「――『冬木』での『第二次聖杯戦争』の覇者?」
車椅子の少女、フィオレ・フォルヴェッジ・ユグドミレニアは訝しげな顔で一族の長である――外見は二十代後半にしか見えない、されども百の歳月を超える魔術師――ダーニック・プレストーン・ユグドミレニアを見た。
彼女が困惑したのも当然の事。彼、ダーニックが参戦して『大聖杯』を略奪した『冬木』の聖杯戦争は『第三次』であり、それより前の『第二次』の事は若年の彼女には知り得ぬ物語である。
「かの極東の地で西洋魔術に通じていた魔術の旧家、神咲家八代目当主『神咲悠陽』。それが『冬木』の聖杯戦争での唯一の勝者だ」
嘗て時計塔にて最高位の階位である『王冠』に上り詰めたほどの魔術師が熱を籠めて話す魔術師、それも冬木方式での唯一の勝利者となれば、フィオレとて興味が湧く。
今より彼女達は前人未到の七騎対七騎の、赤と黒の陣営で覇を争う『聖杯大戦』に挑む。
今宵は残り五騎のサーヴァントを同時召喚する日取り、そんな大事の前に話す事が、単なる感傷や昔話程度のものとは思えなかった。
「正確には西洋型錬金術、黒魔術、ウィッチクラフト、占星術、カバラ、ルーン、果てには神道に陰陽道をごちゃ混ぜにして別の何かに昇華させた――まさに近代のあの国のような事を何世代も前から行っていた家系だね」
その説明を聞いて、フィオレは感心する処か、逆に困惑する。
確かに自身の一族、ユグドミレニア一族は浅く広く一族に連なる魔術師をかき集めて来た一族である。フィオレと長のダーニックのミドルネームが違うように、彼等のミドルネームは吸収した一族の名である。それ故に魔術系統も幅広い。
だが、それぞれの魔術刻印は共通のものではなく、嘗ての一族の刻印をそのまま継承し続けている通り――統合ではあっても競合ではない。
「……でも、おじ様。それでは器用貧乏にしかならないのでは?」
例えその全ての魔術系統に通じていたからと言って、その道一つを専門とする魔術師に勝る道理は何処にも無い。
万能は全能では非ず、単なる器用貧乏に堕ちよう。全てが出来るという事は確かに素晴らしいが、それだけ広く浅いという事を同時に示している。
それは魔術協会が雑多な魔術師の寄せ集めと嘲笑うユグドミレニア一族に抱く感想と何が変わろうか。
「そうではない。その家系の従来の魔術師はそうでも、彼は究極なまでに一つの事柄に特化した魔術師だった。フィオレ、君と同じようにね」
外見では可憐な貴人であり、足が不自由でか弱い印象を抱かれるフィオレだが、彼女はユグドミレニア一族随一の魔術師、二流の魔術師の多い一族の中で突き抜けている一流、ダーニックの後継者と目されている。
彼女も殆どの魔術が不得手であるが、唯一つだけに限定特化した魔術師であり――果たして聖杯戦争の勝者と成り得た『彼』は、何に特化していたのだろうか?
「――『魔術師殺し』。末恐ろしい事に、あらゆる魔術系統をそれのみに特化させていたそうだ。記録にある限りでも、彼の地に『聖杯』を奪取する為に足を踏み入れた六十七名の魔術師は、二度と故郷の土を踏む事は無かった」
……それは広く、部分的に深く、特定の事柄に特化した刃物を用途ごとに研ぎ澄ますような在り方だと、フィオレは率直に思う。
ダーニックは彼に珍しく砕けた表情で「中には『貴族(ロード)』に連なる魔術師も居たようだ」と愉快痛快に笑う。
(――八代目の魔術師に関わらず、魔術を探究として神聖視せずに単なる殺害手段として刻んだ? どうも解らないですね。解らないのはおじ様も一緒ですけど)
彼、ダーニックの『貴族』達に対する感情は複雑過ぎて読み切れないが、その何処かに安堵らしきものが見受けられる。
それは彼が参戦した第三次聖杯戦争で『彼』と出遭わなかった事への安堵、というのは些か穿ち過ぎだろうか。
「――第二次聖杯戦争は全サーヴァントが召喚されてから僅か一週間で幕を閉じた。『彼』は一日一殺、一組ずつ確実に脱落させていった。真っ先に脱落したのはアインツベルン、次にマキリ、次に遠坂だったそうだ」
アインツベルン、マキリ、遠坂は『冬木』の聖杯戦争の立役者たる御三家であり、『万能の願望機』である『聖杯』を召喚する儀式を考案した魔術師の一族である。
それに故に、聖杯戦争の事を誰よりも熟知し、尚且つ現地に居を構える御三家を相手にするのは何よりも困難であるのは明白――それを呆気無く脱落させた『彼』とは、一体どれほど破格な魔術師だったのだろうか?
いや、それどころか、他のサーヴァントとマスターも六騎全て討ち取るなど、よほどサーヴァントに恵まれたのか――いや、例え最強の大英雄を召喚していたとしても不可能であると魔術師としてのフィオレは確信する。
「……信じ難いですね。如何に八代に渡る尊き血筋を受け継いだ魔術師と言えども、如何に優秀な魔術回路を持っていようとも、如何に規格外の英霊を召喚していても、それでは魔力貯蔵量が保たないでしょうに」
そう、サーヴァントは確かに強大無比であるが、彼等の行動の一つ一つさえ莫大な魔力を消費する。それを賄いつつ六騎のサーヴァントと六人のマスターを一日一組ずつ撃滅させていくなど、どう考えても先に魔力が底を尽きるだろう。
それこそ反則的な、自分達が堂々と行っているような反則級のシステム干渉、魔力の経路(パス)の分割によってマスター以外からの魔力供給をしていない限り、枯渇死するだろう。
「『彼』の全能は『魔術師殺し』に特化していたが、その在り方は悪辣なまでに魔術師だったという訳だ。足りないのであれば他から補えば良い。不足分の魔力を『彼』は仕留めたマスターの令呪で補ったそうだ」
フィオレは表情を歪ませて、自身の肉体に刻まれた令呪を一目見る。
マスターに与えられた、三回限りの絶対命令権。単純な命令の強制だけではなく、行動の強化、純粋魔力に変換する事さえ出来る。
その三回限りの奇跡だが――無色の魔力として消費型の魔術刻印としての使い方も、可能ではある。
そんな勿体無い使い方は、令呪が有り余っていない限り出来ないだろうが、なるほど、他のマスターから殺して奪った物を再利用するという観点では、これ以上の成果は無いだろう。
(……でも――)
しかし、それでは一つ疑問が残る。フィオレの中でそれは見逃してはならないと魔術師としての感性が囁く。
令呪の実装は第二次聖杯戦争からだと聞いている。そんな異端な使い方は、主催者側さえ思いつかないような異常な発想では無いだろうか?
そのフィオレの疑念に、ダーニックは笑顔で迎える。
「――どういう訳か、『彼』は主催者である御三家と同じぐらいの、いや、それ以上の知識を持っていたと考えられる。『冬木』での聖杯戦争の仕組みを外来の魔術師とは思えないほど知り尽くしていた。だからこそ真っ先にアインツベルンを脱落させ、彼らが用意する『小聖杯』の器を手中に納めたのだろう」
ダーニックが参戦した第三次聖杯戦争では、途中で『小聖杯』の器を破壊されたと聞く。
そんな最悪の事態を招かない為に、聖杯の担い手であるアインツベルンを真っ先に脱落させて、最後まで『聖杯』を自らの手で守護したのだろう。
「もしもその『彼』が『大聖杯』の存在に気づいていたのならば、第三次聖杯戦争は無かっただろう」
しかし、疑念が一つ解けると同時に新たな疑念が生まれる。どうしてこの第二次聖杯戦争の事をダーニックは詳しく知り得ているのだろうか?
聖杯戦争に挑むからには過去の戦争を調べるのは当然の事だが、その当時の第二次聖杯戦争は未開の地で執り行われた野蛮な儀式程度の認識しかなく、それ故に必然的に記憶媒体も少ない筈だ。
そんなフィオレの疑問を察してか、ダーニックは出来の良い生徒を指導する教師のように笑う。
「――第二次聖杯戦争には聖堂教会からの監督役が派遣されていなかったが故に文献は少ないが、御三家の一つであるアインツベルンは『彼』を末世までの怨敵と見定めていた」
つまりは、『彼』の情報は未だに『聖杯』への執念を燃やす一族、アインツベルンからの情報であり、その確度は彼等の狂気が保障してくれるだろう。
「とは言え、最初に脱落したアインツベルンの知識では『彼』がどのようなサーヴァントを召喚したのか、どのように勝ち抜いたのか、細かい詳細までは不明だがね。今、此処で重要なのは――『彼』は完成した『聖杯』を終生使わずに持ち歩き、そのまま焼死した事だ」
そう、それは数多の英霊が集う『聖杯戦争』で一人勝ちした事よりも、衝撃的な事だった。フィオレにとって、否、根源を目指す全ての魔術師にとってである。
「……『万能の願望機』たる『聖杯』を、使わなかった? それがあれば『根源』にさえ届き得るのに?」
「第二次聖杯戦争の終戦後、『彼』は自身の父親と妹を焼き殺している。……理由は不明だが、後一歩で『根源』に届くというのに挑まなかった。当時の全ての魔術師に対する冒涜だ」
恐らくは、それを知る全ての魔術師が失望し、狂おしいほど激怒した事だろう。
次の段階に行けるのに、その場に踏み留まる停滞を、魔術師たる人種は許さない。
それが出来るなら何を犠牲にしても次の段階に行くのが魔術師たる人種であり、それを行わない落伍者を誰よりも許せないだろう。
「『大聖杯』はトゥリファスに馴染むように少しずつ変質させ、その過程で純粋な英霊だけでなく『英霊としての側面を持つだけの者』の召喚も可能になった――第二次聖杯戦争を勝ち残り、襲い来る全ての魔術師を返り討ちにして生涯『聖杯』を持ち続けた『彼』の不敗の物語は、最新の英雄譚と呼ぶに相応しいものだろう」
そして、フィオレはダーニックの思惑を悟り、驚愕する。
ダーニックは渾身の笑みで『勝ち誇る』。そう、我々ユグドミレニア一族の悲願は――。
「――我々は『彼』を『アサシン』の座に召喚する事で直ちに、魔術協会と戦うまでもなく勝利する。歴史上、中身の満ちた『小聖杯』を持つ唯一無二の存在、魔術師・神咲悠陽を召喚する事でね」
ダーニックが懐から出したのは、拳大のガラスのケースであり、その中には黒ずんだ何らかの欠片があった。
「それは、いや、それが――?」
「『彼』が終生持ち歩き、『彼』の遺体と共に灰となった『聖杯』の欠片だ」
それ以上無いほどの『聖遺物』を手にし、ターニックは勝利を確信する。
『彼』さえ召喚出来れば、魔力の満ちた『小聖杯』を手に入れる事が出来、『大聖杯』を完全な形で起動出来る。
――これは転生者の物語の外典(アポクリファ)である。
其処から歪んで燃える物語は確かに、転生者の物語の一つである。