由比ヶ浜さんから微妙に距離を取りながら、彼女の隣に付いて歩く。いえ、正確には由比ヶ浜さんではなく彼女の連れている犬からなのだけれども。
比企谷君には得意では無いだけと強がったしまったのだけれど、本当は近づくだけでも抵抗がある。由比ヶ浜さんのペットのサブレは確かに人懐っこい無害な犬と言う事は理屈では分かっているのだけれども、どうしても犬に対する苦手意識から距離を取ろうとしてしまう。
……由比ヶ浜さんと一緒に比企谷君を支えて彼女の家まで歩いた時は、すぐ傍まで来ていても気にならなかったのだけれど……いえ、あの時は別のことで頭がいっぱいいっぱいになっていたから……べ、別に大したことは無かったのだけれども。
「も~、ゆきのん、そんなに警戒しなくてもいいのに」
「な、何の事かしら?私が一体何の警戒をする必要があると言うの?」
私が強がってそう答えると、彼女は困ったように眉を下げて苦笑した。
「サブレは無暗に人に吠えたりしないよー。ちゃんと躾けてるから」
「……その割には、あの時は暴走していたみたいなのだけれど」
「う……ごめんなさい」
私が思わず漏らした言葉に、途端に彼女は顔を曇らせてシュンとうなだれる。失敗したわ、非難するつもりなんてなかったのに、嫌味な言い方になってしまったわね。
「ごめんなさい。嫌味な言い方になってしまったわね。あなたを責めるつもりはなかったの」
「ううん、あれは私が悪かったから。……その、ちょっと悩んでいることがあって、ついリードを持つ手が緩んじゃって……ええと……」
由比ヶ浜さんの声が尻すぼみにどんどん小さくなる。……悩みを思い出させてしまったのかもしれない。
「あなたに謝られる理由はないわ。だから、そのくらいにしておきなさい」
「……うん、ごめんね」
少しキツイ言い方になってしまったせいか、由比ヶ浜さんがまた謝罪してきた。少し気まずい空気が流れる。……どう答えれば良かったのかしら?貴族の礼儀作法ばかり身に付けていても、こんな時にどんな風に声を掛ければいいのかさえ分からない自分の不甲斐なさが歯がゆく思える。
が、私が何て声を掛ければいいのか、その答えを得るまでもなく、由比ヶ浜さんは一度頷いた後、笑顔に変わって言った。
「折角の散歩にこんな空気はダメだよね。そうだ!あたし、ゆきのんに聞きたいことがあったんだけど」
「何かしら?」
彼女の方から話を振ってくれたことにほっとしつつ、私は訊き返した。……もしかしたら、由比ヶ浜さんは私が返答に困っていることを察して話を振ってくれたのかもしれない。まだ知り合ってから一日しか経っていないのだけど、彼女は心根の優しい周囲に気を遣える人物だと言うことは何となく感じていた。
「ゆきのんとヒッキーっていつから一緒に旅してるの?」
「そうね。まだ知り合ってから2週間くらいしか経ってないわ」
「えっ!?凄い最近だしっ!?」
由比ヶ浜さんが驚きの声を上げた。……言われてみれば、まだ2週間しか経ってないのよね。
「そうなんだー……なんだか、凄い息合ってたし、もっと前から知り合いだと思ってた」
……他人から見ると、そんな風に見えるのかしら。そうね、その……悪い気分ではないわね。
「じゃ、じゃあ……」
由比ヶ浜さんはそう言うと、少し俯いてチラリとこちらの顔色を窺うように視線を向けてきた。
「その、ヒッキーとはどんな関係なのかなー……なんて」
……なんでそんなことを聞きたがるのかしら。少しモヤモヤするわね。別にいいのだけれど。
「ただの旅の仲間ね」
旅を始めたころと比べれば、それなりに親密になっているとは思うのだけど、私と比企谷君の関係を表す言葉としてはこのくらいしかない。
「『ただの』?」
「……ええ」
「そっかー……そうなんだー……」
私の返事を聞いた由比ヶ浜さんは、少し嬉しそうにはにかんで小さく呟いていた。……彼女がどう思うのかは勝手なのだけれど、やはりモヤモヤするわね。何故かしら?
「ねっ、ゆきのんはヒッキーのこと、どう思う?」
「え?そ、そうね。何て言えばいいのかしら……」
不意に訊かれて少し焦る。比企谷君のこと……確かに、彼との軽口の叩き合いは楽しいし、彼との旅も以前屋敷に籠っていた頃とは比較にならないほど充実している。でも、比企谷君をどう思うかとなると、それは明確な言葉に表すことは困難だった。
「ヒッキーって、カッコいいよね」
が、私がはっきりと答える前に、由比ヶ浜さんの方から話してきた。助かりはしたけど、元々自分から語りたかったのかもしれない。
「あたしがうっかりしたせいで、サブレを放しちゃって……サブレが馬車に轢かれそうになって……あの時、もう駄目だと思った」
由比ヶ浜さんはその時のことを思い出したのか、少し沈んだ声で言った。しかし、すぐに顔を輝かせた。
「でも、ヒッキーが助けてくれた」
興奮したように顔を上気させて、子供の様に憧れに目を輝かせて彼女は続ける。
「聞いたら、新しい勇者様なんだって!あたし、勇者様に会えるなんて思ってなかったから、凄い興奮したっ!」
(ああ、そう言うことなの……)
私はその言葉で、急に冷めたような感覚になった。
ロマリアでの勇者オルテガの活躍は、下手をしたらアリアハンのそれを上回っているかもしれないくらいに有名だと聞いている。葉山自由騎士団に憧れて騎士を目指す者が多いことで強さに憧れる傾向が強いことも一因だろうが、実際にロマリアでの勇者オルテガの功績は計り知れない。彼の活躍が無ければガザーブ地方とノアニール地方は魔物によって滅ぼされていたと言われている程だ。
だから、由比ヶ浜さんが勇者に会えたことで、ちょっとした有名人に会ったように興奮したことも無理はないと思う。……彼は、その事実をどう思うだろうか?
「やっぱり、勇者様って凄いね!」
「やめなさい」
思ったよりも、強い語気で言葉が漏れて出た。由比ヶ浜さんが驚いたようにこちらを見る。私の声が強かったせいか、彼女の顔には怯えが浮かんでいる。他の事なら、単純に勇者に憧れているだけなら見過ごすことも出来た。だけど、今の言葉は許せなかった。
「比企谷君が凄いのは勇者だからでは無いわ。彼がその力を身に付けるべく、努力をした結果よ」
私も以前同じ過ちを犯している。凄いのは勇者だからではない、その力を身に付けるべく鍛錬をしたことが凄いのだ。そんな当たり前のことを、私は迂闊にも失念してしまっていた。それを他ならぬ彼が教えてくれた。『出来損ない』『偽物』と呼ばれる彼が。
「え?」
ショックを受けた……と言うよりは状況を理解できていない様子で聞き返す彼女に苛立ちを覚える。いえ、彼女は悪くないことは分かっている。世間のイメージでは、勇者だから凄いと言うことは間違ってはいない。だけど……
この先を比企谷君に黙って由比ヶ浜さんに言っていいものか一瞬悩み――しかし、何も知らない彼女が比企谷君に迂闊なことを言って彼を傷つけることが無いように、私は彼のことを教えることにした。
「アリアハンには、もう一人勇者がいるわ」
「え?……でも、ヒッキーは……」
うろたえる様に訊き返す彼女に、ようやく私は心を落ち着けて、しかし冷たい声で言った。
「ええ、彼もアリアハンから正式に勇者認定を受けている勇者よ。でも、彼はアリアハンではこう呼ばれていたわ。『出来損ない勇者』『偽物勇者』と」
「え……」
今度こそ、彼女はショックを受けた様に絶句した。今の言葉を聞いて、自分がいかに無神経なことを言ってしまったのか理解したのだろう。
「彼には魔法を使う才能が無いのよ。アリアハンには魔法の権威主義が根強く残っていることもあるのだけれども、強力な魔法さえも使いこなした勇者オルテガの息子が魔法を使えないと言う事実は、周囲を落胆させるのに十分だったわ。勇者オルテガの遺言で、彼の子が勇者になると言われていた分だけ、余計にね」
魔法などただのスキルにしかない。それなのに馬鹿な話だと思う。一方で周囲の反応が仕方の無いものとも理解できてしまう。勇者は、賢者でも使えない雷の魔法を使える唯一の存在と言われている。だが、魔法が使えない比企谷君では、必然雷の魔法を使うことはできない――だから、勇者として認められないと言う理屈は分からない話ではない。
「その反動か、周囲は彼を徹底して軽んじたわ。出来損ないと馬鹿にして、偽物勇者と揶揄して、彼のことを認めなかった。彼の妹が魔法を使えて、本物の勇者として認められたこともそれを加速させたわ」
「そんな……酷い……」
「そんな境遇でも、彼は諦めなかった。自分を鍛えて、今の強さを身に付けた。それは、勇者だからでは決してないわ」
屋敷に閉じ込められていた私でも出来損ない勇者の話は耳にしていた。それくらい、彼は悪い意味で有名だった。
「……」
「由比ヶ浜さん、あなた、私に先ほど聞いたわよね。比企谷君のことをどう思っているのかと。正直、私自身も良く分かっていない所はあるのだけれど、一つだけはっきりと言えることがあるわ。私は、彼を尊敬している。酷い境遇にあって、なお自分を磨き続けて今に至った彼の強さを」
彼がどれほどの努力をしてきたのか私は知らない。だけど、それは勇者だからの言葉で片づけていいものでは決してない。
しばらく沈黙が周囲を包む。由比ヶ浜さんは黙って俯いたままだ。
……言い過ぎだとは思わない。だけど、彼女と良好な関係を気付くのは難しくなったかもしれないわね。
「ゆきのん」
「……何かしら?」
そんなことを考えていると、由比ヶ浜さんは不意に顔を上げてまた声を掛けてきた。このままずっと会話がないことも覚悟していたので、内心驚きを覚えながら聞き返す。
「ありがとう、ヒッキーのこと教えてくれて」
「え?」
由比ヶ浜さんは、どこか晴れやかな顔をしていた。まるで、先ほどの落ち込みが嘘だったかのように。
「あたしが間違ってた。そうだよね、勇者だから凄いんじゃない……才能があるから凄いんじゃなくて、それが出来るようになったヒッキーが凄いんだよね」
由比ヶ浜さんは、何かを決意したような顔で、まるで自分自身に言い聞かせるように呟いた。と、思ったら、また笑顔になってこちらに話しかけてきた。
「ね、ゆきのん、もっと色んな話聞かせてよ。ほら、ここまで旅してきたこととか」
「え、ええ……それは構わないのだけれども、別にそんなに面白い話は……」
「それでもいいから、ね?」
「はぁ……分かったから、少し離れてちょうだい」
いつの間にか詰め寄って来ていた彼女を放しながら、嘆息して承諾する。
私は、私の家の事情とか詳しい話を省いて、彼女に旅立ちの経緯から簡単に話した。
由比ヶ浜さんは私の拙い話を、時折相槌を打ちながら楽しそうにニコニコと聞いていた。
気が付いたら、彼女のペットの犬が近くに居ることはあまり気にならなくなっていた。
*****
散歩を終えたあたしは、サブレを小屋に戻しながら、ゆきのんに言われたことを思い出していた。
『比企谷君が凄いのは勇者だからでは無いわ。彼がその力を身に付けるべく、努力をした結果よ』
あたしは、いつの間にか自分に言い訳していたのだと思う。優秀で、2年前にダーマへと留学した友達と比較して、自分が弱いのは仕方ないのだと思っていた。
(優美子、姫菜、隼人君、今頃どうしているかな……)
当時、あたしは優美子に引っ張られるように、隼人君のグループに入っていた。
ハヤマ自由騎士団の跡取りで、成績もとっても優秀だった隼人君のグループに、平凡だったあたしが居たのは自分でも不思議だったけど。隼人君はとっても人気があって周囲の子が騒いでたっけ。あたしは優美子の気持ちを知ってたから何とも思わなかったけど。
隼人君は魔法も武術もトップで、優美子もその次くらいに凄くて、姫菜も魔法の成績がとってもよくて……だから、3人のダーマ留学が決まった時はちょっとは驚いたけど当然だと思ったし、優美子に「結衣もどう?」って声を掛けられたけどあたしじゃ無理だって断った。
あたしは、3人ほど才能が無いって思っていたから。でも、そんなこと言える程、あたしは努力してたのかな?
(もっと頑張ってたら、変わってたのかな……)
そしたら、今のような状況にはならなかったのかも――
ヒッキーは、出来損ないの勇者って呼ばれていたのに、あんな――多分、隼人君でも間に合わないような状況でサブレを救えるくらいに、強くなったんだ。あたしも、そんな風に強くなりたい。
(もっとヒッキーとゆきのんのことが分かったら、あたしも何か分かるのかな?)
もともと、同年代の二人と仲良くしたいって思ってたけど、それ以上に二人のことを知りたいって思うようになっていた。
由比ヶ浜の問題は強くなるための努力とは別次元の所にあったりします。
実のところ、由比ヶ浜自身は結構非凡な才能の持ち主で、三浦はそれを理解していたからダーマに誘いました。
次回は今回の様に挿話…と言うか番外編みたいな話になります。