次なる面通し。訪れたのは上座からやや離れた場所。
広い会場だというのにどちらかと言えば隅の位置……暖炉の横に、二者と一匹は座って居た。
「―― ん。次はこっちに来たんだね」
「嗚呼、歓迎するわ……」
「いらっしゃいませ」
此方と同様に書士隊の礼服に身を包んだヒシュ。飾り付きの外套を羽織ったネコート。そしてシンプルだが素材だけでも「豪奢」であると判断可能なドレスに身を包んだ……一層真白いシャルルが、一行を出迎えた。
ネコートがすぐに周囲の机の椅子を順にひいて、書士隊各位に着席を促す。全員が座った頃合いをみて、ダレンが乾杯の音頭を済ませる。
すると珍しく、ヒシュが頬を膨らませて言う。
「まぁジブンが乾杯するのはちょっと違うのかも、だけど」
「あら。手伝いは、したでしょう?」
「でも、そこに到るまで。『雪獅子の片割れを取り逃がす』っていう局面にまで持って行ったのは、猟団の人たち。天運を掴んで、その先で追い詰めていたのはダレン達。ジブンら、手柄を横取りしちゃった気がしない?」
「しないのよ。ワタシはね」
「むう」
ヒシュが背もたれに寄りかかると、その腰元で、新たな意匠の……しかし変わらず警戒色に塗れた仮面がかたかた揺れた。
彼の声音には不満の色 ―― いや。
「僭越ながら。我が主は、狩猟を『あまり手伝えなかった』のに『祝う』という点に対して、
「ん、それ!」
「にゃっ!」
お供たるネコートの補足を得、ヒシュとハイタッチを交わす。何とも不思議な距離感である。
飛び跳ねハイタッチの後。おほん、と。ネコートは咳を挟んで仕切り直した。
「……ですが。祝うくらいは、良いのではありませんか? 確かに番雪獅子の討伐は猟団によって管制された猟場であった。とはいえ村の厄介事を解決した事に変わりはありません」
「嗚呼、そうね。いずれにせよ追跡と討伐を成さねばならない敵だったのだわ」
「そう思っておく。ありがと」
ヒシュの中で感情の整理やらはついたようだ。大きくかくりと頷くと、書士隊一行へと向き直る。
「改めて。ジブンはヒシュ。こっちは、ネコ。ついでにシャロ」
「皆さま、宜しくお願いいたします。一身上の都合により、ギルド仕事の際にはネコートと呼んで下さるとありがたいですね」
「ワタシはシャルル・メシエ。どうせ、知っているわね?」
最後に目を閉じ薄白い唇の端を吊り上げて、姫君は笑う。
猟場からの帰路でもそうだったが、彼女は素からしてこの態度なのだろう。思うところがあるらしいヒシュは、またも眉間に皺を寄せながら続ける。
「やたらに尊大。……はぁ。こういう風に育てられた人だから。気にしないのが、楽」
フォローなのかは知れないが、瞳を閉じたまま淑女らしからぬ様相で足を組んだシャルル・メシエの紹介もして、溜息をついた。
懐かしいな、とダレンは思う。思って、そのまま口に出すことにした。
「ヒシュのそういう顔は、私としては久し振りに見たようで、不謹慎ながら嬉しくもあるよ」
「そう? なら、いいけど」
「そうだ。前に見たのは、ノレッジ・フォールが初めて見る盾蟹の甲羅に触ろうとしてこかされそうになった時だったか……ふ。では、此方からも紹介をしておこう」
ダレンが書士隊の紹介を済ませる。ヒシュは各々の名前を逐一復唱し、宜しくと握手を交わす。
その間にネコが食事を運んで来ていた。腹を膨らませると言うよりは酒を飽きさせない程度の……しかしハンターらしく山と積まれた山河の幸。
各々それらを(頬一杯に)つまみ始めた所で、ヒシュが話題を切り出した。
「お仕事。青の部族の間借りハンターは、仕事納め」
「そちらは引き継ぎなどは?」
「シャシャにお願いしてある。だいじょぶ。……あと、何か変わったことって言えば、うーん。……ハンターランクが6になったくらい?」
「そう言えば、聞いたな」
やや薄いダレンの反応に、ヒシュも薄くうんと返す。
あまり執着のないふたりだからこその反応である。ハンターとしては一大事なのだが。
「おいおい。余り嬉しそうではないな? ヒシュよ」
「ん……ウルブズ。でも、そう。嬉しくはない、かも? フラヒヤの植生に関する
ダレンらがこのフラヒヤに到達する前の話ではあるが、確かに。老化した鋼龍を単独で撃退したハンターが居ると話題にはなっていた。
どうやらヒシュがそれを成したらしい。当の本人曰く「あれは初めからここを去るつもりだった」との事だが……傍目から見れば、撃退の事実に変わりは無い。
「しかし、めでたいことに違いは無いな。おめでとう。ヒシュの場合は元々実力と評価に乖離があったからな。世評がどういう風に評価されるのかは知らないが、やっと元の大陸と同じくらいにはなったのではないか?」
「んー、そうかも。……そだね。街の専属でもないし、やることは変わらないし」
ぎしりと背もたれに寄りかかり、ヒシュは掌を顔の前へ。
話を進めるようだ。指をひとつ折り、ふたつ折り。
「やるべきこと。ジブンの方、
「ああ。請け負った」
ダレンが力強く頷き返すが……そう。ヒシュとは雪獅子討伐からの帰路で、既に大凡の話を終えている。
彼は青の部族に逗留していた目的のひとつを、達成し終えているらしい。完遂ではない。が、これからは書士隊としてポッケ村に逗留した方が動き易そうだとも踏んでいるようだ。
人手が増えることはありがたい。ハンターとしてのヒシュは、ウルブズに負けず劣らずの人員だ。
しかし問題もある。これが書士隊の増員であるからには。
「ヒシュ。君の部隊の
「判った。ジブンで考える。……ん~と」
今度は反対にかくり。ヒシュは眉を顰めたまま首を傾げ唇をへの字、悩み始めた。
現在フラヒヤ地域に滞在する書士隊員は、ダレン。ウルブズ。ヒント。クエス。ジラバ。メラルーのカルカに、フシフ。
実働するハンター4人に、伝令と斥候を兼ねたカルカ。猟場では裏方に徹するジラバとフシフ。ダレンの部隊は現在の形で完成されていると言えよう。つまりはヒシュが入り込む余地が、ないのである。
強いて言えば裏方としての仕事は在るだろうが、ヒシュをそこに置くのでは、勿体ないが過ぎる。
晩餐会の喧噪の隅っこ。黙々と食事を口に運ぶシャルル・メシエの右隣、主ならばと悠然に控えたネコートの左隣。ヒシュは腰の仮面をこつこつと指で叩いて、唸る事暫し。
「……人、呼んでいい?」
「ヒシュが、か。君は二等書士官だからな。部隊を持つ権限は十分で、隊員になってくれるかは相手次第だが……隊長職はどうする?」
ダレンとしては当然の疑問である。ヒシュは隊長としての実働経験がない。外部からの客員としての立場が強い彼は、こちらの大陸に来てからこの方、ダレンらの部隊でしか長くは組んでいないのだ。
だがしかし、人数は必要だ。村での仕事もあるネコを、常に供として回せない状況でもある。どうするか。
……どうするか、ヒシュの表情からして考えはあるようだ。先を促すと、彼は胸を張って声高に言った。
「その辺りも解決できる人を呼びたい。具体的には、ノレッジ・フォール!」
ノレッジ・フォール。二つ名を『天狼』。王立古生物書士隊の二等書士官。ヒシュは喜色を浮かべながら、渾身の策とばかりにその名を口にした。
ぴくり。隣のシャルルが咀嚼を止め、細めた横目で彼を見やる。その様子を認識に入れつつダレンは返す。
「……確かにな。ノレッジはジャンボ村付きのハンターを辞して、ドンドルマやレクサーラ、ネコの王国などを転々としていると聞く。時間はかかるが、呼び戻す事は可能だ」
問題はないだろう、というのがダレンの考えだった。
六つ星というハンターランクを飾り、次代の英雄と名が広がってはいるものの、ノレッジ自身の活動方針はハンターよりは書士隊に寄ったものだ。それが他ならぬ彼女自身の希望である限り、ギルドとしても名声の押し売り押しつけはし辛い。あくまで彼女自身に「天運があり過ぎる」から名が広まったという側面が大きいのである。
大陸各地で活躍しているという噂は聞くものの、所属は一貫して王立古生物書士隊を名乗っているようだ。一つ所に留まっていられない性分でもある。未だに大きな猟団や新興の街や村、貴族のお抱えなどにはなっていないというのは、彼女の気性を知るダレンやヒシュやネコ、それに橙の村で厄介になったカルカ達であればこそ、納得出来る経緯でもある。
「ノレッジが動ける立場なのは、知ってる。たまに手紙をもらうからね。ネコから、きちんと返すべきって教えてもらったから。ジブンも返せる範囲で手紙は書いてる」
「僭越ながら、返信の文については、字や文章を私が整えさせて頂いてます」
胸を張ってヒシュとネコは言う。それよりも隣の、いよいよ
触れるべきか触れないべきか。悩んだ末、ひとまず、ダレンは話題を区切って進める事にする。
「ではヒシュとノレッジ、ネコに隊を組んでもらう形にしよう。彼女が到着するまでは、まだ時間がかかるだろうがな。……ネコは忙しいと思うが、それで良いか?」
「私は構いません。此方の仕事である『獣人族のハンター実働実績』については別進行でまとめられると思います。私としても、主に伴しないという選択肢はありえませんので」
それならばとダレンも了承する。視線をヒシュに回せば、彼もかくりと頷いた。
ノレッジ・フォールの人柄からして、編成にも問題はない。彼女はおそらく、ヒシュの誘いならば喜ぶだろう。
……そう、口にしようとした時だった。
「――
いよいよシャルル・メシエが出張った。
彼女の申し出を、ダレンは頭を回して飲み込む。その一団と彼女は言った。つまりはヒシュが新設する部隊に、彼女を編成しろと。そういう事なのだろう。
成程、それは。
「
「いいの? ダレン」
ヒシュはダレンに、心底不思議そうな顔で尋ねた。不思議そう。どちらかといえば彼女の参戦それ自体に不安は感じておらず、ダレンら書士隊としての都合の方を心配しているようだ。
これは、つまりは増援である。ダレンとしては拒む理由が存在しない。
「書士隊の構成的には問題ない。そもそも、書士隊員が内々でハンターとしての部隊を組む際の規定というものがない。書士は狩場に出る方が
「ん」
先を促される。書士側としては問題ないという事を念頭に置いて。
「ならば書士では無くハンターとしてはどうか。これは、心強い。体質から活動の時間帯に制限はあるにしろ、
ここでダレンは姫君を覗き込む。
うす紅い、色素を凝縮させた瞳が、不敵に笑っている。
ダレン自身、彼女についてはある種の確信をもつ事が出来ていた。
「ヒシュ。彼女にも話しておく必要は、あるか?」
「うん。ダレンが
「エェ、エェ。そうよ。……詳しくは追々、だけれども」
唇に指で蓋をして、シャルルは片瞼を閉じる。
「追々」の意味は理解できる。これら
彼女の加勢に納得は出来た。筋もある。目的は、これから通す。多少の「あやしさ」は飲み込むことにしよう。シャルル・メシエは実力者に他ならない。戦力として数えたくなるほどのハンターなのだから。
他に考慮すべき点があるとすれば、シャルルの戦法。制圧力の高さは集団戦に向いていない。これは彼女の武器である
「んー……いい、ケド。シャロ、足は引っ張らないでね?」
「アラ、アラ。ワタシにそれを言うのは貴方くらいよ、被り者」
おおよそ歯に衣着せぬ物言いのヒシュであるが、彼女に対しては一層の遠慮が無いように思える。
ネコはそんな様子のふたりを横に、にゃあと忠言を挟む。
「一応言ってはおきますが、ダレン殿含めた書士隊方々はご心配なさらぬよう。おふたりの
すっと身を引いて椅子の上、ネコは隣を見上げる。
「幼少の
初耳さに、ダレンは両名の顔を交互に見やる。後ろで肉を食んでいたウルブズがほう、と興味深げに噛み千切った。
ヒシュの生まれは蒼海に隔たれ独自に発展した文化を持つアヤ国。そこに幼少の頃から足を運んでいたという「姫君」。なんとも市井に映えそうな、想像力の掻き立てられる内容である。
逆に言えば、ダレンでは御しきれそうにもない彼女の ―― シャルル・メシエの手綱を握ることのできる数少ない人間が今ここに居る、という事でもある。
組ませない理由はなくなったのだ。僥倖と思う他ないだろう。
「わっつ。ふーむ……ふーむ?」
そういう風に思索を回している間、ウルブズは姫君の顔を見つめていた。
巨男の視線に負けず竦まず、姫君は目を細めて艶やかに唇を結ぶ。
ウルブズが咀嚼した肉欠片を飲み込んで。三度、ふうむと姫君の表情を伺い。
「ところでシャルルよ。酒の場だからこそ聞いておきたいのだが」
「エェ、面白い内容ならば答えます。質問をどうぞ、山犬の
叔父様という単語で返され、ウルブズは僅かに顔を顰めるも。
「面白いかは判らぬが……尋ねるだけならば、ぐれえとに無料だからな。聞いておくとしよう」
どうせ皆が気になっている事だろうからな、だっはは! と笑う。
取り直して。彫りが深いその癖、愛嬌を帯びたウルブズの顔が、かくりと傾いた。
「―― 何故お前は防具を
書士隊一同。階上で酒を傾けていた一同の聴覚。そういった酒場の注目が、一挙シャルルの口元に集まった。
隠している訳ではないのだろう。しかし「メシエ・カタログ」の著者にして中核人物が彼女だというのは、しっかりと口にされてはいないだけで、公然の秘密に近い。名前を偽っていない以上、いつかは追及を受ける。代表したのがウルブズというだけだ。
ウルブズは今ここが、明らかにするに相応しい場であると踏んだのだろう。事実、彼女自身に資産があることは疑いようがない。彼女がこのポッケ村に来てから受けた日用品の修理による依頼料では、この「晩餐会」の費用は賄えるはずもないからだ。
それはハンターとしての稼ぎを合わせたとしても同様で、「枠外の費用」は捻出されなければならない。どこから来るのか。彼女が最初から持っていた。単純で判り易い
「嗚呼。それは、決まっているわ」
肯定した。彼女が、メシエ・カタログの「描き手」だと言うことを。そして防具開発の一線を退いた理由が「ハンターになるため」だと言うことを。
肯定したうえで……閉口。後ろには沈黙が続いた。ウルブズはそれでは意味がないだろうと、溜息をひとつ。
「まぁ、肯定それだけを答えとしたいのだろうがな。しかし『酒の場だからこそ』、我はその『決まっている理由』とやらを聞いてみたく思うぞ。……ちなみに後々に個々人から追って何度も尋ねられるよりは、こういった場で噂話として流布してしまった方が、お前さんも楽だと思うが?」
話の繰りが上手い。ダレンは口を挟まず成り行きを見守ることにする。
彼女が「メシエ・カタログ」の中心人物であることは認められた。とすれば、彼女が名声を放り捨ててまでハンターを目指した理由とは。
シャルル・メシエが唇を別つ。聞き耳が周囲に壁を成す。
「決まっているわ」
逡巡はない。シャルルは隣を向いた。
……隣に居る人を、見やる。
そこには彼女が『被り者』という旧称を使ってまで、近縁であることを仄めかし続けた対象が座っている。
対象 ―― ヒシュが、集まった視線に対して疑問符を浮かべ首を傾げた。かくり。
「赤色の道化から聞いたわ。この人が言ったそうね。『そんなに嫌なら、お前もハンターになれば良い』……って。だから、そうしたの。……ウフフ。ハンター、面白そうじゃない?」
あっけらかんと語られた経緯に、集まった人々が
誰が、どうしてハンターになろうとも自由ではある。しかしそれはあくまで、常人にも理解が及ぶ範囲であればの話だ。
反骨心。または、執着心。理解はあれど賛同はない。彼女が主とした理由は、そういった類いのもの。
書士隊だけならず酒場全ての空気を差し置いて、当のヒシュだけが、感慨もなく返す。
「そう。どーぞよろしく、
「エエ。どうぞよしなに、
視線がぶつかる。互いに口の端が、笑みの形をしたまま吊り上がる。
そうして、間に散った火花を飄々と受け流して横に立つネコが、ふいと髭を揺らして締めくくった。
「―― ほうら。皆さんご覧の通り。おふたり、仲はよろしいでしょう?」
1章第二話をご参照のこと。
何年前なんだ一体(