転生者の魔都『海鳴市』   作:咲夜泪

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26/鏑矢

 

 

 ――私は貴方の物語を知っている。

 

 全ての虚栄を拭い去り、唯一無二の真実に至る旅路の果てに、貴方が永遠に報われない事を私は知っている。

 貴方は貴方の思うままに正しい選択をし、『異端者』の汚名を被せられて世界から拒絶された。

 人知れずに世界の脅威と戦い、無意味な戦争を終わらせようと歴史という大きな流れに抗い続け――古の災禍を打ち滅ぼして消え果てた。

 

 ――もっと上手く立ち回れば、或いは。

 貴方は無意味な戦争を終結させ、新たな時代を切り開いた若き英雄として皆から愛されたでしょう。

 

 でも、こんな仮定は無意味なのです。

 例え貴方は御自身の末路を知っても、躊躇わずに同じ道を選ぶでしょう。

 その気高き意志と尊き強さは私には眩しくて、臆病な私には正視出来ません。

 見えている破滅を前にして勇敢に立ち向かえるほど、私は強くありません。

 

 ――泣きながら蹲る私に、貴方は手を差し伸べました。

 

 私にその手を握り資格があるのか、改めて問い詰め――私は彼に質問しました。

 例えその生涯が全て無意味だと解っていても、立ち向かう事が出来るか、と。

 彼は小難しそうに眉を顰め、それでも真摯に悩みながら、こう答えました。

 

 ――それでも自分は、真実に至る為に戦い続けるだろう。

 

 その笑顔は、私にとって太陽でした。

 眩しすぎて、また涙が流れ落ちました。

 

 ――恐らくこの時に。

 私はこの人と運命を共にし、誰もが見捨てても私だけは傍らで支え続けようと決意したのです――。

 

 

 26/鏑矢

 

 

「――以上が、この街の現状とそれに付随する『高町なのは』の近況です」

 

 『魔術師』は今の高町なのはを巻き込んだ勢力図を、主観を排除して徹底的なまでに客観的に、高町家の皆に説明する。

 高町なのはの将来性、魔導師としての破格な才覚、その類稀な人材を手に入れたい時空管理局の意向――それは交渉を有利に進める為ではなく、正確な判断を下せるように判断材料を無条件で手渡しているように思える。

 

(……『魔術師』にらしからぬ誠実さ。いや、これも管理局嫌いが成せる業か?)

 

 会合場所を此処に設定したのは、高町なのはの両親に管理局の危険性を知らしめる為と言った処か。

 高町なのはの父、高町士郎は難しい顔を終始浮かべている。高町恭也の嫌悪感丸出しの反応を見て『魔術師』に対する評価を出しかねている、という具合か?

 

「それで君は今後どうするのかね?」

「六日後の『ワルプルギスの夜』を討伐し、その際に破壊された海鳴市の結界が復旧し次第、管理局の影響を完全排除する方向性で動きます。血を流さずには済まないでしょう。御息女に関しては今後とも此方側に関与しない事を強く希望します」

 

 普段の挑発的な表情は鳴りを潜め、『魔術師』は淡々と語る。

 高町恭也が驚いたような眼で見ているが、こういう感情の使い分けを出来る人間は心底恐ろしいものである。

 

 ――で、前から思っていたけど、オレが此処に居る意味って基本的に無くね?

 

 高町士郎は一度目を瞑り、深く考える。

 父親である彼から高町なのはに関与しない事を約束させれば、彼女は幾ら不承でも諦めざるを得ないだろう。

 

 ――だが、この娘あってこの親あり。

 開いた言葉はオレ達の予想を超えるものであった。

 

「……なのはは、どうしたい?」

「父さん!?」

 

 高町恭也が驚いたような口で聞くが、それはオレ達も同様である。

 唯一人『魔術師』だけは「こうなったか」と言わんばかりにコーヒーを啜っていた。

 

「……今は、良く、解らないです。でも、私は、フェイトちゃんと話し合いたい……!」

 

 それは彼女が父親に言った初めての『わがまま』であり、手を出さない事を確約した『魔術師』に対する挑戦状であり、予めその反応を予想していたのか、彼は小さく溜息を吐いた。

 

「――フェイト・テスタロッサと戦闘したくば、管理局に先立って発見しろ。先に戦闘すれば、連中は終わるまで関与しないだろう。無粋な横槍を入れずに漁夫の利を取ろうとするだろう」

 

 だが、驚く事に彼から出された言葉は助言であり、高町なのは自身も驚く。

 

「何を驚いている? 連中との口約束で私は基本的に干渉しないが、私以外の誰かが関わるのを何故私が止めなければならない? ――これが悪い大人の代表例だ、反面教師にするように」

「――はいっ!」

 

 あ、いや、なのはさん? 其処は元気良く返事する場面では無いんですけど……。

 

「ちょっと待て。これ以上、なのはを危険な目に遭わせるには――!」

「非殺傷設定での決闘だ、空から墜落しても死にはしないだろう。止めるのは私ではなく、お前達だ。言葉を尽くして頑張りたまえ」

 

 高町恭也が突っかかるが、『魔術師』は丸投げしやがった。

 でもまぁ、此処まで意固地になった高町なのはを説得出来る訳無いなぁと、遠目で鑑賞しながらオレはコーヒーを飲んだのだった。

 シュークリームうめぇ。

 

「ああ、念の為に、其処で自分は関係無いという顔で油断している秋瀬直也。高町なのはのフェイト探索を手伝え。不測の事態から我が身を省みずに死守しろ」

「……なん、だと!?」

「責任重大だな、傷物にしたら高町家に殺されるぞ」

 

 話の矛先がいきなり自分に向けられ、戦闘民族である高町家の男子一同の熱烈な視線が注がれる。

 いや、この馬鹿、いきなり何て事をしやがる!? このまま空気になってフェードアウト出来ると思ったのに。

 

(テメェのそのランサーを寄越せば良いじゃねぇか……!?)

 

 などという切なる祈りは届かず、オレに訪れた分不相応の災難な日々はまだまだ続くらしい――。

 

 

 

 

「へぇ、シャルロットもこの教会出身だったんや」

「……うん、日本人の両親からこの髪のが生まれたら、ね。クロウの場合は本当に運が無い」

 

 ――夜、久方振りに孤児院に泊まる事にした彼女は八神はやての話し相手になっていた。

 

 今日は青い魔術師風のロープと大きな木の杖を装備せず、年頃の少女じみた黒いワンピースを着ている。

 水色の髪には金の髪飾りで着飾れているのは万が一の事態に対する予防である。

 

 いつも一緒に居るブラッドは神父と一緒に静かに酒盛りしているので、八神はやてとの会話は丁度良い暇潰しだった。

 

「……少しでも疑われたら運の尽き。私達は基本的に両親の遺伝子を引き継いでいないからね。DNA検査で必ず引っ掛かる」

 

 此処に捨てられた孤児の多くが『三回目』の転生者であった事は偶然であり、『第一次吸血鬼事件』が始まる以前の、皆一緒だった頃を思い出して切なくなる。

 あの頃は相争う事無く、仲良く過ごせたと思う。けれども、あの事件を切っ掛けにそれぞれの道を歩み始めた。

 中には死んでしまった人も居る。同じ釜の飯を食べた『魔術師』に引導を渡された者も居る。考えるだけで滅入る事だった。

 

 ――彼女とブラッドは血で血を拭い去る闘争の渦から、一線離れた立ち位置に居る。

 

 超一級の実力を持ちながら、どの勢力図にも加わらなかったのがこの二人である。

 二人の戦力は弱小勢力にしてみれば喉から手が出るほど欲しく、大勢力からしてみても極めて危険性高く映るだろう。

 

 あれこれ深刻に考えていると、八神はやての顔が曇っており――シャルロットはぽんぽんと彼女の頭を撫でる。

 

「……子供が無用な心配をしない」

「とは言っても、五つ違いやないかー」

「私達を見た目の年齢で測る事がそもそもの間違い。はやては子供、私はお姉さん」

 

 無表情の彼女には珍しく、淡く笑いながら胸を張る。

 年頃にしては少し発育している二つの膨らみを八神はやては唸るように見ていた。

 

「それじゃシャルロットはどんな人生を送ったん?」

 

 ――『二回目』の人生。

 

 それは転生者にとって、鬼門というべき事柄である。

 何せこれを語れば自分がどのように生き、どのような技能を取得しているか、丸解りとなり――覆せなかった死因を思い返す羽目になる。

 

 それでもまぁ、転生者じゃない彼女に語るぐらいは良いか、とシャルロットは判断する。

 彼女が至った物語は総評して悲惨だけども、その道筋には一片足りても恥じる部分は無い。自信を持って誇り高く語れるのだから。

 

「……私の前世は中世の欧州じみた剣と魔法のファンタジー、私は平民階級に生まれた。魔法なら誰にも負けない才能があったけど、平民生まれだから一切評価されない時代」

 

 既存の全魔法を極め、失伝した古代魔法にも手を伸ばせた才覚は一定以上の評価を受けたが、氏名の無い平民階級という事が全てを台無しにした。

 生まれながら、彼女は持たざる人間だったが故に――。

 

「……貴族にとって平民は何処まで行っても家畜扱い。彼等の横暴は酷かった。同じ人間をあそこまで扱き下ろせるモノだと感心したわ」

「酷いなぁ、今の日本からは考えられへんわぁ」

「……でも、彼だけは違った。青臭いと言えばそれまでだけど。大貴族の妾の子だったけど、彼は最も尊いものを継承していた。清廉で生真面目、弱者を見捨て置けない性格、正義感が強くお人好し――そして生粋の人誑し」

 

 シャルロットは大貴族の第三子に生まれた、彼の事を思い起こす。

 妾の子でありながら『天騎士』と称された大英雄の気質を唯一受け継いだ少年の事を。それ故に真実に立ち向かって非業の転落人生を歩んだ、彼女が所属した旅団の部隊長の事を――。

 

「……最善の行動が最善の結果を齎すとは限らない。あの人は歴史の影に隠れた真実に最も近い位置に居た。貧乏籤を引くのはいつだって善人だった――」

 

 彼の非業の結末を、シャルロットは最初から理解していた。

 一緒に行けば、一緒に破滅する事は最初から解っていた。

 

 ――それでも、構わないと思った。

 

 あの貴族の末っ子の少年は、シャルロットにとって『太陽』だったのだ。

 一緒に居れば勇気が湧いてくる。一緒に居ると胸の鼓動が高鳴る。あの腐敗に腐敗を重ねた世界における希望の光は、彼しか居なかったのだ。

 

「……あの時代に置ける『異端者』の烙印は後世四百年にも轟く汚名。当時の最大勢力である教会からの死刑宣告に等しい。そんな無実の罪を背負わされ、大陸中から狙われる事になったけど、私達の旅団からは誰一人離反者が出なかった」

 

 その驚嘆すべき事実を、シャルロットは誇らしげに自慢する。

 本当に馬鹿な連中だと思った。自分も含めて、愚かすぎるほど愛してくて笑みが零れる。

 

「……私さえも、彼の為ならば死んでも構わないと思っていたほど」

 

 だからこそ、彼の指揮する旅団は『最強』だった。

 彼を実力で上回る騎士や魔道士は山ほど居た。聖騎士に暗黒騎士に魔法剣士に異端審問官など、非凡な才覚を持った敵は山ほど居た。

 

「……その人は、シャルロットは、ちゃんと報われた……?」

「……彼の真実の旅路が後世の歴史家に再評価されるのは四百年後。私は最後の決戦で死んじゃったけどね。歴史の闇に埋もれた、語られない英雄の物語」

 

 けれども、彼ほど心強い味方を手に入れ、全幅の信頼を受けた指揮官は他に無く――彼等との『絆』こそが彼の最大の武器だった。

 聖騎士に機工士、天道士に天冥士、神殿騎士、鉄巨人に魔法剣士に龍使いに異邦人、剣聖――皆の顔が脳裏に過ぎり、彼等の勇姿は色褪せる事無く眼に刻み付いている。

 

 シャルロットは口ずさむ。彼等の物語を。

 誇りと共に語り継がれる、真実の物語を――。

 

「戦士は剣を手に取り、胸に一つの石を抱く。消えゆく記憶をその剣に刻み、鍛えた技をその石に託す。物語は剣より語られ石に継がれる――」

 

 

 

 

「……私は、彼女の傍に居て良いのだろうか? 私のような唾棄すべき大罪人が――」

 

 教会の神父の個室にて、ブラッド・レイは葡萄酒を飲みながら頭を抱えていた。

 彼の相方であるシャルロットが黄金に匹敵するような誇りの物語で綴られるのならば、ブラッドの物語は幾千幾万の血で綴られる凄惨な物語である。

 

 ――彼の『二回目』は人間ではなく、『竜の騎士』として生を受けた。

 

 『竜の騎士』とは太古の時代に人間の神、魔族の神、竜の神が作った、世界の秩序を守る為に戦う究極の生命体である。

 人の姿に魔族の持つ強大な魔力、竜の持つ力と頑強さを兼ね備えた究極の騎士であり、その存在意義はいずれかの種族が世界の秩序を乱した際にこれを討ち取る事にある。

 

 ――その生は戦いに明け暮れ、誰一人として天寿を全うしない存在。

 

 彼の悲劇は、彼の生きる時代に世を乱したのが、人間だった事に尽きる。

 人間を殺す事に葛藤し、世界の秩序が崩れてより混迷の時代が訪れる事に危機感を抱き、それでも破滅に向かう人間達の粛清を躊躇し、絶望した果てに――彼は自らの手で殺した。

 

 ――自分の次の『竜の騎士』は何の躊躇無く人間を滅ぼすだろう。

 それならば、自らの手で斬り落とすべき者を選別した方が、遥かに良き結果を齎すだろう。

 

 既にその決断そのモノが人間だった頃とはかけ離れていた事に、彼はいつ気づいただろうか。

 幾千幾万の人間の屍を築き上げ、愛した人間の女性の骸を見つけた当たりで、漸く気づいた事だろう。

 

 それが、彼の『竜の騎士』としての物語であった。

 時代が違えば、こうはならなかった。元同種族を手に掛ける事無く、異種族の英雄として自身の物語を完遂出来ただろう。

 

「既に我々は神の摂理から逸脱した存在です。教義上に無い事を、私は神父として語れませんよ」

 

 ――幾度無く転生する者は何を持って救済されるのか、神父自身もその答えを知らない。

 

 自分達には死の安息さえ与えられないまま、三回目の生涯を生き続けている。

 何て巫山戯た例外だろうか。最後の審判の時は未だに訪れず、何の答えが出ないまま三度目の生は続いている。

 

「ですが、貴方が誇り高き生き様を貫いた彼女と一緒に生きるのであれば、努力しなさい。その輝きに見合う自分になりなさい」

 

 神父ではなく、義理の父親として彼は優しく笑い、葡萄酒を口に含めた。 

 

「……貴方は不思議な人だ。普段の貴方は慈悲深く思慮深いのに、吸血鬼を前では狂気の代弁者となる。何方が本当の貴方です?」

「両方とも私ですよ。――昔々の事です。吸血鬼によって両親を殺され、血を吸われる寸前に『アレクサンド・アンデルセン』神父に助けられました」

 

 ――その時の光景は今でも鮮明だ。

 

 両親を弄んで殺した絶対の恐怖だった吸血鬼が、震えながら命乞いし、神父は狂ったように笑いながら銃剣で容赦無く両断する。

 あの事件で今までの自分は死に絶え、新たな自分に生まれ変わったと『神父』は断言する。

 

「私がしている事は、彼の生き様をただなぞるだけです。――彼の生涯を賭けた刃は『アーカード』の心臓にも届き得た。それを証明する為に、私は生きているのです」

 

 杯に揺れる葡萄酒を見ながら、神父は物懐かしげに呟く。

 その願いは前世において叶う事が無かった。『アーカード』が幾百万の生命を殺して帰還する前に、英米同時バイオテロ事件、別名『飛行船事件』を生き抜いた神父は病死してしまったが故に――。

 

「――それでも、貴方の孤児院に救われた者は沢山居る」

 

 からん、と杯をぶつけあい、二人は物静かに葡萄酒を飲む。

 

「我が子達と盃を交わすのが、今の私の最大の楽しみですよ――」

 

 

 

 

 それぞれが思い思いに夜を過ごす中、オレはシスターと向かい合わせに座っていた。

 彼女にはどうしても、一つ、聞かねばならない事があった。

 

「自分の記憶に関しては、良いのか?」

 

 そう、以前の交渉の時には八神はやての生存の確保の他に、彼女の記憶を取り戻す事が主題として上がっていた。

 それなのに今回の件については、シスターはまるで意図的に触れないようにその話題を避けて来た。

 察する事は出来たが、それは問わなければならない問題である。

 

 シスターは沈黙したまま、重い口を開こうとしない。オレは静かに、彼女が口を開くのを待ち続けた。

 

「あれからずっと考えてた。記憶を失う前の『私』は本当に私なのかって」

「……『魔術師』に言われた事か」

 

 記憶喪失というよりも、彼女の場合は記憶の抹消だっただけに、問題は更に深刻化しているのだろう。

 

「私はね、『私』の記憶が消される前に遺した文書で、私が『転生者』である事を知った。それ以来、私の目的は『私』の記憶を取り戻す事が全てだった。でも、何処かで嘗ての『私』を私と同一視していたんだと思う」

 

 前世と合わせて二十数年程度の人格と、今の今まで歩んだ彼女の人格は、別の存在と言って差し支えない。

 それが記憶を取り戻した場合、一つに統合出来るのだろうか? それは、実際に試してみなければ解らない事だ。

 

「記憶を失う前の『私』が全くの別人なら――今の私が、後に構築された贋物という事になっちゃう」

 

 涙を流しながら、シスターは痛々しく笑った。

 

「……怖く、なっちゃったの。今の私は贋物で、本物の『私』に返さないといけない。失ったものは、取り戻さないといけない。それなのに……!」

 

 ぽろぽろと涙が零れ、シスターは内に溜めた感情を一気に爆発させる。

 シスターは力無く立ち上がり、此方に倒れるように胸に飛び込んで来た。

 受け止め、嗚咽するシスターを宥める。今の自分には、それぐらいしか出来ず、自身の無力感に苛まれて呪わしかった。

 

「……クロウちゃん。臆病で卑怯な私を叱って。嘗ての『私』を絶対に取り戻せと怒って。それが、それが正しいのだから……!」

 

 ――でも、それは今までのシスターを全否定する言葉であり、オレにはそんな言葉を出せなかった。

 

「……オレは、今のシスターしか知らねぇ。――だから、今のままで良い。例えそれが間違いでも、オレはそれで良いと思う。誰のせいでもない、オレのエゴで、そのままの君で居て欲しい」

「……駄目、だよ。そんな事を言われたら、私は、甘えちゃうよぉ……!」

「――良いんだよ。甘えて良いんだよ。少しは頼りにしろよ、オレだって男なんだからさ」

 

 シスターの泣き声がいつまでも鳴り響く。

 視界の隅にアル・アジフが気まずそうに立っていたが、音を立てずに去ってくれる。全く、あの傲岸不遜の古本娘が、珍しく空気読みやがって。

 オレはそっと泣き続けるシスターの為に胸を貸した――。

 

 

 

 

「――確かに、貴様の『死んだ瞬間に十秒前に巻き戻る』というスタンドは無敵だ。誰も貴様を殺す事は出来ない。だからこそ、貴様を殺すのはお前自身の手だ」

 

 その男は許されざる『邪悪』であり、嘗ての宿敵だった。

 ラスボス御用達の時間を操るスタンド能力は、幾人もの仲間の犠牲の上で発覚したものであり、託された想いを受け取り、オレは最終決戦に望んだ。

 

「自殺では能力は発動しない事は解ってる。貴様は自身を殺そうとしない敵に敗北するんだ」

 

 用意した最終決戦場は中規模のクルーザーであり、二人分の棺桶にしては上等な代物だった。

 

「何を、何をしたァ――!? 秋瀬直也ッッ!」

「テメェと心中なんて真っ平御免だったがよォ。一緒に死んで貰うぜ……!」

 

 既に故郷の土から離れ、太平洋の真っ只中を漂流している。

 オレを始末する為に乗り込んだ奴は、間抜けな事に、此処が絶対の処刑場である事に今の今まで気づかなかったという訳だ。

 

「救命具は全部破壊した。通信機も操縦系統も諸共壊した。この船は間もなく沈む。お誂え向きの死に場所だろう? 溺れ死んだ傍から溺れ死ぬ。諦めがお前を殺すんだ」

 

 無限に殺し続けるスタンドじゃない限り、この男のスタンド能力は破れない。

 だが、そんなとんでも能力が無くとも、殺せるのだ。

 オレ一人が犠牲になるのならば、この男を完殺する理論と手段は此処に構築される――。

 

「待て、参った。俺の負けだッ! 此処で俺達二人が死んでも無意味だろう? 死にたくないのは貴様も同じの筈だ。今後一切お前達には手を出さない。死んだ妹に約束しよう。だから――!」

「……オレが隠し持っている生き残る手段を開示しろってか? ああ、確かに――予備の無線機が此処にある」

 

 懐から取り出し、奴の眼下に晒す。

 彼は希望を見出したような顔を浮かべ、オレは逆に覚悟を決める。

 

「これさえあれば救助の可能性が発生し、殺されれば何度でもやり直せるお前なら確実に救援を引き当てるだろう――だが断る」

 

 最後の希望を握り潰す。これで、オレも奴も助かる術は消え去った。

 

「お前は、死ぬべき邪悪だ。この世に居てはいけないんだ」

「――き、貴様アアアアアアアアアアアアアアァ――ッ!」

 

 奴のスタンドがオレの心臓を穿ち、大きな穴を開ける。

 全く、死ななければ発動しない能力の癖に、近距離パワー型でスピードも精密性も『スタープラチナ』並とか反則過ぎるだろうに――。

 

「……これで、お前は十秒前に巻き戻る手段を、完全に失った……。あの世から見てやるぜ、貴様が無様に破滅するその一部始終を――!」

 

 全力で絶望する奴の顔を最高の笑顔で見上げ――オレは程無くして死に絶えた。

 これがオレの『二回目』の死に様――懐かしい記憶だった。

 

 

 

 

 そして景色は暗転し、青い魔術師風のローブを纏った仮面の亡霊――オレのスタンド『ファントム・ブルー』が目の前に現れる。

 

「見テ見ヌ振リヲスレバ、オ前ハ死ナナカッタ」

「見て見ぬ振りなんて出来なかったから、こうなったんだろうな」

 

 我が『スタンド』は恨めしそうに片言で呟く。

 この手の対話は、初めての経験だった。これが夢だと自覚出来る、奇妙な感覚だった。

 

「何故ダ? 手ヲ出サナケレバオ前ハ運命ヲ変エレタ。誰カノ為ニ死ナズニ済ンダ」

 

 ……やっぱり、この死因はそうなるか。

 認めよう。秋瀬直也は二回とも他人の為に死ぬ事を選んだ人間だという事を。

 人と交流し、此奴の為ならば死ねると思った時、オレの死の因果は不可避のものへと変質し、成立するのだろう。

 

「私ハソノ為ニ発現シタ『スタンド』ダ。非業ノ死ヲ遂ゲタオ前ノ渇望ガ私ヲ生ミ出シタ」

「……そんな事はオレが一番良く理解している」

 

 我がスタンド能力は隠蔽能力に長けた風の『スタンド』だ。

 同じスタンド使いであろうと、我がスタンドを見る事は不可能であり、誰よりも隠し通せる事に特化した能力なのだ。

 それは人との断絶を意味しており、けれども、オレは手を差し伸べる事を止められなかった。

 

「死ハ間近ニアル。ソノ不可避ノ摂理ヲ乗リ超エルノナラバ――今度コソ使エ。次ノ段階ヘ――『レクイエム』ヲ奏デルノダ」

 

 我がスタンド――『ファントム・ブルー』は自身の体の空洞の中に手を突っ込み、あるモノを取り出す。

 それは生前最後まで死守したモノであり――最終的に使う事を拒否した、『ジョジョの奇妙な冒険』で最重要の『キーアイテム』だった。

 

 

 

 

「……胸糞悪ぃ。何で今さらこんな夢を――」

 

 小鳥の囀りが恨めしく耳に響き渡る。

 変な夢を見たせいで、眠った気がまるでしない。

 背伸びをし、欠伸をする。時刻は七時、母が起こしに来るまであと十分ぐらいあるが、起き上がって顔を洗おうと立ち上がる。

 

 ――からん、と何かがベッドから落ちた。

 

 それは古臭い木の枝で作られた――前世からの因縁の道具だった。

 

「……そんな馬鹿な。『矢』だとォ――!?」

 

 

 

 

 


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