ナジミの塔を発って3日後、俺と雪乃はレーベまでやってきていた。
町並み自体はアリアハンの方が高い建物が多く密集しているため発展しているが、地域の規模は圧倒的にレーベの方が大きい。アリアハンもそれなりに農業が盛んだが、レーベではそれに加えて酪農・畜産も盛んで主に山羊・馬・羊などを飼育している。高地では綿花の栽培も行っており、羊毛と合わせて織物などが主な特産品で、川の方で染料もやるため、そちらの方が人口が多く発展している。しかし、メインの街道から離れているため、今俺たちがいるのは旅人・交易用の宿場町である。
アリアハンとの主な物資のやり取りは、アリアハンからは塩、ワインなどが入り、レーベからは肉類、衣類などを送っており、物資のやり取りは頻繁に行われているが、アリアハンが閉鎖されて以降旅の目的で訪れる人は随分と減った。
以上、ユキペディアさんからの解説でした。こいつ、本当こう言う教養は無駄に高い。
まあ、そんなことは旅をする上ではあまり関係ないことだが。
「とりあえず、宿を取らないとな」
街に付いた俺たちは、最初に宿屋に向かっていた。まだ太陽が真上に来た程度の時間だから実際に泊まるのは随分先になるが、先に宿の確保をしておくのは基本中の基本だ。
「ずっとアリアハンから出たことが無かったから、宿を使うのは初めてね。あなたは?」
「一応、一度だけあるな。基本的に俺もずっとアリアハンに居たから、それだけだけど」
それこそ、毎日のように訓練していたから、長期間街を離れることができなかった。したくても平塚先生が許してくれなかったまである。あの頃は小町のためと念仏のように唱えながら街日訓練所に通っていたからな……あれ、俺まじめ過ぎじゃね?
「……それは、もしかしてこの前言っていた盗賊訓練所の同期の子と一緒だったのかしら」
「お前エスパーかよ。よく分かったな」
なぜか俺を睨みつけるように視線を険しくして訊いてくる雪乃に、俺は驚きながら応える。そら、川崎とは頻繁に組んでいたとは言ったが、それだけで察するとは。つか、何で睨んでくるの?ビビっちゃうだろ。
「別に、簡単な推理よ。あなたの様な目の腐っている人と組んでくれる人なんて早々居はしないわ」
酷い推理だった。いや、間違ってはいないが。
「ま、俺のボッチ力はそう易々と人を近づけさせないからな。むしろ同じ部屋に居ても気付かれないまである」
最初に盗賊訓練所の教官がペアを作って野外訓練すると言った時は、個人的にかなり修羅場だった。すぐあとでペアは指定されたから問題無かったけどな。
「……どうしてそんなことを自慢げに語れるのかしら?」
頭痛でもするかのように額に手を当てる雪乃。人に迷惑かけずに自分でやれることをきっちりやるとか最高だろ。……まあ、出来損ない勇者の俺相手に関わりたいと思う奴なんてそうは居なかったが。
……そう考えると、川崎は最初にペア組まされた時から、俺を特別厭っては居なかったな。まあ、最初はペアじゃなくて一人組が二つって感じだったが。俺はもちろん川崎も単独行動を好んでたから当然だけど。
「付け加えるなら、あなたは『基本的にアリアハンに居た』と言ったわよね?なら、アリアハンを出る時はどんな時なのかと考えた結果、あなたが言っていた野外訓練に思い至ったことくらいね」
「むしろそっちがメインだろ。最初の推理いらなかっただろ」
まあでも、納得した。俺くらいぼっちなら、普通なら一人で泊まったと真っ先に考える筈だ。それなのに誰かと一緒だったなどと聞いてくるとしたら、先に誰かと一緒と言う状況を想定していないと無理だろう。
「それで、その人と泊まった時は、どうしたのかしら?」
「普通に二人部屋に泊まったよ。レーベに付いたのが夜中で後は寝るだけだったから、選んでる余裕もなかったしな」
レーベまでは旅慣れた冒険者の足で片道3日はかかる。そしてその時の野外訓練は3日間しかなかった。一日でレーベに行き、一泊して半日ほどレーベを見て回って残りの一日と半分でアリアハンに帰還すると言うかなり強行軍な日程だった。一日でレーベに行くのが特にきつかったな……通常の三倍の速さで進むとか無理すぎだろ、赤く塗った乗り物が欲しいレベル。
そんなだから、レーベの宿に付いた時には俺と川崎は疲れ果てており、部屋を選んでいる余裕はなく『空いている一番安い二人部屋一つ』と言って宿泊料金も確認せずに部屋を取り速攻眠りに落ちた。
「……その、やはり、冒険者となると、こういう時は同じ部屋に泊まるのが普通なのかしら?」
「まあ、野営では一緒に寝てるからな。宿だけ取り繕っても仕方ねえだろ」
これが知り合いや友人とかと観光の旅なら別々の部屋を取るのが普通かもしれんが、根なし草の冒険者に基本的にそんな余裕はない。
「……とは言え、モンスターの見張りとか必要ねえし、お前が一人部屋の方が良いって言うなら構わねえけど?」
雪乃が持っていたお金はかなりのもので(確認したら、ほとんどは陽乃さんに無理やり渡されたものらしい。シスコンすぎだろ、あの人)、一人部屋を取るくらいの余裕はある。もったいないの意識が無いでもないが、雪乃が持っていたお金がほとんどなのだし、そのくらいは構わないだろ。一人部屋になったらなったで、久しぶりに一人の時間を満喫できるしな。あれだ。ぼっちにはぼっちの時間が必要なんだよ。一週間近く常に傍に人がいるとか、もうちょっとした拷問レベル。
「私は…………早く慣れるためにも、二人部屋を取った方が良いと思うわ」
雪乃はかなり長い沈黙の後で、その上躊躇うように少し顔を背けながら、そう言った。そこまで葛藤するようなことなら別に無理せんでも。……もしかしたら、川崎がそうだったからって張り合っているのかもな。こいつ何気に意地っ張りだし。
「まあ、そう言うんならそれでいいけどな」
雪乃の言い分も間違ってはいないんで、少しばかり一人部屋の未練を隠しつつ頷いておいた。どうせ一晩使うだけだし、特に気にするようなことでもない。
それから間もなく宿に付き、一番安い二人部屋(以前川崎と泊まったのと同じ部屋だ)を取って次の目的地に向かった。
宿で部屋を取った後、次は道具屋にやって来ていた。雪乃が仲間になったことで、装備や道具で不足したものを買い足しに来たのだ。と言っても、大したものを買ったわけではないが。
「雪乃、靴のサイズは大丈夫か?」
「ええ。ところで、このひのきの棒は何に使うのかしら?」
「魔物が近づいてきたら、それ振り回して抵抗しろ。後は杖変わりだな」
「……武器を使った経験なんて無いのだけれど」
「別にそれを使って攻撃しろって訳じゃなくて、近づかれない様に抵抗するだけでいい。武器で敵を倒すのは俺の仕事だ」
雪乃に買い与えたのは、旅人用の革靴と、旅人の服と、ひのきの棒だ。必要なものは事前に分かっていたからすぐに済んだ。
一応、雪乃なりに旅に出る準備は考えており、彼女が普段の短い外出で使うようなヒールのある靴は旅に向かないことくらいは分かっていたから、勝手に家にあった頑丈そうな靴を履いてきたと言っていた。なので、当然のようにサイズが合っていない。ヒールの靴よりは百倍マシだから雪乃の選択は間違っていなかったが、さすがにちゃんとサイズの合うものに買い替える必要があった(これまでの旅の間は靴の隙間に布をつめて誤魔化していた)。
雪乃がローブの下に着ていた服に関しては、これも彼女なりに持っていた服から一番布地が丈夫なものを選んできたそうだが、貴族の服らしくレースなどがあしらってあるので悪いとは言わないが旅に向かないことこの上ない。その理由で旅人の服に変えてもらった。で、ひのきの棒は前述したとおりだ。
なお、ここでの杖は魔法を使うための武器のことではなく、歩く時の補助の道具のことだ。実際、歩き慣れてないと杖があるとないのとでは大違いなので、雪乃には今までの旅の間にもそこらへんの木の枝を切って簡単な杖を作って渡していた。ただ枝を切って簡易的に作った杖では長持ちしないため、ここまでの間に一度作り直している。ひのきの棒なら丈夫だし、腐らないように釉薬を塗ってあるから、ちょっとやそっとで悪くなったりしないから安心だしな。
後は雪乃用の旅の用品を買い揃えて、数日分の携帯保存食を買って終わりである。
因みに、雪乃が最初から装備していたフード付きのローブはそのまま使用することにした。これは雪乃が家を出る時に陽乃さんから『そのフード被って顔を隠しておくように』と言われて受け取ったものだ。試しに鑑定してもらったところ、魔法がエンチャントされた滅茶苦茶高級品のローブであることが判明した。レベル1の冒険者に持たせるような装備じゃないだろ、それ。お金の件と言い、陽乃さん妹に甘すぎだろ。いや、助かったけども。
これで、今夜の宿を決め、必要な買い物も済ませ、町での用事は一通り済ませた。
それから、ようやく俺達はレーベに来た本命である『魔法の玉』を持つ糞オヤジ――勇者オルテガの知己の老魔法使いに会うべく、老人が住む町外れの一軒家に向かった。
*****
必要な物を買い揃えて、一番の目的である老魔法使いの元に向かうために、比企谷君の後に付いていく。
これは予想通りなのだが、彼は迷いのない足取りで目的地に向かって歩いていた。
初めて訪れる場所で、これほど迷うことなく目的地に向かって歩けるだろうか?旅の道すがら、彼の方向感覚が非常に優れていることは理解していたが、仮に初めて向かう場所であったのなら一度くらい地図や住所の確認はしただろう。
つまり、彼は一度老魔法使いの家に行ったことが――少なくとも、家の場所を確認したことがあると推測できる。
宿屋に行く道中でした会話から察せられる限りでは、例の盗賊訓練所の野外訓練で訪れた時で間違いないだろう。つまり、盗賊訓練所の同期の女性と一緒に来たのだろう。
(……それが、一体何だと言うのかしらね)
内心で自嘲する。つまらないことを意識している、そんな自覚はある。
だけど、今までの話とレーベでの話を聞くだけで、色々と浮かび上がることはある。
話の節々から察するに、野外訓練の期間はそんなに長くなかった筈だ。そして、野外訓練でナジミの塔に行ったことがある、などの言葉から察するにかなり自由行動を許されていたのだろう。
なら、レーベに行くと判断したのは、比企谷君と盗賊訓練所の同期の彼女――一体どちらの提案だったのだろうか?これは推測ではなく想像になってしまうが、オルテガの知人のナジミの老人に会う、レーベにいるオルテガの知人の老魔法使いに会う。どちらもオルテガ絡みだ。だとしたら比企谷君が提案したのではないだろうか?
つまり、自由行動が許されている野外訓練で、比企谷君は自分とかかわりのある場所に盗賊の同期の女性を連れて行くと言う判断をしたのだ。ナジミの塔も片道3日掛かったし、レーベの村もそこから3日掛かっている。私の足が旅慣れていないこともその理由にはあっただろうが――それでも、短い期間では結構な強行軍だっただろう。それを、当時比企谷君と組んでいた彼女は受け入れていたと言うことになる。
旅の目的の場所に事前に連れて行き、それが多少無理のある日程になっても相手も同意している――ここから考えられることは、比企谷君は自分が旅に出る時は彼女を連れて行くつもりがあり、彼女もそれに付いていくつもりがあっただろうと言う事だ。ナジミの塔で直接確認した時に、比企谷君が言い淀んでいたことからも察していたが、ここで話を聞いてその考えは強くなった。
そのことを考えると不思議と胸がざわつく。もし、本物の勇者である小町さんのことが無くて、彼女が仲間になっていた時、そこに私の居場所はあっただろうか?いや、今の状況でも、隣にいるのが本来のパートナーである彼女ではなくて、失望されていないだろうか?
……倒れた時に、比企谷君は私を認めていると言ってくれた。その事は本当に嬉しかったし、その……つい、らしくもないことを言ってしまったりもしたのだけど、それでも、時折見え隠れする彼女の存在が私を焦燥に駆り立てる。
今の生活は、結構気に入っている。旅はキツイし、比企谷君に頼りっぱなしなのも心苦しいのだけど、それでも雪ノ下家の屋敷でお人形のように暮らしていた時と比べるととても充実しているし、彼との軽口の言い合いの会話も楽しい。そして、たまに感じられる彼の不器用なやさしさに触れると、胸が温かくなる。
だからこそ、それを失いたくないと思う。だけど、それを彼女の影が不安にさせる。昔から比企谷君のそばに居て、比企谷君からも頼られている節のある彼女の影が。
(……って、駄目ね。本当に、何を弱気になっているのかしら)
私が何もできない未熟者なことは私が一番知っている。だからこそ、変えたいと思ったのだ。
小さく頭を振って思考を切り替える。今から会う予定の老魔法使いは、ナジミの賢者様の兄と言う話だ。魔法の契約をさせてもらうよう頼む必要もあるのだし、思考に耽って失礼な態度を取る訳にはいかない。
「なんかあったのか?」
不意に、先を歩いている比企谷君が振り返ってそんなことを聞いてきた。私の様子がおかしいことに気付いたのだろうか?
「いえ、何でもないわ」
「……なら、いいけどよ」
私は、明確な答えのない漠然とした不安のような感情を押し殺し、平静を装って答えた。
しばらく経った後に、私はその感情の答えを知ることになる。
――自分が以前比企谷君の傍にいた相手と比べて、彼の役に立っているのだろうかと言う焦り。
――比企谷君の望んでいた相手は私ではなく、その彼女のではなかっただろうかと言う不安。
それは、ただの嫉妬と呼ばれるような感情だった。