「ここ、なんだよね……」
ぼそりと、自信なさげに呟く南雲。
緊張しているのか、少々顔が青ざめているようだ。
「ああ。間違いないはずだ」
俺は彼に向かって、そう返答する。
そして、大きく深呼吸をしてから、目の前を見つめた。万感の、思いを込めて。
――ここがきっと、〝アイツ〟の原点なんだ。
オルクス大迷宮、深層。その五十階層にまで俺達は辿り着いていた。
幾多もの試練があった。何度も死闘を重ね、極限の状況でここまで生き延びてきた。
まだゴールには程遠い場所ではあるが、この俺が半分まで攻略できたと思うと、何か込み上げてくるものがある。
ここ五十階層は俺達にとっての一つの目的地だ。
理由は当然、あの人がいるからである。
――金髪紅眼の吸血鬼、ユエ。神殺しの魔王の正妻にして、世界最高の魔法使い。
一度壊れたアイツを、そのまま終わるしかなかったはずのアイツを、もう一度誰かを愛することができる〝人〟に戻した彼女は、或いはもしかしたら一番の救世主なのかもしれない。
そんな彼女は今、この場所に閉じ込められている。いや、保護と言った方がより適当なのだろうか。
どちらにせよ、全ての自由を奪われて、生きることしかできなくなっているのだ。
当然、助ける以外の選択肢はない。戦力的にも人道的にも見捨てるなどあり得ないだろう。
そんなわけで、俺達は今、ユエさんが封じられていると思われる部屋の扉の前に来ている。
五十階層をしばらく探索していると、下への階段を見つける前に、とある脇道を発見した。その道を慎重に進んでみると、突き当たりは開けた場所になっており、最奥に荘厳な扉があったのだ。
高さは三メートル程で、装飾がされている。扉の両脇には一つ目の巨人の彫刻が一体ずつ、半分壁に埋め込まれるような形で鎮座していた。
中央部をよく見ると、二つの窪みがある魔方陣が。見たことのない式で構成されており、解読は不可能のようだ。
これを開ければ、その先にユエさんが。
……意識すると、自然と緊張感が増してくる。
かつて、前の世界では、俺はあの人とまともに会話をしたことがなかった。大迷宮を攻略していた頃は南雲のことを敵視しているような状態で、神域での決戦後は向こうが地球に行ったのに対し俺は基本的にトータスで暮らしていたのだから、それも当然なのだが。それでも、意思疎通できなかった相手との対面は、不安になってくるものだ。
今度はうまくやっていけるのだろうか。
「なんというか、実感わかないな。この先に未来の僕の運命の人がいるなんて」
そうこぼす南雲。恐怖と不安と、少しだけ期待の入り混じったような表情をしている。
それも当然だろう。急に俺から、前の世界で溺愛していた相手がいると聞かされたって、彼の中では現実味がないはずだ。同じ立場だとしたら、誰だって戸惑う。
「別に、その……、未来の南雲君が好きになった人だからと言って、今の南雲君も同じ感情を持つとは限らないでしょう? 光輝の知っている世界とは、もう随分と乖離しているようだし、ね。だから、えっと、あんまり気にする必要はないんじゃないかしら」
「八重樫さん…………」
雫は諭すような言葉をかける、が……。少し歯切りが悪いように感じる。……もしかすると、『気にする必要はない』というのは、自分に言い聞かせているのかもしれないな。
雫が俺からの話を聞いた時動揺は少ないように見えたが、彼女だって普通の人間だ。自分が親友の思い人と結ばれるなんてことを言われたら、平静ではいられないだろう。
言わないほうがよかったのだろうか。……だが、それは、どこか卑怯な感じがして……。
「そうだよ南雲くん! ほら、別の世界の未来なんて無視して、今すぐそばにいる人を運命の相手にしてもいいんじゃないかな? かな!?」
「……え、あ、うん……」
必死だな香織。
全力でアピールしてくる姿を見て、南雲はどこか引き気味の苦笑いをしている。
……俺の話を聞いてから一番変わったのは多分香織だ。好きな人が将来ハーレムを築いており、〝一番〟は自分じゃないと聞かされたりしたら、焦ってしまうのも無理はない。
あれ以降、南雲に対して随分積極的になったように思える。……いや、もしかしたら俺に恋心を暴露されてヤケクソになっているだけかもしれないが。
「うん……、そうだね。別の自分のことなんて気にしても仕方ないし、今のことを全力で考えるよ」
どこか吹っ切れた様子の南雲。彼は大きく深呼吸をして、表情を真剣なものに変えた。
「それで、この扉だけど……明らかに罠だよねコレ」
そう言って南雲は魔方陣を指差す。
「ああ、あからさまに怪しいな」
「むしろ何もなかったら製作者の正気を疑うレベルよね」
「流石に装飾って感じではないよな」
流石にどういった罠かは覚えていないのだが……。まあ、大体の想像はつく。
「定番なら、扉に触れると
そう言う清水に、皆頷いて同意する。
これだけわかりやすく配置されているのだ。その可能性が最も高いだろう。まあ、そう思わせることが目的の罠ということも考えられるが、その時はその時だ。
「総員、戦闘態勢に。清水は、魔物に扉を開けさせてくれ」
「了解!」
各々の武器を構え、目の前の巨人像を全力で警戒する。
清水はここまで連れてきた蹴りウサギを扉の前に行かせた。ちなみに彼は各階層で魔物を洗脳し従えているが、あまり数が多くなりすぎると場所が狭くなり動きづらくなるので、基本は探索用に使っている。
「それじゃあ、いくぞ」
そう言って清水は蹴りウサギに指示し、扉に触れさせた――
「――――オォォオオオオオオ!!」
瞬間、扉から赤い電気が走り、直後にどこからか野太い雄叫びが響いてくる。
息がつまるような緊張感の中、ついにソレは姿を現した。
「やっぱり、か――」
扉の横に掘られていた二体の一つ目巨人が、壁を砕きつつ現れたのだ。壁と同じく灰色だった肌は、いつの間にか暗緑色に変わっている。
二体のサイクロプスは四メートル程の大剣を携え、全身を俺達の前に現した。
「万翔羽ばたき、天へと至れ、〝天翔閃〟!」
戦闘開始直後、俺は右側のサイクロプスに向けて躊躇いなく光の斬撃を放った。ここで出てくるような魔物が雑魚な訳はなく、初手から本気でいくべきだと考えたからだ。
サイクロプス(右)は胴体に向けて放たれたそれを、大剣の刀身で防ごうとする。
キィィンッと金属音が鳴った後、大剣は真っ二つに切断された。天翔閃を耐えられるほどの強度はなかったようだ。しかし、威力は大分減衰されたように見える。
無傷のまま直立するサイクロプス。どうやら本体に届く前に斬撃は消えてしまったらしい。
――だが。
ドパンッ!
広間に中にこだまする銃声。
そして、眼球を貫かれ、断末魔を上げる暇もなく崩れ落ちるサイクロプス。
音源を見てみると、右手で銃を構えた南雲が鋭い目でサイクロプスを睨んでいた。
俺の攻撃に気を取られ、南雲が頭部を狙っていることに気がつかなかったのだろう。あっさりとドンナーの一撃で葬り去ることができた。
これで片方は倒すことができた。残るはもう一体の巨人――
「抑する光の聖痕、虚より来りて災禍を封じよ、〝縛光刃〟!」
香織が光の十字架を飛ばし、左側のサイクロプスを捕縛する。
完全には抑えきれておらず、サイクロプスは圧倒的な膂力を駆使して脱出しようとするが……。
「〝堕識〟」
清水が暗黒色の球体を飛ばし、サイクロプスの意識を一瞬だけ落とした。
数秒間という、普段なら気にも留めない時間。けれど、戦場において、とりわけ
「全てを切り裂く至上の一閃!〝絶断〟!」
切れ味を上昇する魔法を唱えたながら、雫は身体を反転させる。そして、最高速で袈裟斬りを繰り出した。
八重樫流刀術―――流水之太刀
俺ですら目で追うことができないくらいの速度を持つ斬撃は、香織の束縛魔法ごとサイクロプスを切り裂いた。
芸術的な完成度を誇る剣術によって、サイクロプスは為すすべく――
「雫、危ない――ッ!」
そのまま倒れるかと思われた一つ目の巨人は、最後の力を振り絞り、大剣で攻撃しようと大きく振りかぶっていた。
香織が魔法を使って防ごうとするが、タイミング的に間に合うか怪しい。
振り下ろされる大剣。斬撃というよりは単純な質量攻撃であるあれは、当たれば人間など簡単に潰せるだろう。
愚かな罪人への
しかし。
「残心は武道の基本よ」
八重樫流刀術―――音刃流し
雫は逆手に持った剣でサイクロプスの攻撃を受け流し、カウンターの斬撃を繰り出した。
胴体を切断し、今度こそ致命的な傷を負うサイクロプス。抵抗はできずに、力なく倒れていく。
それを見届けた後、雫は流れるような所作で納刀した。
「終わった、か」
二体のサイクロプスの説明を確認してから、俺はそう呟いた。
皆も安心したようで、少し弛緩した空気が流れる。
門番は倒した。あとはユエさんを解放するだけだ。そう思い、扉に手をかけるが、力を込めてもびくともしない。
なんだ……? まだ何かあるのか……?
「これ、じゃないか?」
考察していると、急に俺に向かって言葉が投げかけられた。声のした方向を見てみると、浩介が拳大の魔石を手に持ち立っている。……いたのか浩介。
「これ……ってどういうことだ?」
「いや、ほら、この魔石、そこの魔方陣の窪みにぴったり合いそうじゃないか?」
ほれ、と浩介は俺に魔石を手渡してくる。
なるほど確かに丁度いいサイズに思えるな。その可能性が高そうだ。
「八重樫が斬ったサイクロプスの体から出てきたんだ。そっちの方のにもあるだろうから、その二つを窪みに嵌めればいいんじゃないかな?」
そう言って浩介はナイフを使って右側にいたサイクロプスの体を切り裂く。すると予想通りもう一つの拳大の魔石が出てきた。
どうやら、間違いないようだな。
魔石と窪みを見比べて確認してから、俺は手に持った魔石を南雲に差し出した。
「南雲、お前が開けてくれ」
「……うん、わかった」
彼は俺の言葉に頷いて受け取る。浩介も同じようにして南雲に魔石を渡した。
ふぅ、と南雲は一度深呼吸をしてから、扉の前に立つ。そして魔方陣の二つの窪みに二つの魔石を嵌め込んだ。
直後、魔石から赤黒い魔力光が迸って、魔方陣に魔力が注がれ始めた。数秒待つと、何かが割れるような音が響き、光が収まる。
同時に、部屋全体に魔力が行き渡ったらしく、周囲の壁が発光した。緑光石とは違う確かな明かりで満たされていく。
南雲は目を瞑り、意を決したように扉に手をかけた。そして、そのまま少しずつ押していく。
南雲の筋力でも充分なようで、大して経たないうちに扉は完全に開かれた。
奥は一切の光源がない真っ暗闇になっている。吸い込まれるような、どこまでも深い黒。
どうしようもなく不安になるような、孤独感を本能に訴えかけてくる闇だ。
魔法で部屋を照らしてみると、中は大理石のような艶のある石でできており、幾本もの太い柱が規則正しく奥へ向かって二列に並んでいた。
そして、部屋の中央部には巨大な立方体の石が置かれており、光を反射して光沢を放ち存在感を主張している。
目を凝らしてみると、立方体から
「だれ……?」
すみません、予告通り少し更新頻度が落ちてしまいました。(一年に一回)
誠に申し訳ございませんでした。
これからもよろしくお願いします。