22/平常運転の陰謀家
――夢を、見ていた。
長く、果てしない、何処までも悲しい夢を――。
「フェイトっ! 良かった、良かった、もう目覚めないかと思ったよ……!」
「アル、フ……? あれ、何で子犬モードに?」
「フェイトの負担を少しでも減らそうとしてさっ……いやまぁ、アーチャーから言われたんだけど」
小さくなった自身の使い魔の姿にびっくりしながら、フェイト・テスタロッサは自身の鉛のように重い身体に眉を顰める。
魔力は殆ど底を尽きており、これではまともに活動も出来ないだろう。
――そう考えて、一体自分は何をすれば良いのか。
フェイトは完全に自身の目的を、見失っていた。
「というか、このモードの事、知っていたの?」
「あ、いや……うん、アルフ、可愛いよ」
咄嗟に誤魔化し、アルフははち切れんほど良い笑顔を浮かべた。
「ごめん、アルフ。何か飲み物を取って来て……」
「あいよ! ちょっとだけ待っておくれよー!」
アルフは見た目相応のやんちゃさで冷蔵庫に向かってドタバタと走り、フェイトは疲労感を滲ませた溜息を吐いた。
毛布を捲る。其処には、恐らく先程まで令呪だった『ジュエルシード』が三個、転がっていた。
――自身はアリシア・テスタロッサのクローンであり、母親であるプレシア・テスタロッサから偽物として疎まれている。
――『魔術師』は自身が手に入れたジュエルシードを尽く砕く為、現存しているジュエルシードは自身の三つと――未だ出遭った事の無い、親友の三つのみ。
――プレシア・テスタロッサの本願は当然叶わず、次元世界の狭間に消え逝くが定め。自分は唯一人、彼女達に置いて行かれ――。
――彼女の記憶の中には、自分の姿がとにかく鮮明に、何度も出てきた。
彼女自身、最も信頼していた親友が自分であり――彼女が道を誤り、最終的に引導を渡したのは、泣きながら崩れる未来の自分だった。
(――私は貴女の事を必要以上に知っている。でも、今の貴女を知らないし、貴女は私の事を知らない……)
解らない。全く思考が定まらない。
あれが自身の未来である事を全否定すれば、フェイト・テスタロッサは母の忠実なる下僕に立ち戻れる。例え捨て駒でも、役目を果たす事が出来る。
けれども、あれが自身の辿る未来であるならば、自分は解った上で立ち向かう事など出来ない。そう振る舞えるほど、強くある事は彼女には出来ない。
(――なの、は。高町、なのは……)
崩れそうな自身の体を自分で抱き締め、フェイトは一人で震える。
知ってはいけない事を知ってしまった。もう、フェイトは以前の無垢な自分ではいられない。知ったからには後戻りは出来ない。
――貴女に、出逢いたい。
滅茶苦茶になった自分自身に、区切りを付けたい。
其処に答えがあると、彼女は盲目的に信じて――。
22/平常運転の陰謀家
――そして、高町なのはは自身の未来の結末を最期まで見届けた。
全領域を支配する五十以上の魔力の弾の乱舞も、神の鉄槌じみた超絶な破壊力を誇る桃色の光線も、星屑を集めて形成された超巨大な星も脳裏に刻まれた。
――あれが彼女が至る到達点、英雄の域まで登り詰めた『高町なのは』の姿を網膜に焼き付ける。
まさに彼女の『強さ』は高町なのはの理想そのものだった。
強大無非なる力、あの『魔術師』達に匹敵する力、今度こそ彼を守れるほどの力――なのに、何故彼女は敵対する道を選んだのだろうか?
未来の自分なのに、自分自身の選択がまるで解らなかった。
どうして、殺し合う道を選んでしまったのか。そんな事の為に彼女は力を求めたのでは無いのに――涙が知らぬ内に零れ落ちた。
――彼女は白い流星として流れ落ちた。
今際の言葉を、彼女は全部聞き届けた。
涙が止まらなかった。やはり彼女は自分自身だった。不器用なれども、何処までも一直線に貫いて、その報われない結末に慟哭する。
されども、彼女は自分でも驚くぐらい綺麗な笑顔で笑って、未来の自分は満足気に逝った。
(……解らなくなっちゃったよ、レイジングハート)
『……Master.』
何処をどう間違っていたのか、どんな道筋を歩んだのか、今の自分では全く解らないし、想像も出来ない。
でも、自分は――あんな綺麗な笑顔で逝く事が出来るのだろうか?
一つの結末を見届け、高町なのはは目指した道を見失った――。
八神はやてが居て、シスターが居て、アル・アジフも居る。
朝の食卓で至福の時間をクロウは堪能する。平和な一時を全身全霊で享受する。
(……昨日は良く無事だったなぁ、オレもアル・アジフもシスターも)
下手すれば時間切れで全員生き埋めという事態も在り得たし、自分だけ死んではやてに泣かれる未来とか、かなりの確率で在り得ただろう。
「――と、ところでクロウちゃん」
「んぁ? はぁんほぁ?」
この得難き幸せな一時に感謝していると、シスターが赤くなった顔でどもりながら話しかけて来た。
『歩く教会』のフードを珍しく脱ぎ捨てており、金糸のように色鮮やかな金髪の毛先を丸めており、何だかいつもと違ってドキリと来る。
あれがあると無いとでは此処まで雰囲気が異なるのか、唸るばかりである。
「く、口では言えないようなエロエロなお仕置きって何するのかな……!?」
「ゲフッ!? なな、いきなり何言って……!?」
それは図らずも、昨日自分が口走った妄言であり――真に受けたシスターは耳まで赤く染め、オレははやてとアル・アジフの絶対零度の視線を浴びて、さぞかし顔を青褪めている事だろう。
「――クロウ兄ちゃん、どういう事かな?」
「――クロウ、お主……!」
「な!? そんな性犯罪者を見るような眼でオレを見るなああああああああぁ――!?」
幸せな食卓が一転して性犯罪者に対する弾劾裁判に早変わりし、オレの幸福指数は一直線に下向するのみである。
気を取り直して礼拝堂に散歩しに行けば、其処には黒髪黒眼の覇気溢れる青年と水色の髪の儚げな印象を抱かせる少女が座って待っていた。
「よぉっ、珍しいな。あの事件以来か?」
「ああ、お互い元気そうで何よりだ」
其処には昨日、あの地下神殿で再会したブラッド・レイとシャルロット(姓は無い)である。
「シャルロットも久しぶりだな……って、どうしたんだ?」
「……シスターに何するの?」
ジト目で、ブラッドの背後に隠れながらシャルロットは責めるような視線を浴びせる!?
「って、お前もかよ!? やめろ、オレはロリコンでも性犯罪者ではないぃ――!」
頭を抱えながら「NOOOOOOO!」と悲鳴を上げる。
これはまずい。あのシスターの腹黒な策略でオレがロリコン認定されてしまう……!?
今日は妙に可愛いなぁと血迷った先程のオレを殺してやりたい!
「ははは、礼拝堂で騒がしいですね。クロウ」
背後から居ない筈の人物の声を聞いて、オレは瞬時に停止する。
背後には初老を越えても微塵の衰えも感じさせない『神父』が笑って立っていた……!?
「ななな、『神父』!? どどど、どうして此処に!?」
「此処は『教会』で私は此処の『神父』ですよ? 何か不思議な点がありますか?」
笑顔でニコニコと笑い、反面、オレは背中から流れ落ちる汗を自覚する。
恐らく、蛇に睨まれた蛙というのは、今のオレみたいな感じになっているのだろう。
パタパタと背後からシスターが慌てて駆け寄ってくる。彼女の方も『神父』の存在を驚いている様子だった。
「『神父』……!?」
「今後の方針について少し話がしたくてね。残りのサーヴァントは『二騎』……いや、未召喚のも含めて『三騎』ですからね」
はやても車椅子で駆け寄っている為、血腥い話はなるべく避けたいのだが――残り『二騎』という言葉に、電撃的に閃く。
確か召喚されたサーヴァントはセイバー、アーチャー、ランサー、バーサーカー、ライダー、キャスターであり、必然的に未召喚のサーヴァントのクラスは残り一枠のあれに成る筈である。
「……あれ? オレ、凄ぇ事に気づいたぞ! もう召喚出来るクラスは『アサシン』しか残ってねぇじゃん! ははは、それならあの『魔術師』と言えども恐るるに足らずだっ!」
ランサーさえ倒してしまえばアサシンなど雑魚同然よ、とオレは勝ち誇る。
だが、オレの反応に反して、シスター達は冷めた視線を向けていた。
「……クロウちゃん、それ本気で言っているの?」
「あん? どういう事だ? 何でそんなに深刻な顔してるんだ?」
シスターだけじゃなく、ブラッドもシャルロットも何か言いたそうな顔をしているが……?
「もし、その仮説が本当なら、あの『魔術師』はとうの昔にアサシンを召喚していて――虎視眈々とクロウちゃんの暗殺の機会を待ち侘びているって事だよ?」
「……衛宮切嗣が第四次のアサシンを召喚していれば、第四次聖杯戦争は四日間で終わったという。あの『魔術師』にアサシンが渡ったらどんな大惨事になるか、もう言わなくても解るな?」
シスターは呆れたような顔をし、ブラッドは少しは危機感を抱けと言わんばかりに忠告する。
……ああ、そういえばアサシンってマスターを暗殺するサーヴァントだっけ……あれ、それが『魔術師』の手に渡ったら、超ヤバくね?
「ぎゃ、ぎゃー!? 何その無理ゲー!? もう一人でトイレにも行けねぇ!?」
あの『魔術師』の事だ。間違ってもサーヴァント相手にぶつけないし、確実に仕留められるタイミングでしかアサシンを使わないだろう。
もうトイレにも篭れないのか、悲観する中、シャルロットは無表情のまま違った見解を示す。
「……またはクラスが絶対に被らないから最後まで温存したのかも」
クラスが被らない? それは温存しているサーヴァントのクラスが最初からアサシンのサーヴァントだったからか、または――。
「アヴェンジャーのようなイレギュラークラスですか。なるほど、大いに在り得ますね」
なるほど、と『神父』も頷く。
となると、アヴェンジャーやセイヴァーなど特殊なサーヴァントの可能性があり、結局は秘匿する戦力は未知数かと落胆する。
「どの道、最後の敵だ。避けては通れないだろう」
「……『デモンベイン』は使えるのですか? アル・アジフ」
「ほぼ全壊に近いのでのう、此奴のへっぽこ魔力では数ヶ月は修復不能だ」
覇道財閥を抱えた大十字九郎とは違って、此処にはデモンベインを修理する工場設備が何処にも無いので、自前の修復能力に頼らざるを得ず、全力でやっても魔力枯渇するので修復は遅ぼそとしている。
「――まぁそんな訳で、じゃんじゃじゃーん、停戦の使者登場でーす」
背後から気配が生じ、咄嗟に振り向けば其処には猫耳メイドの少女が其処に居た――って『魔術師』の使い魔じゃねぇか!?
「吸血鬼イイイイイイィ――!」
善人モードから即座に殲滅モードに移行した『神父』は真正面から彼女に殴り掛かり、彼女は子猫のようにひとっ飛びして自分の背後に隠れた。
って、オレが巻き添えになるだろうが……!?
「全く、吸血鬼相手に殴り掛かるなんて相変わらず非常識な『神父』ですね。私はアーカードみたく『ドM』じゃないですよ? つーか、停戦の使者の言葉を聞かずに宣戦布告しないで下さいな」
ぶーぶーと文句を言う『使い魔』の大胆さには溜息が出るばかりである。
超絶的に殺気立つ『神父』が此方を獰猛に睨んでおり、彼女は普通に無視して少し大きめのディスプレイを教会内に勝手に設置し、自前のリモコンでぷちっと電源を入れる。
『――昨日はご苦労だったね、皆の衆』
其処に映ったのはあの盲目で黒い和服を着る『魔術師』であり、気がつけばもう『使い魔』は此処から消え果てていた。
『さて、ホットな最新情報だ。あと六日で『ワルプルギスの夜』が海鳴市に来襲する。多少前後する可能性があるが、アーチャーとして現界した『高町なのは』からの未来情報だ。不可避の予測だろうな』
『一日前後ぐらいの揺れ幅はあるかもしれないが』と付け加える。
『ワルプルギスの夜』だって? そんなラスボスちっくな存在が何故唐突に――って、そういえば此処暫く『魔女』が湧いているし、最終的に『ワルプルギスの夜』が現れるって事なのか……!?
『単独で立ち向かうのは無謀の極みだ。其処でまた君達との協力態勢を取りたい』
「……『ワルプルギスの夜』を排除するまで停戦ですか?」
『私としてはもっと手っ取り早い提案をしたい。――クロウ・タイタス、アル・アジフ、もう聖杯戦争を終わりにしないか?』
睨みつけるようなシスターの言葉に不敵に笑い、その話の方向性は主従コンビである自分達に向けられた。
『元々聖杯は私の所有物であり、私が生存している限り使用不可能の杯だ。『ワルプルギスの夜』に対抗する為の戦力増援を求めた聖杯戦争の役割はこの時点で終わっていると言える』
「――その言い分が通ると、本気で思っているのですか?」
幾ら何でも暴論であり、今のオレ達には聖杯が使用不可能であるか、判別する手段が無い。
迂闊に信じれば、足元を掬われる。『魔術師』にとって自分達は排除したい敵でしかないだろう。
余程の交渉材料が無い限り、聞く耳持たずで片付けるだろうが――。
『――条件付きで、八神はやての生存を手助けしてやっても良い』
余程の内容を容赦無くぶち込んで来やがった……!
野郎、その本人であるはやての前で……!
『とは言え、クロウ・タイタス。君は八神はやての状況を正確に把握していないだろう。敵対者である私が親切丁寧に説明するのも面倒な話だ。シスターから全部聞け。交渉はそれからだ』
……確かに、八神はやてが至る物語を知らないオレにとって、今、交渉されても答え切れない事柄が多いだろう。
理解する時間を与えたのは余裕か、それとも別の算段があっての事か――シスター達の表情は硬く、『魔術師』の表情には王者たる者の余裕と慢心しか見当たらない。
『明日のこの時間にまた連絡しよう。八神はやてに関する情報を全部把握した上で私に挑むが良い』
テレビ中継が途切れ、電源が落ちる。
とんでもない爆弾を落として行ったものだ。いずれにしろこれも聖杯戦争に他ならない。交えるのは英雄達の矛ではなく、マスターの言の葉であるが。
「矛を交えぬ戦か。……分が悪いのう」
「うわぁっ、物凄く微妙な顔で馬鹿扱いされた!?」
アル・アジフは「やれやれ」と言った表情でオレを見やがった。
確かにオレに交渉人の真似事なんて無理だが、此方側の陣営にはシスターもいる。彼女の頭脳ならば『魔術師』とも互角に張り合えるだろう。
だが、その前に――オレははやてに視線を送る。彼女にとってこの話を聞かせるのは酷である。
「はやて、済まないが部屋に――」
「私も聞く。クロウ兄ちゃん」
強い意志をもって断言され、オレは何も言えなくなる。
結局、彼女も連れて事情説明する事となる。これが一体どう作用するのやら、神のみぞ知るって事だ――。
『――あと六日で『ワルプルギスの夜』が来るのか』
「そういう事だ。被害規模がどれほどになるかは不明だから、その病院から出るなよ」
教会勢力に連絡した後、『魔術師』は久方振りに冬川雪緒に電話をする。
予め彼の病院を市外に設定し、今回の事で巻き込まれないよう配慮した形になっている。
『勝算はあるのか?』
「こればかりは当たってみなければ解るまい。此方の戦力は充実しているが、敵戦力が正確に計れん。暁美ほむら単騎よりはマシな戦闘になる筈だが。――問題はその後の事だ」
現代兵器をあれだけ投入しても殺し切れない超弩級の『魔女』に、明確な対応策など立てれまい。
ランサーの対軍宝具がどれほど通用するか、勝敗は其処で決まるだろう。
「海鳴市の被害によっては大結界に影響を及ぼし、私の基盤が根底から崩れる。管理局の手が差し迫る時に、丁度良く天災が訪れるものだ」
例え『ワルプルギスの夜』を退けても、霊地の被害によって『魔術師』の陣営は弱体化する。
新たに結界を構築する羽目になれば、暫く土地の魔力を掌握出来ず――多大な隙を晒す事になる。
『ワルプルギスの夜』が顕現した時点で大被害なのだ、彼等の陣営は――。
『それで高町なのはをどうするんだ? 随分と懐いている様子だが』
「……放置して高みの見物に洒落込む事が出来なくなったからな。此方の陣営に囲い込むさ。折角の駒だ、管理局に渡すなど勿体無い」
『ほう、そろそろ管理局が行動に入る頃だと思うが?』
残りの『ジュエルシード』を回収するという名目で、管理局は高町なのはを原作通りに管理局入りさせようとするだろう。
本来ならば無視して傍観する処だが、自分の手元にある駒を奪われるのであれば、気分が良い筈が無い。
にやりと不敵に笑い、『魔術師』は管理局を削る算段を練る。
「――交渉の真髄というものを見せてやるさ。向こうの情報も欲しいしな。……何が可笑しい?」
『いや、何――一番原作と関わり合いたくない人物が密接に関わる事になった皮肉が面白くてな』
「半分はお前の責任だぞ。他人ごとのように気楽に語ってくれるな」
全くおかしな事態に転んだものだと『魔術師』は笑う。
こういうのを『世界はこんな筈じゃなかった』と言うんだっけと頬を歪めた。
「――精々養生しろ。偶に連絡する」
「――『闇の書』は蒐集蓄積型のロストロギアで、転生機能と無限再生機能が付属された超絶バグった主殺しのロストロギアです」
シスターによる説明会が始まり、何故か『神父』もブラッドもシャルロットも参加している。
アンタ等は確か原作知っていた筈だが……?
というか、あのはやての家にあった、鎖で巻かれたヘンテコな魔導書もどきがそんな危険物だったとは……。
魔導書的な淀んだ闇の気配がしなかっただけに、甘く見ていたという事か。
「頁は魔力の源であるリンカーコアを蒐集する事で埋まり、666頁まで集めれば完成しますが、バグって管理者権限を認証出来ずに暴走してしまいますので、割りと洒落にならない被害を齎します。地球一つが無くなってしまうと考えて良いです」
おいおい、何気に下手な邪神並の被害を齎すのかよ。
でも、それなら頁を集めなければ――そんな甘い幻想は次の説明で即座に打ち砕かれた。
「一定期間、頁の蒐集が無いと持ち主自身のリンカーコアを侵食し、最終的には『闇の書』自身が主を殺害して次に転移してしまいます。貴方の身体の麻痺の原因はそのリンカーコアの侵食です」
はやての顔が驚愕に染まる。
今まで歩けなかった原因が、蝕んで死に追い込む原因があの魔導書にあったのか。
怒りが湧く。沸騰する感情で荒れ狂いそうだ。そんな呪われたアイテムのせいではやてを殺させてたまるかと闘志を漲らせる。
「八神はやて、貴方の助かる道筋は『闇の書』の666の頁を埋めて、防御プログラムと管制人格を分離させて本来の機能を取り戻せさせ、暴走プログラムをフルボッコにする必要があります。これを従来通りの道筋、『Aルート』と仮定しましょうか」
何か地球一つを飲み込むような脅威相手にフルボッコとか、とんでもない前提をさらりと述べやがったぞ、このシスター。
「此処で問題となるのはさっきの『魔術師』の存在です。あの『魔術師』はこの前提を知り尽くした上で、別手段の最善手『Bルート』をとろうとしています」
「あれ? 他に手段があって、それが最善ならそっちを実行するべきじゃ?」
「……八神はやて、貴女の殺害による『闇の書』の転生、つまりは問題の先送りですよ。あの『魔術師』は自分の身の安全さえ確保出来れば何でも良いのです」
シスターの無表情な顔に、はやての顔が一気に引き攣る。
こんな血腥い話を彼女に聞かせる事になろうとは、という自責の念が際限無く湧いてくる。
「次に『闇の書』が何処の誰に転生するのかは不明ですが、それだけで今の面倒事を一切合切解決出来ます――その『魔術師』から、条件付きで八神はやての生存を手助けしてやっても良いとの提案、未知の『Cルート』を示唆しました。話は此処から始まるという訳です」
その未知なる『Cルート』の全容は解らないが、明日の『魔術師』次第という事か。
「貴女は我々の知っている通りの物語ならば、貴女は救われるのです。ですが、もう前提条件から狂い始めている。貴女の物語に至る前の物語が、正常に終わらない可能性さえ出て来ている」
――それはオレ達の影響であるか。
やれやれ、本来は救われたんだ。なら、意地でも同じ結果に至らないと割に合わない。
「現状で『Aルート』に無理矢理進もうとすれば、実行不可能と見做している『魔術師』の利害と衝突し、確実に敵に回って『Bルート』で片付けようとするでしょう」
そうなれば交渉の余地無く、あの『魔術師』が最大の敵として立ち塞がるか。
オレ達だけでも無理矢理『Aルート』を辿ろうとして辿り着けるか解らないのに、『魔術師』の妨害も加われば不可能になるだろう。
皮肉な事に、はやての生存を願うのならば、最大の敵との協力が不可欠なのか。
「全ては『魔術師』とやらが脚本した『Cルート』次第か。お手並み拝見という処だな」
アル・アジフは不敵に笑う。そうだ、そういう笑みこそコイツに相応しい。
オレも彼女と同じく居直って自信満々に振る舞える。少しでも、はやての不安を払ってやらなければならない。
「さて、これからクロウちゃんと八神はやてには、本来の物語に関係する基本的な人物情報を全部暗記して貰いましょう」
「うっわぁ、何か学校の勉強じみて来たな」
「そんなものよりもずっと面白いよ、クロウちゃん。気になった事があったらどんどん説明してね。私も見落としている事があるかもしれないから」
こうして夜通しで八神はやての物語、『魔法少女リリカルなのはA's』をシスターから学ぶ事となる。
はやては今後自分に訪れる運命に一喜一憂し、または驚き、それでも強く立ち向かおうと意志の刃を研ぎ澄ます。
自分も負けじと決意する。絶対に、神様も呆れるような完全無欠のハッピーエンドに辿り着いてやると、強く誓う――。