モンスターハンター 閃耀の頂   作:生姜

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幕間その三 銀の嶺、青の衣、黄の従者、茸の豚

 

 丸太に軽く刃先をあて、引いて、違わず振り下ろす。

 狙い通りに寸断された木片を、彼は腰を折って拾い集める。束を作れるだけの量を抱えるとそれらを括り、雪車(ソリ)の荷台へと放る。既に山と積まれた木々の最上段で、からんという音が響いた。

 これにて薪は十分量を満たした筈である。仕事は終わり。そう区切りを付けて、手に持った斧を適当な場所に立て掛ける。

 心地よい疲労感のまま空気を吸い込み ―― 吐き出す。嘗ての温暖で湿度の高いそれとは異なる冷たい空気が肺を刺すように刺激するが、それも今では毎日の事。

 ふと、慣習から周囲を見回す。地肌は色見少なく土と石。水場の周りにだけ、背の低く細い葉を地面いっぱいに広げた緑の装飾が施されている。

 その他の意識と敵意が少なくとも周辺には感じられない事……それでも水辺のそこかしこに営みの熱を感じられる事を確認して。再び、息を吐く。

 

「―― ふう」

 

 湖面の際に立ち山々を下にひく蒼穹を見上げ、ハンターは汗を拭った。

 身に纏っているのは一般的に駆け出しのハンターが(素材の集め易さ故に)選ぶ「レザー装備」と呼ばれる防具一式だが、彼の腰には木彫りの仮面が下げられており、駆け出しとは言い難い奇妙さを醸し出している。

 髪は墨汁に一昼夜浸したかの様な、艶を湛えた黒。今は解かれたそれら髪が腰元まで伸びており……くびれの辺りで布製の髪結いによって括られ……透明と呼べるような無味無臭無色の視線や目鼻立ちと相まって、性別の判断の困難さを助長している。

 

 ……助長している。

 が、その体躯をよくよく観察すれば。あれから(・・・・)頭一つ分以上も成長した背丈と、隆々とは言わずとも相応程度には付いてきた筋肉の具合から、『彼』は恐らく男性なのであろうと、今は、凡そ、判断する事も出来るに違いない。

 

「おーけー。薪割りは、確かに終了」

 

 数えていたのだろう。雪車の荷台に積まれた薪の概算を終えて、今度こそ彼は踵を返した。

 今度は薪を運ぶ雪車を引くために、紐を袈裟懸けにして顔を上げる。

 

「……うん?」

 

 顔を上げて気付く。地面の見えた山肌を、白の染め物で身を覆ったアイルーが勢いよく滑り降りて来るのが見えている。

 アイルーは小柄ながらに軽い身のこなし。斜面を4つ脚で捉え、彼の名を連呼する。

 

「―― ヒシューっ」

 

 ヒシュ。彼を親代わりに育てた(実際に面倒を見たのは愛妾方々ではあるが)奇面族の王が手ずから付けた、彼固有を指す名前である。

 その名を呼ばれた彼は雪車を背にしたまま、アイルーに向けて向き直る。

 

「と、っと。ヒシュよぅ、今、良いかニャ?」

 

「ん。モービン。よいよい。ちょうど、薪割りを終えたとこだよ」

 

 件のモービンは、白地に茶の虎模様が入った体毛をぶわりと広げて崖の端を飛び降りる。宙で軽やかに回転、涼しい表情で地面に着地した。

 髭を緩やかになびかせたまま、彼にとってはいつもの皮肉げな風味で口の端を歪ませる。

 

「お前が呼ばれてる、呼ばれてんニャよ。巫女様(・・・)に」

 

「ああ。もしかして、護衛?」

 

「そうみたいだニャ。日課とは言わんが、祈祷ニャ。どうやら天辺の近くに行った方が良さ気で……相方が、引き留めてるニャよ。今の内に護衛のハンターを、って涙目だったニャッハッハ!」

 

 呆れつつ、面白そう。そんな微妙な様子を髭の端から滲ませたモービンの様子である。

 だが気にせず、間髪入れず、間を置かず。ヒシュはかくりと相槌をうった。

 

「ん。じゃあ行こう。モービン、この薪をお願いできる?」

 

「あー……質量的に厳しいだろニャ。けど、トキシの親分を呼んでやるニャ。こっちは心配ないから、行ってやんニャあ色男」

 

「……んー……それ、ジブンを褒めてる?」

 

「ああ。最上級にニャ」

 

 最後は適当な調子になったモービンにしっし、と前足で払われつつも、ヒシュは気にした様子もなく、再度のかくり。

 旧知の仲であるモービンは、いつもこの調子である。女と酒が好きなのは彼が友にして親分と仰ぐ(・・)団長の影響であるが……適当で迂遠な言い回しを好むのもまた、件の団長の影響なのだろう。

 ヒシュはさっと手を上げてモービンに別れを告げると、彼が降りてきた崖を手際よく登ってゆく。ひとつ上の台地に出た所で、掌を庇にして周囲を見回した。

 

「……居場所。あそこかな」

 

 遠目の高台に、『青衣の集団』が屯しているのが目視出来た。装備品をしっかりと背負い、腰に着け、木製の仮面が振り落とされる事の無いようベルトを確認してから、ヒシュは小走りに駆け出す。

 現在ヒシュが身を置く駐屯地はそもそも面積を必要としないため、敷地もそう広くは無い。組み立て型のテント式住居が並ぶ区画を抜けてしまえば、あまり距離を走る必要も無く、目的とした集団の全貌が見えてくる。

 青衣の集団、その際端。

 走り寄ってきたヒシュを認め……周囲の青衣の中で一際浮いて、より厚手に『黄色の』外套を着ぶくれ着込む、襟を広げ立てた人物が此方へ声をかけた。

 

「―― 着いたか」

 

「ん。呼んだ? シャシャ」

 

 簡素なやり取りをして、着ぶくれ黄衣の男 ―― シャシャが頷く。

 彼は薄く髭の生えた顎をキレよく動かし、木々に囲まれた高台の方を目線で指す。

 

「我らが筆頭『星聞きの巫女』がフラヒヤの空を拝聴しに往く様だ。私とキミで護衛を務めたい。頼めるか?」

 

 両の掌を合わせて白髪の見え始めた頭を下げる。彼の言葉に従ったように、群れていた人垣がさぁっと2つに割れた。一族に異存などなし。そう、行動で示して見せたのだろう。

 しかし促されたヒシュの側はというと、雰囲気を読まずその場に留まったままだ。ある一点が気にかかってしまったらしい。

 

「……なんで、今日に限って山登り? これから空は荒れる、と、思うんだけど」

 

 西側の空を指さして、かくり。傾いでみせた。

 指さされた空は透き通るように青く澄み渡っている。が、ヒシュがフラヒヤ周辺での活動を始めてから2年。変わりやすいとはいえ、山での活動経験も適度に積んでいる。今現在、風の昇り具合や湿度は明らかに吹雪く手前のそれである。加えて先ほどの薪割の間、平時であれば少ない栄養源を求めてカルデラ湖面周辺に草を食みに出てくる草食動物……ポポなどの生物がいなかった事は確認した。山の生物達も同意見のようだ。

 シャシャはヒシュのその意見に同意を挟む。溜息を溢し。

 

「ああ。荒れるだろうな。だがしかし、アレが我らやキミの意見を聞くものかい?」

 

「あー……」

 

「それにヒシュ。『荒れるからこそ見に往かねばならぬ事もある』だそうだ。託とやらがもたらされる機はアレにしか判らぬ。故に、我らが悩むのは時間の無駄というものだろう。……幸い祈祷場までの道は昨日整備したばかり。命に危険が及ぶほどに酷く吹雪くなら、私が責任をもってアレを道中の詰所へ押し込んで見せるさね」

 

「ん。仕方ないね。わかった、用意する」

 

「感謝する。どうぞ頼むよ」

 

 シャシャの愚痴を受け止めながら、ヒシュは近場の納屋の中へ。

 棚にぞろりと居並ぶ武具を一瞥。その内から3年間、数多の補修を重ねた黒狼鳥(イャンガルルガ)の一式を()手足(・・)に手際よく纏い。

 最後に頭は『モスフェイク』ですっぽり覆い、茸豚の様相で納屋を出た。

 

「おーけー。行こう、シャシャ」

 

「……キミよ。何故モスか」

 

 黄色く分厚い外套のそこかしこに甲をあて、自らもハンターとしての装備を整えたシャシャは、ヒシュのその姿を認めると目に見えて肩を落とした。額に手を当て目を瞑り、溜息。

 それも当然の事。黒狼鳥の刺々しくも強靭な鎧を身に着けておきながら、頭は茸を探して鼻をふごふごと鳴らす猪豚……モスそのままなのである。緑と土色の混じった生皮に覆われたその頭。合身生物(キメラ)茸豚黒狼鳥(ヒシュ)は緑色のつぶらな瞳を此方に(実際には視界はモスの口元周辺である)向け腰に手を当てると、ふんすと鼻息を鳴らして自慢げに胸を張った。

 

「良いでしょ?」

 

「お前の実力は疑ってない。そういう(・・・・)選択肢の上手さもだ。けれどな。気が抜けてならんのだぞ? それは」

 

「ジブンだからね。慣れて」

 

「……負け籤を引かされた気分さなぁ」

 

 彼は何とも言い辛い表情でそう呟く。

 呟いて、落胆する暇もなく。彼の態度を意に介せずさっさと部族の姫の元に向かうマイペースなヒシュの後ろを追った。

 

 

 

 

 

 ――

 

 ――――

 

 

 

 

 

 小走りに移動を初めて2時間ほど。祈祷場までの道程の中程を過ぎた辺りで道端には白く雪が見え始めた。周囲を囲む山々もしんとした静かさを積層させ、底冷えする冷たさを漂わせ始める。

 依頼主の気まぐれから集落を昼間に出立した事もあり、どうやら目的地に到着するまでに一泊する必要がありそうだな、とヒシュは頭の中だけで概算を済ませておく。青の部族の準備調達を信じるとして、道中には野営を済ませるだけの設備は用意されている。あとは日没までの余裕を持ってどの程度まで移動を済ませるか ―― これについては残る2人の体力を考えて決めるべきであろう。

 そう考え、ヒシュは後ろを振り向く。まず視界に映るのは、黄衣や帷子を幾重にも着込み……狩人の一端としてこの程度の移動では息を乱していないシャシャ。

 そしてその後ろから、薄青い貴色の毛で装飾され他より豪奢な外套を羽織る小柄な人物が、前をゆくシャシャの手を堅く握りながら追う。

 最後尾をよたよたと走るその人影は、額から両目 ―― 鼻元までを覆う幅広の眼帯を身に付け、眼帯の内の瞳も終始閉じたまま。足取りは確かなものの、他2人とは違い、白い息を大きく吐き出して。

 

「シャシャ、ヒシュ。……はぁっ、はぁ。……はぁっ、はぁ、ふっんぐ……早い」

 

「ん。休憩はさんだ方が良い?」

 

「そうするか。コレもどうやら、限界らしい」

 

「はぁっ……はぁ……ありが、と」

 

 問いかけに従者が同意するのも待たずして、見るからに疲労感を滲ませた「巫女君」は近くの岩場に座り込んだ。

 シャシャはやれやれ、と溜息をつきながらも懐から革製の水筒を放る。上手くキャッチできず、わたわたと手元で遊ばせて、巫女君がそれを受け取る。

 

「ぞんざいでは……ないですか。私、貴方の、護衛対象、なのですけれど」

 

「護衛はしよう。だが、休憩時まで気を張ってるような輩は疲れてならない……と。貴方からはその旨、以前から、何度も、繰り返し、しつこく訴えられていたと記憶しているのだがね?」

 

「……それも、そうですね……」

 

 底なしの体力で狩場を駆けるハンターと自分との体力の差を考慮して欲しいだとか。ポポの引き車くらいは事前に手配できないものかとか。祈祷場と集落の距離が遠いとか。そういう愚痴をぽそぽそと溢して暫し、巫女君は水筒から唇を離す。

 

「シャシャ、ありがとう」

 

「どういたしましてだ」

 

 眼帯で覆われた顔を声のする方向へ。巫女君はその瞼を下ろしたまま水筒を差出し、シャシャがそれを受け取った。

 ヒシュはそんないつも通りの様子を遠巻きに眺めながら、周囲警戒を解いた。ふいと首を曲げ、かくり。

 

「動ける? それとももう、野営にしてしまう?」

 

「そうだな……」

 

 シャシャがむんと声を漏らし、悩み始めた。長くなるだろう。ヒシュは肩の力を抜きつつ、現状を振り返る事にする。

 ヒシュという個人がこの「巫女君」らに抱く印象はおおむね快いものだ。

 青の部族。音を ―― 否。「歌」を媒介として物語を語り継ぐ役目を持つ古い民族ながら、しかし、強い「星聞きの力」を得て生まれてしまったが故。ヒシュと同年の齢19という若年ではあるものの世情を読む「神巫女」として扱われる事になってしまった少女。それが「巫女君」である。

 とはいえ、そんなものはあくまで個人的な印象に過ぎない。心情よりも。この少女と青の部族の価値を考えれば、ヒシュはここに滞在せざるを得ないというのが現状である。例え元来目的としていた現象……「魔剣」の調査が後回しになるとしても、だ。

 

(本当は、魔剣の事、なるべく調べないといけないんだけど。これが回り道かは……うーん。運次第?)

 

 今日も澄んだ青空をちらと見上げながら、ヒシュはどうにも上手く進まない現状を憂う。

 ヒシュが視線を外し思考に沈むその傍ら、シャシャと巫女君は声をややもあげながら。

 

「山を登らねばならぬ場所へ祈祷に行くというならば体力もつけるべきでは無いのか、巫女殿?」

 

「む。こればかりは、本業では、ありませんからね……時間さえ、あれば、体力作りにも……取り組みましょう。いっその事、ハンターとして、登録して……しまいましょうか」

 

「それはやめてくれ給え。少なくとも今は、私に時間が無い。どうせ教導は私に投げられるのだからね」

 

「ええ。弓を、使い……ましょう」

 

「夢想は勝手だが……そうさね。矢を作るくらいなら薪にしてしまえと、族長には言われるかな」

 

「先読みは得意です。きっと、お役に立てる事……でしょう」

 

「……ああ。いつも人の話を聞かないな、巫女殿は」

 

 等々。

 無論、この巫女君と従者の行く末……いや。それは大げさな語りだが。兎に角、専任のハンターがヒシュとシャシャしか存在していない無謀なこの一族を守りたいと思う気持ちも無くは無い(むしろ多分に多い)ので、心中は余計にこんがらがってくるのである。

 

(青の、部族。星聞きの巫女。その護衛。ジブンにとっては、重要な情報源だと思う……けど)

 

 青の一族とは、『語り継ぐ』事を命題とする部族であると知っている。

 白が地を『醸成』し。

 赤が場を『設営』し。

 それらを黄が『観測』し ―― 人の世にて青が『語り継ぐ』。

 各々部族に振り分けられたこれら職務の『語り継ぐ』にあたるのが、青の部族であると。

 語り継ぐための方法は幾つもある。それは歌であり、物語であり、書物であり、詩であり。兎も角も手段は問わず。物語や口伝を後世に残す事を使命とし、全うするのだ。

 とはいえ語り継ぐためには人の世の情勢を汲む必要があった。青の部族はそれら時勢や流行に敏感であり、時には演劇や掲示板などの流行に沿う事もあるという。その点について、この巫女君は「星聞き」という託宣を受け取る分野で活躍出来た。

 またこれら事情により、青の部族は排他的な他の部族と比較すると随分と開放的で、巫女の護衛のシャシャの様な外者を招き入れることも数多い。かく言うヒシュも部族においては、巫女の見地を借りるために間借りする傭兵ハンターという肩書である。

 ……序でだが。雪山での採取は在住する狩人の少なさもあって実入りがよく、護衛の傍らあちこちに足を伸ばしていたら、ギルドポイントなるものが大量に溜まっていたりする。とはいえヒシュにとってそれらは副産物に過ぎず、あくまで部族に帯同する事によって手に入るお目当ての情報こそが目的なのであるが。

 ヒシュ自身はハンターとしての依頼もあるものかなと、時折ポッケ村に唯一設けられているギルドと伝書鷲のオリザを通じてやり取りもするが、フラヒヤ周辺に点在する人里に密接した小型モンスターの掃討やポポの動向観察、素材の収集に関する依頼が大凡である。時折雪山を住処とするドスファンゴやドドブランゴが人里に近づき撃退討伐の依頼が出されるものの、そういったものは大概がポッケ村の専属ハンターに回されるため外様のヒシュに出番はない。この点についてはむしろ、大型モンスターとの連戦に明け暮れていたジャンボ村が例外なのである。

 勿論の事、大型モンスターが縄張りを乱したり、新たに里を開墾したりといった事情があれば別なのであろうけれども。

 

(前なら悩まなかったカモ、知れない。こういうの。うん。成長、成長)

 

 そういった心境の変化は前向きに受け止める。

 回想終わりとヒシュがかくりと頷いた所で、シャシャと巫女君の相談……言い争いではなく相談である……は終わったようだ。

 

「日没まで半刻ある。巫女殿の体力を考えるに、そろそろ野営を敷いておくのが好ましいだろう」

 

「……誰が、限界などと、言ってはいない……でしょうに」

 

「ん、判った」

 

 ハンター2人の意見が揃ったところで、巫女君の反論は封殺。ヒシュは荷物を再び背負い、近場の野営地に関する記憶を探る。

 

 

 

 

 ……そうして現在地にほど近い、設営された洞穴へ向かう道中であった。

 フラヒヤの遍くを彩る、透き通った空気。青い空。

 全天。それらを覆う灰色の雲に紛れて ―― 白銀の龍が降り立ったのは。

 

「―― ジブンが相手をする。シャシャ。巫女君を連れて、逃げて」

 

 

 

 

 □■□■□■□■

 

 

 

 

 辺り一面が周囲の山々どころか数メートル先を視認するのもやっとの猛然とした吹雪に包まれる。

 山々に次第に近づいてゆき。

 一番に認知出来るのは ―― 音。吹き荒ぶ吹雪の中に似つかわしくない、風雪の騒音すらも鋭利に貫く、金属質のじゃりじゃりとした音。そしてぶつかり合う、山肌によく響く音。

 次いで、音源の方向へと近づいてゆくと、明滅する火花が視認できる。周囲の白さに反射して黄色、橙、赤。時には青色の火花までもが金属質の音に伴って甲高くちらつく。

 

 地に着いた四つ足を蹴り飛ばし、一陣の風が唸る。

 雪の幕を貫いて、引いて、巨体が空へと躍り出る。

 

 飛び立った際の風圧でぽっかりと空いた吹雪の間隙。

 そこには風圧を受けて体勢を崩しつつも踏ん張る、茸豚の被り物をし全身に道具を身に着けた狩人……ヒシュの姿が在った。

 そして狩人が見上げる先にまた、全身を硬質の金属で覆われた古龍……クシャルダオラの姿が在った。

 じゃりっ。中空に在るがまま体を捻り、吐き出される風雪の砲。

 

「ん ―― ん!」

 

 その場を飛び退き、飛び退いた先で身体を屈曲伸展、また飛び退く。自らがつい先まで脚を着いていた雪面が地面が露出する程に抉れるその様を、終ぞ意に介せず茸豚が跳ねる。

 飛び退く。前へ、前へと。そして射角が取れなくなったクシャルダオラが嫌がり、此方に視線を向けたその瞬間を逃さず、閃光玉を炸裂させる。

 視界を奪いさえすれば。そう考えてのヒシュの行動は、しかし。

 じゃりぃっ。

 

「キィ゛ォォォオ゛!」

 

「ん゛っ! くっ、ん!!」

 

 飛べるという有利を投げ捨て、地面目掛けて飛び掛かったクシャルダオラによって奏功せず。またもその場を飛び退く羽目となっていた。

 側宙を切って脚、両手の順に地面を咬ませる。立ち位置が良い。クシャルダオラが此方を向く前に ―― ヒシュは体勢を整え、力を十分に溜めてある両手両足で地面を蹴った。諦めず。今度は此方が驚かせる番だとばかりに。

 敵の後方。振るわれた尾を突き出した紫の脚甲で受け流し、反動で投地した手足を撥ね退ける。クシャルダオラが左旋回。脚爪、前脚、牙の連撃を立ち位置を調節しながら範囲外へと誘導し。

 旋回しきった目前にクシャルダオラの大きく開かれた顎、ぞろりと居並ぶ牙、そして最大の武器である空砲を吐き出すための……口内。傷を付けるのがやっとの甲殻(そと)ではない、柔らかな(なか)が露呈していた。

 

「んっ!!」

 

 左に握った『呪鉈』を思い切り振るう。口腔内の粘膜を傷つけた手応えと同時に、青色の粘質な液体がぶちまけられる。異常を感じて口を閉じたクシャルダオラに、追撃。更に身を捻って背負っていた中型の『骨棍』を内部を攪拌する様に側頭部へ叩き付け、足刀を角に入れ、蹴り脚を目に被せ……クシャルダオラの顔を足場に、数歩距離を取る。

 ふうと大きく息を吐く。場所を入れ替え正面に対峙したクシャルダオラは瞼を開くと、外骨格に異常がないことを確認するように首をじゃりぃと小さく振るう。どうやら、此方を感心した様子(・・・・・・)で眺めているようだった。策を破られたというのに反撃までして見せるとは、といった所であろう。

 感心した様子、というのはヒシュの所感であるが言葉にするのは難しくない。巫女の休憩をと動いた矢先に急襲したこのクシャルダオラの「此方を排除しようと言う意思」は、あわよくば。値踏みするより害意は強く、しかし全力を費やす訳ではない。そういう心算である。

 じゃれ合うでもなく。こうしたある程度本気同士のぶつかり合いを繰り広げ初めてから、既に半刻が過ぎていた。吹雪で陽は見えないが沈み始めている頃合いであろう。遭遇と同時に逃がした巫女君と守り人シャシャは、疾うの昔に(予定していた場所よりもひとつ上の)隘路の先に設営された休憩場所まではたどり着いただろうか。

 

 そして意識を逸らした間へ間髪入れず両爪が入り込み、そう来るだろう(・・・・・・・)と予測していたヒシュが受け逸らす。

 

 そう。地を抉り岩塊を砕く膂力で持って振るわれた爪を、矮小な人の身でかちりと受け流す事が ―― 適う。

 ヒシュも齢19を迎え、筋肉と体格が年齢と性別相応に追いついて来たとはいえ、相手は古龍。思考が……思惑が読めている。繰り出される手が読めれば初動も早い。これ程の攻撃を確実に処理出来ている理由は、間違いなくこの点にある。

 予てからモンスターの行動を先読みする事に長けていたヒシュではあるが、それにしてもこのクシャルダオラは「親和性」とでも呼ぶべき物が高過ぎた。何せこうして命の削り合いをしながらも、会話を重ねているかの様な感覚を覚えるのだから。

 会話。いや。意思の疎通、と表現するのが適切か。

 意思だと仮定して。

 

(これって……ジブンに……興味がある? でも……)

 

 此方を ―― ヒシュという個人に興味を持っている。だからちょっかいをかけている。信仰のない学者連中に「ロマンチスト」の付箋を貼られ、一笑に付される感。

 確かに鋼龍……クシャルダオラとは、攻撃性の強い種であると(遭遇数の少ないなりに)認識されている。ノレッジが密林で遭遇し、ドンドルマにおいてダレン、リンドヴルム、グントラムらの協力を得て討伐を果たした鋼龍も、テロス密林においては手当たり次第の大型モンスターに喧嘩を売り、退けていたらしい。そういう気性の生物であれば、ただ歩いていたヒシュらを襲うという事態も十二分に在り得る話。

 だが巫女が祈祷場を置くこの雪山は、青の一族が数十季もの間根城としている場所だ。哨戒員も足繁く巡回しているが、ここ数か月は大型生物の捕食痕や足跡も確認されておらず、小型生物の縄張りの移動も確認されていない。特に小型生物の移動は古龍の到来の予兆として決定的なもの。だとすればこの山頂近辺がクシャルダオラにとって縄張り……もしくは脱皮のための場所であるという可能性は低く、この襲来は唐突な物である筈。ならば、ここで、クシャルダオラの側から手を出してくる。遭遇したばかりの、縄張りではない場所に居た、特に敵対行為もしていない相手を。しかも極めつけに「排除するという意思は殆ど持たず」というのは ―― やはり。

 ふと、テロス密林での黒狼鳥の狩猟が思い出される。脳裏にはっきりと結ばれたあの像は、間違いなく黒狼鳥の経験そのものであった。鬩ぎ合うやり取りを重ねた先に見えたあれらは、今の感覚をよりはっきりとさせた物だ。

 それら経験を鑑みても……重ねて、やはり。

 クシャルダオラが、ヒシュの強さを、試す。能力を知りたいと、願う。そんな理由を否定する材料が、ここには見当たらない。

 好奇。興味。……それはまるで。

 

「……ォォ゛キィ゛」

 

「……」

 

 地面を抉る爪を引き抜き、一足に飛び退く。後退した場所で、クシャルダオラは足を止めた。首を擡げ、四肢を突き、羽を畳み。薄くなった害意に応じて吹雪が段々と収まり、傾きながらも辺りを薄く照らす陽光が、空の端から雪原へと差し込み周囲を赤く染め始める。

 端から眩く(・・)、陽の色に逆らわず赤く(・・)照らされてゆくクシャルダオラ、その身体。『引き鋸』や『砲撃槍』を使い捨てて得られた棘や突起の欠け。口内に毒の苦さと、血流に乗った毒の痛みと、脈動に呼応して身体を幾重にも襲ってゆく倦怠感と。

 それら反撃の成果の跡は見られるが。

 

 陽光がくっきりと顔を出せば、しかし堂々と首を持ち上げる威容には微塵の翳りもなく。

 その極冠には陽光と見紛う白金が纏われ ―― 広がり。金属質の外骨格までもが、一片のくすみもない白銀色に染め上げられていた。

 

(銀の嶺を、冠るどころか、それそのものと化した龍。……銀嶺龍って、呼ぶとして。……亜種? ……んん。古龍は塗りつぶす側。地域や植生くらいじゃあ、動じない気がする)

 

 真っ直ぐに伸びた喉元。その細かく重なり合った外骨格からは小さく呼吸をする度にじゃりじゃりと、鉄と鉄とが擦れる様な音が鳴る。

 銀嶺龍が属する「鋼龍」という種は本来、動いただけでは体から金属音など響かせはしない。あるとしてもそれは(近年遂に判明した)身体が錆び付き脱皮の機会を待っている間の状態……「風翔龍」における一時的なものであって、銀嶺龍には当て嵌まらない。

 それら特異性を成す理由は、思い浮かぶ。

 

(銀嶺龍の、年季に寄るもの……?)

 

 クシャルダオラという個体は、その硬質で鋼に近い特性をもつ身体を、脱皮を重ねる事で成長してゆく……の、だろうと、王立古生物書士隊や古龍占い師達によって予測されている。身体の構造としては甲殻種などと同様の外骨格に属し、尚且つ鎧の様に継ぎ合わされた流麗な関節が龍としての柔らかさをも体現するのだそうだ。

 その点が「銀嶺龍」と「鋼龍」との間にある個体としての違いといえよう。

 夥しい年月を重ねた銀嶺龍の間接の節々は嘗ての形を保てず磨り減り、尖り、従来の滑らかさを失う。擦れた間接が錆び付きとはまた別の構造的な問題によって軋む事で、体動の際に不快な音を発するのだろう。

 では「銀嶺龍」と「風翔龍」との違いは何か。体色以外の、その理由。

 ヒシュが銀嶺龍と称したこの個体の観測資料は、少なくともヒシュがここフラヒヤを訪れる前の市井においては存在しなかった。そのためこれはもはや妄想でしかないが、錆び付いた音を発するほど年月を重ねた風翔龍は、脱皮を行うことで皮膚を新調する。 ―― しかしそこからさらに年月を重ね、皮膚そのものの寿命が「もはや脱皮できない、或いは脱皮した直後の皮膚ですらも痛んでいる程に劣化し、金属の質も代替しようが無い程に変化してしまった」のが、銀嶺龍の白質の鋼皮と骨格なのではないか。ヒシュはそうあたりをつけている。

 現に鋼龍の外骨格の端々……最も劣化が激しいであろう突起部や棘の先端などは、白く変質している様子が確認されている。()級と呼ばれる中でも特に強大な鋼龍に特有の部位である『銀嶺の冠』などは、その白質化の最たるもの。劣化と成長を一緒くたには出来ないが、いずれにせよ、変色した部位は鋼龍にとっての「年季」であると考えられる。

 とはいえ挙げたそれら一例は体の一部、一部分である。

 だとすればこの全身が白色化したクシャルダオラの年季など、如何程のものとなるのだろうか。想像すらも付くはずのない、途方もない年月を積み重ねてきた事だけは、判るものの。

 皮膚は骨格と密接に一体化し、老朽化した関節は音を立てるほどに軋むとはいえ、擦り減っているが故に滑らかに動く。一応の説明はついてしまうのである。

 

(……でも、それは……)

 

 そう。だとするとこの銀嶺龍は、歴戦という二つ名すらも飛び越え、老齢な(・・・)と言い表すのが相応しい事になる。

 

「ォォ、グ」

 

 長考に耽っていたヒシュの前で、銀嶺龍(クシャルダオラ)が中空から視線を戻す。

 首を ―― 目を。その内を此方に見せる。

 瞳の奥へ、一瞬で引き込まれていく錯覚。

 

 

 ―― 剣の蛇、聖堂とは名ばかりの悪辣さを諫めん、白亜の流星で貫き何処。

 

 空を征く銀嶺龍の姿が見えた。

 肩越しにぶれるその視界。乾燥帯……砂漠の中央に広がる広大な建築物が、空を滑り中央に突き立てられた白地の落下物によって、砂の渦に飲み込まれてゆく様 ―― を、見届ける。

 

 ―― 拘りは無く。三日月の角竜に彼の地を譲る、起きた汝は郷愁のままに生地を目指す、かつての生地の賑わいに耳を(そばだ)て。

 

 今度は乾燥帯を抜け、辺り一面の雪景色となった。雪山の中腹に作られた村に、沢山の人々が行き交うのが見える。見覚えのある景色が鮮やかに変わって行く様 ―― を、少しの間見届ける。

 

 ―― 人が世の広さ、思い知り、しかして布告に従う術無し。

 

 棍棒と虫を扱う人を追い回し、見失う。知恵持つ人の小狡さとでも言い表すべき在り方に心躍らせ、微かに嬉しく思う。踊るように跳ねる、今は遙かなその後ろ背 ―― を、見届ける。

 

 ―― なれば託し、退く。数多命が待ち望みしあるがまま。何れは汝、彼の王の下へと馳せ参じるべく。

 

 数多くの物語を見届けた。その為の生涯だった。

 ただ、そこには諦めも、ましてや悲観も無い。当然である。自由を得たこの身。胸元に抱くのは「これから」に期待する、嬉しさである。

 

「……!」

 

 はっとした心持ちで、ヒシュは踏み込んでいた右脚を後ろへ戻す。

 見ていた光景が急速に遠ざかってゆく。

 

「今の、は」

 

 そして、銀嶺龍の目前に立ち戻る。

 静かに佇み威容を纏うその姿に、気付く。

 生気に乏しい。全身に血を巡らせる心拍の機能が劣化しているのだ。

 視界が遠い。水晶体は経年劣化により混濁し、引き絞る眼筋は固くなり始め。

 息が薄い。肺や空砲を吐き出す為の器官が、それらを包む膜が、積み重ねた年月に疲れ果てているのだ。

 じゃりじゃりと叫ぶは身体。虚ろを孕むは瞳。今の銀嶺龍を動かしているのは、生物側の観測者としての役目を背負い続けた果て ―― 傍観の念であるのだと。

 

 そして、気付く。

 目前此方を見つめる龍は、ヒシュを識る者。

 彼こそがかつてジョン・アーサーを追い回した「白質の鋼龍」そのものであり。だからこそ子の行く末を見据え、見届け、託すために此処へ立ち寄ったのだ。残された少ない時間の中に在りながら、彼にとっての生地……故郷でもあるここフラヒヤに脚を伸ばしてまで。

 この龍もかつての未知と同様に、ヒシュを待っていた物。そういう事なのだろう。

 

「あっちへ、征くの?」

 

 ヒシュが傾ぐ。龍の返答は無い。

 擡げた首をすいと伸ばし、じゃりぃという掠れた音を響かせ。未練は濯いだとばかりに空を仰ぎ ―― いつしか龍は南方へ一筋、白い流星となって滑り落ちた。

 フラヒヤの山々は旧大陸の東に位置している。其処からずっと南へ下れば何れ、昨今調査を始めたばかりの未開の大陸が見えるとされている。シキ国の冒険者によって(近年進展の著しい古龍の調査に伴い)発見された彼の地は、古の龍が海を渡ってまで身を寄せる摩訶不思議な場所であるらしい。幾許かの物語を見届けた後、恐らくは銀嶺龍もその場所へと赴くのだろう。

 

「……ああ」

 

 そして、そして……末尾。

 最期までを見届け、視線を下ろす。ヒシュの目前にはあの龍から託された(これ)が在る。

 ジブンは試されつつも、つまりは此処へ案内されていたのだと気付く。

 囲み聳える白銀の地肌にぽっかりと、深い穴。深淵の底。天を覆う白のフラヒヤを貫く、暗き孔。

 

 其処に ―― 闇に溶けるが如く、黒く巨大な槍が突き刺さっている。

 

「ああ。これは当たり、カモ。巫女君の託宣に、感謝しなきゃね。南無南無」

 

 茸豚の被り物の狩人が両の掌を合わせ一礼。

 総じて気の抜けて統一されない感謝の造作を終えると、一先ず。

 野営地で待つ従者と巫女君に事の顛末を伝えるため、今来た道を駆け戻っていった。

 

 

 

 

 

 かくして時代は接がれ、継がれてゆく。

 次なる舞台 ―― フラヒヤの地。

 幾重にも被さる吹雪の幕は、今まさに開かれようとしている。

 

 

 





・銀嶺の冠
 クシャルダオラのレア素材。
 割と余る(暴言。


・かの大陸
 新々大陸、モンスターハンターワールドの舞台。
 本作ではとりあえず、大全の地図に示されていない大陸と仮定してある。

・モスフェイク
 茸を主食とし背に苔を生やした豚、モスの頭部を模した装備。
 かつてはジョークグッズだったが、近年「キノコ大好き!」というスキルを発動できる装備として定着し、秘薬や強壮薬をかなり節約・増強できる有用な装備に変貌した。
 色変更では目の色が変わるため、虹にすると地味に光って不気味。

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