転生者の魔都『海鳴市』   作:咲夜泪

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21/無垢なる刃

 

 

 ――クロウ・タイタスにおける幸福の定義とは何なのだろうか?

 

 周囲の人が笑って暮らせる事、これに尽きる。これ以外に幸福を見出せない。

 ならばこそ、今、この場に八神はやてが笑い、シスターも笑い合っている。この日常の一コマこそ得難い幸福であり――だからこそ、簡単に見抜けてしまった。

 

 ――其処に自分が居る必要は無いのだ。

 

 自分の大切な人が笑ってくれるならば、自分の身などどうなっても良い。

 彼は我が身を唯一度足りても省みない。致命的なまでに其処が欠如していた。弱者である彼は、我が身を削らなければ幸福は得られないと理解しているが故に――。

 だから、彼女達と共に幸福を享受しているこの至福の光景は手の届かぬ理想郷であり、単なる幻に過ぎないと簡単に看破してしまう。

 

「クロウ兄ちゃん、どうしたん?」

「……ごめんな、はやて。オレは行かなきゃなんねぇ」

 

 そして此処には彼女――アル・アジフがいない。

 世界の中心を探る。この幸せ過ぎる幻影を解く方程式は其処にあり、即座に探し当てる。後は其処に魔力を集中させ、暴いて解き放つだけだ。

 

「クロウちゃん、何で……?」

「これが溺れたくなるような幸福な夢ってのは身に染みて解るんだけどさ、何処までも違和感が拭えねぇんだ。此処はオレには勿体無さすぎる――」

 

 幸福な世界を木っ端微塵に破壊して、クロウ・タイタスは現実に立ち戻った。

 犠牲無くして幸福は得られない、それが彼に立ち塞がる残酷な現実だった――。

 

 

 21/無垢なる刃

 

 

 目を覚まし、寝惚けた頭を振り払い、大凡の状況を理解する。

 時刻は既に十一時を廻っており――タイムリミットまであと一時間という状況だった。

 

「クソッ、シスターめぇ……!」

 

 ヘンテコな精神世界に隔離しやがって、と怒りを燃やし、即座に起き上がって立ち上がろうとした処で、人一人分の重みを感じる。

 下を向けば、はやてが必死にしがみついていた。まさか今までずっと――幸いな事に、今は眠っているようだった。

 

「行っちゃ、駄目。一人に、しないで……」

 

 その寝言を聞いて、罪悪感が湧き上がる。

 それでも、行かなきゃならない。自分が行かなければ、アル・アジフは永遠に助けられない。

 邪悪を退ける為に生まれた彼女を、邪悪を呼び寄せる為の生贄にさせる訳にはいかない。

 

「ごめんな、はやて。――行って来る」

 

 はやての手を振り解き、ベッドに眠らせてシーツを掛けて――クロウ・タイタスは戦場に向かう。

 もう此処には帰って来れないかもしれない、そんな弱気を振り払いながら――。

 

 

 

 

 ――其処は局地的な暴風の被害が及んだかのような酷い有り様だった。

 

 地は砕け、爆撃にでも遭ったかの如く大惨状だが、不思議と人通りは無い。

 法治国家である日本でこんな状況になれば、まず間違い無く誰かしら駆けつけると思うが――その人物と出遭ってしまい、全てを納得した。

 

「おや、随分と大遅刻だね。クロウ・タイタス」

 

 あの『魔術師』と相対してしまい、一気に緊張感が漂う。

 彼が此処に居るという事は、この場における惨状は彼の仕業であり、それ故に外部に漏れる事無く秘匿されたのだろう。

 

 彼と最後に相対したのは、一人の気が狂った転生者が毎日一人ずつのペースで一般人を殺し続けた海鳴市における最悪の一ヶ月間――『連続猟奇殺人事件』以来である。

 

 クロウはもう二人の協力者と共に凶行に走る転生者を突き止め、無傷で捕らえる事に成功した。

 法と秩序によって裁かれる前に、その狂った転生者は『魔術師』の手によって闇に葬られる。

 何とも苦々しい結末であり、それ以来、クロウ・タイタスは『魔術師』の事を相容れぬ敵と認識している。

 

「何でお前が此処に……!?」

「それは此方の台詞なのだが、まぁ良いだろう。アーチャーの相手をして時間を浪費してしまってな。今から『地下神殿』に入っても間に合わないから色々と小細工をしている」

 

 またろくでもない事を企んでいるのは間違い無いだろう。

 一応この聖杯戦争では蹴り落とすべきマスターになるが、今現在のサーヴァントを攫われた自分には抵抗する手段は無く――『魔術師』にしても此方を駆逐する価値も見出していないのか、敵意さえ向けていなかった。

 

「大方『禁書目録』に戦力外通知をされ、今の今まで時間を浪費したと見える。さて、今からでは邪神招喚まで間に合わない上に元々君では何も出来ないが、何をしに来たのかね?」

「――アル・アジフを助け出す」

「ほう、どうやって?」

 

 『魔術師』は小馬鹿にしたような嘲笑を浮かべる。

 

「あれは邪神招喚の生贄だ。自らの手で殺してやるのがせめてもの救いか? 残りの令呪二画を使えば或いは自害させられるかもしれんぞ」

「……黙れよ。――アイツを助けられるのはオレだけで、助けようとするのもまたオレだけだ」

「死が救済になるなら、私が彼女を助ける事になるだろうがな」

 

 皮肉気に『魔術師』は笑う。その嫌らしい笑みに、クロウは苛立ちを籠めて睨み返した。

 

「下に潜った連中が時間内に『大導師』を仕留められないのならば、私は此処一帯を崩落させて被害を最小限に抑える算段だ。――存外、苦戦しているようなのでな。『神父』も『代行者』も『銀星号』も足止めを食らっているようで不甲斐無い」

「なっ、上に居る一般人の連中も全部巻き込む気か!? あの地下神殿の規模は巨大だ、街の一部が残らず崩壊するぞッ!?」

「被害がどれほどの規模になるかは解らないが、邪神招喚されるよりは死亡者は少なく済むぞ?」

 

 それは被害を最小限に留める次善の手であり、『魔術師』にとっては厄介者全てを葬れる最善手でもある。

 いざその時が来た際、『魔術師』は一切躊躇わずに実行するであろう。クロウは奥歯が砕けんほどの勢いでぎりぎりと噛み締めた。

 

「――そうだな、戯れだ。お前の覚悟とやらを見せて貰おうか?」

 

 此処で『魔術師』を止めなければ下にいる皆が死んでしまう。だが、万が一『邪神招喚』が成ればそれ以上の被害が及ぶ。

 此処で『魔術師』を止めるか否か、クロウが葛藤している最中、『魔術師』はこの上無く憎たらしく微笑んだ。

 地面に赤い光が走り、巨大な魔術陣が描かれる。『魔術師』の両手両肩の魔術刻印もまた赤く強く脈動していた。

 

「……ッ!? 何をする気だ――!」

「『空間転移』で最高潮(クライマックス)寸前の舞台に送り届けてやる。此方の儀式場は既に完成したからな――君に『大十字九郎』の真似事が出来るのならば、やってみるが良い」

 

 

 

 

 地下神殿の大聖堂、二つの鬼械神が鎮座して尚余るほどの大空間が広がっており――数多の仕掛けを突破した三名の精鋭と『大導師』が死闘を繰り広げていた。

 

 ――黄金の十字架の剣と打ち合うは、神の御業で鍛造されたオリハルコンの剣、『大導師』と『竜の騎士』は共に一歩も引かずに斬り結んでいた。

 

「――流石は『竜の騎士』、流石は歴戦の『竜騎将』、その剣は一体幾人もの人間の血を啜ったのかな?」

「――!」

 

 魔人は嘲笑する。この『真魔剛竜剣』が幾千幾万もの人間の返り血を浴びた事を知っているが故に――。

 

「――よりによって人が世を乱した時代に生まれし『竜の騎士』殿、貴方は何を斬り裂いて世界を救済したのかな? あは、ははははははははははははは――!」 

「黙れぇ――!」

 

 その額の『竜の紋章』がより一層激しく輝く。

 だが、依然としてその刃は魔人に届かず、魔人の刃は『竜闘気(ドラゴニックオーラ)』を貫いてダメージを与え続ける。

 『大導師』に『竜の騎士』――両者とも最強級の転生者であるが、精神面において差が生じてくる。

 

(それだけじゃない。『竜の騎士』は此処が地下の奥深くのせいで『最強の一撃』を封じられている。更には私や『彼女』が居るせいで無差別殺戮の可能性を秘めた『竜魔人』になる事が出来ない……!)

 

 刻一刻と勝負の天秤が傾いていき、シスターとソーサラーの少女に焦燥感が生じる。

 

(……『神父』と『代行者』はまだ来ないのですか……!)

 

 このまま前衛を失えば、後衛の彼女達二人は瞬く間に『大導師』に葬られる。

 シスターはソーサラーの少女にアイコンタクトをする。考えは同じだった。

 

「一旦下がってッ! ――滅びゆく肉体に暗黒神の名を刻め、始源の炎蘇らん! フレア!」

「豊穣神の剣を再現、即時実行――!」

 

 少女の掛け声と同時に冷静に戻った『竜の騎士』は全力で背後に翔んで一時離脱する。

 撤退を援護する為に繰り出された、黒魔法において最強最大の一撃が『大導師』を中心に爆発し、同時にシスターから三条の光の剣が飛翔する。

 『大導師』を中心に夥しい魔術文字が展開され、防御魔術となって相殺する。底知れぬ魔力は未だに途切れず、尚も燃え滾っていた。

 

「おや、距離を離して良いのかな? シリウスの弓よ!」

「……ッ、『硫黄の雨は大地を焼く』――完全発動まで三秒」

 

 魔人は即座に弓を構え、一発一発が『歩く教会』を撃ち抜き兼ねない破滅の光を次々と放っていく。

 

「……!? ちぃ――!」

 

 『竜の騎士』は一目散にソーサラの少女とシスターの前に疾駆し、飛翔する光の矢を斬り裂いていく――その場から動かず、死守の構え。

 当然ながら、捌き切れなかった矢が次々と彼の肉体を穿っていく。人間と同じ赤い血が飛び散っていく。 

 

「――っ、空の下なる我が手に、祝福の風の恵みあらん! ケアルガ!」

 

 柔らかな光の風が『竜の騎士』を包み込み、負傷を即座に癒していく。

 この間約三秒、シスターの魔術が完成し、五十以上もの『灼熱の矢』が飛翔し、光の矢を相殺して行く。

 

 これで体制を立て直した――そう確信した瞬間、馬鹿げた重力が生じ、彼女達を押し潰さんと身体中の骨に軋みを上げさせる。

 

「ぐぅぅ!」

「きゃあああっ!?」

「――っ!」

 

 即座にシスターはこの魔術を基点を発見し、ありったけの魔力を流し込んで術式を即時破壊する。

 この早業には、さしもの『大導師』も感嘆の息を吐いた。

 

「流石は『禁書目録』。此方の別系統の魔術を即座に解析分解するとはな!」

 

 『大導師』は嬉々と弓に、破壊の権化である黒炎の龍を装填する。放たれれば此方を問答無用に屠る一撃必殺の滅技――!

 だが、逃れられないタイミングでの発動には至らなかった。『大導師』の視線が彼等とは外れ――其処には空間の歪みが生じていた。

 

「空間跳躍――!?」

 

 何者かがその地点に翔んでくる――未だに到着していない『魔術師』の差金か、それは空間から拒絶されたかのように排出され、無様に転がり落ちて着地した。

 

「ぬわぁっ!?」

「クロウちゃん――!? そんな、どうして此処にッ!?」

 

 此処には絶対に来ないであろう人物を目の当たりにし、シスターは悲鳴を上げる。

 彼女の姿を確認したクロウはそれはそれは激怒し憤怒した表情を浮かべて怒鳴った。

 

「後で覚えていろよシスター! 口で言えないような十八禁間違い無しのエロエロなお仕置きをしてやるぅぅぅ!」

「ななっ!?」

 

 クロウは一直線に走る。『大導師』目掛けて――ではない。

 その真逆、大聖堂の奥に鎮座しているアイオーンらしき異形の鬼械神、囚われのアル・アジフを目指して――。

 

「暫く時間を稼いでくれ! オレがアル・アジフを助け出すッ!」

「行かせると思うたかッ!」

 

 必滅の術式の照準が走り去るクロウの背中に向けられる。

 

「悪神セト、蹂躙せ――!?」

 

 発射の寸前に『大導師』の顔に『竜の騎士』の『爆裂呪文(イオラ)』が炸裂し、破滅の黒龍はあらぬ方向へ解き放たれた。

 

「ああ、もう、こうなったら出来る限り止めるから行ってクロウちゃん! 大して保たないから早くッ!」

「おうよッッ!」

 

 自棄っぱちにシスターは力一杯叫び、追撃と足止めの魔術をひたすら繰り出す。

 ――そして舞台の結末は無力な魔道探偵に委ねられた。

 

 

 

 

 ――間近で木霊する破壊音すら耳に届かない。

 

 自身の鬼械神の中で触手に貪られている愚かな魔導書は、生きながら死に絶えようとしていた。

 滑稽な話だ。邪悪を駆逐する為に、世界への警鐘を鳴らす為に狂える詩人に書かれた『魔導書』が人類に終焉を齎し、そして今、邪悪とは無縁の次元宇宙に災厄を齎そうとしている。

 

(……妾は、一体何の為に、存在したのやら――)

 

 自嘲的に笑い、アル・アジフは成す術も無く犯され続ける。

 数刻もしない内に儀式は完成し、外なる宇宙の邪神はこの世界を苗床に侵略して行くだろう。

 謝っても謝り切れない。彼女が今、出来る事と言えば、引導を渡してくれる者をただ待ち望むのみだった。

 

「――、――!」

 

 ――声が、聞こえた。

 

 誰が見知った者の声、されども、その声は余りにも小さく、聞き取れないほど弱々しかった。

 一体、誰がこんな愚かな魔導書を呼び寄せるのだろうか。彼女は気怠げに顔を上げる。

 されども、アイオーンだった鬼械神のコクピットの中は最早人外の触手が蠢く魔境でしかなく、外を確認する術は既に持ち合わせていない。

 単なる空耳か、全てを諦めて目を瞑ってしまおうとした途端、その声は確かに此処に届いた。

 

「――アル・アジフッ!」

 

 それは我が名を呼ぶ声であり、その者は今世に置ける彼女のマスターのものであり――必滅必須の殺戮空間たる此処に居てはならぬ人物の声だった。

 

「……ク、ロウ」

 

 ――馬鹿な。

 一体何をしに来た。

 魔導書を手放しているお主など、一般人にも劣る。

 それに、彼女は彼を裏切った。

 期待も信頼も、存在意義に置いてすらも、自分は裏切り者であり、憎悪に足る存在だ。

 主を破滅に導いた愚かな魔導書の名を、何故求める。何故叫ぶ。

 

 ――ああ、そうか。彼は最後の務めを果たしに来たのか――。

 

「――クロウ! 妾を、妾を殺せぇ! 儀式が成る前に、早く……!」

「こんの、馬鹿野郎ッ! 何、寝惚けた事をほざいてやがるんだぁこの古本娘がぁ!? 良いか、良く聞け――オレは、お前を、助けに来たんだッ!」

 

 ――思考が止まる。

 在り得ない。彼は一体何を言っているのか。

 こと今更において自分を助けるなどという妄言を吐くのだ……!?

 

「何を馬鹿な事を……!? もう、妾は邪悪を討ち払う魔導書ではない。邪神の策謀に踊らされ、役目も全う出来ない討つべき害悪だ……!」

「うるせぇ、黙ってろッッ!」

 

 アル・アジフの泣き言をクロウは斬って捨てる。

 解らない。彼女には主の考えている事がまるで解らない。

 最早役に立たぬ程度では済まないのだ、自身は。

 存在しているだけで災厄を齎す史上最悪の魔導書。

 彼女は自分自身の存在を誰よりも許せない――。

 

「何故だ。何故、汝は妾を――」

「泣いている子を、救わねぇ男が何処にいやがるッッ!」

 

 一際音を立てて、コクピットに亀裂が生じた。

 光が射す。バルザイの偃月刀を握った血塗れのクロウは力任せに振るって、漸く自身の魔導書と対面を果たした。

 

「うおぉっ、触手だらけで気持ち悪ッ!?」

 

 彼女を拘束する肉の触手を一太刀で斬り裂き、力無く崩れたアル・アジフを背負って颯爽と脱出する。

 彼女という配給元を失ったアイオーンらしき鬼械神は名残惜しく崩れ去り、怪奇にしては妙に潔く消え果てた。

 此処に、此度の邪神招喚の儀式は潰えた――。

 

「それで私に勝ったつもりか、クロウ・タイタスッ!」

 

 魔人の慟哭が響き渡り、不動だったもう一つの赤い鬼械神が軋みを上げて動き出す。

 

「リベル・レギス……!? 邪神招喚の儀式が中断されれば、奴等の鬼械神もまた――!」

「よくぞ阻止して魅せた。だが、何も問題無い。此処に集った邪魔者達を一人残らず一掃し、その生贄をもって再び邪神降臨の儀式を執り行おう!」

 

 勝ち誇ったように『大導師』は高々に勝利宣言する。

 如何に転生者が集っても結局は彼の『鬼械神』に敵う存在はいない。

 成功しても良し。失敗しても此処に集った最精鋭達を始末すれば次に彼を止める者は居なくなる。どの道、勝利は揺るがなかった。

 

 ――誰もが絶対的な戦力差に絶望した。

 

 単なる機械の人形相手ならば、幾ら体格差があろうが勝機はあるが、あれは神の模造品であり、正真正銘の最強の鬼械神だ。生身で敵う道理は何処にもあるまい。

 誰一人勝機を見出せずに絶望していた。唯一人を除いて――。

 

 

「憎悪の空より来たりて――」

 

 

 何故、その聖句を知っているのか。

 否、それはどうでも良い。だが、だが――!

 

「……無理、だ。クロウ。もう、デモンベインは――」

「オレを信じなくて良い。だがな、アル・アジフ、『魔を断つ剣(デモンベイン)』を信じろ。お前達と歩んだあの鬼械神は、必ず答えてくれる……!」

 

 ――クロウは自信満々に笑う。

 彼は信仰している。こんな何も出来ない自分ではなく、彼等の物語を絶対的に信仰している。

 彼等の剣は一度の敗北程度では折れない。否、何度折れようが、何度でも蘇る。

 彼等の神話を、クロウ・タイタスは全身全霊を以って信仰する。

 

 ――その顔が、一欠片のパーツさえ似て居ないのに、彼女の伴侶のものと重なった。

 

「正しき怒りを胸に――」

「馬鹿な。出来る筈が無い! あの出来損ないの鬼械神は既に――!」

 

 ナコト写本が実体化し、驚愕と共に呪詛を吐き捨てる。

 デモンベインはリベル・レギスとトラペゾヘドロンを打ち合い、次元の狭間に消え果てた。

 既に欠片も残らずに消滅している。存在したという因果すら残っていないのだ。

 呼び出せる筈が無い。今のマスターにはデモンベインとの縁は皆目皆無であり、その招喚対象であるデモンベインもまたこの宇宙の何処にも存在しない。

 

『――『我等』は魔を断つ剣を執る!』

 

 声が、重なる。クロウ・タイタスと、アル・アジフの声が。

 出来損ないのマスターと、伴侶を失った魔導書の心が、初めて重なり合う――。

 

 

『汝、無垢なる刃、デモンベイン――!』

 

 

 ――そして、想いは確かに届いた。

 

 鋼鉄の鬼械神が時空を引き裂いて顕現する。

 最弱無敵の鬼械神(デウスマキナ)が、人の為の鬼械神(デウス・エクス・マキナ)が、今、此処に降り立った。

 

「……本当に」

 

 欠けたる要素など何もなく、完全完璧な状態だった。

 アル・アジフは幾度無く魔術的な調査する。これは邪神の差金ではなく、彼等と共に幾多の戦場を駆けた、不屈の闘志を漲らせた人間の為の鬼械神だった。

 

「うおおおぉっ! マ、マジで本当に招喚出来たぞこれ!?」

「んなっ!? な、汝は確信を持って招喚したのでは無かったのか!?」

「時にはノリも重要だって事だ!」

 

 ――まさに、これは正真正銘の『ご都合主義(デウス・エクス・マキナ)』であり、それを目の当たりにしたナコト写本は心底信じられないという表情でそれを見届けていた。 

 

「在り得ない……!」

 

 ――こんな奇跡が、あってたまるか。起こってたまるものか……!

 

 アル・アジフのマスターは大十字九郎ではない。もっと格下の、取るに足らぬ塵芥同然の人間だ。

 それが、それがこんな奇跡を引き寄せるなどあってはならない――! 一体何が、どんな未知の法則が此処まで働きかけたのか……!?

 ナコト写本は心底憎悪して彼女の主を射抜く。呪詛さえ滲ませて、彼女の主を初めて射殺さんと睨みつける――。

 

「――クロウ・タイタス。認めよう、この世界において貴様が我が宿敵であると……!」

 

 魔人は『リベル・レギス』に飛び移り、コクピットに入る。 

 

「アル・アジフ! 行くぞッ! ――シスター、それとブラッドにシャルロット、危ねぇから逃げてろッッ!」

「わ、解ったよ……!」

「私達はついでか……」

「……落ち込まない」

 

 ページが解けるようにクロウの姿は消え、デモンベインのコックピットに収まる。

 アイオーンとは違って、魔力の負担は殆ど無い。流石は魔術と科学との混生児、耐え抜いて勝ち抜く事を可能とする最弱無敵の鬼械神だとクロウは笑う。

 

「リベル・レギス――この前の戦闘の損傷がまだ直っていない……?」

「侮ったな。奴等はもう鬼械神での戦闘は無いと盲信し、邪神招喚に全身全霊を費やした。持ち前の自己治癒では全快に至らなかったようだな」

 

 処々に損傷が目立ち、火花を散らしている『リベル・レギス』を見て、二人は戦力分析をする。

 現状ではほぼ互角、否、完璧な状態である此方側が僅かに有利だと――。

 

「多少の損傷など関係あるまい――我等が必滅呪法の前にはな」

 

 リベル・レギスの掌に絶対零度の冷気が生じ、一歩後ろに下がって構える。

 

「一撃勝負ってか。面白ぇ、乗ってやるぜ……!」

 

 デモンベインの掌に無限熱量の灼熱が生じ、いつでも飛び出せる姿勢で構える。

 

 ――奇しくもそれは、『大十字九郎』と『マスターテリオン』が執り行おうとし、アンチクロスの邪魔が入って決着が着かなかった勝負の再現であった。

 

「――レムリア」

「――ハイパーポリア」

 

 二体の鬼械神が同時に駆ける。

 我武者羅に、前の敵のみを見て、彼等は必滅の昇華呪法を繰り出す。

 

「インパクトッ!」

「ゼロドライブッ!」

 

 無限熱量の灼熱と絶対零度の冷気が衝突を果たす。

 何方が真に必滅の奥義であるか、鬩ぎ合い――世界は純白に染まった。

 

 

 

 

「がっ――見事、だ。初の騎乗とは、思えんな。我が宿敵よ……」

 

 血塗れで、肉体の各所が炭化している『大導師』は地面を這い蹲りながら、朱に染まる夜の街を離れて行く。

 必滅の奥義の打ち合いに撃ち負け、最強の鬼械神『リベル・レギス』は此処に滅びた。彼の魔導書であるナコト写本は一切抵抗せず、自らの鬼械神と運命を共にした。

 

 ――だが、彼は諦めが最高に悪い。昇華される寸前の処で脱出し、何とか生き延びた。

 

 如何に魔人と言えども、彼は『マスターテリオン』とは違って正真正銘の人間である。この致命傷に限り無き負傷を受け、彼の生命は風前の灯だった。

 激痛、激痛、無くなる痛覚、麻痺する身体機能、それでも生への執念だけが彼の生命を繋ぐ。

 諦めるという選択肢は元より彼の中には存在しない。決定的な敗北を経て、凡そ全てを失っても、次への執念を燃え滾らせる。

 今回は完膚無きまでに敗北した。だが、次はこの教訓を生かし、必ずや我が神への道を切り開こう。

 

 ――かつん、と、彼の前に靴音が生じた。

 魔人は最後の最期に現れた絶対的な敵対者を前に、淡く微笑んだ。

 

「――此度は此処までか。……まぁいい。次は、もっと上手くやるさ」

「三度目があったからと言って四度目があると思うなよ」

「何を言う。三度あったんだ。四度目があっても可笑しくは無いだろう?」

 

 ――『魔術師』の手には抜き身の太刀が握られている。

 

 この絶望的な敵対者を前に、それでも魔人は活路を必死に模索する。

 此処で間違い無く殺されると確信していても尚、魔人は美しく生き足掻く。それは絶望の化身である『邪悪』には似合わぬ類の生き汚さだった。

 

「そう考えるのはお前の勝手だがな。――まだ続ける気か? お前の企みが成功する事は恐らく無いぞ」

「何度でも挑むさ。成功するまで続ける。これまでも、これからも、何も変わるまい」

 

 一片の淀み無き、清々しい邪悪な宣言に、『魔術師』は溜息を吐く。

 

「だから、お前は永遠に成功しないんだ。一つ呪いを渡そう」

 

 これからも永遠に彷徨うであろう魔人に、『魔術師』は哀れみを籠めて呪詛を植え付ける。

 それは魔術的なものではなく、そうでは無いが故に解呪出来ず、致死の毒足り得る猛毒だった。

 

「――その資質は『黒の王』のものではない。まるで逆なんだよ。お前はお前の宿敵である『白の王』の資質を持ち合わせて生まれた。これが皮肉でなくて何を言う」

 

 ――魔人の眼が驚愕一色に染まる。

 誰一人指摘しなかった事を嘲笑い、気づけなかった愚鈍さに憐憫を籠める。

 

「お前は『大十字九郎』にはなれるが、『マスターテリオン』にはなれない――」

 

 呪いは結実し、魔人の精神を無限に蝕む。

 絶望を識らない魔人が初めて体験する絶望の味は如何な程か――今度は『魔術師』の顔が曇った。

 

「――だからどうした? 私は敬愛する我が神の為に戦う。それだけの事よ」

 

 『魔術師』は「そうか」と一言返し、一閃して首を落とす。

 実に気に食わない事に――魔人は最期まで勝ち誇ったように笑っていた。

 

「――愛、か。人が生命を賭けられるのはそういうもんだろうね」

 

 感傷深く『魔術師』は独り言を呟いた。

 街の存亡を賭けた大騒動は終焉し――聖杯戦争は一夜にして、残り『二騎』となった。

 

 

 

 

 


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