「だれか……、そこにいるの……?」
聞こえてきた声は、掠れていて、弱々しくて……。けれど、どこか透き通ったような、心に直接届いてくるような力を持っている気がする。
声の主は。
立方体の石から生えていた何か。
両手と下半身が立方体に埋まっている、ユエさんだった。
「――――っ!?」
声にならない声を誰かがあげる。
恐怖か、驚愕か。あるいは悲痛か。
彼女の現状は、どこまでも痛々しかった。
長く綺麗であるはずの金髪はボロボロに。紅色の瞳には意思の光が灯っておらず、ガラス玉のよう。
痩せこけて折れそうなくらい細くなった体は、見ているこちらが辛くなってくる。本来であれば美しいと感じるだろうシミひとつない白い肌は、この場においては生気を感じさせない原因の一つとなっていた。
そんなやつれた姿だというのに、どこか視線を集める退廃的な魅力を感じさせる。
「君……は……」
呆然とした様子で呟く南雲。
「――――ぁ。……たす……け……て」
俺達と同様に、数瞬の間硬直してから、彼女は我に返ったように焦りながら懇願の言葉を口にした。その声すらも、力なく掠れてしまっていたが。
「助けて……! ……お願い、助けて……! 何でもするから……っ」
必死さの伝わってくる、沈痛な叫び。不安と期待の入り混じったような、泣きそうな表情をしている。
そんな言葉を受けて、俺達の先頭に立っていた南雲は。
「――分かった。待ってて、今助けるから」
「…………っ!」
毅然とした面持ちで、そう告げた。
そして彼はユエさんを封じている立方体の前まで行き、右手を前に突き出す。
「白崎さん。今から錬成をするから、もし魔力が足りなくなったら、お願い」
「…………ぁ、……う、うん。分かった!」
南雲に指示をされ、香織は魔法の待機を始めた。
香織は治癒師、特技は回復魔法だ。その中には当然、魔力を回復するものも含まれている。
彼女は派生技能〝遅延発動〟を使用し、必要になった時に即座に発動できるようにあらかじめ魔力回復魔法〝譲天〟を唱えた。
「……南雲くん、不可抗力だから仕方ないけど、あんまり、その……、胸とか、見ちゃダメだよ?」
「え、あ、うん、……善処します」
落ち着いてきたのか、冗談交じりにそんな会話をする二人。深刻な雰囲気を和らげるためだろうか。
もっとも、表情まで緩くなっているわけではなく、真剣に立方体を見つめている。
「それじゃあいくよ……。〝錬成〟!!」
南雲から紅色の魔力が雷のように迸り、立方体の石を侵食していく。けれど、抵抗は大きいようで、容易には形状を変化させられないようだ。
彼は険しい顔で歯を食いしばり、右腕に力を込めている。
「ほら、光輝に清水君。貴方達も、彼女に見惚れる気持ちはわかるけど、やるべきことがあるでしょう?」
雫がポンと手を叩き、注目を集めてからそう言った。
やるべきこと……? 俺も〝譲天〟は一応使えるが、香織には遥かに劣る。この場で一体何ができるというのだろうか。
「天之河。探索に当てている魔物によると、この階層にいる魔物がこちらに向けて集結し始めているようだ」
「なっ……、本当か!?」
「ええ。集中してみたら分かるでしょう? 〝気配感知〟に反応があるわ」
言われて確認してみると、確かに魔物が集まってきている。それもかなり洒落にならない量だ。
一体どういうことだろうか。確かに攻略よりもユエさんの発見に力を入れていたため、魔物はあまり倒さずにきたが、いくらなんでもこれは異常だ。
まるで何かに操られているような……。もしかして、ユエさんを閉じ込めた
なんにせよ、このままだとマズい。無防備な南雲達がいるここで戦闘が起きてしまえば、大惨事に直結しかねない。
俺達で対処に当たるべきだろう。
「私は一応ここに残るわ。何かあった時身近で守る人間も必要でしょうし」
「分かった。じゃあ清水、俺達で食い止めよう」
そう呼びかけると彼は頷き、後ろを向いて歩き出した。俺も共に扉の向こう、前のエリアへと戻っていく。
こんなところで魔物に邪魔をさせるわけにはいかない。絶対に、守りきる。
「…………ん、んん? あれ、これ、もしかしなくても俺忘れられてない?」
◆◆◆◆
「う、おおおぉおおおおお!!」
光輝達が去った後も錬成を続けるハジメ。状況は芳しくなく、惜しみなく魔力をつぎ込んでも少女を封じる枷を外すことができない。
額からは脂汗が流れ、錬成している手の感覚が少し朧げになっていく。
まだだ。まだ足りない。自らの全てを出し切るように、加速度的に注ぎ込む魔力の量を増やしていく。
彼の総魔力量からすれば無茶に近い。既に腕のいい術者なら最上級魔法をいくつか撃てる程度の魔力は消費した。だが、それでも届いていないのだ。
いつからか彼自身が紅い輝きを放つまでになっていた。正真正銘の全力。
「もう少し……っ! 白崎さん!」
「〝譲天〟」
要望に応え、香織からハジメに魔力が譲渡される。
魔物の肉を取り入れた今でも、ハジメより香織の方が遥かに魔力量は多く、一瞬で潤沢となる。
集中力を途切れさせずに、最後の一押し。錬成師としての意地が彼の力となり、精神力を持続させる。
そして。
遂に、少女の周りの立方体がドロッと融解したように流れ落ちていき、彼女の枷は消え去った。
急に拘束から解き放たれたため、支えを失い崩れ落ちる少女。長い間身動きの取れない状態であったため、筋力が相当落ちているようだ。立つことすらもままならないらしい。
頭から地面に倒れそうになった彼女を、慌ててハジメが抱きとめる。
「大丈夫っ!?」
ぐったりともたれかかってきた少女を心配し、声をかけるハジメ。彼女は意識があるのかわからないような虚ろな目をしていたが、次第に焦点が定まっていく。
「……ん。大丈夫……」
「……そっか、よかった」
支えから離れ、自力で座る少女。それを見て安心し、ハジメはため息をついて座り込んだ。
無茶な錬成によって彼もだいぶ消耗しており、肩で息をしている。集中力を使い切ったため気力も限界である。
そんなハジメに向けて、少女は口を動かした。
「……ありがとう」
未だ言葉を発することが難しいのか、ぎこちない発音。表情の動かし方を忘れてしまったのか、笑顔一つ浮かべていない。
――けれど、こもった意志は強く伝わってくる感謝の言葉。
「どういたしまして」
ハジメはにっこりと微笑みながら、そう返した。
その笑顔が魅力的に映ったのか、彼をじっと見つめる少女。
ハジメも自らに向けられた宝石のような澄んだ瞳に、吸い込まれるように目を惹きつけられている。
「こほん。……私も一応手伝ったんだけど、それについては何かないのかな?」
ハジメと少女との間に恋愛の空気を感じたのか、遮るように言う香織。
少女はそんな彼女の方に顔を動かし、口を開いた。
「……ん。あなたも、ありがとう」
「……どういたしまして」
無垢な響きの声に、香織は優しい表情を浮かべて応える。
そして、消耗したハジメと体力のない少女に、まとめて回復魔法をかけた。二人は暖かい光に包まれて、癒されていく。
ハジメの荒くなった息は正常に戻り、少女の肌には少し赤みが差した。生気が戻ったようだ。
「で、えっと、その……これを着てくれないかな? いつまでも裸なのは……」
体力が戻り、現状を改めてクリアに認識し、流石にマズいということに気がついたハジメは、目をそらしながら少女に服を差し出した。
渡された外套を反射的に受け取った少女は、自分を見下ろすと途端に顔を真っ赤に染める。そして上目遣いでポツリと呟いた。
「……えっち」
「…………」
何を言っても墓穴を掘りそうなので、無言を貫くハジメ。
横にいる香織がとんでもない威圧感を発しているような気がするが、どうにかスルーを決め込む。見えないっ。香織の後ろにスタンドの如く存在する般若さんなんて見えないっ!
しばらくして服に袖を通し終わると、少女はハジメの方に向き、再び口を動かした。
「……どうして、助けてくれたの?」
「どうしてって……?」
少女の発言に首をかしげるハジメ。
「……私は、こんなところに閉じ込められてて、怪しくなかった……?」
「え、まあ、それは……」
全くそう思わなかったと言ったならば、嘘になってしまうだろう。
……けれど。彼は苦笑を浮かべて続ける。
「助けてって言われた時、なんとなく悪い人じゃないなって思ったんだよ。……うん、それだけ」
「……!」
なんの根拠もない、妄言にすらとれるような言葉であるが、彼は心の底からそう確信していた。
彼女の必死な叫び声に害意は一切感じなかったし、光をなくした瞳はそれでも尚綺麗に透き通っていた。たとえ光輝から事前に話を聞かされていなかったとしても、きっと自分は彼女を助けただろう、と。
「それに……誰かを助けることに理由が必要なほど、落ちぶれてはいないつもりだからさ」
なんて、ちょっと格好つけすぎかな、と彼は苦笑いを深めながら言う。
「……ん。そんなことない。本当に、ありがとう」
ハジメの言葉に心を動かされたのか、もう一度感謝の気持ちを述べる少女。
香織はそんな様子を見て、うんうん南雲くんは格好いいんだよ、と頷いている。雫はそれを見て少し呆れ気味になりながらも、同意するように笑顔になる。
「……名前、なに?」
少女は囁くような声でハジメに尋ねた。
それを聞き、そういえばお互い名乗っていなかったなと彼は思い出す。光輝から話を聞いていたため、なんとなく初対面という気がしていなかったのだ。
「ハジメ。南雲ハジメだよ」
「……ハジメ……ハジメ……」
少女は何度か彼の名を呟いてから、香織と雫の方向に顔を向ける。
「私は白崎香織。よろしくね」
「……八重樫雫よ。よろしく」
二人は少女に向けて、自らの名前を告げた。
「……ハジメ……、香織……、雫……。……ん。よろしく」
三人の名前を順番に口に出して言ってから、三人の顔を見て、少女は頷く。
そして。
「……ハジメ。私に名前、付けて」
「付けるって……君、名前は?」
「もう、前の名前はいらない。……ハジメの付けた名前がいい」
「……そっか」
少女の言葉に何を思ったのか。彼は小さな笑みを浮かべ、彼女の願いを承諾する。
数秒ほど考える仕草をしてから、苦笑いをして頷き、ハジメは口を開いた。
「ユエ、っていうのはどうかな?」
「ユエ? ……ユエ……、ユエ……」
「うん、ユエっていうのはさ、僕の故郷で〝月〟を表すんだ。この真夜中みたいな暗い場所で見つけた中で、君が一番輝いて見えたから。……ネーミングセンスないから、気に入らないなら別のを考えるけど……」
予防線を張るようにハジメがそう言うと、少女は首を横に振り、嬉しそうに瞳を輝かせて答える。
「……んっ。今日からユエ。ありがとう」
彼女の何度目かの礼に、笑顔で答えるハジメ。
和やかな雰囲気が流れ、彼らは深層に来て以来一番の温かい空気を感じる。こんな場所ではあるが、新たな友人の誕生だ。
――しかし。そんな穏やかな時間は一瞬で壊れることになる。
「――――ッ!? みんな、伏せてッ!!」
突如警告の叫び声をあげ、剣の柄に手をかける雫。
それを聞き、三人が反射的に頭を下げたのと、『何か』が天井より降ってきたのは、ほぼ同時のことだった。