転生者の魔都『海鳴市』   作:咲夜泪

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26/常夜の魔王

 

――魔王を倒せるのは勇者の一太刀のみ。

 

 これは誰の言葉だっただろうか。あの気高い姫のものだったか、それとも全く油断ならぬ先代勇者のものだっただろうか。

 大魔王バーンは深く考えるまでもないと思考から切り捨てる。

 奇しくも、今現在、かの大魔王の前に立ち塞がるは勇者と魔法使いだった。それだけの話である。

 

(ふむ――バランに匹敵するが、ダイには及ばぬな)

 

 この異世界に現存する純血の『竜』の騎士、名はブラッド・レイ――良くも悪くも竜騎将バランと同等程度の戦力の持ち主であろう。

 確かに『竜』の騎士が代々受け継ぐ『闘いの遺伝子』は大魔王にとっても予測不可能の域であり、警戒に値するが、双竜紋を発現した勇者ダイより圧倒的に劣るのは確実である。

 全盛期の肉体である以上、途中で竜魔人化されても敵ではないと自負する。

 

(となると、不確定要素はあの女の魔法使いか――)

 

 天地魔界において恐るる物無しと自負するが、未知の魔法系統の使い手。幾ら警戒しても足りないだろう。

 そして何よりも、この勇者と魔法使いの組み合わせは、勇者ダイと大魔導士ポップとの闘いを否応無しに連想させる。

 大魔王の最大最強の秘技であった『天地魔闘の構え』を破った、あの二人を――。

 

(ふん、そのような真似をあの二人以外が出来るものなら見てみたいものだ――)

 

 そう、嘗ての大魔王バーンならば、この場に置ける最善手は絶対無敵と自負する『天地魔闘の構え』からの必殺の三連撃を選んだだろう。

 だが、彼がその構えを取らないのは慢心でも余裕でもなく、白一点に染み付いた黒点、つまりは一度敗れたという事実に他ならなかった。――当人は、気づいていないだろうが。

 様子見で待ちの構えを取りながら『天地魔闘の構え』を取らない大魔王バーンに、ブラッドが何を思ったかは定かでは無いが――シャルロットの方は理由は解らないが都合が良いと解釈した。

 

「――マバリア」

 

 その魔法には他の魔法と違って定まった詠唱文は無く、全魔法使いの彼女も習得には酷く苦戦したが、教えて貰った彼の妹曰く『想い』が大切だと語ったのを思い出した。

 斯くしてその最大の補助魔法はブラッドを祝福し――大魔王バーンは神の祝福に似た、忌まわしくも暖かな光を目にして警戒の色を更に強める。

 

 ――毛ほどの油断も慢心もない大魔王バーンだったが、ブラッドの初太刀を許したのは想定した速度を軽く倍は上回っていたからだった。

 

「――!?」

 

 神速を超えて振るわれた真魔剛竜剣の一太刀を、大魔王バーンの全盛期の肉体から放たれた超高速の手刀が弾く。

 無傷で弾きながら、脳裏に疑問符で埋め尽くされる。この不可解な速度は明らかにバラン、いや、ダイをも超えている。

 単なる『竜』の騎士が、人間形態で竜魔人以上の化け物だった勇者の速度を超えている異常には明確な理があるに違いないが、所詮は意表を突いただけの話。斬撃そのものは速度に似通わず軽い。

 

「――『カイザーフェニックス』!」

 

 間髪入れずに繰り出した、大魔王の超魔力から溜め無しで放たれる至高のメラゾーマの前に、森羅万象は灰燼に帰するのみ。

 

 ――魔界の炎の不死鳥は無慈悲に飛翔し、されども、大魔王の脳裏に極めて痛烈な連想が駆け巡る。

 

 この大魔王が誇る魔法を幾度無く無効化及び無力化した、ちっぽけな人間の魔法使いの存在を。そしてこの場にいる魔法使いは既に手を打ってある魔法を詠唱していた――。

 

「静寂に消えた無尽の言葉の骸達、闇を返す光となれ! リフレク!」

 

 『竜』の騎士ブラッド・レイに被弾する直前、彼の周囲に透明な円形の膜が生じて、大魔王が誇る『カイザーフェニックス』をそのまま反射した。

 

「ッ!?」

 

 魔法反射呪文(マホカンタ)はかの大魔王が得意とする魔法であり――大魔導士ポップの胸に仕込まれた伝説の武具『シャハルの鏡』によって反射させられた屈辱の記憶が、皮肉にも精神的にも肉体的にも立て直しを早くする。

 一閃、超高速で繰り出された掌圧が炎の不死鳥を薙ぎ払い――瞬時に繰り出された『三動作目』に、大魔王の顔から一切の余裕を剥奪する。

 

 ――三動作までならば、大魔王バーンは予備動作無く瞬時に繰り出せる。

 それが彼の完全無欠な奥義『天地魔闘の構え』による攻・防・呪文の三動作を可能とする要因であるが、如何に大魔王と言えども三動作後には一瞬の硬直が生じる。

 

「――!」

 

 そのあるか無いかの硬直を突いて腕を切断したのが勇者ダイだったが――ブラッド・レイもまた、その一瞬の硬直を逃さんと右上段の構えから必殺の斬撃を繰り出す。

 それは竜騎将バランの最強剣『ギガブレイク』に酷似したものだったが、この刹那に上級電撃呪文(ギガデイン)を唱える時間は彼とて無かったようだ。

 

(――速度は目に見えて違ったが、余の肉体を傷付ける事すら叶うまい……!)

 

 如何に真魔剛竜剣が神が鍛えしオリハルコンの剣でも、竜闘気を纏っただけの単なる斬撃では至高の肉体である大魔王バーンの肉体に致命打を浴びせる事は不可能。

 薄皮一枚斬られた処で、硬直から回復した大魔王の暗黒闘気を篭めた手刀による防御が間に合う。

 

「――天空を満たす光、一条に集いて神の裁きとなれ! サンダガ! 」

 

 刹那に紡がれた呪文はブラッド・レイのものではなく――大魔王の思惑とは裏腹に、右上段に高々と構える真魔剛竜剣に天からの雷撃が落ちる。

 それは『竜』の騎士による雷撃呪文ではなく、異質の魔法系統を操る全魔法使いシャルロットからの、阿吽の呼吸で放たれた最高の援護魔法だった。

 

「――ッッ!? うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 

 ――あの時、味わった恐怖を、大魔王バーンは身を持って再び刻まれる事となる。

 

 もはやこの必殺の斬撃を無傷で切り抜ける事は不可能。

 ならばこそ、大魔王バーンは防御の奥義である超高速の掌底『フェニックスウィング』によって真魔剛竜剣を防ぐ事はせず、地上最強の剣と自負する手刀『カラミティエンド』をもって、その生命を摘もうとブラッド・レイの心臓目掛けて繰り出す。

 

 ――魔法剣『サンダガ』の一閃は大魔王バーンの左側の心臓まで引き裂き、大魔王バーンの必殺の手刀もまたブラッド・レイの心臓を訳無く穿ち貫いた。

 

「……ッ、良くやったと褒めてやろう。余は貴様の事を少し見縊っていたようだ……!」

 

 三つの内の心臓の一つを竜闘気と魔法剣の組み合わせた一撃で潰され、暫し回復不能に陥ったが、一番厄介な『竜』の騎士の始末が終わって安堵――する前に、死に体の筈のブラッド・レイがバーンの腹部を蹴りあげ、真魔剛竜剣を抜き去って距離を離す。

 

「――?」

 

 死力を振り絞った割には意味の無い行動であり――死に場所は愛する者の膝元がお望みか、という人間独特のくだらない思考回路の末路と判断する。

 だが、ブラッドは一際大きく吐血した後、何事も無かったかのように真魔剛竜剣を右上段に構える姿を見た時、さしもの大魔王バーンも驚嘆した。

 

「貴様、不死身か……!?」

「……はっ、天下の大魔王の言葉とは思えんな……!」

 

 その大魔王バーンのらしからぬ動揺した様子にブラッドは凄絶に笑い、乱れた息もすぐさま整う。

 当然の事ながら、これは理不尽な神の奇跡でもなければ吸血鬼のような不死者だからという訳でもない。シャルロットが施した聖魔法『マバリア』の効果である。

 ファイナルファンタジーシリーズでは比較的マイナーな部類の魔法だが、シャルロットが生まれた世界は『ファイナルファンタジータクティクス(FFT)』の舞台『イヴァリース』であり――その世界における『マバリア』は自動回復する『リジェネ』、物理ダメージを激減させる『プロテス』、魔法ダメージを激減させる『シェル』、時間を倍速させる時魔法『ヘイスト』、そして戦闘不能時に自動蘇生させる『リレイズ』を同時に掛ける補助魔法の中で究極と言えるものである。

 

(理由は解らぬが――ダイと同じぐらいに侮れんか……!)

 

 その驚愕からか、未知に対する恐怖からか――即座に大魔王バーンは右手を天に上げ、左手を地に置く『天地魔闘の構え』を取る。

 

「……」

 

 大魔王バーンが誇る必勝の構えを見て、ブラッドは思わず「ふん」と鼻で笑った。纏っていた緊張感さえ若干薄れていた。

 その小馬鹿にされたような感触に、大魔王のプライドは痛く傷付けられた。大魔王が認めるほどの強者ならば、この構えの恐ろしさも瞬時に見抜く筈だというのに――。

 

「――余のこの構えの意味、解らぬほど愚かとは思えぬが」

「ああ、かの有名な『天地魔闘の構え』だな。実際に拝めるとは思わなかった。そのままずっと構えていてくれ」

「――?」

 

 大魔王の揺ぎない殺意とは裏腹に、ブラッドは気抜けた空気で心底安堵している。その空気の違いは歴然であり、大魔王を酷く苛立たせた。

 それもその筈である。ブラッドに『天地魔闘の構え』を破る自信があるのではなく――。

 

「クポーー! くるくるぴゅ~……モーグリ!」

 

 空気を読まないのはブラッドだけではなく、後方にいるシャルロットでもあり――そのふざけた詠唱で時空を超えて召喚された白く小さな幻獣『モーグリ』は『リレイズ』の効果で死の淵から蘇ったばかりの瀕死のブラッドを回復して元の世界に悠々と還っていく。

 わざわざ召喚魔法で回復したのは『カイザーフェニックス』対策の『リフレク』を無視して回復出来るからであり――此処に至って、大魔王は自身の失策を認めざるを得なかった。

 

(こ、こやつら……!)

 

 ――『天地魔闘の構え』は絶大なる奥義であるが、あくまでも返しの技。

 相手が先に仕掛けて来なければ、その奥義が炸裂する機会は永遠に訪れない。

 

 構えを解かない限り、大魔王バーンは攻撃に打って出れない。ある意味、これは究極の対策法とも言えた。

 事もあろうに、自身の最大の奥義が、確実に尚且つ安全に回復出来る機会としか見られていない。

 この生涯最大の屈辱は、或いはダイとポップに『天地魔闘の構え』を破られた時よりも尚大きいものだった。

 

(この大魔王を此処まで虚仮にするとはな……!)

 

 ――此処に至って大魔王バーンの中に、勇者と魔法使い、何方を優先して仕留めるべきか、前世から突き付けられていた疑問に明確な答えが生じたのだった。

 

 

 

 

「ぐっ……!」

 

 余りの戦況の悪さに、闇統べる王(ロード・ディアーチェ)は呻く。

 三対ニ、いや、穢土転生された『魔術師』は開幕から何一つ動いていないから実質三対一なのに、彼女達は終わり無き消耗戦を強いられていた。

 

(幾らあれが『魔術師』の実の娘だからと言っても……!)

 

 ――理由は大きく分けて三つ。

 

 一つはこの世界が『固有結界』と呼ばれる、神咲神那の心象世界である事。

 此処では現実とは異なる法則が働いており、炎が熱を持たず、発熱変換の魔術資質を持つ星光の殲滅者(シュテル・ザ・デストラクター)の戦力が半減以下にされている。

 二つ目は穢土転生というものの特性を敵は十二分に活用している事。

 無限の再生力、底無しの活力は正真正銘の真実であるらしく、神咲神那は己の魔術回路の限界を超える魔術行使を平然と成す。

 代償さえ支払えれば幾らでも奇跡を執り行えるかの世界の魔術師にとって、この条件は負ける理由を見出す方が難しいようなものである。

 そして三つ目の理由は――。

 

「――ほらほら、貴女達のような弱者は一秒足りとも思考を止めちゃ駄目だよ?」

「ぐ、ぎぎ、このぉ! ――ッ!?」

 

 彼女、神咲神那が十二歳という幼き見た目に反して、異常なまでに戦い慣れている事。

 無限の再生力から実行される相討ち狙いに警戒しながら雷刃の襲撃者(レヴィ・ザ・スラッシャー)が超高速で仕掛けるが、その鎌の一撃は悉く見切られ――刹那、間合いを詰められ、無防備な鳩尾に右肘が強烈に叩き込まれる。

 

「レヴィ!?」

 

 ディアーチェの声は虚しく響き渡る。

 自身の速度がそのまま相手の攻撃力に変換され、進行方向とは真逆の方向に吹っ飛んだレヴィは地に衝突して血を吐き、遂に立てなくなる。

 

「がっ……ぼ、くは、まだ……!」

「本当に丈夫な人形ね。穢土転生体じゃなかったらこっちの腕も逝ってしまっていた処よ」

 

 痛がる素振りさえ見せずに、骨が砕け散った右腕の調子を確かめるが如く動かし――動きを止めた神咲神那を縛るが如く幾重のバインドが束縛する。

 それは虎視眈々と隙を狙っていたシュテルのものであり、神咲神那は詰まらそうな目で一瞥した後、自分ごとバインドを焼き払った。

 

「……っ! これも通じませんか……!」

「そうだね、幾ら殺しても死なないんだから封じてしまえばいい。その発想は買うけどさ、私の炎とは相性が最悪かな。――形無き概念ほど簡単に燃える。貴女達の魔法は行き過ぎた科学の産物のようだけどね」

 

 そう、神咲神那は元々、穢土転生の特権の自傷覚悟の相討ちなんてしなくても、戦闘経験の浅いマテリアルズを片手間で料理出来る、熟練の戦闘者なのである。

 

 ――あの『魔術師』と三十年間余り、『聖杯』を狙う魔術師を退けながら共に歩んだ唯一の後継者に、古武術や殺人術の心得が無い筈もあるまい。

 

(シュテル、レヴィを頼む……!)

(ディアーチェ、何を――)

 

 このままでは望まぬ消耗戦の果てに朽ち果てるのは目に見えた結果。その最悪の未来を打開すべく、ディアーチェは天高く舞い、残りの魔力の全てをその一撃に賭ける。

 

 

「――へぇ、お父様ごと私の世界を壊す気なんだ。随分と薄情なのねぇ」

 

 

 ディアーチェの意図を一瞬で悟った神咲神那は楽しげに囀り、彼女の苦渋に歪んだ顔を嘲笑うのみ。

 その十字架の杖の矛先も鈍る。この魔法を放てば確実に『魔術師』もまた巻き添えになる。

 自分のせいで殺され、物言えぬ操り人形と成り果ててしまった『魔術師』を――。

 

(――問題ありません。師匠があの神咲神那と同じ状態ならば、木っ端微塵に吹き飛ばしても即座に再生するでしょう。……情けない事に、私にも現状ではそれ以上の方法は思いつきません。闇統べる王(ロード・ディアーチェ)、貴女の判断は正しい)

(……っ、当然だ。シュテル、貴様に言われるまでもない……!)

 

 シュテルからの念話が、自身の迷いを晴らすものではなく、『魔術師』を攻撃する事への自責を彼女自身に逸らす為のものであるのは明白であり、その安易で魅力的な責任転換をディアーチェは断固拒否する。

 

(――『魔術師』があのような無様さを晒すのは我の失態だ。我が居なければ、あのような輩に不覚をとって殺される事など絶対になかったッ!)

 

 最早、取り返しの付かない失敗の結果、あの『魔術師』が此処にあり――その上、死後の魂まで愚弄されるなど許せる筈が無い。

 

(アヤツは必ず助け出す!)

 

 その救済の方法が例え、自らの手でもう一度葬る事になっても――それは自分がやらなければならない事だと、ディアーチェは自身に強く言い聞かせる。

 手に持つ紫天の書が独りでに開き、特定ページを開く。途端、彼女の周囲に五つの大きな魔法陣が展開される。

 

「――紫天に吼えよ、我が鼓動、出よ巨獣ジャガーノート!」

 

 荒れ狂う漆黒の魔力が五つの魔法陣から解き放たれ、この歪な世界を壊さんと炸裂する。

 ディアーチェ達は『固有結界』の特性・詳細そのモノは知らないが、異界法則を顕現させる結界魔法の一種と仮定し、空間を構築する強度を上回る魔力ダメージを与えたならば、破壊する事も可能――確かにその理論は正しい。

 

 

「――本当に無力な存在。こんなのがお父様の足を引っ張って死因に成り果てたなんて、腸が煮え繰り返そう」

 

 

 正しいのだが、この『固有結界』を構築する魔術師は『うちは一族』の『転生者』すら理解出来ないと投げ捨てたほどの生粋の狂人。

 彼女の歪な想いで構成された心象世界を破壊するには若干足りなかった。

 

「私の『固有結界』を壊したいのなら『世界を切り裂いた魔剣』でも持ってくるんだね。まぁそんな宝具は『英雄王』以外は持ち得ないと思うけど、――?」

 

 もはや打つ手が何一つ無しとディアーチェが絶望しかけた直後――即座に元通りに再構築される筈だった神咲神那の『固有結界』に罅が入る。

 在り得ない異常である。穢土転生体で魔力が無制限に使える以上、すぐに完全な状態に戻る筈なのに――。

 

 ――ディアーチェの一撃は『固有結界』の破壊までは届かなかったが、無意味では無かった。

 ほんの僅かなれど、空間に綻びを生じさせた。そのあるか無いかの一瞬の揺らぎを観測し――外に居た『彼女』に、ディアーチェを上回る一撃を繰り出す機会を与えたのだった。

 

 

 ――それはガラスの杯が地に落ちて砕け散るように、呆気無かった。

 

 

 それは本当に木っ端微塵に、神咲神那の世界がガラス細工が如く打ち砕かれ、ディアーチェ達は現実世界に帰還する。

 自身の心象世界を破壊された神咲神那は、初めて苦悶の表情を浮かべた。

 

「……ッッ! 私の世界を外から破壊してくるなんて、とんでもない奴ね――!」

 

 忌々しげに舌打ちしながら、飛翔して自分の前に立ち塞がった小さな白い少女を睨みつけた。

 

「ディアーチェ! シュテル! レヴィ! 無事ですか!」

「ユーリ!? どうして此処に……!?」

 

 そのディアーチェ達より頭一つ小さい金髪の少女の名はユーリ・エーベルヴァイン。『闇の書』の最深部に封印されていた『無限連環機構』のシステムの人格プログラム、『システムU-D』、『砕け得ぬ闇』――闇統べる王と『魔術師』が救い出した少女である。

 

「私の絶望は貴女達が打ち砕いてくれました。今度は、私が貴女達を助ける番です……!」

「……! そう、か。ならばその力、我の為に使えッ!」

 

 漆黒の炎の魔力を圧縮させた破壊の権化たる『魄翼』は、今此処に初めて破壊の為だけでなく、誰かを守る為に展開され――『闇の書』の防衛システムにただ個人で匹敵する敵対者の存在に、神咲神那は不愉快そうに表情を歪ませた。

 

「ふん、これで形勢逆転だな! 文句は言わせんぞ……!」

 

 此処に図らずも、歴史上一度も叶わなかった、紫天の盟主と守護者達が集う。

 希望が繋がり、大半の魔力を喪失しながらも息巻くディアーチェに反し、神咲神那の反応は完全に冷め切ったものだった。

 

「そうね。完膚無きまでに逆転してしまったわ。……ああ、文句なんて言わないわ。自分から絶望の扉を開けるなんて、変わった趣味よね――」

 

 さしもの穢土転生体の神咲神那も、四対一ではまともな勝負にならない。

 だから、彼女の取る手なんて一つしか無く――幾ら状況が不利になっても、それだけは取らせるべきではなかった。

 

 

「――お父様、神那を助けて下さいな」

 

 

 神咲神那はさも当然のように、咲き誇る笑顔で勝ち誇りながら再生を終えた『魔術師』に助けを求め――世界は再び炎に包まれて一変する。今度は温度無き炎ではなく、何物も黒く焼き尽くす灼熱の炎をもって。

 

「っ、今度は……!」

「そう、お父様の固有結界だね。四対一なんて不公平だから、参戦して貰うわ」

 

 景色は瞬く間に、目に痛いほど毒々しい赤い紅い朱い花畑に一変し、焔の雪が舞う人外魔境へ早変わりする。

 

「私の固有結界よりもお父様の固有結界の方が凶悪だと思うけどねぇ――え?」

 

 そして神咲神那は目の前の四人の敵よりも『魔術師』の方に振り向いて、在り得ないモノを見たかの如く驚愕する。

 穢土転生の縛りによって物言わぬ人形と化している『魔術師』は無言で――その秘めたる神域の魔眼を、何の予兆無く開帳していたのだった。

 

 ――この歪な世界に幾多無数の赤い線の罅割れが生じ、空間が割れて炎上していく。

 

 世界が焼け落ちて、剥がれ落ちて行く。

 それは新たな異世界が顕現した事よりも、更に上回る異変であるのは目に見えて明らかだった。

 

「――ッ、何だこれは!?」

 

 ディアーチェ達は即座に飛翔して世界の崩壊から逃れようとするが、それはある意味、無意味な行為だった。

 崩壊した先は真の意味で何も無く、堕ちるという意味さえ無いのだから――。

 

 ――固有結界とは、術者の心象風景を具現化させる大禁呪。

 

 踏み留まれる地さえ崩壊し、世界の地平線さえ焼き爛れて――現れいづるは深淵なる虚無であり、時折、気味の悪い『赤い線』が駆け巡って刹那に消える。

 唯一の例外は遥か頭上に残存した黄金色の天体であり、周囲には吐き気がするほど禍々しい赤い線が密集し、神聖不可侵の星を浸食せんと駆け巡っていた。

 

 ――天の月が存在するお陰で、その空間には辛うじて上と下という概念が残っていた。

 

『……あーあ、これは流石の私も予想外だわ。あの女、やってくれるわね……! 私の固有結界が外的要因で壊されて、暫く再展開出来なくなるタイミングを待っていた訳?』

「……! 貴様、何処だ! 何処にいる! 一体何をした……!?」

『私は何もしてないし、何も出来ないわ。現在進行形で底無しの奈落に墜ちて揺蕩っている最中だもの。貴女達と違って飛べないしー』

 

 神咲神那の声は、天の月を上とするなら、その下から響くのみであり、姿形は最早見えない。

 

『やらかしたのは私達を穢土転生したあの女ね。……お父様の起源は『焼却』と『歪曲』だけど『焼いて歪める』ではなく『焼かれて歪んだ』が正しい表記のようね――一回目の死因のせいで本来の起源から変異していた訳かな? 多分、お父様自身も気づいてなかったんだろうけど』

 

 飄々とした口調に隠しようのない憎悪を籠めながら『後天的に起源が変化する例は『全て遠き理想郷(アヴァロン)』を埋められて起源が『剣』に変異した衛宮士郎だけだっけ』と、どうでも良い異世界の話を吐き捨てる。

 

「何を、何を言っている……!?」

『解らない? 解らないのでしょうね。こういう時に非転生者に一から説明するのは面倒で骨が折れるわ。……お父様の魔眼『バロール』によって自身の心象世界を焼き払えば、歪みの根幹が殺されて最初の起源に戻ってしまうって事。――本来なら、固有結界を維持する魔力も足りないし、何よりも脳髄やら視神経やら魔術回路が再起不能なまでに焼き切れて自殺になるから不可能だったのだけど』

 

 まさしくそれは穢土転生体だからこそ可能となった弊害であり――あの『うちは一族』の『転生者』は『魔術師』自身すら気づかない資質を見抜き、己が為に開眼させようと舞台を整えていたのだろう。

 

『……これは私の推測に過ぎないけど、お父様の本来の起源は『虚無』なのでしょうね。両儀式のように『根源』に繋がっているかは解らないけど、それなら、あの領域に辿り着いてしまう』

「あの領域だと? 勿体振らずに早く話せッ!」

 

 急かすディアーチェに、神咲神那は深々と溜息を吐く。

 前知識が無いから遠回りに説明しているというのに、と聞き分けの無い子供に向けるような気持ちで。

 

 

『――『直死の魔眼』。『モノの死』を形ある視覚情報として視て、捉える異能。お父様の魔眼から幸運にも欠けていた機能がそれよ』

 

 

 『月姫』の主人公・遠野志貴と、『空の境界』の主人公・両儀式が保有する、余りにも有名すぎる魔眼。――されども、絶対に欲しくない異能の名がそれである。

 これを全くの予備知識の無い者に説明するのは、中々骨の折れる作業であると神咲神那は内心毒付く。

 

『この空間にそこら中に走っている赤い線は存在の寿命を視覚的に捉えた『死の線』もどきなのかな? まだこの固有結界が完全に殺されていないという事は、死を捉えるまで辿り着いてないという事――どれぐらいの猶予があるかは解らないけど……』

 

 言うなれば、今の『魔術師』神咲悠陽の固有結界は『焼却』と『歪曲』に歪んだ起源を『虚無』に矯正する――『直死の魔眼』に至る為の儀式場である。

 此処には全てがあって、全てがない。そんなあるかないかのあやふやな概念を殺し尽くして天に煌めく天体を殺した瞬間、この儀式は成ってしまうだろう。

 

『――お父様が『モノの死』を視えるようになれば、全知全能の神様だってひと睨みで殺せるようになる。『死の線』も『死の点』も視るだけでなぞれちゃうのだから、魔眼『バロール』が真の意味で完成しちゃうね』

 

 退屈気な声で『両儀式や遠野志貴を凌駕する、真の『直死の魔眼』使いの誕生だね』なんて呟く。彼女達にはその二人の事など知らないから、何も伝わらないだろうが。

 

 ――現時点でも、『魔術師』神咲悠陽が保有する魔眼の格は両儀式と遠野志貴を凌駕する。

 

 二回目の人生から数えて九十年の歳月を経て『神秘』を蓄えた上に、同じ期間だけ視覚を閉ざしていた弊害で――感覚を消して能力を封じ込めようとした『空の境界』三章『痛覚残留』の浅上藤乃のように――増強の一途を辿っていた。

 おそらくとうの本人は、生まれた当初からオン・オフのきかない制御不能の魔眼ゆえに気づいていないだろうが――。

 

『まぁ当然だけど、私達人間に『死』を理解するという機能は無い。最初から用意されてないという事は、最初から許容出来ないという事。そんな悍ましいものを視覚情報として認識したら、脳の負荷処理が追いつかなくて発狂死するでしょうね。――完全に制御された穢土転生体なら、幾ら発狂していようが性能的に関係無いけど』

 

 ――そう、穢土転生体の『魔術師』が『直死の魔眼』に至ったのならば、もう彼に与えられる救いは何も無い。

 

 如何に『魔術師』と言えども、『直死の魔眼』が眼下に晒す真実の世界には耐えられない。

 魔眼殺しを持つ遠野志貴とは違い、切り替えして『死』を視ない事を選べる両儀式とは違い、最初からオン・オフを切り替える機能が存在しない。

 更には遠野志貴や両儀式に匹敵する異常性も死への達観も彼には持ち合わせていない。その破滅は約束されたものだ。

 

 精神も魂も陵辱し尽くされ、永遠に壊され続けて、それでも唯一の救済たる『死』に至れず――発狂しながら『うちは一族』の『転生者』に使役されるだろう。

 いや、術者が死んでも穢土転生は解けないのだから、最悪の場合は永劫無限に囚われるだろう――。

 

「……どうすれば、どうすればいいのだッ!」

『方法があるとすれば三つかな。一つは『直死の魔眼』に至る前にこの固有結界を完膚無きまで破壊する事。でも、それは『砕け得ぬ闇』が居ても難しいかな。今のこの固有結界は「」じみているから、本当に世界を切り裂いたという対界級の概念が無ければちょっと無理ね』

 

 彼女の語った「」の意味は解らなかったが、確かに今のこの空間は次元断層によって引き起こされた虚数空間じみた代物となっている。

 ディアーチェはシュテルに視線をやって確認を取り、彼女もまた同じ結論に至っていた。

 

『二つ目は穢土転生体のお父様を完全破壊する事。単純明快だけど、それが至難なのは既に解っているでしょ? 私一人の破壊すら不可能だったんだからねぇ。魂魄を浄化・破壊・消滅させる概念武装か、そもそも穢土転生そのモノを無効化する『破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』でもなければ無理でしょうね』

 

 語っておきながら最初から無理だと結論付けて『何方にしろ、それらは私達の前世にしか存在しない宝具(シロモノ)だけどねー』と言い捨てる。

 此処に至って、彼女達の魔法系統が発展しすぎてオカルトと区別付かなくなった『科学』である事がデメリットとなる。

 基本的に彼女達の『魔法』と神咲神那達の『魔術』は相性が悪い、というよりも致命的なまでに噛み合わないものである。

 

 ――二つの方法は最初から否定的に語られている通り、本命は三つ目だった。

 

 

『――三つ目はお父様を永久封印する事。『閉じた螺旋(メビウス・リング)』みたいな曖昧な空間遮断では簡単に喰い破られるから、より無慈悲で残酷な『時間凍結』で。嗚呼、貴女達を囚えていた永遠の牢獄よりも酷い結末ね――』

 

 

 ディアーチェは文字通り絶句する。悪寒に耐え切れず、生まれたての子鹿のように震えて――。

 

「……そ、そのような方法、我等には――」

『――あるでしょ? 貴女の『紫天の書』にはその記述ぐらい。『夜天の書』に記された無数の魔法データや機能を丸ごとダウンロードしているのだから。――特に今代の『夜天の書』には『無限書庫』からパチった幾万幾億のデータも含まれているでしょ?』

 

 

 

 

 


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