モンスターハンター 閃耀の頂   作:生姜

25 / 58
第二十四話 急転、直下、片角の

 

 太陽が南下を始めた頃、調査を終えた他の人員達に帰村の段取りを伝え、仕度を終えた四者はキャンプを出立した。

 向かう先は「白亜の宮」を含む砂地、「第一区画」である。全くといって良い程植物が生えていないそこは、調査の対象からは除外されていた区画であった。

 その第一区画を双眼鏡で覗いていたヤンフィによって、角の折れた双角竜の姿が視認されている。先ほど取り逃がした角竜の(ねや)は白地の岩峰、その根元付近にあるとみて間違いないであろう。

 東へ、白亜の宮へと近付いてゆく。岩場を抜ける最中にもゲネポスの群れに遭遇したが、バルバロらはそれを一掃。親玉たるドスゲネポスの出現も無かったために必要以上の時間を消費する事無く、一行はそのまま目的とへと脚を進めた。

 中央へ近付く毎に地形は陥没し、岩肌が反り立ち、道程は厳しくなる。狩人らは岩間を抜けつつも周囲の警戒を怠らない。

 

「―― 居ない、ね。ゲネポスも、アプケロスも」

「……だな。こっちとしちゃあ助かるが」

 

 予想を違い、以降、更なる走竜の群れが現れる事は無かった。ヤンフィとクライフが揃って首を傾げ、ノレッジが唸り……それでも脚は止めずに移動を続ける。

 岩間を抜けると砂原だ。先陣を切ったバルバロがまず砂原へと踏み出す。目前に遥か聳える岩峰を見上げ、指差した。

 

「―― 見えてきた。恐らく、あの『白亜の宮』の根元に在る窪地に居を定めているのである」

 

 予てから話し合っていた内容を確認するように話しかけると、ノレッジがうんうんと頷いた。

 「白亜の宮」が根付く中央部たる第一区画こそが、第五管轄地の最低面。最も低い大地となっている。窪地だが遺跡の埋没により植生がなく、それ故に小型のモンスターが近寄り難い。大型のモンスター達が縄張りとするには絶好の地なのだそうだ。

 ノレッジは状況を噛み潰しながら、急ではないが少しずつ傾斜した路を降る。今背負っているのは、拠点に帰った際に持ち出した『ボーンシューター』だ。角竜との決戦を前にして『箒星(ブルームスター)』の「奇妙さ」に頼りたくなかったというのもそうだが、それよりも使い易さを重視したというのが理由としては大きい。

 背に掛かる重さに安心感を覚えつつ、遠景を眺めるべく顔を上げる。視界の大半を岩が埋めており ―― 視線を戻す。

 すると。

 

「……あれ? あのう、これって……」

 

 戻した視界の所々に、建築物の残骸の様なものが映り始めていた。

 疑問に答えるべく横に並び、バルバロが頷く。

 

「ウム。第五管轄地周辺には、かつての文明の名残があるのである。地下にも幾つか聖堂と目される建築物が残っている。そのために学術院が躍起になって調査をしていたのだが……それも放棄された今となってはこの有様であるな」

「あの学術院が出資をしているのに、その調査は中止になったんですか?」

「YESね。ダンナの言う通り。何せここは辺境の最奥部の事よ。調べるにも莫大な費用と労力がかかるのねー。管轄地として開発までされたのに、資金は兎も角労力が尽きてくるくるぱぁね」

「その擬音だとただの馬鹿じゃねえか。……実際にゃあ向こう(ドンドルマ)でごたごたもあったらしい。詳しくは知らねぇけどよ」

 

 吐き捨てる様に言ったクライフにふぅむと相槌をうち、様変わりしてゆく周囲の光景に眼を剥きながらも、ノレッジ達は脚を進める。

 あちこちから突き出した石積みの遺跡を避けながら抜けると、今度こそ岩峰の根元へと辿り着く。ぽっかりと開けた空間の真ん中に直立不動、天へ向けてすらりと伸びた岩峰 ―― その下に。

 先頭を走っていたバルバロが呟くと同時。日陰に伏せていた巨体が、身を起こした。

 

「気付かれたのであるな」

 

 目下に両方の角を折られたディアブロス。遭遇戦を逃げ出した個体に間違いない。

 立ち居振る舞いを整え、足を止めず。

 

「近付くのである」

「アイアイ! 突撃ね!」

 

 始まりだ。

 と、ノレッジとクライフがそれぞれの獲物に手をかけ、バルバロとヤンフィは勢いそのままに真っ直ぐ、直線距離を測りながら近付いてゆく。

 その体駆の違い故、彼我の距離は重要だ。近付くまでに角竜を捉えきれなければ、恐るべき膂力を生かした突撃により距離を詰めては走り去るという「突いて(ヒット)から退く(アウェイ)」戦法により苦戦を余儀なくされる。

 突撃の体勢を整えた角竜が正面を向くと、先行した2人は接近に成功していた。そのまま、二手に別れる。

 

「遊撃するの事よ!」

「此方だ!」

 

 左右に散ったハンターは、角竜が一瞬だけ視線を逸らした隙を突く。

 

「―― らあああッ!」

「ブルロロロッ!?」

 

 クライフが一直線、槍を構えて突撃。穂先を腹に押し付け、突き、横、後ろと距離をとる。角竜が二の足を踏み、大剣と片手剣によって左右から追撃が加えられ、ノレッジの放った弾丸が翼を撃つ。なだれ込む様な連激に晒され、角竜の巨躯が遂に後退した。

 しかし、角竜は後退したまま身体を反らし。

 

「ブロロロッ ―― オ゛オオオオーッッ!!」

「っぐ!?」

 

 首を空に掲げ、大声を張り上げた。

 狩人らが思わず耳を塞ぐ程の声量。常ならば威嚇に使われる声ではあるが、角竜のそれは衝撃すら伴って放たれる。その声量で持って岩をも砕くと噂に聞く、轟竜の亜種には及ばないかも知れない。それでもクライフとヤンフィ、そしてノレッジの足を止めるには十分過ぎる咆哮であった。

 びりびりと空気を震わす咆哮の中。その中で唯一、動きを保つのは ―― バルバロ。

 

「―― ムゥンッ」

 

 大剣を振り下ろすと、みしりという刃物にあるまじき音が咆哮を切り裂き、中断させた。

 背を反らし、首を回し、ぐるりと周囲に咆哮を響かせた角竜が首を戻した所を、バルバロの大剣が逆袈裟に打ち据えたのである。位置取りは完璧。角竜の咆哮に伴う挙動を読み、頭が来る位置を寸分違わず切り払った。

 

「ブロロッ……!」

 

 遂に、角竜が閨たる砂地に沈む。どすり、と、堪らず傾き砂原を転がる。それは、既に角竜の足元に力が入っていない証拠でもあった。

 転倒に巻き込まれまいと距離をとったバルバロが小声で呟く。

 

「やはり、体力は尽きかけているのであるな」

「ダンナ。このまま行く、ね?」

「―― ウム」

 

 こくりと頷いたバルバロに従い、ヤンフィが掲げた拳を握って開いてみせる。総攻撃の合図だ。

 怒濤と攻める。ヤンフィとノレッジがサポートに徹すれば、クライフが突撃を敢行し、バルバロが胴体を打ち据える。各々の技量を尽くした攻撃に、角竜は成す術も無くもがくのみ。

 

「ブロロ……ルゥ」

 

 立ち上がろうと足腰に力を込め ―― 叶わず、再度、倒れ込んだ。

 行ける。これが最後の攻勢だ。と、誰もが足を踏み込み各々が剣を振るう。誰もが疑いもしなかった。知覚の全てを目前の角竜に向けていた。

 

 だからこそ、気付くのが遅れたのだろう。

 辺りに満ちる、焼け焦げた灰の様な怒りに。

 

 

 ―― ド! ッズゥンンッッ!

 

 

「―― は?」

 

 

 角竜が一度浮き上がり、落ちる。

 思わず呆けた声を出したクライフを、誰が攻められようか。

 ノレッジも同様に立ち尽くす。彼女の目前に横たわるのは、既に(・・)亡骸と化した(・・・・・・)角竜。

 何が起こったのか、と頭を働かす。……角竜が白亜の宮に倒れ込んだその瞬間の出来事だった。突如、角竜の足元が爆音と共に膨れ上がり ―― そこから突き出した『角』によって貫かれたのだ。

 角竜同士の争いは往々にして起こり得るもの。主に縄張り争いや雌個体の取り合いがそれに当たり、ギルドによっても度々観測されている現象である。特に繁殖期に起こり易いのだが、今は温暖期も目前。その可能性は低いと言える。

 それでも、可能性が無い訳ではない。だがそれは、白亜の宮の根元を突き破って現れたのが普通の角竜(・・・・・・)であったならば、という条件が付随する。

 

「……今のは」

「嫌な雰囲気、ね。……念のために調査隊に退避をしてもらうの事よ。ダンナ、オッケー?」

「……うむ」

「それじゃあノレッジ。これをお願いの事」

「はい」

 

 バルバロの許しを得、ノレッジは素早く信号弾を打ち上げる。桃、桃、白の煙。「2時間後に西で合流、逃走を」という内容のものだ。

 打ち上げ、まずはそのまま一箇所に固まって陣形を整える。逃走にしろ戦うにしろ、相手の姿が見えなくては対策の立てようが無い。

 一度姿を見せた『角』は、すぐさま砂地に潜り潜んだ。移動の音すら察する事が出来ない潜行に、ハンターらは警戒心を募らせる。

 砂煙によってその姿を明らかには視認出来なかった。が、今は亡き角竜の甲殻を一撃で貫いたという事実がその個体の技量を示している。

 窪んだ第五管轄地の底。土色の闘技場の真ん中で、ハンター4人は身を寄せ合い、圧し掛かる強者の気配に備えた。

 

(……ヤンフィさんの言う通り。凄く、凄く嫌な雰囲気です)

 

 狩場の雰囲気が変わったことを鋭敏に察知しながら、ノレッジは思考の片隅に考える。調査団の人員は無事だろうか。先ほどの指示に対する返答は未だ上がっていないが、身を潜めていた岩場の辺りに緊急の信号(のろし)は無いように思える。いずれにせよ逃亡の狼煙に気が付いて、場所を移してくれていれば良いのだが。

 焦れる。すれすれに浮かんでいた太陽が地平線に吸い込まれてゆく。僅かに暖かさを残して、空は藍へと塗り換わる。

 何時しか日は暮れた。

 何処からか砂地に似合わぬ湿気が奔り出し、延々と舞っていた砂埃が地に沈む。

 何をとは聞くまでも無い。ハンターらが感じとっているのは、新手の気配である。

 双角竜の亡骸から20メートル程距離を置いて、真黒な砂原の真ん中に背を集め、武器を握り締めたまま刻々と迫る瞬間に身構える。

 風だけが生温く肌に擦れた。

 星は今、見えていない。

 ぽつりとした冷たさに身を竦めれば、次の瞬間にざあと雨が振り出した。

 雨粒には微動だにせず、ハンターは周囲を窺う。

 通り雨であったらしい。地面を濡らし、雨は直ぐに止んだ。

 雲脚速く、青い月が顔を覗かせ、

 

「……っ!?」

 

 全員が同時に息を呑む。

 照らされた砂地の上。彼らの目の前に、音も無く、大型モンスターがその姿を現していた。

 

「―― ヴォォォ……」

 

 現れたのは ―― またも ―― 双角竜、ディアブロス。

 息を呑んだ理由は別にある。いうなればこの個体の特異性(・・・)だ。

 音も無く砂を割ったその身体は紅に(・・)染まり(・・・)、先に亡骸と化した個体の悠に2倍はあろうかという大きさを持っていた。

 その身体に刻まれた無数の傷跡は、長く生存競争に打ち勝って来た……()級危険度の生物であることを窺わせる。この個体について、既に一端の双角竜という域は脱していよう。

 頭から突き出された角は、片方が中途で折れている。その断面は滑らかだ。恐らくは遥か昔に折られたものか。

 

「ヴるる」

 

 双角竜は頭を擡げ、月光によって碧く晴れた夜陰を仰ぐ。

 歪な非対称性を持つ双角のみが紅の体色に逆らって白く、まるで三日月の如く耀いた。

 ノレッジは観察する。恐らくは侵入者への訓告であろう。角竜から敵意は感じる。が、存在感が希薄だ。目の前に居るのに、まるで、今にも消え失せてしまいそうな。

 異常な生物の出現に絶句しているクライフを横目にしながら、バルバロは冷静に勤めた。一切の隙を空けず、角竜を見据えたまま、震えた唇で警告を発する。

 

「……まずいな。よりにもよって灼角(やけづの)のお出ましである」

 

 バルバロが呼んだのは、この紅の双角竜の二つ名だった。

 ―― 灼角(やけづの)

 それが双角竜という枠に当て嵌めるには余りはみ出す、強大に過ぎたこの個体につけられた忌み名である。

 この場に揃ったハンターの内、ノレッジ以外の人員には「紅の双角竜」という呼称に心当たりがある。クライフとヤンフィの脳裏に浮かぶのは、小さな頃に読んだハンター教本の内容だ。

 

「……親父。聞くが、マジで灼角様なのかよ」

「ああ。忘れようも無い。間違いないのである。我が輩は若い頃、こ奴と出会って何とか生き延びた覚えがあってな。……彼の物語と同一の個体だとすると、既に100年近く……いや。物語の舞台で既に成体であるからには、それ以上に生きている計算である」

「……ちっ、せめて世襲制にしとけ。後進に譲りゃあいいものを」

 

 クライフが何とか悪態をつくも、灼角の気配は正に圧倒的であった。まるで、その姿を正面に捉える事すら恐れ多い様な。

 

「……何とかして逃げんぞ、親父」

「息子よ。……この灼角の戦意を量れぬ訳ではないであろう」

 

 苦々しくも口にしたバルバロの言葉がクライフの頬をより一層強張らせる。

 気配とは別に、目の前が暗くなる程明確な敵意があった。灼角と呼ばれたこの角竜からは、穏やかながらに此方を逃がすまいとする()が感じられるのだ。

 周囲に広がる砂の原。先の個体を追って遠出した分の距離を、この圧倒的な竜から、無事に逃げおおせる筈も無い。バルバロをしてそう思わせるほどの威圧を、目前の角竜は持ち放っている。

 息子が反論出来ず唇を噛んだのを見て、バルバロは背負った皮の鞘に大剣を留めた。

 

「闘争し、時間を稼ぐべきである。―― 我が輩が先行する。隙を窺って退路を確保するのである、ヤンフィ」

「OKね」

「く……」

「ほら、坊ちゃん! ノレッジ!!」

「はい!」

 

 充満した鉛の様な空気の中ヤンフィにそれだけを告げ、バルバロは並ぶ狩人の列から大剣を背負って歩み出た。ヤンフィはクライフの腕を引っ張りながら撤退を始め、ノレッジもそこへ追走した。

 逃げ出した者共に反応し、灼角の気配がずしりと増す。バルバロは灼角だけを目の内に留め、気配を受け止め。紅の双角竜に向けて、無造作に距離を詰めた。

 大剣の柄を握り ――

 

「貴殿であれば不足などというのもおこがましい。……我が輩の底をお見せするのである ――!!」

「……ヴオオオオ!」

 

 額に半月を描く曲り角が消え ―― その切先。刹那。

 避け、鞘を解き、迅炎一撃を見舞い、大剣を背負う。

 交差し、角竜の周囲を左回りに走る。追って向けられた頭を小刻みな歩法によって捉え、柄に張り付いた掌が動く。

 

「―― !」

 

 僅かに力を溜めた剣を振り下ろし、また背負う。

 一撃を繰り出して背負うという、決められたかの様な一連の流れ。数度切り結ぶと、何時しか、不可侵にすら感じられた紅の鎧の一部に亀裂が生じていた。

 

(……あの背負う動作に、何の意味が……?)

 

 灼角という人知を超えた怪物が現れ、逃走を試みながらも、ノレッジの眼はしっかりとバルバロの動作に向けられていた。

 角竜の体駆とは比べるべくも無いが、バルバロには巨漢という体格の利がある。大剣を抱えていたとて、瞬間的な脚力が落ちる事はない。とすれば一動作毎に隙を窺い納刀するという動作に意味は無く、本来は時間の浪費である筈なのだ。

 しかしあの角竜を易々と貫いた角を携える灼角に、バルバロの鞘から解き放った(きわ)の一撃が傷を負わせたのも、揺ぎ無い事実。

 当然、彼が歴戦の兵として培った技量もあるだろう。だがそれとは別の点について、ノレッジには心当たりがあった。

 

(……そうか。同じなんです……ヒシュさんとっ)

 

 脳裏に焼き付けていた映像を思い描く。見る者に信頼感すら抱かせる、仮面の狩人の動作を。

 炎により焼け野原となった密林。未知の怪鳥と対面し『ハンターナイフ』を掲げた際の、底知れぬ雰囲気のヒシュ。

 幾度と重ねた狩猟の間。傷を負い怒り狂った獲物に、嬉々として攻勢を仕掛けてゆくヒシュ。

 いつもいつも、だらりと脱力した後で動きを一変させる、ヒシュ。

 獲物が本気で此方に敵意を向けた時、むしろ喜び勇んで仮面の狩人は勝負を仕掛ける。一見そこに意味は無い。危険性は増している。無策で、無為で、無謀にすら思える。が、その意味の無い筈の動作は結果として意味合いを帯びていて。

 砂漠に居る間、ずっと悩み続けてきた事柄だった。ここにきて遂に、内でぴたりと符合する。

 矛盾を孕みながらも発現する ―― 確かな気炎(なにか)

 

(……見つけ、ました! 知りましたっ!!)

 

 これが感じ続けていた違和感の正体だ。と、ノレッジは駆け巡る刺激に背筋を震わし、心の内で快哉をあげた。

 一撃から背負う動作は、ヒシュのそれらと源流を同じくする。技量とは別の次元に位置する気炎(なにか)なのだ。バルバロにおける「鞘から抜き出した一動作」こそが、未だ知らぬ理。「迷信、慣習、法則(ジンクス)」とすら呼べる何か(・・)の助力を得ているのだ。

 反応か、視力か、筋力か、はたまた体を癒すのか。その内容については、推察も出来はしないが……。

 砂原を駆けずる逃走の最中。顔を覗かす遺跡の手前にまで到達した頃合で、ノレッジは自然と脚を止めていた。

 視線の先で、バルバロと灼角の闘争は激しさを一層深めていた。

 

「―― !!」

「ヴルォォ!!」

 

 尾を振るい、避け、角を流し、斬り込み、砂を巻き上げ、激突。

 牙を突き出し、剣で逸らしつつも鞘に収め、かち合わせて睨みあい、衝突。

 灼角の一歩が大地を揺らす。

 バルバロの一撃が炎を燻らす。

 

「ノレッジ、何してるのね!?」

 

 足を止めているノレッジに気付いたヤンフィが、声を張り上げる。

 しかしノレッジは応えない。彼女の状況をより正確に言えば、応える余裕がない程に見入っていた。意識の全てをバルバロと灼角の闘いに注ぎ込んでいた。

 

「クライフ! ……ノレッジが!!」

「! あの野郎……!」

 

 返答がない事を悟り、ヤンフィとクライフも足を止め振り返る。

 ノレッジへと駆け出そうとして ――

 

「ニャハ!?」

「な、何だ!?」

 

 ずずず、と大地が鳴動する。

 クライフとヤンフィは足元を見、そして視界を戻す。

 今は既に点にしか見えない程距離の離れたバルバロの正面 ―― 居ない。恐らく、灼角が地面に潜ったのだ。

 だとすれば……と。これを逃走の好機だと。そう判断したヤンフィがバルバロを呼ぶべく大声を出そうとする。

 

「ダン、 ―― ナッッ!?」

 

 声が途切れたのは、ヤンフィが転倒したからであった。

 駆けているからではない。足は止めている。所以は別の場所にある。

 

「流、砂……っ!?」

 

 バルバロの目前。灼角が潜ったと思われる点……白亜の宮の根元を中心に、第一区画全て(・・・・・・)が蟻地獄の如く飲み込まれ始めていたのだ。

 

「ちっ……やべぇ!!」

「ダンナッ、ノレッジも!!」

 

 足が沈んでゆく。

 ヤンフィが大声を出すが、バルバロとノレッジは動かない。何かを見据えるようにじぃっと、そのまま、飲み込まれてしまった。

 

「ダンナァーー!!」

「……っ」

 

 叫ぶヤンフィを横にしたおかげでか、クライフは逆に冷静になっていた。ヤンフィの腕を引き、蟻地獄の外側へ向けて走った。

 しかし、吸い込まれる砂の勢いに勝る事は出来ない。暫くすると砂が一気に吸い込まれ、埋もれていた遺跡の数々を露出しつつ ―― 足場が崩れる音が響く。

 

 大地が割れる。白亜の宮がずるりと沈み、砂の渦が波濤と迫る。

 地の底へ落ちる。崩落した砂に揉まれ、意識を黒く塗り潰された。

 

 

 

 

■□■□■□■

 

 

 

 

「つ。ここ、は……」

 

 水に浸かる冷たさに、クライフが身体を起こす。

 突如崩れた足元に、自分達は放り込まれた筈だ……と、空を見上げる。僅かに焼けた、薄暗い藍(・・・・)の空が見えた。あそこから20メートルは落とされただろうか。クライフが無事なのは落とされた先の地面が軟くなっていた事、そして落ちた場所自体が柔らかく緩衝材の役目を果たした事による偶然でしかないが……兎角、命は取り留めた。

 武器である『ランパート』はすぐ傍に転がっていた。槍を背負って一息。

 隣を見れば、ヤンフィも腰をさすりながら頭を起こしている最中であった。首元に下がった眼鏡を装着し、『フロストエッジ』を腰に差し。

 

「―― ッ!?」

 

 と。頭を上げたヤンフィが突如、目を見開いた。唇をわななかせ、前方を指差している。

 口を開こうとしたクライフも、其方へと首を向け……絶句した。

 

 満たされた青の湖面に、大サボテンを含む巨大な植物が根付いていた。

 

 地底湖の真ん中に浮かぶ黄金の空間というのが適切か。飛竜の紋様が描かれた台座。それらを囲むように守るように、植物たちはびっしりと根を伸ばしている。

 足元は一面の水。今自分達の足場になっているのも、植物の根であった。

 

「……この場所に地底湖だ? 地下には遺跡くらいしかねえ筈じゃねえのかよ」

「……YES、の筈なのよ坊ちゃん。多分発見されていなかった聖堂に水が入り込んだの、ね。にしても地下水脈がここまで伸びているなんて……これも大雨の影響の事?」

 

 戦慄したまま、ヤンフィは呟く。視線を下ろすと、足元には滾々と湧き出る水場があった。よくよく見れば遺跡の壁には小さな水路が無数に設けられており、支流が足元を掬う程に溢れ出ている。

 ここから水を吸い上げ、サボテン達は成長をしていたらしい。とはいえ限度はある。サボテンという種を逸脱した肥大化には、その他の要因もあるに違いないが……今はそこまで詮索をしている余裕が無かった。

 見れば、自分にもヤンフィにも手元の明かりは無い。空から明かりは零れているが、それも微々たるもの。

 

「―― ! 原因、これか」

 

 クライフは思い至る。不可思議はすぐ目前にあった。仄かに黄金に輝いている ―― 地下の空間。それ自体がおかしいのである。

 ランタンも光蟲も電気袋もない。光源は本来、遥か地上を照らす空以外に存在し得ないのだ。

 2者は暫し、幻想的な光景に眼を奪われたままで立ち尽くす。その彼等を現実に引き戻したのは、自分達の頭の上から聞こえる怒号であった。

 

「―― オオオッ!」

 

 この良く響く大声は、聞き間違えようも無いバルバロのものだ。

 はっとしたヤンフィと顔を見合わせた後、クライフは慌てて周囲を確認する。

 

「どっか、上がれる場所はねえのかよ!」

「判らないのねっ!? ……壁を!!」

 

 どれくらい気を失っていたのか。先ほどぼうっと見上げた空の色からして、夜が明け始めているのは間違いない。だとすれば、自分達は数時間を ―― 首を振り、視線を動かす。

 

「坊ちゃん、向こう! 向こうにつたえそうな壁があるの事よ!」

 

 素早く振り向けば、必死に手を振るヤンフィの指差す先に、苔や蔦がびっしりと絡まった石積みの壁が聳えていた。一心に駆け寄り、植物を取っ手によじ登り始める。

 

「ちっ……くたばってんじゃねぇぞ、親父、ノレッジ!」

 

 藍色の空目掛けて一心に登る。瓦礫を掴み、蔦を蹴飛ばす。一段飛びに身体を上へ。

 裂け目から顔を出すと、未だ冷たい砂場の風が肌をなぜた。バルバロの姿を探して首を振る。

 

「居やがった!!」

 

 クライフが叫ぶ。視線の先だ。陥没し出来上がった、10メートルを悠に超える裂け目の向こう側。

 

 バルバロは1人大剣を振るっていた。

 ただし ―― 正しく、満身創痍の姿で。

 

「―― !!」

 

 バルバロは声にならない声で叫ぶ。一角竜の鎧は角が折れ、脛当てと肩当てが見当たらない。大剣『バルバロイブレイド』は刀身が曲がっている。面は削れ、剥き出しになった頬からは鮮血がだらだらと流れ落ちていた。

 それでも大剣の勢いは殺していない。延々と続けていた名残か。とうに消え失せた鞘の替わりにと、大剣を背に収める動作を機械的に続けている。

 

「ダンナッッ!」

「ちっ……」

 

 クライフとヤンフィが思わず駆け寄るが、その行く手を大きな裂け目が阻んでいた。夜陰の全てを飲み込み溜めたかの様な裂け目。当然底は見えず、到底、飛び越えられるような幅でもない。

 迂回路を探して視線を巡らす。だが、様変わりした第一区画はどこも同じ様な状況。そこかしこに大小様々の穴や裂け目が出来上がり、遺跡が顔を出しては凹凸を作り上げている。

 両者がバルバロへ少しでも近付くべく足を動かす。が。

 

「ヴるるっ」

「―― !!」

 

 バルバロから数歩の距離を置いて、角が大地を貫いた。バルバロはそれを避け、大剣を振るう。

 狙っていたのだろうか。灼角の頭がかくりと沈み ―― 相討ち覚悟の反撃。渾身、灼角が全身に力を込めて暴れ出す。

 

「ヴルオオオオオァァーーッ!!」

 

 角を振り回し牙を剥き尾を振り回す。

 大剣で防ぎ残る肩当で防ぎ、バルバロが声を振り絞る。

 

「オオオッ、……ッ!」

 

 しかし灼角の次撃……尾による回転の二撃目が、その叫びを断った。

 体勢を崩され、遂に押し切られたバルバロの巨体が軽々と宙に舞う。飛んだ先 ―― 拙い、裂け目の方向だ ―― と目で追うも、何とか、吹き飛んだ身体は裂け目から突き出した岩に引っかかって事無きを得ていた。

 クライフとヤンフィが安堵の息を吐き出す。が、それも一時の事。

 

「……んで、だ」

「……」

 

 押し黙ったヤンフィの隣で、裂け目を覗き込んでいたクライフが面を上げる。

 裂け目の向こうに、堂々たる姿を掲げた灼角。その視線が、今度はクライフらへと向けられていた。

 

「親父を引き上げてアイルー部隊に運ばせようにも……っ!」

「……隙は見せられない、ね」

 

 言って、自然と武器を構えていた。

 敵わぬ相手であろうとやりようはある。バルバロを引き上げ、入り組んだ裂け目の迷路を抜け、灼角の追っ手を振り切って第五管轄地を脱出するのだ。……例えそれが砂粒の中から金を探す様な、限りなく低い確率であると判っていても。

 隣のヤンフィと目線で合図を交わす。防御ならクライフ、裂け目へ飛び込む様な身のこなしならヤンフィの得意分野だ。クライフが惹き付け、ヤンフィがバルバロを引き上げる手立てを整える。数では勝っている。数分程度の時間を稼げれば、十分に足りる筈。

 

「ヴルル ―― ッ!」

「来んぞッ」

「YES!」

 

 灼角が足に力を込めた瞬間、ヤンフィは腰の麻縄を手繰りながら素早く崖へと飛び降りた。

 それを横目に確認しながら、クライフは1人武器を構える。巨体を持つ灼角にとって、十数メートルの裂け目は障害にすらならなかった。一度だけ翼を上下させ、浮かんだかと思うと、クライフの目の前に……降り立ち。

 

「―― らぁっ!!」

 

 この灼角に立ち向かった父の様に。思い切りだけはと決め込んでいたクライフは、着地点へと飛び込んだ。

 降り立とうとする風をものともせず、間髪居れず、鉄槍を振るい ―― 太腿に苦もなく弾かれる。

 

「ん、なっ」

「ヴルルッ……!」

 

 逸れた槍の勢いに仰け反った直後、三日月の角が迫った。

 コマ送りになった様にすら感じる速度は、凄まじいまでの膂力によるもの。

 反射的に構えた楯。目の前で火花が散る。

 

「がっ」

 

 先に狩猟した双角竜とは段違いの衝撃によって、クライフは体勢を大きく崩される。何とか意識を繋ぎとめてはいたが、気付けば楯が此方へ向けてせり出していた。鉄の凧楯は、灼角の一撃によって凹まされたのだ。

 構えを整える間もなく風斬音が響く。横に構えていた『ランパート』が弾き飛ばされ、腕甲がくしゃりと剥げ落ちる。

 鈍痛。ここでやっとの事思考が追いつく。駄目だと悟ったその瞬間、クライフは楯を投げ捨て距離をとった。

 

「……!」

 

 ―― ブォンッ!!

 

「……ぁあ゛ッッ!! ……っは、っは!」

 

 咄嗟の前転からの回避。直後、起き上がって走り出す。

 角を振り上げた動作の隙を突いて股の下を抜け、どうにか7メートルほどの距離を稼ぐ事が出来た。

 クライフは急いで鞄の中の狩猟道具を探る。薬は無事だが、長く水に浸かった影響によって閃光玉や罠といった道具は機能を失い、只の荷物と化していた。仕方が無いと、走った先でくの字に折れてしまった槍を拾う。これでも無いよりはマシに違いない。楯は……そもそも灼角の攻撃を受けようというのが間違いだったのだろう。だとすれば、あっても無くても同じ事。

 

「そうでも思ってなきゃ……やってられねぇ、畜生」

 

 苦渋の決断とはいえ、距離を取るという選択肢は角竜得意の『突いて退く』闘いに付き合うという事でもあった。

 クライフの前方で、灼角は確かめるように地面を慣らし……突撃。

 間に挟んだ裂け目を見事に避けながら、灼角の片角がクライフ目掛けて迫る。

 

「―― ちぃっ!?」

 

 足元を確認しつつ、横へと身を投げる。

 ぶおっという音をたてて角と巨体が空を切る。辛うじて一命は取り留めた、が、すぐに次撃に備えなければならない。クライフは身を起こすと、すぐさま脚を動かした。

 

「……!」

 

 背中に視線を感じる。相対し、飛ぶ。

 身を起こして、走る。足音が近付く。振り向いて、飛ぶ。

 命を削る防戦が続く。何処へ逃げているのかも判らぬまま、クライフは生き残る事 ―― 時間を稼ぐ事だけに終始する。

 猛撃を凌ぎながらの逃走は、数分では収まらなかった。しかも裂け目と遺跡の瓦礫によって構築された迷路が足を鈍らせる。そんな中を逃げまわる内、いつしか管轄地からは数キロ以上も離れてしまっただろうか。主導権はクライフではなく、灼角の側にある。楯が凹むほどの衝撃を受ける訳にもいかず、回避と逃走を主に据えるしか手段がなかったためだ。

 

(これは、拙いんだよ……! でも他に手段がねえ!!)

 

 クライフとて理解はしている。管轄地から離れてしまえば、身を潜める場所は少なくなってゆく。モンスターが強大であればあるほど人間は知恵でもって対抗せざるを得なくなり、身を潜める場所が少なくなるということは、灼角の独壇場になる事をも意味している。

 そしてそれが自らの死に直結しているという事も、同様に。

 

「―― ヴゥッ」

 

 漫然とした死が、灼角の巨体が迫る。

 身を捻って何とか避ける。繰り返しの攻防はクライフの身体に染み込んでいた。

 しかしそれは灼角の狙い通りで、だからこそ……後ろで素早く立ち止まり、振り上げられた尾に気づくことは出来なかった。

 

「ぐ、がっ!!」

 

 鎧が捲れ、鉱石で作られた兜が吹き飛んだ。数瞬浮いた後、地面に叩き付けられた。

 立ち上がる事は、すぐには叶わない。両手足に力が入らないのだ。灼角も反転の直後では狙いが甘かったのか、どうにか直撃は避けたものの、息が詰まって呼吸すらままならない状態であった。

 

「……っ、がはっ、はっ」

 

 四肢に力を込めるが、崩れ落ちる。背後では、反転しきった灼角が今度こそはと狙いを定める気配があった。

 これまでか。ハンターは諦めが肝心だという。それは本来引き際を見極めるという意味合いなのだが……と、クライフが最期の悪態をつくべく、声の出ない唇を開いた時だった。

 ガシュシュンという重弩に特有の射出音が響き、狩場の静寂を貫いた。

 

「!! ヴルォオオオオッ!!」

 

 予期せぬ攻撃だったのだろう。痛手ではないが、クライフの目前で始めて灼角がその身を捩る。

 続け様に、リズム良く射出音が響く。明らかに通常よりも素早い射出は、レクサーラの工房が開発したという追加弾倉を使ったものに違いない。

 あれを使いこなす程、ブレの無い射撃を行う人物。少なくとも、クライフの近くには1人しか居ない。

 

「―― こっちです!!」

 

 声の方向へと振り向く。裂け目の向こう側だ。砂丘の上を位置取り、桃色の髪を揺らす少女……ノレッジ・フォールが『ボーンシューター』を構えていた。

 数十メートルの距離をものともせず、僅かに湾曲する弾丸の軌道を、灼角の翼にぴたりと合わせてくる。かと思えば時折頭に照準を合わせ、交互に射撃。

 最期に、頭に数発を撃ち込んだかと思うと、

 

「閃光、行きます!!」

 

 頭への狙撃を嫌がった灼角の考えを読んだかのように。少女の側へ振り向いたその瞬間を捉え、閃光玉を放ってみせた。

 光蟲の発光器官が炸裂し、辺りが光に包まれる。クライフが再び瞼を開いた時、振り向いて間もなく眼を焼かれた灼角は、何をするでもなくただただ尾を振り回し始めた。

 

「ヴルォォーッ! ヴルルォーッ!!」

 

 暴れまわる灼角の鳴声を背景に、クライフは自身の体調を確かめる。

 息は出来る。槍はある。身に力は入る。回復薬を一息に飲み干し、素早く立ち上がった。

 

「―― 今の内です!」

 

 立ち上がったばかりのクライフに、少女は異な事を言う。弩を背負うつもりは無いらしく、その照準は腕の中、未だ視界のない灼角へと向けられていた。

 それは、つまり。

 

「―― 逃げる! 今なら逃げられんだ、ノレッジ!!」

 

 ノレッジに逃走する気がないと悟るや否や、クライフは叫んだ。

 それでもノレッジは首を振る。

 

「それは、無理なんです!!」

「何で、何でだっ!!」

「わたしは裂け目のこちら側(・・・・)に出てしまいましたからっ!!」

 

 そう。ノレッジとクライフの間には、灼角にしか飛び越える事のできない裂け目が広がっている。

 それでも、穴の向こう側に出たというならば戻れば良い。だとしたらノレッジは何故、元来た穴を伝って逃げるという手段をとらず、こうして灼角の目の前に姿を現し……命を危険に晒すのか。

 ―― ああ、それは、言うまでもない。クライフが危険に晒されていたから、だ。

 だから叫ぶ。何時だってクライフは、理不尽に対して悪態をついてきたのだから。

 

「生きて帰るんだよ! 親父も、ヤンフィも、俺も! お前もだ!! 違うか!?」

「でも、それはハンターの仕事じゃあありません。というか、すいません。……二兎を追っていては全滅しますから! クライフさん、どうかあちらに!!」

 

 遂には謝らせてしまった少女の言葉に顔を動かす。すると、ヤンフィの居た方向から「ペイントの実」の強烈な香りが漂ってきていた。

 

「……! 大型モンスター、だと!?」

 

 二の句を継ぐ事が出来ない。感情とは違う次元にある、クライフの熱を冷ますほどの正論だった。

 「ペイントの実」……その独特の臭気を利用した「ペイントボール」は、大型モンスターの位置把握の他、周囲のハンターに新手の出現を知らせる意味合いもある。つまりこれは、ヤンフィの側にも大型モンスターが出現したという知らせでもあった。

 今ならばクライフにも判る。紅の角竜は視界を失いながらも、バルバロが致命傷を負った今、自分やヤンフィなどには目もくれず ―― ノレッジにだけ明確な意識を向けている。

 高い砂丘の上。少女は昇り来る旭光を背景に立ち、一団を見下ろして笑いかけた。

 

「此方は大丈夫です! わたし、師匠から色々と教わってますし! ―― それに、ワクワクしませんか!」

 

 白い吐息が昇る。唇から紡がれたのは、クライフにとって耳を疑う言葉であった。少なくともあの灼角と相対した人間の口から出る言葉ではない。

 しかし、思い返す。例えば父であるバルバロの様に……もしくはかつての母の友人の様に。超然とした技量を持つハンターは皆、今のノレッジの様に、強敵との闘争を前にして笑う事の出来る人物ばかりではなかったか。

 ……だとすれば、目の前で笑うノレッジはどうだ。自らの先を行き、父や、母の友人と同じ領域への歩を踏み外した(・・・・・)のだろうか。

 少女はあくまでも自然な動作で長い髪を梳き上げ、焼ける空とに照らされ沈む。

 

「判るんです。あのディアブロスは、きっと闘いを求めてここに居る。……だからわたし、見てみたいんです。もっと近くで、もっと傍で。それにそもそもわたしは、今の銃撃で……『やけづのさま』……でしたっけ? あのお方に目を付けられてしまってます。わたしに限って逃走は不可能でしょう。一緒に逃げては危険が増すだけ。ですから、敵意と興味を逆手に取ります! 今なら、『灼角』の興味をわたしが引き受けてしまえば、クライフさんがヤンフィさんとバルバロさんの救援に向かえます。それなら、逃げられる筈です! 調査隊への被害を出さずに脱出できる可能性が高まります!」

「でも、それなら俺達も!」

「―― いいえ、それは駄目です!」

 

 クライフがヤンフィの側へ行き、救援の後、この場へ駆けつける。

 そんな意味合いの叫びを一言の元に遮り、ノレッジは唇に指を当てる。

 

「……ここはもう管轄地の外。応援のハンターさん達は到着してなくて、しかもバルバロさんが大きな傷を負っています! 戻って来てしまえば無事に逃げおおせる筈もありません! 何より、調査隊の皆さんはどうするんですかっ! 帰りの調査隊を守るハンターも必要でしょうっ。だから、クライフさんとヤンフィさんは、そのまま。調査隊とバルバロさんを連れてレクサーラに戻るべきだと思います!」

 

 言い切る少女から、気負いや覚悟といった類の悲壮感は漂っていなかった。

 他の言葉で言い表すならば、期待。喜色に寄るものだ。

 

「ノレッジ、お前……」

「だから逃げてください。わたしが相手を……というのは、流石に気が引けますね。率直に言って、囮を勤めます。……砂漠の王であるディアブロスの内、『王の中の王』と呼べるこの個体を相手に、わたしではそれすら役者が不足しているのでしょうけれども……」

 

 言いながら、少女は丘の向こう ―― 先に待ち受ける灼角を見つめていた。

 まるで抜き身の刃の様だ。危うさを伴う面持ちが、次の瞬間には引き締まり。

 

「レクサーラの皆さんへ、宜しく伝えてくださいっ!! お世話になりましたと!!」

 

 救援に向かうにも時間は待ってはくれない。返答を待たずして、クライフの目に映っていた少女の姿は、瞬きの間に砂丘の向こう側へと掻き消えた。

 

「ちっ……許さねぇ……許さねぇぞ、ノレッジ!!」

 

 悪態をつく。自分の無力さを嘆いたのではない。

 この瞬間、この時、クライフとノレッジを分ったのは裂け目の向こうに居たという偶然に過ぎない。逃げ出した最中の闘争に惹かれ、足を止めていたという天運に過ぎない。少女との立場が逆であれば、恐らくは、クライフとて同じ行動に出ていた筈だ。

 だからこれは、ただの悪態だ。溢れ出し垂れ流し、それでも胸に渦巻いてしまった見苦しい愚痴だ。

 

「生きてレクサーラに帰って来やがれ……! 必ずだ!!」

 

 返答はない。期待もしていない。

 すぐさまの激突の気配が無い事に安堵しつつ、クライフは踵を返す。

 数分駆けて元の地点へ戻ると、バルバロを引き上げていたヤンフィの姿が見えた。引き上げは終えているらしい。

 ……が。

 

「くっ……このっ」

「ギャアアッ!」

「ギャアア、ギャアアッ!!」

 

 その周囲には砂漠を泳ぐ無数のヒレ。恐らくは灼角のおこぼれに預かろうと集まった、ガレオスの群れであった。目視だけでも、群れの中に混じっているドスガレオスは2頭。ヤンフィの右手はだらりと下がり、血を流したままの左腕で剣を握り。必死にバルバロの身を守るべく戦っていた。

 これだけのモンスター達が、あれ程落ち着いていた第五管轄地の何処に潜んでいたのか。と、接近の間に考えを巡らす。すぐに目に入るのは、やはり裂け目。地殻変動にも匹敵する『白亜の宮』の陥没による衝撃か……はたまた、モンスターが生活できる様な空間が地下に出来上がっていたのか。

 ……もしくはその両方か、と、喉元まで出掛かったツイてねぇというお決まりの単語を飲み込む。地下にあれだけの水源と大サボテンを含む植物があったとすれば、地上にいる必要が無いというのも納得できる話ではあったのだ。空から観測気球を飛ばすだけでは見付からないのも道理。

 そのまま視線を逸らし、遠方……管轄地の岩場があった方面を確認する。すると、第一区画とを隔てていた岩場が大きく傾いているのが見えた。陥没の影響はここら一帯だけに止まらなかったのだ。だとすれば、同じく小型のモンスターが湧いている可能性は高い。調査隊の面々にも少なからず危険が及んでいるとすれば、即急な応援が必要である。

 しかし、今はまずこの局面を切り抜けねばならなかった。思考を目前の光景へと戻す。群れまで数秒の距離まで詰めていた。道中、投げ捨てた楯を回収する。全力疾走の最中でポーチに手を入れ、小型爆弾を駄目元で着火。やはり火がつかない事を証明した後投げ捨て、痛む身体をおして腰に力を込め、息を吐き出す。

 『ランパート』を目前の大きなヒレ目掛けて突き入れた。

 

「―― ギャオオッ!?」

 

 狙いの通り。予期せぬ一撃にドスガレオスが飛び出し、バタバタと地面で跳ね出した。

 小型のガレオス達は、飛び出してしまったドスガレオスの周りを避けて泳ぎ出す。出来た空間を利用してその横を抜ける。

 

「―― 坊ちゃん……! て、あっ」

 

 ヤンフィはクライフを目に止めると一端顔を明るくしたが、隣にノレッジが居ない事に気付くと途中で言葉を飲み込んだ。

 クライフはそのまま横に屈みこみ、無言のままのバルバロを見やる。息はしている。どうやら手当ての最中に襲われたらしい。圧迫止血のための包帯が、中途で放られたままとなっている。

 ヤンフィは淡々と作業を進めるクライフを見て。次に、数キロ先の丘の向こうへと消えたノレッジを見て……改めて『フロストエッジ』を構えた。

 

「……クライフ坊ちゃん、ノレッジは」

「行くぜ、ヤンフィ。どでかい荷物で悪ぃが親父を担いで、この魚竜の群れを抜けて、調査隊と合流する。どうせこのまま留まってたら良い餌だ。調査団と合流したら、ノレッジの引いてた荷車を引いて第五管轄地を出る。―― 今からこの調査団は、最低限の荷物だけを持ってレクサーラに帰還する。強行だ。力貸せ。くれぐれも逸れてくれんじゃねえぞ」

 

 言い切って、反論を許さずクライフは父を背に担ぐ。同時に、見た事もない自身の母が鍛えたのだという『バルバロイブレイド』をぶら下げた。足に力を込めて、魚竜の群れを睨むと、泳ぎ回るヒレの真っ只中へと迷い無く分け入る。目指すは合流地点と定めた北側、唯一つとばかりに。

 ここで逃げるという選択肢は生き残る為に正しい順路でもあった。隊長気質のヤンフィは暫く唇を噛んでいたものの、最後には周囲の魚竜に牽制をかけつつ、クライフの後を追いかけ始める。

 

「さっさと帰って、装備を整えて……調査隊を再編成して、ここに戻って来てやんだよ……!」

 

 クライフが悔し紛れに吐き出した夢物語は、誰にも届く事無く、砂の海に染み込んで消えた。

 

 

 

 

□■□■□■□

 

 

 

 

 かつての仲間達が黒い点に見える程の距離を隔てて遠く。

 バルバロを担いだ2人が移動を始めたのを見送って ―― 数秒。

 砂丘の上から跳び、砂原に降り立ちながら、ノレッジは深く息を吸った。渋るクライフを後押しするためにと、咄嗟にヒシュの真似をしたのだが……どうやら成功したようだ。これもずっと背を追って来た成果の一つには違いない、と自嘲の笑みが零れ出る。

 勿論、先ほどの語りは半分以上が虚言である。ノレッジとて自分の命は惜しい。それも気絶する前、第一管轄地が変貌を遂げる前……やっとの事で積もり積もった疑問に対する「解」を得た直後だというのに、だ。

 しかし灼角に興味を持たれた少女が相対しなければ、あれだけの相手。16名の調査団だけならず応援のハンターにも危険が及ぶ。それも、相対したとて灼角に追いかけられてしまえば同じ事。だとすれば助ける為に自分が残るというのはやぶさかではない。

 また向けられた興味の他に、臨時ではあるが二等書士官となった自分が「部下を助けたい」と思う気持ちに関しては嘘も無かった。

 

「……」

 

 随分とヒロイックな展開だが、慢心は無い……様に思う。全滅か誰かが生き残るかという瀬戸際に、選択肢は存在しなかったというだけの話。

 部下……という単語に続いて、密林で(後に未知の、と呼ばれる)怪鳥に襲われた際の事を思い返す。今にして思えば、自分も隊長たるダレンに助けられていたのだ。それも心なしか随分と昔に感じられる。あの時のノレッジは調査資料運びという名目で怪鳥から離されたが……何時にも増して憮然とした表情を貼り付けていたダレンも、かつてはこんな気持ちだったのだろうか。と、少しだけ場にそぐわぬ親近感も覚えた。

 郷愁はここまで。肌を刺す朝の冷気が肺に馴染んだ頃を見計らい、少女は独り言を呟く。

 

「ふぅ ―― はぁ。さて」

「―― ヴルルル」

 

 視界を取り戻した灼角は、人には飛び越えられない裂け目を軽々と飛び越え、こちら側へと降り立った。

 少女は自らの好奇心以外の全てを擲って、目の前の生物と対峙する事を選んだのだ。クライフに語った通り、ノレッジには灼角が自らを追ってくるであろうとの理由のない確信があった。ただ、確信の根拠を、今は勘としか言い表すことが出来ないのが口惜しい。

 

 思考を切り替えると面を上げた。守るべき書士隊も仲間も今は退き、知るべき相手だけが目前に佇立している。

 ノレッジはここで改めて、紅いディアブロス ――『灼角』の雄々たる全容をみやる。

 

 砂漠の広天を貫き屹立する双角の内、その1つは中途で折れている。だがそれは勲章である。今や折れた角は王冠の如く、威厳を持って頭に戴かれている。

 体駆は先ほどノレッジが遭遇していた通常の個体より二回りは大きく、目測だが、全高8メートル前後。通常の個体が5メートル前後であることを加味して、異常とさえ言える巨大さである。

 その甲殻は熱砂を種火に灯して紅く、重厚にして鎧が如く。鎚状に進化した尾は自重によって垂れ下がり、引き摺られ、罪人の足を縛る鉄球を思わせる。

 彼の者が下すは、遥か自然を体現する必然。雄こそは熱砂に浮かぶ鉄城。超常にして頂上に座す砂原の王者、双角竜(ディアブロス)

 だとすればディアブロスの中でも殊更強大な個体である『灼角』は ―― 赤色の魔を帯びたその身体故に、魔王とでも呼ぶべきであろうか。

 

「それももう、どうでも良い事ですけれどね。呼び方がどうだろうと、言葉は通じないでしょうし……」

「―― フゥゥヴ」

 

 ノレッジが重弩を構えると、未だ30メートル程の距離を残した先。灼角の捻り曲がった三日月角に隠された口元から吐息が漏れた。吐き出された息はどういった原理によるものか、昂然と、黒色の気炎を纏っている。

 感じる激動の気に反してその挙動は穏やかであった。自然のモンスターは敵対する生物に対し、比して攻撃的な態度を取るものだが、この個体は違う。此方を値踏みされているのだというのが雰囲気で自ずと判る。

 視線に篭る呪によって脚を縛られたノレッジの前を、灼角は悠然と横切り、睥睨する。

 

(……やはりまずは人間らしく小賢しさ(・・・・)で勝負すべきなんでしょうね)

 

 虚勢などとうに棄てている。先は気を惹くために銃弾を撃ち込みはしたものの、今は戦うなどもっての(ほか)。ここでえノレッジが成すべきは、灼角の興味を絶えず引き受けながら撤退の時間を稼ぐ事である。

 興味は完全にノレッジが引き受けている。逃げれば確実に、別たれた調査隊ではなく此方を追って来る。危機感。第6感。セクメーア砂漠での狩猟において自身を何度も窮地から救った「感覚」に従い、ノレッジは王者の間合いからの逃走を企てる。

 目は離せない。ノレッジは眼球すら動かさず、視野と意識だけを広げて周囲を見回す。広々と開けた裂け目の迷路……北側の砂原に逃げ道はない。だが、前方。砂漠行路と反対にある南側ならば、所々に岩場が聳えている。岩場にさえ逃げ込めば灼角の体駆では入り込めない場所もあるに違いない。

 ―― あくまで「前へ」。あそこへ、駆け込むしか、生き残る術はない。

 今の自分は完全に狩られる側だ。弾丸は兎も角、手製の道具は先の双角竜で殆ど底をついている。脚だけが頼りだ。

 王への謁見の最中。目を逸らす動作だけでも相当の気力を必要とする。ましてや、逃げ出すには ―― 時間すら足りない。

 灼角が一歩を踏み出す。縫い付けられた様に固まっていたノレッジの指が、びくりと反応してしまっていた。

 悪手 ―― 既に遅い。

 

「っ、だああああーっ!!」

 

 少女は張り詰めた緊張の膜を、絶叫でもって突き破る。声にならない声を叫び、相手の足を止めねばという軽挙でもって、弾丸を撃ち放った。

 一歩。ばしばしと軽い音が灼角の外皮で弾ける。位置を変え後退しつつ、絶えず弾丸を見舞う。

 二歩。灼角が無造作に頭を振るう。折れず残った右角が地面を抉り、ノレッジの前方の地面が丸ごと捲り上った。

 

「く、ぐぅっ!?」

 

 宙に浮き上がったのは僅かな間。それだけでも、明らかな力の差が痛感出来た。

 ……それでも、叶わないのは、元からだ。肢体を突いて着地をするのと同時、巻き上げられた砂が降り注いではノレッジの視界を泥に染める。

 次撃。相手は此方に狙いをつけている ―― という信頼の元、今度は弩を抱えて全力で横へ飛ぶ。

 

「っ!」

 

 外れた。先ほどまで自分が立っていた場所が大きく抉れている。

 今しかない。灼角が角を振り挙げている隙に、ノレッジは20メートルほど離れた岩場の裂け目を目指して背走する。

 進める毎に重くなる脚。増して行く疲労感。果てしなく感じる岩場への距離。時折つんのめりながら、振り返らずに疾駆する。

 

「―― あッッ!!」

 

 何とか無事に走り切ったノレッジは灼角の気配を身体で探りながら、目前に迫った裂け目へと転がりながら飛び込んだ。

 岩場の影に隠れたのを感じ取り、砂に塗れた身体を素早く起こす。

 灼角の、追撃は。

 

「っは、っは……うはぁ。……何とか、命は、無事で……」

 

 少なくとも、生きている。自分は洞窟の中に逃げ込むことに成功し、灼角の威圧感は消えていないが、姿が見えてもいない。弩を抱いたまま、ノレッジは疲労困憊の様相で岩壁へともたれ掛かった。

 だが、自然の追撃が少女の休息を赦さない。

 

「っ!?」

「「ギァ、ギァ!」」

 

 獲物を待ち構えていた様に。上から飛び降りてきた走竜が、2頭。砂原に広く生息域を持つ、ゲネポスだ。

 ノレッジは途切れかけた緊張感を慌てて接ぎ直し、倒れ込んだ身体を素早く起こして感覚を延ばす。端……上……岩場。自分を囲む全方位から、「息の詰まる閉塞感」と「舐られる感覚」とを覚える。

 ここに到って、ノレッジはある事実へと勘付いた。

 

「―― 全方位から、視られてるって! ここ、もしかしなくてもゲネポスの巣っ!?」

 

 やられた、という思いが頭を占める。ノレッジはみすみす、ゲネポスの巣へと「追い込まれた」のだ。

 目前にはゲネポスが2頭。勿論それだけでなく、ここが巣であるとすれば、その頭であるドスゲネポスも岩場のどこかに潜んで居るに違いない。

 今のノレッジであれば、手持ちの狩猟用の銃弾を辛うじて残しているため、ゲネポスの群れの討伐そのものは可能であろう。だが砂原にぽつりと浮かんだ孤島の如きこの岩場では、食料の補充も道具の原料の採取も見込め無い。篭城は不可能だ。つまり何時かはこの岩場を出て行かなければならず ―― それは、ゲネポスと戦闘を繰り広げた後。ノレッジが弱った状態で、あの灼角と対峙する事を意味している。

 ……成る程。思えば先週、砂漠の第三管轄地へと向かう道中では妙に多くのアプケロスと行き違った。あれは逃げ出した、もしくは追い立てられたアプケロス達だったのだ。灼角は始めから、強者を求めて「場を整えていた」に違いない。

 けれど。だとすれば、この周辺にはノレッジが食料として仕留めるべきタンパク源も存在しない事になってしまう。

 次に、逃走だ。灼角は北側を位置取っているため、ノレッジは必然的に南側に逃げる事になるのだが、その先は辺境の中の辺境「デデ砂漠」が待っている。

 「デデ砂漠」は、こういった事態でもなければ進んで立ち入りたくはない場所だ。レクサーラとセクメーア砂漠とを繋ぐ直線路……と、デデ砂漠との間には、囲う様に山岳地帯が聳えている。そのため地続きや海路での到達が困難であった。またデデ砂漠は大陸の南側に大きく深く広がっているため、海路で到達したとしても管轄地までの移動距離が長く、その不便さが祟ってか今ではハンター達にすら殆ど利用されていない場所であると聞く。今回のノレッジの様にセクメーア砂漠から回り込むのであれば陸路による到達も可能ではあるが、多大なる援助が必要となるため現実的ではない。

 そして何より、距離や行路の他にも、デデ砂漠にはレクサーラを含めたドンドルマを主とするギルドからの援助が期待出来ない理由がある。デデ砂漠の管轄地の殆どは王都の勅の下 ―― ミナガルデギルド(・・・・・・・・)手中に有る(・・・・・)からだ。

 その様な場所へ単独で近付いて行くという。考えれば考えるほど拙い状況だった。灼角の巧妙な謀略に、どろりと寒い感嘆が沸いて出る。嬉しくも恐ろしい、奇妙な心持である。

 数時間も灼角の興味を惹き付け、クライフ達が脱出に成功した後に自分も逃げ切る事が叶うのであれば ―― しかしはたして、灼角がそれを許してくれるか否か。

 

「ギァァッ!」

「くぅっ……」

 

 攻め手は少女の思考を待ってはくれない様だ。迫り来るゲネポスの爪と牙をかわしながら、ノレッジは思考を続ける。

 自身の道は、ある程度までは見えた。他に抗う術が無い。ノレッジは南側へと降るしか、ないのだ。

 生き残る可能性は依然として低い。逃げ回るべき砂漠は灼角の庭。逃げ出したその先ですらノレッジは追い詰められるのだろう。想像に難くない。

 だが、無ではない。そこには確かな可能性が存在している。

 

「……腹を括りましょう、ノレッジ・フォール」

 

 唇を決意の形に結び、目を閉じ、深く息を吸い、溜める。

 ―― 何度も言おう。諦めるには、投げ出すには早過ぎだ。ここで動かなければ……足掻いて見せなければ、生きている意味が無い。

 想うが早いか(・・・・・・)。ノレッジは溜めた息を勢い良く吐き出すと、すぐさま腰から『ハンターナイフ』を引き抜く。弾丸は節約しておかねばならなかった。

 ノレッジに剣の心得は無い。ヒシュに振り方を教わった程度だ、が、振るうだけなら刃を額面通りに扱えない道理も無い。弩を持ちながら振るえるよう刃を短くしたそれを、目の前に居たゲネポスへ力任せに叩き付ける。

 

「せぁっ!」

「ギァ、ギァッ!?」

 

 突然の反撃に驚くゲネポスの頭を叩き、怯ませる。隙を縫って、2頭の間を走り抜ける。

 岩場の反対側 ―― 南側へと続く死地への入口を。自らが生き残る道を目指して、ノレッジは駆けた。

 同じく灼角によって獲物の出入りを制限されているゲネポス達にとって、逃げ込んできた少女は格好の食料であった。空腹を満たす限られた餌を逃すまいと、必死の形相をしたゲネポスらが左右の岩場から次々と沸いて出る。

 纏わりつく生の執念の中を振り切るべく。剣を振り回し、ノレッジは獣の咆哮をあげて突き進む。

 

「―― あ゛ああああああーっ!!」

 

 今はただ振り返らず。

 ひらすらに、南へ。

 

 

 

 

 

 たった一匹残った人間が裂け目へと飛び込んだその後方。

 北側を陣取った紅の角竜は未だ、少女と相対した場を一歩も動かずに居た。

 それはあくまで、想定外の闖入者。闘技場を荒らされた憂さ晴らし程度にしか考えておらず ―― が、予想を違い、大きな(つめ)を振るう人間は見事という他無い好敵手だった。あの相手の大剣(つめ)が、また防具(こうかく)の整備が成されていたとすれば。例え灼角とて一晩程度では御せない相手であったに違いない。

 だが見る限り、この場に残った彼の人間も自らの好敵手になりうる気配を秘めている。自分を目の前にして、残る2匹よりも明確な敵意を発する事が出来ていたからだ。乾いたこの心を埋めてくれるかという期待が出来る程度には。

 人間の姿が岩間に隠れるのは見届けた。あそこには小型の走竜達が潜んでいる。あの人間に先を見る力と知恵とがあるならば、いずれ岩場から出てくるだろう。そうでなければ、それまで。見込みの違い。自らが相手をするまでもなく、何れにせよ砂漠の贄となるだけだ。

 故に。出て来るならば、その時こそ喜びにうち震えよう。歓待しよう。競るべき相手の出現を、敬意を込めて迎えよう。

 

 数秒。

 砂地を行くその姿が、見えた。

 

 片角の魔王は一杯に空気を吸い込み、自らの狩の始まりを布告する。

 

「ルルゥ……。ヴ、ヴヴヴオ゛オオ゛オオ゛オーーッッ!!」

 

 重く伝播する咆哮に、大気が、大地が激震する。

 渇きの海を埋め尽くす砂粒が1つ残らず揺らめき、傅いた。

 





 読んでくださった貴方に、ネコ飯ど根性+火事場とかいう神掛かった組み合わせの幸運を。

 二万字超えとか、文量過多でしょう……とは思ったのですが、区切りがみつからなかったのでそのままにしてしまいました。読み辛さをば、申し訳なく。
 以下、それゆけ云々カンヌン。
 灼角について。
 普通に変換しても(もちろん)出ないので、「しゃくかく」から変換してます。間違い、ないですよね……この辺りは個人推敲の限界かと思われます。
 イメージ元……というか、これはハンター大全および2ndG辺りに準拠したお相手となります。赤くて強い片角のディアブロス。やはりというか何というか、ディアブロスさんはそのまま倒せてしまうと本題に近寄れませんでしたので、より一層の強敵のご登場です。
 地底湖について。
 さて、この辺りの成り立ち云々は近場で解説する予定となっています。詳しい解説にはならないかもしれませんが……。
 デデ砂漠について。
 所謂、「旧砂漠」がデデ砂漠にあたります。4Gをプレイなさった方からの「辺境辺境言ってる割に、管轄地してんじゃん」という突っ込みはご最も。ですが、4Gはハンター大全が出版された辺りからはかなり未来の時系列っぽいのですよね。主に村クエスト時の筆頭ガンナーが、オオナズチの光学迷彩を知っていたとかいう辺りをかんがみるに、ですけれど(ハンター大全では、未だ未知の技術としか表記されていませんでした)。ですので、その辺りは時間が経過した……という解釈をしてくださると嬉しいです。
 気炎と書いて「なにか」と呼んでいる何かについて。
 そうですね。これが書きたくて第一章をやっている様なものです。スキルと呼んでも良かったのですが、どうにもしっくりこなくて気炎とか書いております次第。説明できないので、オカルト扱いとなりました。これも、詳しくはその内に。

 長くなりましたので、今回のあとがきはこれにて。
 では、では。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。