帰ってきてから三日。昨日は疲れも取れたので、訓練を再開していた。
そして今日。ついに帝国からの使者がやってきたのだ。
現在、檜山と先生を除いた俺達全員と王国の重鎮達、それにイシュタルさんなどの宗教関係者が謁見の間に勢揃いしている。レッドカーペットの中央には帝国の使者が五人ほどおり、エリヒド陛下と向かい合っていた。
「使者殿、よく参られた。勇者方の至上の武勇、存分に確かめられるがよかろう」
尊大な態度の陛下。……護衛の中に皇帝が紛れていることには気がついていないのだろう。
「陛下、この度は急な訪問の願い、聞き入れて下さり誠に感謝いたします。して、どなたが勇者様なのでしょう?」
「うむ、まずは紹介させて頂こうか。光輝殿、前へ出てくれるか?」
俺の方に目をやる陛下。
「はい」
俺は一歩前に出て、笑顔で礼をした。
その後に迷宮攻略のメンバーも紹介されていく。この場にはいない愛子先生のことも名前だけ出した。
「ほぅ、貴方が勇者様ですか。随分とお若いですな。失礼ですが、本当に百層を攻略したので? 確か、六十五層ではベヒモスという化物が出ると記憶しておりますが……」
使者は俺に観察するような目を向けてくる。露骨な態度こそ取っていないが、俺達の実力を疑っているようだ。
それもそうだろう。俺達は少し前までただの学生だったのだから。本来であれば戦士になどならなかったわけで。
ただ、そうは言っても、この値踏みするような視線は少し不快だな。
「そうですね、ベヒモスは大した苦戦もせずに討伐することができました。九十層でも集団になって襲ってきましたが、なんとか倒し切りましたよ。えっと、なんでしたらマップでも見せましょうか……?」
そんな提案をしてみたが、まぁ、受けないだろう。案の定、使者は首を横に振り、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「いえ、お話は結構。それよりも手っ取り早い方法があります。私の護衛一人と模擬戦でもしてもらえませんか? それで、勇者殿の実力も一目瞭然でしょう」
きた。悪魔の提案。
一応エリヒド陛下やイシュタルさんにアイコンタクトで是非を問う。
「構わんよ。光輝殿、その実力、存分に示されよ」
「決まりですな、では場所の用意をお願いします」
イシュタルさんが答え、こうして勇者対帝国の使者の護衛(皇帝)の模擬戦開催が決定したのだった。
◆◆◆◆
俺と相対しているのは、一見特徴のない平凡な男。中くらいの背丈で、人に鮮烈なイメージを刻みつけるような顔もしていない。
しかし、その正体は——帝国の最高権力者にして人間族最強の男、皇帝ガハルド・D・ヘルシャー。
かつての俺は、もちろんそんなことには気付かずに舐めたまま戦ってぼろ負けした。
それで今度はどうするかという話なのだが、とりあえず勝とうと思う。
勇者が敗北するというのは普通に不味いというのもあるが、それだけではなく。
今度こそ、勝利したい。もう、負けたくはないんだ。こんな奴に負けていては、エヒトを倒すなど夢のまた夢。ボコボコにされた私怨もある。〝限界突破〟がなければ為すすべなく倒されていただろうから。
とはいえ、裏のステータスを解放した上に限界突破で圧殺というのは少し美しくないだろう。
表のステータスのみで、さらに限界突破も使わない。それでこそ完全な勝利だ。
しかし、それは簡単なことではない。そもそも、単純なステータスであれば、前回やった時でも相手を上回っていた。それでも負けたのは、圧倒的な技量差があったからだ。
そして、それは今でも大して変わらない。確かに俺はあれから多くの実戦経験を積んだ。だが、所詮は一年程度、皇帝のそれには遠く及ばない。
もちろん、量と質は別なので、いまの状態でも勝てる可能性はあるのだが、確実とは程遠い。
では、どうするか。
実は、俺の技量が、追いつくかはわからないが少なくとも今よりは上がる方法はある。
それは何か。
答えは、俺に両手に握られている刃引きされた曲刀だ。
日本刀ではないためベストとはいえないが、この剣であれば使うことができる。
王国で習った付け焼き刃な騎士剣術ではなく、幼少時よりずっと習ってきた俺本来の流派。
「行きますッ!」
大型の剣をだらんと下げている、一見やる気のなさそうな皇帝に向け、全力の一撃を。
縮地を使って全力で踏み込み、最高速での左切り上げ。
——八重樫流刀術〝跳雫〟
「ッ!? てめっ……!」
初撃は剣で受け止められたが、どうやら反応するのがやっとだったようだ。これなら、いける。
——八重樫流刀術〝霞穿〟
上体の前後運動とか他の動きで遠近感覚をずらし、皇帝の反撃をかわす。しかし、後退はしておらず、それどころか踏み込んでいき、突きを放った。
「チッ、クソッ……!」
ギリギリで剣を体に引き戻し、皇帝は剣の腹で攻撃を防いだが——衝撃で体勢を崩し、更には剣を手放してしまった。
それは戦場において致命的な瞬間。
片手で皇帝の手を掴み取り、合気の要領で投げる。態勢が完全ではないため、力づくで無理やりだが、なんとか宙に浮かせられた。
——八重樫流体術〝鏡雷〟
そして、無抵抗の皇帝に向けて一閃。
「これで、終わりだッ!」
峰の部分で、思い切り打ちつけた。
「ガハッ……」
目を見開き、信じられないといった表情の皇帝は、勢いよく吹っ飛んでいき壁に叩きつけられた。
「決まり、ですな」
パチパチパチ、とイシュタルさんがドヤ顔で拍手をし、王国のメンバーもそれに続く。使者は顔面蒼白で、何が起きたかわからないといった様子。
「それで、気は済みましたかな? ガハルド殿」
「……チッ、バレてたか」
苦悶の表情を浮かべながらも起き上がった皇帝は、憎々しげに俺とイシュタルさんの顔を見る。そして彼は右耳のイヤリングを取り、本来の姿を現した。
短く切り上げた銀髪に狼を連想させる鋭い碧眼、スマートでありながらその体は極限まで引き絞られたかのように筋肉がミッシリと詰まっている。四十代ほどの野性味溢れる男である。
その姿を見た瞬間、周囲が喧騒に包まれた。
「ガ、ガハルド殿!?」
「皇帝陛下!?」
動揺が広がっていく。陛下は眉間を揉みほぐしながら、ため息をついて尋ねる。
「どういうおつもりですかな、ガハルド殿」
「これはこれはエリヒド殿。ろくな挨拶もせずすまなかった」
未だにイラついた表情のまま、皇帝は陛下に形式上の挨拶をした。……いや、これ挨拶になってるのか?
「見ての通り、勇者の力を試そうとして返り討ちにあったわけだ。無礼は許していただきたい」
皇帝は両手を上げて降伏するようなポーズをとった。エリヒド陛下は引きつった顔ながらも、もう良いと返事をする。
「それで、ガハルド殿。光輝殿はあなたのお眼鏡にかないましたかな?」
「完敗だったんだ……認めるしかないだろう」
少し挑発気味のイシュタルさんの言葉に、心底忌々しいという顔で俺を睨みつけてきた皇帝。使者たちも同じように殺気を放っている。
少し遺恨を残しているかもしれないが、そこは力こそ正義の帝国。そこからは大して何も起きずに、模擬戦は終わった。
その後、晩餐会も予定通りに進み、帝国も勇者を認めるということで、今回の訪問の目的は達成されたのだった。
◆◆◆◆
帝国からの使者が訪れた晩、俺はメルドさんの部屋を訪れていた。
「光輝、それで話っていうのは何だ?」
気さくに聞いてくるメルドさん。頼りになる兄貴分で、トータスの中では最も信頼の置ける人物だ。
そんなメルドさんに、俺はまだ未来から来たことを話していなかった。
理由は何だろうか。他のクラスメイトとは違い、メルドさんには話したって特に不利益になることはない。いや、王国のためにその知識を利用された可能性はあるが、それでもメルドさんなら悪いようにはしないだろう。
かつて助けることができなかったことに負い目を感じているのだろうか。それとも、俺は怖かったのか? それを話したらメルドさんの俺を見る目が変わってしまうのではないかと、そんな恐れを抱いていたのか?
証拠を提示しなければそんな奇想天外なことを信じてもらうことができなかっただろうし、危ない奴だと誤解される可能性があった? 頭がおかしいと思われることを危惧していたのか?
いや、それは大丈夫だったはずだ。証拠になるのかは少し微妙だが、俺にはありえないステータスが存在する。裏のステータスを見てもらえば、少なくとも何かはあるとわかってくれただろう。
だとすると、宗教関係か? 俺の話にはエヒトの信者には看過できない内容が含まれている。メルドさんも信者ではあるので、そのせいで嫌われていたかもしれない。
……言い訳だな。俺が話さなかったのはそんな理由ではない。
そんなことはないと分かっていても、話してしまったら、メルドさんを助けられなかったことを責められるのではないか、と。そんな馬鹿なことを考えていたんだ。
今のメルドさんには関係のないことだ。未来で自分が死んだなんて聞かされたって、困惑するだけだろう。そもそも彼の死は直接的には俺は関係ない。
だから、責められることなんてあるはずがない。
それでも俺は、拒絶されることを怖がったのだ。絶対にありえない可能性に怯えて。
これはある種の裏切りかもしれない。メルドさんを信じ切れていないという、裏切り。
そして、以前の俺であればこんな迷いはしなかったはずだ。
誰かから恨まれるだなんて考えもしていなかった。
その態度は決していいものではなかったのだろうが、或いは存外以前の方が良かった部分もあるのだろうか。
何も考えていない、自分のための正義だった頃にも、過去にしてしまった過去にも見るべきものがあったのだろうか。
俺は…………。
「光輝、どうかしたのか?」
突如聞こえてきた声によって、現実に引き戻された。思考の海からあがってみると、メルドさんが心配そうにこちらを覗き込んでいた。
そうだ、メルドさんに話をしにきたのだった。変なことを考えている時間ではない。
「いえ、何でもないです。えーと、今から、俺の秘密について話そうと思うんですけど……」
「その話っていうのは、お前が習う前から王国の騎士剣術を覚えていたことや、度々見せていた異常な強さに関係があるのか?」
「っ! は、はい。その通りです」
気づかれていたのか。さすがはメルドさん。
……それに、それは俺が何かを隠しているとわかった上で何も訊かずにいたということ。
俺が話すまで待っていてくれたということだろう。
なんというか、メルドさんを見ていると、自分がとてつもなく小さく醜く感じるな。
「メルドさん。実は俺は——」
こうして俺は、過去に俺が経験した出来事を余すことなくメルドさんに語った。
メルドさんはその全てを黙って聞き、話が終わった時に『そうか』と一言だけ告げて、考え込む姿勢になった。
「大迷宮を攻略すれば神代魔法が手に入るっていうのは、確かなんだな?」
「はい。俺はともかく、雫たちが入手したところは見たことがありますから」
俺はともかく、な。
「だとすれば、挑まないわけにはいかないか……。だが、難易度が段違いなんだよな?」
「そうですね。高レベルの俺たちでも生き残るのが精一杯でした」
より正確に言えば、南雲たちがいなければ生きて帰ることも不可能だっただろう。
「すると、少数精鋭での攻略が吉か……?」
「俺もそう思って、既にメンバーは考えてあります」
「ほう。どんなメンバーだ?」
「それは———」
◆◆◆◆
光輝とメルドが大迷宮攻略について話している頃、皇帝とその部下は部屋で話をしていた。
「強かったですね……」
模擬戦にて目撃した、光輝の圧倒的な姿を回想する部下。
「ああ、そうだな。だが、それ以上に気にいらねぇ」
ガハルドも同じくその時のことを思い出し、怒りに顔を歪めていた。
「あの時、勇者はわざわざ峰で攻撃しやがった。刃引きされているにもかかわらず、だ」
——それはつまり、そんな剣でも直撃すればガハルドに致命傷を与えると、光輝が確信していたということ。
それによって、ガハルドの機嫌は過去最高潮に悪くなっていた。最強を自負していた己が、死なないように配慮された上で簡単に倒されたのだ。それも当然だろう。
だが、それも自らの実力が足りなかったというだけのこと。
慢心していた自業自得であると、ガハルドはさらに鍛錬していく決意を固めていったのであった。