モンスターハンター 閃耀の頂   作:生姜

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第十八話 少女と砂原〈下〉

 セクメーア砂漠の第一管轄地。

 炎天下の下、薄桃色の髪を揺らす少女が汗を拭う。その目の前にはつい先まで砂漠を泳ぎまわっていた魚竜種ガレオスの亡骸が横たわっていた。

 

「よっと……ふぅ。肝臓は、無事ですね」

 

 少女 ―― ノレッジは淀みない動作で腹の中からナイフと臓物を握った腕とを引き抜くと、氷結晶と共に皮袋の内へと仕舞い込んで口を結わえた。

 中に入れたのは瑞々しい赤色をしたガレオスの肝臓である。通称「魚竜のキモ」と呼ばれるこれは、巷において高い薬効があるとされている品だ。同時に、ノレッジの受諾した依頼における納品目標でもあった。

 

「さぁて、肝の数は揃いましたね。早速拠点に戻って塩漬けに……」

「待つニャ、ノレッジ」

 

 少女が言葉を紡ぐと、その足元で鱗を剥いでいた生物が割り込んだ。獣人、メラルーだ。二足で立ち上がったメラルーが二匹、口元の三角巾をずらして口を開く。

 

「塩漬けでも良いけど……おれ達としてはマカ麹の薄漬けをオススメしますニャア」

「薄マカ漬けで保存した肝は塩漬けよりも日持ちするし、薬効が段違い(ダンチ)ニャ。まぁ、摘まみとして食べるなら塩漬の方が美味いけどニャ~」

「……そういえば、ヒシュさんもマカ壷を腰に下げてましたねー。私もこの機会にマカ漬けを始めてみましょうか……漬物を始めるような、主婦って年ではないんですけれども」

「マカ漬けするなら是非とも村に寄って下さいニャ。マカ麹と壷をお裾分けするニャ」

「わっかりましたぁ、今から向かいましょう!」

 

 やり取りをしながら、ノレッジはアイルーとメラルーの村がある第十区画へと脚を向ける。

 砂漠を駆け回ること二日。少女は滞在期限の限界を明日に控え、納品の為の物品を吟味している最中であった。ノレッジの持つ人柄もあってか、この二日の間行動を共にした「砂漠の村」のメラルーやアイルーとはすっかり馴染みの間柄となっている。

 村へと向かう途中、セクメーア砂漠の管轄地の第十区画を横切る。すると。

 

「あっ……っ、」

「? どうしましたニャ、ノレッジ」

「あれです、あれ。ゲネポスです」

 

 村へと続く細穴の隅に、二匹のゲネポスが居るのを目に留めた。その一方は地に伏せており、もう一方は伏せた一匹を覗き込んでいる。

 覗きこんでいたゲネポスが接近するノレッジらに気付き、素早く振り向くと、喉を鳴らす。

 

「ギュアッ、ギュアッ!!」

「「ニャニャッ!?」」

 

 警戒を顕にしたゲネポスの叫び。メラルー達はびくりと飛び上がり、ノレッジの後ろへと身を隠す。

 

「……でも。それにしては、近付いてこないですねー」

 

 しかし楯にされたノレッジだけは自らの愛銃すら構えず腰に手を当て、ゲネポスの視線を受け止めた。毅然とした……余裕さえ感じさせる態度のノレッジに、怯えた様子のメラルー達が尋ねる。

 

「な、何故かこっちには来ませんニャ」

「ニャア。ノレッジ、どうしてだか判るニャア?」

「はい。その種は、伏せているゲネポスのお腹の下にあります。……見てください、卵ですよ」

 

 言われて指差す先を凝視すると、伏せるゲネポスの腹の下に僅かに白い物体が見て取れた。どうやらこの二匹は卵を抱える雌とそれを守る雄の(つがい)であるらしい。

 

「チャンスですニャ。今なら苦もなく狩れますニャ、ノレッジ」

「バシッとやっちゃうニャア」

 

 変わり身の早いメラルー二匹は、ノレッジの後ろに隠れたままで囃し立てる。

 しかし、こうにも狩猟を急かすのには理由がある。実際の所、あれからノレッジの受諾した依頼……その基幹に据えられたゲネポスの討伐依頼が難航していたのである。

 ドスゲネポスが亡き者となった今、あの群れは別のゲネポスが指揮を採っているのかそれとも散り散りになったのかは定かではない。しかし何れにせよ砂漠に残ったゲネポスは見る間にその数を減らし、ノレッジは未だ20頭という討伐数を達成できずに居た。

 ただし、目の前に居るゲネポス2頭を討伐しても未だ依頼の数には届かない。とはいえここで討伐しなければ、ただでさえ低くなっている依頼達成の可能性がさらに低くなるというのもまた事実。

 

「―― いいえ。ノーです」

 

 だがノレッジは考える間も迷いも無く首を横に振った。メラルー達が思わず詰め寄る。

 

「ノレッジ、どうしてですニャ!?」

「別にわたしはゲネポスを狩りたいんじゃあありません。ゲネポスの数は減りましたし群れも解散。これでこの管轄地もフリーの状態として白紙に戻す事ができましたでしょう。ですから、このコ達は放っておきます」

「……それで良いのですかニャ? だってノレッジ、結局ゲネポスを殆ど狩れていないって言ってましたニャ」

「ノルマを達成してないと、依頼失敗扱いになるニャア。しかもそれだけじゃなく、ギルドからの信頼も落ちるニャア。それで良いのかニャア?」

 

 ノレッジは一瞬きょとんとしたが、それもすぐ苦笑に変わる。

 

「んー……あはは。わたしは見ての通りの学者肌でして、ギルドでの名声とかには興味がないもので。それに今のわたしにはゲネポスの素材は必要ないですからね。むしろ余っています。……新たな命が紡がれる前にその可能性すら摘み取るというのでは、密猟者となんら変わりありません。ゲネポスを根絶やしにすると、人間にとっても自然にとっても利がありませんよ」

 

 依頼よりも優先すべき ―― 自然との調和を図る事。

 これは、ヒシュから教わった様々の事柄の中でも、最も繰り返された教示であった。狩り過ぎてはならず、しかし狩らなければ人間の生活は成り立たない。「適量」を守り自然との均衡を保つ事もハンターとしての重要事なのだと、あの仮面の狩人は言葉少なながらに語っていたのだ。

 ノレッジ自身も自然との均衡……調和は守るべきものであると学び、感じている。ヒシュが直接的な狩人修行と平行して行った「ハンター」としての教えの中には、モンスター素材の取引や活用法に関する項目が存在する。狩った時点で終わりではなく、自身が狩った獲物の素材がどの様にして流通し、活用され、加工され、人の生活と絡むのか。その「先」までを、ノレッジは知った。座学だけではなく市場にも出かけるなどして行われたこの学習には、ライトスらも快く協力をしてくれていた。

 「狩人」ではなく「ハンター」の本分ともいえる自然との調和。それをこうもすんなりと受け入れる事が出来たのは、それら経験によって人と自然の関係を再認識出来たこと。その他、ノレッジがハンターだけではなく王立古生物書士隊にも属しているという点が大きいに違いない。

 

「そも。あたしは書士隊の一員で、ハンターですから!」

 

 ノレッジが大きく胸を反らす。ランポス素材と鉱石とを繋ぎ合わせた胸当てが砂にくすんで日光を返し、

 

「―― その言葉。本当か?」

「うおわっ!?」

 

 突如、意気込むノレッジの上からしわがれた声が響いた。思わず背筋を伸ばし振り向くと、ネコの国へと向かう通路の脇。崖上に小さな老人が座り、此方を見下ろしていた。

 

「……大分、吃驚しました。あのぅ、あなたは?」

「フン。只の山菜採りの爺じゃよ」

 

 崖の上に腰掛ける老人は山菜取りとしては兎も角、「只の」と言うには奇異な格好をしていた。身体より大きな籠を難なく背負い、耳が尖り、口には咥え煙草。これら特徴からして、この老翁は竜人族であるらしい。

 

(……? このお爺さん、どこかヒシュさんに似ている様な……?)

 

 腰には光虫の虫籠。背の鞄からは、溢れた山菜が顔を覗かせている。手当たり次第の荷物を持っているという辺り、確かに狩場に臨む際のヒシュに似ていると言えなくは無い。

 顔や背丈は全く違うが、様相に自らの師匠の面影を重ね、ノレッジは恐る恐るといった表情で見上げ……尋ねる。

 

「そ、それでー……このコ達に? それとも、わたしに御用件で?」

「あんたにじゃよ。……普段はハンターさんに用事なんてないんじゃがのう」

 

 咥えた煙管を蒸かすと、その筒口から黒色の煙が噴き出した。ぷかりと砂漠の空気に溶けた所で、再び手に持ち換える。円らな、しかし深みのある眼がノレッジ・フォールを捉えた。

 

「おぬしはあの魚竜に挑むと言っとったじゃろ? その無謀に、ワシもひとつ協力してやろうと思うたのじゃ。あの魚竜が居ついておるせいで、最近この辺りのモンスターは気がたっておるんじゃ。おかげでワシも山菜を採るんに一苦労なんでな」

「……はぁ、そうなのですか」

「ほいっと、――」

「うわっ」

 

 老人が崖から飛び降りる。地面に肢体を着き器用に衝撃を殺し、何事もなかったかのように立ち上がる。立ち上がったその身体は、ハンター内では小柄であるノレッジと比べて尚小さい。竜人族は人と比べて長命な種である。年を取った竜人族は背丈などは人間の老人に近似するものの、その長命故の知識によって政の中心などに据えられる事が多い。竜人族元来の合理的な考え方もあり、頭脳労働で力を発揮するのだ。

 ……しかしながらこの老翁は、どうにも合理的な竜人族らしく(・・・)ない。今現在の行動からして、狩場の真っ只中で山菜を取るという暴挙なのである。

 

「ジャンボ村の村長といい、最近の竜人族の方々はアウトローが流行っているのですかね」

「いやいや、この『山菜爺さん』が特別なだけですニャ」

「……そ、それよりだニャア」

 

 考えをそのまま口に出したノレッジと突っ込みを入れるメラルーの横から、他方のメラルーが恐る恐る声をあげる。

 恐れの向かう、その先に。

 

「―― ギャアッ、ギャアッ!!」

 

 番の番人を担うゲネポスが、今にも襲い掛かろうかと鳴き声をあげていた。

 ノレッジは鳴き声を聞くや否や、素早く後退。ノレッジより素早くメラルーが、メラルーより素早く山菜爺さんが後退する。

 全員が一斉に、素早く背を向けて。

 

「……いやとりあえず退散しましょうお話はネコの国に着いてからに」

「そうじゃのぉっと」

「あっコラ、爺さん早いニャッ!」

「おれ達もさっさと逃げるニャア!」

 

 

 

 

 世界各地に点在するアイルーとメラルーが暮らす村……通称「ネコの国」。一行はその中でもセクメーア砂漠の管轄地に存在するネコの国、「橙の村」と呼ばれる縦穴の中へと退散した。

 中央にある岩場に、装備品を外してややリラックスした体のノレッジが腰掛ける。

 

「ノレッジさん、お茶をどうぞニャ」

「どうもですー。ハイこれ、本日のお魚です」

「毎度どうもだニャ、ノレッジさん。ウチのヨメも大喜びだニャ」

 

 ノレッジは小さな穴から現れた顔馴染みのアイルーからお茶を受け取り、その代わりにとサシミウオを手渡す。2日前に食糧確保の手伝いをしてから、ノレッジは村では賓客としてもてなされていた。どうにも落ち着かないが、「ネコの国」は総じて安全地帯に在る。狩りの中途に立ち寄る事も可能である為、素直にもてなされておく事にしていた。

 辺りを見回せば、縦穴の中はそこかしこがいつもの通りガラクタの山や松明に飾られている。その数が増えているのか減っているのか、はたまた総量が均一に保たれているのかは定かではないが……何れにせよ人の村ではこうも雑多な景色は好まれはしないだろう、とノレッジは思う。しかし同時に、この落ち着かない雰囲気が不思議と嫌いではなかった。むしろ緊張が解れる程度には馴染んですらいる。

 

(……とは言っても、砂漠入りしてからの期間はお世話になりましたからね。その影響が大きいのでしょう)

 

 下手なキャンプで1人寝泊りをするよりは、橙の村に居た方が安全なのは確かである。その様な考えから、管轄地に入ってからのノレッジはネコの国で寝泊りをしていた。有り難い事にアイルーメラルー達も歓迎ムードで迎えてくれていたため、寝食を共にすれば、緊張も解れようというもの。

 すると、思い出したことが1つ。

 

「……そう言えば思い出しました。おじいさんは、この間もネコの国に居ましたね」

「というかこの爺さん、大陸中の狩場を回っているらしいからニャ」

「ハンターさんと違って勝手に出入りしてくるんですよニャア……。珍しいものをくれるから見逃してはいますけどニャア」

 

 メラルー二匹の物言いに、黒煙草(と、言うらしい)の葉を煙管に詰めながら、山菜爺さんは顔をしかめた。足を組み尊大な口調で物を言うこの老翁は、好々爺とは言い難い。何が、なのかは知れないが不満気な態度で鼻を鳴らす。

 

「フン。狩場は人が踏み入らん代わりに土が肥えておるからの。山菜も多いんじゃ」

「……ええと。というか、砂漠で山菜って……」

「採れると言ったら採れるんじゃ、うるさいのう。……こんなネコの国なんかに居つくような奴は確かに、珍しいが。そういう意味ではお前さんのが珍しいじゃろうに」

「うーん、それもそうなんですけれどね」

 

 ネコの国に居つく人間などまず居ない。それは事実である。だがそれを、竜人族らしからぬ竜人族に指摘される事になろうとは思ってもいなかった。

 

「……まぁ、それはそれ。雑多なお話はこの辺にしておきまして」

 

 ノレッジは手に持った陶器から冷水の煎茶を飲み干し、手近な台に置くと、老翁の背を指差しながら口を開く。話題を戻さなければならなかった。

 

「それで。ガノトトス退治に協力してくれるとの事でしたが……お爺さんはハンターじゃあありませんよね?」

「そらそうじゃ。この銃はお守りみたいなもんじゃからの。整備はしとるが、撃つ弾すらないわい」

「ですよねー。竜人のハンターも居ない訳じゃあありませんが、お爺さんは根本的に違う感じがしますから」

 

 腰に差した飾り紐付きの弩を引きながら、老翁は適当な相槌をうつ。

 身なり、籠、黒煙草、翁の年齢等々。老翁にノレッジが質問をするというやり取りを、幾度か繰り返えしていると。

 

「―― フン、やはり眼は持っておる。ほれ、これが協力じゃ。ハンターさんにこれをやろう」

「……? なんですか、これ」

 

 背負った籠から、一冊の本を取り出した。その表装は皮によるものだが、既に元の生物が判別できない程に劣化していた。ぱらぱらと捲って見れば、綴じられた中身……インクによる文字の羅列は意外にも綺麗なままで保たれている。滲みも無く、紙の端はやや擦り切れてはいるものの、これならば内容は判別できるに違いない。

 ―― ただしそれは、描かれている文字が読めれば、の話ではあるが。

 

「あのう……これ、文字ですよね? わたしじゃあ読めないですけど……」

「なんじゃ読めんのか? だらしないのぉ。……仕方無い、これはオマケじゃ。これ以上は期待せんでおくように」

 

 山菜爺さんは座っていた岩を飛び降りるとノレッジの横まで移動し、最初の頁を開いた。

 

「―― 初項、滅す龍の弾。第二項は竜を撃つ弾。第三項は……爆ぜ撃つ弾についてじゃの。まぁ、そんな事が書かれておる」

「滅す……龍……んん? それって、もしかして」

 

 ノレッジは腰の鞄からメモ帳を取り出し、広げた一頁を示し、頬を紅潮させて口を動かす。

 

「めめめっ、滅龍弾のことですかっっ!?」

「お前ら人間の使う呼び名までは知らんのう」

 

 対照的な老翁は元の位置に戻ると、アイルーからお茶を奪っては口に運ぶ。ノレッジは食い入るように書物を捲り、恍惚とした吐息を漏らした。

 

「ふおお~。ライトスさん達に聞いても名前しか判らなかった幻にして伝説の弾丸の調合を、まさかこんな形で知ることになりますとは……。この本なら、字は読めなくても幾つかの項目に絵柄が付いていますから、解読のし様がありますしっ!」

「フン。それは、ただの調合書じゃ。そうじゃの?」

「ええっと……そういう事にしておいた方が良いんですね。判りました。ですが、山菜お爺さん。貴方はこれを何処で……?」

「あ~~ん? 最近耳が遠くてのぉ。良く聞こえんわい」

 

 どうやら話す気はないらしい。悟ったノレッジも、これ以上の追求を諦める。その代りに、好奇心は手に持った書物へと向かう。

 山菜爺さんの目前に胡坐をかいて頁を捲る。文字は読めないため絵柄のある頁の幾つかへ付箋を挟み、唸る。

 

「……この植物……どこかで見た様な気もするのですが。どこでしたっけ?」

「それはきっと赤菱の実だニャア。火山地帯が原産だから、この辺にはまず生えて無いニャア」

「赤菱? 赤菱、赤菱……調べてみないと判りそうにないですねえ」

「それよりこっちの弾丸ですニャ。ここ、ここ。これはきっと爆裂アロワナだニャ。でも、弾丸なのに素材が3つとは……ムムム。これは何の植物でしょうかニャ?」

 

 二匹のメラルーに囲まれながら、ノレッジは興味のままに視線を巡らす。興味が優先している間

 すると。

 

「―― それよりハンターさん。これは只の興味じゃがの。お前の首に掛けたそれを、ワシに見せてはくれんか」

 

 暫くは騒がしいその光景を眺めていた老翁が、書物から視線を外さない少女へと尋ねる。ノレッジは相変わらず眼を落としたままで一瞬きょとんと言葉の意味を考えたが、お守りの事だと判ると首元のそれを外して掲げる。

 

「ハイ……これですか? これはお師匠から頂いたお守りです。どこか名の在る樹から作られたお守りらしいんですが……」

「ふむ。……若造が持つには過ぎたものじゃの。霊樹から作られたお守りじゃよ、これは」

「それ、お師匠も言っていましたね。……霊樹、って何なのです?」

 

 ここで興味が移り、少女は面を上げる。見つめられた老翁は小柄な体駆を更に小さく竦めて黒煙草を蒸かし、僅かに瞼を開く。深く刻まれた皺の表に感慨深い、あるいは懐かしむ様な表情を作ると。

 

「―― 霊樹はの、墓なんじゃよ。古の龍たちの、な」

「お墓? あのう、いったいそれは……」

「やめやめ、話はここまでじゃ。ハンターさん、大事にすると良い。この上ないお守りだからの。―― それでは、アイルー達も。邪魔したのぉ」

 

 それだけを告げると再び籠を背負い、老翁はネコの国を軽快な足取りで去って行った。その背が消えた出口を、ノレッジはぼうっと見つめる。

 

「ノレッジ、この弾ニャらあの魚を……ノレッジ?」

「え、あっ、はい。……山菜お爺さんが行ってしまいましたが」

 

 メラルーに話しかけられ、ノレッジは意識を戻す。あの爺は山菜の為だと言っていたが ――

 しかし思考は、メラルーの声によって遮られる。

 

「あの爺さんなら、どうせまた来るに決まってるニャア。それより目の前の魚竜を何とかしなくちゃ、おれらはノレッジが居なくなった後おまんまも満足に食えないニャア。橙の村の存続はノレッジに掛かっているといっても過言じゃあないのニャア」

「だからおれ達、全力で支援しますニャ。今はこの弾丸の製作に賭けてみましょうニャ」

「……そう、ですね。はい!」

 

 自らに言い聞かせるように呟くと、ノレッジは再び書を読み解く事に専念し始めた。

 

 メラルー達の言は尤も。

 

 魚竜・ガノトトスとの決戦は、いよいよ今晩に控えているのである。

 

 

□■□■□■□

 

 

 メラルー達と過ごした後も準備を行ったノレッジは、ゲネポスの討伐以外の全ての依頼を終えた。採取物をキャンプに揃えると、その足で再び決戦の地 ―― 第七区画へと赴いた。

 太陽は、とうに砂原の端へと沈んでいる。冷たくなり始めた砂漠の夜。その中で身を地面に這わせ、夜の闇に紛れ込ませ。ノレッジは砂埃に塗れた外套の内で気配を殺し、ひたすらに機を窺っていた。

 

(結局、目的と手段が逆転してしまいましたね。でも、まぁ、良いんです。あの魚竜を知りたいと思ったのはわたしなのですから。……可能な限りの準備は済ませました。あとはわたしに、先見の明があるかどうか ――)

 

 視線の先にあるのは水面。水面に沈むのは糸と針。針を潜ませたのは、かの好物。

 大陸全土の英知が集まる学術院。その学術院と結びつきが強くモンスターの生態を調べる書士隊だとて、水中で殆どを過ごすガノトトスの生態については調査が進んでいない。狩人達の僅かな証言でしか、その生態は確認出来ていなかったのである。この点については、ハンターと書士隊を兼任する人材が不足している事を嘆くばかりだ。

 そんな具合だからこそ。ノレッジはガノトトスの生態を探るべく、砂漠で過ごす時間の半分以上を生態観察に費やした。足繁くメラルー達の村を訪れては情報収集も行った。だが、その分。時間をかけただけの成果は得られたという実感がある。最たるものは洞窟と第七区画を移動する行動パターン、そして好物の存在であろう。

 

(どうやらこの(・・)ガノトトスは、日射を好んでいないみたいです)

 

 少なくともこの個体に関しては、日に照らされて鱗や身体から水分が失われるのを嫌っている。夜は七区画に出て獲物を探し、昼間は地底湖で水棲生物を餌とするというのが、ここ数日の魚竜のパターンだ。

 以前書士隊が実施した解体調査の資料によって、ガノトトスは肺呼吸である事が判明している。観察を行っていたノレッジも一定時間毎に水面付近を回遊する姿や、水からあがって餌を探す光景を目撃している。これらは肺呼吸でなければ在り得ない行動だ。

 だからこそ、水から上がるのだが……ノレッジが注目したのはその内。「嫌う」のに「水からは上がる」という部分にこそ存在する。

 結論から言えば。ガノトトスが水分の喪失を嫌う、それ以上の「好物」が、その巨体を水から出さなくてはならない水辺付近に住んでいたのである。

 そう。釣り針が刺さっているのは件の「好物」―― カエル。

 

(……来た)

 

 ピクリと針が動く。何者かが水面へと上がってくる気配と威圧感が辺りに満ちてゆく。潜んでいた草食生物達がその様子を敏感に察知し、逃げる足音が僅かに耳に届いた。

 ノレッジは水面から意識を外し、気配を殺す。視線だけはそのまま、糸の行く末を見守って。

 

 ―― 沈んだ。

 

「きましたっ!!」

 

 ノレッジは腰を上げ、重弩を構える。鋼糸が括られた背後の岩がみしみしと音をたてながら水中の生物と引き合い、10数えるかどうか。水面の一部が盛り上がり、

 

「―― キュアアアアアッ!!」

 

 耐え切れないと言わんばかりの叫びをあげ、魚竜 ―― ガノトトスが水中から飛び出した。

 弩を構えたノレッジは月光の下、その体駆を改めて観察する。この個体について、特筆すべきはやはりその大きさである。

 

「目測。あの岩の大きさを基準としても……ええぇ。やっぱりこれ、大物(キングサイズ)じゃあないですか!」

 

 言いながらも、隙は逃さず。ノレッジはのた打ち回る魚竜へ向けて、貫通弾を撃ち放つ、が。

 

「弾は……くっ、駄目ですねっ」

 

 背面からの射撃は鱗に阻まれてしまい、全く持って手応えが無い。判断をしたノレッジが狙いを変える為腹側へ回ろうとするも、その頃にはガノトトスも体勢を整えていた。

 両の脚で立ち上がる。身は大きく、鱗が月光を反射しては神々しいまでの煌きを纏う。これは、人が立ち向かうべき生き物ではない。そう思わせる悠然さと荘厳さ、自然そのものに勝るとも劣らない ―― 脅威とでもいうべき何かが、ガノトトスの全身から発せられていた。

 ノレッジは、言い聞かせる。

 

「いいえ……違います。それは、わたしが(・・・・)感じているだけ(・・・・・・・)。自然は何時だって、等しく万理を通すべく働きますの、で、っとお!」

「シャギャァァ ―― 」

 

 寄ってくるノレッジを潰そうと、ガノトトスは角度をつけて尾を振り回した。しかし、動作自体は見慣れている。距離をとるべく、ノレッジは半身のまま横飛びに砂上を転がる。

 

「……まだまだっ」

 

 空を掻き分ける音が2度響いた所で、抱きかかえていた『ボーンシューター』を腰につけたまま振り回す。銃身を腰で静止させると、再度魚竜へと牽制の弾を撃ちながら接近する。尾を振る魚竜は、横腹を晒している。込められた通常弾でもって、鱗のない部分を縫う様に狙いをつけて。

 放つ。今度は弾かれず、魚竜の肌へと弾丸が食い込んだ。血は流れず、外皮を貫いた様子も無い。だが。

 

「よしっ。ならばやはり、避けるべきは鱗のある部分ですっ!」

 

 ノレッジは喜色を満面に浮かべて拳を握る。魚竜に弾丸が通ったという事実は、正しくノレッジにとっての光明であった。不定形の成し様がない闇ではなく。例えそれが手に負えぬ怪物であったとしても。

 目前に牙を剥くガノトトスは人が触れる事すら叶わないものでは、ない。

 

「届く。届かせて ―― みせるっ」

「シャギャアアッ!」

 

 幾度も繰り返される攻防の中。僅かに残る「道」を少女は綱渡りの如く探り、近付く。

 魚竜の巨体を生かした突進。ノレッジは全力で魚竜の足元へと転がり、巨大な脚に蹴飛ばされながらも直撃を避けた。

 魚竜が地に伏せ、巨体を活かして這いずり回る。ノレッジは岩場の影へと飛び込む事で事なきを得、すぐさま顔を出しては頭を狙った射撃による挑発を試みる。

 魚竜は再び尾を振り回す。巨大な壁が降りかかる様な一撃を、ノレッジはすんでの所で止まってかわす。今度は攻撃を加える隙は無い。間を利用し、走りながら弾を装填する。

 魚竜が口から、水流を放つ。初撃を縦に、次撃を横に薙ぎ払う。ノレッジは横、前の順に転がって水流をやり過ごす。接近した事を利用し、込めてあった弾丸全てを叩き込んでから離脱する。

 魚竜がいきなり、ノレッジの居る方向へと走り出す。突然の動作に回避が間に合わない。踏み出した右脚がノレッジを蹴飛ばした。咄嗟に構えた左腕に、凄まじい衝撃。遅れて、実の詰まった丸太に突き飛ばされた様な鈍痛が左腕から肩、肩から全身を襲う。鉄鉱石とランポスの鱗から作られた腕甲が大きく窪む。宙を舞った後、地面が近付いたのを悟ると、ノレッジは受身を取る。暫くを転がり……腕は動く。幸い、骨や関節の異常はないようだ。慌てて魚竜の方を見れば、走った先から此方へと方向転換している最中であった。

 魚竜は離れた位置から、水流を放つ。今度は初撃から横に薙ぐ動作 ―― まずい。ノレッジは転がったままの体勢から動く手足全てを使い、獣の様に岩場の影へと跳んだ。ガリガリと岩盤が抉られる音が響いている間に袈裟懸けに帯を巻いて、重弩を吊る。ガノトトスの蹴りを受けた左腕は、未だ精緻には動いてくれない。固定だけでもないよりは良い筈だ。そう考え、再び脚を動かして岩場を出た。

 魚竜が此方を視認する前。魚竜の頭上に煌く鱗、その右下に僅か覗く腹へと向けて火炎弾を転がり撃ちながら、足元より5メートル程の中距離を保持。水流の扇射の範囲の、僅かに内側。尾を振り回しても、届くか届かないか。位置取りを固めたノレッジは、ガノトトスの攻撃を巧みに避けながら攻撃を加えてゆく。

 

 無限にも届く狩猟の闘争。

 少女にとって時間の感覚などとうに無く、それは魚竜にとっても同様であった。

 

 何度目だろうか。砂漠を照らす蒼月が岩山に隠れかけた頃、魚竜はその行動を変えた。魚竜の中でも随一……ハンターズギルドに報告された中でも特に大きな身体であろうこの個体は、全身を使い、ノレッジを押し潰すべく遮二無二の突進を繰り出す。

 一呼吸もしない間に、回避不可能の壁が出来上がる。咄嗟に銃身を抱きしめ、少女は左……ガノトトスの尾の側へと跳んだ。しかし回避距離が足りない。しなる尾が突き出された背から数瞬置いて、ノレッジを激しく叩いた。

 

「―― ぐ、うっ!?」

 

 咄嗟に弩を抱きかかえ、身を竦める。次の瞬間尾に弾かれ、小柄なノレッジは水平に近い角度で飛ばされた。意識が空白に塗りつぶされ、砂地に二度跳ねた後でようやく勢いが弱まり、転がった先で岩盤に叩き付けられ。……それでも素早く、無意識の内に身体が起きる。転がっていては的でしかない。修行によって刷り込まれた反応で、腕は腰の鞄へと伸びている。

 

「はっ、はっ……が、はぁっ、んんっ……ぷはっ、げほっ、げほっ。……まだ……届かない。 ―― でもでも!」

 

 呼吸を整え、気付けの回復薬を一気に煽り、むせ込みながらも少女は立ち上がる。目の前に悠然と立ちはだかる、未だ底を知らぬ生物に向かって手を伸ばす。

 左の腕甲は抉られ鎧の節は歪んだまま。編んだ髪の房は解け、汗で額に張り付いていた。関係ない。足も手も動く。意志はまだ、ここに確かに。

 ノレッジは立ち上がった魚竜の振り回した尻尾を掻い潜り、届く範囲から逃れると、崩れた体勢のまま『ボーンシューター』を構えて貫通弾を撃つ。魚竜の鱗を避けて撃った弾丸は何度も狙われた腹や大腿の一点へと突き刺さり、裂けた皮膚から垂れた微量の血液が白肌の台紙に筋を描く。

 

「! キュエエエッ、」

「憤怒……来ますっ!」

 

 何時からか。ガノトトスの憤怒が手に取るように判る。自らの師匠の言葉を借りるなら、ここが攻勢の機。

 脚に出来た些細な傷など歯牙にもかけず、魚竜は目前に立つハンターへ向けて口を開いた。喉奥で圧縮された水流が鋭い槍を成し、まずは魚竜の足元に放たれ、徐々に首が持ち上がり ―― 少女は、牙を剥くべく眼を見開いた。

 

「―― ゃあああーっ!」

 

 放たれる……魚竜の気前を見切って、ノレッジは素早く身を翻す。

 ここまで外殻を撃っていたのは、あくまでついで(・・・)に過ぎない。口内から水の弾丸を撃つ、この瞬間をこそ。

 翻した身が、半周。回した身体その頬に僅かな熱が奔る。水流一閃、少女の頬を僅か掠め、地平線へと消える。

 視界に再び魚竜が映る。ノレッジの反撃。弾丸の1つは、水の弾丸を躱す前に銃口を飛び出している ―― 魚竜の口へと。

 

(まだ足りない、装填ッ)

 

 視線は魚竜を捉えたまま、手元は見ずに。

 腕を弾薬鞄から引き抜き、重弩の先へと取り付け、回旋した身体を止める。ずしりと重い銃身を正面やや手前で引いて、慣性はそのまま体勢作りに利用する。王都の銃騎士顔負けの早業。照準を絞る間が惜しい。感覚に任せ、最後に膝を突いて土台を固めると、ノレッジは再び引き金を引いた。狙いは、

 

(初撃は縦。次は、わたしを蹴散らすべく……横薙ぎっ!!)

 

 水流の射出とほぼ同時 ―― ()つ。

 

「ああああっーっ!!」

 

 砂風に吹かれ茶けた岩肌に、咆哮と銃声とが轟いた。

 数瞬遅れて軌道は交差し、水流を放つべく横を向いて開いたガノトトスの口内へと、弾丸は続けざまに(・・・・・)飛び込む。

 円筒よりやや大きいか。弾二つが、魚竜の口の中で立て続けに爆ぜる。

 

 ―― ボ、ボ、ボフンッ!

 

 爆発によってかち上げられ、水流が上方へと軌道を変える。ノレッジには過ぎ去った水の飛沫だけが、ひんやりと降り注いだ。

 音から数秒遅れて、魚竜の口に並ぶ鋸歯の間から黒色の煙があがる。が。

 

「るる ―― キュ、キュエエッ!!」

 

 だが悶えたのも僅かな間。ガノトトスは口の開閉を数回繰り返すと、湖のある南側を向いた。ノレッジには眼もくれず、頭を上げ翼を広げて走り出す。

 ノレッジはしかし、それを追う様な事はせず。

 

「……っ、ぷはあ」

 

 魚竜が湖の中を遠ざかって行く姿を見届け、大きく息を吐き出した。水流によって引かれた線の脇に、少女は力なく座り込む。その顔は実力を使い果たした、晴れ晴れとしたものであった。

 

「あの弾丸で倒せなければ、現状わたしでは力不足ですね。……それではゆっくりと、事の顛末を確認しに行きましょう」

 

 ノレッジは一度キャンプへ戻り、ベッドに肢体を投げ出す。再び動き出したのは短針が位置を変えてからであった。

 キャンプの横に据え付けられた枯れ井戸の中へと縄伝いに降ると、その先に件の地底湖がある。ガノトトスが根城としている場所だ。着地した場所は、湖面よりも一段高くなっている。地面に着地して辺りに耳を澄ますも、聞こえるのは水の音だけ。

 成否を問う瞬間だ。意を決して、ノレッジは腹ばいに湖を覗き込んだ。

 かつての目的であったゲネポスは、いない。群れの壊滅から既に二日以上が経過している。これは予想できた結果だ。それよりもと、ノレッジは暗闇の奥へと視線を進める。

 月光を反射して青く光る湖面。その中に一際ずんぐりと、黒い何かが盛り上がっている。

 

 ―― 地底湖の水面に、ガノトトスの死体が浮かんでいた。

 

 少女は無言のまま様子を窺い、湖面近くまで足を伸ばす。通常弾を頭に撃ち込んだり、目前に好物の釣りカエルをぶら下げてみたりと一通りの確認をしてから、拳を握って弩を掲げた。

 

「よっし! 討伐完了っ、ですねえ!」

 

 予想していた中でも最高の出来に、ノレッジは飛び跳ねて喜びを表した。

 ノレッジの放った弾丸は ―― 古き調合書の言語を訳して ―― 「爆撃弾」。着弾した位置で何度も爆発を繰り返す様からそう呼ばれていたらしい。

 地上水中問わず肺呼吸である、ガノトトス。その口内に、爆撃弾が二つ。

 爆撃弾から発せられた爆炎が口内から魚竜の『肺を焼いた』のである。

 例え肺呼吸だとは言え、相手がかの火竜であればこの作戦は意味を成さなかったであろう。火炎袋を器官として持つ怪鳥ですら怪しいものだ。だが水竜は乾燥を嫌う故……水中での活動を主とする故。肺表面も十分な水分が必要なのであろうとの予測が出来たのである。同時に、高温に対する対性は低いのであろうとも。

 口内から勢い良く爆ぜた熱風によって肺胞が焼かれ、ガス交換は制限される。水に潜ったガノトトスは、肺呼吸所以の低酸素脳症で息絶えたのだ。

 

「これも、メラルーさん達の協力のおかげですが。……さて」

 

 腰を上げる。ノレッジ自信の滞在期限も、明朝に迫っているのだ。キャンプに戻って、伝書鳥に納品の完了とガノトトスの狩猟完了を伝えなければならない。疲労困憊のままセクメーア砂漠の行路を戻るという荒行も、未だ壁として立ち塞がっている。

 

「……に、しても。今回はお師匠に死ぬほど走らされたのがばっちり活きてました」

 

 何事も体力から、と精根尽きるまで走らされた記憶は未だ新しい。その甲斐もあってかノレッジ自身、今では密林の管轄地を十周しようが照準だけは鈍らせない自信がある。

 勿論実践と練習とは違い、実質的にはガノトトスの狩猟だけで体力も気力も襤褸きれの如く磨り減っている。が、体力を「つけさせられた」事それ自体は間違っていなかった。何度でも起き上がれたことが、強大な魚竜からノレッジの命を守ったのだから。

 

「んー。戻ったら、お師匠や先輩へ手紙を書きたいですね! ……その前にわたし、自分の傷の手当とかしなきゃいけないですけど」

 

 狩猟の達成感に浸る中ノレッジの脳裏に思い浮かんだのは、師匠達と先輩の顔であった。魚竜の狩猟で得た経験を、喜びを。ヒシュやネコ、ダレンにも伝えたいと思ったのだ。ノレッジは唇の端を釣り上げ、笑みを溢す。

 まだ見ぬ先への希望を一心に、少女は砂漠の行路を戻って行った。

 

 

 

 

「ああっ、はぁい! お帰りなさい、ノレッジさんっ!!」

「―― ええと、ども。これが今回の報告書です」

 

 滞在四日、移動に往復三日。約一週ぶりにレクサーラの集会酒場に戻ったノレッジを、姉受付嬢が笑顔で出迎えた。その受付窓口へ、若干視線を逸らしたままのノレッジが書類を示す。視線を逸らしたその理由は単純。主に据えた依頼、「ゲネポスの討伐数」が達成できていない……と、ノレッジは(・・・・・)思っている(・・・・・)のである。

 依頼の主目的、特に討伐依頼が達成されていない場合、ギルドは他の狩人を続けて派遣する。そうしなければ近隣への被害やモンスターの行動監視の延長など、何かしらの被害がギルドにも及ぶからだ。ギルドを通した依頼だからこそ大事にはならないが、責は依頼を達成できなかった狩人にも圧し掛かる。主に金銭などの支払いになるだろう。今回の依頼の場合、ゲネポスの群れはガノトトスによって実質的には解散しているが……この様な場合どうなるのか、はノレッジには判らなかった。少なくとも倒した十余頭のゲネポス以外は近隣に逃げてしまった(であろう)というのも、少女は厳然たる事実として受け止めていた。

 姉受付嬢は芳しくない狩人の表情に僅かに疑問を浮べたものの、それも直ぐに応対用の笑顔へと変え、帰還した狩人への事務的な説明を始めた。

 

「はいはぁい! あとは後追いで入った現地の調査隊の資料が届けば、ノレッジさんに報酬が支払われます。その間は別の狩りに出ていても、宿屋で待機していても構いませんー。ノレッジさんはどの様に?」

「あー、ええと、疲れましたんで二日くらいはレクサーラでお休みの予定です。仔細はギルドの調査隊の人の報告書を見てくだされば、有り難いですねー」

 

 ノレッジの提出した報告書には行路と日程、納品物の配送予定といった物の他、地底湖に居合わせたガノトトスを狩猟したという最低限のものしか纏められていない。一般のハンターとしてはこれでも十分な内容なのだが、根が王立古生物書士隊にあるノレッジからすれば、この様な報告書は「疲労によって力尽きてしまった」の一言に尽きるのであった。

 どうにも心苦しい気持ちのまま。しかし疲労に負けたノレッジは、事を後々に任せて宿屋のベッドを目指す事にした。

 

「それでは、また明日詳しい報告をしに顔を出しますんで~……」

「あっ、はぁい! お気をつけてー!」

 

 受付嬢に軽く手を振ったノレッジは今にも倒れそうな前傾姿勢のまま出口を潜り、宿屋へと去って行った。

 姉受付嬢……リーは、後でお見舞いに行こうかとの予定を頭の中に付け加えた後、手元に提出された紙へと眼を通し始める……が。その報告書の一文で、動かしていた視線が止まる。

 

「って、ガノトトスの狩猟っ!?」

 

 思わず上ずった声が出た。何せ「淡水棲生物の王者、ガノトトス」である。ノレッジの様な駆け出し(と、リーは装備品や武具から判断している)のハンターがおいそれと討伐できるモンスターではなかった筈だ。

 

「んん~? どぉしたのぉ、姉様ぁ~」

「あ、うん……これですー」

 

 姉の驚く声を聞きつけた妹、ルーが受付の裏へと顔を出す。姉の持った紙を横から覗き込み、

 

「ああ、魚竜ね~。本当みたいだよぉ? だってぇ、ほらぁ」

 

 ルーは左手には抱えていた書類の束から一枚目と二枚目を捲り、姉の前に広げた。つい先ほど鳥便で届いた今回のノレッジの狩猟に関する報告書だ。その中にはノレッジが成した狩猟の題目がびっしりと書かれている。仔細は他の紙束にあるのだが、業績を簡易に確認するのならばこれで十分。妹も年の近いノレッジの動向が気になっていたに違いない。姉妹がそのまま机に張り付いた所で、上から順に読み上げてゆく。

 

「魚竜の肝ぉ、サボテンぅ、鉄鉱石ぃ……大地の結晶。納品依頼は全部だねぇ~」

「えと、次に狩猟……ガノトトス、金冠大が一頭。あとはドスゲネポス(・・・・・・)と、ゲネポスの狩猟……四十頭(・・・)っ!?」

「うぅわぁ~。すごぉいねえ、ノレッジぃ。ギルドの依頼はぁ、要するにぃ、ゲネポスの群れの半壊だったんでしょぉ~?」

「そうだね。……ガノトトスの単独狩猟だけでもとんでもないのに、漏れなく、同じ狩場に居合わせた大き目のゲネポスの群れの殆どをだなんて。報告によればガノトトスとゲネポス達で諍いを起こしてたみたいですけど……それにしても、ですよねー」

「ドスゲネポスもぉ、ガノトトスが倒したんだってぇ」

「でもそこに挑むかなぁ……普通」

「うぅうん~、むぅりぃ」

「だよねー。……どうやらわたし達では想像も出来ない何かを持っているみたいだね、ノレッジはー」

 

 姉妹がそろって感嘆の吐息を漏らす。

 言ってしまえば、ノレッジは思い違いをしていた。

 後追いで入る調査隊によって伝えられるものは、事実と結果のみ。その過程は全く持って関係なく、よって ―― ガノトトスに倒されたドスゲネポスとゲネポスは、ノレッジの討伐数に加えられたのである。

 この結果に、受付嬢の姉妹はノレッジの人柄と好奇心についての認識を改める。

 

「これならぁ、ギルドの色んなお仕事を回せるね~」

「うん、そうですね。砂竜の肝の依頼を引き受けてくださっているお陰で、レクサーラの組合の人からの評価も良いですし。ノレッジが望むなら、ハンターランクを上げちゃって良いんじゃないかなー? 偶発戦でガノトトスを倒してるってだけで推薦の材料は出揃ってると思うんだけど」

「さんせぇい。わたしぃ、推薦状書いておくねぇ~」

「お願いします、妹様ー。わたしはギルドマネージャーに連絡をつけようかなー」

「あ、おお(あね)さまはついさっき奥に帰ってきてたからぁ、まだ居るかも~」

「それは急がないといけませんね。捉まえられる内に捉まえないと、あの姉様はいつの間にか居なくなってしまいますし。それじゃあ ――」

 

 姉妹が慌しく動き始める。常ならば現在、温暖気を目前にして緩やかに落ち着いてくる頃なのだが……今季は様子が違っていた。レクサーラは1人の少女を中心に、覚めやらぬ活気を灯して行く。

 

 そして、その二日後。

 寄せられた報告書と運ばれた金冠大のガノトトスに、レクサーラのギルドが騒然となった頃。

 

「―― んん~……ガノトトス、一本釣りですよ~……むにゃ」

 

 街の隅に建てられた安宿の一画。

 ベッドの上に大の字に寝転がり幸せそうな寝顔で寝こける少女は使いによって叩き起こされ、自らのギルド内における評価が急上昇していた事を知る。そしてすぐさま、休む間もなく……噂を聞きつけた他の狩人や増えた依頼に流される様にセクメーア砂漠へと出立した。疲れによって僅かに歪んではいたものの、その顔に好奇心故の溌溂とした笑顔を浮べて。

 

 セクメーア砂漠に、今日も変わらぬ強い陽射が降り注ぐ。その中を、少女を含むハンター達がモンスターを求めて跋扈する。

 少女がレクサーラに到着してから一週と僅か。件の手紙を鳥便に投函した次の日の出来事であった。

 




 砂漠編は続きますが、ノレッジ編はこれにて一端の区切りとなります。ちょっと別視点が入った後、ノレッジの奮闘と物語の核心の辺りに再度着地する予定です。
 ―― 爆撃弾て
 原作(正確には違う気もしますが)での扱いとしては、フロンティアにおけるへビィボウガンオンリーの特殊弾ですね。その場に止まって火柱を上げまくる高威力の弾丸です。本家本元にはレベルだのがある筈なのですが、説明できないので二次創作では割愛させて頂きまして。単に強ーい弾丸であるという解釈で全く持って間違っておりません。調合方法が秘伝。
 本来ならば銃の構造や火薬について発展させるのが、現実味のある強化方法なのだと感じる部分も無きにしも非ずなのですが……如何せん、MHの世界観を考えるに弾丸強化が最も手っ取り早いのではないかと。
 ―― ガノトトス、なんでそんなに知られてないの、好物とか
 ハンター大全より、コラム「ガノトトス・記録の変遷」あたりを念頭において物語を書いております。コラム内容に、カエルによる釣り上げは「あるハンター」が行うまで普及していなかったことが読み取れる一文が存在します。(この点、ハンターの歴史を考えると矛盾している気が大変に致しますけれども、ですね)
 ……はい。本作「閃耀の頂」の1章は、実は時系列的にも初期の辺りを題材としております次第。因みに。肺呼吸の魚は淡水に多く居ますが、私はピラルクーが好きですね。のんびりしてて。
 ―― ノレッジの実力、なんで装備品で判断されてるの
 ギルドカードとかの記録を見れば判るんじゃあ……というのはご尤も。ですがノレッジはハンターとしての活動が少なく、狩猟記録は密林での修行のもの以外は殆どありません。また、協力関係にあるという設定のミナガルデのギルドならば兎も角、(ヒシュの様に)他の大陸で名を上げたハンターやギルドに属していない野良ハンター時代に狩猟を経験した場合、記録には残りませんので。というか、こういった時代に個人の情報を全て管理記録するのは到底不可能でしょう。対して、武具や装備品は狩猟したモンスターの色が出てきます。ランポスシリーズとボーンシューターという駆け出しルックをしているノレッジは、駆け出しルックな見た目故に新人と判断されているという訳ですね。見た目的にはまさかの全身レザー腕アロイの仮面の狩人もそんな感じに見えてます、が、仮面と挙動による不気味さに加えて主と慕うネコが居ますので、初見の人にはちょっと判断つかないと行った所。ハンターシリーズのダレンは初~中の下辺りに見えております(これは正しいです)。
 尚、個体名を呼ばれませんでしたが、設定上はノレッジに力を貸した砂漠メラルー2匹にも名前があります。丁寧な方がフシフ(雌猫、荒っぽい方がカルカ(雄猫です。はてさて、これからの出番は……?
 では、では。

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