ!

 

「――『蒼の亡霊(ファントム・ブルー)』ッッ!」

 

 スタンドを走らせて氷の鎖を横合いから粉砕し、また水に戻って凍結して再構築される前に全余力を使って吹き飛ばす。

 幾ら奴の凍結能力に万能じみた応用性が付随されても、それは奴のスタンドと繋がっている事が第一条件だ。能力解除には至らないだろうが、自由に形状変化はしない――!

 

「なっ、秋瀬直也っっ!?」

 

 窮地に陥って、宙に舞っている柚葉をスタンドで拾い上げて救出するも、氷の鎖を吹き飛ばすのにまた使ってしまったから、これでオレの能力が復活するまでまた五分だ。この状況はヤバすぎる。

 

「……っっ! 解け、ない……!」

「無理するな、千切れるぞ……!」

 

 柚葉は自身を拘束する氷の茨を無理矢理解こうとし、余計肉が食い込んで苦痛に顔を歪ませる。

 

(くそッ、予想通り、奴のスタンドから直接切り離しても、柚葉の氷の拘束は解けてねぇ。此処は一先ず――)

 

 逃走して態勢を取り直そうとした瞬間、奴の予想外の事に焦って動揺していた顔が殺意を漲らせたものに瞬時に豹変し――理由はともかく、時間の巻き戻しがあったと断定して本来跳ぼうとした方向とは逆方向に飛ぶ。

 

「――何ィ!?」

 

 その驚きの声は『ボス』からの声であり――逃走しようとした方向には巨大な氷の壁が立ち塞がり、退路を断たれた。

 いや、そんな事は重要ではない。今、この瞬間に考えてなくてはならない事は……!

 

(……何だ、これは? 今の反応は何だ……!? 殺してないのに、いや、奴を殺す可能性が欠片も無かったのに、明らかに時間が巻き戻っていたような反応をしたぞ――?)

 

 それは今までの戦略が根本から引っ繰り返る発見であり、逃走を止め、オレは全力で『ボス』を注視する。

 そして『ボス』は微動だにせず、冬川雪緒の氷のスタンドで仕掛けもせず――此方の様子を驚くぐらい凝視していた。

 

(スタンド能力が変わっていると思ったが、殺されたら十秒間巻き戻る部分も微妙に変わってやがるのか……!?)

 

 そして今、『ボス』が動かずに此方の動きを一挙一動見逃さないように凝視しているのは――この能力への糸口を、何度も巻き戻して時の狭間に葬る気だからか……?

 

「どうした? 逃げるんじゃなかったのかね? 豊海柚葉を救出する為にガス欠の能力を使用してまた五分間使用不可能に陥った。打つ手はあるのか?」

 

 そう言いながら、『ボス』は気付かれぬように後退り――予感が確信に変わる。時を巻き戻す条件が殺害される事では無くなっている……!

 

 

「――時間を巻き戻す条件、どうやら変わっているようだな」

 

 

 ぴたり、と、奴の抜き足が停止する。

 

「おかしいと思ったよ。少しでも違う挙動を見せたら生殺しにするような鬼畜外道の柚葉相手に、数百回以上も繰り返せるなんて」

「……酷い言い草ね。身動き出来ない我が身が呪わしい……」

 

 此方のスタンドの手の中で柚葉はジト目で文句を言うが無視しておく。

 

「他者からの殺害が別条件に変わっている。前よりも自主的に行える方法に――自害か?」

 

 その瞬間、『ボス』の表情が憎悪一色に染まる。半分以上カマかけだったが、その反応をもってオレは確信する。

 

「――つまり、その前に殺せば、お前はもう時間を巻き戻せずに死に果てる……!」

 

 それは殺しても殺せない絶対的な時間操作能力では無くなっているという事――それが奴の変質した能力の正体……!

 

「――やはり『オレ』の天敵は貴様だよ、秋瀬直也。最後に立ち塞がるのは貴様だと思ったよ……!」

 

 地獄の底から這い出たような声をもって、奴は前に一歩踏み出す。

 

「だが、お前は致命的な事を履き違えているぞッ! 能力が使えない状態のお前のスタンドでは『オレ』を殺す事は不可能という点だッッ!」

 

 ……っ、言い返せない泣き処である。

 先程までと比べて、驚異的なまでの応用性を発揮した『氷天の夜』を前に、五分も持ち堪える事は不可能――それは、この場にいる柚葉の死をも意味している。

 

 

「ああ、だから――貴様との因縁は、この『矢』で清算する」

 

 

 漸く覚悟が定まった。前世は自滅を恐れて使えなかった。でも、今はその恐怖すら乗り越えて守らなければいけない奴が隣に居る――。

 柚葉を降ろしてこの手で抱え、『蒼の亡霊』は自分の体内から『矢』を取り出した――。

 

 

 

 

 自身の『自殺で十秒間の時間を巻き戻す』能力が発覚した時は、如何に自殺してこの事実を時の彼方に揉み消すかと苦心したが、事態は『彼』にとって最高の方向に転がった。

 

(そうだ、それだ。貴様と『オレ』の決着を付けるには最早『矢』しかない。使え、己がスタンドを射抜くんだ――ッ!)

 

 秋瀬直也が本当に『彼』に勝利するには、気づかなければいけない事がもう一つあった。それは『彼』のスタンドの本体が秋瀬直也という事実である。

 

(この『オレ』の変質した能力を推測したのは褒めてやろう。だが、秋瀬直也。貴様は其処に辿り着くまでの経緯を全く疑わなかった――!)

 

 それにさえ気づけば、秋瀬直也と『彼』の決着は、第三者の存在の介入で終わる。誰でも良い、秋瀬直也を殺害すれば『彼』もまた死亡する。特にあの豊海柚葉がその事実に気づいたのならば、間髪入れずに実行しただろう。

 

 ――『彼』は必死の形相を浮かべ、全力疾走して『矢』を射抜く動作を阻止せんと演じる。

 

 

 

 

(――おかしい、何か、致命的な部分を食い違っているような、そんな違和感……!)

 

 そして、それを間近で傍観するしかなかった柚葉の脳裏に言い知れぬ危機感が生じていた。

 遥か先の未来は靄が掛かっていて見通せない。けれども、彼女の直感は最大級の警鐘を鳴らしている。

 

(……っ、私が行動不能の以上、現状ではもうこれしか手がない。それなのに何でこんなにも嫌な予感が――)

 

 ふと、脳裏に首が吹っ飛んだ秋瀬直也の姿がフラッシュバックする。

 それは高町家の道場に居た時に、何故かは知らないが、脳裏に過ぎった最悪の光景――それが何を示すのか、彼女にも掴めない。

 

(在り得ざる光景――時の狭間に葬り去られた……?)

 

 そして、閃いた直感は全てを一つの線で繋がってしまい、隠された真実を曝け出す。

 

(……奴は自害で時間を巻き戻す。巻き戻したと思われる拍子に秋瀬直也の首が吹っ飛ぶ。――そもそも、転生者じゃない奴はどうやってこの世界に辿り着いた? 奴の能力の変質の意味は――!)

 

 二回目の世界での、秋瀬直也が『彼』を詰んだ状況を克明に思い起こす。

 秋瀬直也を殺してしまった後、『彼』のスタンド能力が変質し、他殺から自殺へ、他人の死体を操作する類の能力に変化してしまったとするならば――何らかの理由で一緒に死亡したという事になり、『彼』は秋瀬直也と一緒に転生した。

 

 それはつまり――『彼』の本体が秋瀬直也に他ならないという事実。

 

「――駄目、直也君『矢』を使っては……!」

 

 だが、その大推理は結論に至るまで一瞬遅く、『矢』は秋瀬直也の『蒼の亡霊』を射抜いた後だった――。

 

 

 

 『矢』は、確かに秋瀬直也の『蒼の亡霊』の胸を貫き――彼のスタンドに大きな穴を開けて、地面に転がり落ちた。

 

「……ぐ、がっ……!?」

『フフ、ハハハハハハハハハハ――! 勝った、勝ったぞォッ!』

 

 そしてそれとは逆に、冬川雪緒という器を捨てたミイラ化したスタンドは、光り輝いて猛烈に発光する。

 

『貴様は『器』じゃなかったんだ、だから『矢』に拒否された――『矢』の力は、世界を支配する力はこの『オレ』だけのモノだアアアアアアアアアァ――ッ!』

 

 干乾びてミイラ化していたスタンドが、一瞬にして瑞々しく力強く――最強を打ち倒した無敵のスタンドに匹敵した堅牢無比のスタンドに成り変わる。

 否、変化はそれ処に収まらず、熱狂的に凶悪的に無尽蔵に進化していく。

 

『漲る、漲るぞッ! 嘗ての全盛期の力だッ! 嘗て『オレ』が持ち得た不滅の帝王の能力――否、それさえ凌駕する究極の力だァッ!』

 

 超常的な進化の果てに『彼』は『矢』の力を支配し、一部足りとも暴走せずに制御を果たす。

 

『全ての時は我が前に跪く――!』

 

 全ての時間が吹っ飛び――『彼』は一人、誰にも到達出来なかった地平に降り立つ。

 全ての時間軸を、『彼』は其処から残らず観測出来る。在り得ざる時間、本来辿る筈の未来、歪められた正史、その何もかもを『彼』は理解した。

 

『――ハハハッ! これが『矢』の力かァッ! 出来る、時間の流れを自在に遡行出来るッ! 否、遡行だけじゃないッ! 何処をどう弄れば良いのか、全てが解るぞぉ! この『オレ』が、時空間さえ支配して世界の頂点に立った事の証なのだアァ――!』

 

 紛れもなく、此処は神の座、至高の席。

 もはや『彼』は何者の干渉さえも受けぬ存在として世界に君臨した。生まれて初めて、九歳の頃から潜在的に怯えていた死の恐怖から、『彼』は完全に解放されたのだ――!

 

『さぁ、まずは記念すべき誕生祭だッ! 前世からの因縁を晴らす時が来たッ! 我が夜明けは貴様を時間軸から完全消滅させる事から始まるッ!』

 

 『矢』に拒絶された秋瀬直也など既に取るに足らぬ存在だが、これは通過儀礼、過去との決別、宿命への決着である。

 『彼』と秋瀬直也との奇妙な因縁が今、此処で晴らされる――。

 

 

『さらばだ、秋瀬直也。我が生涯の天敵よ――!』

 

 

 前人未到の地平から、『彼』はスタンドの拳を繰り出して秋瀬直也の痕跡を全時間軸から抹消しようとし――その神の如き拳は、秋瀬直也のスタンドに受け止められた。

 

『え? ……な? は――?』

 

 まるで訳が解らなかった。

 此処は上位世界、普遍的な人間が観測する世界とは次元が違うまさに神の境地、それなのに『矢』に拒否された未熟なスタンドが何故、干渉出来るのか――?

 

『――私ハ、本体ヲ守ル為ニ産ミ出サレタ』

 

 秋瀬直也のスタンド『蒼の亡霊』は静かに語り、その仮面が砕け散る。

 赤く光る両眼に、その異形の素顔の額には『矢』が吸い付くように飾られていた。

 

『ダガ、我ガ本体ハ他ノ誰カヲ、守ル道ヲ選ンダ。眼ヲ瞑レバ、安穏ノ日々ヲ享受出来ルノニ――』

 

 秋瀬直也は『矢』に拒否されていなかった。むしろ、『矢』が支配者と選んだのは『彼』ではなく――紛れもなく秋瀬直也だったのだ。

 

『な、何だ。何なんだコレはッ!? ……オ、『オレ』は一体何を見ているッ!?』

 

 咄嗟にスタンドの拳を繰り出すが、そのいずれも『蒼の亡霊』を通り抜け――その正体を掴めず、『彼』は恐怖する。

 今や『彼』は全ての時間軸を観測する神の如きスタンドに他ならない。されども、この亡霊じみたスタンドの時間だけは観測出来なかった。

 

 ――それは『矢』の力をもって進化したスタンド能力でも、この正体不明のスタンドをどうにも出来ない事を意味している――。

 

『故ニ、私ハ『矢』ノ『力』ニヨッテ『解放』サレタ。本来ノ役割カラ、一切合切『解放』サレタノダ――』

 

 このスタンドの言っている言葉を、『彼』は一文字足りても理解出来なかった。

 そして思い起こす。前世において、『彼』を最期に葬ったのは秋瀬直也本人ではなく、死して尚動いた秋瀬直也のスタンド『蒼の亡霊』に他ならない。

 

『貴様ハ幾千幾万ノ時間ヲ繰リ返シ、最善ノ結果ダケヲ選ビ抜イタ。葬ラレタ過程ヲ一顧ダニセズ、幾万幾億ノ想イハ時ノ狭間ニ埋葬サレタ――』

『……何だ、何なんだこのスタンドはッ!? 自律しているのか? それとも秋瀬直也本人さえ知り得ない、全く別の能力を持ち得ていたのか――!?』

 

 時間を止める、時間を吹き飛ばして結果だけを残す、時間を加速させる、時間を巻き戻す――あらゆる時間操作も、この亡霊の言葉を止めるに至らない。

 

『実ニ都合ノ良イ孤独ノ観測者――貴様ヲ殺スノハ、彼方ニ葬リ去ッタ時間ノ重サダ。積ミ重ナッタ想イノ数々ハ、踏ミ躙ラレテ散ッタ意志ノ数々ハ、決シテ無駄デハナカッタ』

 

 そして此方からは触れ得ぬ亡霊の拳が『彼』のスタンドを殴り抜き――其処に物理的な力は存在しなかった。

 けれども、その一撃は間違い無く『彼』を破滅させたのだ。

 

『……何を、何をしたアアアアアアアァ――!?』

 

 まるで未知の攻撃だった。あらゆる死が襲い掛かり、『彼』を無限回に渡るまで殺害していく。

 最初はこの理不尽な攻撃に見当も付かなかったが――やがてそれが自分が体験した死である事を『彼』は悟る。

 

 ――否定し、完全に消え去った筈の死だった。

 

『――コノ私ハ、アラユル束縛カラ『解放』サレタ。時間ノ縛リサエ、私ヲ縛レナイ。ソシテ私ハ『解放』スルダケダ』

 

 幾千幾万の死が回想され――更には自身が時間遡行の果てに摘み取った生命の死、幾万幾億の可能性の世界まで『解放』される。

 

 ――『彼』の魂は、『彼』自身が消し去った時間の重さに耐え切れず、木っ端微塵に砕け散った。

 

 

 

 

 ――そして、冬川雪緒は力無く地面に倒れ伏した。

 

「……能力が、解除された?」

 

 豊海柚葉を束縛していた氷の茨は水になって消え去り――前世からの因縁は、驚くほど呆気無く決着が付いた。

 

「……ねぇ。一体、何をしたの? そのスタンドは、『矢』の力でレクイエム化したの?」

「……まるで解んねぇが、奴に引導を渡した感覚は確かにある」

 

 自身のスタンドを見ながら――『矢』が刺さっても『蒼の亡霊』は何一つ変わった様子も無い。いつも通り無表情の仮面を被ったままである。

 そういえば、唯一『矢』を使ってスタンドを進化させたジョルノ・ジョバァーナも、自身のスタンドの変化を見極められていなかった気がするが、同様の症状なのだろうか……?

 

「……にしても、お互いボロボロになったもんだ。柚葉がやられた時はまじでビビったぜ?」

「……少なくとも幾千回は引導渡してたと思うけど? 数千回も繰り返されたら一回ぐらい負けて当然じゃない?」

 

 むー、と柚葉は不満そうに口を尖らせる。

 その何気無い、子供じみた仕草が可愛らしくて、オレは晴れやかに笑った。

 

「いや、文句じゃないさ。お前も案外人間なんだなぁって思っただけだ」

 

 などと言って……今現在、怪我で動けない柚葉を地に尻餅突きながら抱き抱えている体勢であり、緊急時だったから意識していなかったが、改めて意識して顔が赤くなる。

 そんな此方の純情な顔を、彼女は不思議そうに眺め――こつん、と、第三者の足音に意識を奪われる。

 

「――『魔術師』……!?」

 

 其処に居たのは着物に洋風のブーツを履いた『魔術師』であり、その背後には『使い魔』エルヴィの姿もあった。

 

 ――間違い無く、此処に居ては行けない人物だった。

 

 オレにしがみつく柚葉の手に力が篭り――その余りの弱々しさに、逆に驚く。

 咄嗟に彼女の手を掴んで握り返してみると、その手先は氷の如く冷たい。『ボス』から与えられた負傷は彼女から体温と体力を極限まで奪っていたのか……!?

 

(クソッ、このタイミングで現れたって事は、戦闘で弱った柚葉を此処で片付ける気なのか……!?)

 

 最高のタイミング過ぎて吐き気が出る。オレは彼女を抱えて立ち上がり、『蒼の亡霊』を前に配置する。

 誰が、此処で彼女を死なせるか――!

 

「……今更、何をしに来た? 此処で柚葉を始末しようとするのなら――」

「――そんな事はどうでも良い」

 

 一言でばっさり此方の言葉を切り伏せて、彼はオレ達の前を横切り――『魔術師』は物言わずにうつ伏せになっている冬川雪緒を引っ繰り返して起こす。

 

「……この大馬鹿野郎。年甲斐無く格好付けやがって。実は死んでましたなんて、どういう了見だ……?」

 

 その時の表情は此方から察する事は出来なかった。

 だが、『魔術師』は弱体化して楽に仕留められそうな不倶戴天の怨敵よりも――掛け替えの無い親友の弔いを優先した。その事実が全てだろう。

 

「川田組のゴタゴタは私が全て片付ける。ご苦労だった、秋瀬直也」

 

 眠り続ける冬川雪緒の手を肩に掛け、神咲悠陽は静かに立ち去った。

 エルヴィは此方に一瞥すらせず、主の背後から、その耳と尻尾を垂れ下げながら後を追って行った――。

 

 

 


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