「ブモォォオオオオオオ!!」
ミノタウロス、健在。
紛れもない最高威力を誇る〝神威〟の直撃を食らって、それでもダメージは受けたようだが未だ戦意は衰えていない。
あり得ない、そう思わずにはいられない。限界突破を使用した状態で、詠唱も完全だったのだ。この威力であれば本物の大迷宮の魔物相手でも充分に通用したはず。だというのに、どういうことだ。
皆も驚きを隠せないようで、完全に固まってしまっている。俺達の全てをかけた一撃だったのだ。
——しかし、悪夢はそれだけでは終わらない。
「ブルモォォォオオオオオ!!」
再びの雄叫びをあげたと思った瞬間、ミノタウロスの全身を金色の魔力光が包み込んだ。その姿はまるで限界突破のよう。
そして、それと同時に威圧感の次元がさらに一段階上がった。
「固有、魔法……!?」
茫然自失という表情で呟く雫。
そういえば、まだミノタウロスは固有魔法を使用していなかったな。持っていないのかと思っていたが……。
最悪だ。限界突破なのか、それとも別のものなのかは分からないが、似たような効果を持っていると推測できる。あの圧倒的なステータスが強化されてしまったのである。
あり得ないだろう。あり得てはいけない。ここはまだ、本物の大迷宮ではないのだ。
「——ッ! 天之河くん危ないっ!」
南雲から急に飛んできた警告に、はっとして前を見てみると、俺の目前までミノタウロスの斧が迫っていた。
しまった。不味い、対応が間に合わない。
俺は、ここで終わるのか?
「光輝!!」
焦ったような響きの龍太郎の叫びが聞こえてくる。しかし、それで何かが好転するわけでもなく、無情にも斧は俺に当た——
「天之河ぁ!!」
——瞬間、俺の体は後方に突き飛ばされていた。
俺を突き飛ばしたのは、そして俺が元いた場所に今いるのは。
あのタイミングで動くことができたのは。
ミノタウロスに一切警戒されていなかったのは。
俺を庇うことができたのは。
〝暗殺者〟遠藤浩介ただ一人であった。
「浩介ぇぇえええええええ!!」
そして、必然的に。俺の元いた場所にいるということは。
斧は、浩介に向かって振り下ろされたのであった。そして、後一秒もせずに、浩介は……。
…………。
…………。
…………何を。
…………俺は、何をやっているッ!!
「〝限界突破〟!!」
神威を放った時に切れてしまっていた限界突破をかけ直す。
そして、〝裏のステータス〟を解放した。
湧き上がる力の全てを込めて、縮地を使い、浩介のいる場所へと駆けていく。
「天之……河……?」
斧が浩介にぶつかる前に、俺は救出に成功した。
とりあえず遠くまで抱えながら走ってから、俺は浩介を降ろし、ミノタウロスに向き直る。
俺が変な意地を張ったせいで、全てが終わってしまうところだった。何を勝手に覚悟を決めていたんだ、俺は?
守りきると、決めたのだろう?
今度こそ、後悔しないと決めたんだろっ!!
「モォオオオオオッ!!」
俺を脅威と判断したのか、ミノタウロスは無防備な皆よりも先に俺に向かって攻撃してきたが、余裕を持って避けた。
ミノタウロスのスピードは固有魔法により何段階も強化されているが、今の俺からすれば避けてくれと言わんばかりの絶妙な速度だ。
……待て。俺、強すぎじゃないか?
今の俺は、裏のステータスを解放して、表の限界突破を使った状態。つまり、裏の1500と表の約4500を足して6000ほどの数値のはず。
だが、それにしてはおかしい。先ほどの限界突破時でも、ミノタウロスの通常時の相手はギリギリであった。それに1500を増やしたくらいで固有魔法を使ったミノタウロスを捉え切れるか?
それは明確にあり得ない。
だとすれば、何が原因か。
恐らく、表の限界突破が裏のステータスにまで影響しているのだ。
俺は今まで、限界突破はそれぞれのステータスにしかかからないと思っていた。だが、実際には両方の限界突破が両方のステータスに作用していたのだ。
南雲を助けに崖に落ちた時、俺は両方の限界突破を使っていた。あの時に力の上昇率が〝覇潰〟使用時よりも高いと感じていたのだが、それは事実だったのだろう。
限界突破の二倍がけ、要するに俺の総合ステータスは
「〝限界突破〟!!」
裏の限界突破も使用した。今の俺のステータスは1500の二倍の六倍、つまり約18000。この数値は、かつて女魔人族に襲われた時に助けに来てくれた、あの時の南雲をも上回っている!
感じる、圧倒的なまでの力を。
今の俺であれば、この程度の相手など脅威にはなり得ない。
「ブルモォオオオオオ!!」
どこか焦りを感じさせる雄叫びをあげながら、ミノタウロスは俺に向かって斧を振り下ろした。
だが。
遅い。
この程度——避けるまでもない。
無造作に剣を振り、向かってきた斧を弾いて吹き飛ばした。予想よりもはるかに軽い感触に少し驚愕し、思わず自らの腕を見つめる。
そうか。これが、南雲たちが見ていた世界か。
……随分と、わかっていたつもりだったのだが、その認識すらも甘いと思い知らされる。
はは、それは勝てないわけだ。次元が違いすぎる。
さて、そろそろ終わりにするか。この状態もいつまで持つかわからないからな。
軽々と獲物を弾き飛ばされ、固まってしまっているミノタウロスに剣を向けた。そして、足に力を込めて、一気に踏み出す。
「うぉぉぉおおおおおおおおッ!!」
上に向かって跳躍し、ミノタウロスの首を横向きに一振り。
たったそれだけで、ミノタウロスの皮膚は簡単に裂け、首から先が弾け飛んだ。傷口からは噴水のように血が吹き出している。
だが、まだ気は抜けない。ここは大迷宮なのだ。本物ではないと舐めていたが、本来は油断など絶対に許されない超危険地帯。
ここからだって、ミノタウロスが何らかの方法で再生する可能性も十分にある。トドメを刺す必要があるだろう。
……以前の俺であればそんなことはしなかったのだろうな。だが、それでは甘いんだ。それでは何も守れない。
悪いな、ミノタウロス。俺の仲間のために、死んでくれ。
「吹き飛べっ!〝神威〟!!」
神々しい光の一閃。その輝きは、かつての神域にて放った〝神威・千変万化〟を容易く上回っていた。
ミノタウロスは一切の抵抗をせず——いや、本当はすでに息はなく、動くことがない可能性もあるのだが。
今度こそ最強魔法に包まれたミノタウロスは、一つの肉片すら残さずに消滅したのだった。
気配感知や魔力感知を使っても、俺達以外の存在は見つからない。更なる敵もいないようだ。
ふぅ、と一息ついてから、二つの限界突破を解除した。
そして、未だに呆然としている仲間達の方に向き直って、片手を突き上げた。
「勝ったぞ……皆!」
ようやく認識が追いついてきたのか、徐々に笑みを浮かべていく皆。意識が回復したらしいクラスメイトからも歓声が上がる。
「おおぉぉぉぉぉ!」
「すっげえぇぇえええええ!!」
「さすが勇者!」
まだ怪我が完全には治りきっていないのか、体の一部を引きずりながらも、笑顔になって喜び合う生徒達。よかった、俺は守れたんだな。
「よくやったな、光輝」
「メルドさん……!」
メルドさんもサムズアップしながら褒めてくれた。……少しは恩返しができただろうか。
少し涙が出そうになりながら喜んでいると——どこからか拍手の音が聞こえてきた。いや、拍手ならば普通にクラスメイト達がしているのだが、それとは異質に感じるものだ。
どこがと言われれば答えることはできないが、なんとなく感覚的にわかる。これは違う。
他の皆もその拍手に気がついたのか、一斉に音源の方向を向いた。
「よくここまでたどり着いたな。ひとまずは賞賛するとしよう」
音源——ミノタウロスを召喚した魔法陣の中心を見ると、いつのまにか黒衣の青年が立っていた。
何者だ!? さっき感知をした時には影も形もなかったぞ!?
「はじめまして……かは分からないが、私はこの迷宮を創った者だ。ああ、質問は許してほしい。これは唯の記録映像でね、会話をできるわけではないんだよ」
迷宮の製作者? まさか、解放者の一人か!? どうして……いや、百層を攻略したからなのだろうか。
周りを見ていると、皆は武器を構えて警戒しながら耳を傾けていた。どう見てもこのタイミングは怪しいからな。罠と考えるのもおかしくないだろう。
彼が恐らく敵ではないと俺は知っているが、それを伝えることはできない。何故知っているかという問いに繋がってしまうだろうからである。
それに、これが罠の可能性も残されてはいるのだ。警戒して損ということはないだろう。
「何故ここで私が出てきたか、そう思っているところかな? 何、大した理由ではない。いくつか伝えなければならないことがあっただけでね」
微笑を浮かべてから、ローブを纏った青年は言葉を続ける。
「まず、最も重要なことから言っておこうか。第百層まで見事攻略した諸君。——この迷宮は、まだ終わりではない」
……そうか、そのことを伝えに。確かに何も言われなければここで終わりだと思ってしまっていただろう。
皆は一体どういうことかとざわついている。当然だろう。幾つもの試練を乗り越えて、ようやくここまで来ることができたのだ。
「実はね、この迷宮は二百の層から成り立っている。いや、それは適切ではないな。正確にはこの第百層まである迷宮の下に、同じく百層からなる〝本物の大迷宮〟が存在するんだ」
本物の大迷宮。そう、ここまでのような温いものではない、本当に解放者の希望を託すに足る相手かを測る、難攻不落の試練。
「そして、本物の大迷宮を百層まで攻略し切った者には、神代魔法の一つを授けよう」
「神代魔法!?」
青年が放った言葉に、メルドさんが反応した。それさえあれば魔人族との戦いも大分楽になるだろう。
「だが、勘違いはしないでほしい。これは誘惑しているわけではない。本物の大迷宮は君達が攻略してきたここまでとは難易度が段違い、更には一度入れば攻略するまで外に出ることはできない」
青年は苦悩するような顔を見せて、真剣な瞳で語ってきた。表層と深層では必要な覚悟のレベルが全く違うのだ。命を落とす者の方が多いだろう。
「右方向の部屋には第七十層とつながる転移魔法陣がある。左の部屋には下への階段だ」
青年がそういうと同時に、何もなかったはずの左右の壁が崩れて通路が出現した。選択肢の提示、か。
「……この後どうするかは、本当によく考えてから決めてくれ。私からは以上だ」
そして、解放者の青年——オスカー・オルクスは現れた時と同じように、唐突に消えてしまったのだった。
あまりに突然に出来事に、皆は呆然として固まってしまっている。
……奈落、オルクスの真相にして本当の大迷宮。
かつて南雲ハジメが落ちていき、絶望した場所。そして、生き残るために魔王へとその身を変えた、悪夢の世界。
あいつに対して何もできなかった俺が挑む権利はあるのだろうか。
あいつの苦しみを知らない俺に挑む権利はあるのか?
いや、違う。これは逃げているだけだ。南雲を理由にして逃げようとしているだけだ。
認めろ。目を背けるな。
俺は、怖いんだろう?
大迷宮、俺が応えることはできなかった、神への挑戦権を得るための解放者からの試練。
前を向け、俺。ようやくここまで来たのだから。
遅れたけれど。遅すぎるかもしれないけれど。
それでも来ることができたのだから。
俺は今度こそ————