転生者の魔都『海鳴市』   作:咲夜泪

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09/嵐の前の静けさ

 

 

 ――果たして『彼女』はいつから裏切っていたのだろうか。

 

 焼け野原と化した忍び里を遠目に眺めながら、死の淵に瀕しているオレは右眼の激痛を堪えながら、そんな詮無き事を考えていた。

 同期の中で誰よりも早く上忍になった。普段はエロくてどうしようもない蝦蟇仙人の『五代目火影』の頭脳として里の発展に誰よりも貢献し、暗部の首魁として暗躍して他国の忍び里を極限まで弱体化させ、また国の大名や上忍・中忍・下忍など幅広い層から人望を集めていた――。

 うちは一族の生き残りという最大のマイナス要素すら覆して、誰よりも『六代目火影』に近い位置に居たのは間違いない。現にオレも、そうなるものだと規定事項として捉えていた。

 

 ――それなのに『彼女』は全てを裏切っていた。

 

 討伐対象のS級犯罪組織『暁』を内にも外にも気付かれずに乗っ取り、木ノ葉隠れの里の人柱力二人を掌握した上で壊滅的な被害を齎した。

 一体いつから、此処までの大事を企てていたのだろうか。うちはイタチを里抜けしなかったうちはサスケが殺した時からか、『暁』の構成員の角都と飛段を仕留めた時からか、風影となった我愛羅が『暁』に拉致された時からか、大蛇丸が綱手を殺して自来也が『五代目火影』を襲名した時からか、それとも――うちはイタチの残した写輪眼の封印を自力で解いて、狂ったように泣き笑っていた時からか――。

 

「……どうして、何故皆を裏切ったッ! ルイ――!」

 

 

 最終章/うちはルイ暴走忍法帳編

 09/嵐の前の静けさ

 

 

 焔の神性、クトゥグアの灼熱の魔弾に貫かれ、『大導師』の思念体は闇に溶けて消えた。そう、忽然と消えたという表現が何よりも的確だった。

 

「――消えた?」

「仕留めた感触は無いわね」

 

 その消え方に違和感が拭えない。

 生前はあんなにも強敵だったのに関わらず、あの思念体は余りにも呆気無かったし、どうも撃ち抜いた感触が得られていない。

 

「……何か、嫌な予感がするな」

 

 後々、此処で完全に仕留めれなかった事を後悔する事になるような、そんな悪寒がする。この手の悪い予感が外した事は、オレの短い人生の中でも不運な事に余り無い。

 

「話に聞く欠片の思念体の消え方じゃなかったしねぇ。私達の初陣にしては物足りないわぁ」

 

 デフォルト状態で人の右肩に寛ぐ紅朔は小馬鹿にしたように嘲笑う。

 私生活ではかなりペースをかき乱されて困ったものだが、頼もしいパートナーの言葉に苦笑する。

 余りの他愛無さに、奇襲でも有るんじゃないかと警戒している最中、その警戒網を突き破って現れた『神父』はこれ以上無く焦燥していた。あの吸血鬼相手に一歩も譲らない、狂気の代弁者たる『神父』がである。

 

「――クロウ、紅朔。『シスター』とはやて達を引き連れて大至急撤収を」

「『神父』? 何か、あったのか……?」

 

 この時点で、何かとんでもない事が起きたという事は明白だった。

 『神父』の顔が目に見えて歪む。この人のこんな表情を見るのは、初めての出来事だった。

 

「……まだ、確定した訳ではありません。話は『教会』で――」

 

 

 

 

「――『悪』はより強大な『悪』によって踏み潰される。半端な真似をするから、こんな無様な結末になるのよ」

 

 心臓を穿ち貫いた掌を抜き取り、糸切れた人形のように崩れそうになった『魔術師』の身体を、その小柄な殺害者はひょいと軽々と肩に担ぐ。

 もはや人としてではなく、腹立たしいまでに単なるモノ扱いだった。

 

「貴様ァ! ――!?」

 

 ディアーチェは片手に眠れるユーリを抱えたまま、激発した殺意をもって魔法を繰りだそうとし――されども、その行為は彼女の気怠げな――蟻の無意味な抵抗を見るような『ひと睨み』によって封殺される。

 

(……な!? 何故、動けん……!)

 

 彼女の桔梗文様の魔眼と目が合った瞬間、ぴたりとも身体を動かせなくなる。感情的に構築して撃ち放とうとした魔法が、完全に止まって霧散する。

 

 ――『魔眼』には大別して二種類に分けられる。

 

 いつしか『魔術師』は嬉々と講釈した事がある。その時、退屈気に聞き流した言葉が脳裏に過る。

 一つは内界的、様々な事柄を視る事に特化した魔眼。外界に働きかける力は薄いが、能力の秘匿性は高く、一概に侮れない代物もある。未来視や直死の魔眼などが――希少性から言えば代表例とはとても言えないが――代表例である。

 一つは外界的、視ただけで外界に作用する類の魔眼。視覚そのものが発動条件であり、魅了の魔眼や灼熱、石化などはその最たるものであり、『魔術師』の魔眼もそのカテゴリーである。

 中には両方の性質を持つ規格外の魔眼もあるが、今、この眼の前の敵の『魔眼』の性質は明らかに後者、外界に作用する拘束の魔眼であり、その術中に嵌ってしまった事を沸騰した理性が理解する。

 

 ――同時に、仇討ち出来ない事への口惜しさよりも、磔にされた蝶の如き状況である事を、ディアーチェは慄きながら悟る。

 

 余りにも不味すぎる状況である。

 シュテルとレヴィはユーリとの戦闘で行動不能の意識不明、ユーリも意識を失っており、『マテリアル』が四基揃ったのに、全滅の危機に瀕していた。

 

 ――赤い魔眼の少女は笑う。それは敵対者に対する慈悲無きものでなく、逢瀬を待ち望んでいたような際限無く愛しげに――。

 

 

「――ありがとう。貴女のお陰で、私はこんなにも容易く『魔術師』を仕留めれたわ。本当に何度感謝しても足りないほどだわぁ」

 

 

 純然なる悪意は、純粋な愛に似ている。

 事実、彼女は本当に感謝していた。自分の意に関わらずに自分の手の中で踊ってくれた愚かしい道化を心底から愛していた。

 

「どうやってあの『魔術工房』から彼を出すか、凄く悩んでいたのよ? それでいて、出歩く際に『シュレディンガーの猫』と『光の御子』が居てはそう簡単には手出し出来なかったしね――」

 

 ディアーチェの顔が、底無しの絶望に歪む。

 彼女の純然なる愛の言葉を遮る事すら、今の彼女には出来なかった。

 

「『魔術師』を絶対不落の『魔術工房』から出して、『吸血鬼』と『槍兵』を剥ぎ取って余力を極限まで削る。嗚呼、完璧だわ。私さえ惚れ惚れする手並みよ――流石は流石は『闇統べる王(ロード・ディアーチェ)』殿!」

 

 ――自分の子供じみた愚行が、神咲悠陽を殺す最大の要因となった。

 

 ぴしり、と。ディアーチェの中の何かが崩れ、音を立てて崩壊していく。

 その絶望に堕ち切った光無き瞳から涙が止め処無く流れ溢れて、誇りを打ち砕かれた王は絶望の絶叫を撒き散らす――。

 

「あ、ああっ、あああああああああああああああああああぁ――!」

 

 

 

 

「……すっげぇ有り様だなぁおい」

 

 『魔女』を蹴散らしてディアーチェ達がいると思われる場所に来たオレ達が見た光景は、隕石でも降り注いで破壊されたかのような外観だった。

 人払いが済んでいるのか、幸いな事に人の気配は感じ取れない。もっとも、此処に一般人が居たのならば災害に巻き込まれるような形で死にかねないが。

 

「――町中で『闇の書』の防衛システム並の戦力が暴れればこうなるよね。まぁ後片付けは『魔術師』の領分よ、私達の考える事じゃないわ」

 

 柚葉は他人事のように、いや、心底他人事なのだろうが――素っ気無い態度を装っているが、オレの眼からは内心焦っているような感じがする。

 

(……何だ? 何が柚葉を此処まで懸念させているんだ……?)

 

 今回の一件が『魔術師』の思惑から外れた突発的な出来事であるのは明白だが、二流の策士もどきとは違って『魔術師』には予想外の展開をも思い通りに方向修正して対処する能力を持ち合わせている。

 そんなに心配する事は無いと思うが――それが柚葉だと、根拠の無い予感だとは笑い飛ばせず、此方まで不安になる。

 

「――いたよ! 王様、シュテル、レヴィ!」

「お前ら無事だったか!」

 

 だが、それも杞憂だったか。なのはが今回の主賓達を逸早く見つけ出す。

 ディアーチェ達はぼろぼろなれども五体満足で健在であり、それと見慣れない金髪の幼女がディアーチェの腕の中で眠っている。

 無事に彼女達の物語が終わったのだと安堵の息を――吐く前に、ディアーチェが真っ赤に腫れた眼で俯いており、傍らに寄り添うシュテルの眼は虚空を彷徨っており、レヴィは声を押し殺して泣き喚いていた。

 

 ――何なんだ、これは。

 何故、そんなに泣いている。

 何故、そんなに悲しんでいる?

 

 金髪の少女、彼女達の長年の目的であるシステムU-D『砕け得ぬ闇』、ユーリ・エーベルヴァインを破壊の運命から解放したというのに――。

 

「……どう、したんだ? 何があった? それに『魔術師』は来てないのか?」

 

 そもそもこの状況下において『魔術師』が此処に辿り着いていない事こそ最大の異常であり――オレの言葉に、ディアーチェが反応して此方に振り向く。

 

 絶望に染まり、泣き崩れる彼女の顔を見て、不意に、冬川雪緒の事を思い出した。

 何故、どうしてよりによって今――などと疑問にすら思わなかった。

 

 もう、理解してしまった。最悪の事態になったのだと。

 だが、だが、あの『魔術師』が、『シスの暗黒卿』の豊海柚葉すら殺せなかったほどの傑物が、この海鳴市で最も『悪』を体現する男が殺されるなど――。

それでも縋るように、当事者たる彼女の言葉で否定して欲しいと願って――当然のように裏切られる。

 

「……『魔術師』は、殺された。我の、せいで――!」

 

 

 

 

――こうして『教会』に来るのはいつ以来だろうか。

 

 あの時はシスの暗黒卿であり、管理局の黒幕である事を明かして消えた柚葉を探す為に協力を要請しに行って、うっかり殺されかけたんだっけ。随分と昔のように感じられる。

 死んだように静まり返った教会の中には現実感が伴わなくて困惑している自分、焦燥感を漂わせながら一人思案に暮れる豊海柚葉、動揺の激しい高町なのはが一纏めになって一角に座っており、何処かに電話している『神父』の報告を待ち侘びている。

 

(……今、此処に居ないのは『竜の騎士』のブラッド・レイと『全魔法使い』のシャルロット、それと『武帝』の湊斗忠道ぐらいか――)

 

 クロウとアナザーブラッド、いや、大十字紅朔には目立った動揺は見られないが、あの『禁書目録』のシスターの方は魂が抜けたように呆然としている。予想外の反応である。

 そして普段はあの性格的に真っ先に絡むであろう『代行者』も壁に腰掛けて沈黙している。

 八神はやてとヴォルケンリッター一同はディアーチェ達の方にいるが、彼女達の反応は芳しくない様子だ。

 

(ユーリの方はまだ意識が戻らないから、個室で休んでいるが――)

 

 そして、此処に『魔術師』はいない。小憎たらしいほど不死身だった『吸血鬼』エルヴィもいない。頼もしい兄貴分だった『ランサー』もいない――。

 

 ぱたん、と。折畳式の携帯を閉じる音が鳴り響く。

 通話を終え、『神父』は酷く疲れた表情になっていた。

 

「湊斗忠道の屋敷がこの海鳴市の大結界の支点の一つという事は――豊海柚葉、君はご存知ですね?」

「……ええ、知っているわ」

「その他にもう一つ、神咲悠陽はある仕掛けを施していました。極単純な魔術的な仕掛けです。――自身の死を、誤認無く知らせる為の」

 

 眉を顰める。息を呑む音が何処からか聞こえる。それは希望を紡ぐものではなく、最後の望みを完全に断つものであった。

 

 

「――湊斗忠道からの連絡で、神咲悠陽の死亡が確定しました。『吸血鬼』エルヴィン・シュレディンガーも『ランサー』も生死不明ですが、死亡したものと扱って良いでしょう」

 

 

 改めてその事実を突きつけられ、自失呆然としたくなる。それが出来ないのは、傍らで自分以上に動揺している人物が居るからだろう。

 

「……嘘、そんな……」

「……なのは」

 

 静かに涙を流す彼女に、オレは掛ける言葉すら思い浮かばない。

 誰よりも『魔術師』の死を信じられないが故なのだろうか。こうしている今にも、実は死んでませんでした、と邪悪な嘲笑いを浮かべて出てくるんじゃないかと――そう、在り得ない事を願って。

 

「……シュテル、解析映像を」

「……はい」

 

 焦燥し切った表情のシュテルは待機状態のデバイスを取り出し、その時の映像を空間に投影する。

 

 ――『魔術師』と同じように髪の毛を一つの三つ編みおさげに編んだ、十六歳程度の少女の姿を目に焼き付ける。

 

 黒い喪服のような着物を上に羽織った忍び装束の少女、一見して凹凸の無い貧相な身体付きに見えるが、その靭やかさは凶悪な肉食獣のそれである。

 赤い奇妙な模様の魔眼の――『魔術師』や最盛期の豊海柚葉に匹敵するか、或いは凌駕する『邪悪』を、この目に焼き付ける。

 

「――『NARUTO』世界出身の『うちは一族』。しかも、性質の悪い事に『万華鏡写輪眼』――下手すると『永遠』のかしら。私が言うのも何だけど、ろくな転生者では無いわね」

 

 柚葉は吐き捨てるように言う。彼女からして此処まで言わせるとは、同族嫌悪だろうか?

 

「……あれは、『写輪眼』なのか?」

「見慣れない形だけど、多分ね。『万華鏡写輪眼』の方は個人個人によって模様が違うようだし――」

 

 『NARUTO』は嘗ての世界で『ジャンプ』に掲載されていたNINJA漫画。その中の『うちは一族』は『写輪眼』という先天性の瞳術を持つ一族だったか。

 だが、その『うちは一族』は一族の中で最も傑出した一人の天才に一人を残して殺される運命。映像の中の転生者は、そのうちは一族皆殺しの夜を乗り越えて生存したというのか――。

 

「……『写輪眼』?」

 

 力無い声で、ディアーチェは尋ねる。

 その『写輪眼』によって戦う事すら叶わずに敗れた彼女は、自失呆然の状態でも聞かずにはいられなかったか――。

 

「『うちは一族』の『血継限界』、ああ、『血継限界』は先天的資質という意味合いで良いわ。此方で言うレアスキルみたいなもの。ずば抜けて高い動体視力の『洞察眼』によって『体術・忍術・幻術』を瞬時にコピーして我が物に出来る他、『幻術眼』と『催眠眼』まで併せ持つ――はぁ、説明してみてなんだけど、何このチート」

 

 この魔都での有数の、チート筆頭の柚葉すら溜息を吐きたくなる規格外っぷりである。

 『魔眼』というものはどれも性質の悪いものばかりだが、その中でも『写輪眼』は最悪の限りと言って良いだろう。

 

(なるほど、確かにこれは最悪なまでにろくでもない――)

 

 ――ただでさえ多くの特殊能力を持つ『写輪眼』、その上位である『万華鏡写輪眼』を開眼しているという事は、自身の目の前で大切な人の死を経験しているという事。それはつまり、大抵の場合は己が手で殺しているという事に他ならない。

 

(最高に楽観視して『万華鏡写輪眼』の瞳術は一つ、左右に違う瞳術を開眼しているなら二つに『須佐能乎』、『永遠』に至っているなら4つに『須佐能乎』か……)

 

 そこまで躊躇いもなく実行する外道ならば、同じく『万華鏡写輪眼』を開眼した者の瞳を抉り取り、自身に移植する事で失明の恐怖から逃れて更なる力を齎す『永遠』の『万華鏡写輪眼』の状態になっている可能性も多大であるだろう。

 

 ――眼を合わせた時点で敗北が決定する。これ以上の初見殺しは他に無いのに、更に更に規格外の瞳術を何個も秘めてやがる。

 

 その相手が『魔術師』を真っ先に狙った理由は――そう考察する処で、柚葉と視線が合い、なるほど、彼女の事だからそれすらも既に考察してある種の結論を下している様子だった。

 

 

「『魔術師』の遺体を持ち帰った事からその目的が『聖杯』であり、ディアーチェ達を殺さずに全員無事に見逃した事から、その目的が完成した『紫天の書』でも代用可能であると考えるのが自然かな、予備(サブプラン)としての温存なら納得が行くし――未だにこの世界が目に見えて改変されず、その目的を達せられていない事から、『魔術師』は『聖杯』を手元に抱えていなかったようね。状況は最悪の一歩手前ね」

 

 

 これだけの判断材料で、柚葉は暫定的な結論を下す。

 なるほど、と、良く此処までの推測でその答えに、しかもこんなにも早く到れるものだと感心する他あるまい。

 

(……けれど、本当に『魔術師』は『聖杯』を持ち歩いていなかったのか? アイツの性格なら――)

 

 ……だが、一つだけ引っ掛かる。あの『魔術師』が、本当にそんな大切な物を手元に抱えていなかったのだろうか?

 あの『聖杯』は『魔術師』にとって『万能の願望機』ではなく、彼の愛するサーヴァントの『揺り籠』だ。自身の命よりも優先したものだ。『二回目』において死して尚手放さなかった物を持っていない――?

 どうも引っ掛かるが、世界が改変されていない以上、あの『うちは一族』の『転生者』の手には『聖杯』が無い事は確実だろうが――。

 

「――本当に大切なものは自分の手から遠ざけるべきだと、エルヴィは『魔術師』の事を言っていた……」

 

 ……ディアーチェの口から、そんな事が語られる。

 自分達よりも間近に居た彼女が言うなら、その通りなのだろうと納得する。

 

「『万能の願望機』たる『聖杯』を使わなければ実現不可能の願望を、『永遠結晶エグザミア』を核とする特定魔導力を無限に生み出し続ける『無限連環機構』で代用可能? ですが、それは――」

「破壊しか出来ない、でしょ? 確かにね、シュテル。規模から言えば、この世界そのものを破壊する事も可能だし――案外、それが目的かもしれないわね。このうちは一族の『転生者』は、どれほど狂っているか私にも解らないわ……」

 

 あくまでも柚葉の推測に過ぎないが、頭の片隅に留めておく価値のある情報である。

 此処でオレも漸く頭が回り始めて、担ぎ手の消えた『聖杯』の事に今更ながら気づいた。

 

「……という事は『聖杯』は『魔術師』の『魔術工房』にあるって事か? ソイツの目的が『聖杯』なら、早く回収しないと――!」

 

 主を失った『魔術工房』がどれほどのものになるかは解らないが、少なくとも生前よりは容易く攻略出来るだろう。

 

「――物理的な理由で不可能よ。もう誰も『聖杯』を手に出来ないわ」

 

 だが、柚葉は深刻な顔で首を横に振った。

 

「あの『魔術師』が遺した死に土産なんて、想像すらしたくないわ。主を守る必要が無くなった『魔術工房』は、魔力が尽きるまで来訪者全てを確実に黄泉路に旅立たせるでしょうね」

 

 ……『魔術師』なら正直やりかねない。

 自身を『魔術工房』の中で打倒する者が居たとしても、律儀に生かして返す気など更々無いだろう。

 自身の生存を度外視した仕掛けがあるとすれば、例えば屋敷中を宇宙空間のような人の生存出来ない環境にしてしまうとか、その程度の凶悪な置き土産の一つや二つぐらいあるかもしれない。

 

「大結界の支点を全部攻略して魔力を枯渇させれば侵入可能になるでしょうけど、その一箇所が『武帝』の本拠地の時点で当分無理ね。放置しているだけで私達は勝手に殺し合うのだから、藪をつついて蛇を出すような真似なんてしないわ」

 

 ……オレ達が殺し合う? そんな馬鹿な。こんな状況では争う処の話じゃない。それは全員の共通認識だろうに。

 

「? おいおい、こんな状況で揉める訳ねぇだろう?」

「違うわ、クロウ・タイタス。そんな状況なのよ、既に――」

 

 クロウやオレ達と、柚葉との意識の違いが明確に感じられる。

 何処か、致命的な部分を食い違っているような、そんな言いようのない危機感が芽生える。

 

「――私達は一刻も早く『うちは一族』の転生者を殺して事態を平定させる必要があるわ。でなければ、私達は遠からずに一人残らず死ぬでしょうね。そうでしょ、『神父』?」

 

 そんな奇妙な状況になる筈が――柚葉と同様の深刻さを、あの『神父』も無言で肯定して醸し出していた。

 

「――ええ、海鳴市の均衡は『魔術師』、『教会』、『武帝』の三竦みによって仮初めの平穏を維持してました。その一角が忽然と無くなってパワーバランスが崩れた今、我々『教会』勢力と、全ての転生者の根絶を求める『武帝』勢力との激突は時間の問題です」

 

 『神父』は疲労感を漂わせて「状況がこうなった以上、湊斗忠道は止められないでしょう」と断言する。

 

 ――いつぞやに、『魔術師』は確かに純然なる『悪』であるが、魔都にとって『必要悪』であると理由無く感じた事がある。

 

 それはまさにその通りであり、彼という個人で『勢力』となっている陣営が消えれば、『魔術師』という得体の知れぬ脅威が消えた今、残りの二つの陣営は正面衝突する道しか無いだろう。

 

(……これを狙って真っ先に『魔術師』を殺したとすれば、この魔都の状況を熟知している事の証明だ。この『うちは一族』の『転生者』は悪辣なまでに大局を見据える事の出来るタイプ――『魔術師』と豊海柚葉と同位置にある『指し手(プレイヤー)』なのか……!)

 

 規格外の先天的素養に、悪魔じみた頭脳の持ち主。天は二物も三物も与えたというのか。

 恐らくは『うちは一族虐殺の夜』さえ乗り越えているんだ、この『うちは一族』の『転生者』は掛け値無しの台風、絶対的な脅威に他ならない……!

 

「――情報が余りにも少なすぎるけど、時間の出血は我々を致死に至らせる。闇雲でも動かざるを得ないわ」

 

 

 

 

 

 


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