ヒントとクエスが鍛冶場で各々の得物を受け取って借家へ運び、再び外に出るころには昼間を過ぎていた。
本日のフラヒヤの空には晴天が広がり、白雪が陽光を照り返しては眩く山肌を彩っている。とはいえ肌に感じる寒さは寒冷期のそれだ。次に向かう場所を早めに決めておくべきだろう。
そう、隣に立つ彼女に告げると。
「じゃあヒントの案を採用して、村の端っこのほうを見に行こうよ。こないだに移ってきた青の部族も……それに、あのシャルル・ザ・プリンセスも。あっちに家を持っているんじゃなかったっけ?」
「適当な名前をでっちあげないでくれよ。というか君は、彼女のファンなんじゃなかったか」
「まぁね!」
クエスは当然とばかりに胸を張る。
「それもあって見に行きたいのは確かだけど、ほら。あのヒシュ……さん? あの人もあっちに間借りしているって、ウルブズ叔父さんから聞いたじゃない」
「……なるほど。そっちにも興味があるのか」
ヒントは得心する。
先日の雪山におけるドドブランゴとの闘争へ、助力のために駆けつけた人物 ―― ヒシュ・アーサー。彼のハンターは「かつてのダレン隊」の人員である。3年前とある生物の狩猟に向けて急遽結成され……その末果てに、討伐という結実を成した部隊の主力。加えてギュスターヴ・ロンの(驚愕すべきことに、数少ない)
ヒントとしても、そのような人物に興味が全く沸かないと言えば嘘になる。
「連絡用の掲示板に書いてたじゃない。彼が手伝いするのは、午前中って。昼時にはあっちのシャルル邸でご飯食べるっても、律儀にね。だからさ。あの人の人と
「賛成だ。そうしよう」
笑って同意を示すと、クエスは「折角だし、これ着てこ」と書士隊の防寒用の外套を羽織る。ヒントもそれに倣うと、早速下る路を歩き始めた。午前と変わらぬ足取りで、いつもの通りその背を追う。
崖を細く巻き付くようにくり貫かれた道を下ってゆきながら。
「……本当に凄いよね、ポッケ村。こんなに寒い土地に、こんなにたくさんの人が集まっていて……。正直辺境って聞いてたから、こんなにも活気に満ちてるとは思わなかったよ」
クエスは青の瞳をまん丸に広げ、周囲を見回す。
ポッケ村は斜面という守りの盾を持ちながら、山という資源を最大限に活用することで人の行き来を活発にしている。傾斜を利用した滑車や水車による物流などはその筆頭で、高低差や悪路を知識でもって舗装している様子が見受けられるのは大きな特徴だろう。リーヴェルやヴェルドとはまた違った、辺境ならではの逞しさという所か。
「この村に
「何十年も昔には頻繁にあったけど、ここ長らくは記録に残されるような襲撃はないと聞く。ダレン隊長が用意した資料によれば、ちょうど、そう ――」
ヒントが眼下の景色を指す。
崖と河川に囲まれた、今では野原が広がっている一画をなぞり。
「あの辺りに生物を引き込んで撃退を行っていたそうだ。流石にその頃にはティガレックスはいなかったけれど……中型の走竜や雑食の大型生物には何度か襲撃された記録がある。畑にという意味ならば、やっぱりファンゴ達が筆頭だそうだ」
「そっか。……時の流れって凄いなぁ。今じゃあ養蜂から採掘までなんでもござれの資源管理所になってるもんねっ、ね! ……いや、それだけ皆が頑張ってるって事なのかな? まぁどっちにしろ、凄いには違いないよね」
様変わりした土地の様子に、クエスは感嘆を覚える。
裾野に広がってゆく田畑の
「外周は畑が多いんだね、やっぱり」
「寒冷地でこそ糖分を蓄えるような根菜類などが主流のようだね。畑があるからには土地も余裕があって、人の出入りも多い。害獣対策にもなるし、青の部族に逗留してもらうにはうってつけだろう。上下移動さえ
「そだねー。……あ、部族の人達も手伝ってる。畑仕事」
防寒具として青色の外套をまとった人員が、畑のあちこちに見えた。折角の人資源である。手伝う以上は(現物かも知れないが)給金も出すという触れ込みで、部族からも力仕事担当を雇っているようだ。
川に網を投げる漁師。木組みの屋根の下、菌糸類を繁殖させるための切り株を試行錯誤する研究員。削り出した鉱石類を運び込む作業員。それら光景を眺めながら、ふたりは地面の高さまで降る。
路地を回ると、畑仕事……というには多種多様が過ぎるが。兎も角、それら作業に従事する人々が住まう居住区画に差し掛かる。目的のシャルル・メシエの邸宅は、その一画に建てられていた。
「ここか。……でかいな」
ドンドルマの一等宅や最上級のギルドハウスとは流石に比べるべくもないが、間違いなく大きい。門が構えてあり、二階建てだというだけでも周囲の住居からは浮いている。
クエスはひゅーうと口笛を行儀悪く吹き鳴らし、見上げる。
「他と比べちゃうと、でっかいね。元々ハンターに貸すために造った借家で、猟団が大きくなってからは利用されることが少なくなって。だからお姫様一座の貸し切りになったんだって聞いたけどさ。ハンターってほら、色々と面積を取るものね」
口を濁すが、ご尤も。武器にしろ防具にしろ、狩猟した生物の素材にしろ……かつてそれらは全てハンター自らが管理しなければならなかった。
ギルドという組織が広まった昨今では、村の側で倉庫と管理を行ってくれる地域も増えてきた。ここフラヒヤも例に漏れず、申し出さえすれば任せることが出来る。ただし防具や武器はハンター自ら手元に置いておきたいという者も多い。酒場が無い場合には、寄り合い所の代わりとして使われる事も多かった。いずれにせよ家は大きくて損が無いのだ。
近づいていくと、入り口に庭の手入れをしている従者がひとり目に入る。ヒントから声をかける。すらっと白く伸びる単子葉植物の根元を掘り起こしていた従者の前に立ち。
「失礼。俺たちは ――」
「いらっしゃいませ」
口上に被せるように、従者はよどみなく頭を下げた。ただ、慇懃さや、此方を害そうという空気は読み取れない。
どういうことだと訝しんでいると、従者はヒント達の肩口 ―― 書士隊の紋章が刺繍された場所に視線を向け。
「お話を伺っていました。ヒシュさんの同僚の方ですね? 書士隊員の……えーと、ダレン隊の方」
「……はい。そうです。お目通りかないますでしょうか」
「大丈夫だと思いますよ。昼食も先ほど終えていました。少々お待ちくださいね」
しばし待つように告げて、従者は邸宅の中へと入っていく。
奥から許可を取り付ける旨の声が幾度かやり取りされ。何処までも普通の従者という様相の彼女は、殆ど間を置かずに戻ってくる。
「どうぞ。お入りください」
「ありがと!」
「ありがとうございます」
深く腰を曲げた彼女へヒントとクエスも礼を言って……いよいよ、邸宅の中へ。
扉を潜って周囲を見回す。案内が必要な程ではないが、それでも十分な広さを持った建物だ。虹色の伽藍から差し込んだ日差しが、毛皮の敷かれた床と緩やかに降る手摺を彩っている。そもそもロビーがあるというだけでも、一般的とは言い難い。従者に聞いたところ、シャルル・メシエは自室や寝室とは別に「作業室」なるものを持っているらしく、現在はヒシュと共にそこで「昼間の仕事」をしていると言う。
目的の作業室は1階。階段は登ることなく奥の道へ。左右に燭台の飾られた廊下を、ふたりで歩いてゆく。
「ねえヒント。昼間の仕事って、何?」
「前にも言ったが……いや、いいさ」
これは確かに覚えていなくても仕方のない情報だ。
クエスの理解を促す間を挟んで。
「君もシャルル・メシエの容貌を見ただろう」
「うん。そういう生まれ ――『稀白』なんだろうね」
「色素が薄ければ、光に
「そうだね。あのメシエ・カタログのデザイナー……って、流石にもう断定しちゃっていいよね? これは」
「直接は聞いていないが、間違いないと思う。何せ名前が
「だよねー。あのカタログは受けの良いデザインが目立っていたけど……あたしが好きになったのは、あれらデザインを損なわずに示された『革新的な機構』そのものだったよ。だからこそメシエが
「そうだね。だからまぁ、彼女はこの村で板金業を営んでいるようだ。ハンター仕事を猟団が取り仕切っている以上、関係のないハンターが猟場に出る状況は非常に稀有だろう」
「確かに、大きな討伐の依頼はこないよね。猟団がやっちゃうんだから。小型生物の討伐依頼か……もしくは『やむにやまれず』。それこそこの間の雪獅子討伐みたいな場合かな?」
「ああ。だからこそ、この村に滞在する外様のハンターは、手に職がついているに越したことはない。……最も、俺たちはそういう村の領分やら事情を押してまで、書士隊の権限で調査狩猟をと割り込んでいる訳なんだが」
そのために猟団《蠍の灯》の権限をさらに大きく超えた領分、「ドンドルマのハンターズギルド」という強大な権力を振りかざしたのだ。
今の所は狩猟に関する利権でぶつかってはいないが、必要とあらば擦れることもあるだろう。無いに越したことはないが。
「ああ。そっか、思い出した思い出した。最初にヒントが言ってたね。農具とか金属製の調理具とかの修理を受け持ってるって」
どうやら納得は得られたようで、クエスはうんうんとしきりに頷く。
頷き、そして角を曲がると目前に ―― 両開きの扉が表れた。大きな部屋だ。恐らくは件の作業場だろう。なんとか廊下を歩いている間で情報の振り返りを終える事が出来たらしい。
しかし。
ヒントが取っ手に手を伸ばした瞬間……扉が開き始める。
ぎぃと軋んだ音を立てて。
「―― お待ちしておりました、ご両人」
扉の奥に居たのは ―― 背筋をきりと伸ばした獣人族。
襟足に文様をあしらった橙の外套。背丈は小さいが毛並みは真白く、緩やかに弧を描いた髭がぴんと揺れる。
アイルーだ。まるで此方が来ることを判っていたかの様な立ち位置で、完璧なタイミングの出迎え。丁寧かつ優雅な所作が、彼女がただのアイルーではないという事を端的に示してくれている。
「ようこそ、我が主達の工房へ。私、ネコ……えふんえふん。ネコートが、案内役を承りましょう」
出迎えたアイルーは、只の従者よりも余程に丁寧な語り口調で、そう言った。
■□
獣人、ネコートの案内に従って工房を奥へ奥へ。
石造りの通路には雑多な物置き場もあれば、蒸気動力の圧縮機の様なものまで無造作に置いてある。置いた当人にとって雑多ではないのだろう……が、入り組んでいる。確かにこれは案内が必要だろう。
奥に行くに従って、熱が頬をうち始める。暖炉でもあるのだろうかと思っていたが、どうやら違うようだ。
近づくに連れて見えてきたのは ―― 赤く燃え上がった炉。山と積まれた生物由来の骨、鱗、鉄。
そして。
「フフフフ、ウフフ。いらっしゃい書士の皆様方。歓迎するわ……」
掌で天を仰いで身体をゆるやかに揺らし。
遮光晶の庇で視線を黒く覆ったシャルル・メシエと。
「ん。来たね」
これまた謎の取っ手を握み……その手を無造作に挙げ挨拶するヒシュに出迎えられた。
共に全身覆う作業着で、これまた共に、来客に手を止める様子はない。ヒントとクエスは
ヒシュがかくりと首を傾げた所で、数歩前に立っていたネコが、全員に聞こえる位置で立ち止まって振り返る。
「お二方。書士のおふたりをお連れしました。来たからにはお話をするのでしょう。あちらの休憩室を利用なさっては?」
「ん。そうしよう」
「諒解しました。私はお茶を用意してきましょう」
「ありがと、ネコ。……ォト」
「フフ、ウフフフ。甲斐甲斐しいのね、相変わらず……」
こちらへどうぞと促しヒント達を休憩室のソファに座らせると、ネコートは台所へ駆けていった。
未だ炉は見えるが、熱は感じない程度の距離がある。作業着のままシャルル・メシエとヒシュが対面に腰掛け……改めて正面からふたりを見る形となったが、印象も大きくは変わらない。
「ん。このソファは汚れていいヤツ、だから。気にしない」
腰を一度浮かして、ぼふんと跳ねる。
ヒシュは中肉中背の青年で、身体の線と配置はとても中性的。髪が長いのも何かとミスリードで、解くと腰まで伸びる髪を括って首元に結っている。声や筋肉の付き方で判断が着く程度には男性なのだが、ダレンに曰く「以前はもっと見分けがつき辛かった」そうだ。
彼がハンターとして扱う得物は刀剣全て、毒に礫に工匠兵器 ―― つまりは何でも。そう豪語したと聞く。もっとも手の伸ばしやすい腰に佩いた独特の『呪鉈』は、彼が「奇面族」として愛用する……斬るにも叩くにも帯毒にも利用できる万能の爪牙。
力もあれば、名もある。彼の
「ふんふふ、ふふん、ふんふふ……♪」
シャルル・メシエはというと、無駄なく流麗な仕草でソファに座ると、そのまま両眼を閉じて何事か鼻歌を奏で始めた。我関せず。言葉をかける余地がない。ヒントとクエスの事も視界には入っているのだろうが、それにしてもマイペースが過ぎる印象を受ける。
彼女がハンターとして扱う得物は、自らが提唱した
(彼女の立ち回りも、俺は間近に見たからな)
先日の雪獅子の討伐戦に、彼女は銃撃槍を携えて参戦していた。伝令として走っていたクエスは別だが、ヒントはシャルル・メシエの戦闘を目の当たりにしている。
自らを壁と見立てた緻密な防御。効果的に扱われる爆撃、その切っ先で雪猿の群れを割る鶴翼の具現。ブランゴの群れを一掃できたのは、彼女が持つ銃撃槍の制圧能力に依る所が大きかった。
「―― お茶をお持ちしました」
「ありがと、ネコ……ぉと」
「我が主。書士隊員と姫様しかいないこの場ならば、通称で無くても良いのでは?」
「……ん。そうする」
持ってきた茶を配りながらヒシュとネコ(と呼んでおく)がやり取り。
ネコがソファの横に立った所で、ヒシュが横の席をぽんぽんと叩く。「失礼して」とネコが座ると、いよいよ形が整った。
ヒントは間髪入れず挨拶を挟むことにする。
「では改めて。突然の訪問をお許しくださり、ありがとうございます。俺はヒント。隣の彼女はクエス。ヒシュさん、シャルルさん、それにネコさんと話をしようと思い、訪ねさせてもらいました」
「村を見て回っているのね? 仲睦まじい事で、何よりだわ」
「冷かさないの、シャロ」
声を挟んだシャルル・メシエの額を、ヒシュはびしと指の腹で強く突ついた。
驚愕する間もなく、
「痛いわ、嗚呼、痛いわ。傷物にされたのね、ワタシ!」
「わざとらしい。いつもそうだから、疲れる」
その抗議も立て板に水を流すように、溜息一つで吐き出して見せる。これだけでも付き合いが長いと理解できる。ヒントとクエスの関係も似たようなものだ。
改めて。と、ヒシュはふたりを真っ直ぐに見つめる。
「……ん、気になってるだろうから、先に話しておく。クエスとヒント。キミらが此処へ来るの、ジブンらには想像できてた。……んーん……想像しない理由がない……って。言えばいいのかな」
ヒシュは首を隔離と傾げて、不思議な言葉を羅列した。彼の発音は訛りのない王都寄りのものだが、単語や言葉の区切りに奇妙さ……ぶつ切りな感を覚える話し方も、不思議さ、不可思議さを助長する。
ただどうやら単語や言葉に不自由という訳ではないらしい。その言葉の意味を聞き返す。
「想像しない理由がない、って。それはどういう事だろう?」
「ヒントも、クエスも。この間の帰り道でジブンを見てた」
奥深くを覗くように。
指をささず、瞳で此方を射貫いて。
「ジブンらに興味持ってくれてるって、思ってた。……今日は休養日。この村でやれることは限られているけれど……そっちの鍛冶師、ジラバは工房に居る。から、観光に回る可能性は高いと思ってた。他の選択肢、
「流れはその通りだけど……つまりは」
「ん。ジブンも同じ、ってコト。クエスやヒント。ジラバやカルカのこと、考えてた。ダレンの新しい仲間だからね」
つらつらと話すヒシュ。
率直に楽しそうだな、とは思うものの。
「ジブンも……隣のシャロも。ヒントとクエスに興味がある。今のポッケ村のことも。こないだの雪山のことも。あとあと、あの形を変える武器の事も。色々と聞きたいし……最近のウルブズの事も、聞きたい。いっぱいあるね。だから、来てくれれば
笑みを浮かべてそう締めくくる。
恐るべきことに、彼の言葉からは邪気が微塵も感じられない。ともすれば誰に引っかかることも無く通り抜けてしまいそうな程に真っ直ぐな台詞。世間に擦れ過ぎたヒントにしてみれば、裏が感じれないからこそ疑ってしまう。そういう段階である。
その言葉を困惑と嬉しさを半々に混ぜ込めて受け止め咀嚼していると、ヒシュは続ける。
「で。だから、来てくれたら、誘おうと思ってた。……だよね、シャロ」
視線を横へ。
向けられた先で、シャルル・メシエはわざわざ一度間を取って、閉眼した後に頷く。
額にかかった長い髪をゆるりと払って ―― そのまま手を差し伸べる。
「お二方……だけでなく、書士隊の皆様方へ。こちらをどうぞ」
便箋だ。加えて、飾り気は無いが、重ねて重ねて漂白された、真っ新な封筒。
それら染め抜かれた潔白を差し置いて、添えられた彼女の手は、尚白く。
「―― ワタシから。ふたりを含むダレン隊を、夕食に招待したく思うの。時間まではまだ……そうね。温泉にでも浸かってきたら、如何?」
太陽は傾き、黄道を降ろうとした矢先の出来事である。
どこまでも先手を打たれ、端を押さえられた2人は、素直に頷く他なかった。