南雲ハジメは奈落から這い上がった化け物である。神殺しの魔王である。自他共に認める世界最強である。
だが——
「ハァ……ハァ……クソッ……!」
そんな彼は今、
いくつものコンクリートの瓦礫が積み重なり、どこからか発砲音と悲鳴が聞こえてくる。
太陽はとっくに沈んでおり、目の前に広がるのは一寸先の景色と真っ黒な闇だけ。時々周囲にあるネオンサインなどの光がぼんやりと照らしているが、深淵まで輝きを届かせることは叶わない。
思い出すのは、蹂躙されてしまった仲間。そして、最愛の人である金髪の少女も、既にやられてしまっていた。
閉ざされた世界の中で、南雲ハジメは必死に敵から逃げているのだ。
愛用の銃はとっくに弾切れ、残りの体力もゼロに等しい。
世界中の誰からも恐れられ、生態系の絶対的な頂点に君臨するはずの彼は、たった一人の敵に怯えて、脇目も振らずに走り続けている。
その額は汗で埋め尽くされ、浮かぶ表情は焦燥と驚愕、それに恐怖。いつもの不敵な笑みはどこへやら、悪態をつきながらも余裕は全く無い。
『ご主人様……すまぬのじゃ……』
「なっ……!? ティオ!? ティオ!!」
無線から聞こえてきた、疲れ切った仲間の声。そして、その内容は敗北を予感させるものであった。
慌ててハジメが名を叫んだものの、応答はない。
「っ! あぁああああッ!?」
直後、後方からきた爆風によって吹き飛ばされるハジメ。その爆心地は先程のティオの居た場所。
——まさか、本当に……。
不吉な予感がしたが、振り返るわけにはいかない。再び戻るわけにはいかない。
ハジメは託されたのだから。
涙を堪えながらもただひたすら進んでいると、適度に崩れかかった隠れるのに適した廃墟が見つかった。いつ崩壊するか分からないという不安はあるが、この際そのリスクは無視するべきだろう。
ハジメは意を決して、その廃墟に入り、息を殺して奥に進んだ。
なんとか形成を立て直すための武器となるような物が存在しないか、中の部屋を探索していく。
暗闇の中ではあるが、まったく見えないわけではない。手探りに、かつ慎重にまわっていく。ここで終わるわけにはいかないと、強い執念を持ちながら。
だが生憎、都合よくは見つからないようで、ほとんどの部屋に行き終えてしまった。
そして、一縷の望みをかけて最後の部屋のドアを開け——
「————ッ!!」
額に感じる、無機質に冷たい鉄の気配。それは、自らがよく使う慣れ親しんだもので……。
故に、状況の理解も早かった。〝奴〟はここに先回りして待ち伏せしており、この瞬間をずっと狙っていたのだ。そして、その目的は今完遂されようとしている。
完全に密着した状況で、自らに当てられた銃口。回避や防御は不可能だ。
——覚悟を決めるしかないのか、彼の脳裏にそんな考えがよぎった。
諦観を滲ませながら、しかし未だに整理がついていないといった様子で、ハジメは眼前の敵に問い質す。
「どうして……」
唇を強く噛みながら、魂を震わせてハジメは叫ぶ。
「どうしてだ……ミュウっ!」
そんな声に口元を歪ませる少女の名前はミュウ。そう、ハジメを追っている敵は、彼の最愛の娘であった。
ハジメの渾身の問いかけにも特に心を動かしたような様子はなく、ただひたすら冷徹な表情を覗かせるのみであった。
そこには、愛らしいみんなのマスコットは存在していない。
そして、端正な顔を愉悦に歪めながら、ミュウは引き金に置かれた人差し指を動かしていく。
「バイバイなの、パパ」
——ドパンッ
乾いた音が響き渡ると同時に、ハジメの体は崩れ落ちていく。
この至近距離からロクな抵抗をできるはずはない。ましてや武器も一切所持していない状況である。ハジメにはもう、どうすることもできなかったのだ。
此の地にて、神をも殺した最強の魔王は、その命を散らしたのであった…………。
——Game over——
「んふぅ! やったなのっ!」
飛び上がってガッツポーズをするミュウ。南雲家のプリンセスである海人族の少女ミュウは、その可愛らしい顔を綻ばせて、全力で喜んでいた。
「ふっふっふ、まだまだだね、ユエ!」
「……不覚。香織如きに負けるとは」
悔しそうに膝をつく吸血姫のユエと、胸を張って高笑いをしている香織。いつも何かと小競り合いをしている二人であり、こんな状態は日常茶飯事であった。
「ハジメくんとの話題作りのために、この手のゲームはやり込んだからね! パソコンでやるのとVRとでは勝手も違うけど、応用は効くし、私は結構強いよ?」
「私も付き合わされて上達したのよね……。結局、トータスに行くまでに一緒にゲームをやるなんて機会は訪れなかったけれど」
得意げに鼻を鳴らし、勝ち誇っている香織を見ながら、頭に手を当て溜息をつく雫。
「ぐぅ……これだからゲームは嫌いなんですぅ! 殴り合いが無いゲームなんて存在価値ないです!」
悔し紛れに叫んでいる兎人族の少女、シア。脳筋バグウサギからすれば、些か難しかったのだろうか。最初の脱落者は彼女であった。もしも勝っていたら、言っている言葉は全くの逆になっていたのであろうが。
「というか、ティオさんは何だったんですか? 途中からまったく抵抗せずに撃たれるがままになっていましたし、最後なんて自分から地雷に飛び込みましたよね?」
「……っ! ハァハァ、良かったのじゃぁ……」
無抵抗でされるがままになっていたときのことを思い出し、興奮で息を荒げている龍人族の女性ティオ。
そして、仕事大好き王女ことリリィは、そんな駄竜の姿を見てドン引きしていた。
「馬鹿な……俺が作ったゲームで為す術なく負けただとっ!?」
現実を受け止められないといった表情で呟くハジメ。ミュウにボコボコにされて一番ダメージを受けているのは、実はこの魔王様だったりする。
そして、海人族の女性レミアは、そんな南雲一家を『あらあらうふふ』と優しく見守っていた。
ここまで来れば、何が起きているのか大体わかってきたであろうが、現在彼らはハジメの新作VRFPSのテストプレイをしていたのだ。
AチームとBチームに分かれたチーム戦で、Aチームはハジメ、ユエ、シア、ティオ。Bチームはミュウ、香織、雫、リリィである。
銃撃戦が主なゲームということもあり、当初はハジメを擁するAチームが勝利するだろうと思われていたのだが、結果を見ればAは全滅、Bは全員が生存と圧倒的な大差であった。
とはいえ、敗因ははっきりしているのだが。
「……こうなったのは脳筋ウサギと変態駄竜のせい。一対一であれば香織に負けるなんてありえなかった」
ジト目でシアとティオのことを見つめるユエ。八つ当たり気味である。
「の、脳筋っ!? ひ、久しぶりにユエさんに罵倒された気がしますぅ〜!」
涙目になりながら何とか弁解しようとする、戦犯の脳筋ウサギこと、シア。そのウサ耳は力なくへたり込んでいる。
シアは隠れることもなく、連携も全て無視して、堂々と戦場の高威力のロケットランチャーを乱射していた。無防備だったため、良い的である。
本人曰く『銃弾なんか目で見てから避けられると思ったんですぅ!』とのことだ。ちなみに、このゲームではステータスが全員同じ数値になるような設定なので、そんな離れ業は不可能である。もちろん、その設定にしたのは、元々のスペックのままにした場合、冗談抜きで見てから回避ができてしまうためだ。
結果、開始一分で蜂の巣にされるという間抜けな最後を迎えてしまった。自業自得だろう。
「うぅ……こうなったら憂さ晴らしにどこかのテロリストを壊滅してやります……」
悔しげに呻くシア。
八つ当たりでテロリストが一つ、この世から消えてしまうことが決定した。やろうとしていることは一応慈善事業なのだが、潰されるテロリストが一体どんな仕打ちに遭うのか、同情に値するレベルである。テロリストさん逃げてぇ! 超逃げてぇ!
「んっ! ハァハァ……変態……ハァハァ……」
ドMドラゴンのティオは、ユエの苦言を聞いてさらに興奮を深めていた。救いようがない。
実は、ティオはシアとは違い、最初は真面目に戦っていた。ハジメの指示通りに忠実に作戦を実行していたのである。
だが——彼女は目撃してしまった。
囲まれて滅多打ちにされているシアの姿を。
その無残な姿を見て、ティオは興奮した。自分もそうなりたいと思った。
そして、実際にその欲望を叶えにいくのがティオクオリティ。
しかも、その場でただやられるという選択は取らずに、敢えて途中までまともにやり続けたのだ。そして、勝ってしまわないように適度に手を抜きつつ、最後の最後、追い詰められたところで自爆した。
すぐに倒されるよりも、頑張ったのにやられてしまったというシチュエーションの方が興奮するのではないかと考えたからだ。愚考にもほどがあるが。
なお、ユエを助けられる可能性があったのに怠けて助けないという行動をとり、終わった後でハジメに折檻してもらおうという思惑もあったようである。実のハジメは娘たちにいいようにしてやられたショックで、そんな余裕はないようだが。
ちなみにユエは香織と雫の二人がかりで倒されたので、自分に非はないと主張している。確かにそれを切り抜けるのは、ハジメでも厳しかっただろう。
「嘘だろ……この手のゲームで負けるなんて……」
未だに傷心中の魔王様。傷は深いようだ。
「ふっ、油断したパパなど敵ではない、なの」
ドヤ顔でハジメに追撃を仕掛けるミュウ。その様子は小悪魔という表現がとてもよく似合っている。
「ミュウから必死に逃げるパパ……可愛かったの……」
ミュウは恍惚とした表情でうっとりとしている。
傷口に塩どころか王水を垂れ流していくスタイルのようだ。娘から全力で逃走したという不名誉は、これからハジメにずっと付いて回ることだろう。
その所業、悪魔どころか魔王である。『魔王の子は魔王!?』と嫁〜ズは戦慄した。レミアだけは変わらず、あらあらうふふと見守っていたが。
仕事でこの場にいない愛子が今のミュウを見ていれば『こういうゲームは教育に悪いですよ! だから言ったんです!』などと苦言を呈していただろう。
——ミュウは一体どうなるんだ……。
自らの娘の将来を本気で心配し始めたハジメであった。
今話をもちまして、第一章は終了となります。
ここの表現はおかしくないか、このキャラの口調はおかしくないか、この設定は矛盾していないか、この展開は無理がないか等、気になったことがありましたら感想やメッセージなどで教えていただけると幸いです。是非とも、ご協力お願いいたします。