八幡の強さに関しては、平塚先生と訓練している姿を見て気付いている騎士も数名いるのですが、散々馬鹿にしてきた手前素直に認められず、表向きは魔法の使えない出来損ないと馬鹿にされています。
アリアハンは魔法権威主義の国なので、素直に認められる者が居たとしてそこは変わらないのですが。
(ま、もう少し付き合ってやるか)
…などと迂闊にこいつの話に付き合ってやろうと思ったことを少し後悔していた。
いや、あの後流れで『私の事情を話したのだから、今度はあなたのことを聞かせてもらえないかしら?』とか言って来たので軽く俺の信条なんかを語ってやったところ、グサグサと胸を抉る様な言葉のナイフを突きつけられた。
『随分と自堕落な考え方ね、引きこもり谷君』
『どこまで妹が好きなのかしら、率直に言って気持ち悪いのだけれども』
『そう……それでそのような腐った死体のような濁った目になったのね。親御さんに同情するわ』
など好き放題言われた。こいつ、容赦ねえ……あれ?俺頼みを聞いてやった側だと思うんだけど。いや、それを笠に着せるつもりは無いけどな。くそ、働きたくないとか、全部天使小町のためだとか常識を少しばかり語ってやっただけなのに、どうしてこうなった。やはり俺に仲間がいるのは間違っている。
(――まあでも、それだけ達者に喋られるなら、もう体力は回復してるよな)
俺としては雪乃の目的を聞きたかっただけだし、大いに懸念材料となっている雪乃の体力も十分回復しただろう。そろそろ出発した方がいいな。いや、そう言えばまだ聞いていないことが――
不意に気配を感じ、そちらに視線を移す。やや離れたところからこちらに向かってきている大ガラス1体とスライム2匹の姿が見えた。どちらもアリアハン周辺に出没する雑魚モンスターだ。
(丁度いいな)
狙っていたと言うと言いすぎだが、望んでいた事態ではある。雪乃の能力を見るのなら、やはり実際に見るのが一番手っ取り早い。
「……?比企谷君、どうしたのかしら?」
「ああ、モンスターだ」
「え?」
驚いて俺の視線の先を見る雪乃。見た瞬間、若干不安そうだった眼差しが、少し拍子抜けしたようなものに変わった。
「……あれが、モンスターなの?その、ゼリーみたいなものは確かによくわからない生き物だけど、もう一方は鳥にしか見えないのだけれども」
「スライムと大ガラスな。まあ、動物型のモンスターなんて珍しいもんじゃないぞ」
適当に答えて立ち上がり、戦闘にそなえて剣を抜く。素手でも十分なくらいな相手だが、武器があるのにわざわざ素手で戦うこともないだろう。
「ほら、お前も立て」
その言葉に雪乃も立ち上がろうとして……途中でふら付いてまた腰を落としてしまった。立ちくらみの様子はないし、足に疲労が溜まっていたのだろう。
「手、貸すか?」
「結構よ」
雪乃は俺の言葉を一言で拒絶すると、背を預けていた木に手を置いて足を震わせながら何とか立ち上がった。…甘えないことはいいことだな。
まだモンスターとの距離は十分ある。こちらが先制を仕掛けられるだろう。その前に――
「雪乃、お前、あいつらを倒せるか?」
「……一体だけなら、多分何とかなるわ」
なんとも頼りない返答どーも。大方、実戦経験はないが、攻撃する手段はあると言う事だろう。雪乃は明らかに肉弾戦のタイプじゃないから、攻撃魔法で間違いないな。
「お前は右端にいるスライムを倒せ。残りは俺が始末する」
「分かっ――」
雪乃の返答を聞き終える前に、俺は魔物に飛び掛かって行った。――さて、一瞬で終わらせるか。
*****
「分かっ――」
私が答え終わるよりも早く、比企谷君は動いていた。タンッと地を蹴る音がしたと思ったら、もう大ガラスの目の前まで肉薄している。
(え?まだ10メートル近く離れていたはずなのに)
それだけの距離をほとんど一瞬の間に詰めていた。私には視界の端に彼の影が通ったように見えただけだった。
まだ驚きの覚めぬ私の前で、比企谷君は手にした剣で大ガラスの首を跳ね飛ばしていた。そして、スライムの方に視線を移し――
「なっ…!」
今度こそ、私は驚愕に思わず声を上げてしまった。比企谷君がスライムに視線を向けた瞬間に、スライムがまるで風船が割れるように弾け飛んだからだ。
(魔法?…いえ、比企谷君は魔法が使えないはずだからそれはあり得ないわ)
落ち着いてもう一度見直すと、スライムが居た場所の地面にナイフが突き刺さっているのを発見した。そして、比企谷君の武器をもっていない左手が、腰くらいの高さでスライムが居た場所に向けて伸びていた。中途半端に開かれた手は、何かを放した直後のように見える。
(もしかして、ナイフを投げつけたの?)
私には全然見えなかったが、状況からして何処かに身に付けていたナイフを目にも留まらぬ速さで投げつけたのだろう。
(これが、『出来損ない』と呼ばれている勇者の力――?)
私の目には十分に人並み外れた力を持っているように見えた。それとも、私が世間を知らないからそう思うだけで、鍛えている人は皆彼くらいの動きができるのだろうか?……いや、そんな筈はない。雪ノ下家の騎士に、彼ほどの動きが出来る者など見たことが無い。
思わず呆然と比企谷君を見つめてしまう。見つめながら、私の胸に重く苦いものが去来したのを感じた。
私は、何も力を持っていない私は、勝手に出来損ないと呼ばれる彼の境遇に共感を感じていた。出来損ないと呼ばれ、世間から白い眼を向けられてきた彼を、自分のように不自由を強いられてきた人間なのだと勝手に思い込んでしまっていた。だが、それは間違っていた。何もさせてもらえなかった――して来なかった私が、出来損ないと呼ばれ、それでも鍛え続けてきた彼を解かった気になって良い筈が無かったのだ。
あまつさえ、侮られない様にと虚勢を張って、あんな罵倒まで――
「おいっ、雪ノ下!お前の番だぞ」
彼の言葉に我に返る。そうだ。私は一体だけなら何とかなると自分で言った。それは果たさなければならない。
(――私は、世界を変えるのだから)
それが正しいことかまだ私には分からないけど、それでも、比企谷君に付いていけば、何かが分かるように思える。先ほどの比企谷君の強さを見て、私は改めてそれを意識した。
そのためには、彼に力を見せる必要がある。力を見せる――そんな目的で魔法を使うのは初めてだ。
私は体を支えていた手を木から放し、残った一体のスライムに向けて、両掌を並べて突き出した。
雪ノ下家に魔法の勉強を禁止されて以来久しく使っていなかった魔法を思い浮かべ、手のひらに魔力を集中させる。手のひらに熱が集まってくるのを感じ――
(モンスターを……生き物を殺すのはこれが初めてね)
僅かな躊躇を押し殺して、私はそれを解き放った。
「メラ!」
火の玉がスライムに飛んでいき、その小さな体躯を飲み込んだ。
*****
雪乃が使ったものは予想通り攻撃魔法だった。メラの炎に焼かれたスライムは、蒸発して消えていった。
それを確認してから、投げたナイフを回収して雪乃の元に戻る。
(メラなら魔法使いだな。正直助かる)
別に僧侶がダメと言う訳ではないが、自分的には魔法使いと僧侶では魔法使いの方が嬉しいとは思っていた。いや、火(メラ)と水(ヒャド)が手軽に調達できるって旅の負担がかなり楽になるしね。俺の中で雪乃の役割が野営時の火熾し登板と決まった瞬間だった。
雪乃はまだ構えた姿勢のまま、スライムが居た場所を睨んでいた。まあ、こいつの育ちからしてモンスターを殺したのは初めてだろう。何かしら思うことがあっても仕方がない。
「お前、魔法使いだったんだな」
俺の言葉に気が抜けたのか、雪乃は力を抜いてすぐそばの木の幹にもたれかかり、小さく首を振って否定した。
「いえ、私は賢者よ。ホイミも使えるわ」
「……マジか?」
「私は、嘘は嫌いよ。疑うのかしら」
「ぶっちゃけ、信じられんってのが本音だ」
雪乃の言葉に、俺は正直に頷いた。
賢者とは魔法使いと僧侶の魔法をどちらも使える存在で、一定の修行を収めた魔法使いか僧侶が悟りを開くことによってなれるものだ。と言う事は、それだけの修練を積んでいないといけないのだが――雪乃の話を聞く限り、そんな余裕があったとは思えない。
「で、使える魔法は?」
「………メラとホイミだけよ」
「は?」
思わず聞き返してしまう。いや、だって魔法使いか僧侶、どっちかある程度修練積んでないとなれないのに、メラとホイミしか使えないなんてことある筈がない。いや、伝説には遊び人を極めたものが賢者になったという話を聞いたことがあるが、まさか…
「その不快な視線はやめてもらえないかしら?」
「いや、何でもない、悪い。だが、さすがに信じられないな」
遊び人を極めることは魔法をある程度修練するよりも遥かに困難だから、さすがに有り得ないだろう。と言うか、転職と言う手段を使っていたら、雪乃の境遇では賢者になれる筈がない。
「そうね、あなたがMに目覚めて自傷行為に及べば治してあげるわよ。と言ってもホイミだから、あまり大きな怪我は無理なのだけれども」
「いや、さすがにそんな趣味はねえから。と言うか、それなら自分の体力を回復させればいいだろ」
雪乃の顔にはまだ疲労の影が色濃く残っている。そんなに疲れてるならそっちをホイミで癒した方が魔力の無駄にならないから当然の提案だろう。が、
「え?」
「え?」
雪乃が心底意外そうに聞き返してきたので、俺も思わず聞き返してしまう。
「ホイミって……体力も回復できるの?」
「当たり前だろ、何で使える奴が知らないんだよ」
「そう、そうだったの……確かに、傷を治してすぐに動けるということは、傷によって消耗している体力も回復しているのよね……私の読んだ本でも……」
俺の指摘の言葉に、しかし雪乃は言い返すこともなく、ぶつぶつと呟いて考え込んだ。そして、
「ホイミ」
いきなり自分に向かってホイミを掛けた。傷がふさがるなど解りやすい変化はないが、彼女の表情から疲労の色がいくらか薄れている。
「……本当に楽になったわ。そういう認識であってるのね」
「おい、さっきから独り言止めろ。俺が無視されてるみたいだろ」
「あら?いたの、空気が谷君」
「さっきまで目の前で会話していた筈なんですけどねえ……」
まあ、ぼっち的には良くあることなので今更気にしないが。
「冗談よ、ごめんなさい。ホイミは正規の手段で覚えた訳ではないから、私にもよくわかって無かったのよ」
「いや、別に謝るようなことでも…って、ちょっと待て」
意外と素直に謝ってきた雪乃の言葉に引っかかり覚えて、待ったを掛ける。正規の手段で覚えた訳ではない、だと?
「どうやって覚えたんだ?」
「神学書を読み漁って、それをヒントに何とか修得したわ。もっとも、それが手いっぱいだったのだけれども」
俺は魔法は使えないが、魔法を覚える方法は聞いたことがある。契約の儀式によってその魔法を使う権利を手にすることができ、あとは術者の能力に応じて魔法が使えるようになるらしい。陽乃さんはすべての魔法の契約を終えていると言っていた。つまり、あの陽乃さんでも契約なしに魔法を使ったりはしていない。
……魔法の専門家じゃない俺には分からないが、結構凄いことなんじゃないか、これ?
「そんな事より、私もあなたに聞きたいことがあるのだけれど」
「そんな事って……まあ、そっちの話はとりあえず今はいいか。なんだ?」
聞き返す俺に、雪乃は一度目を伏せて逡巡してから、窺うように口を開いた。
「その……あなたは、本当に出来損ないの勇者なの?」
「は?」
おい、予想外過ぎてまた聞き返しちゃっただろ。さっきから何度も聞き返してて、もう難聴系主人公と疑われかねないレベル。
「あなたがモンスターを倒した手際があまりにも見事だったから、そこまで能力をもって居てどうして出来損ないなのかしらと思って」
「魔法の才能が無いからだろ。闘気だってちゃんとは使えないしな」
もっとも、だからと言って才能に胡坐書いている連中に劣っているとは思わないけどな。それよりも、雪乃がそんな感想を持ってくれたと言う事は、一応俺の狙い通りに事が運んだと言える。雑魚モンスター相手に、必要もないのに闘気を使った甲斐はあったな。
「お前の前でやって見せた動きは、俺が戦闘でできる手段のほぼ全部だよ。パーティを組む以上、互いの能力は知っておく必要があるから、敢えて披露して見せた。俺じゃ、あれが精いっぱいだ。本物の勇者には到底及ばねえよ」
両足に闘気を発動させる高速移動。大ガラスの首をはねた片手剣の扱い。腕に闘気を発動させて最小限の動きでナイフを投げつける投擲術。俺が戦闘で使える技術なんてものはこの程度しかない。魔法でも闘気でも何でも使いこなせる本物の勇者――小町の方が優れているのは明らかだ。
「……そう。それでも、そこまで鍛えたあなたの力は出来損ないと呼ばれていいものではないわ」
自棄に食い下がるな?何か、思う所でもあったのかもしれない。
「それを判断するのはお前じゃないな。ま、俺としては立派な勇者と呼ばれるよりも出来損ないくらいに呼ばれた方が気が楽なまである」
「……私は、あなたの努力を尊敬するわ」
「そりゃどうも。……ホイミで体力も回復しただろ、そろそろ行くぞ」
言って、俺は顔を背けて先に歩き出す。雪乃の言葉を少しばかり嬉しく思ってしまっている自分が、少し癪だった。
「――待って」
「ん?」
歩き出した矢先に声を掛けられて立ち止まる。もしかして、もう少し休みたいとでも言うつもりなのかと軽い失望を覚えながら振り返った俺の視界に入ってきたのは、深々と下げられた雪乃の頭だった。――は?
「ごめんなさい」
「……何がだ?」
もしかしてあれか?告白される前に振られるという奴か。勘違いして惚れそうになる前に断られるとか、かなり斬新なんだけど。
「私は、噂に踊らされてあなたを侮っていたわ。それに――」
「よく分らんが、俺は謝られる様なことをされた覚えはないな」
雪乃の言葉に口を挟む。俺が出来損ないであることは紛れもない事実で、多少の努力で身に付いた力があったとしてもそれとは関係のないことだ。目が腐ってるのも事実だしな。一々気にするようなことじゃない。
頭を上げた雪乃は、尚も躊躇した素振りで何かを言おうと思い悩み……諦めた様に小さく嘆息した。
「そう……ごめんなさい、行きましょう」
だから謝る必要は…って、これは違うか。
きちんと回復したのか、思ったよりもしっかりとした足取りで歩きだした雪乃を見て、俺も再び振り返って歩き始める。この分ならしばらく問題ないだろう。疲れて来たらまたホイミを使わせればいいし。
(しかし、魔法の契約か……)
遅れない様に俺の後ろを付いてくる雪乃を横目で見ながら思う。
雪乃が賢者と言うのはかなり嬉しい情報だ。魔法使いの方が良いとは言ったが、僧侶の魔法がいらない訳ではない。体を張ることになるが、キアリーさえ覚えれば毒キノコを食って飢えを凌ぐこともできるし、やはり魔法で傷を癒せるのは相当大きい。だが、雪乃はほとんど魔法の契約を済ませていない。ついでに、雪乃が契約なしにホイミを使えたことについても誰かに相談したい所だ。
(旅に出る前だったら陽乃さんに相談したんだけどな)
まあ、雪乃の立場から言えば、陽乃さんに教えを乞うのは断固として拒否されるだろうが。と言うか、陽乃さんは雪乃の事情を知ってて俺の仲間になるように仕向けたと思って間違いないな。両方の魔法が使えるとか、魔法が使えない俺にとっては最適の仲間と言っても過言じゃないだろう。
(すぐにレーベに向かうつもりだったが、雪乃の魔法のこともあるし……どうしたものかな)
これからの旅の計画を考えながら、雪乃がついて来られるくらいのスピードで――ホイミがあることが判明したから、さっきよりも少し無茶させるつもりだが――歩き始めた。