モンスターハンター 閃耀の頂   作:生姜

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第八話 陽は再び

 

 それはヒシュが素早く楯を拾い上げ、耐熱布を広げ、並ぶ狩人達の列から一歩を踏み出した瞬間の出来事。

 

 蒼炎が、密林の闇を穿った。

 

 楯で防ぐ事が敵う炎ではない。前に出たヒシュが軽々と宙を舞う。僅かに遅れてダレンとノレッジとネコが、爆風に吹かれ熱に晒され地を這った。

 怪鳥の吐いた炎は木々を薙ぎ倒し、雨粒を燃やす。

 蒼炎は辺り一面までを焼き払い、ようやく落ち着きと本来の赤さを取り戻した。雨の密林一帯に揺らぐ炎が、夜明けの空を煌々と照らす。

 炎の向こうでは惨状の主 ―― 眼を赤く光らせ棘の生えた異形の怪鳥が首をもたげた。嘴を天に抗って翳し、喉奥からの咆哮で雲を貫く。

 

「―― アアァァ、ギュアアアアア゛ーッ!!」

 

 正しく怪物の産声。

 異形の怪鳥は左翼の付け根にヒシュの『ボーンククリ』を突き刺されたままだ。だが今や、それすらも異形を成す一部でしか無い。

 頭を下ろし。貫かれた左の翼を折り畳んだまま、片翼の怪鳥は狩人らを見やる。

 

「……あ……」

 

 地に倒れる狩人らが見上げる。怪鳥は遂にその全身を黒く染め上げられていた。もはや鳥竜種という域には無い。生物の高みをも越えた、何か。

 何か。身体を(よじ)り、肥大化した身体に馴染ませるように、残る右翼を上下に揺する。

 

「……ぐ」

 

「ヒシュ、さん」

 

「残念ですが、やらせはしませぬ」

 

「……ネコ」

 

 怪鳥の視線を遮り、ヒシュとネコが立ち上がった。ネコの外套は飛び去り、ヒシュの右肩がだらりと下がったままになっている。それでも主従は怪鳥の視線を正面から受け止め、残る『ハンターナイフ』と小太刀を抜き放った。

 炎の壁の向こう側。怪鳥は値踏みする様にハンターらを見回す。

 双眸が仮面を捉え、そこでぴたりと、顔の動きを止めた。

 

「―― けた。みつ、けた。みつけた。ウン」

 

 視線を向けられた側。見つけた、とヒシュは言った。言葉には仮面と声音だけでは0隠し切れない、確かな喜色が含まれている。

 身を、仮面をカタカタと震わし。踏み出し鉄剣を構え、その切先で怪鳥を指して。

 

「……」

 

 燃え盛る炎を背景に、揺るがぬ剣先と震えぬ喉笛とが交差する。

 ダレンとノレッジは未だ衝撃から立ち直れずにいるために反応できなかったが、平時であったならばヒシュの正気を疑っただろう。刺さった『ボーンククリ』によって飛ぶことは出来ない。だが、只の一撃。蒼炎を吐いた一動作で、この場に居る狩人達は追い詰められているのだ。防具も頼りなく、得物は最低限。ギルドからの援軍も今すぐには望めない。先の蒼い炎も、耐熱布と咄嗟の防御がなければ此方が死に追いやられていたであろう事は、想像に難くない。そんな相手に、それでも、どうあっても、満身創痍の狩人は立ち向かうと言う。絶対的なその意思を、立ち上がり刃を向ける事で示すのだ。

 怪鳥は首を高く持ち上げ、暫しヒシュと視線を交わらせ。

 

 ―― しかしくるりと、踵を返した。

 

「あ……え? え?」

 

「去って行く、だと?」

 

 背を向けた怪鳥は軟くなった土を踏み、一歩、また一歩と遠ざかる。黒く染まった身体は炎と熱の幕を潜り、明け方の闇に溶け、強大な気配の残滓を振り撒きながら密林の内へと消えてゆく。狩人らは暫し茫然と、その背を見送った。

 ヒシュが無言のまま剣を降ろし、ネコは新たな外套を着込むとその中に腕を戻す。ダレンとノレッジは、雨に降られた密林の炎が消え止むまで、怪鳥の消えた先を見つめていた。生き残る事ができた。その安堵の息を吐く事すら忘れたままで、ただただ呆然と。

 炎を消す役目を終え、夜の雨はあがりつつある。雨粒は次第に小さくなり、空が端から鮮やかな橙色に染まってゆく。

 

「……ん。んぅ」

 

「……主殿っ!?」

 

「ヒシュ、大丈夫か」

 

 瞬間、ヒシュがよろめいた。横にいたネコが支えようとして……支えきれないであろう事を予見したダレンが素早く抱える。ヒシュの身体は小刻みに震え、足腰はおろか腕にすら力が入っていない。よくよく見れば耐熱布は溶けて千切れ、鉄製の丸楯は遥か彼方で泥に埋まっている。傷が少ないのは顔にある仮面だけだ。

 この様子を目にしたノレッジが、自分を庇って受けた傷だと言う事に思い当たり、慌ててヒシュへと駆け寄る。

 

「ヒシュさんっ! お怪我のほどは!?」

 

「ん、駄目っぽいのは肩の脱臼だけ。……ダレンとノレッジがいて、良かった。ジブンとネコだけだったら、多分、ここで倒れてたね」

 

「にゃあ。私はこの体格ですので、主を抱えての移動は無理ですからね。そもそもあの怪鳥のおかげで、応援を呼ぶ為に要するに体力があるかどうかも怪しいです。ダレン殿とノレッジ殿がいて下さる幸運に感謝しなくては」

 

「それも私達が依頼したせいではあるのだが……まずは無事に生き残ることが出来た事を喜ぶべきだな」

 

「ん。そう」

 

 ダレンとノレッジが安堵の息を吐いた所で、緑海が輝いた。脱力した一同を陽が照らし出す。

 改めてみると、戦闘地域となった一帯は焼け野原だ。この惨状からするに、報告書は必須であろう。ギルドと、書士隊に向けて狩りと調査の報告を纏めなければならない。それにライトスらの無事を確認する必要もある。そもそも未だ、ジャンボ村まで遥かな距離を残している状態なのだが ―― 一先ず。

 狩人らは疲れや緊張から、もう少しだけ焼け野原に座り込む方針を決め込むのだった。

 

 

 

 □■□■□■□

 

 

 

 密林のフィールド端からの帰りの路は、思いの外順調に進行した。

 ライトス達は無事キャンプまで到達しており、ダレンら狩人が一様にボロボロの状態を見るなり、傷薬の安売りを開始(流石にその場で払いを求められはしなかったが)。軟膏塗れとなった一行はそのまま湖岸で休息を兼ねて1晩を明かし、次の日にテロス密林の端を離れた。

 

 そして現在。

 ジャンボ村へと向かう行商と狩人の一団はつい先、中継の村に到達した所である。

 

 四分儀商会の副長と狩人を代表したダレンが、この村の長と補給の交渉を行っている……その一軒家の脇にある空き地。子供らが元気に走り回る地面の端にアプトノスが座り込み、その背上に仮面を被ったヒシュが寝ころんでいる。

 ただし、何もしていない訳ではない。ヒシュの手には光源が握られている。カチカチと明滅させると、空に浮かぶ気球から信号が返ってきて。

 

「―― おう、ヒシュ。こんな所に居たのか。脱臼しちまったって聞いたぜ。その肩は大丈夫なのかい?」

 

「ん、ライトス。ジブン、痺れていただけだから」

 

 横からライトスが、ぬっと巨漢をのぞかせる。村長との仕入れ交渉を副長に任せ、彼自信は先程まで子供達と遊んでいたのだが……遠くで子供らに囲まれるノレッジとネコの姿が見えた。今はそちらも任せ、こちらに寄って来たようだ。

痺れただけ、と話ながら肩をぐるぐると回して見せるヒシュに、怪我を引き摺る様子はない。自分達を守るために奮闘した狩人の無事な様子には安堵しつつ。

 

「お姉ちゃん、本読んでー!」

 

「うん? あ、そうですねー。物語のご本はありませんけれど、図鑑ならありますよ。モンスターは好きかな?」

 

「アイルーは好きー」

 

「私の属する種を好いてくれるのは有難いことです。……これで耳を引っ張られていなければ、素直に喜べるのですが」

 

 先程までライトスもそうだったように、元気な子供達が集まり、広場には喧噪が満ちている。

ノレッジが図鑑を開くと、その周囲に子供たちが人垣を作る。ネコは少女の膝に抱えられ、その三角の耳や髭を弄繰り回されている。

 それら様子を横目に捉え、次いで、ライトスは視線を空へと向けた。ヒシュが気球と連絡を交わしている。

 気球といえば、であるが。

 

「こんな密林の辺境に、お偉い方んとこの気球が浮かぶなんてな。奴さん、どうやって連絡をつけたんだ?」

 

 ライトスが両手を腰にあてながら発した疑問に、ヒシュは振り向かないまま。カチカチと機器を弄って光信号を送る度、仮面の下顎がゆらゆらと揺れて。

 

「ん、当然。当たり前。……あれだけ密林が燃えていて、ギルドが観測をしに来ない筈が無いから。あとはしっかり、行き来する気球を見つけられれば良いだけ。今、ジブン、あの怪鳥を監視してくれるようにってお願いした」

 

 光による交信を終えたヒシュが手を振ると、気球は明滅を返しながら風に乗り、山側へと昇ってゆく。向かう先。遥かに広がる密林を越えた先には、雄大な峰が連なっている。高さはフラヒヤの山々やヒンメルン山脈には及ばない。が、湿密林としての側面を持つテロスの山々は流れ落ちる水脈により地を削られ、高地を生む。連なる山々と、外界から隔離された高地。緑と水とが織り成す静謐。その内には未だ多くの『未知』が飲み込まれていおり……そして未知とは、脅威でもある。あの怪鳥もそんな未知の一部なのだろう。

 

(まあ、それにしても大捕り物だったって聞いたけどな。それこそこれから、ギルドも動かにゃならんほどの……)

 

 空き地で子供らと遊ぶノレッジやネコが蒼の天蓋にぷかりと浮かぶ気球を見つめている傍らで、気球との連絡という仕事を終えたヒシュはアプトノスの上で胡坐をかいた。ライトスはそんなヒシュを思案気な顔で眺め、自らの顎鬚を撫で、やや声を小さくしながら。

 

「……監視をお願い、ねぇ。けれどよ。ありゃあただのギルド所属の気球じゃねぇだろ。紋章はないが、古龍観測隊の気球だ。球皮の造りも構造も違う。……んなもんに『お願い』だぁ? お前はいったい何者なんだっての、ヒシュ」

 

 ライトスが自前の強面を掲げ、ヒシュへと尋ねる。彼としては核心をついたつもりの問いだ。が。

 

「んー……ジブンが、というよりも、今回はあのイャンクックが特殊だったから。危険度の高いモンスターに関する『お願い』なら、ギルドマネージャーの権限で、結構すんなり通せたりする」

 

「……そりゃあ、相手が古龍観測隊でもか?」

 

「言ったけど、あの怪鳥は、特殊。古龍観測隊だって、年がら年中古龍ばっかりを追いかけている訳じゃあないから。……でも、昨日の怪鳥の特殊さ……の詳しい事は、村に戻ってからじゃあないと説明できない。今、いくつか調査資料を請求した。村に着いたらライトスにも説明する」

 

 ヒシュは存外あっさり、すんなりとした答を返していた。時折カクリと傾くのも、たどたどしい言葉の接ぎも変わらない。

 こうも当然の様に返されては仕方がない。ライトスの顔に自嘲の笑みが浮かぶ。

 

「……んまぁ、お前を気に入ったってのは確かだしな。俺は俺自身の眼を信じるか。俺の家族と、ダレン達への害意が無いならそれでいい。と。村での説明は楽しみにしとくぜ」

 

「ん」

 

 自身の眼を、と言ったライトスの言い様が、実にらしかった(・・・・・)のだ。ヒシュは自然に、仮面の内で笑みを零し……零した頃合。

 

「―― ヒシュ」

 

 呼ばれ、ライトスと揃って声の主の方を向く。すると声の主、ダレンが村長の家の扉から顔を出していた。ヒシュは1足にアプトノスを飛び降りると、ダレンの元へと走る。ダレンは窓際に留った鳥便を指し。

 

「たった今、ジャンボ村の村長と連絡が取れたそうだ。追って向かわせてくれたアイルーらの搬送部隊が、もうすぐそこまで来ているらしい。旅の荷物は少ないに越したことはないのでな。私共も荷物を纏めようと思うのだ」

 

「わかった」

 

 言葉を受けたヒシュの足元へ、聞きつけたネコが素早く駆け寄ってくる。後を追ったノレッジやライトスも揃った所で、声をかける。

 

「ネコ、ライトスも。この村から、アイルーとか鳥達が荷物を運んでくれるみたい」

 

「ノレッジ・フォール。私達も行くぞ。運んでもらう調査資料を選別する」

 

「はいー、先輩!」

 

 各々が荷物を背負った竜車へ向かい、荷物をまとめ出す。

 

「おら、さっさと動け! くれぐれも盟友に迷惑をかけんじゃねぇぞ!」

 

「「「うす!」」」

 

 屈強な男達がライトスの号令で動き出す。重さはあるが括り易い荷物を優先して動かし、繊細な商品と区分けしてゆく。何しろ、彼らが盟友と称するアイルー族の搬送は、速さと小回りはあれども「雑」なのである。

 力仕事の荷物分けである四分儀商会に対して、ダレンとノレッジの作業は集中力を要する。資料の貴重さと分量、そして送り先を吟味した上で「送っても良いだろう」というものを樽へ納めなければならないからだ。因みにノレッジが元仕事の習慣で回収していたモンスターの糞便は、ダレンの手によって真っ先に樽の中へと放られている。

 一団に属する最後の勢力 ―― ヒシュとネコに関しては、密林に居た時点で既に仕訳と梱包の作業は終えている。自らが管理責任を負わなければならない行商と違い、獣人族便や鳥便のための荷物作りは、狩人にとっての生命線。至極当然の動作に近い。

 宿泊予定の村の広場にて、仕分けは夕方近くまで行われた。それぞれが荷物を纏め終えて一息ついていると、遠くから鈴の音が近づいてくるのを見張りの村人が聞きつけた。伝令を受けた狩人らは広場まで足を向け、到着を待つ。

 

「……あれか?」

 

「わぁ、いっぱいいますねぇ~」

 

 ダレンが眼を凝らす先には、密林の上を滑り飛ぶ鳥の群れがあった。それらが近づき ―― 荷車を引いて地を走るアイルーの一隊も、木々の間から顔を覗かせる。

 目前にびしりと揃って隊列を成す動物の群れ群れ。ノレッジの瞳が好奇に染まり、ダレンは感嘆の息を漏らす。

 僅かな間があって、アイルー隊……それと鳥達の先頭に立った一際眼を引く「傘を被ったメラルー」が前に出た。咥えていた植物の茎を手に持ち替え、腕を組む。真っ先に隻眼を向けたのは、正面主の横に立つ獣人である。

 

「……お前だったニャ、ネコ」

 

「ふむ、『転がし』の。お久しぶりです。御健勝でしたか」

 

 ネコがお辞儀をすると、鈴の音が鳴る。すぐさまヒシュへと振り返り。

 

「主殿。こちらは私が王国にいた頃によくよく衝突した類の、旧友です。物運びを生業としています。……今の通り名は、何です?」

 

「……ニャン次郎」

 

 ニャン次郎と名乗ったメラルーは申し訳程度に頭を下げると、傘を目深に被り直す。ネコはその変わらぬその様子に溜息をついて。

 

「こう見えて『転がしの』の速度と経路繰りは一流です。ですが性分がこの通りでしてね。お気を悪くなされぬ様。そして何卒の御配慮を」

 

「んーん、気にしない」

 

 解説を加えたのはニャン次郎が狩人らと折り合いの悪いメラルーという種族であるからに他ならない。アイルーと良く似た……しかし体色が黒く染められたメラルーは、狩場における手癖の悪さのせいで、悪名ばかりが轟いているのである。

 だがネコとて、ヒシュが「気にしない」のを理解した上での念押しの発言である。付き合いの浅いダレンやノレッジ、果てはライトスでさえ「気にしない」の台詞が次がれるのは容易に予測出来ていた。

 

「……へぇへぇ。どうせあんたらは、あっしらに期待なんてせんでしょう。せいぜい小間使いが良いところ。ならば速い方が都合も良かろうに、てなぁ考えでさ」

 

「ん? そう? ……なら、ネコ」

 

 ニャン次郎のついた悪態に、しかし、ヒシュがかくりと傾いで。懐から取り出したのは ―― 黒紫に染まった、堆積する闇を思わす鱗。あの変貌した怪鳥が、自らの炎に吹かれて落とした品である。

 たかが一枚の鱗。

 その一枚が持つ圧倒的で濃密な気配を目の当たりにして、強者の気配に敏感なアイルーや鳥達がびくりと身を震わせた。それは次第に伝播し、腰を抜かすもの、飛んで逃げ出すものまで出始める。

 人間たるダレン達とて例外ではない。ダレンとノレッジは身に刻まれた脅威を掘り起こされ、あの怪鳥を目にしなかったライトス達が思わずじりと後ずさる。遠巻きに広場の様子を眺めていた村の子らなど、各人の親に抱えられながら目を塞がれている始末。

 

「ニャンだ、それは……!? ……。……まさか!?」

 

「これ、樽の中に」

 

「承知しました我が主」

 

 ヒシュはそれを、なんの気負なくネコに手渡す。渡されたネコも主の発言には一切の異議を唱えず、ニャン次郎らが運ぶであろう樽の中へと押し込んだ。

 こうしてしまえば、むしろ樽が異様な雰囲気を放ち始める。あれを転がして運ばねばならないニャン次郎は、肉球の間が汗ばむのを感じた。

 

「ついで。それも、ジャンボ村までお願い」

 

「ええ。私からもお願いします、『転がしの』」

 

 しれっと言い放つネコとヒシュに、怒りとも呆れともつかない感情が沸く。

 確かにニャン次郎は、皮肉を込めて「貴重なものは入れないだろう」と言った。だが、本当に、それも「そんなもの」を入れる奴があるものか。

 この狩人は、思考の筋が全くもって読めない。頭の螺子が外れているのではないだろうか。……最もそれはニャン次郎だけでなく、この場に居る殆どの人間が思った事ではあるのだが。

 

「信頼には、信頼で応えて欲しい。……少なくともジブン、メラルーの事を悪く思ってない。部族には部族の考えと生き方がある、って、それはジブンも同じだから」

 

 仮面の狩人のこの言葉に、ニャン次郎は芯の在り様を感じた。部族には部族のと言っておきながら、この狩人が見ているのはメラルーではない。ニャン次郎そのもの、自身をこそ見ているのだ。

 自分はこの役目に誇りを持っている。唯一の引け目であった種族を否定されたのならば、こうしてなどいられない。

 ニャン次郎はあんぐりと空けていた口を閉じ、落としていたハッカ茎の代わりを取り出すと、憮然とした顔で告げる。

 

「……アンタの名前をお聞かせ願いたいニャ」

 

「ん、ヒシュ」

 

 名を受けるとそのまま、樽を足で蹴り飛ばす。倒れた樽の音に、狩人らの驚きと鈴の音とが重なった。

 横転した樽のその上に、手馴れた動きのニャン次郎が飛び乗って。

 

「なら、ヒシュ。アンタらの荷物、あっしが確かに預かりやした。一足先に失礼させていただきますぜ。あんたらはジャンボ村で荷物と対面してくだせぇニャ」

 

 傘をくいと直し、深く被る。

 そのままやや上を向いて、深く息を吸い ――

 

「―― おめぇら、行くニャ!」

 

 生物等の集団を、一喝。一声によって木箱は飛び上がり、荷車は動き出す。樽を転がしたニャン次郎自身も、陸と空の搬送部隊を引き連れて、また木々の間へと消えていった。

 暫し過ぎ去った出来事を反芻する自身以外の人々に向けて、のんきに振っていた手を止めた主従が付け加える。

 

「あ奴……『転がしの』は、職業的運び屋なのです。大陸の境無く活動をしており、狩人の間では結構知られた名でして。それ故に、一般的行商などに任せるよりも安全で確実だと思われます」

 

「それに、アイルーやメラルー達は、ジブンらの知らない道を知ってるから。日程も結構縮められる、ハズ。……でも」

 

 話しながら、ヒシュは家屋の中へと視線を向ける。その視線に怪鳥と対峙した力は既に無く。

 

「明日は日が昇ったら出発したい。だからもう、眠っても良い、と、思うんだけど」

 

 日はとうに沈んでいる。皆は疲れきってもいる。仕事であった荷造りは終えている。場は既に、宿泊予定の村の中。

 ヒシュの至極全うな意見に、反対の言葉を差し挟む者など居よう筈もなく。

 一団の意識は、すぐさま眠りにつく事で合致した。

 


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