――寸前の処で巨大な氷が破壊され、オレは何とか九死に一生を得る。
季節外れの白銀の世界に、自分と同年代の赤髪の、白い制服を着た少女は軽やかに降り立った。救いの女神というよりは、混沌とした空間に更なる不条理を齎す邪神じみているが――。
「……助かったよ」
どういう方法で、あの巨大な氷塊を破壊したかはこの際問いている暇は無い。
今は全力で目の前に居る『ボス』を、何としてでも倒さなければならない――。
「それで、あれのスタンドの正体は?」
「奴の正体は前に話した『殺したら十秒間巻き戻る』というスタンド使いだ。だが、どうも様子がおかしい。今、奴が使っているのは冬川雪緒のスタンドだ。能力的には『ホワイトアルバム』に匹敵する凍結能力を持っているとしか言えない。――奴自身のスタンド能力が変質している可能性がある」
これらは奴に聞かれぬよう全部小声で「少なくとも、死した冬川雪緒の死体を操れる能力が付随されている」と伝える。
「――奴を殺せるか?」
「スタンド能力で十秒間巻き戻るなら殺し切れないけど、一回殺すだけなら容易いと思うわ」
「そうか、じゃあ殺してくれ。その直前に違和感を覚えたら戻って十秒間、時間を置くんだ」
……我ながら恐ろしい会話だなぁと思う。
なのはがこの場に居なかったのは逆に幸いだったかもしれない。
「オレの方の能力はあと三分間は使えない。その間の援護は期待しないでくれ」
「問題無いわ。私が此処に辿り着いた時点で勝利は揺るがないしねぇ」
54/悪の華
――これが豊海柚葉。
魔都海鳴の事実上の支配者である『魔術師』が絶対に排除すべき敵対者と断定しながら、今の今まで直接的に手出ししていない唯一無二の存在。極めて稀な例外(イレギュラー)。
(……何だ、どんな怪物かと思いきや、単なる小娘ではないか。この分だと『魔術師』の器も知れるというものだ……!)
氷塊を破壊した能力については解らなかったが、『彼』は単なる九歳の少女であると侮る。
いや、逆にこれは厄介かもしれない。スタンドで少し撫でただけで殺せてしまいそうだ。――秋瀬直也の復讐心を煽るのならば、殺しても問題無いかと『彼』は即座に判断する。
『氷天の夜』によって顕現した白銀の世界を、白い制服を着た赤髪の少女が無造作に歩いて行く。
近寄ってくるなら僥倖だ。即座に縊り殺してやろうと『彼』も歩もうとした瞬間、くいっと、彼女は指を軽く折り曲げる仕草をした。
「――っっ?!」
同時に『彼』の、冬川雪緒の首が不可視の力によって締め上げられ――藻掻く間も無く、首の骨が叩き折られて絶命する。
『彼』のミイラ化したスタンドは訳の解らない内に、強制的に冬川雪緒から這い出させられるのだった――。
『――『負け犬の逆襲(アヴェンジ・ザ・ルーザー)』ッッ!? 早く巻き戻せエエエエエエェ――ッ!』
即座に『彼』は自らの素っ首を切り飛ばし、自殺して能力を発動させ――十秒前に巻き戻った。
首は、まだ折られていない。豊海柚葉は悠然と歩み寄ってくる。
(……な、馬鹿な……!? こんな一瞬で殺されただとッ!? あの小娘風情に、この『オレ』が……!)
無造作に近寄ってくる彼女を、『彼』は全力で後退して距離を取る。
全身から気分の悪い脂汗が止め処無く流れ出る。この少女にしか見えない何かの恐怖の片鱗を味わい、『彼』は激しく動揺する。
「――ふむ? 一回巻き戻ったようね。どうやら『殺したら十秒間巻き戻る』能力は健在のようねぇ」
――にたり、と、童話の悪魔や魔女、否、魔王の如く邪悪な微笑みを少女は浮かべる。
(……小娘、だと? これの何処が小娘だ……ッ!)
侮り、慢心、油断、それら全ての感情が吹っ飛び、目の前の少女みたいな何かは秋瀬直也を遥かに凌駕する脅威であると『彼』は認識する。否、せざるを得なかった。
同時に認めたくなかったが――彼女は、自分を上回る巨悪ではないかという疑念が、脳裏に過ぎった。
吐き気を催す邪悪が正義の味方に倒される法則などこの世界に無いが、悪党はより強大な悪党によって踏み潰されるのが世の常。この小さな女の邪悪の底は、全く見えなかった。
(一体何をされた……!? いや、違う。そんな事を悠長に解明する暇は無い。不可視の力で首を折られた。射程は不明だが、明らかに此方より長い――!)
『彼』はスタンドを前面に置き、全力で警戒する。
念力などの不可視の力ならば、同じようなスタンドで対抗出来るか――試してみる必要があった。
(いや、それを試すのは後だッ! 今は――!)
――『彼』はスタンドを盾にしたまま、一直線に駆け抜ける。奴等は自分の能力の発動条件が他殺から自殺に変わった事を知らない。
巻き戻りを一回自覚した彼女は『彼』の殺害ではなく、無力化させる事に力を入れる筈だ。
(訳が解らんが――あの女が九歳のガキである事は変わるまい……!)
接近戦ならば、如何に不条理な力を持っていたとしても、見た目程度の身体能力であろうし、近接型のスタンドである『氷天の夜』のパワーとスピードを凌駕する事など不可能――そう思っていた時期が、『彼』にもあった。
「……え――?」
――気づけば、四肢が全て切り飛ばされ、達磨になった『彼』は地に転がり落ちており、豊海柚葉に冷然と見下された。
彼女のその澄ました顔に拳を突き落とそうとした刹那、不可視の超速度で、何か恐ろしく鋭利なもので切断された――四肢の傷痕は出血しておらず、須らく焼け焦げていた。
「……な、何なんだこれはアアアアアアアアアアァ――ッッ!?」
即座に身体を捨てて、自身のスタンドの首を掻っ切り――また十秒前に巻き戻る。
「――ハァ、ハアァッ、ハァッ……!?」
まるで悪夢だった。過呼吸の様子の『彼』を豊海柚葉は楽しげに見て――「あらあら、凄い顔。二回殺されたのかしら?」とずばり言い当ててみせた。
『――この私を倒すような勢力があるとすれば、それは彼女に他ならない』
冬川雪緒が記憶する、『魔術師』神咲悠陽の、豊海柚葉への評価がそれだった。
此処に至って、『彼』は『魔術師』が豊海柚葉に挑もうとせず、石橋を叩いて渡るが如く慎重に調査を重ねて来た理由を身を持って実感する。
この未知数の魔物の実態を掴めるほど、『魔術師』の危険察知の嗅覚は確かなものであり、魔都に君臨する化物の異常さを『彼』に思い知らせる。
――この理不尽さには覚えがあった。そう、一番最初に能力が発現した、あの運命の夜である。
『彼』はひたすら殺され続けて、唯一度も諦める事無く抗い、遂にはあの殺人鬼を凌駕した。
其処で手に入れた技術の全てが、後の『彼』の人生の栄光を確かなものにした。
この目の前の少女の姿をした魔王こそ『彼』の前に現れた最後の試練であり、この人生最大の未曾有の脅威を乗り越えた時、自分は間違い無くこの世の頂点に立てると確信する。
「……くく、ははは、ははははははは――!」
故に、その瞬間を以って引き攣った顔は瞬時に狂気喝采のものへと豹変し――『彼』は精神的に立ち直った。
――『彼』は無限回挑んで、唯一回の勝利をその手にすれば良い。
自殺する事でのみ十秒間の時間を巻き戻す能力が発覚しない限り、『彼』の勝利は約束されたようなものであり、彼は喜んで死に続けた――。
――フル装備の『過剰速写』は遭遇する全ての敵を射殺しながら突き進んでいく。
セラ・オルドリッジの救出を最優先するクロウ・タイタスとは違って、『過剰速写』の目的は敵対勢力の鏖殺であり、一人残らず生かす気は無かった。
(武装した無能力者と駆動鎧だけか。この程度なら能力の行使を最小限に留められる)
未だに『異端個体』は現れず、悲鳴を踏み躙りながら蹂躙していく。
当然ながら、武装した程度の兵の攻撃など、『過剰速写』に通用する訳が無く――一人一人、能力の使用と弾の消費を最小限に抑えて葬られて逝った。
「――手榴弾だっ、手榴弾を投げろッ!」
即興のバリケードに隠れながら、計四個に渡る手榴弾が投げられ、その全てに『停止』を施しながら『過剰速写』は足で受け止め、手早く四回蹴り上げて返却し、相手の足元で『停止』を解除する。
(……能力者が全く居ないのが気掛かりだな。尽きたのか?)
特定音波の調整で爆発音を聞き流しながら、『過剰速写』はひたすら前に進み続ける。
大能力者(レベル4)以上の能力者がいれば、流石の彼も少しは手間取るが――本拠地だというのに出てくる気配すらない。
(それどころか、全員が無能力者――というよりも、学園都市で能力開発が行われていない現地人ばかりだ。一体能力者は何処に消えている?)
直感的に、嫌な予感がした。探ってはならないと、今現在考える事ではないと、理由無き拒絶反応が警鐘として発する。
(……此処は――)
そしてその原因の一端は、偶然か、必然か、彼の前に現れる。
――『超能力者再現(レベル5リライブ)』、その部屋名には見覚えがあった。『過剰速写』が製造され、此処から脱出した――。
「――」
――飛び切り嫌な予感がした。
部屋には意外にも多くの生命が蠢いている。十、二十、否、三十は居る。
――無視して別の場所に行けと、心の中の何かが全力で告げている。
この部屋の生存者を生かす訳にはいかない。研究者なら尚更だ。アサルトライフルの弾倉を再装填し、『過剰速写』は直感に逆らって扉を蹴り破る。
「……っ」
培養器に浮かぶ四肢欠損した誰か、四肢を拘束されて解剖されたまま放置された誰か、脳味噌だけで浮かんでいる誰か、誰か誰か誰か――。
これが不特定多数の誰かであるのならば、趣味が悪い程度の感慨しか思い浮かばなかっただろう。この手の凄惨な光景は学園都市で見飽きている。
だが、これが自分の複製体――否、同じ複製体であるという事実は、格別な衝撃を齎した。
「――最悪。となると、他の能力者も同じ境遇か……」
同じ世界出身の者でありながら、その世界の者にとって天敵とは悪辣過ぎる事態である。
性質の悪い事に、これら全て、どう見ても生きていないような個体さえも、僅かながら生きている事実が吐き気を催す。
培養器に浮かぶ四肢欠損した個体は、此方に目を向け、端的に三文字を呟く。その言葉は声にならずとも、彼には理解出来てしまった。
恐らく『過剰速写』も同じ立場ならその三文字しか呟かないだろう――。
「……ああ、殺してやるとも。今、楽にしてやる」
バッグに詰め込んだ手榴弾の全てを一斉に投げて、自分の別の可能性に弔う。一つ間違えれば自分もこうだったのだろう。
取るに足らぬ劣化品として製造され、解剖されるだけの実験動物――深い憎悪が滾る。一人残らず生かして帰すかと、改めて決意を新たにする。
バリケードを作って応戦しようとする兵士、逃げ惑う研究者達を一顧だにせず鏖殺し――際立って開けた場所に辿り着く。
地下にも関わらず、広々とした空間であり、病的なまでに真っ白――その中心に、白い迷彩服を着用した『異端個体』は、悠々と待ち侘びていた。
部屋に踏み入れると同時に扉が閉まり、『異端個体』の背後の出口も封鎖され、完全な密室になる。
「やぁやぁ、生まれ故郷に帰って来た気分はどうかなぁ?」
「一人残らず鏖殺する決心が改めて出来たよ」
彼女の手元には専用武装であるガトリングレールガンが無く、挑発的な言葉とは裏腹に『過剰速写』は警戒心を顕にしていた。
同じ相手と三度も戦う経験など、まず在り得ない。それが二度殺した相手となれば尚更の事である。
もう彼女は『過剰速写』の『時間暴走(オーバークロック)』を理解しているだろうし、その限界すら掴みつつあるだろう。
無手の状態で何の勝算無く現れる筈が無い。胸騒ぎが止まらなかった。
「一応聞いておくけど、ミサカ達と手を組む気は無い? ぶっちゃけ君さえ協力してくれれば私達はこの魔都の天下取れるんだけど?」
「興味ねぇよ。テメェ等は一人残らずぶち殺されろ」
ぱちぱち、と『異端個体』の周辺に蒼い電流の火花が異常に散っている。だが、それを此方の攻撃に向ける様子は無く――嗅いだ事の無い異臭が鼻に付いた。
「そっか。残念残念。それじゃ此処で死んでよ」
『異端個体』の背中にぶら下がっていたフード付きのマスクを着用し――『過剰速写』は戦うまでもなく膝を屈し、喉を抑えて苦しみ悶えた。
呼吸が、まともに出来なかった――。
「っ?! な、にを……!」
『――これはミサカ10032号でも出来た事だよ? ミサカの頂点に立つ私が出来ない訳無いじゃん』
電気による酸素の分解、及びオゾンの生成――此処が絶対の死地であると察した瞬間、『過剰速写』は息を止めて『異端個体』に背後を向け、閉じた扉を『再現(リプレイ)』で抉じ開けようとし――物理的な手段で溶接され、ぴくりとも動かせない事実に絶望する。
それどころか、この扉は大量の資材を設置され、この扉を通常手段で開けた処で打開策に成り得ない。
『むしろ彼女よりもより効率的に、高速に執り行える。あれは強能力者(レベル3)でミサカは超能力者だからねぇ。一八五手で第三位の『超電磁砲』が敗れるぅ? 特定の場所さえ用意出来れば一手で覆るのにねぇ!』
見るからに堅牢な扉を、『過剰速写』は停止、加速、停滞を用いて破壊力を圧縮し、解放して扉の破壊を試みるが――背後からの十億ボルトの電流が、余裕さえ一切無い『過剰速写』に襲い掛かり、破壊作業を妨害してしまう。
「――ぅぅぅぅっっっ!?」
『苦し紛れだったミサカ10032号と違って、ミサカは自由に邪魔出来て、自由に自衛出来るんだよ? ほらほら、もっと脳味噌使いなよ!』
追い詰められた『過剰速写』は即座に最大限の加速を用いて『異端個体』に襲い掛かるも――それは今までの超速度と比べれば余りにも遅すぎて、ひょいひょいと躱される。
その度に、『過剰速写』の速度は見るからに遅くなり――酸素ボンベ付きのマスクを着用した『異端個体』の目元は無様な獲物を嘲笑っていた。
『――さて、これと同じ手で第一位様もお陀仏しちゃったけど、その『一方通行(アクセラレータ)』に勝ったアンタは対抗出来るぅ?』
程無くして、『過剰速写』は立っている事すらままならなくなって地に這い蹲り、呼吸出来ずに苦悶しながらその手を何処かへ伸ばし――何度か痙攣した後、ぴくりとも動かなくなった――。
『――呆気無い結末ねぇ。一方通行の方がまだ抵抗したよ?』
ケタケタ笑いながら、『異端個体』は呼吸困難で死に果てた哀れな死者を見下す。
此処に決着は着いた。これで魔都海鳴の覇権は、彼女達、学園都市の勢力が掴んだ瞬間であった――。