モンスターハンター 閃耀の頂   作:生姜

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第十四話 遠路を目指して - 白昼の狩猟

 

 

 晴天の下に連なる山々。峰を辿って……吹きゆく風を見送っては、下方を見やる。

 扇状に広がった雪原に、ぽつぽつと小さな影が散って見えた。影同士の間に(いさかい)いはない。つまりは全て、(たむろ)する雪猿(ブランゴ)らなのだろう。

 誰もが雪間に生えた植物を求め、雑多に右往左往している。統率された動きではない……だから、頭は居ない。この間の群れの残党である。つまるところ報告通りの状況と言えた。

 観察していた ―― 崖際から頭を出した状態だったハンター、ダレン・ディーノは身を戻し、振り向く。

 

「目標はあれらの狩猟。では、ヒシュとシャルルは風下を通って奥側の標的(・・)を。私とカルカ、ヒントとクエスは手前から。連戦になるだろう。各々、負傷と武器の損耗には気を払うように」

 

「ん」

 

「了解しました」

 

 隊長たるダレンの言葉に、名指しされた面々が頷く。

 先陣を切って、ダレンが崖を滑り降りる。後追いに2人と3者。雪原に紛れる白毛めがけ、二手に分かれて走り出した。

 

 踏み固められた地面を雪原を、3人のハンターは駆ける。

 王国の民に雪原という単語を聞かせれば。そういう舞台の物語を聞かせれば……日光を眩く反射する一面の雪景色を想像することだろう。

 それはつまり、障害物のない、まっさらな、四方全てに逃げ場のない状況だ。フラヒヤに住まうものからすれば、そんな光景は恐ろしい以外の何物でもない。

 フラヒヤの峰は険しい。勾配は緩急激しく、植物が自生出来る場所も限られる。食物を追って獣が集まる場所もまた同様。遠征にゆけるタイミングも限られてくる。こうして猟団《蠍の灯》から要請を受けて、ダレンらが調査地周辺の雪猿(ブランゴ)残党の露払いに出向くことになったのは必然とも言えよう。

 (くるぶし)までの深さの雪を蹴って走りながら、ダレンは目を細める。

 

(数は7。体躯はまばらで突出した大型は居ない。十分か)

 

 傾斜は緩徐。遮蔽物はない。援軍は来るだろう。奥には段丘があり、今駆けているこの雪野原を見下ろせる。

 別働したふたり、ヒシュとシャルルの姿が消えたのを確認しつつ状況を反芻(はんすう)する。

 

(あちらは任せて良い筈だ。あのふたりの動きを見てみたい所でもある。こちらは雪猿の排除に注力しよう)

 

 走る。走る。先頭にダレン。次にヒント、そしてクエスが歩調を揃えて後を追う。

 ブランゴが接近する此方を視認し、警戒音を発し始めたのを確認して、ダレンは最後の確認を挟んだ。

 

「目標は散開からの各個撃破。主不在の群れではあれど、深追いは無用だ。今は調査現場の安全さえ確保できれば、それでいい」

 

「了解しました、隊長」

 

「りょうかぁい!」

 

 それら返答を受けて。後ろで鳴った武器を慣らす(・・・)音を聞き届け。

 間もなく、闘争が始まった。

 

「フォッ、グフォッ!!」

 

 血気盛んにブランゴらが雪原を跳ねる。先手を譲って。ダレンは、背負った太刀を鞘走らせた。

 爪と太刀では間合い(リーチ)が違う。ブランゴが我先にと飛びかかった ―― 空中で軌道は変えられまい。剣域に入った瞬間に巻き打ち。刃が噛んだ瞬間に雷奔り、腕で振り切った太刀を腰を使って引き、裂いた。

 『斬破刀』の初撃を庇った腕ごと頭に受け、雪猿は吹き飛んだ。腕は切断。側頭部にも深く入った。助かりはすまい。続けざま。足が止まったダレンを狙い出たブランゴその腕を、後ろを請け負っていたクエスが持つ『衛士隊盾斧』の剣が払いのける。

 

「このっ……」

 

「グキャ!? キャキャッ!」

 

 刃は決して鈍くはないが、うねる毛並みに阻まれて進まない。盾斧の剣はクエスの腕ほどの尺ダレンの得物ほどの重さもない。せめても、鋼鉄の重量を活かした打撃に切り替える。

 クエスは腰を低く、間合いを測りながら地面を蹴る。継ぎ足、横、後ろへ。追って突き出された右爪を盾で弾いた。体勢の有利を取り戻した所で、再び腰を入れて斬りかかる。

 突き。盾打ち(シールドバッシュ)。半身に引いて、大上段振り下ろし。剣はブランゴの脳天を捉え、かち割った。

 すぐさま摺り足、横跳び。後隙を狙ってくる個体へのけん制を含めて、立ち位置を変えてゆく。

 

「もうっ! 毛むくじゃらを切るのって、難しいんだってば!」

 

「特にミスもないのに勝手に言い訳を始めないでくれよ、クエス」

 

 ヒントが前後を入れ替わる。クエスの横腹に雪塊を投げつけようとしていたブランゴを蹴り飛ばし、引き金。『特務爆斧』の刃を加速。転がったブランゴの横腹を抉り斬り飛ばした。

 残るは4。減りは遅い。この雪猿達は討伐なされた番雪獅子の置き土産と目されている群れだ。他に比べて連携の質が高いことは織り込み済みである。

 

「しぃっ! ……来るぞ、伏兵だ!」

 

 ダレンが更に1頭を斬り伏せ、血を払って叫ぶ。

 声の指した(・・・)向こう。想定していた通りの援軍が、奥の丘から姿を覗かせていた。

 

「クエス、行くよ!」

 

「まっかせて!」

 

 注意喚起を兼ねた指示を受けて、ヒントとクエスが前へと出張る。

 雪猿には精緻な動作が可能な手と指があり投擲が可能。石や雪塊が不意に頭部を捉えるというのも、ままある事だ。上を取られていてはたまったものではない。登坂で届く位置なら猶更、優先的に対処すべきだろう。

 獲物を見つけるや否や我先にと崖を飛び降りた(統率の成されていない)ブランゴ数頭を尻目に、入れ替わり、2人は崖に手をかけた。

 上下交互に手を伸ばし合い、時には背を蹴って、一気に崖を登りきる。すぐさま武器を構えると、上に残ったブランゴ達と正対する。

 崖の端を背に囲まれた形になった。怯むことなく踏み込んだのは、クエス。

 

「斧使うよ、ヒント!」

 

「ああ、わかった!」

 

 ヒントが足を止めたのを見て、より一層踏み込む。

 剣を柄に。楯を刃に。接ぎ合わせ出来上がった長大な斧を振り回す。

 

「らぁっ、せぇぇーっ!!」

 

 空を勢いよく切って一撃。

 1頭両断、1頭側腹部。巻き込み1頭吹き飛ばし、2頭がひるんで足を止め。

 そして。まだ、終わっていない。

 

「―― ぇぇいやぁぁっ!」

 

 気合一声の語尾が間延びして、もう1周。ぐるりと体が回転したかと思うと、クエスは曲芸染みた二撃目(・・・)を振り放った。

 ひるんで足を止めた2頭、その内の片方を大袈裟に斬り伏せる。肉を噛む ―― 炸裂。直撃を避けた筈のもう1頭までもが、発破の波を受けて吹き飛んだ。盾斧に変形機構と合わせて組み込まれた、榴弾によるものだ。

 (ふち)の血を払って回転し熱を吐く(たて)を順手に、敵から視線を外さぬまま。クエスは次の榴弾を腰鞄(ポーチ)の最上段に引っ張り出し、放熱が済み次第に装填できるよう整えておく。

 

(手癖で振るう訳には、いかないものね)

 

 書士隊各位が扱う可変武器のうち、ウルブズの持つ剣斧の利点は、得物としての特性が切り替え可能な事。使い手の技量が高ければ高いほど有効になるものだ。

 ヒントの抱える爆斧の利点を砲撃による間合い管理と加速による斬撃の強力化とすれば、クエスの持つ盾斧の利点は、それら全て(・・・・・)を含むと言えよう。

 片手剣ほどの大きさの柄と、身の半分を覆う盾を接ぎ合わせた結果出来上がる巨大さ。重心が先端側にあるが故の打撃能力の高さ。そしてとどめに、仕込み楯に組まれた炸薬による必殺の一撃である。

 

(必殺技。ダレン隊長の口伝(みきり)や練気とは違った、わたし達にとっての「知識の牙」)

 

 それ故に、扱いと立ち回りには非常に多くの要素が絡まっている。重心は大槌、盾と剣は片手剣。榴弾の扱いは、弩弓のそれを学ばなければならなかった。ミナガルデから持ち込みの得物を改造した形のヒントとは違い、クエスは両刃剣に関する知識を教官であったウルブズから叩き込まれた形である。

 クエスは元々槍使いだった。盾の扱いはともかく炸薬や剣については全く心得がないもので、修めるまでの道のりは険しかった。しかし書士隊に入るための条件として提示されたのだから仕方がない。挑む前から諦めてしまうのは、何事にも挑戦的な自分の性根からすれば愚策も良い所だ ―― そうと彼女は考えた。

 書士隊に入りさえすれば、王立武器工匠が保有する防具の型紙(パターン)も構造も素材も、それら全てが見放題だ。辺境生まれの氏名持たず。一介の板金屋の娘ながら、夢見た学士としての職につく道も拓ける。

 ……加えて何れの奇縁か。ドンドルマに着いた彼女の隣には、かつての教習所の同期の姿まであったのだから。

 

 原動力たる回想を止めて、クエスは息を吐く。盾と剣とを切り離すと、傍で昏倒していた雪猿に止めを入れた。

 彼女の横で、件の彼は動き続ける。

 

「詰める、詰める……詰める!」

 

「グキャッ、ギャ!」

 

 ヒントはクエスが吹き飛ばした雪猿を追撃している。道中阻んだ1頭を雷竜の籠手で殴り飛ばし、同時に砲で加速を入れると、刃に振り回されるような体勢で目標の雪猿の首を断った。

 巨大な斧剣に砲が()いた、と形容するのが正しい爆斧(アクセルアックス)である。その加速を使いこなすには、相応の体術が必要とされる。

 つまりは、崩した体勢までを含めて、ヒントが修めたところの『術』なのだと。

 

「―― 知っているさ。この隙は、狙われる!」

 

「グキャッ!?」

 

 首を断ち地面に食い込んだ爆斧の柄を柱に見立て、後ろから飛び掛かって来た雪猿(ブランゴ)の身体へ両足蹴り。鎧の重さを含めれば、雪猿には体格体重共に勝っている。押し負けることはない。

 地面に転がった雪猿をすぐさま押さえ付け、うつ伏せる。爆斧で脊柱を割り止め。

 

「援軍はあるかい? クエス」

 

「ないみたいね。」

 

 これで目視出来た個体の掃討は完了である。

 ふたりで登ってきた崖の側を振り返る。すると。

 

「心配……は、やはり、無用だったようだな」

 

「あっ、ダレン隊長!」

 

「はい。こちらは全て捌き切りました」

 

 駆けてきたダレンに、骸をひとつ所に集めていたヒントが応じた。

 ダレンはダレンで下の雪猿達を全て相手取った後こちらへ駆けつけたようで、下方に動く影は見当たらない。いずれにせよ巨大が過ぎた群れ、その一端の掃討である。死臭はごまかせまい。始末は早いに越したことはないだろう。

 

「これってブランゴ達の解体はどうするの?」

 

「ここは村から遠い。昼時になれば気球があがる。数と場所を報告するだけにしておこう。必要であれば、村の側から人が派遣されるだろう」

 

「猟団に任せる形ですね。了解しました」

 

 ヒントとクエスがふたりで手早く麻紐を取り出し、指示通りに死骸を片付け始めた。

 片付け始めて……その中途。クエスは再び、とある一方向をじぃっと見つめる。

 

「どうしたか……ああ」

 

 ダレンは小さく同意の息を吐く。クエスが見つめているのは残りの隊員……ヒシュとシャルルがふたりで向かったその先。遠回りにくだった、張り出した崖の中央部である。

 彼女が視線をダレンへと戻して、尋ねる。

 

「……どうします? 先に助力をします?」

 

 首を傾げたクエスに対し、ダレンは否と首を振る。

 

「いいや。必要ならばすぐに向かえる位置であるし……そもそもヒシュ自身、彼女と組むのは久しぶりだから試したいと言っていた。要請があったら向かう形でいいだろう。それよりも、だ」

 

 助力が必要なほどの情勢になる前に、逃げの一手を迷いなくうてるふたりでもある。そういう場面になった時に考えても、全くもって遅くはないだろう。加勢してしまえば総数が4名を超えるというのも、緊急時以外での倣い(つうれい)としては好ましくない。

 ならば次手としては何が良いか。ダレンはかつての、テロス密林での自らを思い返しながら。

 

「―― ブランゴの解体は私がしておく。ここから見ておくと良い。あのふたりの狩猟(・・)を」

 

 

 

 

 

 □■□■

 

 

 

 

 

 青空に耳を揺らし、白の原に白兎獣(ウルクスス)が跳ねる。

 ふたりよりも質量はあるというのに、ふたりの身長を足した分よりも、高く跳ねた。

 跳躍力がスゴい……と。太陽に被さる影を見上げながら、ヒシュは思った。

 

「―― ブキュフゥ!」

 

 尻が接地。ずん、と辺りが揺れる。勢い余って前転をひとつ。

 落下地点から5足半ほどの位置取りを保ったまま、後隙に向かって、駆けた。

 

「キュッ」

 

「ん、ん!」

 

 追い縋った此方を迎撃。黒鋼の刺突剣でふるう直前の左腕を縫い止め、『呪鉈』を腋窩に叩き込む。回り込んできた右腕の爪を身体を反らしていなし、もう一撃。肘鉄。後退しようと足に力が入ったのを見て背の『銀針』を抜き放ち、投擲。

 白兎獣が後ろへ跳躍。鏃と針は腹甲に阻まれ食い込みもしなかったが ―― 当然(・・)其処には、件の彼女が位置取って居る。

 

「ウフフ。それ、知っているわ」

 

 篭もった笑みを口の端から逃して鳴らし。シャルル・メシエは『白の銃槍(ホワイトガンランス)』を突き立てた。

 脊柱を避けて脇腹。白兎獣が無理くりに身を捩って穂先が沈むのを避ける。皮は貫いた。距離は開かず。つまりは、ヒシュとの間に挟まれた。

 腹側にヒシュ。背側にシャルル。狩人が獣を挟んで表裏、好きに勝手に立ち回る。肉の遮蔽さえあれば、銃砲も毒の飛沫も気にする必要がなかった。

 これが互いにとって一番に良い陣形である。そうとふたりは知っていた。

 シャルルの迫撃。ヒシュの斬打と陽動。一介の獣が相手取って立ち回るのは、些か以上に難しい。

 

(まだ)

 

 ヒシュがそういう意図を込めて視線を送れば、(あやま)たずシャルルは受け止める。

 あの腹で坂を下って滑られては追いつけるはずもない。だからこそこうして、崖の側まで追い詰めたのだから。

 爪を振り回して間隔を裂こうとする白兎獣を相手取り、上位ハンターふたりは互いの奥底を覗き見る。

 

 ヒシュ。重心の在り所が理解できない程に鋭い、初速に長けた斬撃の交差。武器の持ち替えによる連撃。四つ足で地を駆ける獣に勝って素早く追い詰める。

 シャルル。一見ではくみ取れないほどに複雑な歩法を裾端(スカート)で覆い、中間からの衝角楯と槍による殴打。鎧を着込んだ身を入れて、白兎獣を先手で封じる。その上で自らの得意な動きを押し付ける。受動的ではなく、只管に上手を取り続ける。そういう、(モンスター)の側を圧倒するような動き方。

 大楯のせいで機動力には劣るが、そこをヒシュが補っている形だ。

 爪が欠けた。腹甲を血が伝う。毛のない部位に発汗が集まる。

 

「フキュッ」

 

「……っ、嗚呼」

 

 楯には爪が通らないとみるや否や、白兎獣は当て身をかます。シャルルは楯を肩に付けて構え、衝撃を足から雪原に流し込む。

 しかしそれだけでは補いきれず。

 

「これでっ、如何っ、かしら……ねっ?」

 

 身を傾けながら、自重の移動だけで楯の上に白兎獣の頭を乗せた(・・・)

 槍の持ち手側を手繰り寄せて ―― 火を入れる。

 

 ガボンッ。

 空を震わす銃撃槍の破裂音が、白兎獣の細く長い耳元で鳴る。

 獣はすぐさまシャルルの上を飛び退き、だからといって堪え切れる訳もない。ずんぐりとした身体が悶えながら遠くへと転がっていく。顔を抱きかかえる様な格好で。

 既にヒシュが遠くを回って、崖の出入り口を封じている。

 

「フ、フキュウ」

 

 頭をくらくらと揺らしたまま、白兎獣は前を見る。

 ヒシュ。両手を地面に着くほどだらりとぶら下げ、緩く武器を把持し、獣に見紛う様相。

 左に『呪鉈』。右に『黒鋼の刺小剣』。腰に仮面を被り、身に(まと)うのは同族の毛皮を主とした布鎧。手足に銀の甲。

 

 音が無い。動かない。

 白兎獣とヒシュが互いを睨む。

 

 狩人の攻勢の機(セオリー)からすれば、獣の三半規管にダメージを与えたこの隙を逃す道理はない。しかし、ヒシュはあえてこの()を取った。

 シャルルはその理由を十分に理解している。槍と楯を構え直して、彼らの語らいを待つ。

 眩い雪原に吐息が浮かぶ。

 

「……ぐ、るぅ」

 

 白兎獣ではない。ヒシュの声だ。その声には、かつては含まれていた苦悶の色相はない。器が割れる様な痛みも、容量を満たす重圧も、今のヒシュには無いからだ。

 とはいえ当然、白兎獣に話しかけたりした訳でもない。獣に言葉は必要なく。ヒシュのこの声は、少しだけ間を見繕ったに過ぎない。無言でもって問いかけたのだ。「わたし達はこの場を押し通る。あなたはこのまま闘いたいか」と。

 

 そう。現状、ヒシュ達としてはこの白兎獣には逃げられてもかまわない。

 ウルクススは群れない。生物階層の中間位。驚異の大きさは、管理のし易さで考えると低いと言える。

 そもそもがギルドが定義するところのハンターとは、獣を狩る職業ではない。あくまで人()の営みを主に置きつつも、自然との調和を図る……そういう志を持っている者達のことを指す。

 現地判断で現状を維持することも許される。ハンターはその判断を下す権利をこそ有している。

 

 逆に言えば、狩らない理由もない。

 大型の獣であればこそ、肥大化した時の脅威は身に染みて理解している。昨季の番雪獅子の騒動などもこれにあたるだろう。狩猟は環境の平定に必要とは言え、今の人は獣によって生かされている。うまく付き合っていくのは理想形である。

 

 つまりは、いずれにせよ、ヒトの管理の範囲内。

 

(……ん。さ、どう)

 

 ヒシュは頭の中の片隅でだけ、眼前の白兎獣(ウルクスス)の現状を憂う。

 この個体は成熟した上位のもの。つまりは特級(マスター)とは言い難い、中層の生物である。かつての雪獅子の群れによって抑圧され、搾取され、刺激され。相当に怒っているであろうことは想像がつく。

 彼は縄張りを失っただろう。食事も取れていないだろう。ここ数日の観測からして家族もいない ―― ともすれば、それらも。

 そんな境遇にありながら逃げてきた。フラヒヤ奥地へと続く路。満身創痍のこの白兎獣は、だというのに、ここに来てまで雪猿達を「追い立てていた」のだ。

 食事のためではないのだろう。苛ついていたから、という単純なものであるのかも知れない。

 正誤は、星聞きなんかでもって伺い立てでもしなければ知る由もない。必要もない。そもそも星聞きがそこまで融通が利く代物なのかも判らない。ただ。

 

(選択してもらえるなら楽……と、ジブンは思う)

 

 闘争にならないのであればそれでいい。こちらの体力の消耗は抑えられる。白兎獣が生息するという事実は、環境の乱れの抑圧には一役買うだろう。

 いずれは人里に害をなし、狩猟することになるのかも知れない。いずれは山をも崩す大雪主の資格を得て、再び人と相まみえるのかもしれない。その時はその時だ。剣を持って相対するのも仕方あるまい。そんな含みを込めている。

 

「フ、フ」

 

 合間に、白兎獣が吐息を刻む。逡巡 ―― いや。確認か。

 こうしていとも容易く「獣の側に立って考える」ようになった今のジブンが、ヒシュは決して嫌いではない。

 

「フ、フクュゥ」

 

 そして再び。白兎獣は僅かに開けた合間を滑り抜けることなく。見ることすらせず ―― 地面に爪をついて構えた。きゅっと瞳が絞られる。頭上で欠け耳が小さく翻り、後ろのシャルルの位置を探り見る。

 つぶらな瞳からは、交戦の意志がひしひしと感じられる。絶命しては……という、悔いの感情はないようだ。

 勝つか負けるか。勝ったからには満たされて。負けた場合には失って。それは、当然のことだ。闘争を選ぶ価値は其処に在る。

 悔いは無い。そういうのも判るようになってはしまった。それでも憂いなく、先手を取るべく、ヒシュは駆けた。

 

 足裏の(スパイク)で氷土を噛んで低く速く『呪鉈』で叩く。鈍く柔い感触。顔の前で交差した獣の腕にべっとりと青の毒が塗りたくられた。毛皮の上だ。毒を血流には乗せられない。返す刃で降られた兎の爪を腕の銀鎧で弾いて回り、右腕、黒の小剣を突き出し、そんな小手先など構わず振られた逆爪を、左の腿を持ち上げて受ける。

 

「ん、ん!」

 

 爪が同族の皮鎧に深く沈んで、しかし、破れない。破れる前にいなして添えて。郷愁、いつか作ったシナトの風車を真似て翻る。白兎獣の体重までもを全て乗せて『呪鉈』。顔を。しかし白兎獣が身体ごと突っ込んできたため、狙いは逸れて耳を削いだ。

 獣臭、大質量の突進。辛うじて引き付けた腕と肩に当て、倒されない程度に押されておいて、思い切り身を引く。狙いはある。

 白鎧の裾をはためかせ。シャルルが追い付いた。

 

「スゥゥ ―― フッ」

 

 『白銃槍(ホワイトガンランス)』の穂先が突き出される ―― 空を切る。

 背からの挟撃にも慣れてきた白兎獣は、槍に触れる寸前に距離を取った。砲撃で痛い目を見たからだろう。大楯と槍が、機動力に劣ることも理解をしているようだ。

 相手に警戒をされている。シャルルの側だ。だとすれば裏の裏、ヒシュが決め手を用意するべき。手管を脳裏に並べて即興で組み立ててゆく。

 

(ひとつ。毒)

 

 白兎獣の突進を躱す。躱し際に『呪鉈』で顔を叩こうとしたら丸めた身体に防がれた。二度目からは尻から突っ込んでくるようになってしまった。一度目で決めるべきだったかと後悔する。

 寒冷に適応し肉の露出が少ない毛皮に腹甲。口と目は小さい。警戒もされている。案を却下。

 

(ふたつ。罠)

 

 落とし穴は不可能。張り出した崖の上だ。地面の質量がない。痺れ罠はどうか。可能だ。ひとつめ(・・・・)として採用する。

 挟んで向こうのシャルルに知らせる(ハンドサイン)。ひらひらと穂先が揺れる。了解された。

 

(もひとつ。二段底に仕込む)

 

 白兎獣がヒシュへ、雪を蹴って飛び掛かる。両腕を広げた。攻勢を躱しきれるか。

 鎧はあるが、質量で潰す。もしくは貫く、隙間に差し込むといった用途に優れた爪もある。

 守勢の手を。そして、攻勢の手を。

 

(うん。決めた)

 

 利用するならこれ(・・)だろう。ヒシュは白兎獣の脇目掛けて窄めた身体を飛び込ませ、爪撃を潜り抜ける。手足を着いてすぐさま再度の跳躍。振り向いた白兎獣が、再び飛び掛かりを仕掛ける(えらぶ)だけの距離を保った。

 

(揃える。……揃えた)

 

 頭を前に身を低く。白兎獣が三度の突撃と構えた。

 鞄の入り口にある(・・)ことを確認する。打ち合う準備は万端に。

 シャルルが再び追いついた。目配せをしるしに、ふたりと獣が決め動く。

 

「フ、ブフゥッ!!」

 

「んぐ!」

 

 ヒシュ。爪を真っ向から受ける。腕の甲でいなしつつ鉈を潜らせ昇打。顎を捉えたがよろめかず、離れ。白兎獣はすぐさま屈み、地面に四肢を突いて奔る。前脚の爪で氷土を引っ掻くように ―― 円を描いて滑る。質量をぶつける側面の体当たりだ。

 

「すぅっ……んっ!」

 

 ヒシュが四肢を使って跳ぶ。相手が屈んでいるからこそ、ぎりぎり上を。避け様に身体を捻る。肘が背にぶつかったが、しびれはない。そのまま余分に回転した身体を接地させ、起き上がる。

 

「お帰りは其方」

 

 シャルルが動線を読んでいた。楯を構えた当て身。ついでに穂先で爪を弾いて、合気さながらに白兎獣を転がした。

 ぴったりと嵌まったパズルのように……既に仕掛けられていた痺れ罠目掛けて転げてゆく。

 

 刺さった ―― が、そのまま身を丸めて転がった。

 感電によって多少は痺れていそうだが、神経毒が効くかは怪しいところだ。

 痺れ罠を避けられた。そう考える。

 だからこそ。

 

「……フルルル、ゥ!?」

 

「仕掛ける」 

 

 ヒシュが突貫。

 大きな挙動の体当たりを仕掛けて。そこから転げさせられて。

 痺れ罠を避けるために、さらに大きく転げて転げて。

 それだけ移動したのだから、すぐ傍には ―― 崖がある。

 楯を外す。鞄もひとつを残して外す。『黒鋼の小剣』を置いてゆく。

 最後に残った左の『呪鉈』を、これ見よがしに振りかざす。脇腹。白兎獣に防御をさせた。

 

「んんっ! ……てっ!」

 

 未練無く『呪鉈』を手放す。代わりに、鞄から鋼線の端(・・・・)を取り出した。

 視界から消えるほど身を低く。次の瞬間には跳躍。防御をさせた腕を足蹴に、白兎獣の身体を身軽く飛び登り、ヒシュは首後ろに取り付いた。首元に鋼線を巻き付けながら。

 ぐいと引く。気道が絞られる。白兎獣の爪が首元に伸びた所で飛び降りる。

 同時に。

 

「―― ラム。嗚呼、サヨナラ」

 

 入れ替わりに楯を構えたシャルルが側面に取り付くと。

 彼女は機械屋だ ―― 楯に仕掛けられた炸裂式の衝突角が、がつんと音を立てて作動した。

 シャルルの足元の氷土が沈む。正面の巨体を弾き飛ばして。

 

「フ、フゥ ―― !」

 

 理外の衝撃。

 耳が、頭が、横腹が、身体が傾いて。足が地面を離れて、腕が藻掻いて空を掻く。

 視界が青空を仰いで一周、すぐさま白地に輝く雪の原。

 びぃんという衝撃。

 殺意。首元。鋼線。急速に絞られる。意識は遠ざかり、獣の手を離れた。

 

「……ふぅ。狩猟終わり」

 

「エェ。ウフフ、そうね。狩猟完了(クエストクリアー)

 

 崖の端に2人が並び、下を覗き込む。

 吊られた状態の白兎獣が、脱力したまま亡骸と化している。

 ヒシュが巻き付けた鋼線は所々に鋲うたれ、きしきしと音を立てて軋んでいる。

 ()は警戒心の強い個体である……そうとヒシュは判断した。だからこそ、避けられることを積極的に策の内に取り込んだ。高さからして落とすだけでは討伐には到らない。ならば、これで。

 結果は出すことができた。ふたりで組んでの狩猟は何年ぶりか。だというのに、思考の方向性はぴったりと合っている。

 

「フフ、ウフフフ……! 命失われど。達成は、気分が良いわ……」

 

 ふわりふわりと謎の足踏み(・・・)を踏みながら、遮光晶越しにフラヒヤの景色を眺め、高らかに詩を歌い始めるシャルル・メシエ。

 狩猟の腕は衰えておらず。絡繰りの技術も、板金の腕も、鍛冶の腕も上がっている。ヒシュのこの感性(・・)に共感し、共に踏み込み、歩調を揃えることも出来る。

 それはヒシュとしても同様だ。彼女が何を仕込んでいるか。どう動けば優勢か。そういうのを考えるのに、苦労は全くしなかった。

 

(でもまぁ、シャロはシャロ。厄介なのは、知っている)

 

 これで癇癪(かんしゃく)さえなければ。

 そう思わずにはいられないのであった。

 







 2章2部をゆっくりですが始めます。
 初っ端アクション回。




・落とし穴しびれ罠
 ヒシュ的には嵌めた後の有効性(捕縛時間や自由度など)は落し>しびれ。
 嵌めるための自由度と使い易さはしびれ>落しと考えています。
 「イャンガルルガに落とし穴は100%通用しないか?」という問題ですね。
 いや、プロットアーマーによって通用はしないのですけれども。ノレッジみたいに塹壕として使ったり、私によって悪用はされます次第。


・銃撃槍、機動力に劣る
 サンブレイク……いや、ライズくらいまでくればそんなことはないのですけれどね。空中機動。
 その辺を書くとしたら、現実折衷派閥の私はどうするんでしょうねぇ……気になりますけれども。その時に考えます。未来の私、頑張れぇ。


・炸裂式の衝突角
 楯につける衝突角(ラム)はロマンです。
 イメージ的には装填式の単発型。そういや私は作中でサーペントバイトの牙を炸薬で深く噛ませたり出来るように改造したりもしてるんですよね……勝手が過ぎる。
 まぁただ、最近の猫式撃竜槍とかを見るに、こういう妄想はおおよそ同じ方向を向けているんだなと安堵はしているので……(苦笑




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