モンスターハンター 閃耀の頂   作:生姜

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第三十五話 生者を照らす朝日

 

 とうに日は沈み、山の空気も寒冷期特有のしんとした寒さを湛えた。

 ノレッジ・フォールは息を吸っては吐いて、目的地を目指す。目指す場所は、既に鎮火し灰となった花畑を更に超えた先。ヒンメルン山脈などと比べてしまえば高山と称するにはまだ低い、今は暗闇に覆われた、テロス密林の山頂である。

 砂利の獣道を抜けると山頂付近の原に差し掛かる。其処だけが時間に取り残されたような、古めかしさを残す場所だった。倒れた古木。苔むした岩塊。荒れたままに露出した路端。そこかしこに散らばり風化した瓦礫の元の姿など、常であれば誰も気に留めることはない。

 ただ、その場所を駆ける少女にとっては、とある部分が興味を惹いた。

 

(あの文様は、何というか、あの砂漠の管轄地で見たものに似ているような……?)

 

 などと、思いながらも脚は止めず、頭の中だけで思い返してみる。

 2週前まで逗留していたレクサーラでは、温暖期を脱すると同時に件の事件の舞台となった管轄地の調査に本腰を入れようという予定が建てられていた。ハンターズギルドの上役達が特級危険度の双角竜「灼角」の危険性と、その活動再開による周辺への影響を一大事であると捉えたからだ。

 温暖期が終わり砂漠から熱気が抜け次第、調査団が派遣される予定である。かくいうノレッジ自身は温暖期の末期にレクサーラの村を出たため、調査には同行していないのだが、レクサーラに保管してある既存の資料の再解析は村にいる最中にも始められていた。あの受付嬢姉妹がまとめていた途中経過を、見た覚えがあったのだ。

 書士隊としては未だ新米隊員だとはいえ、ノレッジも座学は修めている。むしろ故郷のレーヴェルは学術院に近しかったこともあり、(試験官からの内申と文章構成に関しては兎も角)成績は中ほど。植生や縄張り間の相変異について一応の(助言という名目の)援護は出来たので、姉妹にとっての邪魔者ではなかったと思いたい。

 それらの文字……いや、あれはやはり文様というべき規則性だと感じる……同様の文様を描かれた瓦礫が、テロス密林の禁足地に転がる瓦礫にも描かれている。気になる点ではあるが、とはいえ、今現在の密林高地に調査隊を呼び出す訳にはいかない。何しろこの先では、未だ危険が大口を開けて待ち構えているのだから。

 

 息を切らしながら、ノレッジは寒冷期らしく色味の少ない山道を登り続ける。

 その口には現在、予てから用意していた防塵酸素マスクが咥えられている。これは海と共に住まう民などが海中での活動を行う際に使用する物品に、一応の燃焼対策を施した特別仕様であるらしい。酸素を用いるからには燃焼対策。とはいえあくまで体を慣らす用途のため、可燃物の近くでの使用は推奨しないとの事だ。

 この防塵酸素マスクには、水没林に生息するイキツギ藻を加工した「酸素玉」と呼ばれる道具が仕込まれている。高地での活動においても活用できるだろうと、ジャンボ村にいる内にヒシュが手ずから仕上げた物だ。ノレッジが炎一撃で昏倒させられた理由としては、勿論自らの油断も割合として十分に大きいが、こういった環境適応をする時間を「持てなかった」というのも理由であろう。今更ながらに時間は出来たので、これを逃す道理もない。

 

(さて……もう少し先ですか。いよいよですね)

 

 カフカ、フシフの番メラルーと別れてから数刻は経過している。

 もう少し、あと少し。自らを鼓舞するように呟きながら、切り立った岩壁を回り込むと、周囲の空気が急激に淀みを帯びてきた。

 目的地は近い。頭上の夜空からは星が消え、只管に黒に染まっている。

 再戦を。雪辱を雪ぐべく、黒く渦巻く風の中へ、ノレッジは再び足を踏み入れる。

 黒い靄の中だ。視界は悪い。視界の悪さは距離が離れる程に顕著になり、ついさっき駆け抜けてきた靄の外の景色など、とうに見えなくなっている。

 ただ、この中に居る。間違いない。

 気合を入れよう。そう考えたノレッジの行動は早かった。

 

「―― ん! ノレッジ・フォール! 挑みますっ!!」

 

 闇の中に踏み込んでマスクをずらすと、ノレッジは叫んだ。

 気合もそうだが、この叫びは、闇の中にいるであろうヒシュとダレンとネコに自らの到着を知らせる意味合いが強い。

 叫んでおいて、防塵の意味合いでマスクを再び装着すると、ノレッジはすぐさま位置を変える。威勢を見せたばかりで格好はつかないが、音を頼りに炎でも放たれていては先の二の舞である。

 闇が此方を認識したとばかりにどよめいている。重弩を背負って円を描くように駆けながら、ノレッジは目を凝らす。モンスターの位置は判る。30メートル程先、靄の中心部で翼を広げて誰か……重い音からして恐らくはダレン……とぶつかり合っている。暗い闇の中では鳥竜イグルエイビスの双眸が放つ赤い気炎だけが、際立って「視える」のである。

 近づいてしまえば、姿は意外にもはっきりと視えていた。目前で炎を滾らす鳥竜は、ノレッジが伸された昼時よりも数段の変貌を遂げている。身体は大きく、生命力に満ち溢れ、外観すらも変化していた。……それは元来、進化と呼ばれるべき変わり様なのかもしれないが。

 薄暗い闇の中、足を止めず駆け続ける。暫くして羽音や破裂音に交じった、ぱしゅんという音が聞き取れた。小さな炸裂音である。これは返答(・・)なのだろうと、ノレッジは顔を挙げる。

 

(あれは ――)

 

 右前方40メートル、頭上幾ばくかの高さで閃光玉の光が瞬いた。

 閃光の直下を基点として ―― そういう合図であると理解するや否や、ノレッジは頭の中で「身体に慣れた」陣形を思い描く。イグルエイビスを十字に捉えられる位置を目算し、一目散に駆け出した。

 

「―― ジュェェァァアア゛ッッ!!」

 

 途中、地面の高さから鋭く響いた鳥竜の悍ましい鳴き声が猟場を揺らす。黒い風がぶわりと生ぬるく肌を撫でてゆく様が、薄気味悪さを上塗りする。

 が、その鳴き声を発するために鳥竜は足を止めている。その間はノレッジ()にとって、陣形を整えるのに十分なものだった。

 

「む、オオォーッ!!」

 

 後方へと駆ける少女とすれ違い、雄たけびをあげながら対象へと近づいて行くのは、大剣使いにして隊長たるダレン。

 安否を気遣う言葉はない。真面目で実直な隊長である彼は、何時も行動によって指針と信頼とを示すのだ。

 

 ガシュ、ガシュシュン。

 

 大弩(バリスタ)に弾を込める音。続いて、放たれる音。

 この音は、ノレッジが目指す場所よりも僅かに角度がついた位置……陣形の最後方から放たれた物だ。発射元には黒い靄越しに、身体全部を使って大弩を再装填する小さな従者アイル―の影が見えている。首元からは生物の敵愾心を煽る、凛とした鈴の音が響いていて。

 そして、かくり。

 

「ん」

 

 小さく頷いて、仮面の狩人が駆けていった。ノレッジの横を走り抜け、大剣を振り上げたダレンに続いて、その隙を埋めるための連撃を試みる。

 ヒシュによる剣戟はイグルエイビスに弾かれてしまうが、本命、ダレンの『竜の(あぎと)』による質量を重視した斬撃は通ったらしい。イグルエイビスが体を崩しながらも飛び上がったのを、ノレッジは視界の端で捉えることが出来ていた。

 ダレンを主として、ヒシュが補佐。成る程。連携の要旨は理解出来た。ダレンを中心として、大剣を印象強く焼き付けながら、ヒシュが「切り札」を繰り出す機会を窺っているのだと。

 そして切り札を出しあぐねていた、待っていた理由も理解した。ノレッジの到着を待ってくれていたのだ。

 ノレッジは先まで意識を失っていた。覚醒は何時になるか、そもそも起きるかどうかも定かではない。それでも待ってくれていた。信じてくれていたのだ。

 

(期待には、応えたく思います……!)

 

 一層のわくわくと共に、ノレッジは『流星(ミーティア)(スワム)』を腰にぴたりと付けたまま、銃撃の陣形についた。

 前方にダレン、中程にヒシュ、後方にはネコ。その陣形が向かう先に、鳥竜イグルエイビス。

 最中に立って、ノレッジも獲物を見据える。腹の底で狼が喉を鳴らして首を擡げ、眉間に皺が寄る。だが、空腹感の割には悪くない感覚だ。目の前の鳥竜に相対するには。仮面の狩人の隣に並ぶためには。これくらいの心持ちが、丁度良い。

 大剣を振りかざすには(まだ)5歩ほどの前進が必要な間をおいて、しかし両者共に機を図っていた。

 沈黙のまま暫く。鳥竜は少女が弩を持ち上げたのをゆるりと見届け、首を持ち上げ、最後の要素の到着に、甲高い叫びでもって高揚を顕にする。

 また、紅の気炎。

 

「ジュェェ ―― ギァァア゛アアア゛ッッッ!!!」

 

 叫び、悲鳴、感嘆。毛羽だった羽がぞろりと震え、みしり。何かに持ち上げられた骨格が、イグルエイビスの身体をまたも大きく膨らませる。

 耐え切れず節々に突き出した紫苑の棘が一層に軋み、捻れる。翼膜に気炎の赤色がそのまま映し出されている。膨れる程に身体の表面積が増え、黒色の外皮で覆いきれない部分には亀裂が奔り、地面から湧き出る熱の様な、紫とも紅とも取れる幽鬼の色相が浮かび立っている。

 見るに堪えない。恐らくこれは、鳥竜にとっての本意ではないはずだ。万人がそう思うであろう、無理を通した、結末なのだ。

 

「……ノレッジ・フォール。身体は万全か?」

 

 鳥竜の咆哮の最中、距離を詰めたダレンがノレッジへと問いかける。

 赤色の気炎はイグルエイビスの黒々とした身体から途切れる事無く昇り立ち、頭上空高くを覆っている瘴気達も少しずつ降り、濃度を増してゆく。

 

「はい。ご迷惑を……身体には支障ありません。ヒシュさんは?」

 

 ノレッジがヒシュに、進度を訪ねる。

 狩人らの頭上を、テロス密林高峰の真上を、黒さを増した風が渦を巻いて席巻する。

 

「ん。ノレッジが来るまでに、調合は済ませた」

 

「では、いよいよですね。我が主」

 

「ウン。あとは、全部をぶつけてみせるだけ」

 

 ネコと頷き合いながら、ヒシュは膨れ上がった腰の鞄をぽんと叩いて見せる。よく見ればノレッジ以外の3者共、鎧も武器も傷だらけである。ここで「全部を」と語るヒシュの言葉は、勝機を掴むに足る頃合いがここにしかないという決意の表れでもある。

 咆哮を鳴り止ませ、イグルエイビスが首を下した。

 嘴が。頭蓋から覗く双眸が。天地を掴んだ翼と爪脚が。それら全てを孕んだ鳥竜が、およそ考え得る限りの黒さを寄せ集めた暗幕と化し、今、ハンターらとジャンボ村の行く手を遮っている。

 最初の撃龍槍によって抉じ開けられたイグルエイビスの嘴の傷は、繰り返された攻防によって徐々に押し広げられてはいたが、しかし黒色の外皮を突破出来た訳でもない。半ば一方的な闘争。一向に隙を……切り札を切るべき好機を見せないイグルエイビスの強かさに、ハンターらは間違いなく疲弊している。各々の熱も集中も底をついてはいないが、人間である以上肉体的な限度というものがある。

 それは鳥竜にとっても同様であった。炎を作り出す火炎袋も、筋肉を動かす代謝も、活動源を産生する機能も、未だ知られざるとはいえ確かにそこに在る物なのだから。ただ、鳥竜の側にはハンターらを迎え撃つだけの頑丈さがあるというだけの事。

 仕掛けるべきは、狩人の側。

 それを理解しているのだろう。ヒシュはノレッジと目を合わせ、小さく頷く。ノレッジが返す。ネコが腰に背負った鞄の中の、弾頭の所在を確かめる。

 例え目に見える傷を負わすこと叶わずとも、確かにイグルエイビスを疲弊させているのだと信じればこそ。彼ら彼女らの手の中には信じるに足るだけの物が握られているのだと、揃えて前へと踏み出し続けるのだ。

 前陣を維持したまま、ダレンが叫んだ。

 

「―― 仕掛ける!」

 

 異形に怯まず先陣を切り続けるダレンが、大剣の柄に手をあてながらテロス山頂の地面を蹴った。

 イグルエイビスは翼を僅かに動かし、自分の真下から風を吹き上げて、数メートルだけ宙に浮いた。ダレンの頭上で嘴が上下に開き、炎が次々と放たれる。炎弾、炎弾、炎弾……そして放射。

 そのどれもがダレンに直撃こそしなかったが、中空からでは狙いが甘いのも織り込み済み。鳥竜は撃ち下ろしつつも降下し、地表すれすれでぴたりと静止すると、嘴を構えた。狙いは先頭に立ちながら、炎によって足を止められたダレンである。

 イグルエイビスが周囲一帯を埋め尽くし気流の様になった黒い風を操って翼を煽り、滑らかに嘴を突き立てる。

 剣と嘴が、鈍くも衝突。

 『竜の顎』は飛龍の骨を主とした骨の大剣である。故に、炎の中でもくすむ事なく振るわれる。大剣は元より側面を盾として使うことも想定された造りである。ダレンは鳥竜の嘴を白く研磨された『竜の顎』の腹で受け反らし、そのままヒシュとでイグルエイビスを挟み、抑え込む形を取った。

 大剣を絡み合わせ、嘴を受け流す。

 ヒシュが『闘士の剣(オデッセイ)』と『呪鉈』を握り、暗雲かき分け、受け流された嘴へと叩き込む。ダレンが大剣を振り切った後を埋めながら、膂力の限りを持って嘴を揺する。

 ノレッジは「2種(レベル2)」と呼ばれる、素材を変えて跳力を増した通常弾を撃ち込んでゆく。薄暗い靄は完全に視界を遮るほどの濃さは有していない。それでもイグルエイビスが燻らせ染まる気炎は闇の中でも衰えず輝いており、狙いを定めるのに有用であった。

 狙いはせめて外皮がひび割れた部位。当然、弾丸が通れるほどの隙間はなく弾かれる。とはいえ外皮が途切れた部分の面積は広がっている。先よりも狙いはつけ易くなっているだろうか……と考えながら、ノレッジは次の弾丸の装填を始めた。

 

「―― グ、ジュ、ギュェェ!」

 

 頭蓋よりも肥大な嘴から呻きにも似た鳴き声を発し、イグルエイビスはダレンとヒシュを相手取る。

 ダレンが主を担いながら、ヒシュが隙を付け狙う。既に半日以上は繰り返した攻防だが、しかし漫然と同じ流れをなぞる事は一度も無い。武器さえ変えれば、ヒシュは十分に主を担う事も出来る。打撃が主体の『棍棒』や『呪鉈』はいつも背負われており、時折ダレンと入れ替わりに叩き込むのである。

 ノレッジの放つ弾丸も、跳弾する替わりにぶつかった部位を「弾き飛ばす」力を増していた。通じないなら通じないなりに鳥竜の動きを阻害しようという目論みである。跳弾が仲間へ被弾はしない場所を狙い続けているのも、少女の制動力の高さを示していた。

 目線が移る。

 ……ひと飛び、イグルエイビスはノレッジへと飛びかかった。

 

「ですから、目線で判るんですよね……お生憎」

 

 その言葉と共に、目立つ薄桃色の髪を揺らすその姿がかき消える。

 戦場を機敏に動き回る狼の気配。脚の間だ。鳥竜は反射的に、その足下を覗き込み。

 赤い気炎を宿した双眸は、落とし穴の中(・・・・・・)で銃身を持ち上げたノレッジと、照星から伸びる少女の目線と、ぶつかった。

 

「徹甲榴弾、お見舞いしますっ!」

 

 一角竜亜種にも通用し、その角を折った策だ。初見で防げるはずもない。

 罠が通じないというのはネコから聞いていた。痺れ罠はそもそも神経毒が通じず、踏んだ直後にでも風を操り吹き上げれば、落とし穴とて難なく避けられるだろう。だが、モンスターを貶める以外にも活用の道はある。例えばこうして、ノレッジ自身が身を隠す壕として。

 徹甲榴弾が嘴から顎にかけて無数に張り付き、炸裂する。轟音と共にイグルエイビスの強大な嘴が跳ね上がり、蹈鞴を踏む。捲れた外皮がぱらぱらと、粉塵の様に辺りに散らばった。

 致命傷ではない。しかし、反撃もまた容易ではない。少女の気転と発想は既存のハンターの枠外にある物なのだ。それが誰に影響を受けた結果なのかは、言うまでも無いか。

 加えて、身を隠すための罠が1つとは限らない。穴の中からでも攻勢に転じられる銃を持つのは、少女ひとりだけ。イグルエイビスは再び相手を変える。

 ダレンの大剣を受けきる覚悟で膂力に勝るヒシュに狙いを定め、嘴を振るう。ダレンの大剣が羽毛と黒い外皮に包まれた胴を捉え、腕の楯で嘴を受けたヒシュが大きく後退する。

 そしてそのまま、身体の勢いを利用して嘴と爪脚を振り回す。大剣を振り切ったばかりのダレンは身を捻ったが、ハンターメイルに爪脚を受けて地面を転がった。

 

「皆様、ゆきますっ!」

 

 そうして、誰もが大きく後退した瞬間を狙っていたのは、ネコ。

 大弩から弾丸を射出する。只の弾丸ではない。着弾と同時に仕掛けられた鋼線が引き合い、イグルエイビスを絡め取る。

 

「ジュェアアアーッ!!」

 

 大型の生物を対象とした、拘束弾。イグルエイビスは翼を動かし爪を振り回し暴れるが、マカライトで芯を編まれた鋼線は直ぐには解けない。当然、操った風では解けるはずもない。

 大弩、落とし穴、拘束弾。ペルセイズらによって仕掛けられたこれら罠こそが、山頂を決着の場として選んだ理由でもある。

 

「―― 追撃」

 

 暴れる直ぐ側、暗雲に紛れるように、ヒシュは身を潜めていた。

 近場に仕掛けられたそれらに火を入れ、離脱。

 破裂音。瘴気と化した暗雲が、衝撃に押しのけられてぶわりと勢いよく広がってゆく。

 火薬が詰め込まれた樽が、次々と炸裂した音と衝撃であった。藻掻く鳥竜を今度は、爆弾の爆発が襲ったのだ。

 硝煙臭い向かい風。もうもうと煙る爆煙の外で油断なく剣を構えながら、ヒシュとダレンは小声で確認を交わす。

 

「……まだ、なのだろうな」

 

「ん。衝撃は通る、から……爆弾を使ってみた、けど」

 

 1つ目の策は仕掛けきった。

 果たして。

 果たして ――

 

「―― ()ュゥェ」

 

 煙を割いて現れたイグルエイビスは、見せつけるかのように無傷の脚を踏み出し、真黒に揺らめくその身を振るい、歓喜の声をあげた。

 そう。「歓喜の声」。

 いよいよだ。そう、歓喜の声をかき鳴らす。

 これ以上無いほど「人間らしく」、見事な闘争だ。鳥竜は、黒さは、この素晴らしい闘争をこそ心待ちにしていた。好敵手。つまりは、自らの全てをぶつけるに相応しい相手をこそ、待ちかねたのだ。

 仮面の狩人は瞬く光を。長髪の女は餓えた狼を。大剣を抱えた男も、一筋縄では倒せるはずもない。

 初めて遭遇した時と比べ、最も劇的な変化を遂げたのは女である。しかしやはり、何を差し置いても素晴らしいのは仮面の狩人。彼奴こそが、我ら(・・)が待ち望んだ、闘うべき、閉塞の光なのだ。

 自らの全てをかけるに見合う4者を前に、鳥竜は遂に奥底へと足を伸ばす。

 高ぶりと同じくして身体が軋み、肉が最大まで隆起し、外皮にほんの僅かに刻まれていた傷跡を生々しく浮かび上がらせる。紫苑の棘が怪しく光り、何処からか揺らめく気炎を吹き出し呻く。

 この時、足を止めたのをみてノレッジが放った弾丸は、赤い気炎によって反らされてしまった。ここまで来ると未知も極まれり。理解不能も甚だしいが、人間にとってのモンスターとは元よりその様なもの。

 鳥竜が、飛ぶ。剛風吹き荒れる空を自在に駆け回る。

 

「……くる!」

 

 一声あげた仮面の狩人へ、一斉に身構えたハンター達へ。

 その嘴はヒシュの『闘士の剣』を弾き飛ばし、その風はダレンの大剣を押さえ込み、その爪はノレッジの立つ大地を砕き、炎はネコの扱う大弩を焼き晒す。

 風を受けた翼が可動域を超えて曲がる。筋肉が折れるのを許さず、外皮が脱臼を押さえ込む。

 舞い上がった風を、そのまま地面に叩きつける。自身も急降下し、爪脚を突き立て ――

 

「ぐ、む!!」

 

 その一撃を、ダレン・ディーノは『竜の顎』の腹で受け止めて見せた。

 これだ。

 圧倒的な力の差にも、風を操る不可解さにも屈せず、立ち向かってみせるこの力。

 

「……む……お、おおおぉッ!!」

 

 受け止め、どころか、押し返してみせるこの輝きだ。

 鳥竜は確かに笑った。人間らしさはなくとも、獣としての歓喜に震えた。

 伝わってくる。鳥竜は戦局を動かす、打ち破る積り。全身全霊の一撃を備えているのだと。

 

「これ、は……」

 

「……来ますか?」

 

「ん。だね」

 

「迎撃態勢を」

 

 ノレッジが気を引き締める。ヒシュとダレンとネコも来る決撃に身を低くして、深い夜と暗い風の奥に視線を凝らした。

 それら全てを超えて、自らが持てる最大の炎を見せんと、鳥竜イグルエイビスが最奥の牙を剥く。

 

 飛び上がっていた。

 風任せに揚力を得て、翼を止め、鳥竜は4者の陣形の中央部を目掛けて急降下する。

 同時、全天を覆っていた黒い風が一斉に吹き下ろされ、鳥竜の全てが炎を纏い、地面が抉れ吹き飛び、熱風が辺りを吹き曝す。

 

 地面への突撃だった。勢いは凄まじい。しかし「誰に」ではなく漫然と隊の中央部を狙ったために、全員が防御を整える事が出来ていた。

 酸素を使い果たした防塵マスクが肺が焼けるのを防ぎ、瞼と腕と兜が眼球の乾燥を防ぎ、踏ん張った腰と足が地面から吹き飛ばされるのを防いでいる。

 

 そうして風が弱まり、4者が顔を上げた時……今度は暇も猶予もなく。

 

 鳥竜の次撃。

 

 つまりは、連撃。

 

 瞼を開いた時、4者の中央部の地面に脚を突き刺したまま、鳥竜の口元には ―― 青い()が灯っていた。

 

 警鐘を鳴らすまでもない。これぞ鳥竜の本命。

 脚を縫いとめられたハンターらの背筋が震える。

 未知の全てを注ぎ込み凝縮され、赤を超え、青すらも超えて変わった熱がばちりと、雷の様に爆ぜ。

 次の瞬間、炎とも雷ともつかない青白さが一閃、ぐるりと周囲を薙ぎ払った。

 空気が焼けた音と独特の臭気。

 それは暴風とも、灼熱とも、雷撃ともとれる、既に何の器官を利用したかも定かではない ―― 真に未知と称すべき埒外の一撃。

 王国騎士の直剣もかくや、燦然と輝く、一筋の閃光。嘴から閃光の末端まで歪みなく真っ直ぐに伸びる光の牙だ。防御も回避も、選択肢などある筈もない。

 当然、意識を手放すか否か、選択の権利は狩人の側には有り得なく。

 雷を帯びた熱線はただ暴虐に、力任せに引き千切るのみ。

 

 

 

 

 ―― 。

 

 

 

 ―― 。

 

 

 

 ―― 音はない。

 もしかしたら既に、聞こえていないのだろうか。

 

 

 

 ―― 色もない。

 見えていないのか、それとも知らないだけなのか。

 ただそれは、仮面の下の人間にとって、自らが覚えている原初の風景によく似ているように思えた。

 

 

 

 ―― だとすればそこに、自分はあるのだろうか。

 がむしゃらに、その問いに答える術を、求め探し続けていた様に思う。

 

 

 一隊は暗闇の中に居る。

 倒れ伏す誰もが、瞬いた雷の衝撃だけはまだ覚えていた。

 しかし今、自分達は、果たして、目覚めたのか。

 どれ位の時間が経ったのか。

 光は収まったのか。風はまだ吹いているのか。

 恐らくは、未知が放った一撃の直後であると信じたい。

 痛みはあるのか。身体は動くのかすらも。

 思考は霧散し、形を成していない。

 自分らは、今、生きているのだろうか。

 それら感覚は既にない。探るべき意識もない。

 ただ、倒れているのであろうということだけは、判った。

 勝利か敗北か。いや、狩るか狩られるか。このまま倒れていては、此方が狩られる側となるのは間違いない。

 元より、人と獣とでは体力にも筋力にも差がある。高嶺という環境も、生物の適応として当たり前のように鳥竜に有利に働いている。

 少なくとも市井の人々が見れば、この状況は良く持ったほうだと称賛するに違いない。王国ならば尚更、殉職の英雄だと持て囃す者すらも居るであろう。

 しかし彼らはハンターだった。絶望の淵に立って尚抗う気力も意思も、備えていた。

 欲しているのは過程ではなく、結果である。意志だけを源にかき集められた感覚が、辛うじて形を成す。

 指は、動かない。足は、従わない。呼吸は、辛うじて。思考は、痺れている。

 

 

 ―― 用、意……かい?

 

 

 薄れていく聴覚だけが際立ち、浅い粘質の音が耳に届く。

 どすり。それは鳥竜の爪脚が土くれに沈んだ音だった。地に伏す仮面の狩人の前に、イグルエイビスが降り立ったのだ。

 淀みなく振り上げられた嘴が仮面の頭上に影を落とす。余韻も感傷もない。闘争とは、決着をつけてこそ。

 決着に抗うべき。抗いたい。しかし気力に反して身体が、視界が、感覚が閉ざされて行く。

 脳へ酸素を回せ。心の臓に血をくべろ。身体はまだ生きている。しかし決着を前に、それら失われた物を取り戻すための物理的な時間が足りていない。

 底へと至る道中を満たすそれに似た闇を体現する冷たい暗さが、四肢の末端を覆い始める。

 振り上げられた嘴が遂に、頂点を振り切っている。

 重さに任せ、振り下ろすのみ。

 今にも。

 

 

 ―― オイラ……さ。……、皆が楽しめる。……このためさ!

 

 

 その時。

 闇の中、果てまでを埋め尽くす閉塞の泥の中で、ハンターはその声を確かに聴いた。

 鼻の高い、開拓者の側面を持つ、竜人族の村長の声だった。

 

 

 ―― 折角のお祭りだ。あの子らにまで、届けて見せようじゃあないか。それじゃあ皆、打ち上げ用意!

 

 

 不思議と、脳裏に像が結ばれる。

 そこは狩人らにとっても馴染みのある、嘗て村人達が見送ってくれたジャンボ村の外れ、川の向こうの船着き場であった。

 村長の掛け声によって、ぞろりと居並んだ黒鋼の砲身が、揃って真上を(・・・)向いてゆく。

 村の鍛冶を任されるおばぁの下、弟子達が次々と火を入れて。

 数瞬の静けさの後、火薬が炸裂。

 硝煙の匂いと、凄まじいまでの轟音。

 しゅるしゅると空気を割いて昇る、期待を孕んだ音。

 その先で。前を征くハンターをこそ励ませとばかりに。

 

 

 

 

 昇り来た果てに、暗雲敷き詰められた夜空に、全てを照らす大輪の、光の花々が咲き誇る。

 

 

 

 

 久方振りの太陽が昇り来たかと錯覚する程の光が、雲と地面との間から溢れ落ちる。

 遅れて届く音は黒い風を押し退け、倒れ伏す彼ら彼女らの頬を打つように響き震え。

 広がっては輝き、燃えては解ける、七色の炎の花弁。

 人によって作り出された火は星にも勝る輝きを放ち、山々を照らしてゆく。

 

 足下の好敵手を貫くべく動いた嘴が、止まる ―― いや。惹かれて、留まる。

 

 嘴を振り上げたまま。イグルエイビスは、未だ知らぬものを……空に咲く炎の花を見上げていた。

 今この時に限って言えば、興味が敵意に勝っていた。それはまるで人間のような、好奇心に端を発する行動であるように感じられた。

 何故花火を、という点については思い出されるものがある。ジャンボ村を発って既に1週。お祭りの大トリ ―― 収穫祭のために、あの村長は花火を用意していたのであろう。

 此方にまで届いて見えることを見越した村長が、戻ってこない狩人らへの応援に、気付けにと、大砲を使って花火の打ち上げをさせたのだ。打ち上げに必要な砲身は、この為(・・・)に。まさか巨龍砲を花火の打ち上げに使われるなどと、誰が予測できるだろうか。まんまと利用されたのは、ミナガルデ卿の側であったのかも知れない。

 

 肉を貫く音はない。羽が擦れる音もない。

 目前、イグルエイビスは依然として動きを止めている。

 振って湧いた時間は十分に過ぎる。ここに来てまでジャンボ村の人々に助けられているのだ。背を押された狩人らは、各々が歯を食いしばる。

 

(ジブン、は……)

 

 筋肉も骨も悲鳴をあげていた。身体に力を込める度、立ち上がろうとする度に崩れ落ちそうになった。

 身を守る鎧とて既に万全ではない。古の鳥竜を相手に、鎧はどれだけ機能しているものか。

 罠も道具も通用しない。簡易とはいえ撃龍槍ですら嘴を僅かに削るのみ。

 ここで顔を上げようと、待ち受けるのは判りきった結末で。

 倒れてしまえれば、どれだけ楽な事か。

 そう思う。

 思う、が、しかし。

 違うのだ。

 倒れずとも、一時の苦痛を味わうだけ。

 ここで顔を上げるだけでも、変わるものは確かに存在する。

 罠は避けられようと、すり抜けはしない。硬くとも、嘴は確かに削れる。

 防具が無くとも身体がある。酸素を吸える。相手も仲間も見えている。意識も、命もある。

 痛みはあれど身体は動かせる。喩え崩れ落ちようとも身体全てで、もがく様に泥を掴んで這いずった。

 

(立ち、上がって、みせたい)

 

 だからジブンは。

 それは決して、自責の念ではない。他者に与えられた色でもない。

 内から湧き上がる自らの熱に従い、ヒシュは手と脚に喝を入れる。

 ハンターとは。モンスターと呼ばれる生物を狩る、狩猟者で在った筈だ。

 ハンターとは。強大な生物が跋扈する世界を拓く、先導者で在った筈だ。

 ハンターとは。誰かの安寧を守るべく前へと進む、強き者で在った筈だ。

 自分すらも定かではないジブンにとって、この世界における人の世の根底を成すその生業だけは。ハンターという存在だけは、その存在の強さだけは、揺るぎ様のない本当だったから。

 だからジブンは、立ち上がる。そう在りたいと夢に見る。

 だからジブンは、それだけで十分なのだと、今、心から(・・・)、想う事が出来たのだ。

 

(前を、見よう。ジブンは、ハンター……だ、から!!)

 

 空を彩っていた火片(・・)が、その残滓をくっきりと焼き付けながら薄れてゆく。

 実の所、視線が逸れていたのは僅か。呼吸3つか4つの間の出来事であったが。

 鳥竜が再び顔を下ろした時、眼前には刃が迫っていた。

 

「―― んん゛っ!!」

 

 不甲斐なさを払って振られたヒシュの『呪鉈』は、鳥竜にひらりと身を躱されて空を切る。雷を防ぎ焼け焦げた黒狼鳥の肩鎧が、稼動に耐えきれずぼろりと解けた。内に着込まれていたゲリョス皮の肌襦袢も、熱を持って溶解し肌に張り付いている。それでも動き辛さはない。鍛冶のおばぁに感謝をと考えながら、ヒシュはまだ動き続ける。

 飛び上がって車輪切り。風で身体を傾け、着地をずらして躱す。無茶な体勢から、だが腰の入った斬打。するりと躱したその先で、仮面の狩人(ハンター)は、転びながらも隙を見せず、すぐさま立ち上がって剣を構えた。

 鳥竜にとって、ヒシュの斬撃を躱すのは容易であろう。ハンターらの側の動きが鈍っているのは明白だからだ。

 ただ、それは鳥竜も同様である。先の粒子ブレスは本来「飛竜が使うことを前提とした」ものであり、鳥竜を原型とするイグルエイビスにとっては身体の決壊をも招きかねない、限界を超えて放たれた一撃だったのだから。

 とはいえその攻撃を受けて、超えて、ハンター達は立ち上がる。仮面の個体と炎を受けて倒れた個体などは、既に2度目の昏倒であるというのに。

 ハンターの、人間の、その一念こそが。鳥竜の、鳥竜を包んだ黒い種子の、疼いて歯痒い何かを苛んで止まないのだ。

 

 人間という生き物は、残念ながら、心根や想いだけで強くなれはしない。

 それでも。

 人間という生き物は、心根や想いを支えの杖に、再び立ち上がる事が出来るのだから。

 

 不可思議な存在。

 王立古生物書士隊の前筆頭書士官であるジョン・アーサーは、彼が筆頭となって編纂された生物樹形図の「人間」の項目について、書き出しをそう綴っている。

 現実として精神が肉体を凌駕する、という事は在り得無い。精神とは肉体という供給路によって辛うじて維持されている、激しく脆いものであるから。

 ただ人間は、他の生物にはない「相手を知ろうとする頭と心」を持っていた。

 人より強靭な鱗と牙を持つ走竜であろうと、脆い部分を狙えば殺傷する事が出来る。それらを統率する中型の生物にも立ち向かうことが出来る。正面からぶつかっては到底敵わないであろう大型モンスターだろうと、時には退き罠を扱い策を噛み合わせ、討伐を可能とする。強大な古龍であろうと、動く以上はエネルギー源が必要になると知っていた。それらを断つ事によって衰弱を狙い、永遠にも等しい持久戦の末に辿り着いた、不退転 ―― 砂漠の街の直前。人々は、遂に、討伐という大業を成し得た。

 知ろうとする。判ろうとする。只の興味でもあり、相手の弱さを探る行為でもある。

 頭こそが、心こそが、人にとっての最大の牙でもあるのだと。

 もしも人が、限界を超えて動いているように見えるとしたら。

 軟くはあれどしなやかな、粘り強く諦めの悪い、魂の輝きが。

 強大な生物に相対し、武器を握り立ち向かう、勇壮な想いが。

 合理的ではないそれら不可思議さこそが、人間が元より秘める未だ知れぬ力なのだと、そう、嘗てのジョン・アーサーは知っていたのかもしれない。

 

(今、こんなことを思い出すのは、ジョンのせい。でも、ジブンが今みたいに立ち上がれたのは、きっと、ジョンのおかげだから。……だから)

 

 この半日を共に戦い抜いたダレンと一度は倒されたノレッジ、それにネコも、肉体的には限界に近かった。中でも1人で戦線を保ち続けたヒシュの心身は、他2人よりも狩人として洗練されているとはいえ、尋常ならざる負担に圧し掛かられている。

 今のヒシュを動かしているのは ―― 動かし、強大な生物に立ち向かわせているのは ―― 伝達する為の神経。動かす為の筋肉。形を成す土台の骨。そして精神性を構築する、魂。燃え上がる不可思議な炎によって生まれた、それらエネルギーに他ならない。

 これらは、確かな熱だ。今度こそ。あの頃にはまだ無く、今やっと手に入れたこの武器こそが、ヒシュをハンターたらしめているジブン(・・・)なのだ。

 

 熱は、炎は、確かに広がった「意識の根」を通して伝播してゆく。

 回避の後に向きを整えたイグルエイビスが再び前を向いたとき、そこには満身創痍のまま立ち上がる4者のハンターが居た。

 立ち上がれ。

 踏ん張れ。

 まだ自分たちは、この相手に、底を見せてはいないのだ。

 さぁ行こう。

 まだ行ける。

 負け伏してなど、やるものか。

 ……勝負手を。

 

「―― ゆくぞ」

 

 ヒシュの眼前。前線から、鳥竜の後ろから、遅れて立ち上がったダレンが『竜の顎』を焼け焦げた竜鱗の篭手で握り、飛び込んでゆく。

 いつまでもヒシュの後ろを歩いては居られない。そう、ダレンは己を叱咤した。ヒシュ単独へ向けられていた意識。そして結果として稼がれた時間は、ダレンが長を務める一隊を立ち直らせ、整えるには十分過ぎるものだったから。

 身体に染み込んだドンドルマでの修練そのままに、ダレンは足を踏み出す。

 足継ぎ。肩口から構えた大剣を身体の流れに沿わせ ―― ただし加速を添えて、「振り下ろす」。

 (さなが)ら稲妻の閃き。

 

 がつん。

 

 は、しかし、芯を食いながらも鈍い音、広がる黒い外皮によって労作も無く止められる。

 瘴気を纏う黒い外皮はイグルエイビスにとっての鎧である。衝撃も傷も僅か。なんら変わらぬ手応え。

 

「とっとき、撃ちますよっ!!」

 

 そこへ、絶望を感じる暇も無く、身体全てで重弩を抱えるノレッジが弾丸を撃ち込んだ。

 メラルー達と出会った事で思い出し、試したいと用意をしていた1発 ―― 眉間を狙った「滅龍弾」を。

 赤く、黒く。鳥竜が染められたその色は、山菜翁から受け取った調合書に描かれていた特効そのものだった。試すならば、未だ相手が慣れておらず、且つ逆転の一手を必要とするこの機をおいて他にない。

 瘴気を切り裂き、放たれた滅龍弾はするりと鳥竜の頭を打つ。

 

「ジュ ―― キェァッ」

 

 弾丸による衝撃それ以上(・・・・)の威力に、鳥竜が僅かに怯み。

 直撃した部位 ―― 頭蓋を覆う黒の外皮が僅かに波打っている、かの様に、ハンター達には、見えた。

 暗雲思わす漆黒の外皮の切れ間から、眉間にまで食い込む嘴本来の黄色(・・)が、射し込んだ。

 遂に活路を見出したヒシュが地面を踏みしめ、踵を返す。

 

「―― ないすっ」

 

 好機という他ない天啓を、ノレッジの放った滅龍弾は齎して見せた。

 しかし、ただ齎されたのでは意味がない。自らの手で、自分らの手で抉じ開けてこそ。

 そう考えたのはヒシュだけではない。この場に居る4者が同時に、動き出す。

 

「む、ぉぉぉおオっ!!」

 

 目の前に居たダレンも見逃さず、揺らめいた黒色目掛け、腰溜めから大剣を「振り上げ」るべく。

 振り下ろしていた力の全てを腰に乗せ、旋回。身体を限界まで捻り絞る。

 振り下ろし ―― 切り返し、振り上げる。

 愚直なまでに。その繰り返しを、苦しさを、動きを、身体は覚えている。無理もない。修行の間にダレンが修めたのは、星の数ほどあるヨウ捨流の技の内、振り下ろしと振り上げ。この2つだけ(・・・・)なのだから。

 

 停止。

 制動からの開放。

 今度こそ一条 、雲間から閃き降る稲妻を地面からも迎えんとする ―― 返しの刃。

 渾身、疾風纏う迅雷が、頭蓋を下から叩き轟いた。

 

 痺れと紙一重の衝撃によって、嘴の自重に振り回された鳥竜がたたらを踏む。揺らめいていた黒色の外皮が強く波打つ。波に耐えかねた黒い外皮に亀裂が奔り、露出した嘴が一文字に削れ込み、そこから熱と瘴気とを噴出し始める。

 

「このまま、続けて、援護しますっ!」

 

 ノレッジの声と共に放たれた弾丸が、翼や嘴、爪脚といったイグルエイビスにとっての武器にあたる部位を次々と狙ってゆく。

 滅龍弾そのものによって外皮が削げることはない。が、どうやら着弾した部位にすぐさま追い討ちに衝撃を加えると、黒い外皮が耐え切れなくなるようだ。

 つまり、滅龍の効果は、黒い外皮を脆くする。

 そう踏んだヒシュは、間近で大剣を構えるダレンの後ろをわざわざ大回りに移動し、耳の良いネコの傍を通る際に、ぽつり。

 

「爪脚っ」

 

「仔細、了解ですっ」

 

 それだけで十分だった。

 ヒシュが一直線に駆け出したのを見つめながら、ネコがひと際声高く鳴く。

 

「……ノレッジ女史!」

 

「合点承知ですっ!」

 

 すぐさま『流星雨』から弾丸が放たれる。

 弾丸はヒシュを追い越し、ダレンに相対したイグルエイビスの脚を、爪先を正確に撃ち抜いた。

 語弊がある。滅龍弾自体は外皮だけを貫いて、奥の爪を貫くことなく弾かれている。ただ。

 

「これで ―― !」

 

 続き来るヒシュの『呪鉈』による斬打が、黒色の外皮をこそいでみせた。

 一撃を入れて、蛇のようにぐねぐねとした軌道で離脱する。追撃を警戒したイグルエイビスはヒシュを目がけて嘴を降らすも、地面に大穴を空けたのみ。

 自らが抜け、入れ替わりに大剣を構えて貼りついたダレンに任せながら、ヒシュは視線を巡らせる。

 

(今ので、3か所)

 

 黒い外皮が無くなった箇所は、翼爪と、嘴と、爪と。

 狙いは判る。あとは何処を狙うか、だ。

 脳裏を過るのは、あの時も(・・)を突き立てた、翼。

 

(ん、決まり)

 

 少しだけ考えて、ヒシュは駆け出した。

 狙われている ―― その危機感に応じて、イグルエイビスは翼を動かす。

 

「く!」

 

「にゃにおぅ!?」

 

 ダレンが振るう大剣を黒い外皮で強引に受けきり、近くに寄っていたネコの横を駆け抜けて、勢いのままに空へと飛び戻る。

 

 空の上。風の勢いは衰えず、空は未だ暗闇に覆われている。

 瘴気。暗雲。風に纏わりつくこれらの中、何処か遠くでは稲光までも轟いている。

 

 そして、衝撃が鳥竜を襲った。

 全てが途切れた。翼から力が失われ、再びの衝撃。自分が地面に落ちたのだと気づき、身体を持ち上げようと試みるが、難しい。脚が地面を掴めていないのである。

 枝分かれした稲光の一条が、左の爪を粉々に粉砕していたのだ。

 

「にゃあ! 部位破壊、成功です!!」

 

 砕け散った爪を見上げながら、ネコは小さく拳を握った。この部位破壊までを達しての「仔細承知」である。

 ネコがダレンの影から体の小ささを利用してこっそりと近づき、外皮を削いだ爪に浅く突き立てていたのは、爆雷針。ヒシュが筒形に改造したいつぞやの物ではなく、本来の爆雷針とは、雷が有する膨大な衝撃を一か所へと叩き込む「鋲」である。

 暗雲と瘴気との合間に擦れる事で形成され、これを目掛けて落ちた雷が、イグルエイビスの爪を粉砕したのだ。

 猟場全てを利用して立ち向かうハンター達にとって、黒い風の間で発せられた火山雷に近い稲光は、頭上を舞う鳥竜に対するお誂え向きの「飛び道具」であった。しかし鳥竜の学習能力からして、狙えるのは1度きり。何処で使うべきかというのは難しい選択だったが、ここにきて最大の戦果を齎したといっても過言ではない。

 今のイグルエイビスの爪脚は「樹上に特化していない」。獲物を刺し、地面を捉えるという汎用性に適応していた。現状イグルエイビスは、ただでさえ軽量……つまりは少ない支点と筋肉によって体躯を支えている。それはつまり、脚の爪たった1つを砕いたことによって、地上での移動能力が激減するという事でもあった。

 今、戦局は確かに傾き始めている。それもハンター達が思い描いた方向に、だ。

 

「―― ん!」

 

 鳥竜が惑う。そこへ真っ先に食いつくのは、やはりヒシュである。

 イグルエイビスの嘴が届くギリギリ、振り上げた爪脚が掠るか否か。反撃を受けることを厭わず、且つ、鳥竜が飛び立つのを邪魔する事も出来る巧妙な位置を取る「的役」を引き受けたまま……ネコが稼いだ僅かな時間を縫って、ヒシュは人より多く、3つも着けているハンターポーチを順に開放する。

 隙を逃すまいと放たれる炎を避けて、薬を口に。翼爪をいなして薬を口に。風圧の範囲から抜け出して薬を口に。這いつくばって嘴を躱し、薬を口に。

 先にシナトの錬金術を用いて調合してあった「鬼人薬」「硬化薬」「狂走薬」、そして「いにしえの秘薬」と「千里眼の薬」。それら劇薬を素早く、次々と胃の中に流し込むと、取り出したばかりの鞄を前へと放り投げた。

 鞄が宙を泳いでいる合間に、右に楯替わりの『短槍』。左には『呪鉈』を握り、ヒシュは前線へと躍り出る。

 困惑も未だ覚めぬまま攻勢を仕掛けられた鳥竜は、放り投げられた鞄に視線を奪われ、反射的に、自身にとっての主武器である嘴を突き出した。

 鞄の中一杯に閃光玉が詰められている事を、知らずして。

 

 嘴が鞄を突き破る。

 光蟲の発光器官が炸裂し、眩い閃光が周囲を満たす。

 

 思わぬ攻勢に狙いを逸らし、鳥竜の嘴は砕けた大地に突き立つ。嘴を中心として地面が大きく陥没した。砕けた地面は粉塵となり、イグルエイビスの身体からどうどうとくすぶり続ける気炎と混じって瘴気と成って周囲を漂い始めた。一度舞い上がった粉塵は、不思議な事に、自重や水分に負けて落ちてくることが無い。これこそが山を覆う暗雲の正体なのだろうか。

 とはいえ彼我の距離は目と鼻の先。空気の黒さに、視界を完全に遮るほどの密度は無い。イグルエイビスの姿も、折れた爪も、未だはっきりと見えている。

 翼の範囲の外で足を止めていたネコが、剥き身の投げ鉈を投剣する。刃は通らないが、手を休める積もりも無い。閃光玉によって視界を奪われたイグルエイビスは、投げ鉈がぶつかった場所へ向けて反射的に嘴を振るう。当然、そこには誰もいない。

 それらを囮として利用して、ヒシュが勢いのまま接敵する。

 すぐに視界を取り戻し、鳥竜が鋭い嘴を向けるが、ヒシュは更にぐるりと回り込む。疾走、鳥竜の翼の下を潜り、背後にまで到達する。

 イグルエイビスの尾は、尾でありながら尾羽の役割も持っている。武器とするには足り得ない。これは空を飛ぶための舵取りであり、強大な嘴を持つイグルエイビスの体を天秤のように維持するための錘でもある。

 ただ、つまりは、前後(・・)を位置取りさえすれば、後ろには武器もない。後ろにまで武器を付けているような余裕はなかったのだ。ならば炎にだけ気を付けていれば十分に防御は成る。重さとは空を飛ぶ生物にとっての天敵である。加えて、イグルエイビスは個体数を武器として飛竜種に対抗する、空も陸も諦めきれない……どっちつかずの鳥竜種であったのだから。

 ヒシュはイグルエイビスが振り返るまでの間隙で右手に『短槍』を構え、振り向きざまの嘴を受け流す。そのまま身を低くして潜り、『呪鉈』で顎を殴打する。薬が効いている。気力(スタミナ)を心配する必要は無く、精緻に細やかに動き回る。

 斬撃と刺突が擦れた音と共に弾かれたのを見届け、ヒシュは微塵ほどの未練も残さず後退した。

 

 空いた射線を利用して、ノレッジの『流星雨』の照準が、傷を庇いたい鳥竜を先読みして身体を這う。

 「滅龍弾」の素材である「龍殺しの実」が持つ「不可思議な特効」は、繊細なものであるらしい。弾丸にして飛ばす為には特殊な構造の外殻で火薬熱を遮る必要があり、それら構造故、1発毎に装填し直す必要もある。

 だがそれら動作を苦にせず、動く的をすら労せず、周囲から隔絶されて静止する銃身を構え、ノレッジは滅龍弾を次々と撃ち込んだ。

 4点、淀んだ黒色に穴が穿たれ、イグルエイビス本来の藍色の身体が露見してゆく。

 身悶えする鳥竜に逆らって剥がれる黒色の外皮。飛び散らばる漆黒の羽。

 代わりに周囲の瘴気が濃度を増した。鳥竜の息も荒さを増してゆく。

 

「ん、ん゛!!」

 

 ヒシュが『呪鉈』で飛び掛る。鳥竜は間近の翼についた爪を楯にするべく身体を傾けた。既に翼の、翼爪までの外皮が削がれているとは、視認できていないのだ。

 そうして打ち合わせた筈の藍色の翼爪は、しかし『呪鉈』の鋭さと重さに抗う術も無く、呆気なくも削げ落ちる。

 すかさずノレッジが滅龍弾を撃ち込む。手持ちの全弾を次ぎ込む頃には、イグルエイビスの体面積の4割ほどが本来の色を顕にしていた。

 

 勢い衰えず攻め立てるハンターらの頭上天高くで、黒さに侵されず透明なままの風が動いた。それ(・・)にもたらされる熱源により、気温が移り出した証左である。

 遠くの山が鳴動している。それ(・・)を心待ちにしていた生物らが、一斉に動き出した証でもある。

 緑の海をいよいよ越えて。地平線をようやくと乗り越えて。

 黒の帳その外から、万物に待ち望まれた太陽が、一筋の光明を指し示す。

 

「攻勢の ―― 」

 

「―― 機、です!!」

 

 ヒシュとネコとが交互、合図が如く揃って叫ぶ。

 相打つイグルエイビスが鳥竜に特有の甲高い声で、轟き叫ぶ。

 

「ジュ、ギュェェェーーーッ!!」

 

 龍の外皮は剥がれ落ちたが、イグルエイビスの気迫には些かの衰えも見られない。むしろ一際、闘争心を剥き出しにハンターらを迎え撃つ。

 統率された瘴気が、光に抗い覆い隠す様に充満し、蠢き。

 ダレンが唸る。

 

「む、おっ!?」

 

 周囲に漂う黒さをかき集め、突如、風は大渦を巻いた。

 ダレンらを内に閉じ込めたまま、渦は次第に勢いを増し、天を貫き陽光を遮る黒色の竜巻を形成する。

 その竜巻の中を、ごうごうと唸る黒い風波を強引に翼でねじ伏せ、身体を整え ―― 鳥竜が飛ぶ。

 黒墨で渦を描く凄まじいまでの風を翼に掴み、イグルエイビスは高速の旋回を始めた。

 そして旋回の流れに任せ、爪と嘴による連激を繰り出してゆく。

 

(風の勢いがっ、流石に、これではっ)

 

 爪脚に、ダレンが振り上げた大剣を弾かれ。

 

(姿が……見えませんっ)

 

 ノレッジが風を読みきれずに立ち竦み。

 

(にゃぁっ、風が、耳がっ)

 

 ネコが風圧に伸されて耳を伏せ身を低く。

 風と音と凶器とで飽和した渦の最中、それでも諦観はない。3者は反撃の機を見出すべく足を止めたのだ。

 そう。ただ。只1人。

 唯一、まるで風に舞う黒狼鳥(イャンガルルガ)の如く、彼の鎧を纏うヒシュだけが軽やか、平然とした調子で突出して次手を担う。

 

(―― 奥の手っ)

 

 竜巻の継ぎ目を縫う様に。ヒシュは勢いの弱くならざるを得ない中心部で身を留めると、地面に素早く固定のための鋼線を打ち込んだ。

 次いで『呪鉈』を腰に負い、背中からふた振り、円錐状の『短槍』と機械的な『持ち手』を取り出す。

 取り出すとすぐさま、『持ち手』に付属品を取り付けた。この()の刀身である。

 ただ、刀身それ自体に刃は備えられていない。この刀身に課せられた役割は、「回転すること」その一事。

 最後に新たに取り出したドラグライト鉱石製の鎖状の刃(・・・・)を刀身にぐるりと巻いて、手元を握りこむ。

 すると、凄まじい機械音が鳴り響いて駆動した。

 『工房試作型(のこぎり)』。電気袋を動力源として只管に獲物を「挽き切る」。遥かに硬い生物の外殻をも擦り切らす、以前の大陸でも頼りにしていた、電動の牙である。

 硬質さに対して、叩くでもなく、切るのでもなく、引くでもなく ―― 真っ向から擦り切らす。

 『挽き鋸』は精密な構造を持つが故に脆く、受け太刀も不可能。修繕にも専門の知識と工具を要する。これだけみると全くもって狩人に不向きの得物ではあるのだが、人の力を超える速度で刃を回す機械剣は、それらを補って余りある殺傷力を発揮する。大型の生物を狩猟するという一事に於いて有用といえよう。

 剛風の中、仮面の中、思索の中、挽き鋸を手にしたヒシュはひっそりと呼吸を止める。

 

(……ふ、う)

 

 最後に、目を閉じた。

 この相手を、未知を狩りたいと願ったのは他でもない自分自身、ヒシュである。かつて赤衣の男が語ったような、運命の……自らが相対すべき相手なのだというのは、変わり果てたイャンクックを見たあの時に判ってしまっていたのだから。

 その部分については、仲間に対しても負い目がある。ジャンボ村に帰ったなら、今度こそ全てを話そう。そう思う。

 改めて未知と化した怪鳥、イグルエイビスの今を思う。ノレッジの滅龍弾によって削がれている部分はあるにしろ、未知の外皮の硬質さは、既存の人の埒外にある。それは現存の生物としては規格外の、しかし見知らぬ過去には在り得たであろう、ぎりぎりの位相に位置する硬さなのだ。

 嘗ての人にとって踏み入れる事敵わず、知ること叶わぬ未知の領域。

 辺鄙な辺境。

 世界の輪郭。

 生物の臨界。

 人の外。

 獣の外。

 

 でも、それは、それすらも過去の事。

 今、ヒシュの眼差しは、前にだけ向けられている。

 

「ん。行く」

 

 無垢だからこそ、痛みは当然と受け入れた。

 迷いは振り切れていた。あの「底」から帰ってきてから、ノレッジにその背を押されたような気がしてから、この脚は一層軽くなっていたから。

 大きく踏み出した一歩は風を裂き、空白の、人間が未だ知り得ぬ領域へ、恐れ知らずに踏み入って行く。

 相手が感情に塗れている時こそが、輝いている今こそが、攻勢の機。

 視界と思考がかちりと噛み合い、鮮烈な瞬きを生み出し。

 それは何時しか一筋の、一閃の光となって。

 仮面の狩人は右掌に「奥の奥の手」となる『短槍』を握り、打ち付ける風と暗雲の只中、飛び来るイグルエイビスへと立ち向かった。

 

「―― っ!!」

 

キュ(ジュ)ェェェッ!」

 

 仮面と鳥竜。無言の雄叫びと甲高い鳴き声。

 黒色の竜巻と相まって、視認不可能な速度で嘴は迫る。

 千里眼の薬の効果によって感覚が鋭敏になっているのが判る。相手の位置が完全に掴める訳ではないが、視界は初めから重要視していない。相手は風に乗っているのだ。渦の動きを線で感じさえすれば、未来の位置は確かに視えている。

 全てを擲つ一撃を直に、黒狼鳥の覆仮面は昂ぶりに任せてかたかたと揺れた。或いは仇討ちを、などと気を張っているのかも知れないが。

 身を低く。これだけ低く構えたヒシュを狙うには、地面に降り立つことを覚悟で仕掛けなければならない。爪の制動力を失ったイグルエイビスにとっては後のない、雌雄を決するべき一撃。……そう、誘導する。

 衝突。

 同時に穂先を突き出し、突き出された『短槍』の腹を嘴が滑り、青白い火花が舞い、相手の勢いすら利用して、嘴は薄皮一枚ヒシュを貫くことはなく、替わりに槍の穂先は胴体へと吸い込まれ、空を舞う鳥竜は人の舞台へと引き摺り下ろされる。

 衝撃。

 衝撃と同時、腰に繋いだ鋼線が地面と引き合い、ヒシュの身体を寸での所で引き留めていた。鳥竜はその身の軽さ故に風に乗り、軽さ故に押し切られることもまた、なかったのだ。

 歯を食いしばり、外れた右の肩を腰で補い、それでも必死に短槍を把持しながら、横吹いた風の中で身体を留めつつ突き出された右の脚爪によって焼け焦げた仮面が吹き飛び、前へ向けて左の『挽き鋸』を懸命に伸ばし、風に露出した透明な眼差し、その眼前、高速回転する鋸の刃と腹部の間で、まるで魂同士がぶつかり合うかのように再び、青白い火花が散り広がった。

 交錯。

 押し込む。鎖状の刃がチリチリと音をたて、遂に弾け千切れた。そのまま左腕を大きく横へと振るう。駆動を終えた鋸が掌を離れ地面の泥へと突き刺さる。負けじと、鳥竜の腹部の外皮のあらかたを道連れにして。

 磨耗した奥の手を微塵の未練も無く手放し、鳥竜の腹部に穂先を沈めたままの『短槍』へ、肘から先だけ右腕を添える。

 握り手が熱い(・・)。瞬きに満たない鍔迫り合いの最中に狙いを定める。外皮の削げた今の鳥竜ならば、彼方此方(あちこち)に狙うべき傷が視えている。

 ダレンが叩き貫いた嘴。

 ノレッジが剥がした眉間や背や翼。

 ヒシュが削り取った腹部。

 ネコが仕掛け折った爪脚。

 その満身たる姿を覗く。闇の淵で紅く滾る瞳が、此方をも覗き込んでいる。

 

 何処 wo 狙い くるか。

 

 嘗ては闇に覆われ、覗く事すら憚られた(それ)

 闇の世界の果ての底、煮え滾る原初に程近い意識は、度重ねられた闘争の外で遂に顕となっていた。

 

(させんっ)

 

 判る。聞こえたのかも知れない。

 ヒシュを狙っていた嘴を、動き出すその寸前、割入ったダレンの『竜の顎』が右へと受け反らす。

 ダレンはその時、確かに見た。ヒシュの瞳に宿った透明さが遂に解かれ、幾つもの色の光となって、眼前の未知よりも遙かに遠い輝きが身体を包んだのを。

 

(まだですっ!)

 

 判る。嗅いだのかも知れないし、触れていたのかも知れない。

 振るわれようとしていた右の翼の爪を、ノレッジの放った通常弾が弾き飛ばす。

 ノレッジはその時、確かに感じた。自らの追い続けていた背中が、更に先の、未だ見えぬ壁の奥へと入り消えたのを。

 

(我が主……我が友っっ!)

 

 判る。確かに、視えている。

 吹き荒れる風の中、ただ1者充分な質量を持たないがために地に伏せる他ないネコは、これら狩人らの鬩ぎ合う光景をせめてもと目に焼き付けていた。

 ネコはその時、理解した。自らの友は遂に、使い(あぐ)ねていた全ての力を十全に発揮したのだと言う事を。

 

(動く、動く ―― 判る、うん、判る ――)

 

 体勢を崩した鳥竜に相対し、向き合っている。

 独りではない。他の光が後ろから闇を照らしてくれている。だから今度は判る。この黒さは、群体なのだ。そしてその群体には「闘争を」という恣意的な方向性だけが、害意を持って投げ放たれているのだ。

 この局面に在ってすら、鳥竜は未だ闘争に想いを馳せている。続くであろう、来る闘争の喜びに、とうとうと身を任せている。

 それらを感じ取れた自身の変調を、思考の隅に寄せておきながら。

 死を目前に、闘争に歓喜を叫ぶ鳥竜の意思へと被せて、或いは応える様に、ここが境界線なのだとばかりに、仮面の狩人はぽつりと呟く。

 

「―― ううん。ゴメン。続かない。これはもう、(とど)めだから」

 

 悲しく在っても良い。嬉しく在ってもまた、良い。

 それら含めたジブンの全てを受け入れて、ヒシュは鳥竜の身体へ刺さったままの『短槍』の持ち手を握りこむ。

 

 機構が解放される。

 火が灯り、熱が弾け、凝縮し、再び弾ける。

 『短槍』の柄に仕込まれた「竜撃砲」が炸裂し、槍の穂先を前へ、前へと突き出した。

 

 爆砲に比肩する轟音と衝撃を間近に、あっさりと、ヒシュの体駆は手に持った柄ごと後ろへと吹き飛ばされてしまう。近くにいたダレンも、吹き飛ばされて泥の中に倒れこんでしまう。

 そしてそれは、眼前の鳥竜も同様であった。

 炸裂音が止み、風の音だけが余韻を残す中、闘争の気配だけが先んじてぶつりと途切れている。

 爆発と同時に覆っていた腕を上げ、顔を上げたノレッジが、視線と疑問とを前に伸ばした。

 

「……これは」

 

 地面に傾く鳥竜、その姿。

 正しく凄惨。鳥竜の表情は最後まで闘争の歓喜に染まり、竜撃砲の衝撃そのままに腹部を貫いた槍が、3本目の脚のように背部までを突き晒していた。

 赤熱した金属が肉を焼き、心臓の脈動を遮る。鳥竜の瞳に宿っていた生気だけが、燃え尽きた灰が如く燻りを残している。

 その腹部から流れるのは、血。未知であった生物は遂に、当たり前の血液を流して、全身に込められていた力を抜いた。

 向かいに倒れ込むヒシュは四肢を投げ出し、剥がされた仮面の奥の黒々とした瞳でもって、朝焼けに染まりゆく空を見上げている。

 

「……銃撃槍(ガンランス)。基礎型だけど、ね」

 

 ヒシュが明かした仕掛けに解を得、これで未練はなく、未知によって翻弄された鳥竜の魂を導くのだと、黒色の風が骸の周囲で数瞬遊ぶ。

 遺骸の瞼が降り閉じてゆく。瞼が、完全に閉じる。

 肉の焼ける、血の焼ける臭気をも巻き込んで、風の統率は失われた。

 気紛れさを取り戻した風は螺旋を描き、朝の日差しに黒さを削ぎ落とされながら、鼻の先……青々と広がる天へと昇り、解かれ、透明へと立ち戻る。

 

 ヒシュが、ダレンが、ノレッジが、ネコが。

 昇り消えた風の後を追って首を擡げ、空を見仰ぐ。

 

 高嶺を覆っていた暗雲が、ハンターらの直上を中心として慌ただしく四方へと散り始めた。

 瘴気に塗れていた空気が清浄を取り戻す。寒冷期の冷たい空気が肺を染めては、狩人らへと生の実感を齎し。

 テロスの緑の向こうから覗いた晴れやかな朝日と蒼穹に包み照らされ、生者らは、歓喜の咆哮を拳に込めて突き出した。

 

 

 






ご拝読いただいた皆様に、ダブルクロスでもご幸運がありますよう御願いまして。

 ……でも決戦で2万字越えがデフォルトになると困る……。

 はい。何とか更新にこぎ着けました。確認はしましたが、もしかしたら誤字誤用などが多く見受けられるかも知れません点についてはご容赦くだされば私幸せ。
 今話については……もうちょっと演出がうまければ、という自らの技量のなさに辟易しながらも何とか書き上げてみました。鳥竜の荷電粒子砲の部分の後、ハイフンを連打した区切りを使うのは、当初からのライトノベル的な要素としては良いと思うのですが、この決戦に似合う物かどうかまでは……ちょっともう自分では判断つかないのですよね。見直しすぎてゲシュタルトが崩壊しています。本当ならページを跨いでアイキャッチを入れたい気分。とはいえここは横書き。その成果については、お読みくださった皆様に丸投げと言うことですいません。
 あとがきは、1章に対してのまとめ書きのようなものをあげる予定でいます。1章は次の話が最終話です。年内に更新予定ですね。
 短いですが、ではでは。

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